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片山善博の「日本を診る」(166) 「突破力」だけの無謀なマイナ保険証作戦は撤収すべし

2023年11月26日(日)

まだときおりマイナカードの文字がメディアに登場する.
もうちょっとすると,みんな忘れられるかな.
それでも,やっぱり,これ,なんのため?
大昔の背番号制の方が,狙いもはっきりしていてよかったんじゃないか,と思うことがある.

ぼくがちゃんと理解していないんだろうけれど,
なぜ左派系も含めて,背番号制に反対したんだろう,と思い返す.
当時も,今ひとつ理解できなかった.
同成多くの勤め人は,懐具合などみんな筒抜けだったんじゃないか,
困るのは,お金持ちだけだろう?とか.

友人が言っていたな,あの当時,毎月のように割引債とかの購入のために何百万と入金する人がいるんだよ,とか.
そういう人の資産を把握したいと税務当局が言うなら,それはそれでいいじゃないか,などと素人流の考えかもしれないけれど.
まだ,それなりに累進課税がおもむきも残っていたのだし.

医療情報の共有化だとか,
それこそ本人が知っていればいいじゃないか,
医者同士が勝手に情報交換されてもイヤじゃないのか?なんて,ちょっと突っ込みたくもなる.
いや,現在の健康保険証を改善していくことで,クリアーされる問題じゃなかったのか,
なんで無理無理マイナンバーカードなるものに一元化される必要があったのか,
いや,そもそも国民皆保険制度化で,むしろ健康保険証をもとに,各種行政情報を統合していくという選択肢の方が,リアルだったんじゃないのか……と思ったり.

情報システム,情報機器の安全管理すら問題があるんだから,
一元化……というのは,ちょっとこわいんじゃないのか?と素人としては思ったりもした.

突破力の政治家は,このカードでトラブっても,政府は知らない……みたいなことを喋ってなかったか.


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【世界】2023年09月

片山善博の「日本を診る」(166)

「突破力」だけの無謀なマイナ保険証作戦は撤収すべし


 マイナンバーカード(以下「マイナカード」という)の評判がすこぶ頗る悪い。そもそもマイナカードを取得するかどうかは各個人の選択に委ねられている。政府はマイナカードを持つと何かと便利になると喧伝するが、カードを持つことに不安を覚える国民は多い。
 個人情報の漏洩(ろうえい)が心配だ、詐取(さしゅ)されたり悪用されたりするのではないかなど不安の種は尽きない。そんなことからマイナカードは取得しないと決めていた人は多い。
 ところが、健康保険証を廃止し、来秋からマイナ保険証に統一するとの方針を政府が唐突に打ち出したことで事態は大きく変わった。マイナカードの取得は個人の選択から、事実上義務化されるに等しいからだ。
 マイナカードを持たないまま保険証が廃止されたら、病気の時どうすればいいのか。政府は資格証明書を交付するというが、これだと病院で肩身の狭い思いをさせられるのではないか。マイナカードを持つことへの不安より、持っていないことに伴う不安のほうが大きくなり、やむなくカードを取得した人は少なくない。
 そんな中でマイナ保険証をめぐるトラブルが数多く露見した。マイナ保険証が他人に紐づけられ、治療や投薬の履歴を他人が閲覧できる状態にあった。個人情報漏洩への危惧を鮮やかに現実化してくれたのである。また、もし医療機関が誤った履歴を見て治療方針を決めれば、命に関わることにもなりかねないではないか。

■現場を無視した「突破力」の失敗

 セキュリティは万全だ、マイナ保険証で質の高い医療が受けられると政府は自慢していたのに、このザマはなんだ。今や国民の不安と不信は充満している。
 政府は一連のトラブルの原因は、もっぱら市町村や健康保険組合の担当者による入力ミスにあるとする。それが是正されれば国民の不安は解消されるとして、市町村や健康保険組合に対して他にもミスがないかどうか、早急に点検するよう指示した。あくまでも、トラブル発生は現場のせいで、現場の責任で処理すべきといわんばかりである。
 たしかに入力ミスをしたのは現場の担当者である。しかし、人が行う作業にミスは必ず起きる。だから、この種のシステムを構築する際には、入力ミスを防ぐための厳重なチェック装置を内在させておかなければならないのに、政府はそれを怠っていた。政府は現場の入力ミスを責めるのではなく、むしろ自らの迂闊(うかつ)さを反省すべきである。
 また、政府は「できるだけ早く」、「できるだけ多く」カードが発行されるようあの手この手の術策を弄した。期限内にカードを取得してマイナ保険証に一体化させると破格のポイントを付与することとしたのはその一例である。さらに、財政上のアメとムチを使い分け、カード発行に向けて自治体から住民に圧力をかけさせる仕組みまで導入した。
 政府の目論見(もくろみ)どおり自治体のカード申請窓口には住民が殺到したが、そのことが多くのミスを誘発する原因にもなった。自治体の現場では、そうでなくても人手が足りない上に、短時日に大量のカード申請者に対応せざるを得なくなったからだ。
 本来マイナカードの発行には細心の注意を払い、慎重の上にも慎重を期して手続きを踏まなければならない。手抜きをすれば、それこそ情報漏洩や他人との紐づけなどのミスにつながるからだ。
 ところが政府は現場のこんな実情に無頓着なまま、担当大臣の「突破力」が「早く、多く」と迫ってくる。そんな状況では、大切にしなければならない慎重な手続きはやむなく二の次にならざるを得ない。ミスの責任を現場に押し付けようとする政府の態度はあまりに身勝手である。
 第二次世界大戦では、わが軍の上層部が前線の兵力、兵士の士気や戦闘能力、食料などの兵砧(へいたん)のことを考慮することなく、無謀な作戦を指示したことが失敗につながったと指摘される。このたびのマイナ保険証作戦における「突破力」はこれと通底するところがある。

■場当たり的対応の中に政府の本音が見える

 マイナ保険証作戦では現場の実情に無頓着だっただけではない。制度の内容についての検討もおざなりだった。新しく制度を設ける場合、どこかに不具合が生じないかと、あらかじめ念入りに点検しておくことが求められる。そうしておいても、制度を施行してみたら思わぬ落とし穴があるから、そうした場合にはどうやって手直しをするかということまでよく考えておかなければならない。
 ところが、マイナ保険証には思わぬ落とし穴どころか、こんなことも検討していなかったのかというチョンボや欠陥が続出している。例えば、施設に入居する認知症の高齢者が受診する際に自分で暗証番号を伝えることなどできない、さりとて施設の側が入居者のマイナカードと暗証番号を管理することは憚(はばか)られる、どうしたらいいかという切実な問いに、政府はすぐには答えられなかった。
 しばらくして出てきたのは、認知症の高齢者のマイナ保険証には暗証番号を不要とするという回答だった。しかし、暗証番号のないカードはマイナ保険証とは呼べない。政府のこの場当たり的な対応に呆れた人は多い。しかし、この苦し紛れの対応策の中に、意外に政府の本音が隠されているように、筆者には思われる。
 必ずしも大きく報じられることはないが、健康保険制度で政府が頭を悩ませているのが「なりすまし」による保険証の使い回しである。政府はこれを何とかなくしたいと考えている。もとより健康保険の適用を受ける資格のない人たちが他人の保険証で受診する不正はあってはならないし、それは健康保険制度そのものを毀傷(きしょう)する。
 そのなりすまし防止の決め手になるのが、本人認証が可能なマイナ保険証である。ところが、それが国民の不信の上に政府の稚拙さが重なり、躓(つまず)いている。しかも、認知症の高齢者のようにそもそもマイナ保険証になじみ難い人たちには特別の対応策が必要なことにも政府は気づかされ、そこで真剣に考案したのが暗証番号のない「マイナ保険証もどき」だったのではないか。
 「マイナ保険証もどき」には本人認証機能はないが、本人の顔写真が付いている。顔写真だけでも使い回し防止には十分役に立つ。よくよく考えてみれば、現行の保険証は、顔写真が付いていない運転免許証のようなものだ。こんな運転免許証なら、免許を持っていない人が他人の免許証を借りて運転することで、無免許運転の罪を免れやすい。この際、政府は健康保険証全廃方針を棚上げすべきである。マイナカードを持たない人には保険証を残すこととし、その上で例えばこれから発行する保険証には顔写真を添付する仕組みを検討してはどうか。
 この場合にも、それこそ認知症の高齢者の写真提供を誰がどうするかなど問題は多い。おそらく介助する施設などの役割が増すことが予想されるし、保険証を発行する保険者の本人確認などの作業も増える。そうした事務や手間に係る負担をめぐって利害調整のための嶮(けわ)しい議論は避けられないが、こちらのほうが保険証全廃をめぐる混乱とドタバタよりは、はるかに建設的だと考えている。

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