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寺島実郎 脳力のレッスン(231)国家神道への視界──萌芽と展開、そして残影 一七世紀オランダからの視界(その73)

2021年7月25日(日)

小学校のころだったか,よく神社に遊びに行っていた.
神社で映画の上映会がおこなわれたりしていた.

母方の祖父母は,カトリックの敬虔な信者だった.
父方はどうだったのだろう.
まぁ,あまり宗教的な雰囲気は,周りにはなかった.

神様は,それでもかなり身近だったようには思う.
それが信仰の対象だったとは思わないが.

朝鮮には朝鮮の神様がいらっしゃる,
といって,日本と神社とおなじような鳥居などを半島の民に強制することに異を唱える人のいることを,歳を食ってから知った.
だいたい,列島の神様は,それこそ八百万もいて,いろんな神様がいて……,それがなんで一つの体系にまとめられるんだろうなどと思っていた.歳を食っても,あまり変わらなかったか.

ちょっと振りかえっている.
既成の右か左か,ではない,なにかもっと別の志向がありそうだと感じたこともあった.


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【世界】2021年7月

脳力のレッスン(231)
寺島実郎

国家神道への視界──萌芽と展開、そして残影 一七世紀オランダからの視界(その73)


 明治維新から一九四五年の敗戦まで、約八〇年間にわたる近代日本の基底を形成した「国家神道」とは何だったのか。戦後なる時代もすでに約八〇年が過ぎ、多くの日本人にとって実感のないものとなったが、日本を特別な「神の国」という思い入れに駆り立て、アジア全域で約二三〇〇万人(日本人の死者約三一〇万人)の屍を積み上げる悲惨な戦争へと突き進んだその狂気の源泉を認識するために、「戦前」という時代に日本人が受けていた教育の内容を示す教科書を手にすることを薦(すす)めたい。そして、おおらかな清浄さを希求する「神社神道」と、政治権力と結びついた一神教的「国家神道」の違いを認識しなければならない。何故なら、再び始まった憲法改正の動きと関連し、令和日本のテーマに「国家神道への郷愁と復権という難題」が浮上しているからである。

■国家神道の教本としての『高等科國史』

 文部省編纂の昭和一九年(一九四四年)版『高等科國史』(復刻版、ハート出版、二〇二一年)は、日本が「神国」としてアジア太平洋戦争を戦っていた時代の産物である。正確にいえば、この教科書は国民学校高等科において使われる予定になっていたもので、当時の日本国が国民に共有させたい価値観を凝縮したものであり、あの時代の日本人はこの歴史認識を強制的に受容させられていたといえる。
 この歴史教科書は、まず「神勅」から始まり、「豊葦原の 千五百秋の 瑞穂の国は 是れ吾が子孫の王たるべき地なり 宜しく爾皇孫就きて治せ。さきくませ 宝祚の隆えまさんこと、当に天壌と 窮りなかるべし」とある。第一章は「肇国(ちょうこく)」で、神代の古(いにしえ)に思いを馳せ、天壌無窮、天の下しろしめす神として生まれた「天照大神」がその子孫としての皇孫をこの国に降臨させたという話に始まる。そして、第二章「皇威の伸張」、第三章「大化の改新」と続き、第一七章における「大東亜戦争の使命」まで、この教科書は最初から最後まで、日本国について、天照大神という太陽神の子孫としての「万世一系の天皇」を戴く国という思想が徹底的に貫かれ、「皇威の伸張-建武の中興-尊皇思想・皇威の更張としての明治維新の大業」という歴史観が語られているのである。
 人間とは自らの存在を問い詰める特異な動物であり、その意味でいかなる国の、いかなる民族も自らのルーツを探る中で、民族の神話と権威付けを求める。それ自体は自然なことである。ただし、それが自尊を突き抜けて、排他的な選民意識に反転する時に害毒が生じるのである。
 注視すべきは、この『高等科國史』に繰り返し登場してくる「外来思想排除」の論理である。例えば、仏教について「仏教は外来の教えであるからその利害はこれを受け入れる国民の意思によって定まることであり蘇我氏のごときはただ徒に信じて道を踏み誤ったのである」という認識が示される。そして、「ふみわけよ 日本にはあらぬ 唐鳥の跡を見るのみ 人の道かは」という江戸期国学の柱の一人である荷田春満(かだのあずままろ)の歌が登場してくる。
 この『高等科國史』の復刻版の解説者である三浦小太郎は、「『外来思想』を無原則に受け入れることが、我が国の『神国』たる価値、言葉を変えれば『国体』や『国家的アイデンティティー』を失わせるという批判は、本書において特に明治維新後の近代化にたいする批判として行われている」と指摘するが、この教本が「外来排除」という時、まず日本の文化・文明に長く大きな影響を与えてきた中国への拒絶感が、次いで明治以降の欧米からの近代化圧力への拒否反応が二層構造になって表出していることに気付く。
 敗戦後の日本は、この国家神道が国体を支えるという共同幻想の唐突な強制終了によって始まった。一九四五年一二月一五日、GHQは「神道指令」を発し、「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督及び弘布の廃止」を指示した。翌四六年一月一日、天皇の「人間宣言」がなされた。この国体をめぐる共同幻想崩壊のトラウマは、曲折を経て、今日でも未消化のまま漂っている。
 この国においては、対外緊張や国難が意識されると「やまとごころ」への回帰が浮上し、本能的に「民族の古層」と関わる神社信仰(第一層)への郷愁が高まり、それが「神国思想」と絡まって第二層の神祇神道(「現人神(あらひとかみ)」たる天皇を中核とする国体を至上とする心性)への傾斜をもたらす。本連載で論じてきた如く、中世における神道の成立は、その後の江戸期・幕末に向けての歴史過程で、「天皇親政の神道国家の成立」を願望する踏絵となったといえる。

■江戸期国学から国家神道への道

 「神国日本」を掲げた軍国日本で、「やまとこころ」のシンボルのごとく奉られたのが本居宣長(もとおりのりなが)であった。本居宣長については、「本居宣長とやまとこころ」(本連載第152回)において論じた。伊勢松阪にも足を運び、宣長が三十数年にわたり「古事記伝」に立ち向かった書斎・鈴屋(すずのや)に座り、彼の真摯な学びの姿勢に心打たれた思い出がある。
 幕府の正学が儒学であり、寺檀(じだん)制度の定着によって村落共同体秩序の中核に仏教が存在していた時代に、そして日本人の精神世界が六世紀以来の仏教の浸透を経て「仏教優位の神仏習合」状況にあった時代において、伊勢の地に医者として生きた本居宣長は、静寂な鈴屋に腰を据えて日本人の心の古層を探究した。宣長の本質は民族の古層に耳を澄ますことであり、決して排外主義ではなかったが、その内なる深化の眼線は歴史を動かす源流となっていった。
 宣長の人生における転機は「松坂の一夜」といわれる三三歳の時の賀茂真淵(かものまぶち)との出会いであった。この時の真淵との一期一会の邂逅が、万葉集から古事記研究へと古代研究の志を受け継ぎ、国学を大成させることとなった。田中康二の『真淵と宣長──「松坂の一夜」の史実と真実』(中公叢書、二〇一七年)は、戦前の日本において国民常識の美談とされるに至った「松坂の一夜」を多角的に検証し、江戸期国学の思想潮流を解析している。
 江戸期、「国学四大人」といわれる存在が動き始めた。荷田春満(一六六九~一七三六)、賀茂真淵(一六九七~一七六九)、本居宣長(一七三〇~一八〇一)、平田篤胤(ひらたあつたね)(一七七六~一八四三)であり、日本の上代・中古の思想・文化を明らかにし日本人の精神文化の起点を取り戻そうという国学とそれを基盤とする「復古神道」の推進役となった。この思想探求の流れこそ、神仏儒の習合的思考を排除する動きとなって、幕末期の政治力学の中で、「尊王穣夷」「天皇親政の国体」への志向をもたらし、討幕の思想へと収斂(しゅうれん)していく。江戸期における「鎖国」は、大航海時代の「西力東漸(せいりきとうぜん)」の潮流に乗って迫りくる西欧社会との断絶というだけではなく、深い影響を受け続けてきた中国からの自立の契機となった。本連載(第120回「日本の大航海時代──鎖国とは中国からの自立でもあった」)で論究したごとく、流通貨幣において「寛永通宝」が出されたのが一六三六年、古銭禁止令によって中国貨幣の流通を禁じたのが一六七〇年であり、暦において中国の宣明暦に代わり大和暦が採用されたのが一六八五年であり、まさに中国文化圏からの自立であった。
 中国が明朝から清朝という異民族支配への転換期だったこともあり、中国の影響に遠心力が働く状況を背景に、日本人は足もとをみつめ、内なる価値を意識し始めたといえる。それが「からこころからやまとこころへ」という視界への背景となり、「もののあわれ」を日本人の古層に見出す国学の誕生の伏線となったのである。

■令和の隠されたテーマとしての国家神道の復権

 国家神道の教本ともいえる先述の『高等科國史』は、明治期日本の教育の基軸となっていた教育勅語を投影したものである。教育勅語は一八九〇年に発布された。自由民権運動の高まりや文部省の「欧化政策」に反発を抱く「国体護持勢力」が、天皇の有徳と臣民の忠誠を国体の精華とする全文三一五文字の勅語の発布を推進した。
 戦後、「神道指令」による国家神道の解体と天皇の人間宣言を受けて、一九四六年一〇月には教育勅語の奉読と天皇の神格化が禁止され、四七年五月施行の日本国憲法における「象徴天皇制」の導入を経て、一九四八年六月一九日に衆議院は「教育勅語等排除に関する決議」を行ない、参議院は「教育勅語等の失効確認に関する決議」を行なった。
 それから約七〇年、忘れられていた教育勅語が突然蘇った。二〇一七年三月、安倍政権下での「閣議決定」という形で、「憲法や教育基本法に反しない形で教育勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」という決定がなされたのである。教育勅語における「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし……」といった徳目は時代を超えた普遍的価値とする判断だが、教育勅語の本質が国家神道を支柱とする「主権在君」にあり、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」というものであることを見失ってはならない。今日でもそれに象徴される国家神道の復権を希求する存在が根強く存在するのである。
 佐藤弘夫『「神国」日本──記紀から中世、そしてナショナリズムへ』(講談社学術文庫版、二〇一八年)は、「神国日本」という認識の系譜を精緻に辿るもので、中世から近世に至る「神国日本」という概念が、決して日本の優越性に陶酔するものでも排他的な性格のものでもなく、おおらかな仏・神・儒の習合のなかで形成されたものであることが理解できる。「超越的な存在にやわらかく包み込まれているという感覚」という意味で、佐藤は「コスモロジー」という概念を提示するが、明治以降の近代化に付随したのが「排他的ナショナリズム」という捉え方は重要である。
 つまり、日本近代史において、敗戦までの八〇年は極端に宗教と政治が結びついた国家神道という特異な時代であり、一方、敗戦後の八〇年は極端に宗教性が希薄な経済の時代であり、この対照に幻惑されない冷静な視座がこれからの日本人に問われているのである。

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Mashikexisy

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