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坂上香 プリズン・サークル 第2回 エモーショナル・リテラシー 【世界】2020年2月

2020年02月02日(日)

生まれながらの善人,生まれながらの悪人がいるものか,
よくわからない.
悪逆非道の極悪人……とか,どうなんだろう.
仏さまのような善人というのを聞いたことも……ない.

記事を読みながら,ちょっとわからないな……と思う.
でも,まぁ,現実にこのような「刑務所」があるんだろうな.


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【世界】2020年2月 261-271

プリズン・サークル
囚われから自由になるためのプラクティス
連載第2回 エモーショナル・リテラシー

坂上 香

さかがみ・かおり ドキュメンタリ-映像作家。NPO out of frame代表。一九六五年生まれ。映画作品に『Lifers ライファ-ズ終身刑を超えて(二〇〇四年)、『トークバック 沈黙を破る女たち』(二〇一三年)、著書に『癒しと和解への旅』(岩波書店)など。


自分の感情に目を向けるっていうのは、本当に苦しくて、怖いことだなと。
健太郎


イライラと身体反応

 「お願いします!」
 光あふれる二層吹き抜けのホールに、二十数名の男性の声が反響する。
 白板を挟んで円を描くように等間隔で置かれた椅子には、レモンイエローとグレーのトレーニングウェアを着用した男性たちが、背筋をピンと伸ばして座っている。行儀よく揃えられた膝の上には、合わせた両手がきちんと置かれている。
 ここは私が監督をつとめた映画『プリズン・サークル』(二〇二〇年一月封切)の舞台となった、官民協働刑務所の「島根あさひ社会復帰促進センター」。国内唯一の刑務所内TC(回復共同体)であり、受刑者である彼らは、「訓練生」と呼ばれる。
 白板の前に、三〇代半ばの男性がスーツ姿で立ち、「今日はみなさんにお伝えしていたとおり、感情のテーマに入
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っていきたいと思います」とにこやかに言う。
 「支援員」と呼ばれるTC担当の民間職員の一人であり、心理の専門家である。彼が白板の中央に「感情」と書く。
 「感情とは、もうちょっとかみくだいて言うと、気持ちや気分のことです。心で感じている感覚みたいなものですかね」
 そう言いながら、気持ち、気分、と書き加える。「ただ、感情とか気持ちとか言っても見分けるのが難しいですからね、身体にどう現れるかで考えてみましょうか。たとえばイライラしたとき、みなさん、身体に何か変化が起きませんか? 何人かに聞いていきますね」
 支援員は、年配の朴(仮名)と目があったことを理由に、彼に質問をふる。
 「やっぱり、上半身が熱くなりますね。カーッと血が頭のほうにのぼってくというか」と答える朴。
 「朴さん、わかりやすい例を、ありがとうございます」と笑顔で返す支援員。
 次に、彼の対面に座るいかつい風貌の訓練生が挙手した。年頃は四〇代半ばで、膝丈のズボンから刺青がのぞく。
 「顔つきが変わる」の無愛想な一言に「それは、相当怖そうですね」と支援員が返すと、ホールに笑いがドッと起こった。いかつい肩と坊主頭も揺れていた。そして、隣の若い訓練生が手をあげた。
 「イライラとはちょっと違うかもしんないですけど、焦ったり、緊張したりすると脇汗かきますね」と言う。その向かい側の若い訓練生が遠慮がちに手をあげ、「いま○○さんが言ったみたいに、マジヤバいなって時に限って、貧乏ゆすりしてますね」と続ける。「あー」と、共感の低い声があちこちから漏れる。
 支援員は彼らの意見を否定することはしない。年齢、学歴、職歴、生育環境、民族的背景、犯罪、刑期など、さまざまな点で異なる訓練生が身を置く中で、意見が出やすい雰囲気づくりを心がけていることが伝わってくる。
 「もう一人ぐらいいきましょうか、○○さん」と名指しで当てられた人は、いかにも気弱そうで、自分から手をあげるタイプではない。彼はうつむいた顔を少しだけ上げ、途切れ途切れに言った。
 「僕の場合は、胸を中心に、気持ちが動くというか……上下左右という感じで……イライラって言っても、そのときどきで違うような……」
 「なるほど。同じイライラでも、そのときどきによって感じかたも、現れる身体の箇所も、違うということですね」の支援員の補足に、訓練生はホッとしたようにうなずいた。
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エモーショナル・リテラシー

 ここでは、エモーショナル・リテラシーという考え方を基礎にしている。直訳すると「感情の識字」であるが、それは、さまざまな感情を感じ、理解し、表現する能力のことを指す。同時に、その能力を高めることも含まれる。感情に振り回されるのではなく、感情を使いこなせるようになるための方法である。
 この考えを提唱してきたのは、米国のTC「アミティ」だ。アミティは依存症者や犯罪者を対象に刑務所内外で活動を続けているが、単に犯罪をやめればよいと考えるのではなく、人間的な成長を目指す。犯罪行為は、一つの症状に過ぎないと考え、その症状を引き起こしている根本の問題に対応しようとする。
 創設者で、自ら服役体験もあるナヤ・アービターは、刑務所におけるエモーショナル・リテラシーの必要性を次のように説明する。
 刑務所では、職業訓練や読み書きなどの習得が行なわれているが、もっとも大事なことを忘れている。受刑者の大半は、自分の感情をコントロールできない。心から笑うということ、良い人間関係の築きかた、痛みへの反応、自尊心を持つこと、多様な感情を理解することなどができない。人生のなかで起きたさまざまな出来事についても、どう解釈すればいいのかわからないまま、自らの感情を言葉にできずにいる。
 島根あさひのTCが使うアミティのワークブックでは、「感識」と言う訳語が当てられ、次のように定義されている。
 感識(エモーショナル・リテラシー)……自分の心の動きや感情を感じ取り、それを認識し、表現する力。感情の読み書き能力。「感情の筋肉」の強さ。
 ここでいう「感情の筋肉」には、次の八つの要素が含まれる。関わること、真実、関心、配慮、精神性・霊性、受容、尊敬、ユーモア。これらを鍛えることにより、聴く力や、語る力を育む。それはマニュアル化できるようなことではなく、自らのもっとも深い傷に直面することを求める。
 たとえば、TCでは子ども時代の逆境的体験や犯行直前の状態、犯罪そのものについて語ることを促される。それは沈黙を破ることであり、長年の封印によって絡まった感情を解きほぐしていくことでもある。「感情の筋肉」が弱ければ、聴くこと自体を拒絶したり、事実を否認してしまったりする。それは、未来の語りを封じ込める(=沈黙を強要する)ことにもなる。
 島根あさひの元支援員、毛利真弓は、何よりも「いまここ」の感情に注目し、表現し、言語化し、折り合いをつけ
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ていくことが重要だとする。そしてTCは、自分の感情を日々モニタリングして言葉にする練習をする場だという。
 さらにアミティでは、「感情の筋肉」は受刑者だけの問題ではないと考え、スタッフ同士のサークル(円になって語り合うこと)も欠かさない。TCという場においては、参加者も、スタッフも、常にプラクティス(実践)する必要がある。
 テキストには次のような箇所がある。
 傷を見つけることが大切だ。見つめて、認めるには勇気がいる。傷は、あなたに方向を指し示す。出発点を示す。膿んだところは外気にさらされなければならない。膿を出し切らねばならない。いつだって覚えていてほしい。傷が治った後の皮膚は、普通の肌より強いのだ。もし、傷を清め、癒そうとするならあなたはもっと強くなる。その傷よりも大きく成長できる。
 ある日、この部分を皆の前で朗読した新規生はどうも内容がピンとこないようだった。支援員から「読んでみて、どうでしたか?」とふられると、頭をしきりに傾(かし)げた。
 入ってこない、理解できない、腑に落ちない。こうした「わからなさ」は自然な反応だ。だからこそ、さまざまな手法や事例を使って工夫し、繰り返し、取り組むことで、少しずつその人の中に浸透していく。
 たとえば冒頭のイライラの身体反応は、感情に関する単元のアイスブレーク(導入)であり、こうした工夫の一つである。語られる内容は軽めだが、その後には、訓練生の勇気が求められる、辛い感情の作業が待っている。
 そして、エモーショナル・リテラシーに欠かせないのが、仲間の存在である。『プリズン・サークル』の主人公の一人、二五歳の真人(仮名)が言う。
 「最初はなかなか話せなくて、気がついたら一クール(三カ月)終わってて。次のクールは話そうと思って手をあげようとするんだけど、あげそびれちゃって。皆の前で語れるようになるまで、時間がかかりましたね、自分の場合は。で、誰かに勇気をもらうとか、誰かが見本を示してくれるっていうのが、すごい、自分の背中を、押してくれたなって」
 他者の語りをとおし、一人ではないことを実感することによって、初めて自他ともに辛い体験に向き合うことができるようになる。
 しかし、こうした考えは、従来の沈黙の矯正文化とは相反するものでもある。


チリの刑務所


 私は、テレビに従事していた一九九〇年代以降、刑務所
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や社会復帰施設をめぐる映像を、一〇本余り制作してきた。
 最初から刑務所に興味を抱いていたわけではない。むしろ、関心を抱いていたのは、虐待や暴力が個人と社会に与える影響や、その結果の「暴力の連鎖」をどう断ち切ったらよいのかということだった。問題を突き詰めて探っていったら、刑務所に行き着いたというわけである。
 刑務所に初めて足を踏み入れたのは、今からちょうど三〇年前のこと。日本ではなく、南米のチリだった。
 一九九〇年当時、米国の大学院で社会経済開発学を専攻していた私は、夏休みを利用して、調査準備のためにチリの首都サンチアゴに滞在していた。南半球のチリは冬だった。一六年間続いたピノチェトによる独裁政権が終わり、民主政権に移行してまだ間もない頃、友人宅の食事会で、兄が政治犯として服役中だという同じ年頃の女性テレサと出会った。
 政治犯と聞いて、不当拘禁、拷問、「失踪者」等が即座に思い浮かんだ。私自身、大学時代から国際的な人権擁護の活動に関わり、軍や秘密警察によって突然連行され行方不明になる「失踪者」の所在をチリ政府に求める活動も行なってきていた。そんな話をしたら、テレサは一緒に兄の面会に行かないかと言う。彼女の兄が何をして捕まったのかは記憶にないのだが、初めての刑務所訪問の様子は今でもよく覚えている。
 面会当日、テレサとバスを乗り継いで、郊外にある刑務所へと向かった。刑務所の壁を包囲するように、長蛇の列、ができていた。最後尾に行く途中で、テレサは顔見知りの面会者らと親しげに挨拶を交わし、私を紹介した。
 「失踪者」だった息子がこの刑務所にいることを数カ月前に知ったばかりの母親、恋人が移送されたことを知って来たという若い女性、かつて自らが囚われていたという男性もいた。ある人は「失踪者」の写真パネルを外壁に立てかけ、知らないかと聞いて回った。私たちの後に来た年配の女性は、大きな荷物の上に座ったかと思うと編み物を始めた。刑務所にいる仲間のためにマフラーを編み、荷物の中身は差し入れだと言った。列が動くたびに、ずるずると荷物を引きずった。
 おしゃべりが途切れることはなく、温かい飲み物や菓子がどこからともなく回ってきたりしたから、待ち時間は気にならなかった。むしろ、面会者同士が支え合う様子に感動したことのほうをよく覚えている。皆、日本から来たという私を歓迎してくれ、面会予定の受刑者にそれぞれ紹介すると言った。他の受刑者とも話すことが可能なのか、と私は不思議でならなかった。
 実は、私がチリに関心を持つようになったのは、チリの
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人権活動家ベロニカ・デ・ネグリに関するワシントン・ポスト紙の記事を読んだことがきっかけだった。彼女には、秘密警察に捕まって一年半拘禁された経験がある。動物を使ったレイプや拷問を日常的に受け、その詳細が描写された記事を読んだことで、私はしばらく食事が喉をとおらなくなった。その後、チリの拘禁をめぐる人権侵害については注意を払ってきていたから、「刑務所=非人道的」というイメージが頭の中で固定化されていた。
 しかし、その刑務所は、私の予想を全くと言っていいほど裏切った。入口ではパスポートを見せて、荷物と身体チェックを軽くするだけだった。鉄格子はあったが、扉が完全に開いており、人々が舎房を自由に行き交っていた。そのことにまずショックを受けた。そして、色彩豊かな毛布や布が鉄格子を覆い、部屋の間仕切りのようになっており、完全にとまでは言えないが、ある程度はプライバシーが確保できていた。警備は、数名の看守が巡回する程度。笑い声に交じって、チリやキューバの民衆音楽が聞こえ、口笛や掛け声に合わせてハンカチを振り、クエカ(民衆舞踊)を踊る人々もいた。そんな喧騒もおかまいなしに、施設の隅では、受刑者らが訪問者と触れ合い、カップルが抱擁していた。まるでライブハウスにでもいるかのようだった。
 もちろん、良いことばかりではなかった。民主化後も出所のメドが立たず、心身に不調をきたす人が多かった。テレサの兄もそんな一人で、面会では物静かで知的な印象しかなかったが、以前の元気さがすっかり消え失せたとテレサは心配していた。
 施設の老朽化や衛生の問題も深刻だった。暖房がないので皆重ね着していたが、寒さによる不眠を訴えていた。食事も不十分で、肉、野菜、米といった基本的な食材ですら外部からの差し入れに頼らざるをえなかった。
 しかし、そうであっても、差し入れがあるたびに、あちこちから歓声があがる様子は微笑ましかったし、実は、受刑者たちから日本についての講演を依頼され、私は再度その刑務所を訪ねることになったのだが、お礼にご馳走してもらったのは、人参と挽肉たっぷりの、人生でもっとも美味しいピラフだった。
 刑務所の規律や管理が、民主化後、かなり緩和されたのは事実だ。政治犯向け、という特殊事情も影響していたのだろう。他がすべてこんなに開かれた施設だったかはわからない。しかし、限定的であっても自由や人のつながりを強く感じたし、刑務所自体が固定化されたものではなく、さまざまな形があることや、時代によって変わりうることも実感した。
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沈黙を強いる矯正文化

 チリでの体験を機に、自国の矯正施設に目が向いた。矯正施設とは、法務省が管轄する刑務所、少年刑務所、拘置所、少年院、少年鑑別所などのことである。
 まず驚いたのが、国内では、チリのように簡単に面会や交流ができないことだった。原則として被収容者の直系の家族のみで、しかも、事前の申請手続きや調整が必要だという。そこで、某大学の法学部のゼミが少年院と刑務所の見学に行くことを知り、頼み込んで同行させてもらうことにした。
 しかし、見学者である私たちは、受刑者や少年らと、「言葉」を交わすどころか「視線」を交わすことすら許されなかった。というのも、廊下で通り過ぎる際は、彼らは壁のほうを向き、見学者とは顔を合わせないように指導されていたからである。刑務所では刑務作業の様子を遠くから眺めるだけで、近くに寄ったり、話しかけたりすることは禁じられた。少年院に至っては、講義と建物の見学のみで、少年たちがそこに暮らしていることすら感じさせない徹底ぶりだった。
 唯一、少年の気配を感じて、今もなお強烈な記憶として残っているのが、少年院の壁に貼られていたポスターである。明らかに少年の手によって描かれたものだったが、「社会話をするな」という聞き慣れない標語が添えられていた。
 現場の法務教官に、「社会話」について質問すると、出身地や学校、家族構成など、個人を特定する話をすることで、世間話のことだと言われた。それを禁じるのは、外での悪事を促す危険から守る、再犯防止の目的だという。
 しかし、世間話とは会話そのものであり、人と関わりを持つためのもっとも基本的なコミュニケーションだ。それを禁じられるということは、人との関係を断たれることであり、日常を断たれることではないか。チリの刑務所で見た光景と対極にある目の前の現状が、私にはショックでならなかった。
 さらに言うと、少年たちは、自らに沈黙を強要するための標語とイラストを描かされているわけだ。拒めば懲罰の対象になりかねない。どんな思いで描いたのだろうか。その行為自体が私には拷問と映った。
 最近、少年院に長年勤務した経験を持つ幹部と、ある会議で同席した際、そのポスターのことをそれとなく聞いてみた。「ほお、そういえばそんなものがありましたなあ。今はさすがに見かけなくなりましたが」と、彼は他人事のよう
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に笑った。それがいつなくなったのか、なぜなくなったのかの問いには「気づきませんでしたね」と受け流した。
 抑圧する側は、たいてい無自覚だ。加害者の多くが、加害行為が被害者にどのような影響を及ぼすのかを認識できていないのと同様に。母親が「香ちゃんの将来のために」と自分の夢を押しつけ、私がヴァイオリンに追い詰められていったように。そして、家庭でもっとも立場の弱い弟に暴言を吐きまくりながら、自業自得だと私自身がその暴力を正当化していたように。
 その幹部からは、一緒にするなとお叱りを受けるだろう。職務にすぎなかったなど、彼には言い分があるだろう。しかし、少年たちに沈黙を強要することの意味や弊害を、少しでも想像したことがあっただろうか?


沈黙を強要する社会

 「日本の刑務所でもっとも特徴的なのは、沈黙である」これは、世界的人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチによる一九九五年の報告書での指摘である。
 沈黙がすべて悪いわけではない。しかし、沈黙の強要によって、個性を、主体を、問題を包み隠そう(消そう)としているのが国内の矯正施設ではないか。初めての施設訪問以降、私はずっとそう感じてきた。
 ただ、それは矯正施設に限ったことだろうか?
 『プリズン・サークル』の試写を見たある女性から、こんな感想が出た。
 「受刑者が黙って食事をしたり、作業したりする場面、娘の学校とそっくり! 小学校でも黙食をやってるんですよ」
 黙食?と思わず聞き返したのだが、最近、公立の小中学校の中には、黙って給食を食べる「黙食」、黙って掃除をする「黙働掃除」や「無言清掃」、黙って移動する「黙移動」などを推進しているところが少なくないという。守れない生徒には、さまざまな形で罰が与えられる。子どもだけでなく、教員も管理職から指導の不備を指摘され、プレッシャーをかけられる。
 教育研究者の霜村三二(しもむらさんに)は、このように沈黙を取り入れる教育について、全国の現役教員二〇〇名を対象に調査を行ない、三〇都道府県の小学校の教師五八人から返答を得た。その中で浮き彫りになったのは、子ども同士でチェックしあい、相互監視体制をつくり、いっさいの声を禁じる潮流だ。アンケートには、子どもに看守的な役回りをさせ、まるで刑務所や収容所みたいだ、という教員の声もある。
 刑務所化する社会。哲学者のミシェル・フーコーが指摘した、「従順」で「有用」な個人を作るための「規律権
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力」が、学校、軍隊、工場、企業を覆っていく事態に対して、私自身も危機感を感じてきた。ところが、学校では否定的な感情を排除したり、子ども同士が縛り合ったりする関係性が加速しているうえに、さらなる沈黙の強要が起こっているとすれば、社会の刑務所化が、すでに刑務所そのものを超えてしまっている、と言えるかもしれない。

仮面

 話を島根あさひのTCに戻そう。
 『プリズン・サークル』の主人公の一人、二七歳の健太郎(仮名)がTCに入ってきたのは、撮影開始から半年後だった。
 TCには三カ月ごとに新規生が数名程度入ってきて、自己紹介を行なうのだが、健太郎のそれは、印象的だった。
 「ここに来さしてもらって間もないですけど、みなさんに知ってもらっとこうかなと、なんで僕がここにいるのかを。強盗傷人、住居侵入で、五年でここに来たんですけど……。あの……、失ったものが大きすぎて、婚約者もそのお腹の子どもも、友達も、会社っていうか職場の人も全部、ま、全部自分のせいで失って、もう生きるのが面倒くさいというか。どっかで、その、死にたい、どっかで消えたいって気持ちがずっと絶ちきれなくて。被害者に対する気持ちっていうのも、正直、ほんと、まったくなくて……。ただ、自分はなんでこんな辛い目に遭わなきゃいけないんだろうって」
 堂々めぐりの自問自答で、罪悪感の希薄さが見え隠れしていた。
 数日後、感情のワークで、訓練生たちは、思いつくまま、感情をめぐる単語を白板に書けと言われる。二十数名が三本のマーカーを奪い合うようにして単語を書き、席に戻ってはまた白板へを繰り返す。五分間で白板がぎっしり埋まった。
 クヨクヨ、モヤモヤ、ムカムカ、カチーンといった擬態語から、悲しい、寂しい、やるせない、劣等感、憂鬱、恐怖、不安、嫉妬、妬み、自己憐欄(れんびん)、憎い、殺意まで、否定的な感情が圧倒的に多い。希望や安心といった肯定的なものは、ごく少数だ。
 健太郎は無表情のまま、サークルの中に座っていた。後になって知ったのだが、当時の彼のあだ名は「鉄仮面」。それほど表情に変化がなく、仮面のような面持ちだった。
 次に、ここ最近心が動いたことを思い出し、その時の感情を身体で表現する、というワークを行なった。支援員自らが喉に両手を添え、目をつぶり、ちょっと歪(ゆが)んで苦しそうな表情を浮かべた。その後、四人の小グループに分けら
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れ、各自が最近印象的だったことに思いを馳せる時間を持った。そして、各自が一分ずつ無言でポーズを取り、その後、数分間かけてそのポーズにまつわる話をしていくことになった。
 「自分の中にエピソードやその時の感情が、しっかり湧き出てくるポーズにしてくださいね。ちょっとオーバーリアクション気味ぐらいがいいかもしれません」
 支援員がグループの間を回りながら説明を加える。
 健太郎のグループでは、彼と同年代の平松(仮名)から始めた。右手の拳を左の胸の上にあて、頭をうなだれた。しばらくすると照れてしまい、吹き出してしまったのだが、真剣に取り組む周囲を見て慌てて、もう一度同じポーズを取り直した。息をするたびに手と胸が波打った。
 ポーズを終えて、平松が解説した。
 「不安と期待が入り混じった感情。で、なんでこの感情をチョイスしたかというと、ちょっと前、誕生日で。嫁から手紙こなくてですね、どうしちゃったのかなーという不安を抱きつつも、いつか来るだろうって期待を抱いてたんですよ。で、一週間遅れで来たんですよ。いつも手紙の枚数って七、八枚なんですけど、誕生日に限って薄くって。で、すっこい不安になっちゃって。別れの手紙なんじゃないかって」
 結局、取り越し苦労に終わったのだが、平松が手紙を開くまでの揺れる心境について、皆質問をしたり、相槌を打ったりと何らかの反応を示した。健太郎をのぞいては──。
 健太郎は、自分の番が来ても、背筋をぴんと伸ばし、じっと座っているだけだった。平松が思わず「もう始まってんすか?」と突っ込むと、グループに失笑が起こった。健太郎は、皆が笑う理由がわからないようで、「へ?」という表情を浮かべた。
 一分後、「特に何も感じてなくて、自分」と健太郎は切り出した。そして、そもそも心が動くという状態がわからないと言った。その後、皆から質問責めにあうのだが、あまりに素っ気ない返事で、グループには気まずい沈黙が流れた。


芽吹く瞬間

 クールが終わろうとしていたある日、休憩時間に、ホールに残って白板の前でノートを取る健太郎の姿があった。真人がやってきてその隣に座り、「どう、最近?」と声をかけた。健太郎は突然のことで動揺しているように見えたが、姿勢は崩さず、ノートを取り続けながら口を開いた。
 「なんか、うまくいかなかったときだけ、皆を意識しちゃうんですよね。普段は別に僕はできてるし、アイツらな
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んて意識しなくていいって思ってるんですけど。失敗すると、僕の場合は、恥ずかしさがくるんですよ」
 視線は白板とノートの往復で、真人を見ない健太郎。真人も健太郎に合わせて白板に向き合う形で答える。
 「自分も最初そうだったな。失敗すると、あーもう、ダメだって。皆にどう思われてんだうとか。最初、忘れ物した時とかって、『どーすんだ俺』とかなっちゃったけど、徐々にやってけばいいかなって思うようにした。まだ(健太郎はTCに)来たばかりだし、全然、これからだよ」
 「今日も皆の前で注意されたとき、俺のこと怒りやがってって思っちゃったんですね。こいつに俺、プライド傷つけられた、皆に嫌われたらどーすんだよって」
 健太郎にしては珍しく、いらだちが見える話し方だった。それでもノートを取る手は止まらない。真人は苦笑した。
 「あー、わかるなあ、なんかやたらと被害者意識が強いとこ。自分がすごいかわいそうだなって思って、自分のせいじゃないとか、そういうふうに考えてるうちはまわりが見えない。でも、だんだん、これ自分のせいなんだろうなって思えてくるから。それは変わってきてるサインだと思うから、そういうところに行き着けるまで、がんばってほしいな」
 健太郎はノートを取り続けていたが、視線はチラチラと真人の方にも向き始めていた。そして少し手を止めて言った。
 「なんか情けない。せっかくTCに来させてもらってんのに、犯罪前と変わってない感じで」
 真人は深く、何度もうなずいた。そして、言葉を選びながら、ゆっくりと返した。
 「うーん、こういうところだけど、素直に何でも話せる人をつくるっていうのが、けっこう大事なんだなーと思って」
 二人の背後からカメラを回しながら、私は大切な何かが芽吹く瞬間に立ち会ったような、そんな興奮を覚えていた。
(つづく)


参考文献
坂上香『アミティ「脱暴力」への挑戦 傷ついた自己とエモーショナル・リテラシー』日本評論社 二〇〇二年
霜村三二「『黙』を強いられる学校現場の『声』を聴く」『教育』八八七号、かもがわ出版、二〇一九年
毛利真弓「語りの場と犯罪行動からの離脱 刑務所内治療共同体のつくりかた」『アディクションと加害者臨床』藤岡淳子編著 金剛出版 二〇一六年
Human Rights Watch/Asia Human Rights Watch Prison Project.Prison Conditions in Japan.Human Rights Watch,1995.

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