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停戦に向け 日本は行動を 和田春樹・石破茂・三牧聖子

2023年08月30日(水)

「相手」を知ることと 「相手」と手を握ることは まったく違うことだとは思う
いつごろだったろうか 「相手」と話をしていると 
おまえは「相手」の仲間になったか
というようなことをいわれたことがあったかな
あるいは ぼくじしんがそんなことをいわなかったかな
ちょっと振り返ってみる

戦いは 始めることは易いけれど
終わらせることがむずかしいというふうに よく耳にする
じっさい近現代史でも そういう印象はある

列島の国は だから無条件に降伏するしかなかった
まぁ それでも本土決戦にいたらなかっただけ さいわいであったか
ソ連邦に仲介をたのむ とか そんな話もあったのだと聞くけれど
そのソ連邦は アメリカからの軍事援助で戦っていたとも言われる
気がついたときには 北方から攻め込まれていたわけだ
日ソの約束を破ったとよくいわれるようだけれど じっさいのところ どうだったろうか

遠いユーラシアの 黒い大地の戦争は いろいろいわれながらなお続いている
それが当事者たちの計算のうちだったか あるいは想定外か 知らないけれど
この戦いを終わらせるために なにが必要か 知らない

列島の国のリーダーは おしゃもじをまじないのように持参したらしいが
おもしろい投稿があった
おしゃもじで勝てるものならば ヒロシマカーブは連戦連勝だ と

多少は独立国なりの矜恃はないのか
そんなふうに思うこともある
まるでどこかの大国の忠実な僕のように,
しかし かの国は 片方で 経済制裁だなんだと言いつのりながら
他方で 政権幹部を送り込んで会談をこなしているようだし
著名な企業経営者らが 制裁のことなど知らぬげであるかのようだ

殺傷武器まで輸出しよう と言いだして 現在の状況を踏まえれば その輸出は 戦争当事国の片方への支援にほからなくなるのではないか と思うが
いや もっとしたたかに当事国の双方にそれなりの武器の売り込みするなんて伎倆 伎倆というよりは無節操かもしれないけれど どうも此の邦にはどんな度量はなく
大きな国の忠実はしもべとして商売をするんだろう

この国は いろいろいわれても武器を持って他国へ出て行かない としてきたのに
だからこそ いろいろいっても この国は 戦いに加わらない 利害の枠の外にいると思われていただろうに
それが 列島の国の 平和のイメージをつくっていただろうに
それをかなぐり捨ててしまおうというのだろうか

ときどきベルサイユ講和会議におけるケインズ あの経済学者のケインズを思い出す
第2次大戦終結時にも それなりの活動をしていたのだろうけれど
あまり報われることなく 亡くなってしまった
けれど 諸国間の実情をしっかり見ていこう 実行可能で できるだけ禍根を残さない終結を考えようということだったように思う

ただ 戦勝諸国が敗戦諸国をなぶりものにするような終結 そういう印象もある 
列島の国は 幸か不幸か 大国同士の対立の狭間に立つことになって 大国の僕となる代わりに 厳しい制裁を回避した……ともいえそうだ

しかし ユーラシア大陸に黒い大地の戦争は さてどんなふうに集結させられるんだろう…… 

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【AERA】2023年02月27日


停戦に向け
日本は行動を
ウクライナ戦争の停戦を実現するための方法
2月24日で1年となるウクライナ戦争は犠牲者が増え続けている。
どうすれば戦争を止めることができるのか。日本は何をするべきなのか。
ロシアや米国、軍事にそれぞれ詳しい識者に聞いた。
構成 編集部 古田真梨子


和田春樹さん 東京大学名誉教授
中国とインドを仲立ちし
停戦交渉の協力国に

 ロシアがウクライナに侵攻したという第1報は、大きな衝撃でした。けれど、わずか4日後に停戦交渉が行われたことから、双方に話し合いに応じる姿勢を感じました。朝鮮戦争では停戦会談が始まるまでに約1年かかっていますから.異例の早さでした。
 私も停戦へのメッセージを出そうと、昨年3月15日、ロシア史研究者13人とともに「ウクライナ戦争を1日でも早く止めるために日本政府は佃をなすべきか」と題する声明をオンラインで発表しました。「即時停戦し、停戦交渉を正式にはじめよ」という内容です。
 その約1週間後にはロシア大使館を訪ね、書記官らがずらっと並ぶ中、ガルージン駐日大使(当時)と会うことができました。「兄弟殺し」の戦争を即時惇戦すべきであること、ロシアが提示している停戦条件にある「ウクライナの非武装化」にこだわらないことなどを求めました。ガルーシン氏は.こう言いました。
 「日本は米国と戦争したではないか。最終的には原爆を落とされたけれど、今は親しい関係ではないか」
 あぜんとしましたが、これは苦しい防戦だったと思います。
 我々の声明には「ロシアの侵攻によって戦争が始まった」と書いてあります」
 「それは違う。2014年から始まっている」
とガルージン氏は明言しました。これはウクライナ軍と同国東都(ドネツク、ルハンスク両州)の親ロシア分離派勢力との戦闘から続く一連の流れを指しています。戦闘の停戦を目指し、14年と15年に「ミンスク合意」が結ばれましたが、ウクライナ側が履行しなかったという流れをロシア側は非常に重く見ていることがよくわかりました。
 とはいえ、まずは停戦です。朝鮮戦争の時には,停戦会談が開戦1年後に始まりました。これを提案したのは米国でした。今回、米国は武噐を援助してウクライナに戦わせてロシアを弱めたいという思惑があるようです。
 昨年1l月、ウクライナと国境を接するポーランドにミサイルが着弾し、2人が死亡する事件があったとき、「ロシア発だ」と主張するウクライナのゼレンスキー大統領に対し、米国のバイデン大統領は早々に「ウクライナ発」である可能性に言及しました。米国が今回の戦争において、ウクライナの抗戦論の支持をやめ、即時停戦に動くことがありえます。米国とウクライナが対立する事態となるかもしれません。そうなると大変です。誰もがここまで戦争が長期化するとは予想していなかったでしょう。ゼレンスキー大統領は日を迫うごとに固い姿勢になり、国民の団結を背景に停戦交渉のテープルにつくのが難しくなっているのではないでしょうか。
 今、停戦のために働くにふさわしい国は日本だと思います。中国とインドは立場が違いますが、この2ヵ国を日本が仲立ちして停戦交渉の仲裁国としてはどうでしょうか。この考え方は専門家の方々には大不評ですが、アジアの大国が仲裁する以外に道がありません。私は第2次世界大戦の終戦の時、小学校2年生でした。空を飛ぶ美しい米爆撃機B29を見た世代です。静岡県の実家で空襲に遣い、防空壕で耐え抜きました。あの経験から言えることは、戦争は一日も早くやめなければならないということです。広島、長崎への原爆投下は私たちの町に空襲があった1ヵ月後のことでした。敗戦して憲法9条を獲得した日本こそ、世界を救う国にならなければなりません。


石破茂さん 元・防衛相籍
ロシアにも影響力がある国
まず中国と日本は議論を

 国連はこの1年の間、いったい何をしたのでしょうか。「安全保障理事会の常任理事国であるロシアが戦争の当事国だから、何もできない」というところで思考停止しているように感じます。そんな場合でないことは明らかです。
 こうしている間にも、人命はどんどん失われています。
1956年のスエズ動乱の当事国は、常任理事国の英国とフランスでした。エジプトのナセル大統領(当時)がスエズ運河の国有化を突如宣言。運河で利益を得ていた英国が怒り、フランス、イスラエルとともにエジプトに侵攻しました。しかし、国述は停載監視団を派遣し、終結させました。国連がきちんと機能した好事例です。今回はそんな動きが全く見えません。
 戦局の長期化により、米国内には「なぜ直接の利害関係がない国に多大な戦費を使った支援を続けるのか」という声が上がり始めています。ウクライナにとっては、非常に気の毒な展開だと思います。
 今回の戦争は100%ロシアに非があります。ロシアの主張は山ほどあるでしょうけれど,いかなる場合も力で国を併合することは許されません。
 一方で、ウクライナの完全勝利を目指しているうちは、戦闘が終わることはないでしょう。特にロシアは最終手段として核兵器を保有する国です。この恐ろしさを、我々はもっと認識しなければなりません。戦争を終わらせるために難しくなるのは、ロシアの顔の立て方です。だからこそ、国連が機能しなければならないのです。
 今、日本は安保理の非常任理事国として、5月に広島であるG7サミット(主要7力国首脳会縫)の議長国として行動を起こすべきだと考えています。
 キーポイントとなるのは中国でしょう。ウクライナと軍事技術の面で連携があり、ロシアにも影響力を持っています。つまり、今回の戦局において一番「モノが言いやすい国」と考えられます。中国に花を持たせることになるかもしれませんが、日本はまず中国と、停戦に向かうための方策を議論すべきではないでしょうか。対話ができる関係性の構築は難しい課題ですが、「日本はG7の一員だ」と叫ぶだけでは埒があきません。
 日本にとってはお金の問題もあります。90~91年の湾岸戦争の時に日本は増税までして90億ドルを支出しましたが、軍事的支援(武器弾薬、燃料など)をしなかったため「日本は何もしていない」と海外から批判されました。
 さらに、90億ドルが何に使われたのかは今もあまり知られていません。クウェートの復興に使われたのか、米国の戦費に使われたのか、国会でもほとんど議諭がありませんでした。
 今回もH本はウクライナに軍事的な文援は全くしていません。いつものやり方です。そうすると,武器も弾薬も渡さなかったからと請求書が日本に回ってくる可能性はあるでしょう。
 それも含めて、次に考えなければならないのはウクライナの復興支援についてです。湾岸戦争の時は日本にはバブル経済の名残があり、経済状況はそれほど悪化していませんでした。今、同じことが起きたら対応できるのでしょうか。
 政府は昨年12月、国家安全保障戦略(NSS)など安保関連3文書を閣議決定しました。2023年度から5年聞の防衛費を現行計画の1・5倍以上となる43兆円にすることなどを盛り込み、増税も予定されています。ウクライナ支援に対する日本のあり方についても、早急に議論を始める必要があります。


三牧聖子さん 同志社大学大学准教授
ウクライナ支援の世論に暗雲
岸田文雄首相の外交努力に注目

 開戦から1年。ウクライナを支えてきたのは欧米や西側諸国からの支援です。なかでも突出しているのは米国で、昨年末までに全体の4割にあたる約480億ユーロ(約6兆9干億円)を支出しています。
 バイデン米大統領は2月7日の一般教書演説で「(米国が)NATO(北大西洋条約機構)を結束させ,世界的な連携を構築した」と主導的な役割を強調しました。
 ですが.今後については「これからも支援する」という抽象的な言葉にとどまりました。米領空内に飛来した中国の気球を米軍が撃墜した直後だったせいもありますが、ウクライナへの言及はわずかなものでした。そこに米国内の世論のほころびが透けて見えます。
 1月末の米国の世論調査によると、国民全体で「ウクライナに資金と武器の支援をすべきだ」と答えた人は6劉を超えています。しかし、支持政党別でみると、民主党支持者は8割が支援を「続けるべきだ」と同答した一方で、共和党支持者と無党派層はそれぞれ5割にとどまり、実に3割の開きがありました。さらに現在の米国のウクライナ支援が適正かどうかについては共和党支持者の5割が「やりすぎている」と回答しています。現在、米国では食糧とエネルギー危機が進行しています。インフレも深刻です。この状態が続けば、ウクライナ支援を批判する声は共和党支持者を中心に大きくなると考えられます。咋秋の中間選挙では、下院で野党の共和党が過半数を獲得。盤石とはいえないバイデン政権において、その声は無視できないものになるでしょう。
 ここまで長期化するという覚悟のなかった戦争を前にした「支援疲れ」は、欧州諸国にも広がっていると思われます。その声が大きくなった時、ウクライナが望まない形での停戦、つまり領土の一部をロシアが占領している状況であっても戦争を終わらせる道を模索する動きが生まれることは、大いにあり得ると思います。
 ウクライナは欧米各国にさらなる兵噐の提供を要請しています。英国からは近く戦闘機が送られるとみられますが、訓練には数カ月かかります。すぐに戦況を変化させることができるものではなく、戦局がどう決着するのか、ますますわからなくなっているのが現状です。
 昨年末、ウクライナのゼレンスキー大統領は米議会で演説し、「あなた方のお金はチャリティーではない。世界の安全と民主主義に対する投資です」というメッセージを発しました。ただ、その意識を米国民はもちろん、その他世界の国々が持つことができるのか。ウクライナ支援一色だった世界の世論に暗雲が立ち込めています。
 ロシアのウクライナ侵攻は許されないことである、という点で世界は一致しています。国連もこの1年間、国際社会の意思として、力による現状変更は認められないことを示してきました。その点において国連は無力ではなかったと思いますが、事態を打開するには至っていません。
 5月に広島で開催されるG7サミット主要7力国首脳会議)の講長国は日本です。岸田文雄首相は「日本はアジアで唯一のG7の国。被爆国と核保有国、欧米とグローバルサウス諸国をつなぐ架け僑です」というキーワードをよく口にします。具体的に何をするのでしょうか。ウクライナ問題で日本は復興支援に大きな役割を果たしているとは思いますが、今後どういう外交努力をするのか非常に注目しています。

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SDGsという陥穽 大合唱の裏に何があるのか ―― 池田清彦

2023年07月15日(土)

池田清彦さんの名前を知ったのはいつだったか,
駅前のビルの中の本屋だったか,いや老舗の本屋の棚だったか,
まぁ,どちらにしてもいい読者というわけじゃないのだけれど,
たぶん,

構造主義生物学とは何か―多元主義による世界解読の試み
海鳴社,1988年

ちゃんと読んだわけじゃなかったと思う,でも,こんど読もう,と棚に収まっていた.

その後,ときどきメディアに登場することがあったり,
昆虫好きのお仲間といっしょにでてきたり,
そして,ときどきちょっと軽いような,あるいは,相手をおちょくるような,
そんな発言もあっただろうか.
でも,それは,あるいはあえてちょっとピエロみたいな仕草をしているんじゃないか,とも思うことがあったし,
いうほどめちゃくちゃなことを言っているわけじゃなくて,池田さんなりに考えて,考えた上でのことなんだろうな,とは思う.
真に受けるわけじゃないけれど,
メインストリームからはズレた議論に,ときに正邪ではなく,正誤ではなく,
もう一つの視点のようなものを思うことがある.


ちょっと似たような立ち位置にいるのだろうか,
たとえば槌田敦さんの反・地球温暖化論も,似たような印象がある.
槌田さんの議論が正しい,と思っているわけじゃないけれど,
じゃ,メインストリームの議論をどう考えるか,となると,
槌田さんの議論もあったな,とか,思いだして,ちょっと立ち止まろうと思うことがある.
メインストリームが正しい……というわけでもないだろうし.


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【クライテリオン】2023年03月

SDGsという陥穽 大合唱の裏に何があるのか

池田清彦

池田清彦(いけだきよひご)
生物学者。47年東京都生まれ。東京都立大学大学院理学研究科博士課程生物学専攻単位取得満期退学、理学博士。山梨大学教授、早稲田大学教授を経て、現在、山梨大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。フシテレビ系「ホンマでっか!?TVJに出演中。また、「まぐまぐ」で、メルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』、YouTubeとVoicyで「池田清彦の森羅万象」を配信中。著書に『構造主義生物学とは何か』『構造主義科学論の冒険』ほか100冊くらい。最新刊は『瓠独という病』(宝島社新書)。


SDGsのスローガンは矛盾だらけ。
不合理な政策を導き、
莫大な税の無駄を生んでいる。


一七の目標が金儲けの手段に

 数年前からSDGsというお題目が流行り出した。鵜の目鷹の目で、政治的・経済的なヘゲモニーを握るためのキャッチコピーを探している人々にとって、SDGsは恰好のスローガンになったようで、SDGsを掲げさえすれば、自分たちに有利な政策が遂行できるとばかり、SDGsの大合唱に余念がない。
 一つの目標を掲げて脇目もふらずにそれに向かって邁進するという構図は勇壮で、当事者の脳内にはドーパミンが分泌されて、ポジティブな興奮を誘うことは間違いないが、太平洋戦争中の「鬼畜米英」や「欲しがりません勝つまでは」を顧みるまでもなく、メリットとデメリットを勘案することなく猪突猛進するのは、ほとんどの場合クラッシュへの道であることは歴史が証明している。
 SDGsは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の頭文字を並べたものであるが、冷静な頭で考えれば、SustainableとDevelopmentは矛盾する。持続可能とはほぼ定常状態を取り続けることであるから、開発して生態系を改変すれば、持続可能性は失われてしまう。Developmentを続ける限りGoalには行きつかない。好意的に解釈すれば、Developmentの許容限度を示して、そこで止めれば、Sustainable Goalsに辿り着くということかとも思うが、SDGsの一七の目標にはそんなことは記されていない。
 一七の目標についてすべてコメントする紙幅はなさそうなので、私が重要だと思う項目について議論をしたい。人類の存続にとっても個々人の生存にとっても、最も重要な課題は食料とエネルギーの供給問題である。SDGsの目標の1と2は、「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」であるが、現在の世界人口八〇億人に、充分な食料とエネルギーを供給することは難題である。二十世紀初頭、世界人口は一六億五○○○万人であった。このくらいの世界人口であれば、現在の技術力をもってすれば、目標の1と2を実現することは難しくない。
 そのことを考えれば、SDGsにとって喫緊の目標は「世界人口を平和的な方法で徐々に減らしていこう」ということなのだが、そんな目標はどこにも書いてない。現在の世界の政治・経済を牛耳っているグローバル・キャピタリズムは安い労働力と膨大な数の消費者を必要とするので、原則的に人口減は好ましくないからだ。しかし、この地球上で利用可能な食料とエネルギーには限りがあるので、人口増が止まらない限り、いずれクラッシュは免れない。
 グローバル・キャピタリズムにとって経済成長は外すことができない看板だとすれば、最も重要なことは、人口を徐々に減らしながら、経済成長を止めない方途を考えることだが、SDGsの目標にはそんな話も書いてない。一応、「8 働きがいも経済成長も」というお題目は書いてあるが、それがSustainableとどう結びつくかという話は書いてない。一七の目標は個々に見る限り、それ自体は文句が付けようがないが、あちらを立てればこちらは立たず、といったよく考えれば矛盾する項目も多く、SDGsを金儲けの手段として利用したい人たちは、自分たちに最も都合がいい目標をスローガンに掲げて、たとえて言えば、水戸黄門の御印籠のように、反対意見を有無を言わせず黙らせるために使っているように見受けられる。

レジ袋有料化は何のため?

 さてこの地球上には人類ばかりでなく多くの野生生物も生息しているので、野生生物の生存もある程度保証しなければ倫理に悖る、というのは多くの人に支持されている思想だろう。一七の目標の中には「14 海の豊かさを守ろう」「15 陸の豊かさも守ろう」というのがあることからもそれが分かる。ところで、人類も含めてこの地球上のすべての従属栄養生物(動物・菌類といった光合成が出来ない生物)は独立栄養生物(植物やシアノバクテリアといった光合成が出来る生物)

〈20〉
が作り出す炭水化物に依存して生きている。
 陸上生態系について言えば、植物が光合成で作り出した炭水化物の中から植物自身の生存のために使った残り、すなわちNPP(純一次生産量 Net Primary Production)は年間五六四憶トン(炭素量換算)である。これが陸上生態系の従属栄養生物が年間に利用できるすべての食料ということになる。人類はこれを野生生物(ほぼ野生動物)とシェアして使っているわけだ。人類の取り分が増えれば、野生動物の取り分が減ることになる。全世界の穀物生産量は年間二六億トンで、世界人口八〇億人に公平に分配すれば一人当たり三二五キログラムとなり、これは日本人の年間一人当たりの穀物消費量一五〇キログラムの倍以上であるから、計算上、穀物は充分足りているように見える。しかし、実際は、相当量は家畜の餌に回されている。穀物から家畜の肉への転換効率(一キログラムの肉を作るのに何キログラムの穀物が必要か)はウシで七、ブタで四、ニワトリで二・二なので、全世界の人に充分な量の肉を供給しようとすると、穀物生産量をさらに増やす必要がある。
 穀物や肉の生産量を増やすために、原野を切り拓いて耕地や牧場を開発すれば、そこに暮らしていた野生動物の数は減る。タンパク源を海洋資源に頼って、魚介類を乱獲すれば、海洋生物の多様性は脅かされることになる。しかし、八〇億人に、充分な食料を供給するためには、さらに食料を増産する必要がある。結果的に陸の豊かさも海の豊かさもある程度犠牲にせざるを得ない。根本的にはNPPを人類と野生動物でどのようにシェアするか、そのための方途はどうするか、ということを考えなければ、Sustainable Goalには至らない。
 しかし、実際は、実効性のある政策は棚上げにして、たとえば、海洋汚染の原因になるプラスティックを削減するという名目で、レジ袋の有料化といった姑息なやり方でお茶を濁しているのが現状だ。プラスティックは燃やしてしまえば海洋に流出しないのだから、何をやっているのか分からない。スーパーのレジ係はお客さんにいちいちレジ袋が必要か不要かを聞かねばならず、その手間だけ考えても結構なデメリットであろう。

地球温暖化という法螺話

 この例に限らず、何らかの行動を起こせば、必ずコストがかかる。娯楽のような行動そのものが目的である場合は措くとして、何らかの目的のための行動の場合は、コストに見合うメリットが期待できるかどうかを、冷静に判断しなければならない。しかし、SDGsを掲げて行っている政策や企業活動の中には、コストパフォーマンスを無視しているものも多い。その最たるものは地球温暖化を抑制すると称して行っている様々な政策や活動である。
これはSDGsの目標7「エネルギーをみんなに。そしてクリーンに」と13「気候変動に具体的な対策を」に係るもので、地球温暖化は人類にとって最大の脅威で、その原因はCO2の人為的排出にあるのだから、CO2の削減こそ、最も重要な政策であるという疑似正義の下に行われている、科学的な裏付けに乏しい運動である。この運動には、世界的な規模で、国連、多くの政府、マスコミがコミットしているので、信じている人も多く、その結果、莫大な無駄金(多くは税金)が使われ、一方でそれに群がって儲けている人たちも沢山いるという、現代社会で一番厄介な宿痾である。
 「地球温暖化は事実であり、その主たる原因は人為的なCO2の排出である」という法螺話(ホラー話)は、一九八八年にジェームズ・ハンセンが米上院で訴えてから世界中に広まったが、二十世紀末から二十一世紀初頭にかけてコンピユータ・シミュレーションでなされた未来の気温の予測はほぼすべて外れた。コンピュータの予測は実証ではなく、パラメータをちょっと変えれば異なる予測を導けるので、研究者の願望が反映され易いのだ。

 信頼できるのは過去の実測値だけである。都会に住んでいるとヒートアイランド現象のせいで、温暖化は本当だと思う人がいるのは分かる。実際、東京の年平均気温はこの一〇〇年で二・四度上昇した。他の日本の大都市も二度近く上昇している。ところが、三宅島の年平均気湶は一九五〇年以来ほとんど変わっていない。都会を離れれば、気温は上昇していないのだ。世界に目を移せば、一八五〇年~一九〇〇年の世界平均気温に比べ、二〇一一年~二〇二〇年の世界平均気温は一・〇九度上昇している。これが壊滅的に恐ろしい気温上昇だということはあり得ない。ホッキョクグマが絶滅に瀕しているとか、台風が巨大化して数も増えているとか、ツバルが水没するとかいう恐ろしげな話も、すべて法螺話だということが分かっている。
 さらに過去に遡れば、縄文時代前期(約八〇〇〇年前から五○○○年前まで)は現在より二度以上気温が高く、十世紀ごろの中世温暖期も一度程度高かった。その間に寒冷化した時期もあり、地球の気温は変動しているのであって、こういった過去の温暖化が人為的なものだということは当然あり得ない。
 CO2が温暖化効果ガスであることは事実だが、だからと言って、ここ一五〇年の一・〇九度の気温上昇の主因が


〈22〉
人為的なCO2の排出によるものだというのは実証不可能な仮説にすぎない。二十世紀に入ってからCO2濃度は上がり続けているが、一九四〇年~一九七〇年の三〇年間で、地球の平均気温は○・二度低下しているのだ。地球の気温に影響を与えるのは、太陽の黒点数(増加すると温暖化して減少すると寒冷化する)や火山の大爆発(寒冷化する)などもあり、原因は多岐にわたる。現在よりCO2濃度が何倍も高かった四・五億年前や三億年前にも気温が低かった時期があり、CO2濃度と気温は必ずしも連動しない。そういう科学的なエビデンスを無視して、CO2の削減政策に血限になって邁進するのは異常と言う他はない。
 日本は二〇〇五年以来、毎年官民合わせて(ほとんどは税金)約三兆円の温暖化対策費を使っているが、渡辺正(『「地球温暖化」狂想曲 社会を壊す空騒ぎ』丸善、二○一八年)の計算によると、日本の貢献は地球の気温を○・○〇一度ほど下げるだけだという。そうであれば、温暖化するにせよ寒冷化するにせよ、気温変動に適応するために資金をつぎ込んだ方が賢い。
 高等学校で生物を習った人なら知っていると思うが、植物の光合成速度は、水とCO2と光量と温度の関数である。CO2濃度が上がり、温暖化して、雨が沢山降って、お日様が当たれば、地球上で作られる炭水化物の量は増えるのである。中生代のジュラ紀や白亜紀に巨大な恐竜が沢山生息できたのは、地球の平均気温が現在よりも約一〇度高く、CO2濃度も現在の約五倍の二〇〇〇ppmもあり、生産性が現在よりはるかに高かったからである。
 CO2濃度が多少増加して気温も多少高くなれば、農業には好都合なのだ。但し、栽培に適した作物は、地域ごとに変わってくる。現状を固守しようとせず、柔軟に対応すれば、恐れることはない。税金は、ほとんど役に立たない温暖化対策に使うよりも、適応政策にこそ使うべきだ。現在世界中で遂行されている温暖化対策なるものは、実効性に乏しい空手形である。要するに、地球の平均気温を人為的には全く下げられないのだ。逆説的な言い方になるが、それゆえにこそ、金儲けの手段として、脱炭素という名の下に、再生可能エネルギーを称揚する人たちが後を絶たないわけだ。
 余り言及されることはないけれども、温暖化対策で本当に地球の平均気温が下がれば、たとえば作物が不作になるところが沢山出てくるだろう。自然現象であれば諦めもつくが、人為的に起こされたとなると、損害賠償を求めて、世界のあちこちで訴訟が起こるに違いない。だから誰も、人為的に気温を下げるなんて恐ろしいことはやらないはずだ。別言すれば、現在の脱炭素政策は全く気温変動には寄与しないので、人々は安心してこれを挺子に金儲けに邁進できるのである。

遠慮せずに火力発電を!

 最後に日本のエネルギー戦略はどうあるべきかについて私見を述べたい。まず原発はどうだろう。岸田政権は原発に乗り気なようだが、他に発電方法がないならばともかく、日本のような地震大国ではやめた方がいいと思う。原発はフランスのような地震がほとんどない国には向いているが、日本で稼働するにはリスクが大きすぎる。二〇二一年の日本の電源構成を見ると、火力発電七一・七%(内LNG三一・七%、石炭二六・五%、石油二・五%、その他の火力、一%)、自然エネルギー二二・四%(水力七・八%、太陽光九・三%、風力○・九%、地熱○・三%、バイオマス四・一%)、原子力五・九%となっている。ここ数年で、太陽光発電の割合が増えているが、太陽光発電や風力発電の発電量は天候に左右されるので、これらに頼れば頼るほど、火力発電のバックアップが必要になり、CO2の排出量はそれほど減らない。
 ソーラーパネルは作るにも廃棄するにもエネルギーがかかり、かなりのCO2が排出される。さらに、ソーラーパネルにはセレンや鉛、カドミウムなどの有害物質が混入しているので、安全に廃棄するにもコストがかかる。一番の問題はメガソーラーや風力発電は火力発電に比べ膨大な敷地が必要で、山林を削って設置すれば、自然環境の破壊になり、陸の豊かさは守れないことだ。山の斜面を覆いつくすようにメガソーラーが設置されている光景を見るにつけ、耐用年数が来た時は、そのまま放置されるのじゃないかと心配になる。電気自動車も電池の製造時と廃棄時にかなりのCO2が排出され、カーボンフリーとは名ばかりだ。
 そもそも脱炭素は、化石燃料に乏しいEUが世界のエネルギー政策でヘゲモニーを握るべく始めた政治的戦略で、ウクライナ紛争で、ロシアからの天然ガスの供給が止まつた途端、ドイツもフランスもイギリスも石炭発電の再稼働に踏み切ったのだから、日本も温暖化対策費に年間三兆円を使うなどという無駄なことをやめて、遠慮せずに、最も効率が良い火力発電を推進すべきだろう。
 最近、アメリカからいいニュースが伝わってきた。核融合実験で、投入したエネルギーよりも多くのエネルギーを発生させることに成功したという。核融合が実用化されれば、エネルギー問題はブレイクスルーを起こして、世界の政治状況も激変する。それまでの間、日本はダマシダマシ、火力発電主体で乗り切って、国土をメガソーラーで蹂躙されないようにした方がいいと思う。

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AIとの融合は「人間」を幸せにするか ―― 仲正昌樹

2023年07月15日(土)

AIが急に,
あるいは,ちっとも急ではないのかもしれないな,とちょっと不安になるけれど,
メディアに登場してきて,
はて,さて,どうなってんだろう,と思案する.
いや,あまりなにも考えてはいないのだけれど,
ちょっと騒ぎすぎじゃないのか,とは思う.



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【クライテリオン】2023年03月

AIとの融合は「人間」を幸せにするか

AIは「志向性」を持つのか、
人間と同じように「思考」するのか、
哲学的に考えてみたい。

仲正昌樹

仲正昌樹(なかまきまさき)63年広島県生まれ。東京大学総合文化研究科博士課程修了(学術†専士)。駒澤大学非常勤講師、金沢大学助教授などを経て、現在、金沢大学法学類教授(政治思想史)。主な著書に「集中講義!アメリカ現代思想』『今こそアーレントを読み直す』「精神論ぬきの保守主義』『ハイデガー哲学入門「存在と時間』を読む」「教養としてのゲ-テ入門』「悪と全体主義ハンナ・アーレントから考える』「哲学JAM[赤版]現代社会をときほぐす』など多数。近著に1現代哲学の論点人新世・シンギュラリティ・非人間の倫理』(NHK出版新書)、、


AIとの融合で幸せになれるのか

 介護ロボットや自動運転車など、人間の関与なしに自発的に判断する能力を備えたAIが、徐々に私たちの生活に入り込んでいる。これらは、結果的に多くの人の仕事を奪うことになる反面、私たちの肉体の限界を超えて、様々な能力を拡張し、日常を豊かにしてくれると言われている。
 新型コロナウィルス問題に関連して改めてクローズ・アップされたように、各種の端末から各人の行動・消費パターンや生体情報を収集して分析するAIは既に現実化している。他方で、身体の内に直接入り込み、診断や治療に当たる医療用のナノマシーンを制御するAIも実用化一歩手前まで来ている。両者が融合すれば、最終的には、伊藤計劃の小説『ハーモニー』(二〇〇八)で描かれているように、私たちの身体がAIのネットワークに繋がり、最善の健康状態を保つべく管理されるようになるかもしれない。その場合、身体に対応して意識の在り方も管理可能になっているかもしれない。
 AIが自発的創造性の面でも人間を超え、自己増殖することが可能になる「シンギュラリティ」が二〇四五年に到来すると予言したことで知られる実業家・未来学者のレイ・カーツワイル(一九四八-)は、人間は段階的にシンギュラリティを超えたAIと融合する可能性を示唆している。第一段階では、皮膚や臓器などを、効率的で安全な人工的な素材と置き換え、ナノボットで新陳代謝や免疫を管理し、メタ・ブレインで記憶や判断のミスを訂正できるようになる(人体Ver2.0)。次の段階では、身体全体がもはや特定の固定した骨格を持つことなく、ナノテクノロジーで自在に形を変えられるようになると共に、食事やセックスなどもヴァーチャル・リアリティによる経験に置き換え、各種の危険を避けられるようになる(人体Ver3.0)。
 最終的には、人問の脳をスキャンして、コンピユータ上の基板にアップロードし、グローバルなAIシステムとする。AIの中での情報処理ユニットとしてのみ存在するようになった「私」たちは、これまでの数千倍、数万倍の速度で思考するようになり、ユニットの複製という形で永遠に「生き」、「自己」改造し続ける。地球の外の空間の情報を収集する技術が発展していけば、「私」たちはやがて宇宙のあらゆる場所に「居合わせる」ことができるようになる。何億光年も離れた惑星や恒星でも、AIと接続した情報収集装置を送り込むことができれば、AIと一体化した「私」は、その星の状態を、“直接”認識することができるからだ。
 こうしたAIと人間の高度な一体化が実際に可能になるかどうかは別として、それが実現した世界は、“私たち”にとって幸福だろうか? 人間の限界を超えて、神に近い存在になることを目指すトランスヒューマニストであれば、カーツワイルのヴィジョンが実現することは福音だろうが、多くの人は、固定された身体を持たず、ユニヴァーサルなAIの一部として、宇宙の至るところに遍在する「私」になることに、何とも言えない気持ち悪さを感じるのではないか。そのような状態で「永遠に生きる」というのはどういう感じかピンと来ないし、そういう訳の分からない漠然とした状態を究極の理想としてありがたがる人、それを制度的・道徳的に可能にするための社会の根源的な変革を求める人たちがいるのは信じがたいと思うのが普通だろう。
 AIが人間の生活に深く浸透し、最終的に融合するのは、ユートピアのように見えるディストピアではないか、という問いかけはSFの定番だ。典型的なのは、映画『AI崩壊』(二〇二〇)のように、AIが人間に対して反乱を起こして、ナノマシーンを通じて人間の生殺与奪の権を握り、支配するようになるというパターンや、映画『マトリックス』(一九九九)のように、AIがインターネットに取り込まれた人間の意識を全面支配し、支配されていると認識させないようにさせる、というパターンだ。


〈26〉
「人間」とは誰か?

 しかし、カーツワイルのヴィジョンはそうした、AIによる支配という以上の不気味さを帯びている。彼のヴィジョンは、私たちを不安にさせる、以下の哲学的問いを浮上させる。
 第一に、AI上にアップロードされた「私」と、今現在生身の存在である「私」とが同一であるのか、という自己のアイデンティティをめぐる根源的な問題がある。アップロードが完了して、AI上の「私2」が起動したので、不要になった生身の「私1」を廃棄処分にした場合、「私」は一度死んだことになるのか。
 第二に、生物的な身体を全て失って、仮想空間上にだけ存在するようになっても、「人間」なのか。それは、「シンギュラリティ」を超えて、人間のように思考できるようになったプログラムとどう違うのか。生身の身体を持った生物体としてのヒトに起源があるのか、純粋AI上で“生まれた”のかで区別をするのか。
 第三に、宇宙空間全体に広がる情報空間の中で、情報処理ユニットとしてだけ存在するようになるとしたら、諸個人間の区別に意味はあるのか、という疑問がある。また、各人の思考が各種プログラムで補強されるとしたら、自律的に思考するプログラムと「私」の間に人格的な境界線が存在するのだろうか。AI主導のヴァーチャル・リアリティの中で、「個」という概念に意味はあるのか。
 第四に、最先端のAIと同じ速度で、いかなる無駄もなく思考する存在は、「人間」だろうか。「私たち」がほぼ瞬発的に心に思い浮かべ、数秒の内に、他人に理解可能な形で表明できる文と同じ内容を、多種多様な雑音を出しながら、一万年以上かけて表明する存在がいたとしよう。「私たち」はそれを、人間と同じような自己意識を持った存在と認めるだろうか。ほとんどの人は、そんなのは、岩が長年かけて化学変化を起こしたプロセスを記録していたら、意味あるメッセージらしきものが読み取れたというのと同じレベルのことではないか、と思うだろう。次に、その逆を考えてみよう。「私たち」の何万倍、何億倍もの速度で思考できる存在が誕生した時に、それを「人間」と呼ぶことが適切なのだろうか。というより、“彼ら”は、現在の「私たち」を先祖と認めてくれるだろうか。
 カーツワイルの描く未来は、「私たち」は、AIと融合して自分たちを進化させているつもりで、今の「私たち」とは全く異質の、人間に似たパターンで情報処理するプログラムを開発しているだけではないのか、という疑問を抱かせる。逆に言えば、そうしたトランスヒューマニストな未来像は、既に生活のかなりの部分をAIやインターネットに依存している私たちは、「人間らしさ」の一部を失っているのかもしれないことを想起させる。

強いAIと身体性

 一九八〇年代初頭から、「心の哲学」と呼ばれる領域で、「弱いAI」と「強いAI」をめぐる論争がある。「弱いAI」というのは、予め与えられたプログラムに従って計算問題を処理することはできるが、自分のやっていることに意味付けし、自発的に思考することはできないAIで、「強いAI」は後者もできるAIだ。ジョン・サール(一九三二-)は、人間は思考するに際しては、特定の対象に自己の意識を向け、その対象と自分の関係を意味付けする「志向性intentionality」を有するのに対し、AIに「志向性」を与えることはできないと主張した。彼はそれを直感的に分かりやすくするために、「中国語の部屋」論法というものを示している。
 中の様子が見えない部屋に、中国文字で書かれたテクストを入力すると、部屋の中にいる“人物”は、予め与えられた指示(プログラム)に従って、○○という文字列を目にしたら、室内に予めストックされている▽▽という文字列を見つけてきて、出力する――文字列のストックには、中国語の話者が発すると考えられる全ての可能な文が含まれているとする。すると、外で観察している人には、部屋自体、あるいはその中の誰かには中国語を理解する能力があるように見えるが、それで、中の“人物”=AIは中国語の文の意味を理解している、と言えるだろうか。
 こうしたサールの議論は説得力があるように見える反面、不当な比喩の設定をしている、という批判があり、これを起点にカーツワイルなども参戦する論争が繰り広げられてきた。ダニエル・デネット(一九四二-)は、進化論的な視点に立って、「志向性」は人間においていきなり生じてきたものではなく、原初の単細胞生物が特定の刺激に反応して栄養分となる対象に向かっていく、というレベルから始まって、そうした自らの反応の仕方を感知し、自らの身体の機能も含めて制御する仕組みが発展してきた、と主張する。こうした見地に立てば、特定の対象に反応するようプログラミングされているAIは既に一定の志向性を備えていると言えるのではないか。自らのプログラムを改善できるAIであれば、いつか人間と同じ精度の志向性を持つのではないか、とデネットは示唆する。
 こうしたAIと志向性をめぐる議論では、どうしても、ディープラーニングによって自己のプログラムを高度に修正することのできるAIが誕生するなど、AIの精度が上昇するに従って、「強いAI」を肯定する唯物論的な立場が


〈28〉
有利になっていくように思える。その中で、この問題にAIの情報処理の様式というのとは異なった角度からアプローチしているのが、ハイデガーをプラグマティズム的に読解できる可能性を示したことでも知られるヒューバート・ドレイファス(一九二九-二〇一七)だ。
 ドレイファスは『コンピュータには何ができないか』(一九七二)で、コンピュータはプログラムによって指定された環境の中で、指定された情報を収集・処理するうえで優れた性能を示すことはできるが、人間は「身体body」を通じて、自らを取り巻く環境と柔軟に相互作用しながら、情報を収集する。「身体」は自らが想定していなかった対象や出来事に遭遇すると、そこに関心を向け(志向性)、感覚器官を動員して、それに対応しようとする。結果的に、「身体」での調整を通して、「私」の行為のパターン、延いては、目的自体が変化することもある。そうした変化は絶えず生じており、微細なものであれば、必ずしも意識されることはなく、身体レベルで処理される。
 ドレイファスはこうした「身体」の示す柔軟な志向性を、ハイデガー(一八八九-一九七六)の「世界内存在」論と関係付けている。『存在と時間』(一九二七)でハイデガーは、私たちは気付いた時には、この「世界」の中に投げ込まれている自己を発見する。更に、自分で意識することなく、身体やその延長としての各種の道具を通じて、環境と相互作用しながら、自分が追求すべき目的を必ずしも、意識しない形で見出す。私たちの「人間」的な思考や決断は、そうした「世界」の中に埋め込まれた身体を介して得られる知に根ざしている。これは、ハンガリー出身の物理化学者で科学哲学者でもあるマイケル・ポランニー(一八九一-一九七六)が「暗黙知tacit knowledge」と呼んだものに対応する。ドレイファス的な見方をすれば、AIがデイープラーニングによってかなり細かい判断ができるようになったとしても、環境の中で自らが志向するものを徐々に発見する「身体」が備わっていない限り、人間と同じように「思考」することはない、ということになろう。

リモートと身体

 ドレイファスは、インターネットが普通の人の日常にも浸透するようになった時期に執筆した『インターネットについて』(二〇〇一)で、人間の「知」における「身体」の重要性を再度強調している。当時、ハイパーリンクによって、自室のPCの前にいながらにして世界中の知と繋がることができる、無駄な暗記は不必要になる、といったことが喧伝された。教育現場に遠隔教育を導入することで、最先端の知を効率的に学ぶことができるようにすべきだ、と言われた。
 そうした浮かれた風潮に対してドレイファスは、人間の知は単なる情報処理ではなく、「身体」を介して、目の前の対象や他者と関わりを持ちながら、実践的に獲得されていく側面がかなり大きい、ネットを介してのリモート教育では、身体を使う前の予備教育なものだけしか提供できない、と指摘する。
 これは、教師をやったことのある人なら不可避的に感ずることだろう。特に語学とかプレゼンなど、他人に伝わるように表現することを学ぶ授業だと、自分が表現していることが、目の前にいる相手にどういう風に伝わっているか、その場がどういう雰囲気か、身体感覚を総動員して把握すべく努力しないと、なかなか身に付かない。ネット中継だと、触覚と嗅覚は遮断され、視覚と聴覚もかなり制限されるので、全体的な雰囲気は分かりにくい。
 コロナ禍で多くの学校・大学や企業がリモート授業・会議を導入した。リモート化してみたおかげで、わざわざ時間をかけて職場に行き、目の前の同僚に気を遣う必要などないことが分かった、と言っている人が少なくない。それに呼応するように、政府もデジタル田園都市構想を推進すると言っている。
 無論、その場に全員集まらないでリモートで済ませた方がコミュニケーションがスムーズにいく団体・組織や仕事・学習内容もあろうが、リモート化で失われるものはないのか。英国のエコノミストであるアンディ・ハルデーン(一九六七-)は、二〇二〇年十月に行なった講演「あなたにとってホームワークはいいことですか?」で、リモートで失われる可能性があるものを指摘している。
 会議などで私たちは、自分や他の誰かが話している時、それを聴いている人がどうリアクションしているか、「身体」全体を動員して情報収集している。会議の合間に、他の参加者の会話に耳を傾けたり、話しかけたりすることで情報を得たり、人間関係を補強したりしている。仕事場の中で、あるいは周辺での様々な人とのちょっとした雑談を通して、思いがけないアイデアを得ることもある。
 そうした暗黙知や、教室や職場でのリアルな接触で得られる他者との協力関係(社会関係資本)は数値化しにくい。いったんリモートが当たり前になると、身体感覚が失われたことさえ、忘却される恐れがある。
 ドレイファスが指摘するように、現在、「人間」として生きている「私たち」は、「身体」を持っていることで、想定外の事態に対処し、一見つまらなそうなものの中に隠れた価値を発見することができる。何でもAIとネットに安易に任せる前に、人間固有の知の特性が失われ、「人間」という概念が希薄になっていないか、落ち着いて考える必要があろう。

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大衆的検閲について 桐野夏生

2023年08月04日(金)

それで,「大衆」とはどんな存在なんだろう.
大衆と,一括りにできるんだろうか,とは,まず思うことだった.
あるいは,匿名ということも考えてみる.

あるいは,だれかが主張していたけれど,
ロシアが動員令を発しないのは,大衆を武装させることがこわいからだと.
ボルシェビキの蜂起を想起させられるのだとか.
ふーん,とは思ったが,さて,どうなだろう.

余談だけれど,
政権与党は,選挙で国民の支持を得た,というのだけれど,
得票率30~40%ぐらいか,投票率を勘案すると,どう考えればいいのだろう.
現在の小選挙区制のもとでは,圧倒的に〔死に票」が多いのだと思う.
二つの政党しかなければ,ともかく,現在の政治状況をかんがえれば,いかがなものか.
制度導入時の議論を再点検しなければならないのかもしれない.
自治体の首長選挙の場合,左右にかかわらず,有権者の過半の得票をえる場合がある.
まさに,市民の支持を得た,というところか.


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【世界】2023年02月

大衆的検閲について

桐野夏生

きりの・なつお 作家。日本ペンクラブ会長。『OUT』日本推理作家協会賞、『柔らかな頬』直木賞、『グロテスク』泉鏡花文学賞、『残虐記』柴田錬三郎賞、『東京島』谷崎潤一郎賞、『ナニカアル』読売文学賞など受賞多数。他に『日没』『燕は戻ってこない』など著書多数。


 二〇二二年一一月一〇日から一二日にかけて、第三三回国際出版会議(International Publishers Congress)がインドネシア共和国ジャカルタで開催された。同会議は、国際出版連合(International Publishers Association)が主催し、「読書の重要性――未来を抱きしめて(Reading Matters;Embracing the Future)というテーマのもと、六三ヵ国から六〇〇人を超える参加者が集った。期間中は一二のパネル・ディスカッションが催され、テクノロジーの発達と監視が出版の自由に与える影響、人工知能と著作権の関わり、気候危機における出版事業の課題、アテンション・エコノミーに対抗する未来の読者の創出など、持続可能な出版活動を目指し様々な討議がなされた。
 桐野氏は二日目の基調講演を務めた。以下はその全文である。


  「暗黒の時代」の記憶

 私のジャカルタ訪問は、今回で四度目になる。アジアでも有数の、巨大で多様性に満ちた街に四度も来ることができて大変嬉しく思っている。
 十数年前、私は「林芙美子」という日本の女性作家をモデルにした『ナニカアル』(二○一○年〉という小説を書いた。二度目と三度目のジャカルタ訪問は、その小説の取材のためだった。
 第二次世界大戦中、日本軍は、作家、詩人、画家、編集者、ジャーナリストを大量に動員して戦地に派遣し、侵略戦争を正当化、美化するための文化的な奉仕を、これらの人々に強要した。それは「徴兵」に次ぐ強制力がある「徴用」という形での召集だった。
 作家、詩人、画家、編集者、ジャーナリストたちは、日本軍の占領地であったシンガポール、インドネシアなどに派遣された。そこで見聞きしたものを、作品にするよう強制されたが、もちろんその創作物には厳しい検閲があり、明らかな作戦の失敗や、日本兵の無惨な死、そして厭戦(えんせん)的思想など、軍に都合の悪いことは一切書くことを許されなかった。
 林芙美子は、徴用された作家たちの中でも、とりわけ厚遇された作家だ。偽装された病院船で日本を発ち、軍部の人間や朝日新聞社記者とともに、シンガポールを皮切りに、ジャカルタやスラバヤなどあちこちを移動した。
 彼女は、日本軍の統治があたかもうまくいっているかのような戦地報告を書いては日本に送った。帰国の際は、危険な船舶ではなく、朝日新聞社の最新鋭の飛行機だったことからも、彼女がいかに軍部の覚えがめでたかったかが窺えるというものである。
 林芙美子は、今でも古びない作品を数多く残した優れた作家である。子供時代、彼女は行商を生業とする母親に連れられて、放浪生活を送った。そして、単身東京に出てきてからは、女工や女給となって貧しい暮らしをした。
 その体験を赤裸々に描いた『放浪記』(一九三〇年)という作品は、当時のベストセラーだ。その作品を愛したのは庶民、まさしく若い兵士の母親の世代の女性たちだった。そのため、林芙美予は、とりわけ強力なプロパガンダとして、日本軍に利用されたのだ。
 当然のことながら、第二次世界大戦が終わると、林芙美子は戦争協力者として非難された。レニ・リーフェンシュタールほどではないにしても、そのイメージを払拭(ふっしょく)しきって死んだ、とは言えまい。
 林芙美子の例を見るまでもなく、第二次世界大戦前と戦中の日本は、国家による検閲と弾圧が厳しい暗黒の時代だった。作家だけでなく、出版社の編集者や記者も、反国家的・共産主義的だと見傲(みな)されれば、たちまち投獄された。その基準も曖昧で、かつでっち上げも多かったから、無実の罪で亡くなった人も少なくない。
 日本軍は狡知(こうち)に長けてもいた。新聞社には、紙パルプの配給を制限することによって、戦争協力を迫っていたから、戦争批判は一切表に出ず、日本は侵略戦争に邁進(まいしん)したという事実がある。

  平和で自由な国の「検閲」

 巷(ちまた)では、隣人による監視や密告が横行した。「隣組」という、行政が作った組織がある。隣人同士が互いに助け合うための組織だが、本来の目的は、隣人による相互監視と干渉だった。
 ここインドネシアでも、日本占領期には「隣組」と、その上部組織である「宇常会」という、本国と同じような組織を作って、住民の監視と軍政当局の告示伝達に利用した。この時代の日本のように、作家が一番怖れるものが、国家による検閲である。そして、意に添わぬことを書かされる強制である。
 検閲こそが、言論と表現の自由、そして出版の自由を脅かす。現在も、独裁的・全体主義的国家では、当然のごとく行われていることは周知の事実であろう。それもインターネットが発達した今、個人に対する国家の管理はより徹底しているから、逃れるのは困難に近い。公権力による表現への制限は、どこに拡大してゆくかわからないがゆえに危険である。表現の自由だけは、国の介入を許してはならない。
 では、自由を保障されている平和な国で、我々作家の表現の自由を奪うものは何か。それは、国家でも政治的集団でもなく、ごくごく普通の人々による「大衆的検閲」とでも名付けたくなるような圧力である。

  アルゴリズムという闇

 日本では、コロナ禍によって、戦時中もかくや、と思われるような醜悪な出来事が多々起きたことは記憶に新しい。二年前、日本では新型コロナの感染拡大防止のために、政府や自治体が外出の自粛要請を行った。その途端、要請に従わない店や個人に対する告発の電話が、警察に多くかかってきたという。いわゆる密告である。
 これら自粛を強要する行為をする人々は、「自粛警察」と呼ばれた。マスクをしていない人を告発するのは、「マスク警察」だ。しかし、取り締まっているのは、警察ではなく、一般市民だということが、あたかも第二次世界大戦中の「隣組」を思い起こさせた。
 「自粛」という概念が、いかに容易に、他人の自由を束縛するものに転化するかを、我々は目の当たりにしたのだ。コロナのおかげで、日本人は第二次世界大戦前夜の雰囲気と、日本人の無意識の闇を経験したとも言えよう。この自粛の強要も「大衆的検閲」の一種と言うならば、その不寛容さはコロナ以前から見られていた傾向でもある。私は、ネットによる歪(いびつ)な世論形成が不寛容さの醸成にひと役買っているのではないかと考える。
 先日の朝日新聞(二〇二二年一〇月二旦には、フェイスブック(現・メタ)の内部告発者フランシス・ボーゲン氏が明らかにした、フェイスブックのアルゴリズムが偏っている、という指摘が引用されていた。
 アルゴリズムとは、「コンピューターが膨大なデータをもとに問題を解いたり、目標を達成したりするための計算手順や処理手順」だ。
 ホーゲン氏が開示した同社の内部文書には、こんな指摘があったという。「どの投稿がシェアされそうか、という要素を重視していたことから、挑発的で質の低い投稿が優先されていた」。
 アルゴリズムは、公開されないブラックボックスだ。しかも、国家ではなく利潤を追求する私企業のブラックボックスなのに、世界中のほとんどの人が影響を受けている。
 「挑発的で質の低い投稿」を多く優先すれば、人々はそれが多数の意見だと思い込むし、必然的に、「挑発的で質の低い」社会が心地よくなる。自分にとって心地よい意見しか取り入れなくなれば、批判精神は当然、痩せ衰える。
 批判精神がなくなれば、曖昧なものや、価値判断のできないものは、思考するのが面倒臭いから(というか、AIに任せてしまっているから)、とりあえず適当なラベルを貼る。
 ラベリングは、単純な二元論だ。右翼か左翼か。フェミニストかアンチフェミニストか。民主党か共和党か。この二元論は当然のことながら分断を生む。
 分断が激しくなれば、お互いの誹誘中傷も激化する。わかりやすい正義感が形成されれば、そこから外れた他人を、いとも簡単に誹誘中傷するようになるだろう。不倫した男女を責めるのも、過去にイジメをした人物を責めるのも、誰も文句を言えない、わかりやすい正義感の発露である。
 ジャーナリストの須賀川拓(すかがわひろし)氏は、アルゴリズムを、「人間の消費活動(欲)の軌道を測るようなもの」と規定している。「欲の軌道を測る」とは、うまい表現である。
 対立を煽られ、相手を誹諦中傷することで快を得るように「軌道を測られている」としたら、私たちの欲望は、品性下劣な方向に、あるいはわかりやすい「正義」を希求するように、と向けられていっても気付かないだろう。

  「正義」が作家を滅ぼす

 もちろん、SNSによって、これまで社会で耳を傾けられてこなかった人たちが自ら声を上げ、新たな運動を作りだしてきたことの意義は大きい。
 問題なのは、ひとたび「悪」「敵」のラベルを貼られると、どんな言葉の礫(つぶて)を投げてもよし、何を言ってもよし、とされる風潮が当たり前のように共有されることだ。あたかも人民裁判のごとく過去を裁くには、人権的配慮も必要なのに、その配慮を誰もしなくなったのはなぜか。なぜ急に日本は、そして世界は、そのようにモラリスティックな「正義」を行使するようになったのか。
 ある女性作家が、配偶者がいる男女が出会って恋をする物語を書いた。すると出版社に「不倫の話なんか書くな」という抗議がいくつもあったと聞いた。
 少し前までは、そんなことはあり得なかった。なぜなら、小説だからだ。小説は完全に、私たち作家が頭の中で浮かんだことを書き連ねた想像の中の世界でしかない。それを止められたら、作家に死ねというのと同じことだし、小説という表現物の死でもある。
 サルマン・ラシュディ氏の襲撃事件に衝撃を受けたイスラエルの作家、エトガル・ケレット氏は、こう書く。
 「大学の文学部が『ロリータ』を教材から外して拒否し、ロシアがウクライナに侵攻したためにドストエフスキーについての学会が中止され、アカデミー賞受賞者がテレビの生中継中にスタンダップ・コメディアンの顔を平手打ちしていい気分になり、読者を怒らせるような考えやジョークを公表したがためにジャーナリストや漫画家が殺されるようなとき、その世界はアーティストにとってもアートにとっても危険な世界だ。(中略)
 芸術上の自由が全体主義政権や宗教的運動によって縮小された過去の時代とは違って、いまやその自由は、アーティストを名指しして顔に泥を塗り作品をボイコットすることで芸術を取り締まろうとする、リベラルなコミュニティを含むあらゆる方面からの攻撃に晒されている」(秋元孝文訳、『新潮』二〇二二年一○月号、原題「作家にとっていい時代ではなくなった 作家のライセンス-取り消し」)

  「大衆的検閲」の正体

 人間はたくさんの間違いを犯す。嘘を吐いたり、他人に意地悪をしたり、既婚者とわかっていても好きになったり、他人にいろんな迷惑をかけて生きている。犯罪を犯す人間だっている。多くの人が踏みとどまる、自分の中に引かれたラインを越えてしまった人々について、小説は書いてきた。小説は人間の弱さや愚かしさ、さらに言えば、弱く愚かな人間の苦悩について描くものなのだ。
 不倫の物語なんか書くな、と出版社に抗議する人たちは、正しいことが書かれた小説しか読みたくないのかもしれない。では、「正しさ」とは何か。私たち作家が困惑しているのは、今、人々の中に強くなっている、この「正しい」ものだけを求める気持ちだ。コンプライアンスは必要だが、表現においての規制は危険である。その危険性に気付かない点が、「大衆的検閲」の正体でもある。
 文学は、人間の弱さを基盤とした、他者への想像力がその根幹だ。そして、自分自身と他者との関係の中に、新しい価値を創造してゆくものである。とはいえ、過去の優れた文学作品の中でも、差別的な表現にぶつかることがある。小説の中だとはいえ、差別されて書かれる側は、不快の念を持つ。少し前の小説には、女性が愚かしく書かれているものや、差別的に書かれているものも多かった。欧米の作家の書いた小説の中には、日本人に対する差別的な表現も見られるし、日本人作家の書いたアジア人への差別的表現も同じように不快である。しかし、それは、その時代に生きた作家の、ある面での限界を表すものだ。批評精神を持って読む必要があるが、変えてはいけない。そうした過去の時代の限界を知り、乗りこえようと抗(あらが)うなかでこそ、他者への想像力は磨かれ、新しい文学作品を生んでゆくのだと思う。今、過去の作品の表現を変えることは、歴史を修正することに近い行為である。

  すべての表現は自由である

 日本では、二〇一一年の福島での原発事故以来、人々の同調圧力が強まり、政治も国民の自由を制限するほうに向かった。また、前述したようなネットによる「正義」感の醸成と発露も怖ろしかった。近い将来、戦時中のような言論弾圧が起きるかもしれないと考えた私は、二〇一六年から二〇年にかけて、『日没』という小説を書いた。これはある作家が、読者の告発によって政府の収容施設に入れられ、思想矯正を受ける物語だった。
 まるで私の書いた『日没』と同じようなことが、現実で起き始めている。国家ではなく、読者による告発である。世界でも同じような問題が起きている、とある国の出版社が語ってくれた。
 私の中にある、もうひとつの懸念と危惧は、これまで一緒に表現の自由を守るために闘ってくれた、強い絆で結ばれた出版社が、読者を獲得するために、これらの「大衆的検閲」に協力するのではないかという怖れである。
 かつて、出版社と作家は強い絆で結ばれていた。私たち作家は、世界のどこかで本を待っている読者のために、何でも書けるし、何でもできると信じ、その夢と希望に酔っていた。そして、そこには「紙」が常に存在していた。
 しかし、この数十年で世界は驚くほど変わった。今やほとんどの紙の出版物は電子化されつつあって、いずれ消えてなくなる運命だ。持続可能な未来。その概念は正しい。これまでの人類による、資源の膨大な浪費を思えば、当たり前のことだ。未来に生きる人々が、そのツケを払う必要はない。
 とはいえ、紙の本に長く親しんできた我々作家が、作品をコンテンツと言われ、本という物質がデジタル化されて、電子という空間に漂うことに哀しい思いを抱くのも無理はなかろう。なぜなら、一冊の本には、その中に大きな世界がある、という神通力があった。
 しかし、一コンテンツになった途端、その神通力は失われ、ただのテキストに過ぎなくなった。文脈を無視して、内容が差別的だと断じられたり、言葉狩りの憂き目に遭うことも多々起きるようになった。あらゆる表現と多様性に満ちた「小説」という面白く自由な世界を、ネットが狭め、不自由にさせている。
 アルゴリズムによってもたらされた不寛容な精神に流されて、ごく普通の人々が、国家権力による検閲のような振る舞いをすることは、過去の文学作品に対しても、もちろん現在の表現活動に対しても、決してはあってはならない。
 すべての表現は自由であるべきだ。作家も、そして出版社も、表現の自由のために、今まで以上に、強い絆を求めて闘っていかなければならないと思う。

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STOP WAR ウクライナ戦争1年 対談 この戦争に勝者はいない エマニュエル・トッド×池上彰

2023年08月04日(金)

ちょっと気になって,モンゴルによる東西交流の歴史?について,入門書のような本を読んでみたことがあった.どなただったか,記憶があいまいだけれど,
まぁ,自分の不勉強を思い知らされるばかり.
しかし,ちょっと開き直ると,中学,高校と地理や歴史を勉強するけれど,
いままさに争点となっているような地域について,どんなことを,どのくらい学んだことやら.

ウクライナの戦争が始まって,あまりの無知を,恥じ入るばかりだったけれど,
その一方で,メディアの報道のあまりの偏りにも,ちょっとこわいような思いもあった.
プーチンという異形の――と思ったのだけれど――支配者を産みだしたロシア,あるいはソ連邦というべきか,もうすこし歴史や,地理について,勉強し直さないといけないんだろうな,とは思った.


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【AERA】2023-02-27

STOP WAR ウクライナ戦争1年 対談
この戦争に勝者はいない


エマニュエル・トッド×池上彰対談
エマニュエル・トッドさんと池上彰さん。
歴史人口学者とジャ-ナリストが2月24日で1年となる
ウクライナ戦争について意見を交わした。世界はどうなるのか。
購成 編集部 小長光哲郎  通訳 大野舞


歴史人口学者・家族人類学者
エマニュエル・トッドさん
Emmanuel Todd/1951年、フランス生まれ。家族構造や人口動態などのデータで社会を分析し、ソ連崩壊などを予見してきた。近著に『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』


シャーナリト
池上彰さん
いけがみ・あきら/1950年、長野県生まれ。NHKの記者やキャスターを経てフリーに。名城大学教授、東京工業大学特命教授。主な著書に『一気にわかる!池上彰の世界情勢2023』など



池上 トッドさんは咋年の段階から、「ウクライナ戦争の最大の責任は、ロシアやブ-チン大統領ではなく米回とNATO(北大西洋条約機構)にある」とおっしゃっていますね。
トッド この戦争は米国やNAT○の対応次第で,つまり「ウクライナの中立化」というロシアのかねての要請を西側が受け入れてさえいれば容易に避けることができました。軍事支援を通じてウクライナを事実上の加盟国にして,今も武噐を提供していNATOと米国に戦争へと仕向けた直接的な責任があると考えています。
池上 米国はさまざまな兵器をウクライナに供与していますが、ロシア領土を直接攻撃しないことを条件にしています。ウクライナ国内に入ってきたロシア軍にだけ使え、という限定的な形です。つまり米国は、ロシアとの代理戦争をウクライナを舞台に戦っている。最大の被害者はウクライナだと思います。
トッド 同意します。ウクライナをさらに武装化すべきだと主張する人もいますが、彼らはウクライナが勝てないだろうことは薄々わかっている。犠牲になるのはウクライナの人だと知った上でのそういう議論は、とても非道徳的なものだと思っています。私は戦争に反対の立場です。ただ、どうしても戦争をするならば、直接戦うべきです。第三国を介したような戦争は、さらに道徳的ではありません。

民主主義の理想の逆

 この殴争は、グロ-バル化が極端に到達したところで起きている,とも考えています。グローバル化の原則とは、生産拠点を移転すること。移転することでより安い人材を使う。その点で今のウクライナ戦争を見ると米国や西側諸国が、軍事の人村もアウトソーシングしているという見方もできるわけです。ウクライナの兵士を使いながらロシアと代理戦争をしている。民主主義の理想の逆をいってしまっていると私は考えます。
池上 しかし米国や欧州の多くの国.日本でも、ウクライナ戦争の一番の責任はロシアにあるというのが一般的な世陵論です。トッドさんの発言はかなり勇気のいることではないですか。
トッド ウクライナはフランスと同じ欧州の国ですから、感情的にも難しい面はあり、私もフランスでの発言には慎重になっていました。まずは日本でウクライナ戦争に陶する発言をしてきたのもそれが理由です。
 ただ,フランスの新聞フィガロで受けた最近のインタビューは、日本で出した新書『第三次世界大戦はもう始まっている』とほぼ同じタイトルの内容でしたが、大きな反響がありました。ウクライナへの戦車供与の話が出て、フランス国内でウクライナ戦争への見方が大きく変わったタイミングで発表されたこともあったでしょう。戦車を送るということは戦争をすることと同義だからです。記事には批判もありましたが、私のような見



方も受け入れられる雰囲気が出てきている感じはします。
 とはいえ、フランスで世論調査をすると、ほぽ皆「反ロシア」という立場なのは戦争が始まって以来,変わりません。「ロシア嫌い」にとらわれたメディアの影響も大きいと思います。少し合理的な議論が始まろうとしている、くらいの言い方が正しいかもしれません。

世界戦争に入っている

 そういった議論の中で私の役割というのは,ロシア、ウクライナどちらかの側につくということではなく.中立の立場で,ロシア嫌いの人も含む全ての人に投立つための発言をすることだと考えています。例えばメディアでは「ロシア人たちはブーチン政権下、恐怖の中で生活している」といった報道がなされていたのですが、これは事実とは異なっていたわけです。
 私は.ロシアという国はプーチンが支持されている中でソ連崩壊後の危機的状況から見事に立ち直り、社会として安定化へ向かっている、と戦争の前から指摘していました。プーチン政権が崩壊することはないと私は見ています。ロシアを批判したいのであれば、ロシアがどんな国なのか冷静に知ることから始めるべきだと私は思うんです。
池上 トッドさんは昨年から「第3次世界大戦はもう始まっている」とおっしゃっています。
トッド ロシアとウクライナ二国間のこの戦争が、世界大戦に発展するのではと心配している人は多いと思います。でも,もうすでに米国を中心とする西側とロシアの間で展開されている世界戦争、という段階に入っていると見ています。
 そしてそれは「まず経済面から始まった」とも言えると思います.ウクライナへの爆撃で市民の多くが殺されていることはもちろん、まさに戦争という状態なのですが、欧州や米国がロシアという国を経済的に、最終的には社会的にもつぶすという目的で始めた経済制裁もまた,戦争の一端であるわけです。
 この経済制裁に、ロシアは耐えています。いまだにロシアの経済が安定していることは、西側が非常に驚いている点だと思います。これはなぜなのか。
 実は経済のグローバリゼーションが進んでいく中で、「生産よりも消費する国=貿易赤字の国」と「消費よりも生産する国=貿易黒字の国」との.分岐がますます進んでいるんです。ロシアはインドや中国とともにまさに後者の代表で、天然ガスや安くて高性能な兵器、原発や農産物を世界市場に供給する「産業大国」であり続けています。一方で、前者の貿易赤宇の国とは米国、英国、フランスなどです。財の輸入大国としてグローバリゼーションの中で自国の産業基盤を失ってきている。つまり互いに科している経済制裁は、消費に特化したこれらの国のほうにむしろマイナスに効いてくる可能性があるわけです。

米国は生産力で弱体化

 一種の神話的な立場だった「経済大国アメリカ」は、今は生産力の点で非常に弱体化してきています。1945年時点で米国は世界の工業生産の約半分を占めていましたが、今は違います。ウクライナ戦争はロシアにとって死活間題であると同時に、米国にも大問題なのです。



 米国の生産力でとくに問題となってくるのが「兵器の生産力」です。この先.ウクライナ戦争が長期化したとき、工業生産力の低下する中でウクライナへの軍需品の供給が続けられるのか。むしろロシアの兵器生産力のほうが上回っていくのではないか。そこは西側としては心配な点でしょう。
 ただ、それでも米国はこの戦争から抜け出せないのではないか、とも言えると思います。米国がこの戦争から抜ける、それは米国にとって「ウクライナへ供給する兵器の生産力が追いつかなかった」という点で、「負け」を意昧するからです。
池上 その世界大戦に巻き込まれた形のウクライナですが、トッドさんは戦争が始まる前の段階で、ウクライナは破綻国家であり、国家としての体をなしていないとおっしゃっていました。ただ,戦争が始まり、そのまっただ中で政府の汚職高官が追放されるなど汚職撲滅の動きもあるようです。国としてのまとまりが全くなかったウクライナが、ロシアの攻撃で自分たちの土地を守らなければならなくなったという、きわめて皮肉な形ではありますが,民族意識が深まってきた。この戦争をきっかけに国家として成立しつつあるようにも見えるのですが。
トッド そのとおりだと思います。この戦争によって国家意識、国民意識が強化されている面はあるでしょう。戦争前は、私はウクライナの国家意識がどれほど強いのか疑問に思っていたのですが、軍事的に非常に耐えている姿を見て、その意識が強くなっていると認めるようになりました。

ポ-ランドが参戦か

 ただ、ウクライナにおけるロシア語圏は,この戦争によって崩壊しつつあるのではとも思っています。ロシア語圏にいる中流階級がどんどん国外に流出しているからです。中流階級がいなくなった国は崩壊していく傾向があります。図家意識,国民意識というのはウクライナ語圏で強化された、と言えるのでは
ないかと思います。
池上 ウクライナ東部、つまリロシア語を話す人たちがいるところでは.どんどんその人たちがいなくなっている。一方で,とくにリビウなどかつてのポーランドの支配地域だったところは.どんどんポーランドに寄っていく。そして真ん中のキーウの辺りがいわゆる「小ロシア」という形になるというふうに,ウクライナが結果的に三つに分裂していく未来も見えてくる気がするんですが。
トッド ウクライナの将来についてはまだ見えにくいところがありますが、仮説としてたしかに,ウクライナが分断される状況もあり得ると思います。
 それ以上に問題なのが、この戦争の「西側対東側」という構図がどこまで明確になっていくのかどうかです。具体的に言えば、「はたしてボーランドが戦争に参加するのか」がこれからの大きな焦点になってくると見ています.
 ポーランドには特殊な反ロシア感情があります。歴史的にもウクライナの一部がポーランドだったこともありますし,今も数干人のポーランド人兵士がウクライナ側で戦っていると言われています。これでボーランドからドイツ製の戦車「レオパルト2」が供給されれば、また状



況が大きく変わるでしょう。
 そもそも戦車を供与するにあたっては、戦車が数ヵ月かかってウクライナに届いてから、操縦士が運用技術を習得するのにまた数ヵ月間かかるという問題があります。でも、もし戦車の操縦士がポーランド人なら、もう少し早く攻撃を始めることが可能になる。そうやってポーランドがこの戦争に食い込んでくるようなことになると、ウクライナの分断よりもより問題が大きくなっていくと思います。
 言えることは、戦後のウクライナには非常に悲劇的なものが待っているのではないかということです。全ては破壊され、復興はとても困難でしょう。そこで米国が何か手助けするかと言うと、そうは思えませんから。
 この戦争が今後、どのように広がっていくのか。最も重要なのはポーランドに加えて、バルト三国、英国,米国がどう動くかです。これらの国が今、非常
に好戦的な姿勢に変わってきつつあります。そのときに問題になってくるのが「加盟国の一つに対する攻撃はNATO全体への攻撃とみなす」とするNATO条約の第5条です。そこで、もしロシアがポーランド、バルト三国、英国、米国のいずれかを攻撃したら、フランスははたしてどうするべきか。私としては、これらの国と連帯する必要はないということを今から明確にしておくべきだと思います。
 また、ポーランドについて、ウクライナ問題をさらに深刻化させるようなことをしたらNATOとしても連帯はできないということを明確にわからせるべきではないかと考えています。

ドイツの今後も焦点

池上 NATOやEU(欧州連合)は共同歩調が乱れてバラバラになってしまう可能性が高くなるということでしょうか。
トッド 今すぐにそうなるというわけではありませんが,米国や英国、ポーランドなどの好戦的な態度が,NATOやEUの真の連帯性について改めて考えさせられることにつながっていくと思います。
 例えばドイツは,戦車の供与をめぐって最初は慎重な姿勢を見せ、迷いが見られました。各国にプレッシャーをかけられ、ある意味で破害者であるとも言えると思います。ドイツが今後どういう態度に出るのかが焦点の一つになってくるでしょう。その行きつく先として.NATOやEUがバラバラになっていくこともあり得るとは思います。
池上 この先、この戦争はどうなっていくのか。ウクライナとしてはロシアを国内から追い出すまでは戦争を続ける。一方で、プーチン大統領にしてみれば,ドネツクやルハンスクなどウクライナ4州をロシア領として「併合」した以上、そこから撤退することはできない。米国も、この戦争から抜け出すことは難しい。欧州諸国もロシアへの経済制裁をした結果,天然ガスが入ってこないなどさまざまな経済的打撃を受けている。結局、この戦争に勝者はいない。延々と、みんなが負ける負け戦が続く、そんな未来が来るのではないでしょうか。

米国の崩壊もあり得る

トッド この戦争が始まったとき、私は地政学の本を書き始めていました。そのときまで、世界は中国対米国という構図で見ることができると考えていました。しかし、米国の生産力が非常に弱まっていることや、中国も出生率が非常に低下していることから、その構図で世界を見るのは正しくないことに気づきました。
 私は焦点をロシアに移していきました。すると、ロシアは保守的ではありますが,例えば乳幼児死亡率が今は米国を下回るなど、社会としてある程度安定した国であることが見えてきました。ただ、人口は減少傾向にあり、ロシア的な帝国主義を世界に広めていくほどの勢力ではないことにも気づきました。
 では、世界のシステムを考えていく上でどの国が問題なのか。世界が不安定化していくその中心にあり、世界がこれから先に向き合わないといけないのはアングロサクソン圏、とくに米国の「後退のスパイラル」なのだということに気づいたんです。問題はロシアでも中国でもなく、米国なのです。私はいま.よくこう言います。今の人類が直面している問題は二つある。地球温暖化と、米国だと。
 この戦争がどういう形で終わるのか、はたして終わりがあるのかわかりません。ただ,さまざまな終わり方の可能性を考えていくと、米国社会が貧困化などの問題で後退のスパイラルにますます入り込んでいくことによる「米国の崩壊」もあり得るのではないかと考えています。フランスのジャーナリストは恐らくロシアのほうが50%くらいの確率で崩壊すると見ているでしょう。でも、私は5%ほどではありますが,米国が崩壊することもあると見ています。
池上 私は,このウクライナ戦争ほこの先10年は続く「10年戦



争」になると言っています。
トッド 私は5年だと思いますね。人口動態で見るとロシアの人口が最も減り始めるのが5年後であること、また第1次,第2次世界大戦ともに5年ほどで終わったということもあります。

ロシアの価値観に共感

池上 この戦争が終わったとき、例えば中国、インド、サヴジアラビアといった国が勝者として生き残っているという可能性も考えられるでしょうか。
トッド 第1次世界大戦も欧州の中で対立が起き,欧州は自殺するような形で崩れていきましたが,一方で、対立の中から米国の覇権というものが生まれましたよね。その意味で、池上さんのおっしゃったような国々が勝者のような形になることはあり得ると思います。ただ.それらの国は世界の覇権をとるほどではありません。
 むしろ、ロシアが勝者になる可能性があるんです。この戦争は単なる軍事的な衝突ではなく実は価値観の戦争でもありま。西側の国は,アングロサクソン的な自由と民主主義が普遍的で正しいと考えています。一方のロシアは権威主義でありつつも、あらゆる文明や国家の特殊性を尊重するという考えが正しいと考えています。そして中国、インド、中東やアフリカなど,このロシアの価値観のほうに共感する国は意外に多いのです。
 世界が多極化し分断しても、それが不安定な世界だとは限りません。ロシアの言う「あらゆる文明、あらゆる国家がそれぞれのあり方で存在する権利を認める」世界が支持され、実現するなら、ロシアが勝者になると考えることもできるわけです。
 米国が一国の覇権国家として存在し、無責任な行動をとる世界のほうがむしろ不安定化を招くでしょう。この状況は早々に終わらせるべきです。そのためには米国が自分の弱さを認めるしかない。そうしないと「終わり」は来ないのだと思います。


池上彰さんが対談を振り返る
大変な状況は実は米国

 印象的な対話だった。
 一つは、戦争が始まる前は破綻国家だと思っていたウクライナが、皮肉なことではあるが侵略を受けたことで国家としてのまとまりができ、民族主義的な意味での団結心が出てきたことをトッドさんが認めたこと。
 もう一つは、トッドさんは以前からアングロサクソン、特に米国が諸悪の根源だどおっしゃったが、そこを改めて強調したということだ。
 ロシアは危機的状況なのではないか。そんな論調がほとんどの中,実は大変な状況にあるのは国民の間で分断が進む米国のほうなのだ。例えば共和党の内部も分裂し、下院議長が15回投票しないと決まらないような状況の中、トランプ前大統領は再登板を狙ってしゃしゃり出てくる。しかし、党内でもトランプさんについていこうという人はごく少ない。一方で,バイデン大統領は大丈夫かというと、自宅で見つかった機密文書の件や、自身の高齢の問題(現在80歳)もある。米国自身が迷走し、危機的状況にあることが露呈している。米国のことも考えていかなければいけないということだろう。
 そして、ロシアがこの戦争の勝者になり得るという話。実はロシアはこの戦争の前から、「世界で米国だけが唯一の大国であってはならない、多様な世界でなければならない」といった趣旨のことを言っていた。いまロシアはウクライナでは大変な苦戦をしているようで、私たちはついそこだけ見てしまいがちだが、この戦争で結果的に世界がさまざまに分断し、多様なものになっていくとしたら、それはもっと広い、長いスバンで見ればロシアの世界戦略が実は成功しつつあるのかもしれない……。そういう冷静な視点でこの戦争を見ていかないといけないのだということを、トッドさんに教わった気がする。
 トッドさんはこの戦争が5年は続くと言う。私の推測だが.ロシアのプーチン大統領は、(第2次世界人戦の)独ソ戦でドイツの侵略を受けたときもウクライナで大戦車戦が展開され,4年かかってドイツを追い出したのだから、少なくとも4年くらいは続くだろうと考えているのではないか。私たちも残念ながら、あと3年くらいは覚悟しなければならないのかもしれない。
 結果的に勝者がいない戦争がいま展開されていることを、これも残念ながら私たちは認識しなければいけないと思う。
 最後に希望はあるかと問うとトッドさんは「ジョーカーだ」と少し笑って答えた。希望は持ちたい。箱からあらゆる災厄が世界に飛び出していっても,最後に一つ「希望」だけは残ったという有名な話もあるではないか。何とか私たちの手で希望を見つけていかなければならない。改めてそう考えた。

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田中克彦 抵抗する言語――ウクライナ問題と言語学

2023年08月19日(土)

戦争が始まって まもなく キエフがキーウに書き換えられた
もし学校のテストで キエフと書いたら × になるんだろうか……なんて考えた

言語学か…… まるで不勉強だったけれど 田中克彦さんの本を すこし読んだことがあって
おもしろかった
よくなじんでいるはずの世界を 違う方向から見せてくれるような

言葉があって 思いを通じ合わせながら 言葉があるために 心を閉ざしてしまうような

ルーシーの中心は かつてキエフにあったとか
それがモンゴルの侵略に遭い 北のモスクワが台頭してくることになるとか
それで もともとルーシーの人びとというのは どこから来たのだったか


―――――――――――――――――――――――――

【世界】2023年03月

抵抗する言語――ウクライナ問題と言語学

田中克彦


 言語学は戦争にも革命にも関心のない、世俗から超然とした学問なのか?――一見そのように見える――、こうした疑問は、過去にもときどき耳にすることはあった。じっさいに、「言語学を志す者は、無意味な政治問題に心乱されるようなことがあってはなりません」と、教壇の上から説教する教授もいた。これは日本に特有の現象かもしれない。
 言語学者は、ほんとうにそうだったのだろうか。否であると私は力をこめて答えたい。
 まず思い出すのは、第二次大戦終結の年、一九四五年に、ニューヨークで現れた言語学の専門誌『ワード(WORD)』創刊号の巻頭にかかげられた、アルフ・ソンメルフェルトの「言語問題と平和」(Alf Sommerfelt,Les questions linguistiques et la paix)である。この雑誌『ワード』は、アンドレ・マルチネ、ロマーン・ヤーコブソン、レヴィ=ストロースなどヨーロッパから亡命したユダヤ系の学者がニューヨークに集まり、ひそかに準備していた研究会が刊行したものであった。ソンメルフェルトはノルウェーの言語学者で、ナチスの侵攻に追われてイギリスに渡った亡命政権の文部大臣をつとめていた人らしく、ドイツの汎ゲルマン主義と、日本の言語系統論が南米にまで及んでいることを指摘した上で、「戦争が終わった今、我々はこれらの敵を武装解除したい
と欲する。この武装解除はまた、精神的にも行わなければならない」と結んでいる。
ここに言う系統論的な「日本語南米征服説」は、ちょっと古めかしい、あやふやな知識にもとづいているとしても、ドイツの言語学がナチズムの理論武装補強に資したという責めは否定できないだろう。
 同じように、ドイツ語そのものに現れたナチズムの特性を考察したヴィクトル・クレムペラー――指揮者オットー・クレムペラーの兄――の『第三帝国の言語〈LTI〉 ある言語学者のノート』(一九四七年)も忘れてはならない著作である(邦訳は一九七四年、法政大学出版局)。日本語においては、これに比すべき著作がないのは、日本で言語学にたずさわる人の、ある特性を示しているだろう(ドイツ語ではさらにその後、『非人間の辞典より』一九六七年など、クレムペラーの仕事を継承し、よりドイツ的なしつこさをもって深める作業が現れた)。
 雑誌『ワード』が、最初の数年間は、ドイツ語で書かれた論文を一篇も掲載しなかったのは、ソンメルフェルトの意向をソンタク(付度)したのであろう。
 これらの著作を並べたあとで、忘れずに記しておきたいのが、L・ヴァイスゲルバーの『ヨーロッパの言語的未来』(L.Weisgerber,Die Sprachliche Zukunft Europas,1953)である。
 これはスイスのドイツ語を話す人たち――スイスには四つの「国語」が憲法で定められていて、ドイツ語は最も多くの国民により用いられている――の、ドイツ語を話し続けていいか、という質問に答えた小冊子であるが、ヴァイスゲルバーはこれに対して、言語、民族、国家について縦横に語っている。私は一九六四-六六年の頃、ボン大学に留学中、この人の講義を聞き、また研究室をたずねて対話した。
 そうだ! 言語を支えるのは言語共同体(=民族)であり、それを基礎に国家が形成される、この点からみれば、今日の国際状況を考える上で、言語からの観点をさけることはできない。できると考えるのは、問題の重要な論点から目をそらすこととなるであろう。

■メイエ『新生ヨーロッパの言語』

 ここまでは第二次大戦について述べたが、じつは第一次大戦とそれに続くロシアの十月革命をうけて書かれたきわめて重要な著作がある。フランスを代表すると言っていい言語学者アントワーヌ・メイエが書いた『新生ヨーロッパの言語』(初版一九一八年、第二版一九二八年。この第二版の邦訳は一九四三年、三省堂。二〇一七年、岩波文庫から出ている)は、一般的概説ではなくて、言語学者にはめったにないことであるが、身をのりだして、個々の言語の優劣を論じ、存在してはいるが、あってはならない言語(たとえばウクライナ語!)を具体的に指摘した、おそるべき著作である。
 この本は、一九一八年の初版と一九二八年の再版とでは、題名は同じでも、まるで別の著作かと思われるくらい、内容は大幅に増補されている。著者は、この本はそのままにしておいてはならない、絶対に書き足さねばならないという思いにかられて一〇年後に増補版を出したものと見られる。増補されているのは、がいして、ロシア革命によっていかなる変化が生じたかを述べた部分である。だから、原著にある「新生」を省いて、時代の限定のない、あくまで一般的なヨーロッパ諸語の概説書であると見せかけた日本の出版社の意図は正しくない。
 この本を書いた理由として、メイエは、第一次大戦とロシア革命がもたらした結果であるという。このできごとによって何がもたらされたかといえば、「文明はいよいよ統一に向かっているのに対し、言語の数は増える一方」であり、特に新しいロシアすなわちソビエト連邦では、かつての蛮族のことばまでが文字を与えられて、学術や文学の領域に至るまで用いられることになり、ヨーロッパの統一を乱している。「全世界はただ一つの文明をもつ方向に向かっているのに、文明語(langue de civilisation)の数は増える一方である」。それは民族自決権の主張がこのような状況をもたらしたものだと嘆く。
 かつては、「独、英、スペイン、仏、イタリア語」の五つの言語で理解できた世界が、もうこれだけでは足りない。で、新しく生まれた言語は、たいていは、文明化されていない地方や僻地の農民などの方言や土語であって、いずれも「つまらない」ことばばかりであると。

■ことばの数は増え続ける

 近代化の過程における言語の数の増大は、言語学者だけでなく、政治学や社会学の人たちからも、驚きをもって注目されていた。
 カール・W・ドイッチュが一九三九年に発表した論文の中で、整理された文法と正書法をそなえた書きことばは、一八〇〇年から一九〇〇年までの聞に一六から三〇に増えた、さらに一九〇〇年から一九三七年の三七年の間には五三を数えるまでになったと指摘している。つまり二〇世紀がはじまってから三七年の間には、一九世紀の百年間に増えた数の倍をこえる言語の増加があったことを明らかにした。これは言うまでもなくヨーロッパ全土にわたり、民族意識が高揚し、その民族が国家的独立を求めた結果によるものである。
 もちろん、これら新しく生まれた言語は、民族や国家が突如製造したものではない。民族が自治領域あるいは国家という独自の単位を作ったことによって、それら言語の存在がはじめて明らかになり、国際的にも認知されたというだけのことである。世界の言語の数は今日、七千ないし八千と言われているが、かつてフランス科学アカデミーは二七九六と決定したという。これには何をもって一個の言語と認めるかという、終わりのない議論があることを知っておかなければならない。
 まともに使える「言語」の数は少なければ少ないほどいいという考えは、メイエだけのものではない。マルクス主義の創始者たちにあってもしかりである。エンゲルスは民族を「歴史ある民族」と「歴史なき民族」に区別して、歴史ある少数の民族の言語のみが歴史を担う資格があるとした。そして、当時ロシア人は、歴史ある民族には数えられていなかったのである(良知力「48年革命における歴史なき民によせて」『思想』一九七六年一〇月号参照)。
 こう聞いて、マルクス主義を支持する人たちは反論するであろう。否、ソ連邦はあれほど多くの言語を世界史の舞台に出したではないかと。事実スターリンは、一九二五年の東方労働者共産主義大学(クートゥヴェ КУТВ)創立四周年を祝う記念講演で、「社会主義革命は、それまで知られていなかった多数の民族語の新しい生命をよみがえらせた」と述べた。当時スターリンはそれを「五〇以上の民族語」と誇ったが、その後、控えめに見ても一二〇をこえていた。
 ソビエトロシアにおけるこのような転回は、オーストリア・マルクシストの影響による、ソ連マルクシズム特有の新しい転回であって、これを私は、ソビエト・マルクシズヘヘムの元マルクシズムからの逸脱と呼んでいる。

■ウクライナ語はロシア語の方言?

 話をメイエの著作にもどそう。メイエの専門は何といってもスラヴ語学である。だからかれがロシアについて述べるところでは最も学識が現れ、力がこもる。かれは、革命後、まずロシアの貴族社会から文明語のフランス語が追放されたことを嘆く。貴族の家庭では、乳母は農奴の女を雇い、その乳によって児を育て、幼児の頃からはフランス人を雇ってフランス語の教育をする。親たちは、こどもたちがロシア語のような下等の言語をしゃべることを望まず、高級な文明語たるフランス語がしゃべれることを自慢した。これはロシアの著名な作家たちが幼児期を回想した自伝などで語っているからよく知られている。
 で、ロシア語は言語学上、東スラヴ語派に属し、その仲間にはウクライナ語とベラルーシ語がある。これら三つの言語相互の間は大変近く、たがいに理解できるくらいである。その近さのゆえに、ウクライナ語とベラルーシ語はいずれもロシア語の方言と見なされているほどである。
 したがって、メイエは当時の慣例にしたがって、ロシア語をGrand-ruse(大ロシア語)、ウクライナ語をPetitt-ruse(小ロシア語)と呼んでいる。小ロシア語を知る人は難なく大ロシア語を習熟することができるので、「小ロシア語なるものを確立することは必要でもなく有益でもなかった」。だから「ウクライナ政府が小ロシア語を国語にすることは、農村の土語に基礎を置く特殊語を都市住民に課することになり、文明を低下させるものである」。「小ロシア語の住民は大ロシア語から遠ざかることによって、みずからこの利益をすてたのである。彼等は力の及ぶ限り大ロシア語の進出を阻止している」。
 この文章を読む人は、誰しも二〇二二年にウクライナを侵攻したプーチン氏とまったく同じ思想を読みとることであろう。

■アウスバウ――方言からの独立へ

 さきに、一九世紀から二〇世紀にかけて、有力な大言語に従属する小方言が、次々に民族とその国家の独立を表示することばとして姿を現す流れを見た。メイエがそれを、文明の流れの方向は一つであるのに、言語だけが分裂していくのは人類にとって損失だと嘆くさまを見た。
 言語学者は、あるいは言語学はすべてそのように見るのであろうか。そうではない。ここにどうしても紹介しなければならない別の研究がある。著者はハインツ・クロスと言い、その著書の名は『一八〇〇年以降の、新しいゲルマン系文化語の発展』(Heinz Kloss,Die Entwicklung neuer germanischer Kultursparachen seit 1800,Düsseldorf,1978)である。
 ここには、ウクライナ語よりもはるかに話し手人口が少なく、歴史にも名を出さない北欧のアイスランド語や、フリースランド語のような言語から、パプア=ニューギニアの国語にもなった、崩れた英語に由来するトクピシンにまで話がおよんでいる。
 著者は、これらの小さな、世間から見れば素性のあやしい言語が、いかにして維持されるかについて興味深い観察と分析を行った結果、これら大言語に依存する小方言が、いずれも、大言語からの距離をもつために、さまざまな努力を払っているさまを描き出した。
 クロス氏はこの努力と、その結果現れる現象をアウスバウ(Ausbau)と呼んだ。「拡張」というような意味らしい。つまり、その方言にさまざまな可能な努力を加えて、言語の領域を広げて身を守り、大言語からのへだたりを作るというような意味だ。これらの小さな方言的言語はそのよう


〈140〉
にしないと、たちまちに隣接の大言語に吸収されて消えてしまうおそれがあるからである。
 それに対して、小さくとも、とりまく大言語とはきわだって異なる言語は、とりつく島もないように、隣接の大言語に吸収されるおそれはない。日本で言えば、アイヌ語がそうである。このような言語をAbstand(アプシュタント:間隔)の言語と呼んだ。
 このアウスバウ言語、アプシュタント言語の区別を、私は、言語を単に発生的に系統で考えるだけでなく、別の方向、つまり、置かれた状況から見る視点を得るために、さまざまな状況に応用して考えてみた。そして、これをとりあえず日本語でもわかるように、アウスバウを「造成」、アプシュタントを「隔絶」と訳して、いろんなケースにあてはめて考えてみた。この訳語が適切か否かは、いまは問わないことにして。たとえば日本語との関係で、アイヌ語はアプシュタント(隔絶)言語であり、オキナワ諸語はアウスバウ言語だと言えるだろう。そして一九八一年、『ことばと国家』(岩波新書)でも紹介した。いま考えてみると、このアウスバウこそは、まさにロシア語に対するウクライナ語の関係を考えるのに大いに役に立つ。
 アウスバウ(拡張)とは、言語をそれとして意識するだけでなく、話し手の多大な努力を要する作業である。そして話し手が大言語と自らの母語との差を冷静に意識して、自分の言語=母語の使い方に努力する過程でもある。もし私がウクライナ語の歴史を書くとすれば、ロシア語を意識しながら、まずそこで用いる語彙のアウスバウの過程を考えることからはじめるであろう。
 歴史をふりかえってみると、このアウスバウの問題に最初に手をつけたのは一七世紀以来のドイツ語だった。「モノ」を表すobject(対象)に、私の耳には大変ものものしく響くゲーゲンシュタントGegenstandを与えるなどして、ドイツの哲学は、自前の材料を用いて地のことばに言い換え、かれらの哲学を独特の風貌をもつ学問につくりかえた。この方式は、全世界の後進諸語、すなわち未開、野蛮な国の言語に一つの行動規範を与えることになり、日本語も、漢字をつかってだが、それをまねて大規模に実行した。ロシア語ももちろんこの方式により、多数の文明的近代語彙を製造したのであるが、わが日本のロシア語学はロシア語しか見ていないから、あまりそんなことには注意を払わなかった。

■独立を求めてたたかう方言

 クロスさんは、さきの著作ではテーマがゲルマン語なので、ゲルマン諸語についてだけ述べているからふれなかったが、それより一〇年ほど前に書かれた別の著作『二〇世紀の民族政策の基本問題』(Grundfragen der Ethnopolitik im 20.Jahrhundert,1969)では、ウクライナ語独自の行政用語が、ソビエト政権下でロシア語にとりかえられていったさまに言及している。それに抵抗したウクライナの言語学者たちが厳しい刑に処せられたことについてはいくつもの研究がある。
 ソビエト政権のロシア語は、この政権下に生まれたロシア語の新語を、政権下の諸言語に翻訳することを許さなかった。それらの単語は「ソヴィエティズム」を表現するための魂のこもった語彙であるとして翻訳することを禁じた。日本を含むほとんどの外国では何の抵抗もなく、このソヴィエティズムを受け入れた。しかし、ロシア語に直接隣接する諸言語はСовт「ソビエト」を直接導入せず、自前の材料を用いて翻訳し、それを、ソビエト崩壊まで貫いて用いたのである。
 私の知識の範囲で挙げると、フィンランド語ではneuvosto(会議)、モンゴル語zöblölt(会議の)、ウクライナ語はрадаとしており、語源はドイツ語の(あるいはポーランド語を介しての)Rathaus ラートハウス(市役所)のRatにあたる。(冒頭写真の「ソビエト社会主義共和国」の表記も、ウクライナ語版ではрадаラーダが使われている)
 この母語化した一語を守るために、ウクライナのいかにすぐれた言語学者たちの命が失われたかを心にとどめておく必要がある。
という間に文字をおぼえ、識字率が一挙にあがったという。だが、いずれにせよ、これによって、東アジアを支配する唯一の文明語たる漢字からの自立をはたすための、断固たるアウスバウの表明だったのである。これにより、すべての朝鮮人は、漢字とそのイデオロギーによる永劫(えいごう)の支配から決然として脱することができたのである。これはヴェトナムが先んじて達成していたことだが。日本が同じ道を歩まなかったのはなぜか。これこそは日本の歴史学者が、とりわけ国語学者が朝鮮語などとの対比において解明しなければならない問題であろう。

■「文明」から排除される「民族」

 ここで私たちは、一九世紀から二〇世紀のはじめにかけにしないと、たちまちに隣接の大言語に吸収されて消えてしまうおそれがあるからである。
 それに対して、小さくとも、とりまく大言語とはきわだって異なる言語は、とりつく島もないように、隣接の大言語に吸収されるおそれはない。日本で言えば、アイヌ語がそうである。このような言語をAbstand(アプシュタント:間隔)の言語と呼んだ。
 このアウスバウ言語、アプシュタント言語の区別を、私は、言語を単に発生的に系統で考えるだけでなく、別の方向、つまり、置かれた状況から見る視点を得るために、さまざまな状況に応用して考えてみた。そして、これをとりあえず日本語でもわかるように、アウスバウを「造成」、アプシュタントを「隔絶」と訳して、いろんなケースにあてはめて考えてみた。この訳語が適切か否かは、いまは問わないことにして。たとえば日本語との関係で、アイヌ語はアプシュタント(隔絶)言語であり、オキナワ諸語はアウスバウ言語だと言えるだろう。そして一九八一年、『ことばと国家』(岩波新書)でも紹介した。いま考えてみると、このアウスバウこそは、まさにロシア語に対するウクライナ語の関係を考えるのに大いに役に立つ。
 アウスバウ(拡張)とは、言語をそれとして意識するだけでなく、話し手の多大な努力を要する作業である。そして話し手が大言語と自らの母語との差を冷静に意識して、自分の言語=母語の使い方に努力する過程でもある。もし私がウクライナ語の歴史を書くとすれば、ロシア語を意識しながら、まずそこで用いる語彙のアウスバウの過程を考えることからはじめるであろう。
 歴史をふりかえってみると、このアウスバウの問題に最初に手をつけたのは一七世紀以来のドイツ語だった。「モノ」を表すobject(対象)に、私の耳には大変ものものしく響くゲーゲンシュタントGegenstandを与えるなどして、ドイツの哲学は、自前の材料を用いて地のことばに言い換え、かれらの哲学を独特の風貌をもつ学問につくりかえた。この方式は、全世界の後進諸語、すなわち未開、野蛮な国の言語に一つの行動規範を与えることになり、日本語も、漢字をつかってだが、それをまねて大規模に実行した。ロシア語ももちろんこの方式により、多数の文明的近代語彙を製造したのであるが、わが日本のロシア語学はロシア語しか見ていないから、あまりそんなことには注意を払わなかった。

■独立を求めてたたかう方言

 クロスさんは、さきの著作ではテーマがゲルマン語なので、ゲルマン諸語についてだけ述べているからふれなかったが、それより一〇年ほど前に書かれた別の著作『二〇世紀の民族政策の基本問題』(Grundfragen der Ethnopolitik im 20.Jahrhundert,1969)では、ウクライナ語独自の行政用語が、ソビエト政権下でロシア語にとりかえられていったさまに言及している。それに抵抗したウクライナの言語学者たちが厳しい刑に処せられたことについてはいくつもの研究がある。
 ソビエト政権のロシア語は、この政権下に生まれたロシア語の新語を、政権下の諸言語に翻訳することを許さなかった。それらの単語は「ソヴィエティズム」を表現するための魂のこもった語彙であるとして翻訳することを禁じた。日本を含むほとんどの外国では何の抵抗もなく、このソヴィエティズムを受け入れた。しかし、ロシア語に直接隣接する諸言語はCOBET「ソビエト」を直接導入せず、自前の材料を用いて翻訳し、それを、ソビエト崩壊まで貫いて用いたのである。
 私の知識の範囲で挙げると、フィンランド語ではneuvosto(会議)、モンゴル語zoblolt(会議の)、ウクライナ語はpaπaとしており、語源はドイツ語の(あるいはポーランド語を介しての)Rathaus ラートハウス(市役所)のRatにあたる。(冒頭写真の「ソビエト社会主義共和国」の表記も、ウクライナ語版ではpauaラーダが使われている)
 この母語化した一語を守るために、ウクライナのいかにすぐれた言語学者たちの命が失われたかを心にとどめておく必要がある。
 日本の敗戦とともに南北ふたつの朝鮮が、そろって漢字を放棄した理由を、この機会に考えてみよう。今日では韓国の知識人の多くは、漢字のない不便さを嘆き、漢字を失ったことは韓国の学問をはじめ、知的世界にとって大きな損失であったと嘆く。しかし他方では、これこそは、すべての韓国人があっという間に文字をおぼえ、識字率が一挙にあがったという。だが、いずれにせよ、これによって、東アジアを支配する唯一の文明語たる漢字からの自立をはたすための、断固たるアウスバウの表明だったのである。これにより、すべての朝鮮人は、漢字とそのイデオロギーによる永劫(えいごう)の支配から決然として脱することができたのである。これはヴェトナムが先んじて達成していたことだが。日本が同じ道を歩まなかったのはなぜか。これこそは日本の歴史学者が、とりわけ国語学者が朝鮮語などとの対比において解明しなければならない問題であろう。


■「文明」から排除される「民族」

 ここで私たちは、一九世紀から二〇世紀のはじめにかけ着語との接触がロシア語の劣化を招いたという議論に二〇世紀に入ってから敢然と反論したのが、ニコライ・トルベツコーイなどのユーラシア主義者たちであった。
 こうした印欧語比較言語学にのみ込まれた文明主義からの脱出は、いろいろな仕方で、無意識的にも意識的にも試みられたが、私としては、何としてもフェルディナン・ド・ソシュールの苦悩に満ちた試みをあげなければならない。
 ソシュールは、その青年時代を、ライプツィヒとベルリンで、印欧語比較研究のまっただ中で過ごした。かれ自身、二一歳の若さで、「印欧諸語における母音の原初体系についての覚え書き」(一八七八年)を発表して、大いに注目されたが、ジュネーヴに帰ってからしばらくの沈黙の後、ジュネーヴ大学で一九〇六年から一九一一年にかけて三回の講義を行った。この講義はソシュールが残したメモと、講義に出席した学生の筆記にもとついて、弟子のシャルル・バイイとアルベール・セシュエとが講義を再現しようとしてまとめた『一般言語学講義』を通して知ることができる。
 その後一九五〇年代になって、ソシュールが自ら執筆した著書ではないというので、さらに資料をあさって本物の講義を復元しようという野心家がいろいろ試みたが、私は、バイイがソシュールの意図を十分にとどめてくれていると信じて、まずこのバイイ編の講義を繰り返し味わい、それを縦横に理解することが肝要だと考え、折あるごとにその読解に沈潜した。
 ところが、ソ連の学界はソシュールと、それが触発した欧米のすべての流れを、反マルクス主義的反動思想であると、全面的に否定した。私は、この種の論評に強い関心を抱き、できればその路線に立とうと努力してみた。しかし、それを読めば読むほどソシュールの主張の鮮やかさにひかれたのである。
 ソ連のソシュール批判の要点の一つは、その方法が「反歴史的」だということである。印欧語比較言語学の「比較・歴史的」な方法から外れてはならないというのである。ソシュールの理論は、「歴史(的)」ということばを避けてdiachroniqueと言い、それに対立する「没歴史的」という意味で共時的(synchronique)ということばで語られている。したがってソシュールの言語学は「共時言語学」と呼ばれる。『講義』に「歴史の介入は人の判断をゆがめる」という鋭い指摘がある。

■文化領域の巨大な変化の中で

 このような考えがどこから生まれたのであろうかと考えた。そして、ソシュールがこの「歴史主義」というよりは「歴史でのみ」という流れを押しのけて、共時主義に至ったのには、エミール・デュルケムの社会学の影響があったことに気づかざるを得ないのである。
 このことを知るためには一九三三年に書かれた、ワルシャワ大学のW・ドロシェフスキーの論文、「デュルケムとソシュール」である。この論文はすでに一九三四年に小林英夫によって翻訳され、今では『20世紀言語学論集』(みすず書房、二〇〇〇年刊)に収められているので読むことができる。
 ヨーロッパでこのようにひそかに進んでいた学問的雰囲気の変化は、ほとんど同時に、アメリカでは言語学と人類学の世界で生じて文化人類学の発生をうながし、アメリカで進められていた新しいモードが誕生したのである。
 デュルケム社会学の影響の下に生まれたソシュールの言語学は、言語のわくを破って、文化の諸現象を、文明の流れの外に置いて、個別、固有の現象として、それ自体の独自の価値をもつ単位として観察する構造主義の大きなうねりとなって展開した。一九世紀の最終期から二〇世紀の初めにかけて生じたこの動きは、レーニン、スターリンの名とともにソ連の思想界がひろめた「史的唯物論」に鋭く対立するものであり、ソ連のイデオローグたちは、それを脅威に感じとって反応したにちがいないことがわかる。
 この、文化を扱う領域に起きた巨大な変化は、学問の領域をはみ出し、無意識にも人々の気持ちを世界規模で変えていったさまは、それと気づかれず、世界の学界に潜行した、一種の文化的革命、否、反革命とも呼ぶべき巨大なうねりとなり、それはいまなお進行中である。

 ロシアの大統領プーチン氏が「まつろわぬ民」ウクライナに軍を侵攻させてから間もなく一年になる。その時私がまず思い出したのは、ほぼ一世紀前にメイエが発したウクライナ語に関する感想である。プーチン氏にあっては、ウクライナ語などは存在すべきでないという思いは、この百年のうちにいっそう強化されたのであろう。ロシア軍の侵攻を、ある人たちは侵略と言いかえた。プーチン氏は、かつて十字軍が異教徒や異端の征伐に向かったときのように、むしろ懲罰と意識したであろう。文明の発展に逆らう逆賊は滅びるべきであると。
 文明は未開の植民地に進出する際には、必ずそう自らの植民地侵略を正当化してきた。日本の教養層もまた、そのような信仰の中で自らを形成した。大学をはじめあらゆる拠点を文明の奔流がおおいつくしても、なお極東の一蛮族の未開な「民俗」を足場にして抵抗し続けた柳田國男などの仕事がいまにしてまぶしく思われるのである。





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寺島実郎 脳力のレッスン(249) 近現代史の折り返し点に立つ日本――「歴史総合」導入の衝撃

2023年08月19日(土)

ひと皆使うだろう個室に日本地図と世界地図の地図帳が置いてあって
ときどきページを開いて眺めている
高校のころ 地理の教員は イヤなやつだった
紛争収束後 まもなく別の高校の校長に転じたと聞いたが どうだったか
だから地理に興味はなかった……というほどではなかったけれど
いまはどうか知らないけれど 大学受験で地理を選択する人は少なかったのではなかったか
そもそも地理が受験科目にあったんだろうか

歴史に教科書には もちろん地図帳など収録されてはいない
テーマによって ごくごく簡単な地図が挿絵として載っている程度か

世界史の授業で 列島の国のことを聞くことはほとんどなかった
日本史の授業はどうだったか
ちょっと変わった教師に教わった
変わっていたかどうか むしろ彼の教え方が その高校の看板のひとつだったのではなかったか
そんな覚えがある
でも 意識して世界の あるいはアジアの 極東の歴史がとりあげられることは ほとんどなかったのではないだろうか

そんなことを思い出しながら 読んでいた


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【世界】2023年03月

脳力のレッスン(249)
近現代史の折り返し点に立つ日本――「歴史総合」導入の衝撃

寺島実郎


 「歴史とは現在と過去の対話である」というのは、歴史家E・H・カーの名言であるが、より踏み込んで思索を深めるならば、「歴史は過去と現在と未来の相互対話で成り立つ」と思われる。その意味で、日本にとって二〇二三年は歴史的な節目の年である。明治維新からアジア太平洋戦争における敗戦までの「明治期」が七七年、その一九四五年の敗戦から二〇二二年までが七七年であった。明治期と戦後期がともに七七年という折り返し点を迎えたのである。
 さらに、想像力を膨らませて、これからの七七年先を見据えるならば、七七年後は世紀末で、二二世紀を目前とする年ということになる。歴史意識を研ぎ澄まして、近現代史における我々の立ち位置を確認し、近未来の日本に突きつけられている課題を正視しなければならない。
 明治維新の頃は三三八〇万人、敗戦直後は七二一五万人であった日本の人口は、二〇〇八年に一・二八億人でピークを迎え、昨年は既に一・二四億人にまで減少し、二一〇〇年の人口は中位予測で約五九七二万人とされる。人口が半減すると予想される時代と並走することになる。
 もう一つ、視界に入れるべき数字として、世界GDPにおける日本の比重を確認しておきたい。統計ベースが異なるが、明治初期、世界GDPに占める日本の比重は三%前後と推計される。第一次大戦から第二次大戦の戦間期、日本の比重は五%前後まで高まったがこれが明治期におけるピークだったと推定される。敗戦後、一九五〇年の世界GDPにおける日本の比重は約三%であり、戦後期を通じてのピークを迎えたのは一九九四年の一八%であった。この数字が昨年ついに四%台となった。二一世紀直前の二〇〇〇年には一四%であったから、今世紀に入っての急速な埋没である。これからの七七年間で如何なる推移を辿るかは分らない。ただ、このままでは、二〇三五年までに三%を割り込む可能性が高い。
 「GDPはGDPにすぎず、人間社会総体の価値を投影するものではなく、もはや『成長志向』の時代ではない」という議論も大切にしたい。だが、GDPは創出付加価値の総和であり、国民経済の活力を反映する指標とするならば、世界経済の中で日本が相対的に沈下していることは正しく認識すべきである。
 こうした数字を視界に入れるだけで、気が遠くなる近未来と向き合っていかねばならないのだが、その前提として、我々は「明治期」「戦後期」とされる時代とは何だったのかについて真剣に考察し、未来圏への道標とせねばならない。

■「歴史総合」導入の衝撃と苦闘

 奇しくも、昨年四月から日本の高等学校に「歴史総合」という必修科目が導入された。これまでの「世界史」「日本史」という分類での歴史教育ではなく、全高校生が「歴史総合」を学んだ後に、探究科目として「世界史探究」、「日本史探究」の履修が可能ということである。地球を一つの星として捉え、世界史と地域史の相関を視座とする「グローバル・ヒストリー」というアプローチは、世界における歴史研究の主潮であり、日本の教育現場にもこのアプローチが導入されたわけで、妥当な方向だと思う。
 だが、話は単純ではなく、教育現場には静かな混乱が生じている。誰が教壇に立ち、何を教材としてどう教えるのかという問題が浮上してくるのである。「歴史総合」の導入の狙いについては、「①世界史と日本史を関連付けて教える、②古代からの通史ではなく、主に近代、現代を扱う、③現代に生きる私たちの社会の在り方や直面する課題を学ぶ」と説明されており、まさに戦後日本の歴史教育が忌避してきたことに正対する試みである。
 戦後の歴史教育を受けてきた多くの日本人の知的欠陥は「近代史への基本認識が欠落している」ことにある。日本史を高校で学んだ人も、多くは縄文弥生で始まった授業が幕末維新で時間切れとなり、近代史は自習してくれというのが常態であった。多くの人は明治期の歴史には向き合うことなく社会人として生きてきたのである。私は一五年以上も日中韓の大学の単位互換協定たる「キャンパス・アジア構想」に関わってきたが、日本人がそれを「反日教育」と呼ぼうが、中国・韓国の学生は近代史だけは刷り込まれており、日本の学生との大きなギャップを感じる。
 現在、書店には「歴史総合」を意識した書物が並ぶ。歴史教育の教壇に立つ教師は、教科書、副読本として何を使うかに頭を悩ませていると思う。岩波講座『世界歴史』(全二四巻、岩波書店)や『歴史の転換期』(全一一巻、山川出版社)など歴史学会の集合的努力によるグローバルな視界からの歴史認識を探る試みもなされている。また、『高校生のための「歴史総合」入門――世界の中の日本・近代史』(全三巻、浅海伸夫、藤原書店、二〇二二年)や岩波新書の『シリーズ歴史総合を学ぶ①②』(成田龍一、小川幸司編、二〇二二年)、は視界に入れるべき論点を探る手掛かりになるであろう。
 ただし、明治期を的確に捉えることは容易ではない。「歴史総合」の教科書に一通り目を通したが、明治レジームの評価に関し、肝心なことに踏み込めないでいるという印象はぬぐえない。例えば、明治維新から一九四五年の敗戦に至る体制の「どこに問題があって、あの無謀な戦争に至ったのか」という素朴な疑問にどこまで的確に答えられるであろうか。
 しかも、二〇一六年六月の改正公職選挙法施行により一八歳に選挙権年齢を引き下げたところであり、それは高校生が政治参画することを意味し、学びたての近現代史理解が投票行動の基底に影響を与えることは容易に想像できる。どの教科書、副読本で学ぶかが意思決定に重い意味をもつのである。それは天皇制の在り方を含め、憲法改正につながる現代日本の課題に対して重要な判断材料を提供することになるのである。

■明治期レジームの評価という重い課題

 歴史総合が近現代史に焦点を当てるということは、「幕末・維新」から「敗戦」に至る時代をどう認識し、いかに評価するのかを正視することである。つまり、先述の明治維新からの七七年と正対することが歴史総合の焦点なのだが、それは勇気の要ることである。何故なら、それはこの時代の「国体」の本質を探ることであり、必然的にこの時代の天皇制に論及することになるからである。
 私が『人間と宗教 あるいは日本人の心の基軸』(岩波書店、二〇二一年)を書き進める上で苦闘したのが、「戦後期」を生きてきた人間として、「明治期」と「戦後期」で一八〇度転換してしまった日本人の価値基軸を体系的に確認することであった。そして、明治期のレジームが微妙な二重構造になっていたことに気付き始めた。その構造こそが我々の近現代理解を難しくしているのである。
 「尊王援夷」を旗印に討幕を果たした明治維新は「天皇親政の神道国家」を目指すことで出発した。古道への回帰であり、「復古」であった。本居宣長(一七三〇~一八○一)に代表される江戸期における国学は、文明文化において決定的な影響を受けてきた中国の「からごころ」から日本の「やまとごころ」を自立させる起点となった。水戸学の主柱たる会沢正志斎(一七八二~一八六三)は、「新論」で皇室を中心とする「国体」の優越性を語り、日本人全体が皇室を尊び、天皇を中心に大名、武士が結束して外国を排除する流れを形成する基点となった。
 一八六七年に「王政復占の大写令」が出され、「諸事神武創業の始」に基づく祭政一致国家を目指す基本方針が示された。「天皇は神聖不可侵で、元首にして統治権を総攬する」という「国体」が重視され、一八七〇年には「大教宣布の詔」が出され、仏教さえ排除する「天皇親政の神道国家」を目指すというのが明治期の通奏低音だったのである。それが次第に「開国近代化」を推し進める方向へと変質していく。明治新政府は岩倉使節団の米欧回覧(一八七一~七三年)などを通じて、列強に伍すためには近代国家体制の確立が不可欠であることを認識し、内閣制度導入(一八八五年)、明治憲法制定(一八八九年公布)、国会開設(一八九〇年)、を進めていく。さらに「殖産興業」「富国強兵」を掲げて、日本型資本主義を展開していく。「復古」という下部構造の上に「開化」という上部構造を載せた二重構造が明治レジームの基本構造となるのである。
 祭政一致を目指し、神祇官制を復活させて動き始めた明治政府が教部省体制に移行(一八七二年)、その下に置いた教院・教導職を廃止したのが一八八四年で、建前上は国家的宗教制度は廃止された。だが、明治維新をもたらした「天皇親政の神道国家」を希求する意識は「密教」のごとく封印され、埋め込まれた。「復古」を内在させた「開化」、ここに明治期の評価の難しさがあり、明治レジームの危うさはこの構造に由来するといえる。昭和期に入り、その危うさが露呈する。富国強兵で自信を深め、新興の帝国主義国の性格を強め始めた日本への欧米の圧力が強まり、日本の孤立と閉塞感が高まる(一九三三年の国際連盟脱退)と、埋め込まれていた下部構造(天皇親政の神道国家)が、近代国家という上部構造を突き上げて顕在化するのである。
 「天皇は主権者ではなく、国家の最高機関」とする天皇機関説は、立憲君主制の常識といえるが、それを排除する国体明徴運動(一九三五年)が起こり、翌一九三六年には天皇親政国家を再興せんとする陸軍青年将校による「二・二六事件」が暴発した。そして「軍の統帥権は天皇にあり、内閣などの国務機関の意向を超越している」とする統帥権干犯問題が軍部の専横を招き、日本を戦争への道に追い込んでいった。
 今日では遠景となった明治期への視界を拓く上で有効な教材が、戦前の「高等科国史」である。つまり、戦前の高校生がいかなる歴史教科書を学び、いかなる歴史認識を身につけていたのかを確認することである。「高等科国史」(昭和一九年版)は「神勅」から始まる。日本は神の国であり、「天照大神」がその子孫としての皇孫をこの国に降臨させたとする話から始まり、万世一系の天皇の下に「皇威の伸張、尊王思想、朝威の更張としての明治維新の大業」という歴史観が貫かれている。民族の神話と権威付けはいかなる国にも存在するが、自尊を突き抜けて排他的選民思想に転ずる時、害毒が生じるのである。
 ほぼすべての明治期の国民がこの国定教科書の歴史観を強要されることで身につけた価値観を想うと戦慄を覚える。そして、自国を極端に美化する民族宗教(国家神道と国家権力が一体になることがもたらした八〇年前の日本の狂気が、今まさにプーチンのロシアが「ロシア正教」という民族宗教で国民を戦争に駆り立てている構図と近似していることに気付くのである。羽賀祥二の『明治維新と宗教』(筑摩書房、一九九四年)は「敬神愛国」を軸とする国民教化による天皇神格化の過程を冷静に検証している。

■明治という時代と天皇制

 明治期について真剣に思索する機会も少なく、近代史を空白にしたまま戦後日本を生きた日本人の多くは、司馬遼太郎を通じて近代史に触れたともいえる。『竜馬がゆく』(一九六三年)『坂の上の雲』(一九六九年)『翔ぶが如く』(一九七五年)は総計で五六〇〇万部(二○二二年六月現在)も売り上げ、司馬遼太郎は国民作家といわれるほど読まれてきた。戦争に至る歴史への罪悪感を抱きつつ、ひたすら「経済の時代」を生きた戦後日本人にとって司馬遼太郎の描いた近代史は救いだった。司馬は明治という時代を支えた青年群像を描き、国家と帰属組織と個人の目標が一気通貫で「坂の上の雲」を見つめていた時代として伝えた。「国民戦争」として日露戦争を描いたのである。だが、不思議なほど司馬は昭和の戦争に至った明治体制の矛盾、とくに国民を駆り立てた「国家神道」については言及しなかった。自分自身の戦争体験を通じた昭和の軍部には厳しい批判を繰り返したこともあり、日本人は「明るい明治と暗い昭和」という視界を共有していった。
 検定済みの「歴史総合」の教科書も、ほとんどは「西力東漸(せいりきとうぜん)」の中で迎えた明治期を「日本の近代化の時代」と描いている。微妙に「国家神道」と「国体」がもたらした悲劇への言及を避けており、実はこのことが現代日本の選択に関する議論を曇らせてきたといえる。敗戦後の一九四五年一二月、GHQは「神道指令」を出し、「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止」を指示し、翌四六年の天皇の「人間宣言」がなされ、それが象徴天皇制への導線ともなった。
 占領下の指令により、日本人の心に浸透していた国家神道的価値観が唐突に消去された空白は、埋められないまま放置されてきたといえる。それ故に、国家神道の残影は今日も明治期に郷愁を抱く人達の中に生き続けている。例えば、二○一七年三月、安倍政権は「教育勅語」の副読本化を閣議決定した。教育勅語の大半は人間社会における良識的徳目を示しており、今日でも尊重されるべしという考え方のようだが、教育勅語の本質が国家神道を支柱とする「主権在君」にあり、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」という価値に帰結していることを忘れてはならない。また、自民党の憲法改正案では「天皇を元首とする」となっており、明治期への省察は見られない。
 歴史総合の導入を機に、日本人が再認識すべき柱の一つは「象徴天皇制」の意義である。権力というよりも権威として定着してきた日本の歴史における天皇制の意味を熟慮し、権力と一体化した明治期の絶対天皇制に対して、本来あるべき天皇制に近いものとして象徴天皇制を安定的に根付かせることが問われているのである。日本人に求められるのは、現代から過去への冷徹な問いかけであり、それを未来に繋ぐ真摯な視座の構築であろう。






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原武史 葛西敬之は日本の鉄道をどう変えたか



もうだいぶ前のこと,本の題名は忘れたけれど,元国労の幹部が,民営化にいたるころの日本国有鉄道,国労や動労などの動きをについて書いた本を読んでいて,
国鉄を放り出されて,清算事業団に行き,それから自治体などに転職していった人たちのことを考えていたことがあった.
いつだったか,スト権ストのころか,上尾で「暴動」めいた事件があったりしたころ,
電車に組合のスローガンなどが大書されていた.
スローガンを,自分たちの主張を広く伝えることがいけないとはいわないけれど,
さて,電車にペンキで大書して,乗客としてはあまりいい気持ちはしないだろうな,なんて思っていた.いや,ひとのことをとやかく言える身ではないなとは思ったけれど,
ちょっとわが身を振り返ったりしていた.

それで,その本だったか,あるいは別の場所でだったか,葛西敬之というひとが,分割民営化は経営的な合理性ではなく,対労働組合,たんてきに国鉄の労働組合を叩き潰すための選択肢だったというようなことを語っていたというのだった.

国鉄や電電など,どういう人材を集めていたか,思い出す.
田舎に行くと,国鉄や電電などに,優秀な子たちが就職していったのではなかったかな.
そのなかから選抜されて,中央で研修を受けたりしながら,じっさいの現場を取り仕切っていたんだろう.葛西さんのような人たちがどんなキャリアパスを描いていたか.

民営化前後に国鉄に就職した,技術系の本社採用組の人の話を聞いたことがあった.
かれはそれこそ数年後,地方の鉄道管理局で課長として,鉄道のインフラの維持にあたっていたんだろう.鉄道が好きで進んだ,といっていた.しかし,労使の関係の悪化は,現場の席に者にはとても負担が重かった,というか,たぶん仕事が楽しくなくなっていったのだろう.
辞める,という選択をしたのだという.自治体に転職した.そこで勤め上げたんだろうか.もう退職しているんだろうか.
葛西さんもそれこそ30歳くらいで,静岡だか,鉄道管理職の人事課長かなにかに就いていたようだ.そこで,本を書いた労組の活動家と知り合う.

……この国の交通政策が,たぶん鉄道の現状をつくっているんだろうとは思う.
ほんとうにそれでよかったのか,とも思う.ヨーロッパなどで,鉄道線路の距離が伸びているとか聞く.実際にそうなのか,詳しくはないのだけれど,鉄道関係のテレビ番組などを見ていると,そうかもしれないな,と思う.
アジアではどうなんだろう.中國あたり,西に向かって新線を建設したりしたらしいし……とか.
ものの本によれば,ヨーロッパでは,上下分離による建設が多いとか聞く.
鉄道とか,電力とか,より効果的にネットワークをつくっていくことが求められていたのではなかったかな.
しかし,電力は,戦後発送電分離が検討されたが,結局,地域独占体制がつくられて,
3.11でその弱点が浮き彫りになったのではなかったか.東と西の周波数変換がすすまないとか.
鉄道が網のように張り巡らされているから,東北本線が動かなくても奥羽本線は日本海側の路線が代替して物資が運ばれていった.
新幹線は,では,そうした代替が可能か?
まして,リニアなど? そういえばリニアがとても「電気食い」だと聞く.

まぁ,いろいろ思い出すことがあり,考えないことがあるな,と思いながら,
原武史さんの文章を読んでいた.







【世界】2023年03月

葛西敬之は日本の鉄道をどう変えたか

原 武史


 昨年五月に亡くなった葛西敬之(よしゆき)の姿を、聞近で一度だけ見たことがある。
 時は国鉄が解体され、JRが発足して間もない一九八七(昭和六二)年一二月一四日。所は宮崎県日向市の浮上式鉄道宮崎実験センターだった。「浮上式鉄道」は、リニアモーターカーを意味する。
 当時、私は日本経済新聞東京本社の社会部に所属する記者で、JRを担当していた。石原慎太郎運輸大臣がリニアを視察するため同センターを訪れることになり、私も報道陣に加わって以下のような記事を書いた。

  石原運輸相は一四日午前、宮崎県日向市にある鉄道総合技術研究所の浮上式鉄道宮崎実験センターを訪れ、同実験線を走るMLUOO2型リニアモーターカーに試乗した。(中略)
 午前九時四〇分、同センターに着いた石原運輸相は直ちに五階の指令室に入り、高木肇所長の概況説明を聞いたあと、プラットホームへ。同相をはじめ一四人を乗せたリニアはOO2型の有人走行としては最枝高の時速三〇六キロを記録。約五・六キロの実験線を八分で往復した。(『日本経済新聞』八七年一二月一四日号夕刊)

 このとき、石原が試乗したあとに我々報道陣をリニアへと案内したのが、四六歳にしてJR東海の取締役総合企画本部長に就任した葛西だったのだ。
 言うまでもなくヒラの取締役という役職は、社長や会長はもちろん、副社長や専務や常務よりも地位が低い。だが葛西の名は、彼らより知れわたっていた。国鉄末期に「国鉄改革三人組」の一人として、JR東日本の常務となった松田昌士(まさたけ)、JR西日本の副社長となった井手正敬(まさたか)とともに分割民営化を推進したことで注目を浴びていたからだ。
 運輸大臣をリニアに試乗させ、最高時速で走らせた葛西の表情は誇らしげに見えた。政府のお墨付きを得て、東京と大阪を一時間で結ぶリニア中央新幹線構想が、いよいよ本格的に動き出す予感がしたものだった。だが、本稿で取り上げる森功『国商 最後のフィクサー葛西敬之』(講談社、二○二二年)によると、JR東海がリニアを建設することが分割民営化の時点で決まっていたわけではなかった。当初主導権を握っていたのは運輸省とJR東日本だったが、JR東日本の人事が揉め、主導権がJR東海に移ったことで、葛西自身もリニアに本腰を入れるようになったという。
 そうだとしても、八七年一二月一四日の光景はいまだに脳裏に焼きついている。葛西はJR東海の将来を、たとえ当面は東海道新幹線に依存せざるを得ないとしても、将来的には速度で勝るリニアに託しているように見えたからだ。同時に、その開業は時の権力者との結託なしにはあり得ないという葛西の経営姿勢を示した原風景としても、しっかりと記憶されている。


■山県有朋への傾倒■

 政治家や官僚と結託して特権的な利益を得る「政商」は少なくない。しかし森功によれば、葛西敬之はそうではなく、自ら信じた「国益」のために政治家や官僚と結託した経営者だった。『国商』というタイトルは、ここに由来している。
 新聞記者時代に私が一度だけ目にした葛西敬之の印象は間違っていなかった。それどころか平成になり、実験線が宮崎県からリニア中央新幹線のルートに当たる山梨県に移され、JR東海の社長や会長となる葛西のもとでリニアの工事が進むにつれ、その本領はますます発揮されてゆくことが、『国商』には克明に描かれている。
 中でも特筆すべきは、二度首相の座に就き、憲政史上最長の政権を築いた安倍晋三との深い付き合いだろう。安倍は、葛西がひそかに入院してから亡くなるまでの一カ月半の間に三度も病院を訪れ、葛西を見舞った。そして葛西が亡くなるや、フェイスブックに哀悼の辞を寄せた。
 両者に共通するのは、日本を尊び、国益を何よりも尊重する右派的な政治信条だ。葛西が「日本会議」の中央委員や靖国神社の「崇敬者総代」などを務めてきたことにもそれはあらわれている。
 しかし安倍が、国家の中枢に天皇を置き、男系男子の天皇を理想とする「万世一系」イデオロギーを信奉していたのに対して、葛西に同様のイデオロギーは感じられない。『国商』にも、葛西の天皇観について触れた箇所はひとつもない。


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 代わりに言及されているのは、明治から大正にかけて長州閥のリーダーとして強大な権力を保った山県有朋である。『国商』の「おわりに」では、二二年九月二七日に開かれた「故安倍晋三国葬儀」で友人代表の菅義偉が引用した岡義武『山県有朋 明治日本の象徴』(岩波文庫、二〇一九年)は、葛西が安倍に薦めた本だったという驚くべき事実が明らかにされている。

 葛西は東大法学部時代、日本政治外交史が専門の岡ゼミを受講し、山県に傾倒していった。その影響を受けたのが安倍であり、本にある山県の歌に安倍がマーキングし、葛西敬之へ哀悼を寄せた。そして葛西の関係者葬の二日後、その歌を自らのフェイスブックに掲載した。(『国商』)

 葛西自身、『文藝春秋』二〇一○年一二月臨時増刊号に「穏健な帝国主義者」と題する山県有朋論を寄稿している。ここで葛西は、岡の『山県有朋』を「名著」として紹介し、こう述べている。

 一見、飽くなき権力意志の如く見えるのは実は自らの手で育て上げた明治日本を守り、永続させなければならないという使命感だった。出世と政権奪取が目的と化した感のある今日の政治家や官僚と、「日本民族の独立」を存亡の危機から救うという死活的目的達成のために権力掌握にこだわった明治日本の建設者たちはこの一点において顕著に異なっている。

 もちろん葛西自身は政治家ではない。しかし山県を持ち上げるこうした文章からは、JR東海の「総帥」として絶対的な権力をもちながら、安倍政権に影響力を及ぼそうとした意図が伝わってくる。それを一言でいえば、中国に脅かされつつある日本の国益を守り、「永続させなければならないという使命感」にほかなるまい。


■満鉄の超特急と新幹線■

 安倍が戦後に改憲させられる前の日本に郷愁を抱いていたように、葛西もまた戦前に郷愁を抱いていた。ただしそれは、「万世一系」を定めた大日本帝国憲法下の日本よりも、満鉄の超特急「あじあ」が走っていた「満洲国」の方だったろう。
 一九三一(昭和六)年九月に満州事変が勃発し、翌年には傀儡国家の「満洲国」が成立。清朝最後の皇帝だった溥儀(ふぎ)が皇帝となるのは、三四年三月だった。同年一二月の時刻表を見ると、大連を午前九時に出た「あじあ」は、首都新京(現・長春)に午後五時三〇分に着いた。最高速度は一三○キロ。これほど速い列車は、当時の日本はもちろん、世界にもほとんどなかった。
 その要因としては、満鉄の線路幅が日本の国有鉄道の一〇六七ミリよりも広い国際標準軌の一四三五ミリだったこと、「満洲国」の地形が比較的フラットで、高低差のない曲線状の線路を敷きやすかったことが挙げられる。国土の七割が山地で、線路の高低差が生じやすい上にカーブも多い日本の鉄道とは、そもそも初期条件が異なっていた。
 敗戦とともに「満洲国」は滅んだが、「あじあ」の技術は新幹線に受け継がれた。満鉄同様、国際標準軌を採用し、六四(昭和三九)年一〇月に開業した東海道新幹線の最高速度は二一〇キロで、当時としては世界最速だったからだ。国鉄総裁として新幹線の建設を進めた十河(そごう)信二は、かつて満鉄理事として「あじあ」を走らせた人物でもあった。葛西が国鉄に入ったのは、新幹線開業の前年に当たる六三年だった。自ら著した『飛躍への挑戦 東海道新幹線から超電導リニアへ』(ワック、二〇一七年)で、葛西は開業の意義をこう強調する。

 国民的な夢を背景に、それでいて政界筋と部内から少なからざる反対を受けつつも、開業してみれば東海道新幹線は大成功であった。初年度は一部区間で徐行を行ったため東京~大阪間を四時間かけて走行したが、一年後には計画どおり時速二一〇キロで三時間一〇分運転となった。前人未踏の時速二一〇キロによる東京~大阪間三時間一〇分(それまでは六時間五〇分)という飛躍は、計画段階でのすべての予測値を飛び越えて非連続的、飛躍的な輸送量の増加をもたらした。

 「満洲国」よりも地形で圧倒的に不利な日本の条件を見事にはねのけ、新幹線は「世界最速」の座を「あじあ」から受け継いだ。この文章には、鉄道の価値をスピードや所要時間という数値に還元させる葛西の思考が鮮やかに現れている。
 それでも開業当初は、「ひかり」が毎時○分発、「こだま」が毎時三〇分発で、途中名古屋と京都にしか停まらない「ひかり」と各駅に停まる「こだま」の本数が同じだった。並行在来線の東海道本線にも、東京と九州を結ぶ寝台特急をはじめ、九州、山陽、山陰、近畿、東海の各地方に向かう特急や急行が数多く走っていた。
 つまり乗客は、所要時間だけでなく料金や車窓風景や乗り換えの回数など、自らの優先順位に応じて列車を比較的自由に選ぶことができたのである。国鉄時代には駅にエスカレーターやエレベーターがほとんど設置されていなかったから、とりわけ高齢者や障害者にとって、たとえ余計に


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所要時間がかかっても、いったん降りることなく新幹線の駅がない地方都市に直行できる在来線の特急や急行は貴重だったに違いない。
 八五年三月のダイヤ改定で一時間あたりの東海道新幹線の本数が「ひかり」六本、「こだま」四本になるなど、より速い列車を優先させる傾向は国鉄末期に現れていた。それでも、さまざまな優等列車が新幹線と在来線の双方を走るダイヤは、八七年三月の国鉄解体まで維持された。


■東海道新幹線の変質■

 八七年四月に発足したJR東海は、はじめから東海道新幹線を中核とする会社だった。葛西は羽田と伊丹を結ぶ航空便に対して優位に立つためにも、新幹線のさらなるスピードアップが必要と考えた。『国商』の一節を引こう。

 葛西は八八年から「二七〇㎞/h化プロジェクト」に着手した。八八年六月に常務、さらに九〇年六月代表取締役副社長に出世し、新たな高速新幹線開発の陣頭指揮を執る。東海道新幹線が大きく変わったのは、二年間の試験運転を経た九二年の300系の登場からだ。時速二七〇キロの「のぞみ」が開業した。時速二二〇キロの0系新幹線に対し、300系新幹線のぞみは、三時間かかっていた東京~新大阪間を二時間半で走行できるよう計算された。九二年に一日五本しか走っていなかったのぞみ300系新幹線は翌九三年に三四本になり、新幹線全体の本数も民営化六年目にして二三一本から二七三本へと急増する。

 葛西がJR東海で文字通りの権力者として台頭する時期は、東海道新幹線に「のぞみ」が走り始め、「ひかり」と「こだま」から成っていた開業以来のダイヤが大きく変わる時期と重なっていた。さらに二〇〇三年一〇月には、新幹線の品川駅が開業する。当時、葛西は社長だった。「葛西は新幹線品川駅の開業を境に、すべての列車を時刻二七〇キロで運転するようにした。それまでひかりが主体だったダイヤをのぞみ中心に切り替え、運行本数も一挙に増やした」(『国商』)
 九六年八月には山梨県に将来のリニア中央新幹線の一部となる実験線が完成し、実験走行も始まったが、実用化に向けての道筋はまだついていなかった。リニアの開業が見込めない以上、当面は新幹線のスピードアップに専念するしかない。葛西には、こうした判断があったのだろう。
 〇七年一月には、台湾の新幹線に当たる台湾高速鉄道が開業した。日本初の鉄道海外輸出を推し進めたのも葛西だった。しかし、国交がなかった台湾に新幹線を輸出すること自体が政治的な意味合いを帯びていた。葛西は中国に新幹線の技術を盗まれることを恐れ、中国に新幹線を輸出した川崎重工業との契約を切り、代わりに日本車輌を子会社にして技術革新を図った。葛西に言わせれば、共産主義国家の中国で日本の新幹線が走ることなど、絶対にあってはならなかったのだ。
 おそらく葛西は、二一世紀に入り中国が急速に経済大国として台頭してきたことを、ひしひしと感じていただろう。中国ではすでに、新幹線に当たる高速鉄道網の整備が進んでいたからだ。とりわけ〇八年に着工し、一一年に開通した京滬(けいこ)高速鉄道は、北京-上海間一三一八キロを最速四時間四八分で結び、最高速度は三五〇キロに達した。
 葛西の思惑に反して、東海道新幹線の「のぞみ」よりも速い列車を、中国は独力で走らせていたのである。前述のように、中国と日本では地形が全く異なっていた。高低差の少ない平地が広がる中国は、日本よりも高速の列車を走らせやすかった。言い換えれば、山地の区間やカーブの区間が多い新幹線は、中国に対抗するには不利な条件をはじめから抱いていたともいえる。


■「国体」としてのリニア■

 それでも、満鉄の「あじあ」以来、世界の鉄道をリードしてきたのは日本だという自負が葛西にはあったのだろう。中国に打ち勝つためには、冒頭に触れたように、JR凍海の発足直後から運輸大臣を試乗させるなど、新幹線に代わる目玉として注目していたリニアの開発を急ぐしかない。その思いは、晩年になるほど強まった。

 JR東海の社長、会長に昇りつめ、国士と評されるようになった葛西が最も心血を注いだ事業がリニア新幹線である。(中略)手段を選ばず、いかに効率よく目的を達成できるか。そんな合理主義者の反面、見方を変えれば、極めて純粋な企業経営者でもある。その葛西はいつの間にか、リニア中央新幹線構想について、日本の全国民が評価するプロジェクトだと信じて疑わなくなる。(『国商』)

 リニアは〇三年、有人走行で時速五八一キロという世界最高速度を記録し、一五年にはその記録を六〇三キロに塗り替えた。一四年には安倍首相の仲介で、キャロライン・ケネディ駐日米国大使を山梨実験線に試乗させた。葛西はりニアを、米国にも売り込もうとしていたのである。
 だが米国では、リニア事業からすでに撤退している。リニアに熱心なのは、いまや中国と日本だけになっている。中国のリニアは常電導で、車両が三センチしか浮かないのに対して、日本のリニアは超電導で、一〇センチ以上も車体が浮き上がる。


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 葛西は「日本の技術は中国とはレベルが違う」と公言し、JR東海のホームページにも、一〇センチの浮揚により時速五〇〇キロ以上の高速走行が可能だと高らかに謳っている。(『国商』)

 中国でも、時速六〇〇キロで走るリニアの車両は完成していると報道されているが、実用化はまだされていない。葛西の夢は、世界のどの国も成功していない超電導で、東京と大阪を一時間で結ぶリニア新幹線を一刻も早く走らせ、中国とのスピード競争に打ち勝つことだった。
 そのためには、南アルプスの地下にも、住宅の建て込んだ首都圏の地下にも、長大トンネルを掘る必要があった。品川-名古屋間で言えば、全区間の八六%がトンネルになると計算された。富士山はもとより、景色自体がほぼ全く見えなくなるわけだ。鉄道の価値がスピードという数値に極端なまでに一元化された結果がこれだった。
 この工事に対して、南アルプストンネルが県北部を通ることになる静岡県の川勝平太知事が反対していることは周知の通りだ。首都圏では、住宅地の真下に当たる大深度地下にトンネルを掘ることへの不安も高まっている。しかし葛西は、東海道新幹線のときも反対があったが、いざ開業すれば意義が広く認められたように、リニアも必ず国民に受け入れられると信じていた。
 安倍晋三が「万世一系」の皇室を世界のどこにもない「国体」として誇りたかったとすれば、葛西敬之はリニアを世界のどこにもない最先端の列車として誇りたかったのだろう。「東京~大阪間を一時間で結ぶリニアバイパスの完成は、日本の『頭脳・体幹部』に弾力性と活力を与え、二一世紀を通じて日本の発展を支えるインフラとなるだろう」(『飛躍への挑戦』)。リニアとは、東京や大阪という「頭脳・体幹部」に血液を供給する動脈のようなものだと葛西は言う。葛西にとってはリニアこそ、「国体」を構成する不可欠の要素だったのである。


■「スピード信仰」が国を歪めた■

 元運輸事務次官の黒野匡彦(まさひこ)は、葛西敬之の印象について、「経営者でなく、一種の思想家のように思えます。経営判断よりも先に、自分の思想信条で判断しちゃうところがある」と答えている(『国商』)。鉄道会社の経営者でありながら「思想家」でもあるという点で、葛西は阪急の創業者である小林一三と共通する。
 だが両者の思想は、まさに対照的である。小林は福沢諭吉を、葛西は山県有朋を尊敬していた。慶應義塾出身の小林は福沢から影響を受け、国家から独立した文化圏を阪急沿線に築こうとしたのに対して、東大法学部出身の葛西は権力を一貫して手放さなかった山県に倣うかのように政権と結託し、国家とまさに一体化することで、鉄道をナショナリズムの道具にした。
 阪急が走る大阪を「民衆の大都会」と呼んだ小林にとっての民衆は、阪急文化を担うべき主体だった。分譲住宅地も宝塚歌劇団も夕ーミナルデパートも、そうした思想に基づいていた(原武史『「民都」大阪対「帝都」東京 思想としての関西私鉄』、講談社学術文庫、二〇二〇年)。
 一方、葛西にとっての民衆は、世界最速を目標とする鉄道を利用する客体にすぎなかった。彼が最も重視したのは国家であって、個々の乗客ではなかった。この点に関する限り、葛西は確かに岡義武が描いた山県有朋に似ていた。

 彼の支配の基礎は、民衆にはなかったのである。(中略)民衆は、彼にとっては、支配の単なる客体にすぎず、従って、彼の権力意志は支配機構を掌握することへと集中されたのであった。彼は民衆から遊離したところの存在であった。(『山県有朋』)

 葛西にとって乗客とは、速く走る列車の恩恵に浴することで、自らの思想の支持者になるべき存在だった。JR東海管内の東海道本線から特急をほぼなくし、事実上東海道新幹線でしか移動できないダイヤに変えたばかりか、停車駅の少ない「のぞみ」が圧倒的に優位なダイヤに新幹線を変えたのも、乗客はスピードこそを最も重視するというもくろみがあったからだ。

 いまや東アジアでは、前述した台湾や中国ばかりか、韓国にも新幹線に当たる高速鉄道が走っている。だがこれらの国や地域では、新幹線が開業しても在来線の特急や急行を廃止していない。所要時間のほかに料金や車窓風景や乗り換えの少なさなど、乗客の優先順位に応じて自由に列車を選べるダイヤ自体、変わっていないのである。
 また欧州では、「フライト・シェイム(飛び恥)」という言葉があるように、二酸化炭素を多く排出する飛行機を避け、所要時間が余計にかかっても排出量の少ない夜行列車を利用する気運が高まっている。多くの都市では、自動車に代わって路面電車の復権が進んでいる。スピードに一元化されない鉄道の価値が見直されているのである。
 一方、日本では依然としてスピード信仰が揺らいでいない。最近でも、二二年九月に他の新幹線とつながらず、在来線との乗り換えを要する西九州新幹線が開業したほか、敦賀に延伸する北陸新幹線、札幌に延伸する北海道新幹線、そしてリニア中央新幹線の工事が、当初の想定よりはるかに膨らんだ総事業費を伴いつつ進んでいる。加えてリニアには、財政投融資として三兆円が注ぎ込まれる。それでも葛西がもくろんだように、工事を積極的に支持する地方の


〈162〉
政治家や実業家がいることもまた確かである。しかし、日本の少子高齢化は急速な勢いで進んでいる。全人口に占める六五歳以上の高齢者の割合は三割に迫り、世界でも最高水準にある。葛西自身もこのことは気になったようで、次のような反論を試みている。

 一部に、人口の高齢化と少子化が進む日本において超電導リニアバイパスのような巨大投資が必要か否かをあげつらう向きもある。しかし、人口が減少する傾向にあっても、日本の頭脳・体幹部である首都圏~中京圏~近畿圏への人口集中は続くであろうし、成熟しつつある日本を活性化し、停滞気味なトレンドに非連続な転換をもたらしてくれる新技術への投資は不可欠であろう。(『飛躍への挑戦』)

 葛西は、高度成長期に開業した東海道新幹線の成功神話をそのまま信じていたのだ。安倍晋三が「万世一系」イデオロギーを信じたように、葛西敬之にとっての「国体」もまた護持されなければならなかった。しかし令和になってからのコロナ禍は、日本社会を大きく変えた。リモートワークが普及し、速く移動するという鉄道の目的自体が意味を失った。「密」を避けたいという意識が広がったことや、勤務地の近くに住む必要がなくなったことが要因となって東京都の人口が減り、他県への転出が進んだ。葛西の読みは完全に外れたのだ。
 しかも近年では、「持続可能な社会」が重視されるようになっている。リニアは東海道新幹線に比べても、環境への負荷がはるかに大きい。消費電力量も、東海道新幹線の四~五倍かかるとされている。葛西が東日本大震災後も原発再稼働を熱心に唱えていた理由の一端がここにある(山本義隆『リニア中央新幹線をめぐって 原発事故とコロナ・パンデミックから見直す』、みすず書房、二〇二一年)。それが再生可能エネルギーを重視する時代にも逆行していることは、改めて言うまでもなかろう。
 これからの鉄道に求められるのは、地球環境や生態系を破壊し、電力を浪費して速い列車を走らせることではない。地下深くに駅をつくり、段差だらけにすることでもない。どうすれば鉄道は、平均寿命の延びとともに余暇時間の増えた我々の人生をより豊かにするための媒体となり得るのか。あるいは回復しつつある訪日外国人客に日本ならではの四季折々の自然を味わってもらうための媒体となり得るのか。JR東海だけでなく、すべての鉄道会社が真剣に考えなければならない時期に来ていると思う。
 葛西敬之が鉄道業界に長年にわたって君臨し続けることで、日本は世界的に見ても異常な国になってしまった。『国商』は、重い問いかけを読者に迫っている。


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片山善博の「日本を診る」(160) 「大砲もバターも借金で」では次世代に顔向けができない

2023年08月19日(土)

そういえば ケインズは 不況時の公共事業を肯定的に あるいは積極的に論じた……
とされるのだけれど
あるいは 一般理論 とはいうけれど 普遍的とか 
どこでも通用するような議論として提示していただろうか と思い出す

それで 究極の公共事業?として 戦争とか そのための武器とかを考える人がいる
というのは ちょっとゆきすぎなんだろうか

そういえば 一般理論のドイツが盤への序文だったか
ちょっと気になるような記述があったようにも思うが
どうだったろうか
あとで探してみよう


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【世界】2023年03月

片山善博の「日本を診る」(160)

「大砲もバターも借金で」では次世代に顔向けができない


 昨年、岸田内閣は防衛費を大幅に増額する方針を決めた。これまでわが国の防衛費は対GDP比一%以内を目安にしてきたが、これを二%にまで増やすというから、防衛費予算はほぼ倍増である。
 続いて、「従来とは次元の異なる少子化対策」に乗り出す方針を表明した。子ども・子育て政策は、「最も有効な未来への投資」だとの認識のもとに、少子化対策を含む子ども子育て政策の予算を倍増するという。
 経済学や公共政策の教科書には、「大砲かバターか」という言葉がよく登場する。大砲は軍事・防衛費を、バターは民生費をそれぞれ意味している。このたび、岸田内閣が力を入れることにした防衛費はまさしく大砲であり、子ども子育て予算は代表的な民生費だからバターだといえる。
 「大砲かバターか」は、そのいずれを優先するのかという文脈の中でしばしば用いられる。また、その両方を同時に十分満たすことの難しさを含意している。いずれに重点を置くか、その選択をしなければならないことが暗黙の前提とされている。
 ところが、岸田内閣は防衛費も子ども子育て予算も倍増するというのだから、大砲とバターの両方とも優先するつもりなのだろう。好意的に解釈すれば意欲的だといえようが、暗黙の前提に照らせば欲張りすぎているといえる。
 防衛費も子ども子育て予算も倍増する方針だけは先行しているが、実を言えばそのために確保しなければならない財源にはほとんどといっていいほど目途が立っていない。

■防衛財源のほとんどが赤字国債で賄われる可能性も

 まず、防衛費である。防衛費の増額に要する財源は仕上がり年度ではおよそ四兆円だとし、そのうち一兆円ほどは増税で調達し、残りは歳出改革や「防衛力強化資金」などで確保するとし、一応の目鼻が整っている風を呈している。
 たしかに自民党税制調査会は税制改正大綱の中で、増税の対象税目は法人税、所得税及びたばこ税だと決めている。ところが、例えば法人税率をどうするのかは曖昧なまま。なにより、これらの増税をいつから実施するのか、その時期さえ決められていない。それらは六月の骨太方針までに決めるのだという。現時点では、一兆円規模の増税は構想の段階にとどまっている。
 しかも、自民党内にはそもそも増税方針に納得していない議員が多いらしい。すでに、増税以外の財源確保を検討する特命委員会が党内に設けられ、増税に反対する議員を中心に議論が展開されている。
 これまで、自民党党税調の税制改正大綱に示された内容は決定的であり、党所属議員には異論や反論を許さず、彼らを拘束した。ところが、昨今の党税調にはそれだけの神通力はなくなったようだ。特命委員会の検討状況や党内の政治事情によっては、先の一兆円は幻に終わりかねない。
 今のところ増税で調達することにしている一兆円を除く残りの三兆円は、歳出改革によって生み出される財源、新たに設ける「防衛力強化資金」、それに一般会計の歳出剰余金の三つの財源で賄うとしている。
 まず、歳出改革によって生み出される財源は、安定的な財源だといえる。ただ、これまで歳出改革、既存経費の削減というお題目を唱えて財源確保に取り組んだ例は何度もあったものの、それで生み出された財源は期待からほど遠かった。このたびは件の特命委員会がことのほか力を入れているようだが、果たしてどれほどの成果が得られるか。
 漏れ伝えられるところによると、既存の歳出項目のうち国債費を削減する案が有力な案になっているようだ。これは国債のいわゆる六〇年償還ルールに従って毎年度償還している額を減らし、それによって浮いた額を防衛費の財源に回す考えなのだろう。
 たしかに国債費の減額は形式的には既存歳出の削減に当たるのかもしれないが、結果として国債残高を増やすだけのことである。これを恒久財源というわけには到底いかないし、そもそも財源に位置づけることすらまやかしに近い。こんな辻褄合わせは子供騙し以外の何物でもない。

■次世代への安易なつけ回しは許されない

 「防衛力強化資金」とは、国有財産の売却益などの税外収入をこれに繰り入れ、それを防衛費の財源にするという考えのようだ。しかし、国有財産の売却益などの税外収入はこれまでも生じていて、それらは通常は一般会計の中で貴重な財源として活用されてきている。これを防衛費の財源に優先的に充てることになれば、その分だけ他の経費に充てる財源が減るので、それは玉突き的に赤字国債の増発につながることになる。「防衛力強化資金」などともっともらしい名称を付しても、所詮は赤字国債の増発を目立たなくする姑息な仕掛けにすぎない。
 一般会計の歳出剰余金は各年度生じていて、それは次年度以降の一般財源になる。これを防衛財源に先取りすることになれば、その分だけ次年度以降の一般財源が減ることになるから、ここでも玉突き的赤字国債の増発につながるだけである。
 一般会計の歳出剰余金で気になることが一つある。このところの予算には数兆円単位の巨額の予備費が計上されている。この予備費に目をつけ、新型コロナ対策が終了してからも、必要見込み額を大きく上回る数兆円規模の予備費を計上しておき、それを予定どおり不用額にすることによって、防衛費増額に必要な財源のうちのかなりの部分を、歳出剰余金で賄うことができる。しかし、もとより予備費積み増しの財源は赤字国債であって、その不用額も赤字国債由来であることを忘れてはならない。
 以上のように、防衛費増に充てるための増税によらない財源だとされているもののほとんどは、実質的に国債増発と変わらない。唯一ちゃんとした財源といえるのは、国債費減額などでない本当の意味の歳出削減によって生み出される財源だが、それはごくわずかしかないことが予想される。さらに、特命委員会の奮闘により、増税自体が骨抜きにされたり、増税幅が縮小したりするなら、もはや防衛費増のほとんどを次の世代につけ回しすることになる。
 子ども子育て予算倍増に必要な財源については、今のところまったく白紙である。行政サービスの充実を、財源を示さないまま国民に提示するのは不見識だと思う。負担が伴うことで、その行政サービスの真の価値は評価されるからだ。
 与党の一部から、消費税引き上げを示唆するような発言も出たが、直ちに否定され、口封じされたようだ。統一地方選挙を控え、予算倍増という国民が喜ぶことだけを伝え、財源などという余計なことは言うなということか。選挙が終わってから増税を決めるやり方は、国民に対して実に不誠実であるし、反対に増税や歳出削減をしないまま予算だけ倍増するのは次世代に対して不誠実である。
 「大砲かバターか」は、税を中心とした限りある財源を何に優先して使用するかという真剣な選択である。ところが、財源のことなどお構いなしに「大砲もバターも」手に入れ、そのツケは次世代に回す。こんな無責任な政治が許されていいはずがない。

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(天声人語)地図が好き

2023年08月19日(土)

5万分の1の国土地理院の地図 いつごろだろうか 地図の見方とか
たぶん学校で教わったか
とすると たぶん中学校だったか

たぶん小学校の高学年 父親に連れられて 山に登った
そんなに高い山ではなくて それでも付近では その山の連なりがいちばん高かったろうか
それでもうみべの小さな駅から登り始めたので けっこうな距離があったように記憶する
それで そのとき父親は 地図をもっていたのだろうか
あるいは 自分の記憶で登っていったのだろうか

ひとり旅で 地図をもっていくことがあったか
電車の窓から風景と地図を見比べるとか 街中を歩きながら 地図を思い浮かべるとか
地図を見ながら 旅先の風景を空想するとか
そのうち2万5千分の1の地図が容易に手に入るようになった
でも クルマを使うようになって 道路地図を見るようになって
なんだか平板な地図になれるようになっていったけれど
道路地図からは 風景が思い浮かばない……

ナビがでてきて どうするとディーラーのお兄さんに聞かれて
でも ナビは遠慮する と

―――――――――――――――――――――――――

(天声人語)地図が好き
2023年2月11日 5時00分

 小学生のころ仲が良かった友達に冨永君がいた。彼は地図が大好きだった。私たちは2人で電車に乗り、大きな街の本屋に行って、5万分の1の地図を買った。最初は確か甲府の辺りの地図だった。なぜかはもう覚えていない▼そこから北を私が、南を冨永君が買い集めた。彼の地図には市街地の記号がたくさんあった。私のは山ばかり。くねくねした等高線の重なりをじっと眺めた。きれいだねと私が言うと、冨永君もうれしそうにうなずいていた▼そんな古い記憶を思い出したのは、昨年末、国交省の定めるルールが改定され、タクシーに紙の地図を備え付けなくてもよくなったと聞いたからだ。これからはカーナビさえあれば十分らしい。今さらながら紙の地図が減っていく現実を痛感する▼地図好きの人々はどう思っているのだろう。東京・駒沢にあるカフェ「空想地図」を訪ねた。店主の田中利直(としなお)さん(52)が若いころから集めてきた地図や関連書籍など約1200点が置いてある。愛好家たちが集う人気の空間だそうだ▼「どの道がどうやって、どこにつながっているのか。全体像を知るにはやはり紙の方がいい」と田中さん。でも、紙はかさばるし、スマホの地図アプリも便利ですよね。「不便でもいいんです。一枚の地図を前に、延々と語り合うのが楽しい」▼目を輝かせ、地図への熱い思いを語る田中さんの言葉を聞きながら、小学生の自分と冨永君がうなずいているのを感じた。きょうはあの伊能忠敬の生誕278年。

…………………………

※ 以前よく利用していた書店に立ち寄ったとき,小さな張り紙があって,
国土地理院の地形図を置かなくなったことが記されていた.
えっ!?と思ったが,そうか,デジタルか,と思ったのだった.それでいいんだろうか?
たとえば,よく道路地図を見る.カーナビはないから,ちょっとわからないところもあるけれど,Googleの地図を見る,見てみるが,風景がすぐには浮かんでこない.そして,じっさいにクルマを走らせていて,道路地図は何か足りない,のぼり・くだりがわかりにくい,周りの風景,遠くの景色がわからないな,と.

それから,デジタル化された地図を見る道具の問題もありそうだ.普通の人が所有するPCは,ノートタイプだと,画面サイズ15インチ程度,デスクトップだと20数インチぐらいだろうか,これでは国土地理院の紙の地図の大きさにはかなわない.目に入ってくる情報量はとても違うように思う……


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