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朝鮮人虐殺「事実見つめることは必要」 国は実態調査するべきか 知事、会見で問われ/神奈川県








2023年09月06日 朝日
朝鮮人虐殺「事実見つめることは必要」 国は実態調査するべきか 知事、会見で問われ/神奈川県

 1923年の関東大震災で起きた朝鮮人虐殺について、黒岩祐治知事は5日の記者会見で国が実態を調査するべきかどうかを問われ、「事実を見つめることは必要だと思う。国の判断でどこまでやるのか、見守るしかない」と話した。

 虐殺の歴史を調べる地元団体は4日、当時の神奈川県知事から内務省警保局長にあてた報告書とみられる資料が見つかったと発表した。これについては「詳細は把握していない。今後研究が進められると思っている」と話した。

 朝鮮人虐殺をめぐっては松野博一官房長官が8月30日の記者会見で「政府として調査したかぎり、事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」と述べた。

 一方、黒岩知事によると1982年にまとめられた「神奈川県史」には、「『朝鮮人来襲』の流言と自警団」「県下の朝鮮人殺害」「朝鮮人救護」といった見出しで当時の様子が記述されているという。(増田勇介)
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臼杵陽 ハマースはなぜイスラエル攻撃に至ったのか 【世界】2023年12月

2024年04月13日(土)

きょうもまた戦闘が続けられているのだろう.
もちろんユーラシア大陸においても.

新聞や雑誌など,あるいはテレビを通じて流れてくる情報は,やはりちょっと問題なのだと思うことが多い.とりわけパレスチナ,そしてウクライナについても.

アルジェリアも,あるいはベトナムも、ある意味ではもうすこしわかりやすい構図をもっていたように思うけれど,
映像を見る側に,知識,情報と,思考を強く求めているんだろうな,と思う.

そういえば,ビルマもま同様か。いや,じぶん自身の無知が問題なんだけれど.

そして,ビルマも,パレスチナも,イギリスが強く関与していた地域だったな,と思い出す.


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【世界】2023年12月


ハマースはなぜイスラエル攻撃に至ったのか
臼杵 陽

うすき・あきら 一九五六九年生まれ。日本女子大学文学部史学科教授。在ヨルダン日本大使館専門調査員、佐賀大学助教授、エルサレム・ヘブライ大学トルーマン平和研究所客員研究員、国立民族学博物館教授を経て、現職。専門はパレスチナ・イスラエルを中心とする中東地域研究。著書に『イスラエル』(岩波新書、二〇〇九年)、『世界史の中のパレスチナ問題』(講談社現代新書、二〇一三)、『「ユダヤ」の世界史』(作品社、二〇一九年)ほか多数。


 ガザに拠点を置くイスラーム主義組織ハマース(新聞等では「ハマス」と表記するが、本稿ではアラビア語の原音に近い「ハマース としたい)が、一〇月七日土曜日にイスラエル市民に対して人規模な軍事行動を起こした。当然、イスラエル側から見れば、一般市民を対象とした許しがたい無差別テロ社為である。
 その日は、ユダヤ教のシャバト(安息日)でかつ祝日だったため、大規模な音楽フェスティバルが開催されていた。その祝日は「律法感謝祭」と呼ばれ、ユダヤ教徒が一年かけてモーセ五書(ヘブライ語ではトーラー(律法)と呼ばれ、キリスト教の旧約聖書では創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記までを指す)を読み終える日であり、また新たに一年かけて律法を読み始める日でもある。
 同時に、今年二〇二三年はイスラエル建国の一九四八年から七五周年にあたる年でもある。しかし、この出来事はパレスチナ人の側からは「ナクバ(大災害)」と呼ばれており、故郷パレスチナを追放されて難民となった時点から七五年目にもあたる。この攻撃によるイスラエル側の犠牲者は少なくとも一四〇〇人にのぼると報じられている。イスラエルでは近年に例をみない最悪の死者数である。イスラエル国民の怒りは、リクード党のベンヤミン・ネタニヤフ首相が率いる緊急挙国一致内閣の組閣へと導いた。「イスラエル・ハマース戦争」と西側メディアが喧伝する戦争を遂行するためである。

■ガザの風景

 私自身はハマースが二〇〇七年にガザを実効支配する前の時期を含めて、何度かガザを訪れたことがある。現在は封鎖されているが、ガザの北側にあるイスラエル側のエレズ検問所からガザ入りをしたのである。検問所で「国境」を越える際にはイスラエル側の検問を通り、無人地帯があって、ガザ入りすることになる。検問所はガザ在住のパレスチナ人とそれ以外の外国人などのために別々に設置されている。パレスチナ人用の検問所は外国人用の場所からも見える。ガザからイスラエルに出稼ぎに行くパレスチナ人たちの長蛇の列であり、徹底的なチェックもあるので検問所の通過には相当な時間がかかる。これはヨルダン川西岸からエルサレムに入るときも同様である。
 ガザに入って検問所を抜けてからはパレスチナ人の「セルビス・タクシー」と呼ばれる乗合タクシーに乗ってガザ市内まで走る。「セルビス」というのはサービスという単語がアラビア語風になまったものである。セルビス・タクシーはアラブ世界共通の五人の乗客を乗せることのできる古いベンツである(イスラエル側では最近では大型のワゴン車に変わっている)。ガザにしろ、ヨルダン川西岸にしろ、自動車のナンバープレートの色が白色であり、東エルサレムを含むイスラエルのプレートは黄色である。だから、東エルサレムに住むパレスチナ人の自動車であれば、ユダヤ人入植地が多い西岸に行く際に、検問所の兵隊にチェックされずに行くことができる場合も多い。
 境界を越えると灌漑(かんがい)施設の整った緑豊かなイスラエルの風景から、灌木が生えているだけの殺伐とした別世界のような風景に変わる。この変化を体感するだけで、ガザがいかに悲惨な状況にあるかがわかる。アリエル・シャロン政権時代(二○○一~〇六年)の二〇〇五年、イスラエル軍はガザから撤退し、ガザにあったユダヤ人入植地も撤去され、パレスチナ人だけの世界となったのである。
 ガザ地帯は南北の全長が約四一キロメートル、東西の幅が約一〇キロメートルの長方形で、その面積は三六五平方キロメートルしかない。種子島よりも小さな場所に約二三〇万人ともいわれるパレスチナ人が住んでいる。日本でいえば名古屋市ほどの人口規模である。過密な人口に加え、許可がないとガザからの出入りは自由にできないために、ガザは「天井のない牢獄」と呼ばれてきた。当然、ガザにも多くの自動車が走っているが、そのような中で同時に目立つのが荷車をひくラバの姿である。馬とロバをかけ合わ

〈22〉
せたラバは、ロバの粗食に耐える丈夫さや忍耐力、馬の力強さといった両者のもつ長所を受け継いでいるという。だからこそ、ラバはガザでも多く見かけるのである。ガザの街の市場などの雑然とした活気とは裏腹に、ガザでは低い見積もりでも失業率が人口の四五%以上もあり、二人に一人の割合で職がない。そのため、若者の多くがやることもなくアラブ式のゲームで遊んだり、お茶を飲んだりして、ガザの街々に数多くある喫茶店でたむろしている。イスラエルへ出稼ぎに行くパレスチナ人は約一五万人といわれるが、イスラエル側のセキュリティ強化の問題もあって、正式には若年層のパレスチナ人労働者はイスラエル労働市場で働くことは認められていない。しかし、「非合法労働者」として、イスラエル労働市場で建設業を中心にいわゆる「3K」の業種で働くパレスチナ人も多いのもたしかである。ところが、近年ではフィリピンを中心とする東南アジアからの労働者がパレスチナ人に代わってイスラエル労働市場で働いているのが現状といってよく、ガザの窮状はいよいよ限界値に達しようとしていたといってもいいだろう。
 かつて北欧のとあるNGOの職員と一緒にガザ北部にあるシャーティー・パレスチナ難民キャンプを訪れたことがある。難民キャンプのアラビア語の名称「シャーティー(海岸)」の通り、地中海沿いの「海岸線」にあり、貧しい難民が多かった。現在では死語となりつつある「掘っ立て小屋」といってもいいようなセメントのブロックを積んだ家に住んでいるパレスチナ人も多くいた。強風で砂が家に入り込むし、下水道は家の前の道の真ん中にある溝である。したがって、衛生状態も決していいとはいえない。そんな劣悪な環境で暮らしているパレスチナ難民も多いので、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)だけではなく、国際NGOからの援助も不可欠なのである。

■病院爆破の衝撃

 一〇月一七日、この難民キャンプからさほど遠くない場所にあるアル・アハリー・アラブ病院が爆破された。パレスチナ自治政府の保健省は声明で「イスラエル軍が大虐殺を行った」と非難した。患者や医療従事者、避難民ら、少なくとも五〇〇人が死亡したとパレスチナ側は報じている。他方、イスラエル軍のハガリ報道官は直後に、複数のインテリジェンス情報の分析結果として、ガザの武装組織「イスラーム聖戦」のロケット弾の誤射によるものだと主張し、「イスラーム聖戦の責任だ」としたと報じられている。真偽のほどは定かでないが、イスラエル軍がガザを無差別的に爆撃しているのも事実である。
 このアル・アハリー・アラブ病院の歴史を振り返ると、パレスチナとヨーロッパとの関係が見えてくる。この病院は一八八二年、イギリス国教会(聖公会)によって設立された古いキリスト教ミッショナリー系の医療機関である。少なくともパレスチナ人はこの病院とは一世紀以上にわたって付き合ってきている。パレスチナ人自身がこの病院に対して攻撃を加える理由はないと言ってもいい。だからこそ、イスラエル側はパレスチナ側の「イスラーム聖戦」などが「誤爆」したと主張している。真偽のほどは本論の執筆時点では謎に包まれているが、この爆破が、ガザを含むアラブ世界、ひいてはイスラーム世界全体に怒りの渦を広げていくことは間違いない。加えて、バイデン米大統領は一〇月一八日、イスラエルを訪問したが、この爆破事件によって、ヨルダン行きは延期された。エジプトのシーシー(シシ)大統領らとは電話で協議するという。

■ハマースはなぜ生まれ、支持されるのか

 ところで、ハマースというイスラーム主義政治組織とは何だろうか。ハマースは「イスラーム抵抗運動(Haraka al-Muqawama al-Islamiya)」というアラビア語の頭文字(H-M-S)から作られた略称であり、アラビア語では「熱狂」という意味をもっている。今回のハマースによるイスラエルへの攻撃に至る背景を考えるためには、ハマースの歴史を振り返ってみる必要があろう。多くの若者が命を賭してまでハマースに加わっている事実を踏まえて、ハマースがなぜガザで支持されているかの理由を考えるためである。
 そもそも、ハマースの起源はムスリム同胞団である。その同胞団は、エジプトのスエズ運河沿いの都市イスマイリヤで一九二八年に設立され、一九四八年のイスラエル建国後、エジプト支配下(一九四八~六七年)のガザではパレスチナ支部として活動を続けた。現在のハマース自体は一九八七年の第一次インティファーダ(民衆蜂起)の勃発直後、当時のガザのイスラーム運動の精神的指導者であったアフマド・ヤースィーン(ヤシン)師によって設立された。車いすに乗った指導者として知られる同師は二〇〇四年にイスラエルのミサイル攻撃によって殺害された。
 現在の指導者は一九六二年に前述のシャーティー難民キャンプで生まれ育ったイスマーイール・ハニーヤである。ハニーヤは現在、家族とともにアラブ湾岸諸国の一つカタールのドーハに滞在している。したがって、ハマースとアラブ諸国との関係を考えるうえで重要な役割を果たしているのがカタールである。カタール政府は、イスラエルが二〇〇八年末から二〇〇九年初めにかけてガザを攻撃して以来、イスラエルとの外交関係は途絶しているものの、イスラエルとのつながりを完全に断ち切ったわけではなく、今回もハマースに捕らえられた人質の釈放などを通じて両者のあいだを仲介する重要な役割を果たしていると報じられている。
 ところで、改めて強調しておきたいことは、ハマースは

〈24〉
一九九三年九月にイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)とのあいだに結ばれたパレスチナ暫定自治に関する原則宣言(オスロ合意)締結の正当性を認めなかったことである。したがって、オスロ合意で五年間と設定された暫定自治の期間であってもイスラエル側への武力攻撃をやめず、結果的にイスラエル側は治安が確保できない以上、将来の「パレスチナ国家」となるべきヨルダン川西岸・ガザの土地のほんの一部しかパレスチナ側に返還しなかった。そんな停滞する和平交渉が大きく動いたのは、対パレスチナ強硬派と思われていたアリエル・シャロンが与党リクード党を離脱して、二〇〇五年にカディーマ(ヘブライ語で「前進」)党を新たに結成して政権を獲得してからであった。シャロンのリクード党での先輩政治家にあたり、一九七九年にエジプトと平和条約を締結した故メナヘム・ベギン元首相(右派でタカ派のリクード党首)が思い起こされる。シャロンはそれまでは軍人出身の政治家として「超タカ派」とみなされていたにもかかわらず、世論の反対を押し切って二〇〇五年にはガザからイスラエル国防軍を撤退させたからである。しかし、同年末、シャロンは脳卒中で倒れ、八五歳でその生涯を終えたことは歴史の皮肉として思い起こされる。
 他方、パレスチナ側でもヤーセル・アラファート議長が二〇〇四年一一月に七五歳で亡くなった。同議長はガザとヨルダン川西岸の一部を領域とするパレスチナ自治政府を、独裁的手法ではあったものの、その圧倒的なカリスマ性を持つ人気で率いていた。ファタハ(パレスチナ解放運動)を率いるアラファートの盟友であったアブー・イヤード(一九三三~九一年)やアブー・ジハード(一九三五~八八年)など、アラファートの側近中の側近をイスラエルによる暗殺などで失った後に、アラファートの後継者として名乗りを上げたのが一九三五年生まれのアブー・マーゼンことマフムード・アッバースであった。
 アッバースは二〇〇五年一月にパレスチナ自治区を率いる大統領(アラビア語で「トップ」を意味するライース)に就任した。アッバース大統領はパレスチナ自治政府を率いたものの、二〇〇六年パレスチナ総選挙でハマースに敗れるという苦杯をなめた。しかし、アッバースは、伝家の宝刀といってもいい禁じ手である大統領令という強権を発動して選挙結果を無効にしたのである。そのため、ハマースとの関係は急激に悪化して、両者は武力衝突を繰り返し、六〇〇人以上の犠牲者を出した末に二〇〇七年六月にハマースが事実上、ガザの支配権を単独で掌握することになった。このファタハとハマースとのパレスチナ側の内紛の結果、パレスチナ自治政府はヨルダン川西岸とガザに分裂したのである。
 以後、ガザはハマース支配下に置かれることになった。ただ、われわれのイメージするハマースは、アメリカなどの西側諸国が「テロ組織」と指定しているため、武装した危険な政治組織としてみなされがちである。しかし、ハマースがガザのパレスチナ人の若者の多くを動員している理由は、ハマースという政治部門の一部を見ているだけでは理解できない。というのも、ハマースは社会福祉の部門ももっているからである。イスラエルによる封鎖によって経済的な困窮を余儀なくされたガザ地区の人びとにおいて、ハマースはその母体であったムスリム同胞団と同じように、イスラーム教の相互扶助の精神に基づく「慈善団体」としての性格をもっていることを見落としてしまいがちである。ハマースは、医療・教育・食料供給の面で社会福祉の活動も長い間、行ってきた実績があるのである。そのため、ハマースはとりわけ貧しいパレスチナ難民に信頼・支持されているという事実をやはり改めて考える必要がある。
 ハマースの軍事部門が、今回の事件のようにイスラエルの一般市民を殺害する「テロリスト」として国際的に非難されてしかるべき軍事作戦を実行していることは事実であるが、ハマースの慈善団体としての精力的な救貧活動も念頭に置かなければ、ハマースがなぜガザのパレスチナ住民の多くに支持され、パレスチナ人の若者たちが死を賭してまで自爆攻撃のような軍事的行動を行うのか理解できないのである。

■国際社会に求められる対応とは

 今回のイスラエル市民殺害という陰惨を極める事件を引き起こしたハマースの軍事グループは「カッサーム旅団」と呼ばれている。カッサームは日本ではほとんど知られていない人物であるが、パレスチナ人にとっては誰もが知っている歴史的なヒーローの一人である。イッズディーン・アル・カッサーム(一八八二~一九三五年)はイスラエル建国前の一九三五年一一月に対英・対シオニストの軍事行動を行って殉教した、北部シリア出身のイスラーム教指導者である。カッサームはエジプトのカイロにあるイスラームを学ぶための最高学府であるアズハル大学出身のシャイフ(アズハル卒業生に与えられる称号)である。イスラーム的な深い学識に基づいて、カッサームは現在のイスラエル北部の港町ハイファにあるイスティクラール・モスク(アラビア語で「独立礼拝所」という意味)でイマーム(導師)を務めていた。
 イマームとは礼拝の際に先頭に立って礼拝を主導する宗教者である。カッサームはハイファに拠点を置いてパレスチナで初めてイスラームの名の下に武装闘争を開始したことでパレスチナ人のあいだで広く知られて尊敬を集めている人物である。ハマースがイスラエルに対して数多く打ち込んでいるミサイルが「カッサーム・ロケット」と呼ばれることにも、カッサームがハマースのメンバーによって、

〈26〉
ある意味では「神格化」されており、従うべきロールモデルとして崇敬されているからである。そんな状況下で、ハマースの軍事部門であるカッサーム旅団の指導者アイマン・ノファル(通称、アブー・アフマド)が一〇月一七日、イスラエル軍の空爆によって爆殺されたことはパレスチナ人にとっては衝撃的な事件だった。ハマースとしては捕らえたイスラエル人の人質をイスラエル側に小出しに引き渡すことで事態が自らに有利になるように画策している。しかし、イスラエル側の反応は頑なで強硬であり、ハマースによる人質の釈放によって事態がよい方向に動くともこれまでのところ思えない。
 今回の事態のきっかけとなった事件では、イスラエル側ではこれまでになかったほど多くの犠牲を出したため、ガザへの激しい空爆を含めて、報復もこれまでにない規模である。ガザへのイスラエル軍の空爆は予想以上の大きな被害をパレスチナ人社会にもたらしており、死者数ではパレスチナ人がイスラエル人を凌駕するものとなっている。ハマースの活動家がパレスチナ民衆の中に潜んでいる以上、否、パレスチナの一般の人びとの中から次から次へと無尽蔵に生まれてくる以上、イスラエルによるパレスチナの一般市民への無差別の爆撃は続くことであろう。
 同時に、北部国境のレバノンからもシーア派武装組織ヒズブッラー(アラビア語で「神の党」の意味)がハマースの行動に呼応するかのように、北部のレバノン国境からイスラエルに対して攻撃を加えている。このように周辺諸国を巻き込みつつ事態が悪化するなかで「イスラエル・ハマース戦争」においてこれ以上の犠牲者が生まれることは避けなければならないのはいうまでもない。国際社会による早急な仲介が求められているのであるが、実際のところ、アメリカがイスラエルを一方的に支援しているために、出口なしの状況に陥りつつある。バイデン米大統領もアメリカ国内のユダヤ人ロビーの政治的な影響力を考えると、イスラエルに対して軍事行動の抑制を要請するとは当面は考えられない。とりわけ、イスラエル軍によるガザへの軍事侵攻が始まれば、パレスチナ人を含めてなお多くの犠牲者が出ることになろう。
 だからこそ、国際社会は声を上げて、イスラエル側による報復という名目でのパレスチナ人への軍事行動に対して自制を求めるべきだと私自身は考えている。なお、今回の事態に対して、私自身も呼びかけ人の一人として「ガザの事態を憂慮し、即時停戦と人道支援を訴える中東研究者のアピール」に加わっており、読者諸氏もぜひともこのアピールを参照していただければ幸いである。

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ガザの事態を憂慮し、即時停戦と人道支援を訴える中東研究者のアピール

 中東のパレスチナ・ガザ地区をめぐる情勢が緊迫、深刻化しています。私たちは、中東の政治や社会、歴史、中東をめぐる国際関係等の理解、解明に携わってきた研究者として、また中東の人々やその文化に関心を持ち、中東の平和を願ってさまざまな交流を続けてきた市民の立場から、暴力の激化と人道的危機の深刻化を深く憂慮し、以下のように訴えます。

一、即時停戦、および人質の解放。
二、深刻な人道上の危機に瀕しているガザを一刻も早く救済すること。ガザに対する攻撃を停止し、封鎖を解除して、電気・水の供給、食糧・医薬品等の搬入を保証すること。軍事作戦を前提とした市民への移動強制の撤回。
三、国際法、国際人道法の遵守。現在進行中の事態の全局面において人道・人権に関わる国際的規範が遵守されることが重要であると共に、占領地の住民の保護、占領地への入植の禁止等を定めた国際法の、中東・パレスチナにおける遵守状況に関する客観的・歴史的検証。
四、日本政府をはじめとする国際社会は、対話と交渉を通じて諸問題を平和的・政治的に解決することを可能とする環境を整えるため、全力を尽くすこと。

 ガザをめぐる深刻な事態は、戦闘・包囲下に置かれた無数の市民の命を奪い、多大な犠牲を強いているだけでなく、もしこれを放置すれば中東の抱える諸課題の平和的解決が半永久的に不可能になり、中東、さらには世界全体を、長期にわたる緊張と対立、破局に引きずりこみかねない危険なものです。日本は戦後、パレスチナ問題に関しては中東の人々の声に耳を傾けて欧米とは一線を画した独自外交を展開してきた実績があり、中東との相互理解・友好を深める交流は、市民レベルでも豊かに展開されてきました。このような蓄積・経験を今こそ生かし、人道的悲劇の回避と平和の実現のために力を尽くすことを呼びかけます。

2023年10月17日

呼びかけ人
飯塚正人、鵜飼哲、臼杵陽*、大稔哲也*、岡真理*、岡野内正、栗田禎子*、黒木英充*、後藤絵美*、酒井啓子、長沢栄治*、長沢美抄子、奈良本英佑、保坂修司、三浦徹、山岸智子、山本薫(*呼びかけ人代表)

※研究者・市民の賛同は次のサイトで呼びかけられている。
https://sites.google.com/view/meresearchersgaza/




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素粒子 (ケネディ大統領暗殺60年) 2023-11-22

2023年11月22日(水)

そうか,ケネディ大統領の暗殺から60年目なのだそうだ.
テレビで見たのだろうか,
アメリカからの初の映像が,大統領暗殺の場面となった,
ということだった.

アメリカは,大統領が殺される国だ.
ケネディだけじゃない.4人に大統領が暗殺されているとか.
そして,ケネディは弟もまた,暗殺された.

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素粒子
2023年11月22日 16時30分

 ケネディ元大統領は第1次大戦を招いた指導者らの誤算と相互不信、
無責任を描いた「八月の砲声」を愛読した。

    ◎

 閣僚らにも薦め、「ヘマをして戦争にのめり込んだりはすまい」と語った。
それでもベトナムの戦火を収められず。

    ◎

 ケネディ暗殺から今日で60年。砲声はやまず、警報が響き、血が流れる。
繰り返される誤算、相互不信、無責任。

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イスラエル国防相の発言 「human animals」

2023年11月20日(月)

先月の「X」への投稿,
イスラエルの国防省の記者会見?の映像で,
もっと長いものだったのかもしれないけれど,
ちょっと聞くに堪えないような,そんな発言.

なぜここまでのことを言うのか,言えるのか.



Israeli defense minister: “No food, No electricity, No fuel,
   No water. We’re fighting human animals.”
He’s talking about ordinary, innocent, civilians including
   KIDS living in Gaza.
He has NO RESPECT for Human Rights!

Despicable scum!
……………
Googleによる英語からの翻訳
イスラエル国防大臣:「食料も電気も燃料も水もない。
   私たちは人間という動物と戦っているのです。」

彼が言っているのは、ガザに住む子供たちを含む、罪のない普通の民間人たちです。

彼は人権をまったく尊重していません!

卑劣なクズ!

映像にあげられた字幕を拾ってみた――

I have ordered
A complete siege on Gaza
No electricity
No food
No fuel
No water
Everything is closed
We are fighting human animals
And we act accordingly ……

…………………………………………………………………

「human animals」
英語ではなく,何語?ヘブライ語か何か?なので,ちょっとわからないけれど,
英語字幕は,human animalsと.
犬や猫,さらには鶏までもそのウエルフェアを考えようという時代なのだけれど.
もちろん反対側から見たときの図を,考えておかないといけないのだろうとは思う.

それにしても……思う,
核兵器の使用まで言い及んだ閣僚もいたとの報道,
軍隊という組織の整理,いや病理とも.
アメリカ軍がグアンタナモ基地にとらえた9・11の関係者に対して行った行為とか.

「敵」をつくり,「敵」への対応に熱中して,
己と敵との境目がわからなくなってしまった……か.
ロシアとウクライナ,テレビの報道などを見ていると,なんだか悲しくなってしまう.
あるいは,大陸や半島に侵攻した帝国の軍隊も同じだっただろうか.

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ガザーイスラエル戦争について CNNのNEWS映像を見て 字幕を読むしかないのだけれど

2023年11月19日(日)

「X」で,アメリカのCNNにNEWSの映像が投稿されていた.
字幕をそのまま引用して.

列島の国のメディアの報道に,すこし,いやかなりか,不満を覚えるのだけれど,
自分の不勉強もあるので,なんとも.

反アラブ,反ユダヤ,反イスラエル……,おおくの「反」が躍るけれど,
いまひとつ釈然としない場合が多い.

反アラブ? イスラム教? 
反ユダヤ? 反イスラエル?……,ユダヤ人? ユダヤ教?…….

ちょっと前に,NYでのガザ侵攻に反対するデモが報じられた,ユダヤ教徒によるデモだったか.
ユダヤ人,とあまり軽く言ってはいけないのだろう.
それは,何を意味しているのか?

イスラムもまた,おなじように,か.

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ShortShort News


(CNNがネタニヤフ政権が反アラブ人種差別を推進していると批判)
[たぶん投稿された人がつけたタイトルか]


――今週初め,私はベス・サンダー米国国家情報副長官に,バイデン大統領がイスラエルに関してもっと違うことができると思うことがあるかと尋ねた.

私たちができることのひとつは,イスラエルがヨルダン川西岸地区でやってはいけないことを,とても,とても,しっかりと示すことだと思う.なぜなら,それこそが私たちの顔に泥を塗ることになり,2国家体制による解決を不可能にするからだ.

――サンダーの指摘は重要だ.というのも,世界中がガザに注目している中,ネタニヤフ内閣の主要メンバー,つまり彼が樹立した連立政権の主要メンバーが,ヨルダン川西岸とイスラエルの炎に火をつけているからだ.
今週月曜日のイスラエルの新聞『Haaretz』では,コラムニストのオデブ・ビシャラット氏が,ネタニヤフ内閣のメンバーのうちの2人を,ハマスの攻撃に便乗し,攻撃を利用して人種差別主義的な反アラブ政策をさらに勧めていると非難した.
サンダーが提案したように,ヨルダン川西岸から始めよう.ベザレル・スモトリッチ・イスレル財務省を見てみましょう.スモトリッチは憎悪に満ちた反アラブ偏屈者だ.彼はネタニヤフ連立政権の極右政治家であり,ヨルダン川西岸の市民問題に関して広範な権限を持っている.Haaretzの報道によれば,10月7日以来,ヨルダン川西岸一帯で170人以上のパレスチナ人がイスラエル人との衝突で死亡している.
さて,さかのぼること2005年,イスラエルがガザから撤退していたとき,スモトリッチはイスラエル治安機関シン・ベッドに逮捕された.スモトリッチはテロ攻撃計画の疑いで逮捕された.彼は,シン・ベトに3週間拘束された.彼は,主要な公道を閉鎖し,インフラに損害を与えることを計画していた疑いがあった.これはイスラエルの主要紙『Yediot Aharonot』による.
2019年,シン・ベトの前副責任者はスモトリッチを「ユダヤ人テロリスト」と呼んだ.イスラエルのチャンネル13によるものだ.
スモトリッチはそうした主張を否定している.彼は,イスラエルのガザからの追放に反対した自分の役割を誇りに思うと述べた.
『タイムズ・オブ・イスラエル』紙の報道によれば,彼は告訴されることなく釈放された.
今週の月曜日,ビシャラット氏はHaaretz紙に,スモトリッチは「国を襲った災難をヨルダン川西岸を略奪する好機と見ている」と書いている.「彼の救世主的イデオロギーを共有する入植者たちは,この地域からパレスチナ人を粛正する計画を実行に移し始めた」
武装したイスラエル人入植者,狂信者,過激派がパレスチナ人に嫌がらせをし,ヨルダン川西岸地区で大混乱を引き起こしている.
そして,国家安全保障大臣のイタマール・ゲンガビルは,「ハマスによる犯罪的な攻撃を聞いてすぐに,イスラエルの民主主義に残されたものを食い尽くすために,2021年のアラブ人とユダヤ人の暴動の続編を呼びかけた」とビシャラットは書いている.これには,テルアビブの通りをうろつくベン・ガビルに従属する武装民兵も含まれる.
思想警察は,イスラエル軍のガザ作戦に反対し,パレスチナ人の苦しみを思いやるフェイスブックへの投稿を理由に,公民教師のミール・バルヒム博士を逮捕した.
もちろん,ベン=ガビールの最初の標的は,嫌がらせを受け,起訴され,逮捕されたイスラエルのアラブ市民である.
「人間の血が流されているだけでなく,イスラエルの民主主義あるいはその残骸の地も流されている.その周りでは狂った集団が楽しげに踊っている.」
ベン=ガビルはアラブ社会に宣戦布告したが,イスラエルの主流派はこの恥ずべき光景に対して一言の批判も発していない.
昨日,ベン=ガビルは,ハマスのテロリストがいかに厳しい条件下に置かれているか自慢するビデオを投稿した.暗い独房に手錠をかけられた8人のテロリスト,鉄のベッド,床に穴のあいたトイレ,これに対してイスラエル市民のギル・ディックマンはベン・ガビル大臣にこうツイートした.
  イタマル,お願いだ.私の従姉妹は今,ハマスの手中にあります.彼の従姉妹は誘拐された.暗い地下牢,床の穴,手錠,そして屈辱についてのあなたの言葉は,彼女を本当の危険にさらします.あなたのツイートはすべて,私たち家族の心を焼くマッチです.お願いだ,イタマル.あなたの舌先三寸で生死を左右されるイスラエル人がそこにいるのです.やめてください.
しかし,そんなことを考えるのは,ベン・ガビルのやり方ではないようだ.彼は,ネタニヤフ首相が連立を組むために参加した極右政党の公然たる人種差別主義者であり,反アラブ主義者である.ベン・ガビルの下劣な見解は,驚くようなものではない.2020年まで,ベン・ガビルの自宅にはバルーク・ゴールドスタインの肖像画があった.バルーク・ゴールドスタインは,1994年の「祖先の洞窟」虐殺事件でパレスチナ人礼拝者29人を殺害したユダヤ人テロリストである.2015年,ベン=ガビルはヨルダン川西岸で悪名高い「憎しみの結婚式」に参加した.この憎しみの「結婚式」では,パレスチナ人の殺害が祝われ,その中にはパレスチナ人の幼児の殺害も含まれていた.
病んでいる.
さて,1月,100年前のように思えるが,ほんの10ヵ月前のことだ.私はネタニヤフ首相に,政権内の2人の反アラブ人種差別主義者,つまり過激派について尋ねた.


――あなたは,超国家主義者であるベッツァエル・スモトリッチとイタマール・ベンガビルを含む,あなたの党に属さない物議を醸す人物を任命しました.

(ネタニヤフ)私は,彼らに加わっていない.そして,私は政策を指揮している.私が統治している.彼らはリクードに加わった.私は両手でハンドルを握っている.そして,私を信じて,それは良い方向に向かっている.

――スモトリッチは自らを「ファシスト・ホモフォビア」と呼んだ.彼は近親相姦のような同性婚を示唆した.シン・ベトの元副局長は,彼はユダヤ人テロリストで,ガザ撤退時にイベントを仕掛けようとしたと言った.
そして先日は,シン・ベッドとラビン暗殺に関する恐ろしい陰謀説を流していると言った.あなたも見たことがあるはずだ.かなり極端な人物であるようですが.

(ネタニヤフ)ええ,まぁ,多く人は権力を持っていないときには,いろいろなことを言うものですが,権力を握るとある種の節制をするものです.ここでもそうだ.
私が政府をコントロールし,その政策に責任を持ち,その政策は賢明であり,責任感があり,それを続けている.

――彼らは政権についてからも,節制しなかった.そうしなかった.
ネタニヤフ首相がハンドルを握っているとして,ネタニヤフ首相に問われるのは,この2人の閣僚の過激主義を支持するのかということだ.
なぜならスモトリッチとベンガヒルがイスレル政府に存在するだけでなく,彼らがヨルダン川西岸とイスラエルで実施している政策こそが,イスラエルの存立に関わるこの重要な時期にイスラエルが西側諸国に描いているイメージとあきらかに矛盾しており,異議を唱える必要があるからだ.


次は,ハマスのテロリストによって誘拐され,囚われの身となり人質となっているアメリカ人男性の両親と話す予定だ.




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[表紙]カストロ 杉本博司  【図書】2023年11月



たしかにゲバラに較べると,カストロはちょっと人気がなかったかもしれないな、と思い出す.
おまえさんはどうだったんだ、と自問すると,とくにどちらが……とは思わなかったか.

アメリカのキューバに対する外交上の措置については,
なんの問題もなかっただろうか? たぶんそんなことはない.
キューバ危機は,アメリカの外交が必然的に呼び込んだところがあったんじゃないか.

黒木和雄さんの「キューバの恋人」を見た記憶があるけれど,
中身はほとんど覚えていない.
それでもアメリカの圧力下のキューバへの、多少の関心があったんだと思う.
仮に,列島の国が、アメリカの属国の道を歩まなかったら……とか.
当時,そう見ていたかどうか.

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【図書】2923年11月

[表紙]カストロ
杉本博司

 カストロは革命家だ。革命家とは理想を掲げ、人々を抑圧する悪しき政権を倒し、理想実現する人を指す。しかし殆どの場合、革命が実現してみると、その革命家は権力者となり独裁者となりおおせてしまう。そして再び人々を抑圧し始めることになるのは歴史の皮肉だ。
 カストロは裕福なスペイン移民の子としてキューバに生まれ、次第に革命を目指すようになる。アメリカの傀儡政権であるバティスタ独裁政権はさとうきび栽培を経済の根幹とし、過酷な労働を人々に強いていた。一九五三年に初めて蜂起、モンカダ襲撃に失敗した後の獄中書簡が残されている。
 「われわれが依拠するのは、毎日のパンを誠実に稼ぎたいと思っている七〇万人の失業者、みすぼらしい小屋に住み、一年のうち四ヶ月働き、子供たちと貧しさをともにしながら、残りの日を飢え、一インチの耕す土地も持たない農業労働者である」(宮本信生『カストロ』、中公新書より)
 さとうきび栽培では一年に四ヶ月しか季節労働者としての働き口がなかったのだ。一九五六年、亡命先のメキシコから、八二名の同志とともにグランマ号にのってキューバ上陸を果たすが、激しい戦闘で一八人が生き残り、マエストラ山脈にこもりゲリラ戦を展開することになる。この時の生き残りにチェ・ゲバラがいた。カストロの運動に民衆は集まり、ついに一九五八年、数においては圧倒的なバティスタ軍に勝利する。独裁政治を倒して、社会正義を実現しようとしたカストロの初期の動機は、社会主義国家建設を目指し今に至る。カストロの人気が死後もある程度維持されているのは、独裁者でありながら清貧に生きたからだ。宮殿も建てず普通の生活をし、銅像も建てず自身の英雄化を拒んだ。徹底した医療や教育の平等も実現している。しかし盟友ゲバラはソ連追随を潔しとせず去り、一革命家としてボリビアのアンデス山中で最期を遂げた。革命家は革命の渦中で死ぬのが本望なのだ。ゲバラの人気は今も高い。
(すぎもとひろし・現代美術作家)


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片山善博の「日本を診る」(169) 機関委任事務の亡霊が幅をきかす自治の現場 【世界】2023年12月

2024年04月07日(日)

ちょっと気になる投稿が「X」似合ったな,なんだったか,
たぶん能登.
ボランティアを前にまるで訓示を垂れるかのような石川県知事の写真だったか.
とっても滑稽な絵に見えた.
この知事は,地震が発生したときに東京にいたのだということだった.

そういえば,「地方の時代」とか言っていたな,と思い出す.
革新自治体か,古いことば,もうお蔵入りしているか.
それでもいくばくかこの国の「統治」システムに影響を与えていたようには思う.
それがいま,どうなっているだろうか.

3.11のとき,県と市町村,
そして,国(各省庁)との関係はどうだったか.
メディアはあまり報じなかったけれど.


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【世界】2023年12月

片山善博の「日本を診る」 169

機関委任事務の亡霊が幅をきかす自治の現場


 先月号で沖縄県辺野古の埋立問題を取り上げた。その中で、二〇一三年に当時の仲井眞弘多(なかいまひろかず)沖縄県知事が防衛省に対して埋立ての承認を出すにあたり、県議会の同意を求める手続きを踏んでいれば、今日のような泥沼の混乱は避けられたのではないかと指摘した。
 公有水面埋立法の規定では、知事は議会の同意がなくても承認を出せる。しかし、県議会において、知事が公有水面埋立法による承認を出すには県議会の同意を得なければならないとする条例を制定していれば、知事は独断では決められない。
 埋立承認の同意を求める議案を知事が県議会に提出したとして、必ずしもそれが可決されるとは限らない。審議の結果、同意が得られないかもしれない。それはそれで県民の代表である県議会の意思ということになる。
 一方、県議会が埋立承認に同意を与えていたとすれば、その決定は重要な意味を持つ。知事が他の人に替わり、新しい知事が前任者の決定を覆そうと試みたとしても、通常は議員の多くが替わっていないから、以前の結論を容易に変えることはない。県の意思決定に安定性が伴うことで、今日の泥沼化は避けられたはずである。こんな考えのもとに、公有水面埋立法の承認に限らず、地域の重要な事柄については首長が一人で決めるのではなく、多数の議員で構成される議会に最終決定権を移すのが賢明であると述べた。具体的には地方自治法九六条二項に基づき、必要な範囲内で法定受託事務に関する首長の権限を議会の議決事項とする条例を制定すればよい。

■自治体の現場では法律より「通知」優先

 先日、自治体関係者に話をした折のこと、この小論を読
〈158〉
んだ自治体職員から次のような反論が寄せられた。「先生は公有水面埋立法に関する知事の承認事務を議会の議決事項にすればいいと言われるが、総務省通知で議会の議決事項にできないとされているのでないか」という。
 ここでいう総務省通知とは、「地方自治法第九六条第二項に基づき法定受託事務を議決事件とする場合の考え方について(通知)」(平成二四年五月一日)のことである。この通知は、いわゆる法定受託事務を議会の議決事項にすることができるとする地方自治法とその施行令の関係条項について、総務省がその解釈を示したものである。なお、ここでいう法定受託事務とは、自治体が処理する事務のうち、国の事務とされるものを国から委託されて自治体が処理することとされている事務のことである。
 総務省の解釈によると、地方自治法九六条二項は、一部の事務を除く法定受託事務について議会の議決事項にできるとしているが、だからと言って何でもかんでもその対象となるわけではなく、自ずと制限があるという。通知には違和感のない内容も含まれている。例えば、法定受託事務に関する法令の中に「長は情報を公表しなければならない」など、その処理にあたって長が機械的に処理を義務づけられている事務について、あらためて議会の議決対象とすることは想定されていないとする総務省の見解に異存はない。また、首長に事務の執行を委ね、議会に対しては事後に報告することを法令が定めている事務は対象から除かれるとしているのも頷ける。
 このように通知には素直に受け入れることができる記述がある一方、決して受け入れられない内容も含まれている。例えば、法定受託事務遂行上の許認可等の処分についての解釈である。通知が、法定受託事務の根拠となる法令中に「議会の議決に付す」との特段の定めのない事務は、九六条二項の対象から除外されるとしている(そこに公有水面埋立法の承認も列挙されている)のはその代表である。
 そもそも法定受託事務の根拠法に「議会の議決に付す」とあれば、自治法九六条二項の出る幕はない。自治法九六条二項の意義は、法定受託事務に関する根拠法に「議会の議決に付すとの特段の定めのない事務」をも幅広く議決対象に加えられるところにあるのだから、通知のこの部分は九六条二項をほぼ全面的に骨抜きにするものといえる。

■機関委任事務の亡霊を退治するには

 通知のこの考えは、二〇〇〇年に本格実施された地方分権改革の根幹をも否定するものである。この改革以前には国と自治体との関係で機関委任事務という概念があった。国の事務を知事や市町村長(場合によっては教育委員会などの行政委員会)に委任して処理させる仕組みで、知事や市町村長をいわば国の出先機関と位置づけていた。
 知事や市町村長は住民から直接選ばれているにもかかわらず、機関委任事務の処理にあたっては各省大臣の部下の如く扱われる。部下は上司の指示に従うものだから、そこには議会の関与する余地はないとして斥(しりぞ)けられていた。
 地方分権改革の中で、前時代的な機関委任事務制度を廃止し、それに替わって設けられたのが法定受託事務の制度である。ここでは国の安全に関わるような一部の事務(例えば「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」に基づいて自治体が処理する事務など)を除いて、国の事務であっても自治体が処理する事務については議会の関与が及ぶ仕組みに変えられた。にもかかわらず、この通知を見る限り、総務省の頭の中はいまだに地方分権改革以前の状態にとどまっているようである。
 もっとも、この通知を含めて、国が法令の解釈などを自治体に示す文書は単なる助言にすぎない。このことも地方分権改革において条文化されたものであり、現にこの通知でも、これは「技術的な助言である」と添えられている。助言なのだから、通知を受け取った側が「なるほど」と思えばその解釈を受け入れればいいし、それが間違っていると思えば無視するだけのことである。
 以上のことをかいつまんで先の自治体職員に説明したところ、「それはそうかもしれないが、日々職場で仕事を進める上ではこうした通知が絶対ですから」という。国の通知の内容に疑問を抱くことはあっても、それを押し返すだけの自信がない。仮にあったとしても上司はそれを容認しないともいう。
 このやり取りの数日後、ある市長と面談した際、国の通知の内容がおかしいと思った時、それとは異なる取り扱いをすることがあるかどうか尋ねてみた。すると、「それはしていない。それにはとてつもない勇気と覚悟を要する」とのことだった。それ以前の問題として、日々大量の通知が各省から来るので、その内容の是非を一つ一つ確かめる余裕などない、とも訴えていた。
 うすうすと感じていたことではあるが、自治体の現場の職員と首長から、地方分権改革の成果が蔑(ないがし)ろにされている実態をかくもきっぱり聞かされ、しばし言葉を失った。しかし、この現状を追認することは到底できない。
 そこで市長には法曹の力を借りるよう、それこそ助言しておいた。弁護士を職員として採用し、国からの主だった通知を点検することから始める。もしそこに自治権をおかす内容があれば、市長会などを通じて国に異論や反論を伝えるべきである、と。筆者の体験にかんがみ、それが自治体の長の責務の一つだと考えるとも付け加えておいた。

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寺島実郎 脳力のレッスン(258) 二一世紀末・未来圏の日本再生への構想(その1) 【世界】2023年12月

2024年04月07日(日)

コロナ騒ぎでちょっと間のあいた同期会とか,
三分の一ほどが集まったのだという.盛会というべきか.
そんなこともあって,ちょっとむかしのことが思い出される.

中学を出て,高専に進んだ友人がいた.その彼が,反戦活動にかかわっていると知ったのはいつだっただろうか.
高校に進んでしばらくして,中学校の担任を訪ねたことがあった.彼と一緒だった.
その後,大学,どうしよう……なんて中途半端なことを考えていたころ,彼と手紙のやりとりがあったように思う.彼は,なお引きつづき活動を続ける意志を表明していた,そんな手紙だったと思う.

もう半世紀がたつ.
どうしているだろうか.

学生運動は,プチブル急進主義だとか,
本筋は労働運動だとか,
そうかな,と思った.

1960年代をつうじて大学進学率は,上昇していった.
それでも20%をようやく越えただろうか.

そのころ,日本は高齢化社会になっていた.65歳以上の人口が全人口の7%を超えた.
遠からず高齢社会になるだろうと予測されていた.

オイルショックがあった.
のちに当時のサウジアラビアの石油相だったヤマニさんはは,
遠からず石油は他のエネルギー源に取って代わられるだろう,
と語る.
石油が枯渇するからではない,とも.石炭がそうであったように.

うちの本棚にあるはずの文庫本のシリーズが見あたらないのだけれど,
現代の博物誌 7巻 教養文庫・社会思想社
を,就職してからか,ぶらぶらしていたころか,まとめて読んでいた.
そこでの分析は妥当だったろうか,あるいは見通しはどうなったろうか.

そういえば,よく「世代」ということばを,さいきん耳にする.
むかしなら「全共闘世代」か? 
そして,世代論に与する必要はない,というか,ナンセンスだと思っていたか.
それでも,さいきんまたぞろ世代ということばを聞く.
そして,年寄りと餓鬼どもとのあいだに争いがあるかのような.
なかには年寄りの集団自殺をすすめるかのような「天才」が話題になる.
年寄りとは誰のことだろうか?
若者とは誰のことだろうか?
フットむかしのことを思い出す.
繰り返す歴史物語でないことを祈ろう.

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【世界】2023年12月

脳力のレッスン(258)
二一世紀末・未来圏の日本再生への構想(その1)
――前提となる内外の潮流への基本認識

寺島実郎


 積み上げてきた議論を集約し、二一世紀日本の構想を提起したい。それは、二〇世紀の世界システムと日本の在り方を再考察し、それとの対照において二一世紀システムの本質を見抜き、二一世紀のこれからの未来圏たる七七年を構想することである。
 明治維新を迎えた頃、日本のGDPの世界に占める比重は三%程度だったと推定される。その七七年後、一九四五年の敗戦という形で明治期の挫折を迎えた直後(一九五〇年)の日本のGDPの世界比重はやはり三%であった。敗戦を「物量の敗北」と受け止めた日本人は、専ら経済における復興と成長を目指し、産業力で外貨を稼ぐ工業生産力モデルの優等生となり、一九九四年には世界GDPの一八%を占める経済国家を実現し、相対的経済力のピークを迎えた。そして「戦後期」の七七年を経た今、皮肉にも今年の日本のGDPの世界比重は三%台に落ち込もうとしている。不思議なことに、再び世界比重三%程度で歴史の節目を迎えたのである。GDPはマクロの経済指標にすぎないが、創出付加価値の総和であり、通貨円の国際的信認の下落とともに日本経済が埋没していることは否定できない。何故、こうした事態を迎えたのか、深い洞察と健全な危機感こそ再生の起点である。まず、日本の未来構想の前提・基盤とすべき「外なる世界潮流と内なる日本の社会構造」に関する認識をしっかりと再確認しておきたい。

■外なる世界秩序の流動化
――「全員参加型秩序」における日本の役割

 二一世紀の未来圏を生きる我々にとって基盤となる世界認識を確認しておきたい。「二一世紀システムの輪郭」を探る議論を重ねてきたが、二〇世紀の世界秩序において重きをなしてきた「三つの帝国」たる米国、中国、ロシアが、二一世紀において、それぞれが自国利害中心主義に傾斜し、世界を
〈126〉
束ねる大国としての正当性(LEGITIMACY)を失いつつあることを注視したい。
 メディアは「権威主義陣営対民主主義陣営」という二極対立の時代として描きがちだが、現実の世界を見渡せば、極を形成する求心力は消失しつつあり、「世界を極構造に分断してはならない」という意識が世界の底流となりつつある。世界秩序は急速に流動化している。権威主義陣営とされるプーチンや習近平の専制体制も、実は急速に揺らぎつつある。孤立と制裁の中で、ロシア経済が長期衰退に向かい、大ロシア主義も周辺国を束ねる力を失っている。習近平の中国も「戦狼外交」によってむしろ敵対者を増やし、「一帯一路」を重苦しいものにしてしまい、改革開放路線を放棄した経済の低迷が政治不安を誘発する局面に入っている。「中露蜜月」を演じているが、閉塞感の中での寄り添いであり、中国優位の中露関係への傾斜は、仮そめの連携に過ぎない。
 欧州もロシアの衰退とブレグジット後の英国の「グローバル・ブリテン」(TPP加盟、アジア回帰)の成否を見つめ、「欧州のかたち」(EU加盟国の結束)も流動化していくであろう。米国は「分断」を深め、議会の混乱が示すごとく、世界秩序をリードする力を失っていくであろう。それは、建国以来の米国史の主役だった白人プロテスタントの焦燥を増幅し、分断の影を一段と色濃くさせると思われる。
 注目すべきは、グローバル・サウスの動向である。象徴的なのが、BRICSの拡大だ。本年八月二四日、BRICSに新たに六か国が参加することが発表された。サウジアラビア、UAE、イラン、エジプト、エチオピア、アルゼンチンである。そもそもBRICSは、投資銀行ゴールドマン・サックスの「語呂合わせ」から始まった。冷戦後の有望な新興国という意味で、ブラジル、ロシア、インド、中国の四か国の頭文字を並べ、その後、最後のSが複数のSではなく、サウス・アフリヵのSとなり、さらに六か国が加わるというのである。これにより、拡大BRICSはGDPの規模で世界の二九・二%、人口で四五・六%を占める(二〇二二年現在)規模となる。ただBRICSはあくまで多国間協議機関であり、参加各国にそれぞれの思惑があり、中核となるリーダーも不在で、その役割を過大視することはできないが、拡大BRICSの共通意思は「脱米」であり、世界の一極支配や分断の拒否と認識すべきである。とくに基軸通貨としての米ドル体制に対して、BRICS共通通貨を模索する動きもあるが、実現のハードルは高い。ただ、BRICS間の決済システムが実現され、ドル基軸の相対化が進む可能性はある。
 グローバル・サウスの主役とはいえないが、インドの不思議な存在感の高まりが世界の「流動化」の象徴であろう。インドは、中国主導の上海協力機構にも入り、米国主導の中国封じ込めのクアッド(米、豪、日、印四か国の連携)にも参加、BRICSでも牽引役を演じる。インドのモディ政権の外務大臣S・ジャイシャンヵルの『インド外交の流儀――先行き不透明な世界に向けた戦略』(原題THE INDIA WAY:Strategies for an Uncertain World、邦訳・白水社、二〇二二年)は、「マンダラ外交」とよばれる「非同盟を基軸に、敵対国、中間国、中立国との関係を多次元に組み合わせ、インドの国際社会における影響力を最大化する外交戦略」の真髄を語る。傍観者ではなく、形成者、決定者として世界秩序に関与する意思を受け止めるべきであろう。
 グローバル・サウスの存在感が高まるということだけではない。本年一〇月のIMF・世銀総会で、途上国の債務が九兆ドルを超し(二一年末)、既に一〇か国が債務超過に陥り、二六か国が債務超過のリスクに直面しているという報告がなされたが、こうした課題を解決するルール形成や制度設計に関して根底から新たな「構想」が求められている。
 世界全体の実体経済の規模(実質GDPの総和)は、二〇〇〇年の三四兆ドルから二〇二二年には一〇〇兆ドルへ、二一世紀の二二年間で約三倍に増大した。世界総体としては、生産量で見る限り豊かになっているのである。但し、格差と貧困は一段と深刻になっており、不条理を正視して「公正な分配」「地球全体の共生」を図る制度設計への構想力が問われるのである。
 こうした世界の状況変化が日本に突きつける課題は、日本人の世界認識が二〇世紀システムの残影たる「極構造」に固定化していることである。基本的に、米国主導の二〇世紀システムの受容者として生きてきたためである。日本の二〇世紀を改めて約言するならば、初頭は日英同盟(一九〇二~二三年)を軸に日露戦争から第一次大戦期を「戦勝国」として生き、第一次大戦後は米国が主導する世界秩序の再編(ウィルソンの国際連盟からベルサイユ・ワシントン体制へ)に新手の植民地帝国として反発して戦争に突入、敗戦後は米国主導の世界秩序(ルーズベルトの国際連合、IMF・世界銀行体制)に参画し、米国との「同盟外交」を基軸とする軽武装経済国家として「戦後復興と高度成長」を実現してきた。
 さらに、冷戦終焉後の一九九〇年代以降は、国境を越えたヒト、モノ、カネ、情報の自由な移動を促す「グローバル化」が主潮となり、日本はこれを与件として生きてきた。この時代のグローバル化の本質は「新自由主義」に立つ米国流の金融資本主義の世界化の流れともいえるが、その潮流の中で日本が主体的国家構想を見失い、「埋没」を加速させたことは前稿で論じてきた。
 経済の埋没と政治の埋没は相関している。例えば、国連における日本の立場である。国連に加盟後六七年が経過、日本は「常任理事国」入りを目指して「国連改革」を主張し続けているが、日本の国連分担金の比重は二〇〇〇年の二一%から二〇二二年の八%へと落ち込んでいる。基本的に経済規模が投影されるからであり、この間、中国の分担金比重は一%
〈128〉
から一五%に増えた。国連は株式会社ではなく、分担金が発言力に直接リンクしているわけではないが、暗黙の了解として、国連活動を取り巻く「空気」に微妙に影響していることを感じる。カネを拠出すること以外に、国連をリードする創造的政策力でもない限り、存在感は後退するのである。
 極構造に収斂(しゅうれん)しきれなくなった世界とどう向き合うのか。冷静に再考するならば、こうした状況こそ本当の意味での「グローバル化」の始まりというべきであろう。参加者全員が多次元での自己主張をする中で、新たな秩序形成が求められる局面である。より公正な分配と多様な参画が求められる時代であり、日米同盟の強化だけで日本の未来が拓かれる時代ではない。多様な参画者を納得させる筋道の通った理念と構想が求められるのである。とりわけ、日本の埋没が「アジア・ダイナミズム」の突き上げで進行していることを直視するならば、アジアを正視し、次なる世界秩序を巡る創造的議論をすることが日本の未来を決めると思われる。

■日本の内なる社会構造の変化
――「異次元の高齢化」の先行モデルとして

 埋没と閉塞感漂う日本であるが、日本の変革と再生をもたらす潜在要素があるとすれば、それは人口構造の成熟化、とりわけ異次元の高齢化であろう。日本政府は「異次元の少子化」を重要課題としているが、異次元の少子化は、異次元の高齢化との相関において論じられるべきで、この議論が日本の未来構想において不可欠である。日本の人口が一億人を超えたのは一九六六年であり、二〇〇八年に一・二八億人でピークを迎え、二〇二三年現在一・二四億人と既に四〇〇万人近く人口が減少した。二○五〇年前後には一億人を割ると予想される。「一億人に戻る」と考えがちだが、内部構造が違う。一九六六年の一億人のうち、六五歳以上は六六〇万人(六・六%)にすぎなかったが、二〇五〇年では三九〇〇万人(約三七%)が六五歳以上になると予想されるのである。
 既に、日本の六五歳以上人口比重は二九・一%(二〇二二年)と、米国一七・六%、英国一九・五%、ドイツ二二・七%、フランス二二・○%と比べても異次元の高齢化社会となっており、英国のジャーナリストであるヘイミシュ・マクレイも、日本について「地球上で最も高齢化した社会」であり「高齢化社会のフロンティア」と論じている(『二○五○年の世界――見えない未来の考え方』、原著二〇二二年、邦訳・日本経済新聞出版、二〇二三年)また、中国、インド、韓国なども今後急速に高齢化が進むと予想されており、日本が異次元の高齢化にいかに立ち向かうかは、世界の先行モデルとなるのである。
 日本の人口の四割が高齢者となる時代が迫っているということは、選挙での有権者人口の五割が高齢者になることを意味する。さらに、高齢者の投票率は高く、若者の投票率は低い(二○歳代は六〇歳代の約半分)という傾向が続けば、有効投票の六割は高齢者が占めることになる。この構造を「老人の老人による老人のための政治」にしないための構想が求められるのである。
 まず認識すべきは、日本の高齢化は単なる人口構造の高齢化ではなく、戦後日本の産業構造変化を背景に台頭した「都市新中間層」の高齢化という特質を有することである。工業生産力モデルを突き進んだ戦後日本は、産業と人口を大都市圏に集中させ、大量の都市新中間層(企業に帰属したサラリーマン層)を生み出した。日本が直面しているのはこの層の高齢化であり、農耕社会の高齢化ではない。
 日本の高齢者の多くが都市新中間層ということは、定年退職後に帰属組織を失うと個々人がバラバラであり、結節点を持たない存在になることを意味する。多くはかつて帰属していた組織にアイデンティティーを持ち続ける組織人間である。もし仮に、四○○○万人に迫る高齢者の四分の一でも組織化できればその政治的・社会的影響ははかり知れない。高齢者エゴに傾斜して、「年金、保険、医療、雇用」などで自分に都合の良い方向に社会的意思決定を引き寄せるのか、あるいは年長者としての知見と責任を自覚して次世代のためにあるべき社会を残す基盤となるのかが問われるのである。バラバラとなった個は、体系的情報の入手が難しく、目先の利害に左右される行動選択をしがちとなる。
 米国には「ワシントン最大の圧力団体」といわれるAARP(全米退職者協会)が存在する。一九五八年に設立され、ホワイトハウスから数ブロックの所に本部ビルを有し、五〇歳以上の会員三六〇〇万人を有する。これだけの組織力が社会政策に大きな影響を与えている。何故、これだけの数を組織化できているのか、足を運んで議論したことがあるが、二つ日本と事情が違うことに気付かされた。一つは宗教であり、特定の宗教・宗派というわけではないが、日曜日に教会に行く人達の日常を結節点としていることを感じる。もう一つは社会保障制度の違いであり、六〇〇〇万人ともいわれる健康保険にさえ入れない米国の現実を背景に、AARPの会員証があれば、薬局で薬が割引されるなどの特典が付与されるために、年会費(平均五〇ドル前後)を払っても会員になる人が多いということだと思われる。
 日本にも「退職者連合」などの高齢者組織があり、労働組合運動のOBを中心に約七〇万人(公称)組織化しているといわれるが、日本において高齢者を大きく組織化することは容易ではない。結節点を見つけ出しにくいからである。だからこそ、ジェロントロジー(高齢化社会工学)という視界が必要なのである。私は、『シルバー・デモクラシー』(岩波新書、二〇一七年)、『ジェロントロジー宣言』(NHK出版、二○一八年)と高齢者の社会参画を模索し、高齢化社会についての社会的通念の転換の必要を主張してきた。
 一般に、高齢化は医療費、年金などの負担増という意味で、
〈130〉
社会的コストの増大と捉えられ、「衰退の兆候」とされがちであるが、それは正しくない。むしろ、高齢者を社会的課題の解決を支えるポテンシャルと考え、参画と活用を考えるべきなのである。そのために必要な視座が、ジェロントロジー(GERONTOLOGY)、すなわち「高齢化社会工学」であり、高齢者を社会参画させ、生かし切る社会システムの制度設計が求められるのである。二〇二二年現在、六五歳以上の就業者数は九一二万人とされるが、就業だけでなく、子育て、教育、文化活動、NPOなど、社会を支える活動への高齢者の参画が、社会の安定、民主主義の成熟にとって重要な意味を持つのである。「人手不足」も、意欲のある高齢者の活用によって補われる面もある。
 だが、現実に高齢者の責任ある社会参画を実現することは容易ではない。新中間層高齢者の社会心理は複雑で、労働者だったという「階級意識」は希薄で、約八割以上が「自分は中間層」という階層意識を共有している。帰属してきた組織から恩恵(給与、保険、年金)を受けたと思う一方で、「貢献の割には満たされなかった」という不満を潜在させている。定年退職後、一定の蓄財もあり、「生活保守主義」というべき安定志向の心理を有しながら、一方で、戦後民主主義の洗礼を受け、学生運動や労働組合運動を通じて「市民主義」と「社会主義」に共鳴した想いを潜在させてもいる。
 戦後日本において、先頭を切って都市新中間層となった世代たる「団塊の世代」(一九四五~五〇年生まれ)も既に七五歳を超え後期高齢者となった。一九五八年生まれの世代が高齢者になったわけで、戦後の右肩上がり時代に青年期を送った世代が高齢化しているということである。これらの層は、「民主教育」を通じて「滅私奉公」を嫌い、個人の価値を重視することを身に着けてきた。「他人に干渉したくもされたくもない」という私生活主義を生きてきた人達であり、社会人としては自己主張の強い人達である。「イマ、ココ、ワタシ」を優先する傾向が強く、主体的に社会的課題などに目を向けることは期待できない。
 それでも、日本の進路にとって高齢者層の役割、責任ある政治参画と社会参画がどうなるかが重要である。社会変革の構想にはそれを担う主体をどう想定するかが不可欠で、かつて一九六〇年代末の学生の反乱期には、マルクスが想定した「労働者階級」ではなく、社会的拘束から比較的自由な学生が変革の主体となると主張する議論もあった。私はこれからの日本の変革主体になりうるポテンシャルは、結節点なく個に生きる高齢者にあると思う。戦後日本の行き詰まりが明らかになっていることへの危機感をバネに「一〇〇歳人生」を安易に生きてはいられないという表情に変わりつつある。それが戦後期を生きてきた者が次世代に残すための役割だということに気付く臨界点が近づきつつある。

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独首相「反ユダヤと戦う」 ナチスによる迫害「水晶の夜」85年

2024年04月21日(日)

ドイツの首相は,現在,社民党の党首だったか.
前任者の方がよほどリベラルにも見えそうな,
まぁ,こちらの不勉強がありそうなので,そう見えるだけかもしれないが.
でも,彼女は,東ドイツの出身だったな,と思い返す.

それで,反ユダヤと戦う,という.
シオニズムをについて,どう考えるか,
これもこちらの不勉強だけれど,
たとえばアーレントは,シオニズムから距離を取っていったのではなかったか.

そういえば,ピューリタンの中でもとりわけピュアな人たちがアメリカ大陸に渡ったとか読んだことがあったなと思い出す.
なんの,どこがピュアなんだったか……,
で,ピュアであることって,なに?

アメリカにおける「福音派」が強固はイスラエル支持だとか.
ただ,福音派?……とちょっと不勉強が心配になる.

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独首相「反ユダヤと戦う」 ナチスによる迫害「水晶の夜」85年
2023年11月10日 16時30分

「水晶の夜」から85年となる9日、ベルリンでの式典であいさつをするドイツのショルツ首相。代表撮影=AP

 ナチス・ドイツによるユダヤ人の本格的な迫害の転機になったとされる事件「水晶の夜」から85年になる9日、ドイツ各地で追悼式典が開かれた。イスラエルとイスラム組織ハマスの軍事衝突を受け、ドイツでは反ユダヤ主義の増加が懸念されている。ベルリンのシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)での式典に参加したショルツ首相は「あらゆる形の反ユダヤ主義と戦う」と述べ、取り締まりを強めていく姿勢を示した。

 1938年11月9日から10日にかけ、ナチスの扇動で全国のユダヤ人の商店やシナゴーグが焼き打ちにされ、多くのユダヤ人が殺害された。破壊された家々のガラスの破片が月明かりに輝いたことから「水晶の夜」と呼ばれた。その後、最終的に約600万人が犠牲になったとされる、ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)へと反ユダヤ主義が加速していった。

 ショルツ氏は「ユダヤ人は何世紀にもわたって疎外されてきた。(ホロコーストで)文明が侵害された後、(戦後の)民主的なドイツにおいてでさえ繰り返されてきている」と指摘。10月7日にハマスがイスラエルを攻撃して以降、国内での反ユダヤ主義の動きに「憤慨し、深く恥じている」と述べた。

 さらにこのシナゴーグ前の路上にも火炎瓶が投げ入れられたことなどに触れて、「何かがおかしくなってしまった」とも言及。反ユダヤ主義を許さないとして、反ユダヤ主義を扇動するなどの行為を厳しく取り締まっていく考えを強調した。

 独公共放送ARDの報道によると、10月7日以降、連邦刑事庁が反ユダヤ主義の犯罪とみなす器物損壊事案が少なくとも80件起きているという。(ベルリン=寺西和男)
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(声)デモクラシー支えるデモの意義

2024年04月07日(日)


議員て,なにする人……,
なり手がいない? いや,大都市と小さな地方自治体の違い?
で,
議員は,誰が、なんのために選ぶのだったか?

そこにじっさいに住んで生活を営めば,改めていろいろと見えてくる問題もあるのだろうけれど,
北欧諸国など,あるいはヨーロッパの小さな国は,じっさいかなり小さい国,人口の規模だけれど,そうした国の政治にかかわる体制,組織や,意思決定の仕組みなど,大きな国とは異なるものがあるのかもしれないと思うことがあるけれど,
他方で,大きな国々が,そうした小さな国からくみ取るべきアイデアとか,工夫とか,なにかあるのではないか,とも思う.

どうなんだろう.

いつごろからだろうか,若い人の,政治的発言に対する,さらには政治活動への,とても消極的な傾向が見られるようになったのは.
いや,それよりも年寄りたちが,若い人たちの政治的な言動に敏感に,活否定的に反応するようになったのは,いつごろからだろうか.

いや,そんなことはない?
若い人も,年寄りも?

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(声)デモクラシー支えるデモの意義
【朝日】2023年10月06日

 バスに乗車中、窓外をデモ行進が通っていった。隣に10代の子どもと家族らしき方が座っていたのだが、その子がデモを見てポツリと「あ、面倒くさいことやってる」。その家族もうなずいていた。渋滞の一因となりうる行進に、私にも同意する部分がないとは言えなかったが、拭い去れない強烈な違和感が残った。しかしその違和感が正当なものだという明確な根拠を見つけられず、もやもやした状態が続いていた。

 9月30日の「折々のことば」でそれが見つかった。「デモクラシーは、議会ではなく、議会の外の政治活動、たとえば、デモのようなかたちでのみ実現される」。柄谷行人氏の言葉が紹介されていた。柄谷氏によれば、代議制をとる共和制も、労働組合や大学などの中間勢力が抑え込まれれば専制に移行する。阻止するには寄り合いの見える活動が不可欠という。

 デモなどの人々の具体的な行動があってこそ、政治は専制に陥らずに済む。内外を見回して、今こそ「寄り合いの見える活動」の重要性を再認識しなければならないと思った。
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