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田中克彦 言語からみた民族と国家 あとがき

2024年03月02日(土)

本棚の奥から,田中克彦さんの本がでてきた.
ちゃんと読んだかな,自信はないけれど.

モンゴル語……,
そういえば司馬遼太郎さんも,モンゴル語の専攻ではなかったか.
ユーラシアを横断する大帝国だったんだな,と思い返す.

ようやく職を得て,働きはじめた頃の出版,
二度のオイルショックを経て,たぶん大きく経済のトレンドが変わっていくころだったんだな,
と思い返す.


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言語からみた民族と国家
田中克彦

岩波現代選書

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〈337〉

  あとがき


 ことばは人類に恵まれた、つきることのないちからであるとともに、その根源には、人々に越えがたい不平等と差別を刻みつけるはたらきをやどしている。それは、ことばというものが、一方において、自然や論理の法則にも似たしくみにもとづく合理的な組織体でありながら、他方では特定のことばだけをよしとして、それに批判を許さず、一方的な服従を強いるおきてにさせられるからである。そこで、むかしも今も、大多数の人々が思ってきたように、ことばが単におきてであるとすれば、そこには、「なぜ」という問いを発する余地はないし、また、なぜの問いが無意味なところに科学が生まれる必要はなかったのである。必要なのは規則であり、規則の理想は決して変ることのない文法であればよかった。
 通常のことがらだと、規則にはその規則の理由を説明できる背景があるが、ことばにはそれがない。つまり、ことばの規則は、ことばそのものの外にある何かに動機づけられていないから、ことばの規則には理由がないのである。理由のない規則は決して批判を許してはならず、そのような規則は超越
〈338〉
的な権威なくしては維持することができない。超越的な権威にささえられた、対象との関係で理由づけを持たない規則を、いま規範と呼ぶならば、ことばにはひたすら規範を求めるのが、ことばの学問、ことばのものしり学だと思われてきた。
 ところが、近代は地上のすみずみからさまざまな言語や方言の知識をもたらしたため、言語すなわち規範とは多様であり、かぎりなく変化する、相対的なものだということが知られた。また近代民族、近代国家の形成によって、既存の規範は新しい規範によって追放され、非規範が規範の座にとって代った。はじめて読み書きという習慣に参加しはじめた民衆――すなわち我々――は規範の最大の攪乱者であったのだ。近代言語学は、まさにこのような社会史的背景がなければ生まれるはずがなかったのである。つまり、言語学を科学にしたのは、不変の規則ではなく、言語が生きていて、とても規則などではおさえられないという、その度しがたい民衆的な性質の方である。規則は科学を必要としないし、むしろそれを拒む。
 「生きた言語」が「ミイラの文学語」を押しのけて、言語研究の首座についた一九世紀の雰囲気は、 たとえば次に掲げるフリートリヒ・ミュラー*の文章がよく伝えている。

  今や言語研究者のあいだには、次のような一般的な考え方で一致がある。つまり言語〔の本質〕と
〈339〉
いうものは、ちから萎えた文学語(いわんや辞書だの文法書だのの中でミイラにされてしまった文学語)の中にではなく、生み出すちからをもって話されるところの、民衆語の中によりよく現われるものであること。その民衆語は、きゅうくつな書物の中にではなく、刻々と、絶えず新しいちからをもって作り出される民衆精神のこころの中にやどるものであると。(『言語学入門』ウィーン、一八七六年)

ふつう学ぶねうちのあることばといえば、その知識を身につけていれば人から尊敬されもし、出世のたすけにもなる古典語、中央規範語、有力な文学をそなえた大言語であると思われているのに、名も知れない小さな種族のことばや、ささやかな方言に好んで接近する言語学の底には、一九世紀以来のこのような伝統がやどっているのである。それは、「植物学者の目には有用植物と雑草の区別はなく、動物学者には、有用家畜と野獣の区別はない」(F・ミュラー前掲書)という、生物学的自然主義をもしたじきにしていた。
 以上のような、外的価値判断から自由な言語という考えかたは、一面においては言語の非社会化を意味したのであるが、二〇世紀に入ると、ソシュールは言語を歴史という反民衆的既得財産から解放することにも成功した。その時のモデルは心理学であって、「話す大衆にとって、時間における継起
〈340〉
――〔つまり歴史〕――は存在せず」、時間を抜き去った共時態こそが、「真正にして唯一の実在」であるからだ。非社会化、脱歴史モデルの言語学は、心理主義に無効宣言をくだした北米諸学派によって、新たに行動主義の基盤の上にすえられた。以上のような言語学のあゆみは、それ自体としての言語を発見するという、するどい知的な冒険によって言語の本質に肉迫し、規範と偏見のくもりを人々の眼から拭い去るうえで大いに役立った。それは革命的とさえ言える達成であった。
 しかし、現実の言語は規範の支配下にあり、規範からはずれた地域や階層の出身者は、そのことでうむを言わさぬ差別を受けている。この差別は、「それ自体としての言語」のあずかり知らぬところではあっても、言語を契機として生まれた差別にほかならない。こうした現実を見て見ぬふりをする「それ自体としての言語」の学をのりこえて、社会現象としての言語をとらえる作業が、最近になって意識的にすすめられてきた。その背景には、話す生物としての人間に普遍的な言語能力を認めるにとどまり、その発露が社会的要因によっていかに差異をうけているかには目もくれない、またもや生物学モデルのチョムスキー理論への批判もあった。
 社会言語学と称されるこの学問運動は、しかしわが国に輸入されたとき、それ自身の中に、陳腐で迎合的な、はてしのない、どうとでも言いっぱなしの評論家用言語学、つまり、個人的な趣味の上に
〈341〉
偏見を繁茂させることば談義におちいるたねをいくつもやどしていた。だからこの新しい学問運動が充分にそのするどさを発揮するためには、「それ自体としての言語」の学が、あの過激な諸テーゼをたずさえて、かつて規範とたたかった、そのあしあとを見失なわぬよう心していなければならないのである。そのためには、言語学というものを技術としてではなく、思想史の脈絡のなかで、しっかりととらえておく必要があるのである。
 日本において、言語学は高度な知的関心の一項目になっているように見うけられるが、そこは、めずらしい知識や気のきいた分析術の開陳の場という域を出ていない。それに乗じてか、最近の物質的繁栄による充足感に酔って、水ぶくれした知的鈍麻が、偏見とたたかってきた言語学の、そのするどいきばを抜きにかかっているように思われる。
 本書を執筆した動機は、言語学を学界的に死蔵しておくのではなく、生きた科学として、それにふさわしい意味を帯びさせたいという私の年来のねがいから発している。いま私がせつに願うことは、まじめな言語研究が、ことばについての偏見の由来を歴史の種々相においてあきらかにし、それを打ち破り、疎外された人々の解放にむかう回路を発見することである。それは、研究という、極めて人間的ないとなみが、かならずそこに到達しなければならない地点でもある。言語や言語学そのものは
〈342〉
中立的であっても、それを使う人間や、使わせる社会だの国家だのは決して中立ではない。また、学問はそれを生かす人がいないかぎり、生きたちからを発揮しないのである。

   *ちなみに、一九世紀の言語学史には、二人のミュラーが登場する。シューベルトを数々の曲想にさそった、冬の旅、水車屋の娘の原詩作者ウィルヘルム・ミュラーの子、フリートリヒ・マックス・ミュラーは、サンスクリット学者として、また広く読まれた言語学の著作によってよく知られているが、ここに述べるフリートリヒ・ミュラーは、それほど知名の人ではないとは言え、未開の諸種族の小さな言語の探求に深くわけいった、当時としては勇敢な研究者であった。かれの評価については手きびしいソシュールも、「地球上のほとんどすべての言語をものにしている」と驚嘆している。


 序章を除くすべての章は、主として雑誌『思想』と『展望』に発表したものである。その一つ一つの成立には、それぞれの掲載誌の編集者からの、心あたたまる励ましがあったことを忘れるわけには行かない。いまそのことを記憶によみがえらせながら、以下にそれらの初出を示す。

I 恥の日本語  『展望』一九七六年九月
Ⅱ 言語学としての柳田学  『現代思想」一九七五年四月
Ⅲ エリートの国語  『展望』一九七七年一一月
〈343〉
Ⅳ 言語から見た民族と国家  『思想』一九七四年一〇月
   ――カウツキー再読――
Ⅴ ソ連邦における民族理論の展開  『思想』一九七五年五月
   ――脱スターリン体制下の国家と言語――
Ⅵ 国家語イデオロギーと言語の規範  『思想』一九七七年九月
Ⅶ 固有名詞の復権  『展望』一九七七年三月


 以上の諸篇を一冊にまとめるにあたって、かなりの部分を新たに書き加え、さらにダンテの俗語を書きおろして序章とした。したがって、本書中ではこれが最もあたらしい到達点を示しており、ロマニストでもない私が、どうしても視野にとりこみたいテーマであると考えて、無理をしたところである。これら諸章のうちから第Ⅳ章の原型となった論文の題名をとって、本書全体の題名にしたのは編集担当者、大塚信一さんの発案によるものである。
 『思想』と『展望』では、扱った材料もちがうし、論述のすすめかたもちがう。しかし両者は相補う性質のもので、著者の考えを理解する上できりはなせないものだと強く主張したのは、『思想」編集部の合庭惇さんであった。本書において、その趣旨が充分に効を奏するよう願っている。その際、常に私を挑発して書かせた『展望』の編集者が、この趣旨を汲んで収録を許されたことに深くお礼を
〈344〉
申しあげねばならない。
 本書の中には、いまげんに、ことば議論の主役、端役である、さまざまな方々に登場していただいた。それをたびたび引用させていただいたのは、現代日本における知的世界の代表者たちの言語意識を知るためのモニュメンタルな見本であると評価したからである。これらの論著は、著者がさまざまな方向に思索をのばして行く動機を作ってくれたのであった。巻末には人名索引のみを付した。それは、私がもしかして外国人名をただしく読んでいないばあいを考えて、もとの綴りを知っていただくためでもある。
 最後に、モンゴル研究者として出発した私が、なぜ言語のこのような側面に深い注意をむけるようになったかというしだいは、本書にもたびたび引用した『言語の思想――国家と民族のことば』(日本放送出版協会)に一端が述べられているので、それをも併せ読んでいただけたらと思う。

一九七八年六月二二日
著者

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