SSブログ

ジャニーズ事務所……■「正しい方向へ重要な一歩」 英BBC番組制作の記者

2024年01月07日(日)

あるいは,そういう世界なんだと思っていなかったか……,
どうだろうか.

ませたガキ……だったわけでもないけれど,
行くところがなくなって,人の懐など当てにしながら,新宿の街ときおり出かけていた.
二丁目や,ゴールデン街とか.

街頭はだいぶん静かになりつつあっただろうか.
そのかわりに,「身内」同士の争いが目立っていたかもしれない.

そういえば,イギリスでも同じような事件があり,
アメリカのショービジネスでも同様だったとか.
そして,多くの場合に,マッチョな男が登場する……かな.

どうかいっときの消費財で終わらせない……,ということか.

でも,どこかで,だれかが,いや男が,あるいは女が,
嘲り,舌打ちしているような,それがあるいはけっして少なくないような,
そんな空気を感じなくもない.

なにか,もっと違う,後戻りさせないような,何かがありそうにも思うが,
それはなんだろう? ちょっと自問しているが.


―――――――――――――――――――――――――

被害告白「くんでくれた」 元ジャニーズJr.「やっとスタートライン」 事務所の対応「待つ」
2023年8月30日 5時00分

[写真=200回以上被害を受けたと語る元ジャニーズJr.の大島幸広さん=吉田耕一郎撮影]

 ようやく「事実」と認めてもらえた――。ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏の性加害を認定した「再発防止特別チーム」の記者会見に、性被害を訴えてきた元ジャニーズJr.たちからは安堵(あんど)の声が上がった。当事者は特別チームの調査報告を受けて事務所がどう対応するかを注視している。▼1面参照

 「忖度(そんたく)なしに全てを語っていただいたと思う。性加害があったとはっきり言ってもらえたことがなにより大きい」

 特別チームの記者会見について元ジャニーズJr.の大島幸広さん(38)は取材にそう語った。

 大島さんは事務所の藤島ジュリー景子社長が性加害問題について「知りませんでした」と語る様子を見たことをきっかけに、被害を告白した。「知らないわけないだろ。うそつくな」。そんな思いだった。

 13歳の時、Jr.たちがメインで出演するテレビ番組に応募すると、ジャニー氏から電話があり「明日レッスンがあるからおいで」と言われ、翌日NHKのレッスン室へ行った。そこでジャニー氏に声をかけられて自宅に泊まることになり、風呂で性器を触られ、ベッドで口淫(こういん)された。性体験がなく、わけがわからなかった。隣のベッドのJr.の所にもジャニー氏がきて、同様のことをしているのを目撃した。

 翌朝、1万円を渡され、雑誌の撮影があることを告げられた。あの行為があると、仕事がもらえるんだ。それが暗黙のルールなのだととらえた。ほぼ毎週末、自宅に泊まり、長期休暇も合宿所で過ごした。「被害がない日はほとんどなかった」。在籍していた約2年で、性被害は200回以上に及んだという。

 ハワイで雑誌の撮影をした際、同行した先輩のJr.に「(性的行為が)きつい」とこぼすと、「他のJr.以上に気に入られてるから、ソロデビューもできるかもしれない。もうちょっとがんばれ」と言われたという。この世界は狂っていると感じ、芸能界への夢をもてなくなっていた。

 15歳で事務所を辞めたが、性的行為の場面を思い出したり、眠れなくなったりすることもあった。「今はジャニーズ事務所の会見を待つのみ。この問題は、事務所だけでなく芸能界、国の問題でもある。このタイミングで変えていかないといけない」

 特別チームのヒアリングを受けた俳優でダンサーの橋田康さん(37)は「やっとスタートラインに立てた」と語る。早い段階から実名と顔を出して性被害を告白したが、SNSで「ウソだ」などと誹謗(ひぼう)中傷を受け、傷ついてきた。「(調査報告書は)性加害が事実であったと提示してくれた。僕の思いや言葉をくんでくれた内容」と評価した。

 ただし、被害者が全員救われるのか、声を上げられるかはわからない、という。「今後の事務所の姿勢次第だと思う。社長の退任はひとつの区切りとしては重要だが、新しい社長に交代したからOK、ではない」と語る。「ジュリー社長は謝罪も含めて辞める前にやれることはたくさんあるのではないか。性加害のあった時代にいた人が話すことと、全く新しい人が話すのでは違う。当時いなかった人に謝罪の言葉を言われても響かない」

 「ジャニーズ性加害問題当事者の会」の平本淳也代表(57)はホームページでコメントを発表し、「期待していた以上の調査結果。『性加害の認定』が実効的な提言として記されたことは大きな成果で、私たちの悲痛なる告白がそのまま反映されたものだと素直に受け止められます」と評価した。ただジュリー社長が辞任すべきだとの提言については「辞任して責任から逃れることは許しがたいと思っています。性加害という『負債』も含めてすべてを継いだ方として、辞任とは異なる責任の取り方を求めていきたい」とした。(島崎周、狩野浩平、編集委員・大久保真紀)

 ■質疑応答1時間

 再発防止特別チームの記者会見の会場には、開始1時間前から多くの記者が駆けつけた。藤島ジュリー景子社長の辞任を求める提言内容は、各社が速報を流した。会見では約150人の報道陣、20台以上のテレビカメラを前に、座長を務める前検事総長の林真琴氏が性加害の事実認定について語り始め、会見の様子は生中継もされた。質疑応答は1時間に及んだ。

 特別チームのメンバーが、藤島社長が問題について「知らなかった」と語ったことについて「知らないではすまされない」と述べる場面もあった。また調査では、ジャニー氏以外の事務所社員による性加害があることも確認されたという。

 ■「正しい方向へ重要な一歩」 英BBC番組制作の記者

 調査のきっかけの一つになったのは、英公共放送BBCによる3月のドキュメンタリー番組「J―POPの捕食者 秘められたスキャンダル」だった。番組づくりを担ったモビーン・アザー記者は特別チームの会見直後、朝日新聞の取材に、「虐待のサバイバー(生存者)たちに正義をもたらす動きのなか、正しい方向に進むための重要な一歩だと感じている」と、調査結果を歓迎するコメントをメールで寄せた。

 アザー氏は、性加害を認定する結果が出たことについて、「サバイバーたちが勇気をもって声をあげたからだ」と指摘。一方で、「この虐待は単に喜多川氏の犯罪というだけでなく、(日本の)不処罰文化をめぐる問題でもある」と訴えた。

 被害者への補償、ジャニーズ事務所自身の抜本的な変化、さらには、社会の変化の必要性も強調した。(ロンドン=藤原学思)

nice!(0)  コメント(0) 

どうでもいい雑念だけれど.

2023年08月30日(水)


また,「補助金」なんだそうだ.
ガソリンの値段が高くなって,当面止まらないのではないか,とか.
200円/L超えもあるのでは,との業界通の指摘もあるらしい.
それで,補助をやめる予定だったらしいが,延長しようということらしい.

電気料金にも,同じようなことがあるんだとか.

むかしのことを思い出す.
オイルショック前,ガソリン価格は50円くらいだっただろうか.
クルマと縁がなかったので,あまり覚えていないが.
それが,オイルショックで急上昇.
また,自動車の排ガス問題への対応も強く求められていた.
低燃費,低公害の自動車エンジンの開発が進んだのは,そんな外側の事情があったかラジャなかったか.いや,外側ではない。マーケットのありようの問題だったのだと思う.

マーケットの圧力,需要側からの圧力が,供給側の革新を促す……というのは,
別段珍しいわけじゃなかった? 
いや,ひょっとすると,そんなイノベーションはなかったと思っているのかもしれない,国の政策担当,いや,政治家か.

いま求められているのは,化石燃料からの脱却らしいから,ガソリン価格の上昇は,むしろ好機だともいえそうだ.
もちろん,脱却への道のりに相応の時間がかかるとすれば,過渡期における一部の利害関係者の負担をどう考えるか,ちょっと思案が必要だろうし,
場合によっては,そもそもそんな必要があるのか……なんて言いがかりをつける向きもあるのかもしれない.

石油で思い出すけれど,OPECを引っ張っていたサウジアラビアのヤマニさんといったか,彼はエネルギー資源の転換は,資源の枯渇から生じるのではない、と語っていた.じっさい,石炭から石油への転換は,必ずしも石炭資源が枯渇したからではない.石炭価格が高騰したわけでもない.

もどろう,
またも補助金なんだそうだ.
この政府は,イノベーションが重要課題だという.
どこに,どんなイノベーションがおこると考えていらっしゃるのか、よくわからないけれど,
打ちだしてくる政策をみていると,なんだかイノベーションからはほど遠いようにも見える.
補助金を出す,
無料にしよう……たとえば子どの医療費とか,学校の授業料とか……,
それで,どうしたいんだろうと思う.

いや,そうした対策の原資はどこからでているのか?
まるで政治家たちが……ここは与野党を問わないみたいだが……,打ち出の小槌をもっているかのようだけれど,
そんなのがまったくの虚妄であることは明らか.
政策とか、ビジョンとか,計画とか,いや,まったくどうなっているのかわからない.

しかし,気になることがあったな……,
まるで古代の化石を観るような,西武そごうの従業員によるストライキ.
当然の権利だったのではないだろうか.
労働組合の頭領が,与党に賃上げをお願いする図なんて,いったいどうなっているんだと思わせるが,
この国は,来るところまできてしまっているのではないか,と思うこともある.

労働組合については,いろいろ思うところもある,
あるいは,古い記憶が蘇ってくる.
労働組合の指導者たちは,どこを見ていたのだろうか,とか,
あるいは,じぶん自身も含めて,「労働者」をどう見ていたんだろう,
あるいは夢想していたんだろう、とも思わないではない.

以前,仕事の関係で,国鉄清算事業団から迎えいれた若い人たちとはなしをしながら,
当時の国鉄労働者の指導者たちは,どう考えていたのか,と考えた.
国労の幹部の書いた本などを読んだこともあったな,と思い返す.

社会党系と共産党系の対立から,組合が分裂し,
さて,どうなったか思い返す.結局,多くが非組合員となっていった.
現場の活動家たちに,そうなるよ,といくら言っても,結局どうにもならなかった.
労働組合を,その上部団体,さらに政党の幹部たちはどう見ていたのか,と思う.

振り返ると,保守政党の変遷にも,じつは同じようなことがあったようにも見える.

新自由主義,そしてバブル……あの頃のことを,もうすこし考えておかないといけないのかもしれないと思う.
いつだったか,世界の株式市場の株価総額が,GDPの総額を上回った.
いまどうなっているか,まったく疎くなってしまったけれど,
経済ニュースに株価の動向はよく報じられる.それも,ごく短期の話として.
とても違和感があった.
いまも.


nice!(0)  コメント(0) 

(声)保育園長、まず「先生」の廃止から

2023年12月24日(日)

「先生」というコトバが,ちょっと話題になった大昔,
議員が先生,ヘンだね……とか.
世に,どのくらいの「先生」があるんだろう?
そんな話,で,先生と呼ばれるほど偉くはないよ,と,
けっして自嘲ではないセリフだったか.

そうしたら,保育園でも「先生」なんだそうだ.


―――――――――――――――――――――――――

(声)保育園長、まず「先生」の廃止から
2023年8月30日 5時00分

 保育園長 久保田力(静岡県 65)

 4月から地元の民間保育所の施設長(園長)を務め始めた。

 30年以上、大学教員として保育士養成と関わりながら、専ら外側からの観察と考察を続けてきたが、いざ内側に入ると発見と驚きの連続だ。

 保育実践の経験はほぼ皆無ゆえ、保育の技術や崇高な理念を口にはできないが、「門外漢」なりに変えてみたいことはある。

 まずは「ささやき保育」の実践だ。保育士の声は大きなことが多い。人によっては、こうした声が指示的・命令的・高圧的に聞こえるかも知れない。事故や危険防止の場合を除いて、乳幼児への声かけはもっと優しくありたい。

 第2は「園行事」の見直しだ。保護者に見せるための自己満足的な行事が多い気がする。こども自身の「やりたい!」を優先して、自己満足的な内容は減らしたい。

 そして、とりあえず始めたのは、「先生」の呼び方の廃止だ。幼稚園や小学校をまねてか、こどもも保護者も本人たち相互でも保育士を「先生」と呼ぶ。

 だが、「先生」には上下関係が潜んでいる。「誰でも『さん』で!」というわけである。
nice!(0)  コメント(0) 

〔言葉のちから〕 力量と器~吉本隆明『詩とはなにか』 成熟した人間の内面映す 若松英輔

2023年12月08日(金)

1941年,真珠湾攻撃の日……とか.
ハワイでは,追悼式典……とか.

初めて読んだ吉本さんの本はなんだっただろうか.
あるいは,雑誌を先に読んだだろうか.

神田三崎町,ウニタの棚に,無名鬼や試行が置いてあった.
いい読者であったわけではないけれど.

―――――――――――――――――――――――――

〔言葉のちから〕 力量と器~吉本隆明『詩とはなにか』
成熟した人間の内面映す 若松英輔
2023/8/19付日本経済新聞 朝刊

イラスト・西淑

晩年、思想家の吉本隆明さんと何度か会い、短くない時間、語らうことができた。話し込んでいるうちに夕餉(ゆうげ)の時間になり、揚げたてのコロッケ――吉本家の名物だった――をともに食したことも何度かあった。

当時の私はまだ、雑誌に何作かの作品を発表しただけで、本を送り出したこともなく、ひとりの文学愛好家として吉本さんの前に座っていたに過ぎない。記録に残るような対談をしたわけでもないし、取材めいたことで会ったのでもなかった。ただ、延々と話をしただけである。あいだを取り持ってくれたのが娘の吉本ばななさんで、「父さんの作品が好きな人が行く」、というくらいの紹介だったらしい。

□ □

話してみれば、ばななさんの方法がじつに的を射ていることが分かった。隆明さんには、いわゆる肩書はもちろん、職業名などの情報はまったく必要なく、ひとりの人間が、何かのっぴきならない問いを胸に宿して、そこに存在していれば、それで足りる、といった感じだったからだ。誰が相手であれ、自分がそのとき真剣に考えていることを全力で語り始めるし、投げかけられた問いは全身で受け止めようとする。別ないい方をすれば、彼は眼前の人をあたかも、ひとりの代表者であるかのように対話するのである。

吉本さんと二人だけのこともあったが、別な人が座を同じくすることもあった。その別な人に対しても吉本さんは、その人の背景を気にかけることなく、ただ対話を深めることに注力しているようだった。つまり、問われるのはどんな知識を有しているかではなく、その人がどう生きているかなのである。

会話で吉本さんが一度ならず口にし、そしてそれゆえに深く印象に残ったのが「力量」という言葉である。「もっと(自分に)力量があれば」と言うこともあったし、親鸞にふれたときだったと思うが、「あの人のようにすごい力量があれば」と語ることもあった。

力量という月並みな言葉も吉本さんの口からでると、まったく異なる語感を伴ってくる。力量と彼がいうときの「力」は、語学力、語彙力、理解力、表現力などとはまったく違う。むしろ「ちから」とひらがなで表記し、特定の方向への囚(とら)われなきはたらきであると表現したくなるものだった。量の一語もまた、重量的というよりは熱量的なもので、ある種のエネルギーのように感じられた。

また、彼がいう力量は技量と無関係ではないが、質を異にするものであり、技量をどこまで高めても、力量の地平には至らないということが前提であるかのようだった。技量は訓練と学習を積むことで、ある程度まで達成できる。だが、それに力量が備わっているとは限らない。なぜなら力量という言葉にはどこか、他の人と比べようがない、その人独自の、という語感があるからである。

吉本さんは批評家、思想家として紹介されることが多いが、独創的な詩人でもあった。『詩とはなにか』と題する本で、詩を書く営みをめぐってこう書き記している。

「詩とはなにか。それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、かくという行為で口に出すことである。」

全身を賭して「口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのこと」を書くこと、それが彼にとっての詩作だった。力量とは何かという問いに己(おの)れを賭すちからだといってもよい。

技量、力量に似て、器量という言葉もある。「器が大きい」、「器が小さい」、「器ではない」ということもある。「大器晩成」という表現もある。ともあれ、人間が成熟していくとき、「器」と呼びたくなる何かを内に蔵さなくてはならないらしい。

□ □

ここでいう「器」は、鉄製の頑丈なものでなく、乱暴に扱えば欠けてしまう繊細なもので、皿のように平たいものでなく、深みをもったものでもあるのだろう。私たちはそこに、ほかの人の目には見えないところで流した汗や涙を蓄える。それがいつしか清水となって私たちの内界を浄化し、育むのではないだろうか。

戦国時代に始まり、現在に至ってもなお、表現しがたい熱情をもって一個の茶碗(ちゃわん)を求める者たちがいる。動機や理由、目的もさまざまであることは歴史が証明しているが、なかに美しい茶碗の訪れを、己れの成熟した心の顕現であると捉えた人たちがいたことも事実である。美の経験と心の成熟には分かちがたい相補関係があるように思えてならない。

(批評家)
nice!(0)  コメント(0) 

中国の出生率、1.09に低下 昨年、日本を下回る 現地報道

2023年12月08日(金)

右と左とを問わないらしいが,
北朝鮮でも,出生率の低下がモンダイらしい,
あるいは,ロシアでも,子だくさんを表彰するとか.

いや,右と左ではなく,国家とか,民族とかをとても大事にする人たちの集団とでも言うべきかもしれないけれど.

この国でもそうだけれど,
出生率の低下は,急に生じるわけではない.
いろんな統計をみても.

産めよ,殖やせよ……は,何もこの国の戦前の標語とは限らないということか.

あるいは,中国も,それなりに豊かな国になってきた,ということか.
いろいろいわれるけれど,北朝鮮もそうか?
そういえば,韓国の出生率は,きわめて低いのだという.
1980年代に合計特殊出生率が2を割って,現在,0.78だという.
急激な出生率の低下がみられた.
列島の国では,第2次大戦後に急激な出生率の低下がみられて,
1960年前後には,2.0を割り込んだりしたのだろうか,
それでも60年代,70年代,2.0前後を示し,その後漸減,現在,1.36(2019年)だそうだ.

で,中国.一人っ子政策とかいったか,今度は,二人っ子政策でも打ち出すのか.
列島は?

そういえば,列島では,ずっと産児制限などの活動が盛んだったのだ.
列島の自然,経済では,人口増に堪えられない……と考えていただろうか.
そういえば,江戸時代,3000万人程度の人口.列島の農地などで支えられる人口,という説もあったか.


―――――――――――――――――――――――――

中国の出生率、1.09に低下 昨年、日本を下回る 現地報道
2023/8/17付日本経済新聞 朝刊

【上海=渡辺伸】複数の中国メディアが16日までに、同国で1人の女性が生涯に産む子どもの平均的な人数を示す「合計特殊出生率」が2022年に1.09に下がったと報じた。人口1億人を超える国の中では中国が最も低いという。20年は1.3、21年は1.15だった。少子化や人口減少が労働力の不足につながり、経済成長を抑制する要因になる。

毎日経済新聞などが政府機関の中国人口・発展研究センターがまとめた初歩的な推計値を引用した。22年の合計特殊出生率で韓国(0.78)より高いものの、日本(1.26)を下回ったことになる。

中国国家統計局によると、外国人を含まない中国大陸の総人口は22年末が14億1175万人で、21年末から85万人減った。

61年ぶりに減少した。22年の出生数は106万人減の956万人となり、1949年の建国以来初めて1000万人を割った。

急速な少子化は長年の産児制限の影響が大きい。中国では1980年ごろから続けた「一人っ子政策」の影響で「子は1人で十分」と考える人が多い。中国政府は16年に全面的に2人目の出産を認め、21年には3人目を容認した。だが養育費の高さから2人目以降をためらう人は少なくない。

nice!(0)  コメント(0) 

産学連携…… 「大学の研究を企業に販売 政府がデータ基盤、製品開発後押し」(日経 8/17)

2023年11月26日(日)

産学連携反対……大昔の左派学生のスローガンのひとつ,
大学は,産業の下請けではない,というところか.
それはそうだと思う.
もうすこし自由にやらせればいいじゃないか,
学生時代を過ぎれば,いやでも不自由な職業人生活にはいっていくのだから……というのは,
自分もそういう立場になってからの実感,だったかな.

私企業側は,どう見ているんだろう?
いまひとつよくわからない.
研究部門にいた知り合いの多くは,中年になって,研究所を去っていったようだ.
keep youngというわけだ.じっさいにそういうものなのか,よくは知らない.
しかし,じゃ,大学教授など,40歳定年でみんなクビにすればいい,とは,やはりならなかったな,と思う.

研究開発に,つまりは人材にもっと投資をすればいいじゃないか,
と素人としては思う.
学校教育を通して,さまざまなジャンルの知識,あるいは思考といったことにに対する感度,態度をつくってきて,ものの考え方とかを培ってきて,
企業がそういう態度や能力を,会社組織の中でどう使いこなすか,ということじゃなかったのか,
と思うが,
教育にタダノリしようなんて,甘いんじゃないのか,とちょっと陰口たたきたくなる.
役所の側も,どう考えているんだろう.

そういえば,もうそういう時代は来ないのかもしれないけれど,
ある市役所の古い職員録を見ていたら,けっこうな年棒で技術系の管理職員が掲載されていた
たぶん,大卒.戦前だから,とても珍しかっただろう.技術系,建築だったか.
公共建築などで,彼,あるいは彼の仲間たちは,民間の人たちと協力し,というか,新しい高度な知識,技能をもって,民間の人たちを共に事業を進めていたのだろう.

あるいは,島津製作所でノーベル賞を受賞した方の発言を思い出す.

もうすこし大きな風呂敷の中で考えること,なすべきことがありそうに思うが,
さてどうなんだろうか.

あまり大学という組織に頼り過ぎると,結局共倒れになるんじゃないか,と.
あるいは,人材,人財,人はたんなる材料になるのか,財産になるのか,と思案する.

でも,なんかヘンだな……,記事を読みながら思った.

―――――――――――――――――――――――――

大学の研究を企業に販売 政府がデータ基盤、製品開発後押し
2023/8/17付日本経済新聞 朝刊

政府は大学の研究データを企業に有料で提供する仕組みをつくる方針だ。国立情報学研究所(NII)のシステムを使って研究者と企業の間でデータを売り買いできる制度を構想する。民間企業による大学の研究を活用した製品開発を促す。

…………………………………………………………………
研究データ利用の産学連携の流れ
 大学       研究
  ↓
 国立情報学研究所 大学の研究データの蓄積・公開
  ↓
 企業       製品開発に使えるデータの購入・利用
…………………………………………………………………

気候変動や災害対策などの自然科学分野を念頭に置く。NIIと内閣府、文部科学省で具体的な料金設定や開始時期を検討する。

NIIは情報学分野の研究に取り組んでおり、2021年に研究データの管理システムの本格的な運用を始めた。研究の成果を社会に役立てる「オープンサイエンス」を実現するための基盤となる。

このデータベースでは研究機関ごとに論文やデータを入れる「リポジトリ」という枠が割り当てられている。23年3月時点で714の大学や研究機関が利用する。

利用料は大学などの規模により異なる。例えば常勤の教員・研究者の人数が1501人以上の場合、大学や研究機関は年80万円弱の料金を支払う。

データベース内の情報はインターネット上で検索できる。同時に重要な研究結果は共同研究者など特定の相手しか見られないよう一部を非公開とする設定が可能だ。

この仕組みを使って、企業がネット上で見つけたデータの中からほしいものを購入できるようにする。

nice!(0)  コメント(0) 

還暦 石垣りん

2023年08月14日(月)

「石垣りん詩集」から

―――――――――――――――――――――――――
還暦

あれは大正が昭和に変ろうとする
そのころでした。
私はバスケット提げて
小学校の附属幼稚園に通っていました。
幼稚園の建物は細長く
細長い廊下に沿って
細長い庭がありました。
庭のうしろは歩兵連隊の高い土手
場所は東京赤坂
乃木神社の坂下でした。
木造の教室で一日の授業が終ると
女先生のオルガンに合わせ
円形に並べられた机のまわりを
歌いながら足踏みながら
一列になって回りました。
“先生ごきげんさようなら
 皆さんごきげんさようなら”
その子たち
昭和も半世紀を過ぎた今年の春
集って還暦を祝いました。
人生の教室では
戦争も終了
繁栄も頭打ち
会社も定年
私たちのバスケットもからっぽ。
酒杯かわして飲みましょう。
足踏みながら日の丸の旗の
赤い円形を回って歌いましょう。
“先生ごきげんさようなら
 皆さんごきげんさようなら”

―――――――――――――――――――――――――
還暦
「石垣りん詩集」
伊藤比呂美編
岩波文庫
pp.173-175



台風接近のニュースを聞きながら
ふっと机のうえに積んであった文庫本を手にとったら しおりが挟んであった
この文庫が出版さえたときには 還暦を過ぎていたな
と思いながら 読んでいた
むかしの赤坂 どんな町だったんだろう
一口に赤坂といっても かなり広い範囲にわたるから

ちょっと前 まだ働いていたころ 誘われて赤坂に飲みに行った
若い人たちの集まりだったけれど この辺も赤坂なんだな と思いながら
それから 懐かしいお店の名前
むかしきれいになる前 渋谷の飲み屋街にあった店と同じ名前
女将に聞いたら うちはその後継です という
友人らと渋谷で飲んで 最後にその店で じゃじゃ麺をお腹に入れて……なんてことが多かった


大江志乃夫さんの「凩の時」を読んだことがあった
出版されてすぐ読んだのだったか
赤坂が舞台だったか いや部隊?なんて語呂合わせだけれど


石垣さんがお辞めになってすぐ 
大学のゼミの仲間のひとりが お辞めになった銀行に入行した
仲間が集まったときに すこしばかり当時の職場のことが話題になった
まだ大学進学率20%台 もちろん性別からみると 男がたぶん30%くらいだったろうか
それでもクラスの女性とのほとんどが進学していただろうか
しかし じゅうぶんに能力があると思っていた女学生が就職した
なぜ とは聞かなかったか 覚えていない

いろいろ思い出すことが多くなったように思う
ふっとささいなことが思い出される
nice!(0)  コメント(0) 

寺島実郎 脳力のレッスン(255) 米中対立の本質と日本の針路 【世界】2023.09

2023年11月26日(日)

いつごろだったか,
急に思い立って,古山高麗雄さんのビルマ三部作をまとめて読んだ.
言い読者じゃないのだけれど,
ずいぶん前,知人と話をしていて,
プレオー8の夜明け
よかった,と話していてのを思い出しのだったか,
いや,ひょっとすると,なぜインパールばかり取りあげられるんだろう,
と思ったのだったか.
おもしろかった.
慰安婦というか,戦場の売春婦の話が出てきたり.

古山さんの本でだったか,あるいはもっと別の本だったか,
インドから中国へ,蒋介石の国民党政府を支援する,つまりは軍需物資を輸送するルートが通っていたということか.

ケインズは,結局,アメリカの壁に破れて,帰国し,そして死んだ……かな.

派遣の問題を,大きな目と,小さな目で見たときに,どんなふうになるんだろうな……,
ふっとおもったことがあったな.


―――――――――――――――――――――――――

【世界】2023年09月

脳力のレッスン(255)

米中対立の本質と日本の針路
――二一世紀システムにおける日米中トライアングル

寺島実郎


 二一世紀日本の国際関係において、最も重要な課題は米国、そして中国との関係である。日米、日中の二国聞関係はそれぞれが自己完結しない。つまり、日米中のトライアングルの関係をどう制御するか、この宿命的な課題に立ち向かわねばならない。戦前戦後の日本の国際関係を凝視してきたジャーナリスト松本重治は「日米関係は米中関係である」と断言していた。この歴史認識を日本の針路として確認しておきたい。

■米中対立という認識の虚実
 権威主義陣営ロシア・中国に対するG7を中核とする民主主義陣営の二極対立の構図で世界が語られ、報道もそれを上塗りする傾向が顕著である。さらに、ウクライナ侵攻後のロシアの孤立と疲弊による中国優位の中露関係を背景に、「米中対立激化」という認識が主潮となってきた。
 だが、話は単純ではない。米中貿易の実体を注視してみよう。二〇二二年の米中貿易総額は六九〇六億ドルで、二一年の六五六四億ドル、二〇年の五五九二億ドルに比べ、コロナ禍においても増え続け、史上最高水準に到達している。昨年の日米貿易総額は二二八六億ドルで、日米貿易の三倍を超す米中貿易となっている。ちなみに昨年の日中貿易は、前年の三九一七億ドルから三七三五億ドルへと減少しており、日本の方が対中貿易を縮小させているのである。
 つまり、米中対立は選別的対立であり、安全保障に関わる先端技術の覇権をめぐって本気で抗争している面もあるが、国民経済の相互依存は深まっているのである。何故、そうなるのか。基本的には、鄧小平による「改革開放路線」への転換以降の四〇年にわたる米国の中国への関与・支援政策を反映するものである。例えば、中国から米国への輸出の多くは「ブーメラン輸出」といわれるもので、米国企業の中国への投資、技術移転、委託生産の結果、その製品が米国市場に向かっているのである。



 もちろん、米中貿易が今後も増え続けるというものでもなく、緊張関係の高まりを背景に米中ともに相手への依存を避け、貿易相手の東南アジア等への分散を図っている。だが、日本にとっては両国との関係が重要である。昨年の日本の貿易(輸出入総額)に占める対中貿易(含、香港、マカオ)の比重は二二・四%、対米貿易比重は一三・九%であるが、この二国との通商が日本の貿易の三分の一以上を占める構造は一〇年先においても変わらないであろう。日本にとっては米中両睨みのバランス感覚が重要なのである。
 日本人として米中関係を考える時、大切なのは歴史の長期的視座で東アジアを注視し、「日米中トライアングル」の相関において思索することである。近現代史における米国の東アジア戦略の基本性格は、日本と中国を両睨みして、日米中のトライアングルの力学の中で米国の国益を最大化することにあり、そのために「日中を分断して統治すること」である。米国の悪夢は「日中同盟」であり、何度となく米国の知識人から「日中同盟ができる可能性は」と聞かれたものである。そして、その可能性が無いことにアジア近代史の哀しみがあることに気付かされてきた。

■近代史における日米中トランアングルの位相の変化
 一八五三年のペリー提督の浦賀来航の背景には、一八四八年に米墨戦争(メキシコとの戦争)に勝利した米国がカリフォルニア、ニューメキシコ、ユタ、ネバダ、アリゾナ諸州を領有(厳密には一五〇〇万ドルで割譲)することになり、太平洋に到達したことがある。
 だが実際には、ペリー来航以後、米国はアジアに動けないまま時間が経過した。南北戦争(一八六一~六五年)という内戦による消耗と後遺症で外に動けなかったのである。この「空白の四五年」を経て、現実に米国がアジアに展開したのは、一八九八年の「米西戦争」、スペインとの戦争に勝って、フィリピンとグアムを領有してからであった。米国が「遅れてきた植民地帝国」に変質した瞬間である。米国が「太平洋国家」としてアジアに踏み込んできたタイミングと、日本が日清戦争(一八九四~九五年)に勝利し、中国大陸に本格的に進出していくタイミングが同時化した。日米関係の悲劇は、ともに遅れてきた植民地帝国として、ほぼ同時にアジアに参入したことに由来するものである。
 一九〇〇年、清朝末期の中国において「扶清滅洋」を掲げた排外闘争たる義和団事件が吹き荒れ、米国も共同出兵したが、基本的に米国は中国侵略に先行していた欧州列強や、中国に触手を伸ばし始めていた日本とは一線を画し、中国の近代化に理解と支援の姿勢をとった。中国も欧州列強や日本を牽制する要素として米国の登場を歓迎した。日英同盟を背景に日露戦争を持ち堪えた日本、一九一四年の第一次世界大戦への参戦とドイツの山東利権の継承を図る日本に対し、米国は日本の野心を抑えるように中国への理解と支持を続けた。辛亥革命(一九一一年)期の中国にとって、独立戦争を勝ち抜いた「民主主義国家アメリカ」は敬愛の対象であった。米中関係の深層に「相思相愛の空気」が存在するといわれる理由がここにある。
 再考するならば、アジア太平洋戦争、つまり第二次大戦のアジアでの軍事衝突とは、中国を巡る日米の緊張が臨界点を超えたということであり、日本の敗戦は、「米国の物量への敗戦」と多くの日本人は考えがちだが、米国と中国の連携に敗れたのである。正確に言えば、蒋介石の国民党政権を支援する方向へと米世論とルーズベルト政権を誘導した米国のチャイナ・ロビー(親中国派)が牽引した米国の参戦と勝利であった。その構図の検証を試みたのが拙著『ふたつの「FORTUNE」』(ダイヤモンド社、一九九三年)であった。
 ワシントンにおけるチャイナ・ロビーの頭目でもあったヘンリー・ルース(タイム・ワーナー社の創業者)は長老派プロテスタント教会の宣教師の息子として中国の山東半島に生まれた。米国は中国の「近代化」に向けてキリスト教の宣教師を送り込んだのである。この動きが義和団事件の誘因ともなるが、ルースは高校進学のため米国に帰国し、イェール大学卒業後、「タイム」「ライフ」「フォーチュン」などの雑誌を発行するタイム・ワーナー社の創業者となり「メディアの帝王」と言われる存在になる。そして、ルースは自分の生まれた中国を侵略する日本の危険性を米国民に知らしめる使命感に燃え、「反日・親中国」のチャイナ・ロビーとして活動、日中戦争開始(一九三七年)後は、「フライング・タイガース」と呼ばれた米国からの義勇軍の資金源ともなり、蒋介石を支援し続け、ルーズベルトのアジア政策に大きな影響を与えた。約言すれば、日本の敗戦までの半世紀の日米中の力学は、米中蜜月・日米対立の時代であった。

■戦後期の日米中トライアングルと日本の運命
 第二次大戦が終り、米国としては支援してきた蒋介石の国民党と手を携えて中国の戦後復興・近代化に踏み込もうとした時、毛沢東との内戦に敗れた蒋介石は台湾に去り、一九四九年に中華人民共和国が成立した。衝撃を受けたワシントンのチャイナ・ロビーは台湾ロビーと化し、大陸中国を封じ込め、台湾を支援し続けた。
 「一九六七年にヘンリー・ルースが死ぬまで米国は中国が承認できなかった」といわれるほど、米国の対中政策は迷走した。英国が、香港問題もあり、一九五〇年一月には本土の共産中国を承認したのと対照的であった。実は、中国の分裂を僥倖ともいえるほどの恩恵を受けたのが日本であった。敗戦からわずか六年後の一九五一年に、日本はサンフランシスコ講和会議で国際復帰、日米安保条約締結という形で歩み始めるが、米国の対日政策を主導していたダレスは、ソ連の核開発(一九四九年九月)、ソ連・中国の友好同盟相互援助条約(一九五〇年二月)、朝鮮戦争勃発(一九五〇年六月)という冷戦



の新局面を背景に「日本を反共の砦として西側陣営に取り込み戦後復興させる」という思惑が働いたためであった。「もし中国が分裂していなければ、日本の戦後復興は二〇年は遅れた」といわれるのも、まず中国が優先されるはずだった米国の支援・投資が日本に回ってきたという判断によるものである。
 サンフランシスコのオペラハウスで行われた対日講和会議には五二カ国が参加し、四九ヵ国が講和条約に署名したが、ソ連は署名を拒否した。中国は招かれていなかった。講和条約締結の直後、吉田茂首相は単身でプレシディオ米陸軍基地内の下士官クラブハウスに赴き、米軍駐留の継続を約する「日米安保条約」に署名した。日本国内の世論に配慮し、一切のセレモニーもなかった。一九七〇年代まで、日本は復興・成長の軌道を走るが、その背景には「米中対立」(米国と本土の中国との緊張)が追い風になっていたことを認識すべきである。
 一九七〇年代に入り、パラダイムが大きく動き始めた。七一年七月にキッシンジャーの秘密外交により、ニクソン訪中計画が発表され、一〇月には、国連総会が「中国招請・台湾追放」を決議し、中華人民共和国の国連加盟が決定された。この流れを受けて一九七九年に正式な米中国交樹立がなされ、新たな米中蜜月時代が始まる。中国も文化大革命の時代(一九六六年から約一〇年間)を経て、復権した郵小平による改革開放路線へと動き、中国にとって米国は積極的パートナーとなっていった。
 一九八〇年代後半から九〇年代にかけて、米国にとってアジアにおける最大の脅威は日本であった。一九八五年のプラザ合意以降の円高をテコにした「アメリカを買い占める日本」への反発、日米貿易摩擦の深刻化など日米間の緊張が高まり、G・フリードマンとM・ルバードの『THE COMING WAR WITH} APAN――「第二次太平洋戦争」は不可避だ』(徳間書店、一九九一年)などという本が出版され話題になっていた。この頃、私自身は米国ワシントンで仕事をしており、一九九五年一二月に放映されたNHKの特別ドキュメンタリー番組「トライアングル・クライシス」の制作に関わり、出演して前記のヘンリー・ルースの足跡と日米中の歴史的関係の解析を試みたが、日本の世界GDPに占める比重が約一八%とピークだったのが一九九四年であり、昨年の日本の比重は四%まで下落と隔世の感があるが、正に日本脅威論の高まりの中での企画だったことが思い出される。
 一九八九年の天安門事件など民主化運動を踏みつぶす中国を黙認し、米国は中国への「関与・支援政策」を続けた。一九九七年のアジア金融危機、二〇〇八年のリーマンショックを乗り切る上で「世界の成長エンジン」となった中国は頼もしい存在という認識が米国を支配し続けていた。米国が中国に対する警戒心を抱き始めたのはオバマ政権の後期であった。中国のGDPが日本を抜いて世界二位になったのが二〇一〇年、習近平政権がスタートしたのが二○一三年であった。強権化し、経済への国家管理・統治を強める習近平政権に対して、二○一七年からの米トランプ政権は、「中国はロシアと並ぶ競争者」という位置づけで緊張感を高めたが、トランプには「貿易赤字解消のためのディール(取引)」を求める姿勢が強く、「関税競争」的対立であった。「中国製造二〇二五」計画など次第に技術覇権志向を強める中国に対し、二〇二一年からのバイデン政権は「中国は国際システムへの挑戦者」という認識に立って経済安全保障的視界からの対決姿勢を強めた。二〇二三年六月には、これだけの円安基調にもかかわらず日本は「為替操作」懸念の対象国リストからはずされ、米国にとって脅威の対象外になったということである。

■歴史の教訓と課題
 日米中トライアングルの位相の変化を瞥見してきたが、こうした視界から見えてくる歴史の教訓と課題を整理しておきたい。何よりも、単純に分断統治の力学に引き込まれてはならないということである。英国の植民地主義を貫いた統治概念は、潜在敵対勢力を分断して利害相反を生み出して自らの統治力を最大化するというもので、ガンジーが繰り返し警鐘を鳴らしていたのもこの分断統治の術数に陥ってはならないということであった。
 英国に代わって二〇世紀システムの主役となった米国も地域戦略の根底にこの戦略を継承しており、例えばキッシンジャーの中国指導者(毛沢東、周恩来など)との交渉記録(『キッシンジャー「最高機密」会話録』毎日新聞社、一九九九年)を読んでも、かつて「共通の敵」として戦争を戦った日本を永続的に抑え込む意図を米中が確認しあう空気が感じ取れる。米国にとっては、日本を中国から切り離して緊張関係を増幅させることが国益につながるのであり、中国にとっては、米国に制御される日米安保体制下の日本が望ましいのである。
 米中はともに世界秩序の中心に自国を置く大国主義的志向をもっており、それは対立しているように見えて、大国間の合意形成で世界を仕切ろうとする傾向につながる。一九七二年の突然のニクソン訪中でパラダイムを変えたように、「頭越し外交」で事を進める傾向がある。日本に求められるのは「自立自尊」、主体的に国際関係を構築する意思である。
 二一世紀の日本の深層心理における重い課題は、中国といかに正対するかである。二〇〇〇年を超す中国との関係は複雑に曲折してきた。中国の文明文化の影響を受け続けてきた日本は、江戸期の「鎖国」という期間を通じ、本居宣長に代表される国学の誕生、通貨(寛永通宝)・暦(大和暦)の自立を図った。「鎖国」とは中国からの自立過程でもあった。その日本が、明治期に入り、日清戦争に勝利した辺りから中国への劣等感を優越感に反転させ、中国を見下すようになり、その侮りが一九四五年の敗戦へと日本を引き込んでいった。戦



後も、復興・成長を先行させた日本は中国を上から目線で見続けたが、二〇一〇年にGDPで中国に追い越された時点から中国への視界を動揺させている。ナショナリズムに誘惑される日本人にとっては「米中対立は蜜の味」となりがちである。そして、この心理こそ米国との関係を創造的に再構築することを阻んでいるといえる。
 戦後日本は、あまりにも米国に依存し、影響を受けてきた。占領期を経て、一九五一年の日米安保条約による同盟関係に踏み込んで以来、七〇年以上もこの関係に埋没してきた。米国の側からすれば、日本こそ「米国流のネーション・ビルディング」の成功モデルである。日本人は日本を独立国だと思い込んでいるが、ワシントンのジャパノロジスト(日本専門家)と四〇年以上も向き合ってきた私自身の体験では、建前はともかく、彼らの多くが日本を「プロテクトレート(保護領)」と認識している本音を感じ取ってきたものである。
 戦後の日米関係を凝縮し、象徴する表現として的確だと思われるのが松田武の「自発的隷従」である(『自発的隷従の日米関係史』岩波書店、二〇二二年)。ジョン・ダワーもこの表現に賛意を寄せている。「自発的隷従」は一六世紀のフランスの法律家E・ボエシが提起した概念であり、民衆の自発的な隷従が圧政を完成させる構造に着目した古典である。日米同盟が常態化する中で、日本側から過剰依存と同調が生まれている。例えば、同盟責任の双務性(米国を守る責任)を求めて、日本側から集団的自衛権にコミットしていく心理、さらに「米国の核の傘」の下にあることを理由に国連の核兵器禁止条約には参加できないとする固定観念、これこそが自発的隷従の象徴といえる。
 「中国の脅威を抑え込むための日米同盟強化」という誘惑に吸い込まれがちな日本であるが、素朴な疑問に還って日本という国を直視するならば、二一世紀の日本の課題が鮮明になってくる。その疑問とは「二〇四五年、敗戦から一〇〇年後の日本に米軍基地は存在しているのか」である。敗戦直後に占領軍が駐留している事態は、世界史において珍しいことではない。だが、一〇〇年経っても戦勝国の軍隊が駐留し続けている国を、国際社会の常識からは「独立国」とはいわない。いわんや、駐留米軍基地に関する地位協定を精査するならば、敗戦国のステータスを引きずった米軍基地の地位協定が固定化していることに驚かされるはずである。
 二一世紀システムを生きるには、「二一世紀の世界史における日本の役割」を自問自答した「国家構想」が求められる。論及してきたごとく、ロシア、中国、米国といった二〇世紀世界秩序の中核として存在してきた国が明らかに世界をリードする「正当性」を失い、自国利害へと迷走している中で、日本にはバランス感覚に立った「自立自尊」の主体的未来構想が問われている。それを考察・探究していきたい。


nice!(0)  コメント(0) 

宮下裕 マイナンバー制度の哲学 ――過ちを繰り返さないために 【世界】2023.09

2023年12月24日(日)

サンタにもマイナンバーかな,
ワンちゃんにもニャンコにも,ペット用マイナンバーとか…….
まぁ,冗談ではあるけれど,
いや,意外とそうでないかもしれない.

それで,来年には,健康保険証が廃止されるのだとか.

……マイナンバーで,むかしの背番号制のことを思い出すことがある.
といって,あまりキチンとは覚えてはいないのだけれど,
だいたいは政府による統制強化だ……とかいって,左派,あるいは革新系の反対が目だった.
おまけにこの時,お金持ちも反対だった……かな.
誰だったか,左派に分類される人が,背番号制導入賛成の声を上げていた.
うん,そうだよな,と思ったことがあった.
それで,今回のマイナンバーか.

これ,ほんとうに必要なんだろうか……,わからない.
なにが狙いなんだろう?
なんなら健康保険証自体をデジタル化するとか,
そして,その保険証と税とか年金とか,やりたければ紐付ければいいじゃないか,などと.

おまけで人々を釣ろうとしてみたり,それだけでもなんだか胡散臭い仕組みじゃないか,などと邪推だけれど.
担当の大臣はやたらと高飛車だったか.

今となれば,まずは国会議員あたりから全面的に導入,税金,政治資金の流れなどのモニターに使えばよかったんじゃないか,などと.

たった1枚のカードを紛失したら,あるいはネットでデータを詐取されたりしたら,などとちょっと身震いする.
パスワードは,自己責任で保守せよ,という.
ちょっと脳機能が衰えた高齢者は,パスワードなくても……とか行っていたな,と思うが,
ついメモを忘れたりしたら,どうするんだろうか.

自己責任でいいから,マイナンバーじゃなくて……とはならないようだが.


―――――――――――――――――――――――――

【世界】2023年09月

マイナンバー制度の哲学
――過ちを繰り返さないために

宮下 裕
みやした・ひろし 中央大学教授。専門は、憲法・情報法。主な著書に『プライバシーという権利』(岩波新書)、『EU一般データ保護規則』(勁草書房)


■「強いシステム」と「強い個人」

 家族は多様化し、行政から世帯主への給付という旧式対応では、もはや国や自治体から個人への支援が行き届かない。コロナ給付金の受給権者を世帯主にしたことで、この問題は顕在化した。家族の中でも世帯主と別居している者、DV被害にあい世帯の中でも居所を知られたくない者、虐待により世帯主から離れた福祉施設で生活する子どもなど、世帯主への給付では個人に対する支援が到達しないのが現実である。
 だからこそ、行政が平均的な世帯を想定し世帯への給付を改め、個人への給付を行うという制度の端緒として、各人を唯一無二の存在として扱う番号が付された[1]。番号は、世帯の実態を知らない。知らないからこそ、番号の持ち主である個人の負担に応じて公平に直接の給付を可能とした。マイナンバー制度は、世帯への給付から、個人への給付と いう構造転換を図る仕掛けとなっている[2]。
 マイナンバー法の正式名称は、「行政手続における特定の個人を識捌するための番号の利用等に関する法律」であり、あくまで「個人」をその対象とし、各人への唯一無二の付番を制度の出発点とした。そして、制度の具体的運用の一例として、マイナンバー法に基づき公金受取口座の登録を定める口座登録法においても、「預貯金者の名義」である「個人の名義」のみを登録対象としている。さらに、保険証に番号制度を付着させるための健康保険法が改正され、医療保険の被保険者番号が「世帯」単位から「個人」単位へと転換した[3]。「世帯」ではなく、一貫して「個人」を起点としているのがマイナンバー制度である。
 かくして、マイナンバー制度は、個人と行政との関係において「システム個人主義」を貫徹した。この制度は、生まれたばかりの赤ちゃんから寝たきりの高齢者まで、システム上はひとりの独立した尊い存在として等しく公平に扱っている。
 それは「システム個人主義」という理念であり、日本の社会がデジタル化を推進する中で目指そうとする哲学でもある。逆にシステム上のフィクションだからこそ、システムの内側では家族をも解体させる個人主義が採用されているが、システムの外側の現実の世界では家族をはじめとした人間の絆の上に温かみのある支えあいの社会保障制度は何ら否定されていない。
 マイナンバー制度はシステムの内と外の厳格な分離の上に成り立っており、システムの内側では個人主義、システムの外側では相互扶助主義を念頭に置いている。すなわち、戸籍制度を始めとする世帯を中心とした日本の伝統と制度の残滓(ざんし)のもと、「個人の尊重」という哲学の地平をシステムの中に拓く企てである[4]。
 システムの中では個人の年金や税の情報を正確に安全に記録管理する、「強いシステム」が前提とされている。同時にこの制度は、ポータル上で自己の情報を自分で確認・管理し、行政に対して必要な申請等を行い、自ら給付を受け取る「強い個人」も見込んでいる。マイナンバー制度は、「強いシステム」と「強い個人」を仮想した「システム個人主義」に立脚した制度である。
 マイナンバーカードもまたこの制度を反映している。たとえカード自体を第三者が物理的に管理したとしても、「カードの中の自分」としての個人の情報のみを格納する「カード個人主義」の設計になっている。
 日本がマイナンバー制度を通じて「システム個人主義」を実現できるかどうかは、システムの内と外の厳格な分離のもと、信頼ある「強いシステム」を構築できるか、そしてデジタル化の中で自らの情報を管理できる「強い個人」が国民の間に浸透するかどうかにかかっている。同時に、デジタルに「弱い個人」への支援も不可欠である。

■哲学なきトラブル

 しかし現実には、各種証明書の誤交付をはじめ、公金受取口座等のいわゆる誤登録、マイナ保険証や年金記録の誤入力等、マイナンバーカードの交付に伴う様々なトラブルが生じてきた。
 制度の転換期にトラブルは不可避であり、交付現場の努力の中での小さなヒューマンエラーには豪放嘉落(ごうほうらいらく)な姿勢があってもよかろう。しかし、制度の哲学と相容れないミスは放置されてはならず、システム改修の前提となる哲学の再考が必要となる。以下、三つの論点に絞り指摘する。

(1)家族名義の誤登録
 第一に、マイナンバーカードを通じた公金受取口座における家族名義の登録をめぐる問題である。公金受取口座の誤登録は他人名義が七四八件、そして家族と思われる同一口座の登録が約一三万件である(二○二三年六月七日デジタル庁発表)。公金受取口座の約五四〇〇万の登録のうち約○・二%にすぎず、目角を立てる問題ではないという楽観的な見方も成り立ちうる。しかし、個人情報保護委員会は、個人データ(書類やメール〉の第三者への誤送付・誤送信も漏えいに含まれると整理し、一〇〇人を超えるマイナンバーに係る事故を「重大事態」と位置付けている[5]。
 さらに、マイナンバーカードの中にいる自分が自分ではない、カードに他人の記録が刻み込まれるような事態は、「システム個人主義」の理念を根底から覆す。そもそも誤登録問題は数の多寡にかかわらず、旧態依然とした世帯給付を可能とするシステム設計に責任があると言わざるを得ない。それゆえ公金受取口座の登録は、ミスを防ぐためにも、口座名義と番号の本人とのフリガナで照合することを可能とする法改正を待ってから進めるのが筋であった。
 また、子どもの口座開設の実務上の課題はひとまず置いておいたとしても、口座を持たない子どもについては親の口座を登録するという事態は想定できた。だから、本人口座の登録について、制度の哲学とともに周知・発信していれば、国民にも現実がより詳細に伝わっていただろう、
 誤登録は、単なるエラーで済まされる問題ではなく、給付を世帯から個人へと変容させるマイナンバー制度の根本原理に反するものと指摘せざるを得ない。

(2)プライバシー権侵害
 第二に、マイナンバー制度におけるプライバシー権の侵害についてである。公金受取口座を家族名義に「誤登録」した問題について、個人情報の漏えい事案に該当しないとみることも決して不可能ではない。「各行政機関等が分散管理している個人情報が外部に流出するおそれ」に着目して、マイナンバー制度が「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由」を侵害するものではないとした二〇二三年三月九日最高裁判決に従えば、この理解に誤りはない。しかし、マイナンバー制度の核心がシステムの内側にいる個人の存在であるとするならば、システムの内から外への「開示又は公表」は、プライバシー権の主題を言い当てたことにはならない。システムの内側にいる個人こそがプライバシー権として保護される対象であり、プライバシー権の侵害は、システムの内側から外側への流出よりも、システムの内側にいる個人への干渉や影響において具体化される。個人情報が勝手に書き換えられることでシステム内の個人が歪められたり、一部の情報を切り取ることで行政が当該個人に不当な決定を下すことこそが、システムの内側にいる個人に対するプライバシー権の侵害となる。



 マイナンバー制度のシステム上ではすべての個人が独立した存在である以上、たとえ家族であっても自分以外の情報を入力した場合はシステム上の個人の自己同一性への侵害となり、システムの内側におけるプライバシー権の侵害とみるべき事案となる。ただし、情報入力した者が家族構成員のプライバシーを侵害したのではない。前記最高裁判決によれば、「法制度上又はシステム技術上の不備」があったことが原因で、システムの内側における個人の情報を書き換えることで個人の自己同一性を容易に侵害できる状態を作り出したことに国の責任がある、ということになろう[6]。

(3)マイナ保険証と家族歴
 第三に、マイナ保険証の導入に伴う医療情報の取扱いである。マイナ保険証は、被保険者記号の世帯単位から個人単位への転換を前提とした、マイナンバーカードの電子証明書の識別子IDを用いる仕組みであり、①オンライン資格確認[7]と、②医療機関等での患者の過去の薬剤情報等の閲覧(任意)という二つの異なる機能を有する。従来の保険証を廃止し、マイナ保険証を導入し、例外的に本人の申請により資格確認書の交付を認めることとされている[8]。
 患者の過去の医療情報の閲覧に関しては、一般的な疾患の発症リスクの探知のため、ときに家族の医療情報と結びついてしまうときがある。要するに、データの突合を可能とする医療情報システムにおいては、生まれながらにして医療リスクの高低が特定の番号カードにつきまとう事態が発生する。これは、マイナンバー制度の各人の医療情報はあくまで各人に属するとする個人主義と、医療の現場における家族歴調査とが緊張関係にあることを意味する。
 この事態に対処するためには、「カード個人主義」をより徹底するほかない。すなわち、マイナンバーカードのシステムの中では、原則として家族歴を排斥した個人のみの属性情報が紐づけされなければならない。家族歴を含む情報のシステムの格納が認められるには、関係するすべての者から同意の取得が必要となる。同意取得の例外として、医療の質の向上に関する具体的エビデンスに基づく公益性も考慮に入れた慎重な設計が必要となろう。
 いずれにしても、家族歴が医療DX(デジタル・トランスフォーメーション)の不可欠な要素の一つとなりえても、「カード個人主義」に立脚したマイナンバー制度においては、できる限り個人以外の医療情報を排し、差別・排除の防止と 個人情報保護の措置が講じられなければならない[9]。医師、薬剤師等の守秘義務や健康保険事業以外の目的の告知要求制限がマイナ保険証の利用場面において空洞化されないかという問題がくすぶるが、「人の生命そのものにかかわるデータベース[10]」であるだけに慎重な対応が求められる。

 ■部外者の保護

 マイナンバー制度という仕掛けとしてのシステム個人主義は、行政手続において個人の正確な把握を要請する一方で、国家といえども立ち入ることのできない私的圏域についても考えなければならない。この私的圏域が保障されなければ、マイナンバー制度は、国家が個人の生き様の隅々をシステムの中で記録・管理し、精巧な監視を実現させてしまう変換の可能性を秘めているからだ。実際、制度開始にあたっては法律で定められた別表記載事項のみに利用を認めるという歯止めが存在した。だが、二〇二三年法改正により別表2は削除され、法定事務に「準ずる」事務にまで情報連携が認められ、国会のコントロールなしに自己肥大できる状態になった。
 そこにオーウェルが描いた「真理省」に存在するような独裁的思考を有する官僚が万が一にでも登場すれば、テレスクリーンを通じて個人の思想を規格化させる事態は決して絵空事ではない。実際、イギリスの国民IDカードは、監視社会の懸念を払しょくできず、保守党・自由民主党への政権交代を機に二〇一一年に廃止された。後に首相となったテレサ・メイ内務大臣は、国民IDカードの廃止により政府の支出削減ができ、また「政府が法令遵守する品位ある国民に対する国家の管理を小さくさせ、国民の手に自らの管理を戻す」ということを廃止の理由として説示した[11]。日本のマイナンバー制度は、監視というトロイの木馬を想定して入念に設計されてきた。二〇一四年一月には、個人情報保護委員会という新たな第三者委員会がこの制度とともに設置された(当時の正式名称「特定個人情報保護委員会」)。
 マイナンバー制度の設計段階では「国家管理への懸念」および「個人情報の追跡・突合に対する懸念」が指摘されてきた[12]。それについては、各人の様々な情報が分散管理されたとしても、システムの内側では現実のものとなりうる。各人は、国家が管理するシステムの内側にいる自分に対する追跡・突合による侵害事実を知ることができず、システムの「部外者[13]」となってしまったためである。そこで、システムの内側にいる個人を保護する目的で、システムの内側にいる個人に干渉しうる当事者の主務官庁に代わり、システムそのものをチェックできる独立した職権が付与された第三者としての個人情報保護委員会が設置された。言い換えれば、「監視に対する監視」の仕組みである。システムを管理する行政機関等がその内側にいる個人を不当に監視しないか、個人情報保護委員会が行政機関等を監視する仕組みが採られたのだ。すなわち、個人情報保護員会は、システムの内側にいる個人の守護神としての役割を果たすことを本来の任務として期待されていた。
 しかし、番号制度のもとでシステムの内側にいる個人は、すでに二度も脅威にさらされたが、個人情報保護委員会は独立した職権を行使しなかった。一度目は、二○一五年、日本年金機構に対する不正アクセスにより約一二五万件の個人データが漏えいしたときだ。個人情報保護委員会は、プライバシー影響評価(公的年金業務等に関する事務全項目評価書)の審査を実施のうえ、問題なしとして年金機構の体制を承認したが、三ヵ月もしないうちに事故が起きた。事故後も、日本年金機構における不正アクセスによる情報流出事案検証委員会検証報告書が厚生労働省に提出され、個人情報保護委員会による独立調査の結果は公表されなかった。
 二度目は、二○一八年に明らかになった、日本年金機構の業務委託先から中国企業に個人データが無断で移転された問題についてである。この委託問題の調査について、厚生労働省の下で日本年金機構における業務委託のあり方等に関する調査委員会報告書が公表された。後にマイナンバーを含む無断委託であった可能性が高いという新たな事実が明らかにされたが、個人情報保護委員会は、「一定の結論が得られているものとして厚生労働省及び日本年金機構より説明を受けたと承知しておる[14]」として、新たに漏えいした可能性を含む事故について独立調査の結果を示していない。仮に主務官庁において個人情報の事故調査を自ら行い、それで問題が片付いたとするならば、個人情報保護委員会の存在意義は否定されることとなる。
 プライバシーという権利は、公と私の領域の適切な管理としての防波堤をなし、国家と個人との布置関係を整理したうえで、システムの内側にいる個人を保護することを狙いとする。イギリスで国民IDカード導入が開始された二〇〇六年にイギリス情報コミッショナーは、「監視社会」という報告書の結論において「誰が何を知り、誰がデータを所有し、誰がデータを訂正する権利を有しているのかについて、国民と国家の聞にはますます気懸りで未解決の相克が存在する」と指摘していた[15]。個人情報保護委員会の任務は、国家が正確に把握しなければならない個人情報と、把握してはならない個人情報との境界設定という、システムの中の国家と個人の関係性を主題とするマイナンバー制度の運用監視である。

■人間とシステムをめぐる哲学

 個人情報保護委員会の任務はそれにとどまらない。マイナンバーカードの交付をめぐる誤登録をめぐり、ヒューマンエラーを想定したシステム対処について整理しなければならない(マイナンバーのカードとポータルの管理の瑕疵(かし)に伴う管理者である国の法的責任の明確化と救済方途に関する論点をひとまず脇に置いておく)[16]。
 デジタル化は、説明責任を果たせないシステム万能論、すなわち完全な自動意思決定システムを盲信するものであってはならない。たとえば、マイナ保険証の利用に際して医療機関窓口における九九%の正確性をほこる一対一の顔認証システムが導入されたとしても、一億人の保険証利用者の中で一○○万人がこの顔認証システムからはじかれる計算になる。システムにもエラーは避けられない。このシステムエラーには人間が対処しなければならず、システムと人間のエラーは相互にチェックしあうしかない。ヒューマンエラーとシステムエラーは循環論であって、いずれか一方が一〇〇%完全でなければ、エラーの連鎖が生じる。このエラーの連鎖を前提として個人情報保護制度を設計したのがEUの一般データ保護規則(GDPR)である。欧州のデータ保護法制には「人間の尊厳」の思想が埋め込まれ、その体現として、データの自動処理における「人間介入の権利」が明文化されている(GDPR二二条三項)。この権利は、人間のミスをカバーするために効率的なシステムによるデータ処理が推奨されるが、逆説的にシステムがもたらす偏見や排除を含む種々のエラーに対処するために、たとえ非効率であったとしても人間が介入する契機を認め、システム内側のデータ処理に人間の倫理と責任を包蔵させることを意味する。
 マイナンバー制度は、情報連携やカードの恩恵による国民の利便性の向上や行政の効率性の促進のみを狙いとした軽い存在ではない。この制度は、デジタル化を目的ではなく手段としつつ、個人尊重の基礎に関わる氏名の読み仮名や生活場所である住所表記の在り方、身分関係を登録・公証する戸籍制度が前提としてきた社会構造のほか、世帯ではなく個人への給付のためのシステムにおける個人の把握、そして国家が管理するシステムの内側にいる個人の保護といった、国家と個人との関係に関わる根源的な問いを抱えている。これらの根源的な問いについて、デジタル庁や個人情報保護委員会が国民と「コンセンサス[17]」を形成しながら方向性を明らかにできるかどうかが問われている。
 システムの開発と運用には思想や哲学が必要である。かつて「消えた年金問題」の政府検証報告書では「システムの開発・運用においても……基本的な思想や哲学に一貫性がない」ことが原因であると指摘された。同じ過ちを繰り返してはならない。



1 「社会保障・税番号大綱」(平成二三年六月三〇日政府・与党社会保障改革検討本部)において、「主として給付のための『番号』として制度設計」がなされたことが記された。
2 番号制度の導入決定に伴う「社会保障・税一体改革大綱」(平成二四年二月一七日閣議決定)において、「社会保障給付費」を「個人」に帰属する給付が集計対象とされている国際労働機関(ILO)基準に則ることが明記された。
3 「新しい経済政策パッケージ」(平成二九年一二月八日閣議



決定)では「医療保険の被保険者番号について、従来の世帯単位を個人単位化し、マイナンバー制度のインフラを活用」すると記載された(健康保険法三条一二項、参照)。
4 二〇二四年までに「戸籍情報連携システム」の導入が予定されており、国民各人の身分関係のシステム上の編製・公証の在り方が今後問題となろう(戸籍法一二一条の三)。
5 個人情報保護委員会は公金受取口座に係る事前評価審査で「特段の問題は認められない」との結論を下していた(個人情報保護委員会「口座登録法に基づく公金受取口座の登録等に関する事務及び預貯金者の意思に基づく個人番号の利用による預貯金口座の管理等に関する事務全項目評価書」令和四年一〇月二六日承認)。この審査で口座登録における「漏えい・不正がないよう厳格に事務を実施」との藤原靜雄委員による注意喚起が重要である(第二二一回個人情報保護委員会議事録)。
6 最高裁判決の判断枠組みは、住基ネット判決(最判平成二〇年三月六日民集六二巻三号六六五頁)と変わりがなく、システムの「構造審査」と評されることがある。
7 保険医療機関及び保険医療養担当規則(令和五年四月一日)三条一項。
8 「経済財政運営と改革の基本方針2022」(令和四年六月七日閣議決定)では加入者から申請があれば「保険証」が交付されると明記されていたが、令和五年六月二日に成立した改正マイナンバー法に伴う健康保険法五一条の三において「被保険者の資格の確認に必要な書面」(資格確認書)が交付されると変更された。
9 「医療等IDに係る法制度整備等に関する三師会声明」平成二六年一一月一九日。
10 日本医師会「日医IT化宣言」平成一三年一一月二〇日(同「日医IT化宣言2016」平成二八年六月八日)。
11 GOV.UK,Identiry cards and National Identity Register to be scrapped,27 May 2010(access 30 June 2023).
12 前掲「社会保障・税番号大綱」一五頁。
13 Spiros Simitis,‘Reviewing Privacy in an Information Society’(1987)135 U Pa L Rev 707,743.
14 第二〇四回衆議院予算委員会第五分科会第二号令和三年二月二六日内閣府副大臣答弁。なお、個人情報保護委員会委員長は国会出席資格を有する政府特別補佐人とされておらず(国会法六九条二項)、個人情報保護法の国会答弁はデジタル大臣等が行う。
15 Information Commissioner's Office,‘A Report on the Surveillance Society’(2006)74.
16 マイナポータル利用規約は免責事由を「デジタル庁の故意又は重過失によるものである場合」(令和五年五月一一日改訂)と定めているが、「公の営造物の設置又は管理に瑕疵」(国家賠償法二条一項)の問題であるとも捉えうる。信号機のプログラム設定ミスが原因で起きた事故について、信号管理の瑕疵を認定した事例(千葉地判平成一〇年一一月二四日)が参考になる。
17 かつて国民総背番号制という批判から頓挫した「統一個人コード」について、「国民コンセンサスの流れ」を踏まえるべきとした行政管理庁長官答弁を回顧する必要がある(第七一回参議院予算委員会第一分科会第三号昭和四八年四月七日)。
18 総務省・年金記録問題検証委員会「年金記録問題検証委員会報告書」(平成一九年一〇月三一日)一六頁。




nice!(0)  コメント(0) 

片山善博の「日本を診る」(166) 「突破力」だけの無謀なマイナ保険証作戦は撤収すべし

2023年11月26日(日)

まだときおりマイナカードの文字がメディアに登場する.
もうちょっとすると,みんな忘れられるかな.
それでも,やっぱり,これ,なんのため?
大昔の背番号制の方が,狙いもはっきりしていてよかったんじゃないか,と思うことがある.

ぼくがちゃんと理解していないんだろうけれど,
なぜ左派系も含めて,背番号制に反対したんだろう,と思い返す.
当時も,今ひとつ理解できなかった.
同成多くの勤め人は,懐具合などみんな筒抜けだったんじゃないか,
困るのは,お金持ちだけだろう?とか.

友人が言っていたな,あの当時,毎月のように割引債とかの購入のために何百万と入金する人がいるんだよ,とか.
そういう人の資産を把握したいと税務当局が言うなら,それはそれでいいじゃないか,などと素人流の考えかもしれないけれど.
まだ,それなりに累進課税がおもむきも残っていたのだし.

医療情報の共有化だとか,
それこそ本人が知っていればいいじゃないか,
医者同士が勝手に情報交換されてもイヤじゃないのか?なんて,ちょっと突っ込みたくもなる.
いや,現在の健康保険証を改善していくことで,クリアーされる問題じゃなかったのか,
なんで無理無理マイナンバーカードなるものに一元化される必要があったのか,
いや,そもそも国民皆保険制度化で,むしろ健康保険証をもとに,各種行政情報を統合していくという選択肢の方が,リアルだったんじゃないのか……と思ったり.

情報システム,情報機器の安全管理すら問題があるんだから,
一元化……というのは,ちょっとこわいんじゃないのか?と素人としては思ったりもした.

突破力の政治家は,このカードでトラブっても,政府は知らない……みたいなことを喋ってなかったか.


―――――――――――――――――――――――――

【世界】2023年09月

片山善博の「日本を診る」(166)

「突破力」だけの無謀なマイナ保険証作戦は撤収すべし


 マイナンバーカード(以下「マイナカード」という)の評判がすこぶ頗る悪い。そもそもマイナカードを取得するかどうかは各個人の選択に委ねられている。政府はマイナカードを持つと何かと便利になると喧伝するが、カードを持つことに不安を覚える国民は多い。
 個人情報の漏洩(ろうえい)が心配だ、詐取(さしゅ)されたり悪用されたりするのではないかなど不安の種は尽きない。そんなことからマイナカードは取得しないと決めていた人は多い。
 ところが、健康保険証を廃止し、来秋からマイナ保険証に統一するとの方針を政府が唐突に打ち出したことで事態は大きく変わった。マイナカードの取得は個人の選択から、事実上義務化されるに等しいからだ。
 マイナカードを持たないまま保険証が廃止されたら、病気の時どうすればいいのか。政府は資格証明書を交付するというが、これだと病院で肩身の狭い思いをさせられるのではないか。マイナカードを持つことへの不安より、持っていないことに伴う不安のほうが大きくなり、やむなくカードを取得した人は少なくない。
 そんな中でマイナ保険証をめぐるトラブルが数多く露見した。マイナ保険証が他人に紐づけられ、治療や投薬の履歴を他人が閲覧できる状態にあった。個人情報漏洩への危惧を鮮やかに現実化してくれたのである。また、もし医療機関が誤った履歴を見て治療方針を決めれば、命に関わることにもなりかねないではないか。

■現場を無視した「突破力」の失敗

 セキュリティは万全だ、マイナ保険証で質の高い医療が受けられると政府は自慢していたのに、このザマはなんだ。今や国民の不安と不信は充満している。
 政府は一連のトラブルの原因は、もっぱら市町村や健康保険組合の担当者による入力ミスにあるとする。それが是正されれば国民の不安は解消されるとして、市町村や健康保険組合に対して他にもミスがないかどうか、早急に点検するよう指示した。あくまでも、トラブル発生は現場のせいで、現場の責任で処理すべきといわんばかりである。
 たしかに入力ミスをしたのは現場の担当者である。しかし、人が行う作業にミスは必ず起きる。だから、この種のシステムを構築する際には、入力ミスを防ぐための厳重なチェック装置を内在させておかなければならないのに、政府はそれを怠っていた。政府は現場の入力ミスを責めるのではなく、むしろ自らの迂闊(うかつ)さを反省すべきである。
 また、政府は「できるだけ早く」、「できるだけ多く」カードが発行されるようあの手この手の術策を弄した。期限内にカードを取得してマイナ保険証に一体化させると破格のポイントを付与することとしたのはその一例である。さらに、財政上のアメとムチを使い分け、カード発行に向けて自治体から住民に圧力をかけさせる仕組みまで導入した。
 政府の目論見(もくろみ)どおり自治体のカード申請窓口には住民が殺到したが、そのことが多くのミスを誘発する原因にもなった。自治体の現場では、そうでなくても人手が足りない上に、短時日に大量のカード申請者に対応せざるを得なくなったからだ。
 本来マイナカードの発行には細心の注意を払い、慎重の上にも慎重を期して手続きを踏まなければならない。手抜きをすれば、それこそ情報漏洩や他人との紐づけなどのミスにつながるからだ。
 ところが政府は現場のこんな実情に無頓着なまま、担当大臣の「突破力」が「早く、多く」と迫ってくる。そんな状況では、大切にしなければならない慎重な手続きはやむなく二の次にならざるを得ない。ミスの責任を現場に押し付けようとする政府の態度はあまりに身勝手である。
 第二次世界大戦では、わが軍の上層部が前線の兵力、兵士の士気や戦闘能力、食料などの兵砧(へいたん)のことを考慮することなく、無謀な作戦を指示したことが失敗につながったと指摘される。このたびのマイナ保険証作戦における「突破力」はこれと通底するところがある。

■場当たり的対応の中に政府の本音が見える

 マイナ保険証作戦では現場の実情に無頓着だっただけではない。制度の内容についての検討もおざなりだった。新しく制度を設ける場合、どこかに不具合が生じないかと、あらかじめ念入りに点検しておくことが求められる。そうしておいても、制度を施行してみたら思わぬ落とし穴があるから、そうした場合にはどうやって手直しをするかということまでよく考えておかなければならない。
 ところが、マイナ保険証には思わぬ落とし穴どころか、こんなことも検討していなかったのかというチョンボや欠陥が続出している。例えば、施設に入居する認知症の高齢者が受診する際に自分で暗証番号を伝えることなどできない、さりとて施設の側が入居者のマイナカードと暗証番号を管理することは憚(はばか)られる、どうしたらいいかという切実な問いに、政府はすぐには答えられなかった。
 しばらくして出てきたのは、認知症の高齢者のマイナ保険証には暗証番号を不要とするという回答だった。しかし、暗証番号のないカードはマイナ保険証とは呼べない。政府のこの場当たり的な対応に呆れた人は多い。しかし、この苦し紛れの対応策の中に、意外に政府の本音が隠されているように、筆者には思われる。
 必ずしも大きく報じられることはないが、健康保険制度で政府が頭を悩ませているのが「なりすまし」による保険証の使い回しである。政府はこれを何とかなくしたいと考えている。もとより健康保険の適用を受ける資格のない人たちが他人の保険証で受診する不正はあってはならないし、それは健康保険制度そのものを毀傷(きしょう)する。
 そのなりすまし防止の決め手になるのが、本人認証が可能なマイナ保険証である。ところが、それが国民の不信の上に政府の稚拙さが重なり、躓(つまず)いている。しかも、認知症の高齢者のようにそもそもマイナ保険証になじみ難い人たちには特別の対応策が必要なことにも政府は気づかされ、そこで真剣に考案したのが暗証番号のない「マイナ保険証もどき」だったのではないか。
 「マイナ保険証もどき」には本人認証機能はないが、本人の顔写真が付いている。顔写真だけでも使い回し防止には十分役に立つ。よくよく考えてみれば、現行の保険証は、顔写真が付いていない運転免許証のようなものだ。こんな運転免許証なら、免許を持っていない人が他人の免許証を借りて運転することで、無免許運転の罪を免れやすい。この際、政府は健康保険証全廃方針を棚上げすべきである。マイナカードを持たない人には保険証を残すこととし、その上で例えばこれから発行する保険証には顔写真を添付する仕組みを検討してはどうか。
 この場合にも、それこそ認知症の高齢者の写真提供を誰がどうするかなど問題は多い。おそらく介助する施設などの役割が増すことが予想されるし、保険証を発行する保険者の本人確認などの作業も増える。そうした事務や手間に係る負担をめぐって利害調整のための嶮(けわ)しい議論は避けられないが、こちらのほうが保険証全廃をめぐる混乱とドタバタよりは、はるかに建設的だと考えている。

nice!(0)  コメント(0)