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看護師の医療行為拡大 規制改革会議で検討 高齢化で需要増

2022年11月27日(日)

朝刊に医療関係の記事があった。
看護職員の役割を見直そう、という。
医師の業務の一部を肩代わりする、というような。

どうすべきか……といわれて,なにか応じられるわけではないのだけれど,
看護師の養成課程がどうなっていたか,考えさせられる.

看護師の養成は,多く,「専門学校」――文部省の所管ではない――によって担われていた.
准看護婦なんて資格もあったな.
養成課程の大きな変化はいつだったか,
4年制の看護系大学が増えていった.それはそれでけっこうなことかとも思ったけれど,
でも,どうだったろうか.

ある公立大学が看護師の養成学部をつくるという,
が,それは短大だった.短期大学部を設置しようと.
それで,もう流れは,そしてあるべき看護師像を考えて,⒋年制ではどうか,と思ったが,
そうはならなかった.
それでも,何年か後に,結局4年制に移行したようだが.

では,4年制がほんとうによかったのだろうか.
よくわからない.
いくつかふしぎなことがあった.
かつて看護師の資格を取得した後,助産師あるいは保健師の養成学校に進んで,
その上で国家試験を受けて,助産師・保健師の資格を得る,ということになっていたが,
4年制のもとでは,そうはなっていないようだから.

コロナの元で,なんだか急に保健師だの,保健所だのが話題になっていたけれど,
いや,それでよかったのだろうか?



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看護師の医療行為拡大
規制改革会議で検討 高齢化で需要増
2022/11/27付日本経済新聞 朝刊

政府は医師の仕事の一部を看護師に任せる「タスクシフト」の本格的な検討に入る。規制改革推進会議の作業部会が28日、海外で普及する「ナース・プラクティショナー(総合2面きょうのことば)」制度の日本版を提起し、日本医師会などと実現に向けて協議する。高齢化で医療需要の急増が見込まれる。医師不足や医療界の働き方改革といった問題に対応しつつ、患者サービスの維持向上につなげる。

ナース・プラクティショナーは高いスキルを身につけ、専門資格を得た看護師が一定の範囲内で医療行為をする制度だ。米国やカナダ、オランダ、シンガポールなどで導入例がある。例えば米国の場合、医師の指示なしで診断や治療の一部を看護師が担っている。

日本では医師のみが診察や処置、薬剤の処方ができる。看護師は医師の指示のもとで注射や点滴といった診療の補助を担う。

2014年に薬の投与量の調整といった特定の医療行為を、医師が事前に定めた手順書の範囲内なら看護師に認める制度を設けたが、広くは普及していない。対象が限定的で、患者の体調の変化に柔軟に対応しにくい。

例えば訪問看護師が高齢者宅を訪れた際、体調に異変があっても素早くケアできない。医師に連絡しても、他の患者に対応中などの事情ですぐに指示が得られず、緊急外来に搬送するケースがある。看護師に一部の医療行為を任せれば、その場で処置できる可能性がある。

大学院などを修了した看護師を対象に新たな国家資格を設ける案がある。現在も大学院で看護師に高度なスキルを教える取り組みはあるものの、民間資格の付与にとどまっている。実現には法整備が必要で、規制改革推進会議と厚生労働省で調整を進める。



〔きょうのことば〕 ナース・プラクティショナー 看護師が一部医師業務
2022/11/27付日本経済新聞 朝刊

▽…患者が受けられる医療の質の向上や医師の負担軽減をめざし、看護師が医師の一部業務を担えるようにする制度。海外では米国やカナダ、アイルランド、オーストラリア、オランダ、シンガポールなどが公的資格制度を設けている。一定の臨床経験や大学院の修了などを要件にする国がある。

▽…米国の場合は州によって異なるが、医師の指示なしで看護師が採血やエックス線撮影などの指示、急性疾患の診断と治療、薬剤の処方などができる。多くの州で規制薬物を含む処方権を持つ。日本は医師の権限が強く、診断や処方は基本的に医師のみが可能だ。

▽…日本看護協会はナース・プラクティショナー制度の導入を求めている。在宅療養する患者の容体が変化したとき、医師に連絡をとって指示を受けるのに手間取れば、対応に支障が出る場合がある。一方、日本医師会は過去に看護師の権限拡大を検討した際も、医療の安全と質の確保に懸念があるとして慎重な立場だった。



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政治的神話と社会的呪術――なぜ人はファクトよりフェイクに惹きつけられるのか――  森本あんり

2022年11月20日(日)

2020年の年末に,森本あんりさんの「不寛容論」が出ていて,年越しで読んでいたかな,
就寝間際にちょっとずつ読んで、ちっとも読み進まない…….
その正月に,ちょっと遅れて中学時代の先生から便りがあった.年賀状への返信だったと思う.

森本あんりさんの読者ではなかったけれど,
アメリカってヘンな国だな、と思って,新書だったろうか,手にとって読んだのだった.
おもしろかった.
「異端の時代」だったろうか,本棚をさがせばよいのだけれど.

ずいぶん前,岸田秀さんの本を読んだ.
たぶん「ものぐさ精神分析」が本屋に積まれていて,手にとったのだろうか.
アメリカ建国に触れた文章があったと記憶する.なんとなく納得させられるところがあった.

ちゃんと読み込んだわけでもなかっただろう,
でもそれからな十年もたって,こんどは森本さんの文章を読んだ.

お二人の間になにかしら関係がありそうだとか、そんなことはまったく思っていないのだけれど.
でも,メディアで,なんでもアメリカとの関係で、アメリカの政治,アメリカの経済や社会現象,その学問やエンタメ……でこの国の出来事を記そうとしているように見えるとき,
ちょっとよく考えておいた方がいいんじゃないか,と思ったのだったか.

まったく毛色が違うけれど,
「庶民」をめぐる鶴見俊輔さんと吉本隆明さんの対談でも読みなおしてみよう,かと思う.
それで,どうなるわけでもないけれど.



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【世界】2020年02月

政治的神話と社会的呪術
なぜ人はファクトよりフェイクに惹きつけられるのか
森本あんり


シンボルの世界に生きる人間

 「人間を不安にし、驚かすものは、「物」ではなくて、「物」についての人間の意見と想像である」――これは、エルンスト・カッシーラーが最晩年の著書『人間』(原著一九四四年)で引用したエピクテトスの言葉である。これを現代の文脈で言い換えると、「人間を不安にし、驚かすものは、「ファクト」ではなく、「ファクト」についての人間の意見と想像である」となろう。
 なぜ現実政治がフィクション化するのか。なぜ冷静で客観的なファクトチェックにもかかわらず、それをあざ笑うかのようにフェイクニュースが流され続け、大統領や首相といった立場にある人びとからも良心的な報道機関を蔑視する発言が繰り返されるのか。そしてなぜ、人びとは事実よりも妄想や陰謀を進んで受け容れるのか。
 こうした問いに少し遠回しの答えを求めようとして、人間のシンボル機能を論じたカッシーラーを読んでいたら、いつのまにかローマ時代のエピクテトスにまで連れて行かれてしまった。エピクテトスが語ったのは、具体的には死に対する恐れである。人が死を恐れるのは、死そのものと



いうより、死についての想像やその可能性の予感が怖いからである。もしこのような線の引き方が正しいなら、事実よりその意味や解釈を求めるのは、少なくともここ二〇〇〇年ほどは変わらない人間のごく基本的な性格の一部だと言えるかもしれない。そこまで遡らずとも、前世紀の巨大な政治的虚構を眼前に据えて論考を重ねたカッシーラーを読むことは、今世紀に築き上げられつつあるポスト真実の仮構世界を読み解く力を与えてくれるように思われる。
 カッシーラーは、人間を「象徴を操作する動物」(animal symbolicum)と定義し、言語・神話・芸術・宗教・科学といった文化現象をいずれもこの観点からひとつづきに解釈した。すべての生物には、感受と反応という二つの系統が備わっており、その相互的な影響が機能的な円環を形成している。だが人間がもつこの機能的円環には、感受と反応の問に象徴系という第三の連結が存在する。この象徴系の介在は、反応の遅延を招くため、生物学的には「衰退」であり「欠陥」であり「堕落」なのだが、まさにそこに人間に固有の経験と思想の展開する空間が生まれる。人間は、「ただ物理的宇宙ではなく、シンボルの宇宙に住んでいる」のである。
 われわれはこのシンボルの介在を、時と好みによって自由にバイパスすることはできない。無媒介のファクトに接することは、カントに倣えばそもそものはじめから不可能なのである。われわれは、世界を言語的形式、芸術的形象、神話的象徴、宗教的儀式、あるいは科学的抽象化において認識するほかない。つまり人間は、「固い事実の世界に生活しているのではなく……希望と恐怖に、幻想と幻滅に、空想と夢に生きている」。これが、冒頭のエピクテトスの引用へと続くのである。動物なら、危険が差し迫った時には反射的な行動で身を護ることができるし、フェイクニュースに踊らされることもないだろう。だが人間は、その一瞬にさまざまな可能性を思い描いて立ち竦む。いわばそこで全宇宙を象徴的に解釈し、自分自身で創出した世界に自分を嵌め込んでしまうのである。

真理の最終審級とじての個人

 同じことを、ハンナ・アーレントからの引用で言い直すこともできる。戦後すぐに書かれた彼女の全体主義論には、大衆は「階級」や「国民」という総体的な利害には心を動かされない、と書かれている。これは昨今の選挙でも立証ずみである。たとえば、高所得層への減税と福祉予算の削減を唱える政治家が、なぜか低所得者の支持を集める。あるいは、将来世代にツケを回すような政策を掲げる政治家が、なぜか若者の支持を受ける。こうした投票行動の不思議は専門家たちを悩ませるが、実のところ個々の有権者にとっては、階級や国家という政治体系上の括りは大きすぎ、自分の利害と直結させて考えることが難しい。だからいくらそういう集団的な利害に訴えても、投票ブースに入る個々人の心には響かない、ということである。アーレントは、「事実というものは、もはや大衆への説得力を失ってしまった」とも書いている。われわれが今になって「ポスト真実」だ「フェイクニュース」だと騒いでいることは、すでに第二次大戦前から始まっていた大衆化の帰結だ、というわけである。
 では、事実でなければ、人びとは何を求めているのか。アーレントによれば、それは「一貫した世界観」である。身の回りに起きる個々のばらばらな出来事を、自分に納得のゆくしかたで説明してくれる世界理解の方法である。かつてそれは宗教であった。たとえ自分が苦難に遭っても、「この不条理や苦しみは、神や仏のご計画の中で何かしら意味があるのだろう」と考えることで納得することができた。しかし、既成宗教が弱体化した今日、それに変わる説明原理を提供してくれるのは、陰謀論である。一見無関係と思われるような遠くの出来事のあれこれは、実はみな繋がっているのだ、その背後にはこういう原因があって、それがすべての現象を動かしているのだ、という説明原理である。自分が失業して苦しんでいることと、中国やメキシコで起こっていることが、実は深いところで繋がっている、そしてそれは誰かの陰謀なのだ、という一貫した説明原理である。それが事実かどうか――それはさして重要ではない。人は、正しいと思うから納得するのではなく、納得するから正しいと思うのである。
 精神史の大枠からすると、こうした内面的で主観的な確信のもち方は、近代リベラリズムが個人の至高性を尊重してきたことの当然の結果とも言える。宗教学的には、これは「信憑性構造」の問題、つまり社会がおのずと当然のように前提している権威や正統性の所在、という問題である。ここ一〇〇年ほどの間に、人びとが信頼を寄せ判断の規準とするものは、少しずつ組織や集団から個人へと転移してきた。その端緒は、アメリカではR・W・エマソンやW・ジェイムズらの思想に見てとれる(拙著『異端の時代』参照)。彼らの言う「宗教」とは、個人が内心で感じる原初的な情熱のことである。教会や寺院などへと組織化された既成宗教は、すべてその頽落(たいらく)形態なのであって、そもそも信用するに値しないものとされるのだ。
 このような宗教観の変容は、今日起こっている真理観の変容を先取りしている。かつて人びとは、新聞を読んだり専門書を調べたりして、何が事実であるかを判断していた。信頼できる組織の裏付けや論理的な整合性といった仲立ちを得ることが、真偽の判断を支える根拠だったのである。しかし今日、真理の最終審級は個人の内面であり、そこに散る感情の火花である。他人が何と言おうと、権威筋の偉い人が何と言おうと、「自分がそれをほんものと感じられるかどうか」「それが自分の心をふるわせて感動させてくれるかどうか」がものごとの真偽を決するのである。こうした仲介者の不要な直接体験に根ざす宗教性を、「神秘主義」と呼ぶ。それは、祭儀や制度の客観性に満足しない感情の内面性を尊重する宗教性類型のことで、その結果生まれたのが「ラディカルな無組織の個人主義」(E・トレルチ)である。かつてそれは、宗教的な感受性の豊かな少数の天才にのみ見られたのだが、現代社会ではこれが「もっともありふれた宗教形態」(R・N・ベラー)となった。ファクトよりもフェイクを受け容れる現代人の傾向は、こうした信憑性構造の時代的な変容に相即している。

機能しないファクトチェック

 では、そういう世界観や真理観に生きる人に、ファクトチェックを提示すると、どのような反応が返ってくるだろうか。
 三年ほど前、日本経済新聞に「偽ニュースとどう戦うか」を主題にした三者インタビューが掲載された(二〇一七年六月一七日)。ちょうどロシア発のフェイクニュースがアメリカ大統領選挙に影響を与えたことが報じられた頃で、一人目はキエフ大学のジャーナリズム部長であった。彼は、偽ニュースを告発する組織を創設して活動中で、メディアの監視を続けることの重要性を説いた。二人目はルモンド紙のニュース検証班リーダーで、こちらはフェイクニュースが拡散する前にその信用度を検証することに努めている。ウェブごとの信頼度を表示するソフトも配布しているが、偽ニュースの伝播速度は速く、信頼できるメディア機関は逆に検証を重ねた上で動くので、対応が後手に回ってしまうという。三人目はわたしで、フェイクニュースが関東大震災やルワンダ内戦のような非常時の流言飛語として古今東西に存在すること、現代ではリベラリズムの相対主義やポストモダンのパースペクティヴィズム、さらにアメリカでは機能主義的な真理観をもつプラグマティズムの伝統が背景にあることなどを説明した。
 しかし、この記事に「真実を丁寧に提示せよ」というタイトルがつけられたのを見て、ようやく自分の失敗を悟った。問題の核心は、いくら丁寧に真実を提示しても、それが既存メディアのニュースである限り、けっして額面通りには受け取られない、という点にあったからである。
 偽ニュース問題の底には、「自分たちは権力者に騙されている」という基本感情がある。事実、大手メディアで発言しているのは、米国でも日本でも、体制側でも反体制側でも、一握りの知的エリートである。アメリカに深く根付いている「反知性主義」の伝統によれば、そういう権威ある人の言うことは、まずは疑ってかかるのが正しい態度なのである。逆に、ツイッターなどのソーシャルメディアは、学歴や肩書きにかかわりなく誰でも情報を発信し拡散できるという点で、実に平等で民主的である。新しいツールの登場により、これまでは出版社や編集者という制度のフィルターを通して曲がりなりにも選別され検証されてきた情報が、ファクトとフェイクの区別もなく一挙に溢れかえることになった。
 こうした土壌に増殖したフェイクニュースは、たとえファクトチェックで誤りを指摘されても、簡単には消滅しない。そこで提示されたのは「うわべだけの事実」で、自分はより深いところにある「真のストーリー」を知っている、と信じられているからである。そして、いったんそう信じた人は、もはやどんな反証も受け付けない。結局あれこれの「事実」はどうでもよいのであって、それらの全体を通してある種の「納得感」が得られるかどうか、つまりアーレントの言う「一貫した世界観」があるかどうか、が問題なのである。新聞やテレビの解説者の説明は(残念だがおそらく本誌やこの論攷(ろんこう)も)、そういう納得感を与えない。
 ホックシールドの『壁の向こうの住人たち』(原著二〇一六年)には、CNNではなくFOXニュースこそがファクトだ、と考えるルイジアナのティーパーティ支持者が紹介されている。彼女は、「CNNは客観性がまったくない」と断言する。ニュースを見たくてチャンネルを合わせるのに、意見しか聞けないからである。CNNは、たとえばアフリカの病気の子どもを映し出して、視聴者の同情と責任に訴えかける。まるで「この子をかわいそうだと思わないなら、あんたは人でなしだ」と言われているようで腹が立つ、というのである。誰を気の毒に思うべきとか、サラダを先に食べろとか、電球はLEDを買えとか、そんなことを指図されるのはまっぴらご免だ。彼らは、リベラルな知識人から「無知で時代遅れで無教養な貧しい白人」という侮辱的な視線を浴び続けることにうんざりしているのである。その嫌悪感は、トランプの一人や二人がいなくなっても、そう簡単に消えるものではないだろう。だから人びとは、単にあれこれの事実や良識の示すところではなく、自分が心で真実と感じられる物語「ディープストーリー」を生きるのである。

世界は五分前に始まった?

 ついでにもう一つ面白い話を付け加えておく。アメリカでキリスト教原理主義の影響力が強いことは、よく知られている通りである。聖書の創造説を盾に進化論を否定する人は、国民の四割にも及ぶ。「世界が六〇〇〇年前に創造された」などという主張を聞いて、あきれる人は多いだろう。
 だが、六〇〇〇年前はおろか、「世界は五分前に創造された」という主張ですら、論理的に反証することが困難なのはご存じだろうか。「そんなはずはない、現に自分はもっと前の記憶をもっているし、役所に行けば記録も残っている」などという素朴な反論は、「その記憶や記録も五分前に造られたのだ」という一言で片付けられてしまう。地層も化石も放射年代測定も、すべてがその通りに五分前に創造されたのだ、と論じられれば、それ以上はどんな反論も通じずにお手上げとなる。聖書の創造説を信ずる原理主義者も、同じである。科学的な反証として六〇〇〇年前よりも古い化石が示されれば、それは単に、神が六〇〇〇年前にそのような化石をそこに置いた、ということを示すにすぎない。
 「五分前創造説」は、一九一二年に数学者バートランド・ラッセルが提示した仮説だが、不可知論者であったラッセルのことだから、もちろん聖書的な創造説を擁護するのが目的だったわけではない。彼が示したかったのは、われわれが過去の事実として知っていると思い込んでいることが、実は過去そのものとは論理的につながっていない、ということである。過去の事実は、記憶にとって何ら論理的な必然性をもたない。かりに過去が何も存在しなかったとしても、現在における想起はまったく整合的に分析され得るのである。
 ラッセルはまた、記憶が構成されるには、単なるイメージだけでは不十分で、そこに信念が含まれねばならない、とも言っている。コロンブスが一四九二年に大西洋を横断した、という「事実」は、実はわたしの「信念」にすぎない。それはわたしが見たこともなく、想起することもない出来事だからである。そう考えてゆくと、ファクトとフェイクとの境界線は、さほど簡単に見分けのつくものでないことがわかってくる。その境界線トに、妄想と虚偽と陰謀論とが花を咲かせるのである。
 われわれの認知構造がひとたび大きく変化すると、個々のファクトはすべてそのフレームに合致するように解釈される。もし人びとの思い込みを正そうとするなら、個々のファクトでなくそのフレーム全体に関わるような価値観や世界観のシフトが起きなければならない。それは、宗教的な「回心」にも似た経験になるだろう。人間の文化的営為をすべて神話や宗教と地続きの象徴作用と見なしたカッシーラーの批判的考察も、ここからそう遠くない。

シンボルに真偽はあるか

 カッシーラーのシンボル論に戻ろう。なぜ今、とりわけリベラルな民主主義を掲げる国々で、普遍的なはずの人間本性がフェイクへと傾斜して発現しているのか。人間にシンボル機能が本来的に備わっているとしても、その働きがすべてフェイクを結果するわけではないだろう。というより、人間が不可避的に関わらざるを得ないシンボルには、正しいものとそうでないものがあるのだろうか。もしシンボル機能が真偽の判断になじむものであるなら、誤ったシンボルはどのようにして生まれ、伝播し、共有されてゆくのだろうか。
 カッシーラーが最晩年にナチズムを正面に見据えた『国家の神話』(原著一九四六年)に取り組んだのも、そういう問いがあってのことだろう。その論述はいつもながら浩瀚(こうかん)だが、古代ギリシアから中世哲学と啓蒙主義を経てロマン主義に至る概観は、その最終的帰結として「二十世紀の神話」を分析するための準備作業であったように見える。神話を人間の本来的なシンボル機能の一部とみた彼にとり、現代に蘇った政治的神話がなぜあれほどまでに破壊的な特殊性を帯びたのかを理解することは、避けることのできない課題の一つであった。
 彼の分析によれば、現代のこの神話は、人間の本来的な想像力の発露ではなく、特定の目的に沿って政治的に作り出された人工物である。無意識の深みから湧出する自然の奔流は、巧妙に築き上げられた堰堤(えんてい)と運河に導かれ、具体的な到達点へと至るように統制され利用された。いわばそれは覚醒夢のごとく、「完全に合理化された非合理」となった。ナチズムが成功した秘訣は、言語から儀式に至るまで、明瞭な技術と目的意識をもってこの神話を作り上げていったことにある。おそらくそれは、日本にもあてはまることだろう。いにしえの和人たちが生活の中で自然と紡ぎ出し語り継いできた神話や宗教は、ひとたび国家の軍事目的のために計画動員されるようになると、グロテスクな政治的工作物と化した。
 では、その制作者たちは、自分たちが作り出した物語が真理であると信じていたのだろうか。カッシーラーはこのような問いをばっさりと切り捨てる。「客観的真理」などというものは「ただの幻想」にすぎない。政治的神話が真理であるかどうかを問うのは、「機関銃」や「戦闘機」が真理であるかどうかを問うのと同様に無意味である。なぜなら、これらはみな「兵器」だからである。政治的神話が真理かどうかは、その効力によって証明される。

現代社会的呪術

 そして、その効力を最大限に高める技術として使われたのが、言語や儀礼である。ナチ政権は、「最終的解決」「ジークハイル」など多くの特殊な新語を作り、これを発話行為として呪文のように用いた。また、生活のあらゆる局面に挟み込まれるべき儀礼を作り、友人との挨拶すらそれなしにはできないようにした。これらはみな呪術的な作用をもつ。現代人は、自然を支配する力としての呪術は信じない。だが、社会的な集団化を支配する「社会的呪術」については、いまだその効力を深く信じている、というのがカッシーラーの診断なのである。
 われわれは今日、この社会的呪術の効能を現在進行形で目撃している。政治は本来、特定問題を交渉し解決するための知恵であり、その意見集約と実務遂行を担う団体が「党派」であった。しかし、いま人びとが属しているのは「党派」ではなく「部族」である。彼らは、生のあらゆる局面にわたって敵と味方を峻別する。車や食べ物からテレビ番組にいたるまで、同じ価値観を共有する。彼らの祭典では、みな「アメリカを再び偉大に」と書かれた同じ赤い帽子をかぶり、彼らの偉大な祭司の登場を歓呼して迎え、その口から発せられる単純な呪文の繰り返しに酔う。その式場に異分子が紛れ込もうものなら、ほとんど宗教的な禁忌を犯したかのように過激な反応が起こり、「つまみ出せ」という興奮した暴力的な声が渦巻く。神話の中に現れる人物は、しばしば雷鳴や大水などの自然現象を人格化したものと考えられてきたが、研究者たちによれば、それはむしろ社会的な力の人格化である。トランプ現象は、「人格化された集団的願望」なのである。
 神話の技術でもう一つ重要なのは、「予言」である。大衆は、「単なる物理力」よりも「想像力」によって動かされる。その大衆の想像力を強く刺激するのが「予言」だからである。歴史的運命に関する予言は、当代に不可欠の新たな統治技術となった。カッシーラーは、シュペングラーの『西洋の没落』が現れたとき、たまたまルネサンス期の占星術の論文を読んでおり、両者が酷似していることに気がついたという。シュペングラーの書は、著者自身も認めるように、厳密な歴史学というよりは、古今東西の文明を形態学的に類推する詩的な「観相学」であった。それは、あらゆる文明が自然法則や因果関係を超えた「運命」の力によって定められた行路をたどり、やがて老衰して死に至る、という予言であった。同書は、あたかも日蝕や月蝕を予言するように、西洋文明が辿り行く確実な没落を予言したのである。第一次大戦の終わりに出版されたシュペングラーの予言は、西洋文明の瓦解という危機を感じていた大衆の想像力に一挙に火をつけることになった。
 全体主義国家においては、指導者は現在の世界秩序に絶対的な支配権をふるう魔術師であるばかりでなく、将来の運命を司る予言者でもあることが求められる。そこでは、「不可能でさえある約束がなされ、千年王国が繰り返し告知される」。これも最近のアメリカでよく耳にする話である。例えば、夢物語のような白人だけのアメリカを建設するとか、気候変動も地球温暖化も起きない富裕者の楽園が到来するとか、構造的に斜陽となった石炭や鉄鋼などの産業が新たに日の目を見るとか、あるいは国際社会がアメリカの独善を「偉大な国家」として歓迎するとか。大事なことは、それらが実現可能かどうかではない。こうした説話は、部族の結束意識を高めるための予言なのであって、内容ではなく発話自体が呪術的な遂行行為なのである。

理念の破壊の後に

 歴史上の専制体制は、外的な行動に枷(かせ)をはめることで足れりとしてきたのであって、人びとの感情や思考に介入しようとまではしなかった。そのような試みは反発を強めるだけで、人びとの人格的自由や意志の独立という理念を奪うことはできない、ということを知っていたからである。ところが、とカッシーラーは警告している。現代の政治的神話は、これと逆の方向を辿った。ちょうど蛇が獲物をまず麻痺させてから食べるように、先に自由や平等や人権といった「理念」と「理想」をすべて破壊したのである。だから人びとは、実際に何か起こったかを自覚する前に、すでに征服され服従させられてしまっていた。現代社会が目撃しているあからさまな人権無視や民主的正統性への侮蔑、平和や正義といった理念の無効化の次には、何が来るのだろうか。
 一方、彼自身を含む知識人たちは、その神話があまりに不合理で空想的で馬鹿げているのを見て、誰もそれを真面目に取り上げようとしなかったという。振り返ってみれば、それは大きな誤りであった。その同じ過ちを繰り返すまいとして、カッシーラーは政治的神話の起源と構造、それが用いた言語と技術を問い直すことに最晩年の精力を注いだのである。
 われわれが直面する問いに容易な解答は存在しない。だが、今われわれが目にしている現象が、一過性のものというよりはもう少し根深いものであることを知るのは、腰を据えて今後の戦略を練り、忍耐と希望を錬磨するために、多少の意義があるかもしれない。

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(荒井裕樹の生きていく言葉)聴く耳なければ

2023年06月28日(水)

リタイアして,時間がたって,むかしのことがときどき思い出される.
というか,ふっと忘れていたこと.人の顔が浮かんでくることがある.

なんのために,
あるいは,だれのために,
だれと,
あるいは,だれを,
そのために,なにを…….
物語の入り口で,眠りに落ちてしまうのだけれど.


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(荒井裕樹の生きていく言葉)聴く耳なければ
2022年11月16日 5時00分

 挑戦したい気持ちと自分には無理だという思いが、相半ばする研究テーマがある。「運動家の妻」だ。

 戦後の障害者運動について研究を始めた頃のこと。かつての運動を牽引(けんいん)した人物数名と伝手(つて)ができた。特に親しくなった人もいて、時には自宅にまで押しかけ、そのまま何時間も話し込むようなこともあった。

 振り返れば、あの時の私が忘れていたのは時間だけではなかった。訪問する度、お茶とお菓子を用意してくれて、私が帰るまで隣室で控え続けている人の存在も忘れていた。

 一昔前の障害者運動は、文字通り「男社会」だった。夫が外で運動にはげみ、妻が黙って家を守る。一般社会と変わらぬ構図が厳然と存在していた。きっと妻たちは大変な我慢や苦労を経験したに違いない。

 そうした女性たち一人一人の心情を聴き取るような研究をしてみたい。とは思うものの、自分にその資格があるか疑わしい。なんだかんだ言っても、私も「男の学者」なのだ。男性運動家が語る武勇伝には恭しくレコーダーを回すのに、それを支えた妻たちの話は聴き取り調査の対象とさえ認識していなかった。

 「聴く耳のないところに声は生まれてこない」。研究を続ける中で、折にふれて自分に言い聞かせる大原則だ。時々学生にも伝えるようにしている。その「耳」を持っていなかった悔いと反省も込めて。

 (障害者文化論研究者)
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宮下洋一 「死ぬ権利」とは何か?――欧州「安楽死」事情

2023年05月02日(火)

ジャン=リュック・ゴダールさんの訃報が伝わったとき,
あぁ,もう歳だものな,と思った.
でも,それは間違いだった.
続報で,その死は,いわゆる安楽死だったという.

一瞬,きちがいピエロの最後が浮かんできたけれど,じっさいはもちろん違っていたのだろう.

そういえば,だいぶん前だったか,ALSの女性が,スイスに行って安楽死をとげる,というドキュメンタリーを見たな,と思いだした.

ほんとうのところ,よくわからない.
緩慢な死への道,放置された死……などとどこが違うか?
COVID-19への対応の,たとえば北欧の国と,列島の国の対応の違い……といわれていることはなんだったか,不十分な知識だったけれど,
死と生をめぐる議論があったように感じた.
というか,列島の国では,死は隠されきたように思えた.

ゴダールについては,現代思想誌が特集していたから,なにか参照すべき文章があるかもしれない…….

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【世界】2022年12月

「死ぬ権利」とは何か?――欧州「安楽死」事情

宮下洋一
みやした・よういち 在欧ジャーナリスト。著書に『安楽死を遂げるまで』(講談社ノンフィクション賞受賞)、『安楽死を遂げた日本人』(以上、小学館文庫)、一二月に『死刑のある国で生きる』を刊行予定。


 映画史における伝説的存在だったフランスの巨匠、ジャン=リュック・ゴダール監督が二〇二二年九月一三日、スイス西部ボー州ロールにある邸宅で安楽死を行ない、九一歳で旅立った。
 ゴダール氏は、映画『勝手にしやがれ』(一九五九年)や『気狂いピエロ』(一九六五年)などで、世界の映画界にヌーベル・バーグ(新たな波)を巻き起こした。その彼の死を純粋に悼む人たちがいた一方で、「疲労困憊(こんぱい)だった」という理由で意図的に死を早めた事実に衝撃を受けた人たちもいた。世界を駆け巡った訃報は、終(つい)の選択について、人々に考えるきっかけを与えたともいえる。
 近年、欧州では、安楽死の法制化に向けた動きが進んでいる.すでに安楽死を認めているオランダ、ベルギー、ルクセンブルク(以下、ベネルクス三国)、スイスに続き、ドイツ(二〇二〇年)やオーストリア(二〇二二年)も部分的に認め、伝統的なカトリック大国のスペイン(二〇二一年)も安楽死法を可決させた。こうした国々を始め、今、先進国が安楽死に関心を集めているのは、一体なぜなのか。人間にとって、安楽死は本当に必要な行為なのか。人々が「死ぬ権利」を求めるという最新の動向と、ゴダール監督が選んだ最期を知るために、現場に足を運んでみることにした。

増え続ける安楽死容認国

 私はこれまで、世界各国で安楽死の現場を取材し、日本人を含む難病患者や、諸外国の患者がスイスで安楽死する瞬間を見届けてきた。そこでまず、安楽死とは何かという部分から説明しておきたい。
 二○○○年代から安楽死を容認しているベネルクス三国では、「積極的安楽死」と「自殺幇助」のふたつが行なわれている。前者は、医師が致死薬入りの注射を直接患者に打ち、死に至らせる方法で、後者は、患者自らが同じ劇薬が含まれたコップの水を飲むか、点滴に入った同じ薬品を自身で体内に流し込む方法だ。
 一方のスイスでは、刑法第一一四条で嘱託による殺人が違法とされ、五年以下の懲役または罰金が科されることから、積極的安楽死を禁じている。しかし、それに続く第一一五条では、「利己的な動機」がなければ、自殺への関与に違法性を問わないという条項があり、合法ではないが、自殺幇助は「不可罰」と解釈されている。どちらの方法も致死薬により、死期が意図的に早められることから、厳密な区別が必要な場合を除き、私は、広義の意味で両者を安楽死と呼ぶことにしている。ベネルクス三国が公表する安楽死の最新報告書によると、二〇二〇年または二〇二一年の一年間に行なわれた安楽死の数は、いずれの国も過去最多を更新している。オランダは二〇一二年に七六六六人で、国内総死者数の四・五%にあたる。安楽死した患者のうち七人は、重度の認知症だったことも報告されている。ベルギーは同時期に二六九九人で、そのうちの四六〇人には末期症状がなく、また報告書に反映されていない自殺幇助による死者数も多いといわれる。人口が少ないルクセンブルクでは、二〇二〇年の一年間で二五人が安楽死していた。スイスについては、後に詳しく見ていくことにする。
 これらの国々での安楽死は、二〇〇〇年代から常に右肩上がりの状態が続いている。特に、オランダやベルギーで行なわれてきた安楽死が一定の認知と理解を得る中で、他の欧州諸国も同様の制度を築き、「死ぬ権利」を求めようとする動きが、この数年間で加速した。オーストリアの憲法裁判所は、二〇二〇年一二月、自殺幇助を禁ずることは「自己決定権に反する」との見解を示し、二〇二二年一月から自殺幇助が容認された。イタリアでも、二〇一九年に「耐えがたい苦痛」を抱える患者への自殺幇助に対し、憲法裁判所は「必ずしも違法ではない」と判断し、医療者側に柔軟な対応をとる裁量を与えるかたちとなった。二〇二二年六月には、全身麻痺の男性(当時四四歳)が安楽死しているが、刑事事件化には至っていない。
ドイツでは、隣接するスイスに渡り、自殺幇助を依頼する人が多くいた。連邦憲法裁判所は、かつて行なわれていた自殺幇助を二〇一五年に禁じたが、同国の「死の自己決定権」や自死のために「第三者に援助を求める権利」といった基本法に反するとの解釈から、二〇二〇年二月に復活させている。
 このほか、二〇二一年三月に安楽死法が可決され、同年六月に施行されたのがスペインで、オランダやベルギーと同じ積極的安楽死と自殺幇助の双方を認めている。自殺を大罪とみなすカトリックを国教とする国で、安楽死が法制化されたのは、欧州では初めての事例となった。
 安楽死は、各国のデータが示すように、本来は「耐えがたい苦痛」を患う癌患者や神経難病患者らに適用されてきたケースがほとんどだった。しかし、昨今では、例外的な患者に対しても、その範囲が拡がっている。
 そこで、私が取材してきた安楽死の現場の中でも、最近、特に強い印象を与えた出来事をふたつ紹介したい。ひとつは、安楽死法の開始からまもなくして起きたスペインの事件。もうひとつは、世界を揺るがしたゴダール監督のスイスでの安楽死だ。

銃撃犯の安楽死

 安楽死法の施行からまだ一年あまりだが、スペインでは同法の課題を突き付ける騒動が早々に起きている。二〇二一年一二月、カタルーニャ自治州タラゴナ県で、銃撃殺人未遂事件が発生した。被疑者の男性は以前、勤務していた警備会社で三人の元同僚に銃を向け、重軽傷を負わせた。犯行後、逃走中に警察官に撃たれ、全身麻痺状態に陥った被疑者は、裁判の開始を待たず、医療刑務所で安楽死を遂げたのだ。
 加害者が「死ぬ権利」を主張する一方で、彼に撃たれた被害者たちは、基本的人権である「司法アクセスの権利」を求めた。しかし、二〇二二年八月二日、同州で安楽死の可否を審査する「保証評価委員会」は、被疑者の申請を検討した結果、正式に受理した。
 そもそも、この国で安楽死を希望する患者たちは、どのような要件を揃えていなければならないのか。以下の六つのうち、ひとつでも欠けていれば、申請は認められない。
①スペイン国籍者か、一二ヵ月以上の滞在歴と住民票がある
②一八歳以上の成人である
③明確な意思を持ち、周囲の圧力を受けていない
④緩和ケアを含む代替治療に臨んだ報告書がある
⑤一五日の間隔をあけた安楽死請願書を二回提出した
⑥回復の見込みがなく、耐え難い肉体または精神的苦痛がある
 これらの要件は、まずは担当医とそのチームが患者の病態を判断するが、安楽死の承認は保証評価委員会に委ねられる。この委員会は、医師や法律家や看護師らで構成され、各自治州に設置されている。
 被疑者は、すべての要件を満たしていたかもしれない。だが、裁判や刑事処罰を受ける前に安楽死が行なわれる事態は、想定外の出来事だった。
 被疑者に撃たれた元同僚の一人、ルイサ・リコ氏は、民放テレビ局「アンテナ・トレス」の取材に応じ、「彼は、罪を犯したのだから、裁かれるべきでした。彼の(死ぬ)権利が認められたのならば、(被疑者が法の裁きを受けるよう望む)私たちの権利も認められて当然ではないでしょうか」と訴えている。逃走中の被疑者に撃たれた地元警察官の代理人、ホセ・アントニオ・ビトス弁護士(四七歳)は、「勾留者や受刑者に対する安楽死の規定が(安楽死法には)書かれていませんでした」と釘を刺し、「ルールがなかったのですから、禁止されることもなかったのです」と批判した。
 この事件をめぐり、医療と司法の間でさまざまな議論が飛び交った。だが、「司法には介入の余地がない」との結論で事件は幕を閉じ、被害者の権利は顧みられなかった。
 保証評価委員会(カ々ルーニャ支部)に所属するメンバーの一人、ヌリア・テリバス法学者(五七歳)は、委員会の中で物議を醸した安楽死だったことを認めつつ、こう述べた。
 「最終的に死の決断を下すのは、生きている本人です。人がどう生き、どう死ぬかを、他人が決めることはできないのです」

人生の指揮を執る

 私が取材を多く重ねてきたスイスでは、安楽死にも多様性が求められる時代になったように見える。先に触れたように患者の対象範囲が、年々拡がっているからだ。「病でなく、疲労困憊だった」とフランス紙に家族の一人が宛てた手紙のように、ゴダール監督の安楽死も、その一例だと言える。これらの近況を把握するために、私は約二年ぶりにスイスを訪れた。
 既述の通り、スイスでは、ベネルクス三国やスペインで行なわれている積極的安楽死は違法行為にあたる。ただし、他の国々と異なるのは、安楽死の目的で渡航する外国人も受け入れていることだ。
 スイスには、「エグジット」と呼ばれる国内最大の自殺幇助団体がジュネーブ(フランス語語圏支部)とチューリッヒ(ドイツ語圏支部)にある。二〇二二年に設立四〇周年を迎えたこの団体は、スイス在住者のみ登録を許可している。ゴダール監督は、スイス国籍を有していた。
 現在、エグジットの会員数は、ドイツ語圏支部で一四万二二三三人、フランス語圏支部で一万九四二五人。二〇二一年の一年間で自殺幇助を受けた患者は、両支部合わせて一三九四人に上る。いずれの支部でも、年間死者数は過去最多を記録している。
 エグジット(フランス語圏支部)の共同会長の一人、ガブリエラ・ジョナン氏(五五歳)は、ここ数年の会員の傾向について、私に次のように話した。
 「複数疾患持ちの高齢者会員が増えています。これは、終末期を迎えた人々とは限りません。心身の衰弱によって、命の終え方だけは自分で決めたいとの思いから、エグジットに連絡を取ってくるのです」
 エグジットはもともと、「耐え難い苦痛」や「回復の見込みがない」末期癌患者を始め、心臓や呼吸器系の疾患を持つ患者などを受け入れていた。しかし、現在は死に直面していない精神疾患患者や高齢者にまでも、自殺幇助が施されるようになっている。
 ジョナン氏は、エグジットで勤務する前までは、緩和ケア医療の中心で癌患者の看取りを専門に行なってきた。そのためか、安楽死だけが理想の手段でないことも熟知していた。自殺幇助に関する問い合わせを受ける際も、「緩和的鎮静」という方法もあることを伝えるようにしているという。
 緩和的鎮静とは、余命が通常一、二週間に迫ってきた、主に末期癌患者に対し、耐え難い痛みを鎮静させるとともに人工的に昏睡状態に陥らせ、死に向かわせることをさす。水分を与えないため、腎不全になり、三~七日間で死に至る。間接的な安楽死と捉え、禁止する国も多いが、日本もスイスもこれを認めている。
 エグジット(フランス語圏支部)の二〇一九年の報告書を見ると、自殺幇助で亡くなった合計三五二人のうち、一三四人は「複数の疾患を持つ高齢者」で、一二二人の「癌患者」を上回っていた。死が差し迫っていないと考えられる高齢者の安楽死が増えている背景には、何があるのか。ジョナン氏は、きっぱりとこう答えた。
 「彼らは、死の選択を持ちたいのです。そして何よりも、自らの人生の指揮を最後まで執りたいのです」
 ゴダール監督も、同じ気持ちでいたのだろうか。彼がエグジットに電話を入れたのは、二〇二二年九月六日。亡くなるわずか一週間前のことだった。

六〇秒で訪れた死

 ゴダール監督が一九七〇年代から生活していた町ロールは、ジュネーブから電車で約二〇分の場所にある。人口は約六〇〇〇人。駅を出て一〇分ほど歩くと、目の前に大きなレマン湖が広がっている。彼は、この湖の辺りをよく散歩したようだ。
 フランス映画界の巨匠は、この町ではどのような人だったのか。閑散としたロールの目抜き通りを歩いてみる。喫茶店、花屋、洋服店などは、すみずみまで手入れが行き届き、清潔な印象だ。町の住民は、「ハットを被り、杖をついて歩いていた」と声を揃える。だが、次に出てくる言葉は、「とても難しく、内向的な性格の人だと聞いていたので、挨拶をしても、会話をしづらかった」というものだった。彼らは、ゴダール監督が亡くなる寸前まで、町内を歩く姿を目撃していた。それは、生の終わりが予告されている安楽死という最期を物語っている。
 孤高の映画作家が頻繁に通ったレストラン「39」の従業員女性は、「ゴダールさんのことは、あまり話してはいけないと言われているのですが……」と小声で囁き、こう明かした。「カナール・アンシェネ(フランスの風刺新聞)を読みながら、りんごのタルトをよく食べていました」。
 一九九〇年代、隣町のピックで、監督と一緒にテニスをしていたビクトル・イゲラス氏(七八歳)は、「テニスクラブの控室でも、喫煙は禁止なのに葉巻を吸っていましたね」と言って笑った。人柄については、「人から話しかけられたり、特別扱いされたりすることが嫌いな人だった」と振り返った。
 夕暮れ時、レマン湖のベンチに腰掛けている七〇代の夫婦がいた。隣町ニオンに住む二人だが、夫のベルナール氏は、偶然にも、ゴダール監督から声をかけられ、名作『わたしたちはみんなまだここにいる』(一九九七年)に脇役で出演したことがあると言った。この作品の監督は、巨匠の妻、アンヌ・マリー・ミエビル氏で、ゴダール氏本人はこの時、主役を演じた。
 「噂されているほど、気難しい人ではなく、むしろ感じの良い人でした.ヌーベル・バーグの仲間(フランソワ・トリュフォー監督やクロード・シャプロル監督ら)に対しては、厳しくて厄介な人だったと言われますが、私が受けた感じでは、とても優しい人でした」。
 人によって、監督の印象は大きく異なった。他人の内面を理解することは、簡単ではない。ゴダール監督が安楽死を選んだ理由も、実際のところは彼にしか分からない。死に方は、生き方の反映だからだ。
 彼は、どのように息を引き取ったのか。エグジットの関係者から、その最期を聞いた。
 ゴダール監督は、安楽死当日の朝、寝室のベッドに腰掛けた。横にはミエビル夫人が寄り添い、正面には監督が信頼した長年の友人と、自殺幇助を見届けるエグジットの看護師の三人がいた。話したいことは、前夜にすべて話し終えていたという。自殺幇助という儀式を淡々と始めるだけだった。
 致死薬入りの水を看護師から手渡されたゴダール監督には、すでに覚悟ができていた。別れの言葉も告げず、コップを口に運び、一気に飲み干した。それから六〇秒。ジャン=リュック・ゴダールは、永遠の眠りについた。

「死ぬ権利」とは

 人間にとって、「死ぬ権利」は絶対的なものなのか。私が欧米諸国で取材を始めるようになってから、常に感じていることのひとつだ。自殺は罪であるとするキリスト教でも、その権利を制御できないのが現実だ。
 人生に疲れた時、そして苦しくなった時、個人の意思で死ぬことが許されるのであれば、今後、安楽死の増加は避けられなくなるだろう。とりわけ、個人の生き方、選択が尊重される欧米では、なおさらのことだ。
 取材後、エグジットのジョナン氏は、私にこう尋ねてきた。
 「明日の朝、ジュネーブの高齢夫婦が同時に自殺幇助を受けるのですが、あなたも立ち会って取材されますか」
 安楽死容認国では今、「死にたい」と思わせる社会に潜む問題の解決よりも、その意思の反映に重点を置く傾向にある。それが「死ぬ権利」というものなのか。私の理解が彼らに追いつくには、まだ時間が足りないのかもしれない。

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寺島実郎 脳力のレッスン(240) 戦後日本と都市新中間層の今――資本主義と民主主義の関係性(その4)

2023年06月28日(水)

とても不安……,いや,不安というべきかどうか分からないけれど,
まちを歩きながら,自分が時間の流れに取り残されているような気がすることがある.
なんだろうな,と前を見る.
いや,ひょっとすると,まちがむかしに戻っているのかもしれない……と思う.

労働をリタイアして,しばらくしてそんな違和があった.

ちょっと前に,

代表制民主主義はなぜ失敗したのか
藤井達夫
集英社新書
2021.11
を読んでいた.

そういえばこの国が小選挙区制を導入しようとしていたころ,
そのたぶんモデルでもあったのだろう,イギリスで,小選挙区制の問題が指摘されている,
そんな指摘があったように思う.
総得票数と獲得議席数との間に乖離が,それも少ない票で多数を占める可能性がある,
いや,じっさいの選挙結果でそうであったか,もうずいぶん前のことだった.

それよりもっと前だったか,
少数党の「乱立」する国の連立政権で,
どんなふうに閣議がすすめられるか……といったことを伝えるレポートがあった.
そういってはちょっと身も蓋もないのだろうが,談合しているんだ,という.
閣議が続く中で,折り合いをつけるために.

イギリスは労働党と保守党の2大政党,といわれるけれど,ほんとうにそうなんだろうか.
そういえば,ケインズには,Am I a Liberal というパンフレットがあったことを思い出す. 
かれは,保守党は地主,金利生活者の政党だと思っていたのではなかったか.
animal spiritをもった「企業家」の政党ではない,と.

いや,そんなことを思い出しながら,さて,民主主義とか,
何であったか,何でありうるか……と.ちょっと思った.そこで止まってしまったが.

いつも思い出す,宮本常一さんが描く小さな漁村での集落の談合の様子を思い出す.
なかなか合意にたどり着かない談合で,外部の者から観ると,いったい何を語り合っているのか,と訝るような.
まぁ,巧遅よりも拙速……かな,と思う.
いや,そうではなく,巧遅ではなく,拙速でもないような.

いま大学の経済の耕義で,分配論をやることがあるのだろうか,と友人と話したことがあった.
いつごろからだろうか,税をめぐる議論が,とても荒っぽいな,と思った.
巧遅でなく,でも拙速でない,そんな議論があってよかったと思うけれど,
海の向こうのずいぶんと乱暴な議論に引きずられて,税制が大きく変容させられたのではないか,と.

たとえば消費税,あるいは付加価値税とかを,ヨーロッパの国々のように,もっと税率を引き上げようという議論があるようだけれど,
かの国々の消費税は,はたしてこの国の制度とおなじようにできているのだろうか.
メディアをせっかく特派員などを置いているのだったら,もうすこし多面的な議論を演出すべきだったのではないだろうか.

……などとと思い浮かべながら,狭い日本,そんなに急いでどこへ行くのか?と思うこともある.
急がば回れとか.それでも,急いで回ろう,かな.

寺島実郎さんの議論,なんとなく既視感があるな……,なんだろう.


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【世界】2022年12月

脳力のレッスン(240)
寺島実郎

戦後日本と都市新中間層の今――資本主義と民主主義の関係性(その4)


 「敗戦」という衝撃の中で、戦後日本が始まり、戦勝国たる米国によって唐突に日本は「民主主義の国」になった。だが、当時の日本人にとって最大の関心は「食うこと」、つまり食べて生き延びることであった。昭和二〇年八月一五日、『貧乏物語』(一九一六年)の著者でマルクス主義者でもあった河上肇は京都に静かに暮らしていたが、次のような歌を詠んでいる。

「大きなる 饅頭蒸して ほほばりて
   茶をのむ時も やがて来るらむ」

 多くの日本人は敗戦を「物量の敗戦」と受け止めた。「大和魂は一歩もひけをとらなかったが、米国の物量にねじ伏せられた」と思いたかったし、そうとしか思えなかったのである。戦後日本がひたすら「経済の時代」を探求する導線がここにあった。戦前の日本政治の在り方への真剣な省察はなされないまま、強制的に民主主義が与えられ、受け身でしかそれを捉えられなかった。
 その後、六〇年安保闘争、七〇年安保・全共闘運動という「政治の季節」の高揚と挫折を経て、「PHP」(繁栄を通じた平和と幸福)を追い求め、「工業生産力モデル」の優等生として「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(一九七九年、E・ヴォーゲルの著書)といわれるに至り、GDP世界二位の国を実現したことに胸を張った。
 もちろん、民主主義を理解しようとする真剣な試みもあった。その重要な舞台の一つとなったのが、岩波書店の『世界』であった。敗戦の翌年、一九四六年五月号の『世界』は特集「アメリカ論」を組み、中野好夫の「ド・トクヴィル『アメリカの民主主義』」や清水幾太郎の「カイザーリング『アメリカ・セット・フリー』」などを掲載した。丸山眞男が「超国家主義の論理と心理」を寄稿し、戦前の日本の政治構造の解明を試みたのもこの号であった。この特集のタイミングは、GHQによる「主権在民、象徴天皇制」を支柱とする新憲法草案が提示され(二月一三日)、一一月三日に日本国憲法が公布される谷間であり、アメリカ政治研究の必要を痛感し、民主主義の在り方を模索しようとしていた知識青年や学生(大学進学率はまだ一割以下だった)は貪るように『世界』を読んだという。

■日本の戦後民主主義――一足飛びの大衆民主主義

 戦前にも一定の民主主義はあった。国会開設後の一八九〇年の第一回総選挙では、「直接国税一五円以上を納める二五歳以上の男子」に投票権が与えられたが、それは人口のわずか一・一%にすぎなかった。最初の「男子普通選挙」(二五歳以上)が実施された一九二八年の第一六回総選挙でも、有権者は一九・八%にすぎなかったのである。
 戦後、一九四六年四月の第二二回総選挙は、婦人参政権を実現した「二〇歳以上の男女普通選挙」であり、有権者は人口の四八・七%となり、一気に大衆民主主義の時代を迎えた。そして、二○一六年の参議院選挙からは「一八歳選挙権」となり、有権者は人口の八三・七%となった(総務省統計局資料)。大衆民主主義が一段と加速したのである。だが、国民の政治参加の基盤が広がることと、民主主義が有効に機能することは別次元である。
 戦後民主主義を代表する論者の一人である鶴見俊輔(一九二二~二〇一五)は、『思想の科学』一九六〇年七月号に「根もとからの民主主義」を寄稿し、目の前で繰り広げられる「六〇年安保デモ隊」の行動を擁護し、「この大衆運動をとおして、日本の政治はその私的な根から新しく出発し、自分たちの肉声を映画やテレビをとおして世界につたえている。世界にとって、それはきくに足る何かなのだ」と論じ、戦後民主主義の未来に期待を示した。
 鶴見俊輔は冒頭で「一九四五年八月一五日に、敗戦が来た」と表現しているが、「来た」というのが実感だったのであろう。唐突な「戦後日本の民主化」が「白発性の欠如」という宿命を抱えていることに苦闘し続けたといえる。与えられた民主主義において「市民社会の自立」はなるのか、それこそが戦後日本の宿命のテーマであった。
 もう一人、戦後民主主義に影響を与えた人物が丸山眞男(一九一四~九六年)である。岩波新書の『日本の思想』は一九六一年に出版され、現在でも一〇〇刷を超すほど読み継がれている。とくに、「六〇年安保の教科書」といわれた論稿が「『である』ことと『する』こと」だ。「国民主権である」という制度的建前と権利に安住するのではなく、「行動する」論理に踏み出すことの大切さを示唆するもので、民主主義とは何かに関して日本人の視界を拓くものであった。私も、北海道の高校生としてこの本を手にした時の高揚感を覚えている。
 だが、六〇年安保の挫折を経て、ベトナム戦争での米国への失望、さらにプラハの春を戦車で踏みつぶしたソ連への幻滅を味わい、世界の若者は「一九六八野郎」(パリ五月革命、カリフォルニア世代)となって既存の秩序への反抗を試み、日本でも新左翼の登場と全共闘運動の中で、丸山眞男の市民主義は微温的な「プチ・ブルの議論」として軽視されていった。それでも、六〇年代末から七〇年代初頭の大学は、「丸山眞男とマルクスの結婚」という言葉に象徴される市民主義と社会主義が混在した心象風景の学生達が主流であった。運動の主役でもあった「団塊の世代」といわれる戦後生まれの先頭世代は、その後どう生きたのか。それが民主主義の今日的状況と相関しているのである。

■戦後民主主義の主役としての都市新中間層

 経済の時代を突き進んだ日本において、大衆民主主義を担う主体たる「国民」の経済的・社会的基盤は、産業化と都市化の潮流のなかで大きく変容した。一九五〇年、つまり敗戦から五年後の時点で、就業人口の四八・六%は一次産業(農林水産業)に従事しており、国内総生産の二六・○%は一次産業によるものだった。その後の産業構造の変化によって、七〇年の段階で、一次産業の従事者比重は一九・三%、生産比重は六・一%となり、九〇年には従事者比重は七・二%、生産比重は二・五%となった。そして、二〇二〇年には従事者比重はわずか三・二%、生産比重は一・〇%となった。
 また、産業の都市集中により、人口の都市集中が進行し、例えば、首都圏の四都県の人口は一九五〇年には一三〇五万人で、全人口の一五・七%だったが、二〇二〇年には三六九一万人と、全人口の二九・三%を占めるに至っている。つまり、戦後の日本は産業構造の変化と人口の都市集中により、膨大な都市新中間層という存在を産み出した。
 一次産業から二次・三次産業へ、田舎から大都市へ、この人口構造の変化は、総じて国民を豊かにする移動であった。勤労者世帯可処分所得(月額)は、一九五五年の二・六万円から一九七〇年の一〇・三万円、八〇年の三〇・六万円、九〇年の四四・一万円と急増し、九七年の四九・七万円でピークアウトするまで増加を続けた。「明日は今日よりも豊か」と思える時代が、九〇年代末まで続いていた。各種世論調査において、国民の八割以上の階層帰属意識が「自分は中流」と答える一億総中流幻想が生まれたのも当然と思われる時代状況だった。成長の成果が分配を通じて国民生活を潤していくという好循環が機能していたといえる。また、この背景には東西冷戦期における資本主義対社会主義の緊張関係(「五五体制」)を軸に、労働組合運動が経営を突き上げていたという要素も指摘できる。
 私は、『中央公論』一九八〇年五月号に、「われら戦後世代の『坂の上の雲』」という、自分の原点というべき論稿を寄稿した。戦後近代化と産業化の過程で、日本は大都市圏に産業と人口を集中させ、一定の豊かさの中で「新中間層」というべき「階級意識」を持たず、「中流意識」を持った階層を産み出していた。かつての農村社会における地縁・血縁のしがらみから解放された「都市の新中間層」が、戦後民主主義の担い手になることを期待した論稿でもあり、「全否定」を掲げた全共闘運動から約一○年後、私自身が産業の現場に身を置きながら新中間層予備軍として戦後民主主義の前途に果たすべき役判を模索していたといえる。
 この四二年前の論稿において、私は都市新中間層の中核となりつつある戦後世代(団塊の世代)が身につけてきた価値観を「経済主義」(経済的価値への傾斜)と「私生活主義」(個人主義とは異なる閉鎖的小市民主義)とみて、そのことがもたらすであろう未来状況に強い懸念を示していた。あれから四〇年、都市新中間層は、日本の民主主義の中でどこに立っているのであろうか。

■二一世紀のバラタイム転換――大衆民主主義の今日的危機

 二〇〇〇年から二一年の間に、日本では新たな就業人口移動が進んだ。製造業・建設業の就業者が四五五万人減少し、広義のサービス業(金融・不動産業を除く)で七四七万人の就業者が増えた。サービス業でもとくに医療・福祉(多くは介護)と運輸業で四八五万人を増やしている。サービス業は、製造・建設業に比べ、平均年収が約九〇万円低く、この移動が就業者全体の所得を下げているのである。つまり、一二世紀の就業人口の移動は、国民を豊かにするものではないといえる。
 また、二〇二一年の雇用者五九六三万人のうち、非正規雇用者(パート、アルバイト、派遣、契約社員)は二〇六四万人で三四・六%を占める。さらに、年収二〇〇万円未満の「ワーキング・プア」(働いているのに貧困)は一四七六万人で、非正規雇用者の七一・五%を占める。正規雇用者で年収二〇〇万円未満の三四七万人を加え、日本には年収二〇〇万円未満の人が一八二三万人おり、全雇用者の三〇・六%を占める。つまり、分配の平準性を特色とした日本は、今世紀に入り「格差と貧困」へと社会構造を変えたのである。
 先述のごとく、一九九七年に四九・七万円でピークを迎えた勤労者世帯可処分所得は、二〇一一年に四二・一万円まで下落、その後一二年には四九・三万円となったが、二四年も前に比べてまだ水面下で、現役世代の勤労者の所得が低迷を続け、かつ「ワーキング・プア」の比重の高まりが示すごとく、分配の格差が拡大していることが窺(うかが)える。
 さて、この社会構造の変化の中で、戦後民主主義の担い手と思われた都市新中間層の位相も変化した。まず、都市新中間層の第一世代は定年退職を迎え、都市郊外のベッドタウン(東京でいえば国道一六号線沿いのニュータウン、マンション、団地)に高齢者として生活している。会社人間として往復二時間の通勤を続けてきたサラリーマンが、「イエ型企業社会への同一化」(ウチの会社と企業内労組への帰属意識)から解放された空白感の中で、多くは拠り所なき不安の心理の中にあるといえる。
 私は五年前の岩波新書『シルバー・デモクラシー』において、「なぜ高齢者はアベノミクスを支持するのか」を分析している。「経済主義」と「私生活主義」を身につけて企業社会を生きた高齢化した都市新中間層は、次第に「生活保守主義」へと傾斜し、異次元金融緩和で実体経済を膨らませて株高と円安を誘導する歪んだ経済政策に拍手を送るようになった。理由は明確で、家計が保有する金融資産のうち、貯蓄の約六割、有価証券の約七割は六〇歳以上の高齢者が保有しており、日銀に政治的圧力をかけ、赤字国債を青天井で引き受けさせ、ETF(上場投資信託)買いで株価を支える政策は、資産を持った高齢者を潤すからである。人口の四割を高齢者が占める時代が迫る中で、若者の投票率が高齢者の半分という状況が続けば、有効投票の六割は高齢者が占めることになるわけで、「老人の老人による老人のための政治」というシルバー・デモクラシーのパラドックスは現実のものとなりつつある。
 次に、現役世代の都市新中間層の現状を確認しておきたい。都市新中間層も第二、第三世代に入った。帰る田舎を持たない都市圏を故郷とする存在である。彼らは右肩下がりの四半世紀と並走した。一九九四年に世界GDPの一八%を占めた日本経済は、二〇一〇年に中国に抜かれ、二一年には世界GDPの五%にまで後退した。そして、一一年の東日本大震災、二〇年からのコロナ禍と、戦後日本が造りあげてきたものが盤石ではないことを思い知らされた。レジリエンス(耐久力)が問われる局面を迎えたのである。
 不安を背景に内向、保守化へと向かった。絆(キズナ)、連帯、統合、安定を求める空気へと変質していった。変革や改革という言葉が消えていった。「イマ、ココ、ワタシ」しか視界に入らない閉塞感が日本を覆うようになった。そこに「安倍政治」なるものが同軌した。戦後民主主義にとってこの一〇年間の安倍政治とは何だったのか。新たな時代を拓くためにこのことを次に考察したい。

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片山善博の「日本を診る」(157) 地方創生をどうするか――これまでを振り返り、これからを考える

2023年05月02日(火)


ふるさと納税という制度ができたとき,
ほんとうにばかげた仕組みを考えるものだと思った.

そのもっと前,ふるさと創生で自治体に1億円だったか,国が交付するのだという.
この国はどうしてしまったのかと思った.

ふるさと納税が可能ならば,
むしろ住民税の減税を考えてほしい……と思ったのだった.
財政学者,租税制度の専門家がメディアに登場することがあったか,
覚えていない.
あるいは,専門的な雑誌などでは,きちんと吟味されていたのかもしれないが,
メディアは,ほとんど無批判的に制度の宣伝に努めているように見えた.

そこに,COVID-19の感染拡大で,
現金バラマキが始まった.
現金バラマキに対する客観的な報道など,ほとんど見ることがなかった.
いや,事実上,国家による商売などの活動を抑制しようというのだから,
それによって損失を被る人,起業などに対する支援が検討され,実施されることに異存はなかったけれど,
さて,なにがなされてきたのか,
それによって,どのような効果が期待され,
じっさいに、どのような効果があったのか…….
わからない.

そういえば,ふるさと納税のおかげでいちばんも受けているのは,どこの誰なんだろう……なんてケチなことも考えた.

おおむかし……かな,ふるさとに錦を飾る,なんて言葉があった.
いま,どうだろう.
帰るべきふるさとがどこにあるんだろう,と思うことがある.

いま,東京圏に住んでいて,さて自分のふるさとって,どこだったか…….

たまたま仕事に関連して,ちょっと無理を言って,研修目的?で北欧に行ったとき,
スウェーデンで,バルト海に面した人口10万人ほどのまちで,行政部門の責任者の議員が,
このまちはスウェーデンの100分の一です,
と語っていた.
人口1000万人の国の,人口10万人のまちの話.
通訳がはいるから,ほんとうのところを知っているわけではないけれど,
議員の話に,「地方」は出てこなかった.

そういえば,彼の地は,1970~80年代,地方制度のあり方をかなり徹底して議論していたという.
列島の国ではどうだったか,とちょっと振り返ってみる.


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【世界】2022年12月

片山善博の「日本を診る」(157)

地方創生をどうするか――これまでを振り返り、これからを考える


 政府はこれまでの八年間、地方創生に力を入れてきた。自治体もこれに呼応し、熱心に取り組んできた。では、それによって所期の目的を達成したといえるか。筆者の見立てでは、残念ながら全国いずれの地域でも地方創生はうまくいっていない。
 「うまくいっていない」とは曖昧な言い方だが、地方創生とはそれぞれの自治体が地域の課題とそれを解決するための目標を定め、実績を評価するための指標も自ら設定する枠組みだから、総体として成果を論ずるには「うまくいっている」とか「うまくいっていない」というほかない。

■自治体同士の奪い合いは不毛の争い

 地方創生だけでなく、このところ国が主導する地域活性化策はうまくいっていない。その要因として思い当たることはいくつかあるが、ここでは特に気にかかることを二つだけあげておく。
 その一つは、総じて自治体が互いに奪い合う施策に力を入れてきたことである。例えば地方創生を遂行するに当たり各自治体は総合戦略という一種の計画を策定し、それに基づいて各種の施策を実施してきた。
 その総合戦略にほとんどの自治体が書き込んだのが人口減少に歯止めをかけるための施策であり、具体的にはUターンや移住の受け入れである。移住者には住宅の世話や就業面での支援策が用意されるが、どこの自治体でも注力しているので、平凡な支援では他の自治体に比べて見劣りがする。そこで支援策はいきおい手厚くならざるを得ない。自治体による人口の奪い合い競争が現出する。
 移住促進に力を入れ、それでいてはかばかしい成果を上げられない自治体の担当者からこんな話を聞いたことがある。移住を希望する人の中には、自治体の足元を見て、さらに手厚い支援を求める強欲の人もいるという。
 あげくの果てに、「せっかく移住してきてやったのに、期待はずれだった」などと嘯(うそぶ)いて逆Uターンした人もいたそうだ。どうしてこんなに卑屈にならなければならないのかと、担当者は嘆いていた。
 自治体が移住者受け入れに力を入れたからといって、それでわが国の人口が増えるわけではない。今わが国は人口減少下にあるのだから、地域間の移住をめぐる競争は、いわばパイが小さくなる中での熾烈な奪い合いである。全体としてみれば、「労多くして益なし」の不毛の争いでしかない。
 いわゆるふるさと納税の制度は奪い合いの典型例である。A市の住民がB町にふるさと納税(寄付)をすれば、本来ならA市に入るはずの住民税がほぼB町に移転する仕組みだからである。全国の自治体が「わが市に」、「わが町に」と熱心に寄付を募っているのは、所詮は他の自治体に入るべき税金を自分の所に奪いとろうとしている作業にほかならない。自治体が税の奪い合い競争をしても、それによって国全体の税収が増えるわけではない。むしろ寄付者への返礼品に要する経費やPR代などのために貴重な税が費やされるのだから、結果として税は大きく目減りする。
 自治体がこぞってよその税を奪うために知恵を絞っている姿は健全ではない。それは他人の金を奪うためにあれこれ知恵を絞っているオレオレ詐欺集団を彷彿とさせる。自治体はもっとまともなことに知恵を絞るべきではないか。

■安売り作戦ではなく、生産性向上の戦略を

 二つ目としてあげられるのは、値引きやダンピングによって地域経済を活性化させようとしたことである。例えば地方創生の代表施策として全国すべての自治体が実施したのがプレミアム付き商品券である。一万円で一万二千円分の商品券が得られる。これは概ね二割値引きされた商品を購入できるに等しい。
 地方創生では初期の段階で、多くの県が観光キャンペーンの一環として「ふるさと旅行券」などの割引券を発売した。ホテルや旅館に実質的に半分の価格で宿泊できたので、発売と同時に売り切れるなどという例が多かった。
 これによって域内への観光客が増えたという評価がなされていたが、結局は一過性のブームに過ぎず、キャンペーンが終われば需要は元に戻る。また、一度半額旅行の味を覚えると、通常価格が割高に感じられることもあり、旅行市場を混乱させることにもつながった。
 現在進行中の全国旅行支援も同じだが、値引きやダンピングで一時的な需要を掘り起こすことはあっても、地域経済をまっとうに成長させることにはつながらないことを肝に銘じておくべきである。
 先にふれたふるさと納税も、見方を変えれば超ダンピング政策である。ふるさと納税の仕組みを寄付者の視点でとらえると、例えばどこかの自治体に一〇万円寄付した人なら、住民税ないどの税が九万八千円減税される。加えて寄付先の自治体からは寄付額の概ね三割に相当する返礼品(和牛や果物など寄付者が指定した商品)が届けられるのが通例である。
 以上を総計すると、この寄付者の場合、三万円分のお気に入り商品をわずか二千円で手に入れられたことになる。これは堪えられない。ふるさと納税を超ダンピング政策だという所以である。
 寄付金をたくさん集めた自治体関係者がこんなことを言う。これまで日の目を見ていなかった地域の特産品に都会の人たちの注文が殺到している。ふるさと納税のおかげで地域経済が大いに活性化した、と。
 ただ、その都会の人たちは、決してその特産品の真の価値を認めて注文しているわけではない。三万円分の商品がたった二千円で手に入れられることに魅力を感じているに過ぎない。これは戦争特需のようなもので、今後ふるさと納税制度が廃止されれば(早晩必ず廃止される)、その人気商品に対する需要はほぼ消えると覚悟しておくのがよい。
 自治体間の人口や税の奪い合いと安売り・ダンピングでは地域振興につながらないことは明らかだが、では今後どのようにすればよいか。それは人口問題でいえば、減少するパイを自治体同士で奪い合うのではなく、それぞれの地域で出生率が上がるように、子どもを生み育てやすい環境を整えることの方に力を入れるべきである。それは小手先の施策では無理だし、一朝一夕に成果が上がるものではない。腰を据えて地道にじっくり取り組まなければならない課題であるはずだ。
 また、当面は人口減少に抗うのではなく、人口減少を前提にした上で、地域の企業や働く人たちの生産性を上げる施策に力を入れるべきである。労働力人口が減っても生産性が上がれば、地域経済の活力は維持できるからである。そのための具体的取り組みとしては、最近とかく話題になることの多いデジタル化の促進であったり、地場企業の技術力向上であったり、下請けからの脱却であったりする。
 いずれにしても、これからの地域づくりでは、国から提示されたことを鵜呑みにするのではなく、自分たちの地域の現在及び将来にとって何が重要かということを真剣に考え、実践することが大切だと思う。

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いま、この惑星で起きていること  第35回(最終回) 体当たりの科学者たち  森さやか

2023年05月11日(木)

そういえば,藤田哲也さんという名前は,たぶんテレビのドキュメンタリー番組だったか.

まったく違う話だけれど,最近,牧野富太郎の名前を聞く.
小学校中退,
学校制度が,確立するにしたがい,牧野富太郎の居場所は,なかなかむずかしかったとも聞いたことがあったな.
じっさいはどうだったのだろう.

むかし,大学卒業程度を認定する試験があったと聞く.
おもしろいな,と思った.
大学入学資格検定試験があった.
いま,高等学校卒業程度認定試験.

いや,森さやかさんの記事とはあまり関係がないかな.
でも,学ぶこと,考えること,研究すること……って,どんなことだったか,
と思った.




【世界】2022年11月

いま、この惑星で起きていること
第35回(最終回) 体当たりの科学者たち

森さやか
もり・さやか  フリーの気象予報士。アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。二〇一一年からNHKの英語放送「NHK WORLD-JAPAN」で気象アンカーを務める。著書に『竜巻のふしぎ』『天気のしくみ』(共に森田正光氏との共著、共立出版)、『いま、この惑星で起きていること――気象予報士の眼に映る世界』(岩波ジュニア新書)。


 一九九八年一一月一九日、ある高名な気象学者がアメリカで息を引き取った。嵐に魅せられ、風の正体を探り続けた人生だった。
 その人は藤田哲也という。福岡県北九州に生まれ育ち、若くして地元の専門学校の助教授となった。陽気で、お茶目で、博学異才な藤田を、生徒たちは「てっちゃん先生」と親しみを込めて呼んだ。
 そのてっちゃん先生が、気象の研究に没頭したいと海を渡ったのが三二歳の時。わずかなお金を握りしめて、戦後まもない日本の焼け野原を飛び出した。シカゴ大学では、明晰な頭脳と独創性を生かして名声を高めていく。ノースダコタ州に大竜巻が襲った時には、まず地元のテレビに出演し目撃情報を募った。日本語なまりの英語を話す度胸たっぷりな研究者に人々は興味津々で、次から次に情報が集まったという。藤田の研究手法は、地べたを這っての泥まみれの調査から、自身専用の“フジタジェット”に乗っての空中観測まで、オリジナリティにあふれていた。型にはまらぬスタイルで竜巻を追いかけ、お手製の装置で綿密に分析し、ついたあだ名は「ミスタートルネード」。気象学の世界的権威にまで上り詰めた。
 藤田のような熱意ある研究者が、科学の発展、そして今日のわれわれの安全をもたらしてくれていることは言うまでもない。今月号では、地球の異変を見つめつつ、任務にあたる科学者たちを取り上げ、最近起きた天気のニュースと絡めて話を進めていきたい。

■空から“古”を探す宇宙考古学者

 その昔、イギリス人考古学者のジェフリー・ビブリーは言った。「すべての考古学者は、自分がなぜ掘るのか知っている。死者が蘇るように、過去が永遠に失われないように、時代の難破から何かが救われるように、哀れみと謙虚さを持って掘るのである」。しかし今年、考古学者は掘らずに胡坐をかいていればよかった。記録的な熱波と干ばつで湖や川の水位が下がり、遺跡や遺物が自ら顔を出したからである。まず米国アイオワ州では、先史時代の人のあごの骨が見つかり、テキサス州では一億年も前の恐竜の足跡が、それぞれ干上がった川底からお目見えした。またイギリスでは芝生が枯れて中世の庭園の跡が姿を現し、イラクでは川底から三四〇〇年前の都市国家が発見されるなど、考古学者は大忙しで嬉しい悲鳴を上げた。
 こんなふうに水が涸れた時にひょっこり遺物が顔を出すだけならまだいいが、異常気象が続いて、この世から金輪際消えてなくなってしまう場合は大問題である。たとえば今年の七月、ペルーでは、焼き畑の火が瞬く間に広がって、マチュ・ピチュまであと一〇キロの距離まで迫ったし、昨年はギリシャのミケーネにある青銅器時代の遺跡が炎に囲まれ、ぎりぎりで消火された。また海面上昇によって、スコットランドの海岸線に建つ五〇〇〇年前の集落跡なども水没の危機にある。後世に気がつかれぬまま、そっと地上から消えていく古の記憶がないように、いま考古学者はハチマキをしめて急ピッチで仕事を始めている。とはいえ、手探りの発掘スタイルでは間に合いそうもない。そこで、衛星に取り付けた超高解像度のカメラで地球を見下ろす、「宇宙考古学者」が登場している。この方法ならば、どんな辺境の遺跡ですらも、空調の行き届いた快適な研究室で四六時中探索が行なえる。もし遺跡が地中に埋まっていても、その上に生えている植生に変化が現れるから、衛星でそれを見つけ出し、探り当てることが可能だという。では、その場所が熱帯雨林に覆われていたらどうだろう。今やそれすら透けさせて、地
上を見わたせる技術が存在する。遺跡が消えるのが先か、見つけるのが先か、宇宙考古学者は時間に追われている。

■嵐に突っ込むハリケーンハンター

 最先端の技術で地球を空からくまなく見わたせる時代になったが、やはり最終的には人が直に見て感じて、調査をするに限る。
 ハリケーンも雲写真から強さを推定することが可能だが、アメリカでは航空機で雲の中を突っ切って、直接観測する“慣習”が引き継がれている。そんな勇猛果敢な人たちを「ハリケーンハンター」と呼ぶ。今年八月、かつてない試みが行なわれた。普段は調査エリア外の、米国東岸から五〇〇〇キロも離れたアフリカ沖まで観測機がひとっ飛びして、ハリケーンの卵の雲に突っ込むというものである。この海域は「ハリケーンの保育所」とも呼ばれ、アメリカにやってくる嵐の約半数が誕生する。しかし、ハリケーンハンターが遠路はるばる大西洋の反対側まで出かけて行って、いったいどんなメリットがあるのだろうか。それは嵐の発生段階から正確な情報を手に入れて、予報精度の向上を図るためである。アメリカのハリケーンによる被害額は一つあたり平均二〇〇億ドルにも上るそうだから、救世主の一手となり得るわけである。
 ハリケーンハンターには、どうやったらなれるのだろうか。九月、アメリカ海洋大気局が求人広告を出したので、その内容を紹介しよう。募集職種は、観測機に乗ってデータを取る気象学者である。フルタイムの正社員雇用で、年収は約六万ドルから一〇万ドル(約九〇〇万円から一四〇〇万円)。これを高いとみるか安いとみるかは、あなた次第である。飛行中は当然のこと乱気流のオンパレードであるから、言うまでもなく、それに耐えられる体力や忍耐力が必須になる。熱帯の暑さから超高高度の寒さまでの極端な気温差や、何Gもの負荷に耐えられるたくましさ、それに超ド級の轟音にも動じないタフさも必要である。過去八〇年の歴史の中で、墜落は六機、死者は五〇人超。死と隣り合わせの危険な任務である。

■動物の叫びを聞く、生物学者

 以前、闇夜に光るシカゴの摩天楼にぶつかって命を落とした悲しき小鳥たちを、四〇年間拾い続けた動物学者を紹介した。計七万羽に及ぶなきがらの身体測定で分かったことは、鳥が小さくなっていたことだった。また、トンボの翅の黒色が薄くなっていたり、クマの冬眠開始時期が遅くなったりしていることなどを発見した学者もいた。環境変化に抗えない哀れな動物たちは、こうして外見や住処を変えて暑さに順応しようと、もがいているのである。学者たちはそんな彼らの叫びを代弁している。
 地球は今、「第六絶滅期」に向かっていると言う人がいるように、何千万年来の速いペースで動物が地上から消え去ろうとしている。ではいったい、どんな動物が温暖化した地球上でも上手くやっていけるのだろうか。八月、科学誌『eLife』に発表された論文には、その答えがある。
 サウスデンマーク大学の生物学者が、一五七種の哺乳類の個体数の増減と天候の変化について調べたら、長生きで少産型の動物は、短命で子だくさんの動物に比べて、異常気象の影響を受けにくいという結果が導かれた。たとえば、ゾウやトラといった動物が前者で、ネズミなどの仲間が後者にあたる。これはどういう意味か。たとえば干ばつなどの異常気象が起きた場合、短命な小動物は、すぐに食糧不足に陥って個体数が激減する。しかし状況が改善すれば、急激に個体数が増える。つまり気候の変化に振り回されやすいというわけである。
 幸運にも人間は、変化を受けにくい「勝ち組」に属している。万物の霊長をうたい、地球の環境を壊し続ける張本人は、これからは心を入れ替えて、地球を去ろうとしている動物を救い上げ、船に乗せる番である。

■心ここにあらざれば視れども見えず

 ややもすると、見過ごされそうなことばかりである。しかし研究者たちの目が、いまこの惑星で起きている変化をとらえている。藤田はよく、こう口にしていた。「心ここにあらざれば、視れども見えず」。目をそらさず、じっくり見据えれば、おのずと今の地球が見えてくる。現状を真剣に見つめ行動にうつすことが、未来に地球を託すわれわれ世代の責務であろう。
 こんなふうに、世界の天気話を日誌ないし月誌として書かせていただいた連載も、いよいよ今月号が最終回である。父親からは「さやかの文章は薬にならないが、毒にはならないよ」と辛口に励まされて始まり、気がつけば三年経って、三日坊主の私がよく続けられたと、いまや感動してくれている。こうして書き続けられたのも、最後までお付き合いくださった読者の皆様のおかげに他ならない。この場を借りて、厚くお礼を申し上げます。
(おわり)

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寺島実郎 脳力のレッスン(245) 近代民主主義の成立要件と二一世紀の模索――資本主義と民主主義の関係性(その3)

2023年04月23日(日)

世界の人口についての国連の予測が公表されていた.
だいたい予測に沿って変化するんだろうなと思う.すくなくとも2,30年程度の範囲では,ほぼ予測どおり,さらに長期についても,流れは変わらないんだろうな,と感じる.

人口が独立変数なのか,なにかの従属変数なのか,不勉強でなんとも言えないけれど,
この列島の国に関する人口学の見通しは,ほぼ予測どおりだったように思う.
いや,当時,総人口の中位推計は,すこし願望を、あるいは政治的な妥協?を含んでいるんじゃないかと思った。むしろ低位推計の方が当たっていそうだな,とか.

民主主義……か.
よくわからない.
もし多数が正義であるなら、遠からずインドや中国,さらにアフリカ諸国が,正義を旗を振ることになるのかもしれない.
アメリカは,いずれに「白人の国」ではなくなるんだろう。そのとき,彼らの正義はどうなっているだろうか.
その一方で,人がつくる政治的な制度は,人口規模とどのような関係がありそうか,と思うが,
あるいは無関係ということもあるのだろうか.

おおむかし,コンピュータが進化して,計画経済の需給にかかわる基礎的計算を俊次に実行するようになる……みたいな話もあったのではなかったろうか.
政治的な意志決定は,さてどうなるんだろうか.

……などと,すこし考える.
選挙という仕組みは,そんなに優れたものなんだろうか,とか,
宮本常一さんが,対馬の小さな漁村における「寄合」……でよかったか,村の中の問題解決のための合意形成,なんてかたいいいかたになりそうだけど……について書いていた.
長老がなにか言う,四方山話があって,なんとなく解散.
また何度か寄合があって,気がつくと,村人の合意ができあがっている……というような.
もちろんそんな寄合を,永田町,霞ヶ関でやるというのは,まったくの非現実だろうけれど.
いや,永田町や霞ヶ関に住人たち同士は,似たようなことをしているんだろうか.


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【世界】2022年11月

寺島実郎 脳力のレッスン(245)

近代民主主義の成立要件と二一世紀の模索――資本主義と民主主義の関係性(その3)


 「民主主義の危機」が叫ばれ、「民主主義の機能不全」が語られる中、重心を下げた民主主義の再考を試みている。とくに、民主主義とそれを成立させる要件としての経済的基盤の関係にこだわり、現代中国の「国家資本主義」と「人民民主主義」の構造的解明(本連載240)、アテネの古代民主制を成立させた経済基盤の確認(本連載241)と論稿を重ねてきた。これまでの考察で確認できたことがある。一つは、民主主義の成立には社会的意思決定に参画する「民」を支える経済基盤の確立が必要で、古代アテネにおいても、アテネ市民層を成立させる地中海経済圏における経済基盤が存在していたことである。さらにもう一つは、「民主主義=民衆(デーモス)による支配」は民衆の意思決定力への信頼によって成立するわけで、それは人類史における人間の「意識」の深化(自らの運命を自らが決める志向)と相関していると思われることで、世界宗教(仏教、中東一神教)の誕生とアテネ民主制の黄金期が約二五〇〇年前に同時進行したことは偶然ではないと思われることである。どちらも、人間の心の深奥において自らの存在の意味を主体的に問いかける意識の高まりが基点となっているのである。

■近代資本主義と民主主義の相関性
 次に確認しておきたいのは、近代民主主義とその経済基盤である。日本においては、一九四五年の敗戦後、「戦後民主主義」が唐突に持ち込まれ、日本人は改めて「資本主義と民主主義は相関していること」を認識させられた。戦前の明治期日本にも、資本主義と民主主義は一定の意味において存在した。「殖産興業」の旗印の下に、国家主導の産業開発が進み、「日本資本主義の父・渋沢栄一」に象徴される日本型資本主義が芽吹いたことも確かである。だが、資本主義と民主主義の相関という観点からすれば、明治期日本のそれはあまりに歪んでいた。明治憲法の下に一定の民主主義(国会開設、代議制、内閣制度、法治主義)は存在したが、国体の基軸は「天皇親政」を希求する国家主義、国権主義によって貫かれていたのである。
 欧米社会が積み上げてきた「資本主義と民主主義の相関性」を日本人が理解する上で大きな役割を果たしたのが大塚久雄であった。大塚が「資本主義と市民社会――その社会的系譜と精神史的性格」(『世界史講座』第七巻、弘文堂)を書いたのは一九四四年であり、戦時中であった。その後、「近代化の歴史的起点――いわゆる民意の形成について」(『季刊大学』創刊号、一九四七年)において議論を深め、「民主主義と経済構造」(『思想』一九六〇年一一月号)で西欧における近代民主主義の成立とその基盤としての経済構造の相関性を検証した。戦後日本の「政治の季節」が最も熱気を孕(はら)んだ六〇年安保を背景にこの論稿は書かれたのである(これらの論稿は『資本主義と市民社会』所収、岩波文庫、二〇二一年)。
 大塚は「民主主義と経済構造」において、『ロビンソン・クルーソー』の著者ダニエル・デフォーの『イギリス経済の構図』(一七二八年)を紹介し、英国の産業ブルジョワジーの代弁者でもあったデフォーは、一八世紀初頭のオランダと英国を対比し、オランダ共和国は国際中継貿易で繁栄を築いてきたとして、「経済の基幹をなす循環が対外依存的である」ことがオランダの弱点だと指摘する。これに対し、英国経済は「広範な勤労民衆を底辺に国民経済のほぼ全面が一つの共同の利益に結び合わされる構造を形成している」とし、議会制民主主義の定着が生まれる経済基盤がそこにあったことを強調した。
 確かに、一七世紀から一八世紀にかけての欧州史を俯瞰するならば、とくに北ヨーロッパに資本主義と民主主義を両輪とする「近代」が動き始めたことが分かる。宗教改革が吹き荒れた欧州において、最後の宗教戦争といわれた「三十年戦争」(一六一八~四八年)を経て成立したウェストファリア条約は、カルヴァン派の公認、スイス・オランダの独立、主権国家体制の確立をもたらした。それは中世的な宗教的権威を基軸とする体制からの解放を意味し、株式会社制による資本主義の起動、新たな社会的主体による近代デモクラシーの胎動という潮流を誘発したといえよう。
 英国においても、一七世紀は立憲政治(デモクラシー)の発展のための疾風怒濤の歴史であった。国王と議会の対立を背景とし、国王ジェームズ一世の処刑にまで至った「ピューリタン革命」(一六四〇~六〇年)による共和制への移行と王政復古(一六六〇年)、そして名誉革命(一六八八年)を経て、英国独特の経験知に立つ立憲君主制という形のデモクラシーを確立していく(参照:本連載162、163)のである。こうしたデモクラシー確立への背景には、英国の経済社会構造の変化があることは確かである。つまり、荘園制の解体の中から台頭した「ジェントリ」(騎士・商人から転身した中小貴族)や「ヨーマン」(独立自営農民)の存在、毛織物工業の隆盛によるマニュファクチュア(産業資本家)の登場などが、主体的な「民意」の形成の基盤になったといえる。
 市民デモクラシーの基礎原理とされ、近代を理論として成立させた文献とされるジョン・ロックの『政治二論』は、名誉革命直後の一六九〇年に書かれたものである。市民が主権者となる普遍的市民政治原理を示したものとして、米国の独立宣言、フランス革命における人権宣言、そして戦後日本の日本国憲法にまで強い影響を与えた。戦後日本で社会科学を学んだ者は、松下圭一などの著作を通じて「市民政府論」としてロックの理論に触れたものであるが、日本において「市民政治」の意義が浸透し、民主政治が成熟したかについては、今日的状況を考えても疑問が残る。
 英国の歴史学者A・トインビーは『歴史の教訓』(一九五七年)において、英国人にとっての歴史の教訓を「君主制と共和制の闘いを通じた節度を重んじる穏健な態度」と「米国の独立戦争を通じた植民地主義の限界という認識」という二点に集約している。国王を公開処刑する革命を経て「王政復古」を実現、「君臨すれども統治せず」という立憲君主制に辿り着いた英国が、トインビーのいう穏健な保守主義に至った過程を深く理解する必要がある。そして本年九月、在位七〇年を経て亡くなったエリザベス二世こそ立憲君主制の意味を国民に浸透させた存在であり、我々はウェストミンスターでの国葬への英国民の想いを通じ、それを目撃したことになる。

■資本主義の新局面――二一世紀への視界
 一七世紀初頭に世界最初の株式会社(英東インド会社:一六〇〇年、蘭東インド会社:一六〇二年)が登場して以来、世界は近代資本主義というシステムとそれと相関する形で並走した近代民主主義という主潮の中で動いてきた。その近代産業資本主義の大枠が、二〇世紀末の冷戦の終焉後の新局面として「核分裂」を起こし、「金融資本主義」と「デジタル資本主義」という新たなパラダイムを生じさせているという考察については既に論じた(本連載236、237「新しい資本主義」の視界を拓く)。資本と労働と土地という基本要素によって成立してきた産業資本主義は、金融技術の高度化による金融の肥大化とデジタル技術の進化によりまったく新たな局面を迎えているのである。
 資本主義はいかなる方向に向かうのか。資本主義の現局面と進路を再考するうえで、参考になるのはI・ウォーラーステインの『史的システムとしての資本主義』(原著一九八三年、新版一九九七年、岩波文庫・二〇二二年)であり、とくに冷戦後という時代を踏まえて一九九七年に付け加えられた「資本主義の文明」を含む増補改訂版が興味深い。ウォーラーステインは一貫して資本主義というシステムが内在させる問題、とくに「万物の商品化」と「資本の自己増殖」を批判的に論じてきた。その視界の中で、「二一世紀の資本主義」についての「将来見通し」として、「高度に分権化、平等化された秩序」を志向する世界潮流に資本主義システムが耐えられるのかという問題意識を語っている。
 すでに二一世紀に入って二〇年以上が経過し、ウォーラーステインの予感は彼の視界の臨界を超す主潮となっていると思われる。冷戦後の資本主義の変質(核分裂)として私が論じた「金融資本主義の肥大化」と「デジタル資本主義の台頭」という状況は、視点を変えればウォーラーステインのいう「万物の商品化」と「資本の自己増殖」の究極の実現形態ともいえる。仮想通貨は貨幣の商品化であり、巨大IT企業が主導するデータリズムのビジネス化は新次元の「資本の自己増殖」ともいえるのである。
 そして、こうした資本主義の変質がもたらした「格差と貧困」は「高度に分権化、平等化された秩序」を求める潮流を胎動させている。アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『アセンブリ――新たな民主主義の編成』(原著二〇一七年、邦訳二〇二二年・岩波書店)は新自由主義と金融の呪縛からの解放を目指すものであり、「所有を『共』(コモン)へと開く」ために、「多数多様性の政治参画」を実現する形態としての「アセンブリ」(集会、集合の形態)を模索するもので、世界における民主主義のための運動や闘争の組織化に向けた新たな形態を示唆している。
 資本主義の在り方への本質的批判、利潤の極大化(万物の商品化と資本の自己増殖)を目指す資本主義のパトスがもたらすものへの懐疑は、例えば人類が地球環境に責任を共有して能動的に関与するという視界を拓く「人新世」の議論にせよ、成長よりも公正な分配や共有を重視する「脱成長」の議論にせよ、おおむね欧州の学者、研究者が主導する議論である。さらに、世界を震撼させたコロナ・パンデミック後の世界に関し、フランスの知性とされるジャック・アタリは『命の経済』(原著・邦訳二〇二〇年、プレジデント社)という概念を提起し、先進国だけでなくグローバル・サウス(取り残されがちな南の途上国)の将来世代を見つめた公平で民主的な「命を守る経済」の確立を主張し始めている。
 つまり、資本主義に構造的批判を試み、本質的な資本主義の改革を語る「新しい時代のマルクス」は、何故か欧州に現れるのである。欧州と米国の資本主義の在り方に関する見方の断層、ここに問題の複雑さと解答の方向性が示唆されているといえる。「米国のビジネスはビジネスだ」という名言があるが、米国で一〇年以上も生活してきた私の実感でもある。骨の髄まで資本主義の国で、資本主義の総本山である。冷戦後の現代資本主義の一つの柱たる「金融資本主義」のプラットフォームが東海岸のウォールストリートであり、もう一つの柱たる「デジタル資本主義」のそれが西海岸のシリコンバレーといえる。
 米国流資本主義は極めて分かりやすく、「株主価値最大化」を目指す資本主義であり、投資効率を限りなく探求する資本主義である。すなわち、それこそがウォールストリートの論理であり、そのためには「借金してでも景気を拡大させること(成長)」を誘導するものである。
 デジタル資本主義の萌芽でもあったが、一九九〇年代に「IT革命」を主導した今日の「ビッグ・テック」(GAFAMといわれた巨大IT企業)がベンチャー企業だった頃、資金調達できたのは、「ジャンク・ボンド」(ハイリスク・ハイリターンの債券)のような仕組みが金融工学の成果として生み出されたためであったことを思い起こせば、金融とデジタルの相関が米国の資本主義に活力を与えたことが分かる。このことが「分配の格差」と「取り残された貧困層」という影の部分を内包していることも確かだが、「ウォールストリートの懲りない人々」は躊躇(ためら)うことなく新たなる金融派生型商品を生みだし続けるであろう。
 二一世紀の資本主義の進路は、この米国と欧州の資本主義の断層をいかに埋めるかにかかっているといえよう。さらにいえば、米国は資本主義の総本山であると同時に、自由と民主主義という理念の共和国であった。それぞれの出身地に何らかの事情(抑圧、差別、弾圧)を背負った人達が最後の希望を託して移住した「移民の国」であった。その米国が「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ現象に象徴されるごとく、他者を受け入れる余裕を失い、民主主義を正面から否定する分断の国へと変質しつつある。このアメリカの民主主義の揺らぎは世界秩序の動揺にもつながり、暗い影を投げかけている。この動揺にどのような復元力を見せるのか、米国の動向を注視せざるをえない。
 だが、何よりも日本人自身が責任をもって向き合わなければならない課題は、日本の資本主義と民主主義をどうするのかである。そのことは、敗戦を機に占領政策を受容する形で動き始めた「戦後民主主義」と「戦後日本型経済産業構造」の在り方について、根底から再考し、主体的に再構築することを意味する。二一世紀の日本が、「日本モデル」と胸を張れるような経済社会システムを創造できるのか。次は、そのことに論を進めたい。

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片山善博(156) 心許ない国に相変わらず頼ろうとする自治体への違和感

2023年04月23日(日)

珍しく旅行会社のチラシが新聞に折り込まれていた.
そういえば,販売店が確保できないとか,販売部数の減少か,
紙の新聞の宅配が廃止される地域が増えているのだろうか.
で,その旅行に,補助金が出ているのかな,
そのお金をありがたがって頂戴する,って,ヘンだと思わなくなっているのかな,
そんな気がする.どうなんだろう.

ふるさと納税などというヘンな制度……と思うが,
返礼品,納税代行?など,中間業者だけが半町しているんじゃないか,と,
ちょっと僻みっぽく、いや,実態がよくわからないのだけれど,
なぜこんな制度が,国家によって創設されるのか,
まったく理解を超えていた.
そう,いつからだろう,なにかと言えばすぐに補助金がどうだの,インセンティブがどうだの……,
そうか,MMTなんて理論があるらしいな、不勉強で詳細を知らないけれど.
むかし,税金は,どのように説明されていたか、思い出す.
まぁ,そういえば税金で,兵器を開発し,軍隊を動員していたんだな,と思う.
なにも生み出さない、というわけじゃない,という人たちのいるのだろう.
なるほど,植民地から徹底した収奪をする,そのために軍事力を使おうとか,
ある種の非対称的な取り引きを合理化するために,軍事力をバックとする安全保障が唱えられる,とか,

いや,問題は自治体か.



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【世界】2022年11月

片山善博の「日本を診る」(156)

心許ない国に相変わらず頼ろうとする自治体への違和感


 安倍晋三元首相の国葬問題をめぐるゴタゴタにみられるように、昨今の国の政策決定のあり方に多くの国民が首を傾げている。安倍元首相の評価は、政権にあった時からすでに大きく割れていた。外交面ではわが国の存在感を高めたという評価がある反面、北方領土問題も拉致問題も何ら進展させることができなかったという低い評価もある。
 経済面ではアベノミクスにより失業率を低下させたという評価がある一方で、失業率低下は、団塊の世代が大量に退職したのに、それを補う若者の数が大きく減少しているのだから当たり前だとの冷めた見方もある。
 そのアベノミクスによって財政も金融も袋小路に入り、二進も三進もいかなくなってしまった。また、国会で何度も嘘を繰り返した政治家が国葬に馴染むのかなどとする批判は自ずと出てくる。
 さらに、旧統一教会問題で政治に対する国民の不信感が募っている折に、自民党の国会議員と教会との関係では安倍元首相がいわば中心的役割を演じていたことを窺わせる報道にしばしば接する。そのことについてなんら調査をしないまま国葬の対象にするのは納得がいかない。多くの人がこんな疑問やわだかまりを抱いていた。
 もとより国葬にするという選択肢はあっていい。ただし、異論や反論に対してそれを凌駕(りょうが)するだけの理屈を示し、反対派にもある程度は納得してもらえる説得力を示す必要があった。そんな説得や納得のプロセスを経て決まったのであれば、国葬をめぐる世論も随分違っていただろう。
 わが国の政治制度では、そうした説得をし、納得を調達する場は国会である。国論が大きく割れている問題は率先して国会で議論しておかなければならなかった。それを避け、法的根拠を欠いたまま閣議決定という政権内の手続きで済ませたのは、せっかくの機会を政権が自ら放棄したに等しい。実にもったいないし、拙劣なやり方だった。
 他にも、巨額の国費を国会で審議しないまま支出するなど、近頃の国の政策の決め方について欠陥や拙(つたな)さを上げればきりがない。ただ、ここで取り上げるのは国ではなく自治体のことである。国がこんなに心許ないのに、何事につけ国の指示や判断を待ち、それに縋(すが)ろうとする自治体の不甲斐なさについてふれておきたい。

■学校に弔意を求めることの是非は教委自ら判断せよ  まずそれこそ国葬にちなんだ話題である。このところ(この稿を書いているのは、国葬の一週間ほど前である)全国の多くの教育委員会では、国葬に際して半旗掲揚などで弔意を示すよう学校に求めるかどうかで頭を悩ませているという。
 その心情を理解できないわけではない。国葬に対する国論が割れている中では、弔意を求めるにせよ求めないにせよ、批判なり非難なりを浴びせられるのは必至だからである。できればそうした批判なり非難なりの矢面に立ちたくないのが人情だろう。
 しかし、いくら嫌でも教育委員会は方針を自ら決めなければならない。それが学校運営の任に当たる教育委員会の役割と責任だからである。公教育は地方自治法上「自治事務」に該当する。自治事務とは自治体固有の事務であって、制度上国の判断を仰ぐことの多い「法定受託事務」と異なり、自治体(公教育では教育委員会)の責任と判断で運営しなければならない。
 ところが新聞報道によると、「弔意の判断を自治体に委ねられても困る」とか「政府から通知がないので困惑している」などと、お門違いで無責任な愚痴が、あちこちの教育委員会から聞こえてくるという。
 あまりにも情けない。厄介なことは判断を避けようとせず、できるだけ国から方針を示してもらい、それに従いたいという本音がそのまま出ている。そこからは、公教育の担い手としての自覚も主体性も感じられない。ひょっとして自分たちは国の出先機関だと勘違いしている印象すらある。
 教育委員会のこうした姿勢は、実はこの問題に止まらない。随所で普遍的に見られている。例えば、教師の多忙化が叫ばれて久しい。長時間労働が常態化し、ブラック企業の類だと批判されてもいる。
 教師の長時間労働を解消するのは誰の責任であるか。世間では国の責任だと誤解している人が多いが、制度的には公立小中学校であれば、それを設置している市町村教育委員会の責任である。民間企業で長時間労働を解消しようとすれば、その企業の経営者が従業員を増やしたり、仕事の量を減らしたりする。事情は学校も同じで、教師を増やすか教師の仕事を減らすかである。教師を増やすのは人事権の問題や財源の問題もあり、市町村だけで決めるのは容易でない。それなら教師の雑務を減らすとか、学校現場の業務のデジタル化を進めるなどして教師の労働時間の短縮を図らなければならないのだが、総じてこれも進んでいない。
 この問題の責任は国にあるとの世間の誤解にちゃっかり便乗し、あるいは教育委員会自身もそう誤解しているからか、自分が解決しなければならないとの認識が薄いようだ。せいぜい、国に対して「教師の多忙化解消」を要望するぐらいである。第一義的な責任者が本腰を入れて取り組まないのだから、教師の長時間労働が解消されないのもむべなるかな、である。

■「木に縁りて魚を求むるが如し」の自治体  静岡県牧之原市の認定こども園で送迎バス内に園児が置き去りとなり、死亡する事故が発生した。昨年福岡県の保育園で同じような事故があったばかりなので、どうして教訓が生かされなかったのかと、訝(いぶか)しく思っていた。
 筆者が鳥取県で知事をしていた頃、県内はもとより他の都道府県で起こった事件や事故で、県政運営上教訓や参考になりそうなものは庁内で共有した。その上で、類似の事件や事故を未然に防ぐための備えをできるだけ整えていた。
 そんな経験があることから、子どもの命に係わる重大な事故については、全国の自治体と幼稚園や保育園では事故防止のための取り組みが主体的になされているものと思っていたのだが、実態は必ずしもそうではなかったようだ。
 牧之原市の事故をきっかけに自治体の現場からは、国の対応不足を指摘する声が出ているという。「国からは通知が送られてきただけ」で、「結局は各園任せでしかない」などとする不満である。筆者はこの現場の声に強い迎和感を抱いている。
 本来、幼稚園や保育園に関する行政は、国ではなく自治体が第一義的な責任を負っている。これも先の白治事務に該当する。他の地域で事件や事故があれば、自治体自らが主体的に安全対策や予防措置を講じてしかるべきである。その際、国の通知などは注意喚起のお知らせ程度のものである。しかも、現場から遠い国に対して、その現場のことよで的確な助言や指導を求めようとするのは「木に縁(よ)りて魚を求むるが如し」と知るべきである。
 ここでも自分が所管する業務なのに、自ら責任を持って対応したり、判断したりする気概が見られず、ひたすら国からの指示を待ち、それに縋ろうとする頼りない姿勢が見えている。地方自治の仕組みが始まってからすでに七五年になるが、いまだに「日暮れて道遠し」の感は否めない。

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からっ風 群馬県/あるいは、鉄道の話

2022年11月08日(火)

たまたま関越道経由で十日町まで行った。

鉄道利用もあるかなと、時刻表を見た。
ほくほく線は、とても痩せ細っている。長野~金沢が結ばれて、ほくほく線は一挙に痩せ細ったのだったか。

只見線に乗ってみようか、と思う。思うだけかもしれないな。
只見線に最後に乗ったのは、大学生のころ、40数年前か。

クルマの免許を取ったのは、30歳に近かった。振り返ると、国鉄解体前夜、ダイヤ改正のたびに利用しにくくなっていったように記憶する。
なんでクルマの免許を取ってのだろう,と振り返る。
気分を変えたかった……のかな、とか。
まだ元気だったから、車で結構遠くまで行った。鉄道は、どんどん遠くなった。じっさいダイヤは、スカスカになっていった。新幹線ばかりが肥え太っていった。
新幹線の行っていない地域、山間,田園地域へ、クルマを走らせていた。

そう、それで新聞の記事に、水上から越後湯沢に向かう列車は日に5便だという。

ヤマト運輸の小倉昌男さんは、運輸行政の閉鎖性と戦い、貨物輸送の免許制度だったか、不合理と闘った……だったか、その志に異を唱えるつもりはないけれど、
小倉さんではなく、役所の側に将来への見通しがあったのだろうか、と振り返る。
免許制度は、ただ既得権を守っただけだったかもしれないな、などと思う。と同時に、1960年から70年代、自動車交通による「公害」が問題化したときに、なお道路の整備しか選択肢はなかったのか、と思い返す。

3.11,寸断された道路網に変わって、鉄道が物資輸送に活躍した。もちろん被災地域の鉄道網は大きな被害を被ったけれど、鉄道も、自動車道と同じようにネットワークを作っている。全体として、どう機能するか、が問題だっただろう。ただ、鉄道は専用線を走る。震災後、そのメリットはとても大きかったのではなかったか。

ずいぶん前のことになってしまった、
広島で会議があるというのだけれど、ちょっと無理をいって、前日の夜行急行を使わせてもらった。
もう長距離の優等列車は、だいぶん廃止されていたけれど、急行銀河が残っていた。夜遅く銀河に乗り、朝、新大阪着、そこから、本意じゃなかったけれど、新幹線。
自分よりちょっと若い人と一緒だった。彼は初めての寝台列車だったようだ。

学生だったら、大垣行き普通列車、そして名前がついてムーンライトながらでも使うだろうか。
ずっとまえ、上野発、奥羽本線経由青森行きの夜行普通列車に乗ったことがあった。
そのさらに前、急行高千穂・桜島を使った。大阪で満員になったのだったか。

お金があって、時間のない人は、新幹線でいいだろう。
お金はなくて,時間はあるよ、と夜行列車などを使う。
そんな選択が可能だった頃もあったのだな、と思い出す。
それで、ほんとうに便利になったのだろうか……。いや、便利さとはなんだったろうか、とも。

それで、「雪国」は、どう読まれるのだろう。これから冬に向かい、トンネルの向こうに雪国が待っているのだけれど。


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2022年10月18日

からっ風 /群馬県

 今年は鉄道開業150年。14日にはJR東日本高崎支社が、特別なSL「夜汽車鉄道百五十年号」を、上越線高崎―水上間で運行した。

 水上駅では、SLが折り返して高崎駅に戻るため、転車台で車体を転回させる。いわばターンテーブルが回転してSLの向きを180度変える装置だ。取材するためSLを追って、在来線で上越線を北上した。

 水上駅で降り、時刻表が目に入った。新潟方向は一日5本で、上りの3分の1以下だ。JR東は7月、利用者の少ないローカル赤字路線(35路線66区間)を公表したが、水上―越後湯沢(新潟県)間もその一つ。赤字額は15億7200万円(2019年度)だ。

 この公表に先立ち、国土交通省の検討会が、利用者の少ないJR線区について、「JRの企業努力のみで乗り越えられない。国が主体的に関与し、沿線自治体とあり方を検討すべきだ」と提言した。

 コロナ禍でテレワークが普及し、収束後も人の移動の流れが以前通りに戻らない可能性もある。車の運転ができない高齢者や学生にとって電車は重要な公共交通機関。バス・タクシーも含めて事業者の枠を超えて、沿線自治体が地域交通体系を一体的に考える時期に来ている。(角津栄一)
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