SSブログ

茶谷さやか ラムザイヤー論文はなぜ「事件」となったのか 【世界】2021年5月

2021年6月20日(日)

新聞の小さな記事をみたとき,ふっと,
あぁこういう論文が出てくる可能性,あるな,
と思った.
掲載誌は,著名な学術誌,学生のころ図書館の書棚から借り出していたこともあったな,と思い出しながら,
記事の記述だけで,あれこれいうことはないか,と思った.

ただ,社会的選択論や,ゲーム論……が,
自分の不勉強を棚上げにすれば,
その最初の論者たちがもっていたような,経済社会に,さらにもうすこし掘り下げた歴史,政治に対する理解のようなものが,
その後どのような運命をたどるのか,容易に予想できるのではないか,
とも思った.

どう言えばよいか,後に続く者たちは,最初の論者たちの思惑や,アイデアとは別の世界で,ただ,理論的な思考の枠内で,きれいに議論をまとめていくだろう.そうすることが,多くの場合,すぐれた論考であるために求められている……となるんだろうな.
うまく言えないが,そんな感じがした.

数理が不用だとか,そんなことはまったくないのだけれど,
なんというか,経済とか,商売とか,あるいは実社会のありようが,数理で汲み尽くせるのか,とも.
そして,仮説の意味,現実妥当性などが,いつのまにかあまり重視されなくなっていく……のではないか,とも.

そんなことを,記事を読んで,なんとなく感じていた.
というか,今は昔の学生時代のころをおもいだしていた,というべきか.

もうずっと棚上げしたままだけれど,
ケインズなど,やはりもっと現実と格闘していて,
自分の語っていることの裏側や,対応する現実,あるいは語られていない現実について,とても意識的だったんじゃないか,と思う.

……などとまとまらないまま.

…………

そういえば,文科省が教科書会社の担当者を集めて,
従軍慰安婦ということばについて,なにか語っているそうだ.
従軍看護婦とかとは違うんだ,といいたいのだとか,記事にはあったか.
なんだか,行くところまで行っちゃった……という印象だが.

─────────────────────────

【世界】2021年5月

ラムザイヤー・スキャンダル──歴史否認のグローバル現象
昨年末に米国誌で公開されたある論文がいま、大騒動に発展している。
「学問的規範を犯した最悪例」(T.M-スズキ)とまで称されたこの論
文の何が問題なのか、事件が何を問いかけているのか。緊急特集する。



ラムザイヤー論文はなぜ「事件」となったのか

茶谷さやか
ちゃや・さやか コロンビア大学歴史学部博士号取得。シンガポール国立大学歴史学部助教授。東アジア近現代史。専門は日本帝国主義の社会史、在日コリアン社会史。


 私がハーバード・ロースクール教授マーク・ラムザイヤーによる「慰安婦」論文(「太平洋戦争における性行為契約」)を知ったのは、ウェブ上で論文が公開されてから二カ月後の今年二月五日、友人チェルシー・シーダー(青山学院大学准教授)のSNS投稿がきっかけだった。その日は大学業務に追われていて、詳しく読むことはできなかった。まさか自分がこの論文に深く関わるとは夢にも思わなかった。
 翌日論文を読んで、ことの重大さに気付いた。論文の主旨は、「慰安婦」(日本人・朝鮮人)と売春宿業者の二者が各々の利益を追求し、その駆け引きの結果契約内容が決まったことをゲーム理論の用語を用いて説明したものである。彼(の空想)によれば「慰安婦」は、近代日本の公娼と同様に自由に意思決定できる主体であり、朝鮮人女性は自ら戦地へ向かって売春し大儲けした。騙された朝鮮人女性がいたことは認めつつ、しかしそれは朝鮮人業者の責任であり、日本軍の関与はただ性病を予防しようとしただけだ、としている。
 論文は、女性が自主的に契約をしたことを証明するために、二人の人物を紹介している。一人は明治時代の「からゆきさん」おサキで、彼女は「一〇歳でも娼婦がどういう仕事なのかを理解し」、同意したのだという。もう一人は元「慰安婦」の文玉珠(ムンオクジュ)で、ビルマで彼女のチップの稼ぎが良かったことだけを強調している。
 さっと読んだだけでも、資料の使い方、議論展開に明らかに無理があった。そもそも、肝心の朝鮮人女性との契約書さえ示されていないのだ。なぜこんなものが査読を通過したのだろうか。
 その後、彼がJAPAN Forwardという産経新聞の英語サイトに登場し、慰安婦の話は「純粋な虚構」だと繰り返すのを読み(1)、彼が「慰安婦」否定論者であることがはっきり分かった。「慰安婦」否定論が繰り返されてきたのは知っていたが、どこかでそれはアジアにおける「記憶」と政治の問題だと思っていたところがある。このような右派の一方的な主張が、それとは無縁だと思い込んできた英語圏の学術誌に入ってきたことは、大きな衝撃であった。


学術界の一大スキャンダルへ

 その衝撃はたくさんの研究者を突き動かした。すでにエイミー・スタンリー(ノースウェスタン大学教授)、ハナ・シェパード(ケンブリッジ大学トリニティーカレッジ研究員)、デイビッド・アンバラス(ノースカロライナ州立大学教授)、そしてシーダーを中心に、世界中のたくさんの有志が協力し、論文が依拠する出典先を確認する作業が始まっていた。私もすぐに加わった。
 五人とも「慰安婦」史の専門家ではない。それでも論文が、おサキや文玉珠の証言を跡形もなく歪曲していることは簡単にわかった。単なるミス、誤解、知識不足ではなく、恣意的な研究不正である可能性が高いと考え、手に入る限りの出典を一つずつ調べることとなった。
 最終的に、わずか八頁の原論文に対し、検証結果は三三頁にまでなった。私たちは二月一六日に、検証結果を「『太平洋戦争における性行為契約』論文に関し研究上の不正を理由とする撤回要求」として、論文を掲載した学術誌(International Review of Law and Economics)編集部に送り、その二日後にインターネット上で公開した(2)。
 編集部には、私たちのレター以外にも多数の抗議文や撤回要求が寄せられた。二月四日にはすでにハーバード・ロースクール諸団体が連名で抗議声明を出し、他にも世界のフェミニストによる公開書簡と署名活動、韓国系アメリカ人協会による署名活動などがいち早く始まった。多くの日



本史研究者も撤回要求のレターを出した。アレクシス・ダデンやテッサ・モーリス-スズキなどの著名な日本史家は、撤回要求の詳しい理由を公開し、メディアの質問に答えるなど精力的に情報を発信しはじめた。
 今回の事件は「慰安婦」問題に今まで関わりのなかった研究者たちを巻き込んだことが特徴的だ。ハーバード大学歴史学部教授のアンドリュー・ゴードン(日本史)とカーター・エッカート(朝鮮史)が論文撤回を求めた、というニュース(声明は二月一七日公開)に驚く人は少なくなかった。二人は学問の独立を重視し、アクティビズムへの関与には慎重なところがある研究者だったからだ。
 また、経済学者やゲーム理論学者たちも議論に参加した。二月二三日より公開された『懸念する経済学者によるレター』は、「慰安婦」をめぐる論争を経済学者に簡単に説明したうえで、「ゲーム理論の言葉を使ったからといって歴史の新事実が証明されるわけではないとし、掲載誌に適切な検証プロセスを求めている。このレターはたった四日間で二〇〇〇名の賛同者を集め、三月二三日現在、ノーベル賞受賞者も含んだ三四〇〇名以上が名を連ねることになった。
 二月の中旬から下旬にかけて、事件は学術界のスキャンダルを超えて、英語メディアの注目を浴びるようになった。ハーバード大学では、早くから学生たちが元「慰安婦」を招いてパネルディスカッションを行ない、キャンパスで抗議運動を続けているし、学生紙の『ハーバード・クリムゾン』もこの件に関して記事を書き続けている。二六日にはハーバード・ロースクール教授のジニー・ソク・ガーセンが『ニューヨーカー』に寄稿し、ラムザイヤーへの直接インタビューから、彼が朝鮮人女性との契約内容を見ていないと認めていることを伝えた(3)。その後、ニューヨーク・タイムズ、ガーディアン、アルジャジーラ、CNN、ワシントンポスト、FOXニュースなども報道し、三月の初めにはホワイトハウス報道官にまでこの件に関する質問が何度か上がった。
 たくさんの団体や個人がこの論文に対して声を挙げているが、それぞれ主眼は異なる。私たち五人にとって、また多くの研究者にとって、これは学問倫理と研究の誠実性という最も根本的な問題だ。誤解
 を恐れずに言えば、「慰安婦」の経験がどうであったか、という知識を押し付けるのが反駁の主旨ではなく、たとえ感情的・政治的に受け入れがたい結論となったとしても、史料や証言を、史実にたどり着くために能力の限り誠実に分析したか、という点が鍵である。学問の自由はそのような最低限のルールがあるからこそ成り立つからだ。
 五人のうち、アンバラス、シェパード、私の三人は日本帝国主義の歴史を専門にしてきた。私たちは「日本対韓国」ひいては「征服者対被征服者」の二項対立を切り崩す研究を手がけている。そのような研究をする上で、学問の誠実性は侵してはならない条件であり、生身の人の経験に関する資料を都合よく曲解、無視するのは最も蔑まれるべき行為だ。そのため、私たちの撤回要求は、ラムザイヤーの歴史理解の非妥当性(これについては次の吉見義明の論考を参照)よりも、大量に見られる資料の歪曲に焦点を当て、論文の研究不正を主張した。私たちの検証についてガーセンがインタビューで表現した通り、これは「学術界の信用を取り戻すため、知識を作り出すものとしての責任を果たすための作業」であったと思っている。
 現時点で掲載誌は、ラムザイヤーから検証結果への回答があるまで論文の紙媒体への印刷を延期すると言っている。この原稿が刊行されるまでに、撤回かどうかの判断はなされているかもしれない。


「なぜ」という疑問

 なぜこのような事件がおこったのか。それを考えるために、この件を通して繋がった何人もの歴史研究者、法経済学者、ゲーム理論家と話し合った。
 ラムザイヤー個人の動機から見てみよう。彼はもともと日本の企業・政治経済・税制度の専門家として有名だ。人物紹介では必ず日本で生まれ育ち日本語が堪能なことが強調され、東京大学のグローバル・アドバイザリー・ボードの一員をつとめ、二〇一八年には日本の勲章「旭日章」を受章した、立派な「日本通」である。
 私が見るかぎり、彼が日本の歴史事象を使った論文を発表し始めたのは、一九九一年である。それは今回の「慰安婦」論文の序章ともいえる内容で、親と売春宿による娘の人身売買契約を、女性と宿の二者間の合意契約と捉えており、すでにロジックの破綻が見られる。
 その後一九九〇年代を通じて、江戸時代の契約や、明治時代の元老派閥、戦後の官僚と政治家の関係などを、合理的選択理論を用いて論じる論文や共著の書籍を複数出した。資料の曲解や無視といった研究上の不誠実さについて、チャルマーズ・ジョンソンや伊藤之雄のような日本研究者から酷評されたこともあったが、実証や資料重視からモデルの適用へ重心を移したことで日本を扱う政治学に貢献したと言われている。それが評価されたのか、彼は一九九八年に現職の、ハーバード三菱日本法学教授の肩書を得ている。
 彼の主張が急激に右傾化するのは、ここ二、三年のことだ。二〇一八年と二〇二〇年の論文では、被差別部落を「犯罪者集団」と決めつけ、補助金強奪のために架空の部落アイデンティティをうみだし利用した、と論じた。これについてはジャーナリストの角岡伸彦がプログでその偏見と資料の歪曲を指摘する反論をすでに公表しており(4)、現在日本と英語圏の専門家たちが反駁をまとめている。二〇二〇年の学会論文や、今年二月の査読論文でも、同じ論旨を再び被差別部落、在日コリアン、沖縄に当てはめて、悪意ある統率者が利益を追求してメンバーを搾取し、架空の被差別アイデンティティを作り上げてきた、と論じた。『沖縄タイムス』がすでに指摘したように(5)、デマの多い排外主義の著書を根拠にしたり、事実をねじ曲げたり、基本的な歴史的文脈を無視したりと、学問の体をなしていないものだ。
 また、警察機能の民営化を論じた著述で、セコムなどの警備会社、ヤクザ、と並んで、わざわざ(明らかに文脈上不必要であるにもかかわらず)一九二三年の関東大震災後の朝鮮人虐殺に言及し、当時のデマを事実と見なして虐殺を擁護し、警察や政府の責任を免罪する主張を盛り込んでいる。
 シンプルな社会科学的概念を選びながら、偏見に満ちた歴史観を、法経済学系の学術誌から出版するのが、彼のパターンとなっている。単なる歴史の無理解というよりは、いわゆる右派の歴史修正主義的な主張をどこでもいいから出版することが目的なのではないか、と疑わざるをえない。


「歴史戦」の一環なのか?

 最近になってなぜこのような論文が急に増えたのか。近年日本の右派が進める歴史修正主義史観の海外輸出と、タイミングが合致しているとはいえるが、それが偶然か否かはわからない。ただ、ラムザイヤーは日本右派とつながりが強いジェイソン・モーガンのインタビューを受けており、最近の論文五本でもモーガンに謝辞を述べている。
 これが偶然にせよ必然にせよ、一連のラムザイヤー論文は、日本右派にとっては天より与えられた突破口だったはずだ。読者には、山口智美らの『海を渡る「慰安婦」問題──右派の「歴史戦」を問う』(二〇一六年、岩波書店)をぜひ読んでもらいたい。本書では、右派が「慰安婦」問題において「日本の名誉」を守るために、二〇〇七年より海外で運動を展開してきた経緯、つまり後に産経新聞が使い始めた言葉でいう「歴史戦」の様子が描かれている。彼らは慰安婦像設置の反対運動、大学での講演活動、国連近くで「慰安婦」問題は虚構だと繰り返すようなイベントなどで、聴衆の反感を大いに高め、敵を増やしてきた。
 「アメリカが主戦場」というだけあって、英語での情報発信にはとくに力を入れているが、山口智美によると、その運動の「最大の弱点の一つが、英文書籍の欠落、とくに学術書の欠落であり、それは右派の中でも自覚」されているという。吉見義明のComfort Womenがコロンビア大学出版から出され、学問的に称賛されているのに比べて、最近の秦郁彦の著作の英訳(ハミルトン・ブックス)を含めても、右派の英訳本の数々は存在感が薄い。そこに「ハーバード」の教授が「査読論文」で出版するとは、またとない形勢逆転の契機だったはずだ。
 ところが、これも右派の期待からはほど遠い結果となっている。論文が最終的に撤回されるかどうかにかかわらず、「慰安婦」否定論に根拠がないことが世界中に明らかになり、しかも今までこのような問題に疎かった分野の学者たちまでが吉見義明の著書を読み始めているのだ。
 ちなみに、論文に抗議の声明を出した著名な経済学者の何人かは、日本右派の海外団体「歴史の真実を求める世界連合会(GAHT)」のサンパウロ支部の人物からメールを受け取った。そのメールには、数点の「資料」の紹介とともに、強制連行は虚偽の吉田証言しか証拠がない、日本軍は戦場の兵士の暴行をとめるために売春宿制度を必要とした、などと書かれていて、李栄薫『反日種族主義』(二〇一九年、文藝春秋)のスキャンが添付してあった。当然ながら、そのようなメールは懐疑心を増大させるのみだ。
 懸念されるのは、日本の外務省高官がラムザイヤー論文を根拠に、韓国を非難する発言をしたことだ(前述のニューヨーカー記事参照)。今までも政府与党は歴史修正主義の海外輸出をサポートしてきたが、政府が自国の研究者たちによる膨大な研究蓄積を無視し、そもそも証拠となる契約を本人も見ていないというような論文を根拠として使おうとするのは無恥のきわみである。
 また日本右派とアメリカの白人至上主義との交錯も見逃せない。二〇二〇年の別の論文でラムザイヤーは、「アメリカの民族問題を題材にすると激しい対立が起こってしまい自由に議論できない」ので、「渋々ながらアメリカの問題は取り上げず」「あまり知られていない題材を使えば自由に議論できるだろう」と書いている。つまり、被差別部落、沖縄、在日コリアンを通して主張した「差別は自己責任であり、マイノリティの統率者がむしろメンバーを搾取している」というロジックは、本来はアメリカに適用したいのだが、そうすると政治問題になるので、人があまり知らない日本史を使って発表する、とあけすけに述べているのだ。日本研究がこのようなレイシズムの暗躍する場となっていいのだろうか。歴史を紐解くと、根深い白人至上主義が、「日本研究」もしくは「日本びいき」という形で現れる例が今まで少なからずあった。このような形での日米の排外主義者のもたれあいにも注意していく必要がある。


アメリカ学術界という土壌

 このような一連の論文が発表された背景には、アメリカ学術界の現状の問題も横たわっている。
 私が話した研究者たちが揃って同意したのは、アメリカの法学・経済学という分野は、アメリカ以外の地域に特化した研究の蓄積がなく、日本のことを審査できる学者がほとんどいないことだ。ガーセンも言っているように、論文の査読者は、朝鮮人女性との契約内容を示す資料が脚注のどこかに入っているに違いない、と思いこんだのだろう。「ハーバード」の「日本通」がそう書いているのだから、まさかそこに虚偽があるとは思わない。「慰安婦」問題に明るい研究者が見れば、そのような契約は今まで見つかっていないこと、見つかったとしたらわずか八頁弱の法経済学論文で発表する類のものではないことが分かったはずだ。
 また、経済学誌は一般的に、このような不正に直面した例がほとんどないという声もあった。数学的証明の誤りや、データの偽造があれば撤回するけれども、集めたデータにセレクションバイアスがある際は、反対論文の掲載をすることが一般的だという。今回も、掲載誌編集者は当初反対論文を募るという対応を行なったが、それは、まさか契約書が一つも参照されていないとは想像せずにこうした慣例に倣ったためだろう。根拠となる資料の完全なる不在、資料の深刻な歪曲などの不正の事実が分かっても、それに対応するルールがないので、対応できないのだ。
 しかし、同氏の過去の出版物だけでもいくつも先例があるわけで、それを見逃してきた「慣例」に問題はないだろうか。地域研究や歴史研究者の査読を乞い、意見を尊重することの重要性が認められていない感が否めない。
 歴史的・文化的コンテクストにおける知識を軽視する傾向は政治学分野にも共通する。政治学では言語能力よりも統計学やゲーム理論のスキルが尊重され、回帰分析では分析するケースの数が多ければ多いほど実証的で信頼できるとされる。地域研究の学術誌で論文を発表しても、数量分析を主とする学術誌に比べて「ランキング」が低いので、評価に繋がらない。若手研究者は地域研究を避けるようになり、基盤がどんどん弱くなる──こうした悪循環に陥っている。結果、各地域の歴史・社会に関わる基礎的事実を把握し、誤りを指摘できる人材が激減した。
 モデルや統計分析は確かに有効な手段だ。しかし、社会背景に照らして意義のあるデータ収集か、妥当な前提かどうかを判断する基盤となる前提知識は果たしてどこからくるのか。「実証」の意味を問い直す必要がないだろうか。
 経済学やゲーム理論は、そもそも実証が必ずしも必要ではない分野なので、資料解読の間違いや不正を査読で見つけるのは一層困難だという。一方、歴史学研究者も、分野外の学者の歴史主題の扱い方に疑問をもっても、いちいち検証する時間はないから「黙殺」してきた。分野間にぽっかり開いた隙間を通って、「日本通」の名で、だが地域研究者とは直接対峙(たいじ)しなくてもよい場所を見つけ、キャリアを伸ばしてきたのがラムザイヤーだったのである。


「スキャンダル」で終わらせないために

 いろいろな分野の研究者と話しながら、改めて今回の論文が、ただ急に出てきた例外ではないことに気付かされる。むしろたまたま「慰安婦」の問題だったから、日本右派のメディアが宣伝したから、資料の歪曲があからさまだったから、ゲーム理論の適用方法が馬鹿げていたから、声を揃えた運動が可能だった。違う主題だったならば今までのように黙殺されて終わっていた可能性は高い。それを思うと、多くの研究者にとって、今回の事件は「ウェイクアップ・コール」となったはずだ。学術界に課せられた宿題は多い。
 この事件に翻弄され、焦燥感と疲労感を味わった二カ月だったが、収穫も大きかった。「慰安婦」問題の情報を提供し続けてきたFight for Justiceの運動家と日本の歴史学術四大団体が共同声明を出すなど、国内での結束が固くなった。国内外の歴史研究者同士のネットワークも濃くなり、根拠のない歴史修正主義の英語圏の学術界への進出や、右派の嫌がらせに、連帯して対応できるようになった。また、普段決して仲が良いとは言えない経済学、法学、歴史学という分野間の垣根を越えた対話が始まり、問題の根を突き止めようとする意識が生まれた。ある法経済学者が「我々のフィールドがフェイクニュースの出所になっていいのか」と表現するほど、ラムザイヤー論文事件は深刻に受け止められた。
 一方、これで右派の「歴史戦」へのエネルギーがそがれるわけではないだろう。私たちも、論文撤回をゴールにしてはならない。「慰安婦」問題に関する史料の翻訳や英語での解説、学習ガイドの編纂など、この事件から建設的な結果をうみだすため、多くの日本史研究者が動き出している。
(文中、全て敬称略)




(1)https://japan/forward.dom/recovering-the-truth-about-the-comfort-women/ (二〇二一年一月一二日付)
(2)https://sites.google.com/view/concernedhistorians/home
(3)日本語版はhttps://www.newyorker.com/culture/annals-of-inquiry/seeking-the-true-story-of-the-coMfoRt-Women-j-mark-ramseyer-japanese-translation
(4)https://kadookanobuhiko.tunblr.com/post/619614917566267393
(5)https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-1714346


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。