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福知山線事故から19年

2024年04月24日(水)


ウィキペディアにこうある――

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JR福知山線脱線事故(ジェイアールふくちやませんだっせんじこ)は、2005年(平成17年)4月25日に西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線(JR宝塚線)塚口駅 - 尼崎駅間で発生した列車脱線事故である。乗客と運転士合わせて107名が死亡、562名が負傷した[1]。

なお、JR西日本では、「福知山線脱線事故」ではなく「福知山線列車事故」と呼称している[2]。マスコミなどでは、「JR宝塚線脱線事故」や「尼崎JR脱線事故」などとも呼称される[3][4]。
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なお,その5年前,営団地下鉄日比谷線中目黒駅近くで,脱線衝突事故があった.
同じくウィキペディアに,こう記されている――

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営団地下鉄日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故(えいだんちかてつひびやせんなかめぐろえきこうないれっしゃだっせんしょうとつじこ)は、2000年(平成12年)3月8日午前9時1分頃、帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)日比谷線において、恵比寿駅から中目黒駅に入線しようとしていた列車がカーブで脱線し、対向列車と衝突した鉄道事故[1]。死者5名、負傷者64名[1](2000年10月26日付の事故調査検討会報告書では63名[2])を出した。
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ささいなことだけれど,宝塚線と聞いて,よくわからなかった.
鉄道に詳しいわけではなかったけれど,そんな路線があるんだっけ,と思った.
それは,福知山線の愛称?とか,ふーん,と思いながら,メディアの報道を眺めていたか.

仕事の関係もあって,多少の興味をもって報道を追いかけていたけれど,
正直なところ,なんだかなぁ,すっきりしないな,と感じた.
死者106人……といった報道もあったように思う.
じっさいになくなったのは,107人.

しばらくしてだったか,
森岡正博さんの「33個目の石」を目にした.
誰かが1個を持ち去っても,また1個が追加されている……と.
アメリカの大学構内での銃乱射事件による被害者32人,そして自殺した加害者,あわせて33人.
33人目の死者のことを,すこし考えたか.
そうして,107人目の死者を思った.
もちろんアメリカの事件と,日本の列車事故は無関係なのだけれど,
ただメディアの報道などをみていて,若い列車運転士のことがとても気になっていた.

そういえば,どちらの事故も朝のまだ通勤通学の混雑の名残の時間帯に起きたのだったか.
このことに触れた議論もあったと思う.車両の軽量化,台車の形式などもあるという議論もあるらしいが,それがどんな風な影響を与えるか……といった議論もあったか.
山口栄一さんの本でも触れていただろうか.
動労千葉のホームページにも,事故にかんするレポートがあった.かなり長いレポートだったか.そこでも,関係する議論が語られていたと思う.
日比谷線事故は,もう駅に到着する寸前だったか,スピードは出ていなかったようだ.
福知山線では,制限速度を大幅に超過していた.

知り合いの土木技術者に聞いた話,
安全度,基本的に倍……,
で,速度超過というけれど,事故現場は,70㎞/hで,電車は116km/hだったとか.
ベテラン運転士の証言が出ていたと思う――基本的に制限速度の倍まで,と考えていたと.もちろんそんなに出してはいけないけれど.
とすれば,限界速度は140kmということになりそうだが.


それで,本屋にあった山口栄一さんの『JR福知山線事故の本質: 企業の社会的責任を科学から捉える』(NTT出版)を読んだ.
半分が事故原因の検討に充てられていたか.

読みながら,死んだ若い運転士のことが気になった.
107人目の死者が.

人と複雑な機械システムの,複合的な大きなシステムの問題,というところなんだろうな,
とは思った.
そういえば,京浜急行線で,運転士が非常ブレーキがきかないように彩句をしていた,と報じられていた.
ちょっと前だったけれど,ドイツだったか,あるいはイタリアだったか,運転士は,運転席に在るボタンを常に押していなければならないのだとか,ボタンから手を離して一定の時間がたつと,警報が鳴るのだとかいうことだったと思う.運転士の不注意,居眠りなどの防止のための措置だと.
京急の運転士も,それらしきことを語っていると記事にあった.

いずれ無人運転が主流になるんだろうか,わからないが,技術の流れは,そちらに向かっているようにも見える.
しかし,仮にそうだとして,では人は電車やクルマの運転を,自らの手をおこなうことがなくなってしまうのだろうか……とも思う.それでいいのだろうか…….

若い運転士が,決められたとおりに70kmの制限速度を守っていたら,事故は起きなかったのかもしれない,多分そうだろう.それでも,事故は起きた.それは制限速度を守らなかった彼が,すべての責任を負うべきだったのだろうか.
いや,すべての責任を,彼に負わせるべきだったのだろうか.

それで福知山線事故.
人は間違いうる,という.

“To err is human, to forgive divine.”

もともとの意義と異なるのかもしれないけれど.
そういえば,正月の羽田の事故についても.







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ふと「X」の投稿を見ながら

2024年04月21日(日)

ふとカレンダーを見やれば,もうすぐ「黄金週間」だとか.
アトキンソンさんだったか,これはやめた方がいいんじゃないか,とおっしゃっていたか.
にぎわう観光地で,風景や街並みではなく人混みをみるなんて……ということ,
あるいは,商売が,さぁ,ここでもうけるぞ……となってしまうんじゃないか,と.
ぼくもそう思うな.
もうすこし柔軟なお休みの取り方ができればいいんだと思う.
働き方改革とやらに熱心だけれど,休み方改善がないと,と思うが,どうなんだろう.
でも,休みが取れても,目的地までどうやって行くか,とちょっと考える.
クルマだな……となったのはいつごろからだったか.
いや,新幹線があるじゃないか,遠ければ飛行機でも……といわれてしまうけれど,
旅は,点から点へ,ではなく,ひとつの線がいいな,ふっと思う.

まぁ,あんたちょっと古いね,といわれれば,そうだなと思う.

ふと眺めた「X」の投稿に,こんなのがあった――

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  別に共産党が政権に入っても共産主義にはならんけど、
  自民党が政権に居座る場合はドンドン崩壊した旧共産国に近づくのよね。
  ―――――――――――――――――――――――――

ぼくは,共産党があまり好きじゃない.
というか,「党」的なものが好きじゃなかったのかもしれない.
しかし,「党」的なものがなければ,現在の政治システムをすこしでも動かすことはむずかしいのかもしれない.
いや,自民党だって,意外と共産党と似たようなところがあるかも……と
……野田聖子議員に厳重注意だとか.
あるいは,裏金で除名をちらつかせたり.
異論,反論を認めていたら,「党」の結束が守れない……とでもいうように.
そうだな,とは思う.
それでも,と思う.

それで投稿は,そうだな,と思ったのだった.
地方議会でも,自民党の議員には,もうすこし懐の深い人がいたようにも思う.
いつごろからだろうか,そんな人がまれなひとになってしまったように見えた.
いや,ほとんどいなくなったようにも.
それは,当然反対側にも影響を与えていたかもしれないし,
あるいは,反対側の影響を受けいたのかもしれない.
どうだろうか.

逆説的に,むかしの社会党という政党の存在意義ってなんだったか,とも思う.
いや,存存在意義などなかった,という議論もありそうだなと思うけれど,
いや,それでもそれなりに,というか,人材もいたように思う.
ある部分で,自民党と社会党が背中合わせになっていたのかもしれない.
それが離れていって,お互いにおおきく変わっていったというような.

そういえば,国立博物館はあるけれど,国立図書館はない.
国会図書館があって,議員の立法活動などを支援したり,
議員のための閲覧室もあるんだとか,むかし聞いたことがあったけれど,
いちばん利用しているのは,社会党のある議員だと,そんな話もあった.
どうなんだろう.いま国会議員がどのくらい利用しているんだろう.
あるいは,議会事務局は利用しているのだろうけれど.
地方自治体もちょっと似たような事情がありそうだ.
議会に資料室などを設ける,で,誰が利用しているのか……とか.

いや,投稿があたらないことを祈っておこう.
ちょっと心配だけれど.




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<考論>手放しのイスラエル擁護、腑に落ちず 鈴木一人・東京大教授/すこし振り返ってみようと思うが 

2024年04月18日(木)

あるいは,自分に都合のよさそうな情報を探している……のかもしれない,
などといわれるかもしれないけれど,
ロシア-ウクライナの戦争で,ロシアを一方的に「悪者」に見たてる報道ばかりが目立つように見える.

いつだったか,モンゴルの歴史の概説でもと思って,たぶん杉山正明さんの文庫本を読んでいた.
そのとき,キエフ公国やモスクワ公国の話が出てきた.

戦争が始まったころだったか,NHKからロシアの歴史の入門が出ていた.
面白かった,というか,ちょっと物足りなくはあったけれど,でも学校の歴史教育には,あまり登場しない分野で,面白かった.
メディアをにぎわすウクライナ-ロシアについて,もうすこしいろいろ知るべきことがあるんだろうなと思われた.

それから,戦争が始まってからまったくといっていいほど主要メディアに登場しないアゾフ連隊だとかいった民間軍事組織のことが気になった.
アゾフ連隊だけではないようだが,ウクライナの民間軍事組織は,国の正規の軍隊に編入されている.
彼らを,主要メディアは,ナチの生まれ変わりのように報じていたはずだ.じっさい彼らは,ナチの鍵十字などを自らの紋章に用いていたのだから.

そういえばソ連邦を崩壊?に導いたゴルバチョフの妻は、ウクライナの出身ということではなかったか.当時の外務大臣も、同様にウクライナの出身だったか,ちょっとあやふやの記憶だけれど.

メディアは,戦端が開かれてか,キエフをキーウと表記するようになった.
グルジアがジョージアの呼ばれるようになったのを思い出すが,
さて,では,半島の国の都市名をなんとよんでいるだろうか、大陸の国の地名をなんと呼んでいるだろうか,とちょっと嫌な気分にさせられた.

ロシアの国内情勢についての報道もまた,
同様にウクライナの国内情勢についての報道もまた,
いまひとつ腑に落ちない.
列島の国の15年戦争にいたるプロセスを思いながら,もうすこし丁寧にフォローする必要がありそうに思われた.

そんな時に,イスラエルにおけるガザでの戦闘が蓋を開けてしまった.

本棚に見あたらず、図書館に行って本を一冊借りてきた.
「トーラーの名において」
出版されたときに、本棚に収めたようにも思ったけれど,見あたらなかった.
ちゃんとは読んでないし、いまもってよく理解できていないが.
シオニズムとユダヤ教,そしてイスラエル.
あるいは国家と宗教,民族,なかなかやっかいな問題らしいな,とは思った.
イスラエルの建国は、たしかに第2次大戦後のことだろうけれど,建国に至る相応の長い歴史があった.
自分の無知を知ることになるけれど,シオニズム,ユダヤ教,あるいはユダヤ人……どんなつながりがあり,どんな違いがあるか…….
イスラムについては,さらに.
せいぜいアラビアのロレンスか,と情けなくなる.いや,イギリスって,酷いに国だな,と思うが,もうすこし丁寧にみておく必要があるんだろう.

そういえば,ビルマもまた,イギリスの植民地だったな,と思う.

それで,ハマスによるテロ行為があって,これにイスラエルが反撃を加えたとき,
この国のメディはどんなふうに報じたのだったか.
そして,「X」などに流れる情報によれば,早い段階でこの戦闘に反対するユダヤ教徒の直接行動がみられていた.
で,列島の国ではどうだったか,と思い返してみる.
これもまた,ぼくじしんの不勉強を免れないけれど.

そして,今回,イランがイスラエルに直接攻撃を加えたという.
いうまでもないが,これはイスラエルがシリアにあるイランの外交施設を爆撃したことに対する報復ということだった.
イスラエルは,それは外交施設ではなく、軍事施設だと主張しているのだったか.

もうひとつ,イランは、もともとは親米国家だった.
1979年のイラン革命で,王政が廃される.なぜ,革命が可能だったのだろうか?
当時,学生らがアメリカ大使館に残された大量の文書の残骸,シュレッダーにかけられた文書を復元したとか、そんな報道もあった.その内容がどんなものであったか覚えていないけれど.

そういえば戦前,右翼の大立て者のひとり,大川周明には,コーランの翻訳がなかったか.
彼らにとって,イスラムは,アジアの一員という認識があったんだろう.
いま,そんな声をほとんど聞かないが.

そう,まるでイランが一方的にイスラエルを攻撃したかのような報道ばかりが目立つ.
昔,イスラエルは,他国の主権を無視してナチ残党刈りをしていたのではなかったか.
もちろんナチ残党を、野放しをするような国のやり方に正当性があるか,疑問があるけれど.

まとまらないけれど,
たぶんまとめられないのだけれど,どなたか専門家,知識ある人たちが,もうすこしさいきんの得体の知れないことがらのバックグラウンドをあきらめてくれるとよいのだ.

イラン-イスラエルの問題について,ひたすらイラン制裁の議論ばかりが目立つけれど,
少し冷静な論もみられないわけではないのだろう.

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 ■<考論>手放しのイスラエル擁護、腑に落ちず 鈴木一人・東京大教授

 イランのイスラエルに対する攻撃の引き金は、シリアにあるイランの大使館が攻撃されたことだ。イスラエルによると見られるが、ウィーン条約で守られる在外公館を攻撃したことは大きな問題だ。ところがこの時、先進7カ国(G7)が非難することはなかった。

 イランは国連憲章51条に基づく自衛権の発動だとしている。大使館への攻撃は、自国の領土への攻撃と同じだとの主張だ。一方のイスラエルは、大使館ではなく、革命防衛隊が使用する「軍事施設」だと主張。自国周辺で軍事作戦を指揮する革命防衛隊は安全保障上の脅威だとして攻撃を正当化している。

 だが、イスラエルの主張を取るなら、国際法など関係なく、どこを攻撃してもいいということになる。G7が手放しでイスラエルを擁護するのは腑(ふ)に落ちない。

 日本も今回、イランを非難する声明を出した。G7に足並みをそろえたのだろうが、日本はイランと伝統的に友好関係にあるので、働きかけを果たせるのではないか。(聞き手・星井麻紀)
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愛国,あるいは愛国者?

2024年04月13日(土)

「X」の佐々木中さんの投稿……
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ガザ虐殺一つとっても、現在の国際社会が腐り切っているばかりか狂っているのは明らか。で、わたしは自分の国だけは正気であってほしいと思うくらいは愛国者だよ。が、この国の自称愛国者とやらは、パレスチナに連帯しようとする正気の人々を見下し冷笑することしかしない。
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たんなる「立場」とはいいたくない.
いつからだろうか,あるいは大昔もそうだったのかもしれないけれど,
「右」とされる人たちの中には,
アジアを,アジアの民を,仲間として,西欧列強から守り,その自立を支援しようとしていう活動があったのだとは思う.
国の中でも,四民平等の理念を掲げる活動があったのではなかったろうか.
ちょっと乱暴だろうけれど,「象徴」の前で,みなその「赤子」なんだろうから.

……などと,ちょっと思ったことがないわけではない.
むかし,ひょっとすると自分の道は,右側にもつうじてもいたかもしれない,と振り返ることがないわけではない.
しかし,よく見ると,右への道は,かならずしもそうではなかったようだ.

そんなこともあって,逆に,ロッド国際空港の事件などをそのままに受けとりがたく思った.
うまくは説明できないけれど.

ユダヤ教についても,イスラム教についても,よく知らない.
もうすこし勉強しておけばよかった,とも思うが.
この国の仏教や神道はどうだろうか.
田舎にいたガキのころのこと思いだしてみる,神社は,どんなふうに感じられていたか.
お寺や教会とちょっと違って見えていたようにも思う.
そういえば,
東京に引っ越してきて,ときどき千鳥ヶ淵に散歩に行っていた.
靖国よりも,千鳥ヶ淵のほうが好きだった.
もうなくなってしまったホテルの1階の喫茶店もよかったか.

 





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ガザNPOスタッフ死亡現場の画像、専門家は「狙い撃ち」との見解 誤射説を否定

2024年04月06日(土)


これは「戦争」なんだろうか,と思ったのだった.
10月,たしかにこれは「大規模なテロ」,
ハマスという組織の,ガザにおける軍事力がどの程度なのか,知らないけれど,
どう見てもイスラエル軍と比較して,正規軍同士の戦いとは見えなかった.

テロをどう考えるか,の前に,なぜテロを選択するのか,も考えておかないといけないのだろうと思っていた.
テロは,どちらかというと赤く色づけてみられがちだけれど,そんなことはない.
アルジェリアなど,フランスの「白いテロ」が,大きな混乱を招きよせたのではなかったか.

多くは,軍事的に非対称的な集団のあいだで,おこりがちだろうか.
あるいは,イスラエルが,イランの大使館を爆撃したというが,これは,なんと呼ぶべきだろうか.
あるいは,イスラエルがアイヒマンを埒,誘拐して裁判にかけたけれど,
これはなんと呼ぶべきだったろうか.
アイヒマンの言動を批判し,否定することと,他国の主権下にある人間を埒誘拐することを,
どのように比較考量すべきか,知らない.









ガザNPOスタッフ死亡現場の画像、専門家は「狙い撃ち」との見解 誤射説を否定
2024.04.03 Wed posted at 20:15 JST

[写真]「ワールド・セントラル・キッチン(WCK)」のロゴが入った車両を調べる人々=2日、ガザ/Ismael Abu Dayyah/AP

(CNN) パレスチナ自治区ガザ地区でNPOスタッフが死亡した現場の動画と画像から、専門家はイスラエル軍がミサイルで車列を狙い撃ちしたとの見解を示している。

動画と画像には、国際NPO「ワールド・セントラル・キッチン(WCK)」のチームが乗っていた3台の車が、攻撃で大破した様子がうつっている。

これについて、英軍の元将校で兵器の専門家でもあるクリス・コブスミス氏はCNNに、高精度のミサイルがドローン(無人機)から発射されたことがうかがえると指摘。誤射だったとは「信じがたい」と述べた。

同氏によれば、ミサイルを発射したドローンは偵察用ドローンと併用されていたはずで、イスラエル軍には車が完全に見えていたと考えられる。3台のうち少なくとも2台は、屋根にWCKのロゴがついていた。

同氏はさらに、爆発の規模が限られ、被害がかなり局所的に見える点からも、ドローンを使った攻撃だったことが分かると主張。ただし、ミサイルの破片を調べなければ具体的な種類は特定できないと述べた。

オーストラリアを拠点とする軍事コンサルティング企業、ARESの研究コーディネーター、パトリック・センフト氏も同様に、少量の爆薬を搭載した精密誘導砲弾が無人機から発射されたとの見方を示した。

アラブと,あるいはイスラムと,
イスラエルと,あるいはユダヤと,あるいはシオニズムと,
どちらの側に正当性があるか,知らない.
自分の知識不足を痛感する.
それでも,それこそ「しもじも」の人たちが,死んでいく,いや,殺されていく,無惨に.

ナチの蛮行を,たんにユダヤに対する野蛮な行為,というのではなく,
そもそも人を,宗教や,人種などによって差別し,抹殺しようとする行為について,
断罪するのだとすれば,
それはもちろん,いま,そこにもあてはまるのだろうと思う.
ユダヤ,あるいはシオニズムだけではなく,
幾多の蛮行を,人はなしてきたのだろう.

そういえば先に,アメリカ合州国の国会議員が,ガザに原爆を,と主張したとか.
しかし,同時に,ドイツによるゲルニカ爆撃,列島の国による重慶爆撃をどう考えるか,
問われているのだろうとも思う.

そういえば,ロシアーウクライナのあいだの戦争について,
どう考えるべきなんだろう……,遠い列島にあるのだから,もうすこし客観的な観察があってもよさそうに思うことがある.
もちろんパレスチナについても.

ちょっとメディアの報道のスタイルに,違和感を感じ,不安を覚える.

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パレスチナ イスラエル
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「X」のある投稿に、賛成!

2024年03月29日(金)

「X」にこんな投稿があった――

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NHKは「プロジェクトX」なんぞ復活させないでいいから、
「新日本風土記」、「よみがえる新日本紀行」や、
火野正平さんの「にっぽん縦断こころ旅」を延々と放送するチャンネル作ってくれ
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いや,大賛成だな.

就寝時間が遅くなって,起きるのもちょっと遅くなって,
ヨル型になってきたかな,と思って,なんでかな,と思った時に,
そういえば夜,BSPremiumをよく見ているな,と思い返したのだった.
だいぶん前から、比較的さいきんのNHKの、僕にとっては面白い番組が,
そこで流されていたからかな…….
遅く起き出して,しばらくうろうろしてからさいしょの食事をとりながら,
火野昌平さんのしゃべり声を聞いていたな……,と.

古い新日本紀行など,やはりよく撮られているな,と思うことが多かった.
そういえば,日テレのドクメンタリーを、日曜深夜にやっているけれど,
これもときどき面白い.

地上波にチャンネルを合わせると、どこを見ても同じような,
部屋の中に雑音がほしくて、それでもTVをつけていることはあるのだけれど.

それで,「X」の投稿に賛成!

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成田悠輔さんの発言(老人の集団自決)をめぐる「X」上の投稿

2024年03月17日(日)

X上で,成田悠輔さんの発言にかんする投稿を見た.
辻野晃一郎さんが,「さよなら昨日の私」さんの投稿を引用しつつ,
成田悠輔さんの動画について,とても厳しいコメントを書き込んでいた.
いや,厳しい,というより,ふつうの,というべきか,
そう思いながら.


成田さんの発言について,詳しくは知らない,
どんな文脈で,なんのために、なにか具体的なビジョンでもあって……の話なのか,
調べたりしてなかったし,
でも,この動画,
あるいはテレビで視聴することができたのかもしれないけれど,
ちょっと驚きだった.

自分も統計上「老人」に分類されるようになって,
こういうことを言う人は,自分は別だと考えているんだろうな,ぐらいに思っていたけれど,
いや,どうもそれだけでは収まらない問題をはらんでいるようにも思えたのだった.

むかし,確信犯的に,高齢になって自死を選択した哲学専攻の学者がいたな,と思い出す.
子にもその旨を予め伝えて、そして自死を選択したという話だったか.
もちろん他の人もそうすべきなんて話ではなかった.
あくまでも自分の考え,
それまでの思考の到達点として,ということだったか.

成田さんは,自らの身体にタイマーでも組み込んでいるんだろうか,なんてちょっと皮肉を.


こうした発言が、さまざまな制度に守られたマスメディアによって広められている,ということにも,なんともいいようのない気分を味わった.
日経新聞の、ある種の保守主義を、けっして否定したりはしないで,とは思ってきているのだけれど,
さて,どうなんだろう.
こうした成田さんの発言、その「高齢者」の枠外に自分たちはいるのだと思っているんだろうか.


それから,高齢者の集団死が,少子高齢化とかかわりあるんだろうな,……と.
どんな理屈があったんだろう.後で,調べてみるか.

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[番組参加の男子]
成田さんはよくRe:Hack内で
「老人は自害しろ」とか言ってる
老人は実際退散した方がいいと思う
そういう時に
老人が自動でいなくなるシステムを作るとしたら
どうやって作りますか?

[成田悠輔]
どういうふうにやるかって言うと
結構ありえる未来社会像じゃないかって思ってて
そういう社会を描いた映画があるんですよ
ちょっとしたSF映画みたいなんで
みんな生まれた時に腕にタイマーが埋め込まれていて腕に
何十年か経つとタイマーが作動して自動的に亡くなるようになっている
みんな等しく寿命の上限が与えられていて,みんなその時間になると亡くなるっていうのが身体に埋め込まれているみたいな社会が一例
もう一個それっぽい社会を描いた映画があって,サマーなんとかっていう映画で謎の架空の集落を描いた映画なんですよ
その集落では一定の年齢になるとその人が崖の上に上がっていって
飛び降りるっていうのが風習になっているっていう架空の村を描いたものなんですよ
でこういう架空の村みたいなものっていうのは歴史上だと存在していたらしいんですよね.それっぽいのが
そんな感じの社会を考えることはできるんじゃないですか
それがいいのかどうかと言うとそれは難しい問題ですよね
もしいいと思うならそういう社会をつくるために頑張ってみるというのも手なんじゃないかなぁ


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辻野 晃一郎
@ktsujino
私も以前この映像(ボカシ、音声変、カット 無)を観てゾッとしツイートしたことがあるが #成田悠輔 の異常性はこの動画1本観るだけで十分にわかる。質問した子供はうなずきつつメモを取っていた。周囲に誰一人このやり取りをたしなめる大人がおらず笑い声さえ起きていたことにも戦慄。おぞましい。
引用
さよなら昨日の私@SaYoNaRaKiNo・3月16日
私が最も衝撃を受けたのはこの「日経テレ東大学」だった。中学生ぐらいの、賢そうな顔をした少年だった。目をキラキラさせていた。放送時はもちろんボカシ無し。これを顔出しで少年が言い、その様子をテレビが堂々と流せる時代がついに来たということに私は衝撃を受けた。
最終更新
午後5:13 ・ 2024年3月16日・9.6万 件の表示



いま小学校の学級崩壊が深刻で、外国人差別や、人を傷つける言葉を平気でいう子どもが増えて、教師も手に負えないらしく。
成田氏のような価値観を持つ大人が多くいて、子どもはそれをロールモデルにしている。
他人に愛着が持てない社会は崩壊する。
これはいけないことだと社会的に示すべきです。


■Liar! Liar!@ge5C6oLpmAkCiE1・22時間
室井佑月、骨の髄まで米山隆一だな[冷や汗2]
引用
室井佑月@YuzukiMuroi・3月16日
成田さんの発言自体はどうかと思うが、山本太郎議員の成田さんに対する国会での個人攻撃は酷いと思ったし、それを深く考えず喝采してしまう一部の左派がいることが恐ろしくてならない。


老人が自動でいなくなりシステム…を子ども達に考えさせる。空いた口が塞がらない。

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ふるさと納税……ってなに?








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ふるさと納税「黒船来襲」 アマゾン参入「うますぎる」 「お得」前向きの自治体も
2024年3月12日 5時00分

 ふるさと納税の仲介事業に、米大手プラットフォームのアマゾンが乗り出そうとしている。寄付額が右肩上がりのなか、本来なら税金として行政サービスに使われるはずだったお金の一部を手数料として得られる仲介ビジネスは活況だ。事業者間の囲い込み競争はさらに過熱しそうだ。

 「さすが世界のアマゾン。やり方がうますぎる」

 九州にある市の担当者は興奮ぎみに話した。今年に入って、アマゾンから仲介サービスの提案を受けたという。

 担当者が驚いたのは、手数料の仕組みだった。「基本プラン」の10%は既存の仲介サイトとほぼ変わらない。だが「早割プラン」が出色だったという。

 早割プランは複数あり、初期手数料250万円を支払えば手数料が3・8%まで引き下げられる仕組みもあった。割引期間の約2年間は年4千万円程度の寄付があれば自治体はペイする。

 この自治体に寄せられる寄付は年間1億円を優に超えているため、担当者は「寄付を集めるほどお得感が増す、夢のある仕組みだ」。契約する方向で部署内で調整しているという。

 総務省の調査によれば、2022年度に4千万円以上の寄付を集めた自治体は1300超。いったん初期費用を払った自治体はアマゾン経由で寄付してもらった方が「お得」になる。関西のある市担当者は「多くの自治体は広告もアマゾンに集中させるのでは」と話す。

 仲介サイトの市場規模は約1千億円とされる。今後、さらに伸びることも予想され、外資系ECサイトであるアマゾンにとっても魅力に映ったようだ。

 自治体には、アマゾンに飛びつきたくなるだけの厳しい事情もある。

 ふるさと納税には返礼品や仲介サイトへの手数料といった経費の割合を「寄付額の5割以下」とするルールがある。だが仲介サイト側が一部の手数料を「募集外経費」と称し、5割ルールの枠外で徴収する慣行が広がっていた。

 問題視した総務省が昨年10月、全ての経費を5割に含むよう、自治体に対しルールを厳格化した。

 当初、オーバーしていた分は仲介サイト側が手数料率を削ると期待されたが、各社は料率を据え置いた。このため自治体が寄付額を上げたり、返礼品を削ったりと負担が増している。手数料が下がればその分、自治体に入る寄付額が増える可能性がある。

 ■仲介業者「テコ入れ検討」

 一方、既存の仲介サイトにとっては「黒船来襲」となりそうだ。

 業界は楽天ふるさと納税、さとふる、ふるさとチョイス、ふるなびの「4強」で9割以上のシェアを占める。当初はシェアのほとんどをふるさとチョイスが握っていたが、楽天が急成長し、現在は追い抜いた。躍進の原動力となったのがポイント還元だった。

 アマゾンはポイントに強みを持ち、独自の配送網もある。業界地図が大きく塗り替わる可能性もある。

 ある大手仲介サイトの幹部は、現状は静観するというが「自治体の契約数などを見ながら、何らかのテコ入れを検討する必要が出るかもしれない」と話す。(柴田秀並)
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小中の教材費無償化 海老名市が1.5億円 当初予算案 ……………か?

2024年03月09日(土)

先月の小さな,地域版の記事.
海老名市がどうこうとというわけじゃないのだけれど,
いつからだろうか,無償化,現金給付…….

税金には,所得再分配の効果がある……というのが,
財政学などを学ぶ前提にあっただろうに,
そうした問題についての提案など聞くことはほとんどない.
現金給付や,ここにあるような費用無償化などでは,
公平の観点から,
金持ちだろうが,貧乏人だろうが,みなおなじように,
ということらしい.

公平?
あるいは,衡平?

平等……をどう考えるか.
税制の大きな変化を見てから,数十年が経過するか.
サッチャーのイギリス,レーガンのアメリカ,列島では中曽根あたりか.

そういう社会が――いや,サッチャーは「社会」など存在しない,といっていたか――望ましいと考える人もいるのだろうが,
ぼくには,やはりちょっとどうなんだろう,と思う.

教育についていえば,
そもそも義務教育とかいっているにもかかわらず,ずいぶんな負担をしてきているんだろう.
いや,いい学校に入るために……か? 

そういえば,教育の外部効果,どう考えるか.
ほんとうは,本人が得るであろうモノは,ある意味で教育制度の生み出した外部効果のもたらしたものかもしれない.
一国の政治経済システムじたいが,教育制度によって基礎をつくられているのかもしれない.
にもかかわらず,と思ってしまう.


―――――――――――――――――――――――――

小中の教材費無償化 海老名市が1.5億円 当初予算案 /神奈川県

 海老名市は4月から小中学校の全学年で、ドリルや単元末ワークテスト、実験器具、調理実習などの教材費を無償化する。これまでは入学時の費用負担が重い小1と中1のみ無償化していたが、全学年に拡大する。22日に発表した2024年度当初予算案に関連費用1億5千万円を盛り込んだ。

 市によると、小中全学年で教材費を無償化するのは県内で初めてという。昨年11月に6選を果たした内野優市長の公約の一つで、12月市議会の答弁で、予定を前倒しして新年度から実施することを約束していた。

 公平性を保つため、私立小中学校に通う子どもの保護者にも、相当額の年1万〜1万9千円程度を申請に応じて支給する。

 また、4月から中学校でも全6校でミルク給食から完全給食に移行するのに合わせて、中学校でも食材費高騰対策として1食20円を公費で負担する。予算案に計3800万円を盛り込んだ。学校給食費の保護者負担は小学校で年4万9500円、中学校では年5万9400円になる。

 新年度当初予算案は一般会計が508億9100万円(前年度当初比4・8%増)で過去最大となった。(豊平森)
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田中克彦 言語からみた民族と国家 もくじ/序

2024年03月02日(土)

ずっと後になって,ノモンハン戦争に関する論攷などを読みながら,
むかしのことをちょっと思いだしていた.
言語学に興味があった……というわけじゃなかったと思う.
多少の知識が必要だな,と思ってはいたのだろうけれど.

国語と国家,
ことばと国語,
ことばと民族.
国家と民族……,
ずっと気になっていたんだろう,
気になるだけで,そこからさらに……とはならなかったけれど.

……………

岩波現代選書,
1978年から1987年まで128冊が出版されたとあった.
その前,岩波全書があったなと思い出す.
何冊が書棚に眠っていると思うけれど.

―――――――――――――――――――――――――

言語からみた民族と国家

田中克彦

岩波現代選書 13

岩波書店
1978年8月25日 第一刷

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目次

序 ダンテにおける「高貴な俗語」  ……………1
I 恥の日本語           ……………31
Ⅱ 柳田国男と言語学        ……………67
Ⅲ エリートの国語         ……………95
Ⅳ カール・カウツキーと国家語   ……………139
Ⅴ ソ連邦における民族理論の展開  ……………189
  ――脱スターリン体制下の国家と言語――
Ⅵ 国家語イデオロギーと言語の規範 ……………239
Ⅶ 固有名詞の復権         ……………293

  あとがき            ……………337
  人名索引





自然は民族を創らずただ個々の人間を創るのみであり、個々の人間が言語、法律ならびに風習の相違によってはじめて民族に区別されるのである。
スピノザ『神学・政治論』
(畠中尚志訳、岩波文庫版)




〈1〉
序 ダンテにおける「高貴な俗語」

1 文法の奪取


人類が文字を用いてことばを記すようになってからの歴史は、ことばの全史の中でほんの一ページにも満たない。同じようにことばと言っても、それを話すことと、書くこととは、かなりちがった世界のいとなみである。人間であるかぎり、ふつうだれでもことばを話すのであって、話すということは、いわば人間にそなわった自然の一部である。しかし、書くことはそうではない。ほうっておけば人はいつまでも書くようにはならないのであり、話すことに比べれば、書くことはより自然から遠ざかる。
 さらに、人類のうちの絶対多数は、ごく最近まで、自分のことばあるいはそれに近いことばを書くことができなかったし、自分のことばで書こうなどとは思いもよらなかったのである。書くためのことばと
〈2〉
話すためのことばは、時代が古いほど離れている。二つのことばが近づけられたのは、言語的エリートの独占を排し、書くことをすべての人のものにしようとした、近代民主主義の願いによるものであった。日本人がはじめて漢字と、それによって書かれた言語と文章を学んだときに、かれらは、それが本家におけると同様なしきたりにしたがって書かれるよう細心の努力をつくしたのであって、いささかでも日本的な汚れが、そこに浸み込むことのないように神経をとがらせた。ところが本家の純粋性が守られるのは、文字を用いる、つまり、漢文の書ける人間が、せまい範囲のごくわずかな数のエリートに限られているばあいだけであって、その使用が非エリートにまで拡大されてくるにしたがって、しきたりの厳密さ、純粋さにはどうしてもにごりが出てくる。非エリートはこまかいしきたりを完ぺきにマスターする機会もとぼしく、ひまもない。じっさい、書く技術を身につけるには、どうしても相当な時間を肉体労働から解放されていなければならない。ところが、何かを書きたいと願う気持、書かねばならない必要は、エリートたちだけのものではない。むしろ、そうでない人たちにとってこそ、書きたいことが多いかもしれないのである。
 日本では、神聖であるべき漢字が、しばらくの間はそのままで使われていたが、やがて、それをもっと簡略にして、日本語、つまり我々の.ことばそのものを書きあらわすための道がひらかれるように
〈3〉
なった。漢字は音のみならず意味をあらわすのであったが、こうして、日本語の都合にあわせて、ねじまげられた文字は、もっぱら音だけをあらわすための、したがって、漢字から見て正式ではない仮りの文字と名づけられた。漢文から見れば仮りの文字であったが、我々のことばから見れば、これこそが、我々のことば、つまり話した発音を比較的そのまま表わせる、日本人のための文字であった。仮名は、女や子供、教養のない男に使われた非エリート専用文字であり、じつは、日本語が書けるようになったのは、こうした非エリートが、大挙して、読み書くいとなみに参加したからである。かれらの無教養こそが、漢文の支配を追い払って、今日のさかんな日本語への道をひらいたのであった。
 もともと、はじめから自分のことばで書くことのできた民族は、アジアでは漢族とか、インドのサンスクリット古典語を用いた民族くらいであり、ヨーロッパでは、ラテン、ギリシャ、ヘブライの諸語を話した民族くらいである。もちろんそれ以外にも、中世に入る以前に、りっぱな書きことぽを残したケルト系の民族もあるにはあった。しかし、中世の西ヨーロッパにかぎって言えば、そこの知的生活は、もっぱらラテン語の読み書きによって行われていたので、書くということはかならずラテン語で書くことを意味し、それを学ぶための文法は、もっぱらラテン語のためのものであった。逆に言えば、ラテン語には文法があるが、その他のことば、とりわけ、家の中で女や子供が日夜話している
〈4〉
ことばにも、また文法があろうなどと人々は考えてみもしなかったのである。したがって、当時の感覚からすればイギリス語文法、フランス語文法、ましてや日本語文法などという、ばけもののような文法は概念として存在しないはずであった。このような野蛮の言語についての文法はせいぜい、たとえとしてしか考えられなかったのであるが、たとえとしても、これはずいぶんゆがんだたとえであった。そういうわけで、すべての言語には、それぞれに固有の文法がそなわっているものだと人々が認識するようになってからほとんど時間がたっていない。ラテン語以外の「俗語における文法の発見」は、ヨーロッパ文化史の上で目をみはるできごとであった。そして、ほかでもない俗語=非ラテン語の文法を構想し、実行するという偉業は、一五世紀末のスペインにおいてはじめて実行にうつされたのである。
 ここで「文法」ということばについて考えたことが、やはり「歴史」についても言えそうである。というのは、まだ百年くらい前の一九世紀のヨーロッパでは、「歴史なき民族」ということばが使われていた。しかもそれは社会主義者――あるいは社会主義者であったればこそ――の愛用したことばであって、もとはエンゲルス(良知力「四八年革命における歴史なき民によせて」『思想』一九七六.一〇参照)から、新しくはオットー・バウアー(本書第Ⅳ章注16参照)に至るまで、いくらでも用例をあつめること
〈5〉
ができる。「反革命的な」「歴史なき民族」の中でも、ユダヤ人は最もたちの悪いものであって、かれらには「歴史がない」から、固有の民族として認めるにあたいしないというたちばは、オーストリアの社会民主主義者の間では一つの伝統となった。すべての民族には、いな民族にまで達しない前民族、すなわちロシア語でいうナロードノスチにも歴史があると人々が認識するには、文法のばあいと同様に、長い歴史があったにちがいなく、そのばあいですら、歴史なき民族にとっての歴史は、やはりたとえでしかなかったのである。社会主義の理論家の中で、このような「歴史なき民族」のドグマを真に破ったのはスターリンであった(本書第Ⅳ章参照)。このような意味で、歴史ということばと同様に、文法ということばもまた一つの歴史的概念であって、固有名詞の性質を帯びている。ところが、この固有名詞を一般化して、文法はラテン語だけのものではないということを実際に示した最初の例がイベリア半島のカスティーリャ方言であった。すなわち、ネブリーハという人物がこの有力な方言の文法をあらわして、イサベラ女王に捧げたときに、ラテン語による文法の独占はうち破られ、この方言はやがて他の諸方言を圧して国家語へと歩み、さらに海をこえて中南米地域で最も有力な言語となるための軌道が敷かれたのである。それが、ちょうどコロンブスがアメリカ大陸を発見した一四九二年であったということはあまりにも象徴的である。「女王様の支配下に入った野蛮人どもが、ちょうど
〈6〉
私たちがラテン語文法を学んだと同じように、私の文法でスペイン語を勉強するようになるでありましょう」と著者は述べている(本書第Ⅲ章参照)。そして、実際にその通りになったのである。
 中世ヨーロッパでは、ドナトゥスとかプリスキアヌスの文法を修得することが知的エリートになるための要件であったのであるが、それによって学ばれるラテン語は、誰にとっても生まれながらにして話していることばではなく、ひまのある人が特別に努力してやっと身につくことばであった。ラテン語を身につけ、それを自在に駆使できるという技能は、当時としては、知的議論に参加するための前提条件であった。そして、文法は発音の規則をも含むところの、ことばにおける正しい規則の法典を示すものであった。言語使用におけるいっさいの差別は、この規則の法典から現われる。だから、ある方言や言語の話し手が、あれこれの音が正しく出せないと言ってからかい、笑いものにする風習はずいぶん古くから、しかもラテン語のような人工的な言語についてもあったことは、次の聖アウグスティヌスの『告白』の一節からもうかがうことができよう。

  主よ、わたしの神よ、ごらんください。いつものように、忍耐をもってごらんください。いかに人の子らがさきに語った人びとから受けついだ文字や、音節の規則の遵守には実に熱心でありながら、あなたから受けた永遠の救いの永久にかわらぬ掟のほうをどんなに軽んじているかをごら
〈7〉
んください。それであの昔からの発音の規則を知り、あるいは教える人間が文法の規則に反して、「ひと」という語の第一音節の息をぬいて「いと」と発音しようものなら、ひどく人びとの感情を害し、同じ人間でありながら、他の人間を憎むばあいよりももっと人ぴとの反感を買うものである。(服部英次郎訳、岩波文庫版)

ここでは、ラテン語のホモhomoのh音を母語に持たないために発音できない人のばあいのことを言っている。ラテン語の血すじを引く今日のヨーロッパの言語では、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルなどの諸言語は、いずれもhの発音をすててしまった、いわば「いと」語であるが、これらの言語が、それぞれフランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語等々であるのは、「いと」とくずれ、乱れた発音を発達させたおかげであり、これらの言語でhを発音すれぽ逆に笑いものにされてしまうであろう。
 生まれおちて最初に身につけたことば、――そのことばを学ぶのに、どんな苦労をしたかという記憶のない、いわばひとりでにしゃべれることばについて、人はあらためて文法書を開いたりするはずはない。学校が文法のための文法を課するようになったのは、近年の奇妙な流行である。その奇妙さは、言語学の持つ奇妙な性質そのものとよく似たところがあるが(本書第I章参照)、とにかく、文法と
〈8〉
いうものはおかしなものだということをフリッツ・マウトナーは次のように言っている。

  文法というものは、そのことばをよく知っていて、そんなものを必要としない人たちだけにはほんとによくわかるようにできている。ところで外国語の文法とふつう呼ばれているものは、チロルの地図を持ってヒマラヤに登ろうとするようなものだ。(『言語批判のために』第一巻)

つまり、無用な文法だけが完全であり得、必要な文法は常に不完全だということになる。文法は、日常的でない言語、大ざっぱに言って外国語学習用に必要なことは言うまでもないが、じつは国内にむかっても、ことばの作法のしめしをつけるために、近代国家がひとしく持つ必要を感じている。文法とはヨーロッパではグランマ・ティケー、つまり文字(グランマ)の技術(テクネー)を授けるためのギリシャ人の発明であったが、それを日本語が文技とか文術ではなく、文法と訳したのは、この技術の役割を適切にとらえている。つまり、文法は法典にひとしいのであって、異族のみならず同族に対しても、ことばのしめし、規範をしめす役割をになって現われる。この規範は、単に技術の規範にとどまらず、趣味や倫理の規範という役割すら帯びるに至ったのである。
 ギリシャ語やラテン語の文法がどうしても必要であったのは、それらが日常のことばと離れ、ひたすら文字で書かれることばになっていたからである。だから、きまじめに語源的な解釈に従うならば、
〈9〉
文字で書かれない民族語や方言には、定義によって、文法は存在しないことになる。ところが、民族語や方言は、国家の言語になったとたん、まったく新しい資格づけをあてがわれる。何よりもまず、文字の使用と国家あるいはそれに類した政治的統一体の出現との間には深い関係がむすばれ、やがて国家語は文法を要求し、また文字(リテラ)で書かれた「文字言語作品」(リテラチュア=文学)を要求するであろう。このようにして、近代国家が非日常的な古典語をすてて、俗語つまり非古典語を国家語として採用したとき、俗語の文法は国家が当然所有すべき国有財産目録の一項目となり、さらに文学もまたそこに加わってくる。じじつ、文学も国家の観点から見れば、軍隊と並ぶ国家的整備の一つであることを、新興諸国家の例は教えてくれる。ネブリーハははじめて俗語=非古典語に文法をあてがってやるという、前人未踏の思いもかけぬアイディアによって、俗語の中に国家語イデオロギーを植えつけたのである。
 さまざまなかたちで進行していたラテン語に対する俗語(すなわち、文字で書かれない諸民族のことば)の主張は、俗語文法の出現によって決定的なくぎりをしるした。それまで、ラテン語のかげにかくれていたいろいろなことばがそれぞれに文字と文法と文学を所有する道をあゆみ、中にはこの三者をほとんど一挙にそろえた例もある。一九世紀はこのような運動が頂点に達した時代であった。一九
〈10〉
世紀に開花し、せかれるような情熱をもって組みあげられた「インド-ヨーロッパ語比較言語学」の背景には、言語的に分裂して行くヨーロッパ世界に、諸民族語の共通起源を仮設することで精神的な統一を維持しようという気分がはたらいていたことはまちがいのないことで、二〇世紀はじめの最も比較言語学者らしい言語学者アントワーヌ・メイエは、とどめようもなく進行して行くヨーロッパ世界の言語的分裂を一つの異常事態と見たのである(本書第Ⅵ章参照)。
 俗語の俗語たるゆえんは、そのとどめがたい流動性にある。ダンテもまた俗語が最も人間らしいことばであるとたたえながらも、俗語、つまり、生きたことばは、時間的にも空間的にもかぎりなく変化するため、この点でラテン語に一歩をゆずることを認めざるをえなかった。ことばは生きているかぎり変化する。つまり、ことばが変化するのは、それが生きていることのあかしである。生きているということはどういうことかといえば、人々が絶えず使っているということである。人々が使用をやめた言語はいつまでも変化することがない。人間は歴史の中で決して一か所に立ちどまっている動物ではないから、最も人間的な技術であることばが変らないわけはないのである。ところが、俗語がひとたび文法をそなえ、イベリア半島の諸王国のみならず、海の彼方の野蛮人にまで使わせようと考えられた瞬間、俗語文法という道具の発明者は、俗語から、その流動性だけは注意深くぬき去って、未
〈11〉
来永劫にわたる固定を願わずにはいられなかったのである。ネブリーハの次のことばに注意しよう。

  いまもこれからも、このことばで書いて行こうとする人は、時が続くかぎり同じ内容をまもりつたえ、たがいに理解しあえることになろう。ちょうどギリシャ語やラテン語は何百年を経ても、いまなお統一をたもっているように。

 注意すべきは、ラテン語から脱却するためのモデルはやはりラテン語だったということだ。つまり、考えられている図式というのは、統一的な規範、永続性、不変性、恒常性という、ラテン語の好もしい性質をそっくり温存しながら、それをまるごと手に入れた上で、新興文法がラテン語のあとがまにおさまろうというものであった。ネブリーハはこのようなかたちで、言語の本質を見ていた。そして、この基本線は、いまの諸国家の言語規範主義者たちの中に生きつづけ、ときには、俗語古典作家の遺産により、実際の必要をはるかにこえて強化されている。
 言語の研究は、永きにわたって、文法→規則→おきて→正しい用法→作法→礼儀→しつけという環からのがれることはできなかった。その環を破り、正邪の判断をこえた、ことばそれ自体の生命を知ろうというたちばに立ったとき、言語学は規範文法家、正しいことばの伝道者を任ずる正しいことば教室教師や作家、文章評論家等々の言語裁判官とは相いれないたちばに立つことになった。
〈12〉
 そのため、言語学は、意図せずとも、緒果としてはことば使いをせめられる被告の側に立って、なぜそのような誤用があらわれるかに注意を払うよう求める。誤用もまた、言語の自然の一部、いや、誤用にこそ言語の自然ないとなみが現われているのだと考えたアンリ・フレーは、遂に『誤用の文法』を書きあらわすに至った(小林英夫訳、みすず書房刊によって読むことができる)。この「文法」の意味を「文法」の出発点にたちもどってそれに重ねあわせてみるとき、ここでもまた、人間がみずからをしばったくさりを、みずからの手で破って行こうという、真に人間的な、けだかい活動のひとこまを見ることができよう。近代における言語の研究は、よくそう思われているように、単なる知識、技術、思弁としてあるのではなく、人間を最も深いところでしばっている、ことばの差別と規範の起源とその原理に気づく道を示す結果をともなっている。


2 なぜ俗語か?

 俗語文法の編さんという偉業の中に、我々は、一種の規範言語の政権交代とでも呼ぶべき現象を見る。それは、ネブリーハの考えかたにあらわれているように、規範としてのラテン語の座を奪取し、
〈13〉
俗語に、それと同じ役割をもたせて、そのあとがまにすえるという、外的な機能としてとらえた言語の入れ替えである。
 しかし、こうした政権交代にさきだって、では、なぜラテン語ではなく俗語でなければならないのか。思想の自立的で自由な手段(instrument autonome et Libre de la pensee――モールマンのことば)であり、民族をこえた伝達を可能にするヨーロッパ文明の伝統と精髄の結晶である、普遍言語ラテンをおさえ、その聖域を犯してまで、なぜ俗語を文学の領域にまで持ち込まなければならないかという、この問題を内面からとらえておく作業が必要であった。ネブリーハがそうした議論に踏みこむことがなかったのは、そこまで考えがおよばなかったからというよりはむしろ、当時すでに、俗語の要求は自明のことになっていたからかもしれない。それはまた、ひとつには、ネブリーハの文法に二百年も先立つ一三〇四年前後という早い時期に、ダンテという姿をとった一人の俗語イデオローグを介して、俗語の主張に理論的根拠が与えられていたからであったと言えるであろう。
 ダンテは西欧諸言語誕生の理論的根拠を示したその記念すべき『俗語論』にさきだって実際に俗語による『新生』を発表したが、その中で、「俗語ででなければ書かないというのが、そもそも私の最初からの考であった」(山川丙三郎訳)とたちばを表明している。場所は、ベァトリーチェの死のかなしみ
〈14〉
をあらわすのに、エレミア書からのわずかなラテン語の引用のあとを何故続けないかを説明したくだりである。
 その後、やはり俗語で書かれた『饗宴』の冒頭のかなりの部分は、これまた俗語で書くことの弁明にあてられているが、その中で、俗語の議論については、私は別に独立の書をものするつもりであると予告している。これが『俗語論』である。つまり、ダンテにおいては、創作という実際の作業と、創作の手段そのものである俗語で書くことの根拠づけとが、同時に並行してすすめられている。
 ところで、ここでどうしても「俗語」ということばの概念を明らかにしておかねばならない。ダンテの問題の著De vulgari eloquentiaを『俗語論』と訳した最初の日本人が誰であったかを私はいま明らかにできないのであるが、中山昌樹による大正十四年の翻訳は、すでにこの題名を帯びている。そして、vulgarisを「俗」と訳す慣行は、おそらく日本では当時すでに定着していて、特に工夫を要するほどでもなかったと考えていいであろう。この「俗語」の意味を間接的に明らかにするために、諸外国の訳語を参照してみよう。
 たとえば、英訳本ではくvernacularとなっている。ロシア語は、一九六八年のИ・Н・ゴレニシチェフ=クトゥゾフ訳では、書名全体はO 蔑§&ミ謡蓬Qミ竜馬§魯であり、また、興味を引かれるのは、
〈15〉
B・シクロフスキーによる訳がすでに一九二二年にあらわれていて、この方は直接見ることはできなかったがO ?apo?d?KOr pe?uになっているということである。いずれにせよ、「俗」にあたるところは「ナロード」という、これまた含みの多い語が用いられている。ドイツ語も同様に、文中で「俗語」をVolksspracheと訳しているのは、ロシア語のばあいと同様である。
 ところで日本語の「俗語」について、たとえば記述的にすぐれている「三省堂国語辞典』第二版は、「世間に広く使われている、くだけたことば」と言い、その例として「いけすかない」を挙げて、「この辞書では、卑語〔=ばかたれ〕・隠語〔=すけ〕などもふくむ」と説明しているように、俗語はある言語全体を指すのではなくて、ある言語の中の特定層の語彙をよぶもののようである。したがって、「俗語」ということばには野卑なののしりことばを連想させるところがあるのも不思議ではない。げんにいまある、このような俗語の語感を述べたものとしてはこの記述は全く適切であろうと思う。が、ダンテの言う「俗語」(とかりに日本語で訳されたことば)は『広辞苑』第二版が第一の意味としてかかげる「歌や文に用いられてきた文字言葉である雅語に対して、それと異なる話言葉」という意味の方により近い。もっと正確にいえば、話しことば全体を指す『広辞苑』の説明は、中山の翻訳があらわれた当時にまだ通用していた、「俗語」の意味に対応するところの古典的説明と言っていいかもしれない。
〈16〉
 もともと、ことばの社会的な存在様式をあらわす用語に、文脈抜きで適切な訳をあたえることは至難のわざである。なぜなら、その言語の置かれた社会的、文化的状況の中で、ある評価を表明し役割を求めて与えられるこれらの語は、こうした特定の状況をこえて普遍的ではなく、固有の歴史的概念を含んでいるからである。とにかくダンテの「俗語」は、「ばかたれ」、「すけ」のような、特定の個々の語彙をさしているのではなく、したがって、『俗語論』も、「ばかたれ」、「すけ」で文章を書こうというすすめではない。「俗語」は、一つのまとまりをもった言語全体のことであって、何よりも、「文字と文法と文学を持たない」ことを大きなめじるしとする。それはやがては文字を所有して、近代諸国家の国家語になるべき未来をもつことになるが、(内的)言語学のたちばからすれば、あることばが国家語になるかどうかの原因は、言語それ自体の中には宿されていないのである。
 「俗語」には、たとえばこのように、さまざまなニュアンスがあるが、しかし、文法をそなえ、文学のための、非日常的な雅なるラテン語に対する、日常の俗なることばという意味において、やはりこの「俗語」という表現は、ダンテの意図をよく示した日本語であるように思われる。それは、あとでみるように、俗語の俗なるところがすなわち高貴なのだという、ダンテの論の展開をたどって行くためにも、あえて「俗」の意味を保持しておきたい。そこでこの論に入るに先立って、じつは、ダン
〈17〉
テ自身による俗語の定義を見なければならない。

  俗語とは、こどもがことばを聞きわけられるようになるとすぐに、自分のまわりの者から身につけることばのことだ。もっと簡単にいえば、私たちがいっさいの規則によらず、乳母からまねしながら受けとったことばのことだ。(第一篇第一章)

さらに、同じく第六章では、俗語をmaterna locutio、つまり「母のことば」と言いかえ、中山もこれを「母語」と訳している。それを受けて、ドイツ語訳は、『俗語論』の書名として、Mutterspracheを採用しているのである。「母語」という性格、つけの中にはまた、ダンテの「俗語」のもう一つの側面、すなわち、育ての親から、口うつしに、いわば生物的に受けとられたことばという観念がたくみに表現されている。「母語」の「母」は「母国」の母のような単なるたとえではなく、ははそのものである(母語の概念については、なお拙著『言語の思想――国家と民族のことば』四九ページ以下を参照)。このような「俗語」の性格づけは、同時にグラマティカ、すなわち、ラテン語とは何ものであるかもはっきりと見せてくれるのである。すなわち、俗語のほかに、第二次的な言語があって、それをローマ入はグラマティカと呼んでいる。(同上)規範語を二次的とするこの認識は、母語の解放思想の先駆をなすものである。生まれてすぐに、「いっ
〈18〉
さいの規則なしに」はじめて身につけたことばこそが第一次的な本源のことばであり、文字と規則をそなえた技巧のことばは、それから派生し、それに従属するという考え方である。
 ダンテの認識の清新さと、事実そのものに即した冷静さに気づくためには、その六百年後に発されたある日本人作家のことば、「口語文とはあくまでも文語文のくづれだ」という、転倒した主張と対比してみるのがよかろう。人間が生まれながらにして「文語文」を話していたのならそうも言えるだろう。ことばを話すのは口であって、文字それ自体は決して話さないのである。こういう議論をいまあらためてやりなおすねうちはほとんどない。しかし、ことばには、いつでもこうした転倒した迷信がつきまとうものであって、この迷信こそは、言語の思想史を形成する要因であると知っておくことは無駄ではない。
 この迷信はまた、言語的エリートが、何らかの意味で危機を感じた際に、くり返し再生され、強調される。「文語文」の獲得のために費されたばく大な時間とかねと努力、その結果到達できたたのしみと優越感を考えるならば、かれらは、それを所有し得る特権階級の優位は決して失いたくはなく、それをおびやかすものに対しては、伝統と文化と趣味の名において悪罵をあびせかけるのである。そこで「口語文」は「文語文」にくらべて、いつでもくずれており、俗で野卑だと言いつづけずには居ら
〈19〉
れないのである。
 言うまでもなく、ことばがみだれており、くずれているのは、みだれないもの、くずれないものを仮定してのことである。このみだれていない由緒ただしいものは何かといえば、中世ではグラマティカ、つまり古典ラテン語であり、みだれているのは俗語であった。俗語にはみだれをしばる規則もなく文法もない。ところが、ダンテの『俗語論』は言う、

  これら二つの言語のうち(俗語=母語および文法=ラテン語)、より高貴なるもの(nobilior)は俗語である。(第一篇第一章)

このテーゼには、すぐその後につづけて三つの理由があげられている。すなわち、俗語は第一に、人類がはじめて用いたことばであること、第二に、発音や語彙を異にしてはいるが、全世界で用いられていること、第三に、グラマティカが人為的に作られたものであるのに対し、俗語は自然(naturalis)であること、これらである。
 ここに三つの項目に分けてあげられた理由は、一見してわかるように、じつは根本のところでは一つのことを言おうとしているのであるが、ダンテの『俗語論』の中では、それぞれ言語起源の問題、言語の多様性の問題、言語における自然(今日のことばで言う体系)と不自然(今日のことばで言う規
〈20〉
範)の問題とに対応している。そしてこれらの問題は、近代に至るまでの言語論の基本項目に対応してもいるのである。
 第一の理由、つまり、人類がはじめて用いた言語という意味での俗語は、さきに述べたように、母語の概念に対応している。ラテン語やその他どんな言語を習得するにも、はじめて身につけた母語を介するのでなければ行われないという意味においても、母語は他のいっさいの二次的言語に先行する。
 ダンテは、個人における言語の前後関係を述べているだけではなく、人類において最初にことばを口から発したのは誰であるか、それはどんなことばであったかなどについても論じているが、ここではそれには立ち入らないことにする。
 第二の理由にうつると、これはなかなか含みが深い。ダンテにおける世界の諸言語の多様性の認識にはじつに深いものがある。それはもしかして、かれの言語論の中核をなしているとさえ思われるほどである。そのせいか、少なくとも、今日まで『俗語論」がとりあげられてきた、そのしかたは、ダンテの方言観察と、一つ一つの方言への評価がどうであったかをたしかめようという関心から出ていたようである。その意味では、ダンテの方言観察は、イタリア方言学の先駆をなすものと言って言いすぎではないだろう。
〈21〉
ダンテは、イタリア半島を、まず南北に走るアペニン山脈によって東西に分ち、ティレニア海側とアドリア海側に方言領域を設定した後、単に「イタリアだけでも、少なくとも十四の俗語(<三σq⇔ユ鋤)がある」と数えあげただけでなく、それらは、さらにこまかい枝分れを示しながら、遂には「同じ町の中でさえちがっている」と指摘する。そして、「世界のこんな小さな一角だけでも、千、いやそれ以上の俗語の枝分れがあるのだ」(第一篇第一〇章)と感嘆してみせている。このような観察があらわれるのは、当時、まだ「イタリア語」すなわちイタリア国家語などというものが出現しておらず、国家語に従属する方言などという観念にしばられていないからであった。もちろん俗語と、それの枝分れという、俗語相互のヒエラルキーの考えはダンテの中に見ることができる。ここでは、むしろ、国家語的視野のせばめを受けない、限りなく分岐し、分立する諸俗語の並存的な関係に執拗なほどの注意がそそがれているのである。
 このような点からみると、ダンテの俗語というのは、ソシュールの言うidiome、あるいはそれ以前にさかのぼる、G・フォン・デア・ガーベレンツのEinzelspracheに相当する概念である。近代言語学の創始者たちは、イタリア語とか日本語とかの、超言語の虚構のくもりを取り去って、国語から解放された言語の概念にやっとのことでたどりつき、遂にはバーナード・ブロックによってイディオレ
〈22〉
クト(個人語)の底辺にまで降りてきたのであったが、このような認識は、またダンテのものでもあった。ただ、近代言語学は、国語を破る操作を経なければならなかったのであるが、ダンテの目の前には、いまだ国語は存在せず、無数の俗語の並存がむき出しのままあったのである。
 しかし、ダンテは、言語をこうして個人にまで達する窮極的な細分化へと追いやって、そこでとどまったのではなく、今日、いわゆるロマンス諸語における方言学的分類手段を適用する試みも行っていた。たとえば、「肯定の返事をするときに、ある者はオック(oc)、ある者はオイル(oil)、ある者はシ(si)と言い、これはすなわちスペイン人、フランス人、イタリア人である」(第一篇第八章)という風に。だが、このばあいダンテのもとづいた資料は訂正を要するのであって、オックは、プロヴァンス人とカタロニア人、シはスペイン人とイタリア人とすべきであった。これは、トゥルバドゥールからの影響を受け、俗語による詩作の霊感をそこから得たダンテとしては全くうかつと言うほかない。とはいえ、ここにはすでに、ラング・ドック(langue d’oc)とラング・ドイル(langue d’oil)との方言区劃が有効に利用されていることに注目しておきたい。
 こうして、異なる発音、異なる語彙は、かぎりなく俗語を分けへだてる。つまり、俗語はかぎりなく多様で異なっているという点が、それをグラマティカと分かつ根本的な特質となる。これらかぎり
〈23〉
なく異なる俗語は、またかぎりなく変化して行く性質をそなえている。

  同一民族の中でも、言語は時につれて変化し、決して静止できないものだから、相互に遠くへだたって住む者のもとではさまざまに変化する。それはあたかも、自然によっても共住によっても固定されておらず、人々の気分と土地の必要によって生じた風俗習慣が何通りにも変化するのに似ている。(第一篇第九章)

こう述べた直後に、ダンテは、「ここからグラマティカの技術(ラテン語)の発見者があらわれたのである。ラテン語は、時と場所のちがいをこえて変化しない言語の統一だからである」(同上)とつけ加えねばならなかった。
 求められるべき言語の統一と恒常性と、俗語の多様性と流動性という、この二律背反は、ダンテの俗語の主張にとって最も困難をはらむ点であり、また現代世界の俗語=民族語の主張者にとっても、最も困難な問題を課すものである。こうしてダンテは、不動の、しばりつけられたラテン語の存在の必然性を認めざるを得なかったのである。それにもかかわらず、ラテン語の恩恵に浴する者の数は極めてわずかであって、世界中どこでも、すべての人は、まず第一に、唯一のことばとして俗語を用いていて、それは生まれながらの、心のことばであるから、高貴なのであるとダンテは主張する。
〈24〉
 ダンテは、ラテン語を学ぼうとする者の動機が、貪欲さにあって、気高い心から出ているのではないことを次のように指摘している。

  ラテン語を知っているという者でも、それをきちんと使えるのは一○○○人のうち一人くらいしかいない。だからかれらはこのことばの恩恵を受けることもなく、貪欲に走り、そのため心の気高さ(nobilita d'animo)を失って、この種の食物を得ようとする。私は、この連中を文字知る人と呼ぶべきでないと言いたい。なぜなら、かれらが文字を手に入れるのは、それを使うためではなく、それを利用して金や地位(danari o dignita)を得んがためであるから。(「饗宴』第一の九)

 俗語、すなわちありのままの言語は、その概念じたいの中に、多様で、たえず変化するという性質を含んでいる。それはことばの本性=自然そのものに由来している。ここから、第三の、俗語の自然さについての論が生じてくるのである。
 ダンテの言う、グラマティカ(ラテン語)の人為性と俗語の自然さということを真に理解するためには、いくつかの予備的考察を加えておかねばならない。ここに言う人為的言語は、もっと進んだかたちをとると、人工言語といわれるものになる。そこで、近年、自然言語と人工言語という分類が行われることがあるが、これはちょっと考えてみると、奇妙なよび名である。
〈25〉
 まず第一に、自然とは人間の外にあって、人の手が加わっていないことを言うのだとすれば、言語は決して人間の外にある何かではない。人間が現われる以前からことばがあったと考えるものは誰もいない。じじつ、人々は、言語は文化の中心的部分であると言ったり、ことによると「言語それ自体が文化」(川本茂雄「言語と文化」『岩波講座 哲学』11)だとさえ言われたりもする。文化は人間に固有のものであって、人間なしに文化はない。ちょっとくどい言い方になってしまったが、ことばは決して自然に属することはないし、第二には、『ドイツ・イデオロギー』の中でマルクスとエンゲルスが言っているように(本書第Ⅳ章注30参照)、「生まれながらの姿のまま」今日につたわっている言語は一つもないのである。この点では自然言語などという形容矛盾は認められないのである。
 自然言語と対をなす人工言語は、もちろん、自然言語というモデルがないかぎり生じて来ない。ザメンホフがエスペラントを製造できたのは、かれが、かれ自身の母語のみならず、さまざまな自然言語を知っていたからである。いったい自分の母語しか知らない人間に、別の、全く架空の言語(符牒の体系ではなく)を製造しようという思いつきが生じるかどうかはうたがわしい。自分の身についた、ことばの「欠陥」は他のことばを見ることによって気づかれ、他のことばの「欠陥」の指摘は、常に自分のことばを基準にして行われるからである。
〈26〉
 いずれにせよ、どのことばを話す人にも学びやすく、どの特定のことばにもかたよらない中立のことば、このような理想言語の製造はたった一人の個人か、比較的少数の個人によって一挙に発表される。もちろん準備期間はあるとしても、せいぜい人の一生よりは短い時間でしかない。こうして一挙に生まれる人工語には歴史がない。じっさい、言語の平等のために、人はこの歴史なるものとたたかってきたのである。「長い、豊かな伝統の中で培われた文学語」などといって、その言語をかざるためにはすぐに伝統や歴史が引きあいに出される。だから、人工語の存在理由は、それが歴史を持たないところにもあるのである。つまり、一挙に、一瞬のうちに生まれ、いかなる私有財産(文学など)をももたない「歴史なき」言語こそが人類の平等のために求められねばならないのである。科学もまた、別の意味で、この「歴史なき」言語をたえず求めつづけてきた(本書第Ⅶ章参照)。
 「自然言語」は、たといそれが文字の記録を全く残していないばあいでも、一挙にして生まれたとは誰も思わないのである。文字の記録をもった「自然言語」の起源をたどれるかのように思いこむ人がいるが、たとえば、エスキモーの言語の起源と、それがいつ発生したかという設問は、一般に言語の起源論がそうであるように、解きほぐしがたい混乱を内にやどしながら、実証を拒否しつづけているのである。
〈27〉
 「自然言語」というよび名は、とにかく、人間の言語の性質を言いあらわすには適当でなく、この点ではたとえばE・コセリウの言語認識の基礎をなす「歴史(的)言語」というとらえ方のほうが、より人間言語の本質にせまっていると思われる。
 さて、こうしていま「歴史言語」という特徴づけの導入によっていわゆる自然言語、あるいは、言語の自然の重要な側面が現われ出ることになった。すなわち、それは言語の歴史性ということである。意図をもってしばりつけた、捕われの言語は変化しない。変化しない言語には歴史がない。変化とは規範の目から見れば、規範をのりこえて行くみだれである。ところで、規範とは言語そのものから生じたものではなく、人が言語の外から加えた選択、抑止である。規範の細部にわたっての知識をそなえているのは、文法によって、その一覧を得ることのできる言語的エリートであるが、素朴な話し手は、ただただ、話しやすさとか、気分にあっているとかによって、複雑なものを単純化し、不必要なものを廃棄し、一方では必要なものをとり入れたり強調したりしながら言語を変えていく。これらの過程は計画的、意図的ではなくて、いわば無意識のうちに行なわれる。規範への背反という意味では、みだれでしかないこの過程こそは、まさに言語を体系的に組みかえて行く、法則的活動である。そして、それが体系的で法則的であるということは、より自然な活動であることを意味する。
〈28〉
それにひきかえ、規範、ことばへのしばりは、体系をはるかにこえた、法則ではなく規則という意味において反自然の活動である。
 ダンテは俗語の中に、規範を破ってすすんで行く、より法則的で体系的なものを見てとった点で、プレスクリプションを排してデスクリプションのたちばに立った現代言語学の視点をさきどりしていたのである(本書第I章参照)。


3 俗語から国家語へ

 ことばが自然であるということは、そのことばの習得のために特別の時間を割く負担からまぬかれ、その集団のすべての人に理解されるということである。そのため、自然なことばは「金と地位」のためではなく、より「愛のためにふさわしい」とダンテは言う。『新生』の第二五節で、ラテン語ではなくて「オック語」や「シ語」でうたう「俗語詩人」が現われたのは、

  ラテン語の詩をよく理解しえない一婦人に自分の言葉を理解させようとの心からであった。そしてこれが愛以外の詩材を捉えて韻文を作る人達にとっては不利なのである、かかる表現の方法は
〈29〉
もともと愛を歌うために見出されたものであるから。(山川丙三郎訳)

と述べられているように、俗語は何よりも文学のために必要であった。
 だが、ダンテの俗語作品が永きにわたって手ひどい不評を買っていたことはよく知られている。俗語の敵は、ことに、古典に偏愛を示すル人文主義者[フマニスト]だった。ある人は、「ラテン語で書いてさえいれば、ダンテはギリシャ人やローマ人にもひけをとらなかっただろうに」と言い、ある人はまた、「ダンテの詩は、文壇とは全然関係がないのだから、いっそ革帯職人とかパン屋とか、この手の下司な連中の仲間に加えた方がいい」とこきおろしたという(Ph・ウォルフ『西欧諸言語の起源』)。ダンテの苦境は、『俗語論』そのものが、ほかでもない、ラテン語で書かれざるを得なかったということによくあらわれている。
 俗語文学が古典語文学を圧するには、まず圧倒的な数の俗語読者と、大量印刷手段の出現を待たねばならなかった。しかし、決定的な俗語の勝利は、俗語が俗語であることをやめて、民族語から国家語へと歩む段階においてたしかなものとなった。一九世紀から二○世紀にかけて、民族的独立と、諸民族による国家の所有の要求とは、絶え間ない国家語の分立と増殖をひきおこすと同時に、他方では俗語のすりつぶしと、規範俗語への吸収が行な
〈30〉
われた。ダンテとネブリーハは、ヨーロッパの文化的統一のかけがえのない要具であったラテン語を捨てさって、この行きつくところのない「諸言語の混乱」に道をひらいた人でもあった。
 こうして、苦闘の末、グラマティカのくびきを脱した一つ一つの母語、俗語は、やがては民族と国家の時代の中で規範を獲得し、あるいは規範によって排除され、規範俗語は国家語として、新たなグラマティカの番人を求めるに至ったのである。


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