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〈直言〉「国民・領土・主権を守る」 吉田圭秀氏  自衛隊統合幕僚長


昨夜は,いきなりテレビの画面が変わってしまって,
しかもどのチャンネルを見ても同じような画面,
なんだかな……と思った.
まぁ,へそ曲がりなのだ,正直なところ,タメにするPRのように感じてしまった.
いや,北朝鮮のやり口が正しいなんて,まったく思っていないけれど,
宇宙からは,あまたの廃物が大気圏内に降り注いでいるとも言うじゃないか…….

いや,たしかに列島が侵略されるにたる何かがあるのであれば,
ちょっと考えてみよう.
具体的な何か.
中国が,北朝鮮が,あるいは韓国が,そしてロシアが.
アメリカは? いや,侵略するまでもなく,広大な基地を勝手気ままに使っているんだから.

ぼくには,わからない.
いつだったか,森嶋通夫さんの非武装中立論に興味を覚えた.
いまでも,おもしろい,いや,正しいか否か,ではなくて,きちんとした損得を計算してみよう,というところだろうか.

そして,では,戦争は政治の延長らしいから,その政治,外交は,どうがんばってるんだろう,
と思いながら.


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〈直言〉「国民・領土・主権を守る」 吉田圭秀氏
自衛隊統合幕僚長
2023/7/30付日本経済新聞 朝刊

[写真=積田檀撮影]

日本を取り巻く安全保障環境が激変している。ウクライナを侵略したロシアは核をふりかざし、中国は台湾統一の野心を隠さない。北朝鮮は弾道ミサイルの発射を続けており、東アジアは緊張を高める。いまの防衛力で日本を守りきれるのか。自衛隊トップの吉田圭秀統合幕僚長に聞いた。

 政府は2022年末に国家安全保障戦略など安保関連3文書を決定した。反撃能力の保有、サイバーや宇宙など新領域への対応に加え防衛費を大幅に増やす方針を盛り込んだ。

――いまの自衛隊の防衛力で日本を守ることができるのか。

「現時点の防衛力では日本の安全を保てる状況にない。だから安保関連3文書で防衛費を国内総生産(GDP)比2%まで増やし、防衛力を抜本強化すると決めた」

――日本の何を守るのか。

「国家を守る。国家の三要素である国民、領土、主権を守る。主権が危うい状況になったウクライナのような事態で三要素をいかに守り抜くかということだ」

「国家安保戦略は国益を明確に定めた。国家の平和と安全とさらなる繁栄、普遍的価値と国際法に基づく国際秩序の維持だ。国益論は戦争と結びついた戦前の経緯からタブー視された部分があったが、今はフラットに語れる環境になってきた」

――防衛政策への世論の支持や理解は十分でない。

「日本が置かれている戦略環境を認識してほしい。国際社会は力による現状変更を許さず、法の支配に基づく国際秩序を維持できるか否かの分水嶺にある。インド太平洋地域で最前線に立っているのが日本だ」

「国民の自衛隊に対する考え方は大きく変化しつつある。ロシアのウクライナ侵略は対岸の火事ではない。国民が北朝鮮や中国の示威行動を肌で感じ取った結果、防衛への意識は高まった。世論調査でも防衛費の増額や反撃能力の保持を多くの人が支持した」

弱く見られてはならない

――ウクライナの教訓をどうとらえているか。

「ロシアはウクライナ軍の能力や国民の抵抗意思を過小評価した。ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)の外にあったのも要因だ。ウクライナのような深刻な事態が日本周辺で起きる可能性を排除できず、強い危機感を持っている」

「教訓を踏まえ日本がなすべきことは2つある。1つは自身の防衛力を過小評価されないよう抜本強化すること。そして米国の核を含む戦略で同盟国を守る拡大抑止をしっかり担保することだ」

――北朝鮮の核・ミサイル技術が向上している。ミサイル防衛で国を守ることができるとは思わない。

「ミサイル防衛能力を強化するだけでは国民の生命、財産を守れない。北朝鮮の能力が著しく高度かつ複雑になった。変則軌道で飛び、迎撃するのが難しくなっている」

「3つの分野を強めないといけない。ミサイルで目標をたたく反撃能力を保有し、迎撃能力を進化させる。ミサイル落下時の被害を最小限にする地下の避難用シェルターを増やして国民保護の態勢を整える」

――反撃能力をどう運用するか説明が足りないという指摘がある。

「国民との対話のキャッチボールはまだ足りない。我々も丁寧に説明をしていく。一方で手の内は相手に知らせないのが肝だ。運用に関わることを明かせば、相手に攻撃を思いとどまらせる力が低下する」

――米国は有事で日本を守ってくれるか。

「米国の核の傘で日本を守る策を話し合う『拡大抑止協議』を2010年から濃密にやってきた。6月下旬の協議では情報の共有や演習の質の向上、ミサイル対処力を強めると確認した。外務・防衛担当の閣僚レベルでも踏み込んだ議論をしている」

 米インド太平洋軍の前司令官は21年の米議会公聴会で、中国が27年までに台湾を侵攻する可能性を指摘した。米本土の部隊が駆けつけるのに3週間を要すると発言した。

――冷戦時代の自衛隊は2週間の継戦能力が必要だと言われた。今は3週間を耐え抜かないといけない。

「自衛隊が独力でどの程度頑張れるかは作戦運用に関わるのでコメントは控える。日本への侵攻について相手国が費用対便益を計算し、侵攻を思いとどまらせるようにできる態勢を速やかにつくる」

「国家安保戦略は27年度までに日本が主たる責任を持って日本への侵攻を阻止できるようにする目標を立てた」

米国に頼りすぎはリスク

――世界の力学の変化で日米同盟も変質した。

「これまではいざとなれば傍らにいる米軍の抑止力に頼れた。米国への依存が大きすぎると、米国内で費用対効果を問う声が出る。日本が自立的にできる部分を増やすことで同盟の対処力を強める」

――日本が自国でできることもある。

「平時の自衛隊は警戒監視や情報収集で力を発揮することが重要だ。人工知能(AI)や量子暗号など先進技術の優位性も維持しなくてはならない」

「日米豪、日米豪印などパートナーシップを広げる。インド太平洋地域や欧州の現状を守る勢力としっかり結束していくべきだ」

 防衛力の強化を下支えするのは強い経済力だ。日本の防衛産業は企業の撤退が相次ぎ、防衛力を裏付ける基盤が揺らいでいる。 

――民間企業の協力が欠かせない。

「防衛装備の研究開発や実装をより早くする。今までは新しい装備をつくるのに10年以上かかった。原型が出てきたらすぐに部隊に入れて戦力化し、研究開発と並行して能力を強化する」

――日本企業は防衛への関与を前面に掲げてこなかった。

「先進技術は今までの防衛産業だけではつかみ切れない。先行するスタートアップとの関係を築き上げていく。民生技術を防衛に転用する仕組みをつくり、官民を挙げて防衛装備の輸出も推進する」

「産業界だけではなく、アカデミア(学術界)とも連携を深める。アカデミアは長らく軍事にあまり触らない風潮が強かった。直接的な対話を始め、今の安全保障を理解していただくよう努力する。まずは距離を詰めていきたい」

――陸上自衛官の候補生が6月に小銃で3人を死傷させた。国民の安保への理解に水を差した。

「武器を扱うことを国家から許されている組織としてあってはならない。大変重く受け止めている」


























――自衛官の志願者が減っている。

「人材の確保と育成は大きな問題だ。女性の比率を現行の7~8%から50年までに14%へ引き上げる。出産や育児で退職しないような働きやすい環境をつくり、定着率を上げる。AIや無人化装備、民間の力で補う組織の構造に変えなければいけない」

「サイバーや情報、兵たんのスペシャリストを育て、上にも横にもとんがった人材を増やす。調整型のジェネラリストばかりだと現状維持思考のマネジメント能力にたけた人が増える。今は将来の方向性を示す現状変革型のリーダーシップこそ求められる」

よしだ・よしひで  1962年東京生まれ。筑波大付属駒場高から東大工学部に進学し、86年に陸上自衛隊入隊。2015年から国家安全保障局で総合的な安全保障戦略の立案に携わる。23年に陸海空の自衛隊を束ねる統合幕僚長に。防大以外の卒業者が統幕長に就くのは初めて。


経済や外交含む総合力を インタビュアーから
2023/7/30付日本経済新聞 朝刊

インタビューで印象に残った言葉に「一服の清涼剤」がある。防衛省・自衛隊は防大出身者以外を「一般大」と呼ぶ。東大出身の吉田氏は陸上自衛隊に入隊したばかりのころ、一般大の隊員同士で「われわれは自衛隊の『一服の清涼剤』になろう」と声を掛け合った。

防大出身者が多数の自衛隊の同質性は強みであり、弱みである。同質性は時に組織の維持、発展、深化の妨げになるからだ。吉田氏の起用そのものが激変する安全保障環境に対応するための自衛隊の深化への決意ととらえられる。

防衛力を強化して何を守るのか。国民の生命・身体・財産という死活的な国益をはじめとする平和と安定だ。経済成長を通じたさらなる繁栄、そして自由、民主主義、基本的な人権の尊重、法の支配といった普遍的な価値である。これらを国民の共通認識にする作業が防衛力強化への理解につながる。

防衛力強化は経済力と表裏の関係であり、経済成長が前提となる。東大在学中の吉田氏は大平正芳内閣が提唱した「総合安全保障」の考え方に影響を受けた。安保とは経済や外交を含む総合力である。「極めて重要な分野になる」という当時の確信が原点にある。

(吉野直也、竹内悠介)


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〔大機小機〕 日本経済の展望が見えない

2023年11月26日(日)

あまりお役人の評判がくない……らしい.
国は国なりに,地方は地方それぞれに,か.
それなりに志望者は少なくないのだろうが.

それで,じゃ,政治家はどうなんだろう、と思う.
役人をこき下ろす政治家が喝采を浴びたり,がんばっていると評価されたりする.
いや,昔,高級役人とトラブってクビになった大臣もいたか.
なんとかカードが前にすすまないのは,お役人のせいか……などと,
で,それ,ホントなのか?と思う.
そんな政治家にすり寄る役人も、少なくないのだろう.
国でも,地方でも.

でも,じゃ,具体的に,どういう役人の、どういうところ,どういう仕事ぶりが,
どのようにおもしろくない,ダメなのか……,
ちょっとどうなのかな,とも思う.

そういえば国の設置する調査研究機関がずいぶん名前を変えてきた.
なんとなく「無用の長物」みたいに扱われていないか……と思うこともある.
そうかな,と思うのだが,
民間の「調査研究企業」,シンクタンクとかいうらしいが,
そんな企業が繁盛したり,いや,もちろん民間部門で繁盛するのはなんら問題ではないけれど,
昔から「審議会」など,役人の隠れみのじゃないか,などとちょっと疑いの目で見られることもあったようだけれど,まぁ,それでもそれらはたいてい一応根拠となる法律などがあったな……,とするとそれなりに議会のチェックがはいっていたはずだ.
いつごろか,「○○会議」とか,「私的懇談会」……とか,いろいろ増えていたな,と思い出す.
議会はなんのためにあったかな,都原則論を思い出すだけではなくて,
国の調査研究機関はどうしているんだろう,とか,
地方でも独自にそうした組織を置くところがあったな,とか.

……そうして,別に経済だけじゃなくて,医療とか,生活保護などの福祉施策とか,「国土の均衡ある発展」とか見えないことはどんどん増えているんじゃないか,とも.
たぶん教育など,その最たるところがあるんじゃないか,とも.

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〔大機小機〕 日本経済の展望が見えない
2023/7/27付日本経済新聞 朝刊

20年余り前、日本の名目GDP(国内総生産)は世界の6分の1を占めていた。今や20分の1になっている。中国に抜かれ、数年後にはインドにも抜かれそうだという。ケタ違いの人口が大きな要因の一つだが、1人当たりのGDPもさえない。既に香港やシンガポールを下回り、今年は韓国に抜かれそうだという。

スイスの経営大学院IMDの「世界競争力ランキング」でも日本は今年、64カ国・地域中35位と調査開始以来、最低に沈んだ。一言で言えば「国力の低下」ということか。

こうした中で岸田文雄政権が掲げる「新しい資本主義」はどこに行くのだろうか。新自由主義への反動で生まれた「新しい資本主義」。格差是正や脱炭素社会など公益性重視を打ち出し、国民からも一定の支持は得ている。経済力が低迷するなか、こうした公益性をどう実現するのか。

分配政策重視の下で、力強い成長を実現する難しさは多くの歴史が教えるところである。岸田首相も分かっているのだろう。先週の経団連の軽井沢フォーラムでは「成長があってこそ分配ができる」と言い切っている。人口減少が進み財政難が続く中で、生産性や潜在成長力をどう高めるかが、やはり問われる。

政府の「新しい資本主義のグランドデザイン」には「成長と分配の好循環」「分厚い中間層の形成」「官民連携による社会的課題解決」と心地よい言葉が並ぶ。個別政策も網羅している。では労働力人口や産業構造、財政はどうなるのか。データに裏付けられた日本経済の骨格、将来の姿がはっきりしない。

マクロ経済運営の司令塔も不明確だ。政権内に会議体があふれる。「新しい資本主義実現会議」が軸になりつつあるのだろうが、「経済財政諮問会議」との関係はどうなのか。さらに「全世代型社会保障構築会議」「デジタル田園都市国家構想実現会議」「こども未来戦略会議」と並ぶ。会議相互の調整は不可欠だ。

担当大臣の存在感も薄い。何人かの官邸・官房スタッフが汗をかいているようにも見えるが、組織力が弱い。かつて長期経済計画策定などで統括機能を果たしていた経済企画庁は内閣府に統合され分析力、調整力の低下が目立つ。

司令塔がはっきりせずデータに裏付けられた展望がなければ、政策運営は無責任になるだろう。

(横ヤリ)

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〔私見卓見〕 行政サービスの信頼確保せよ 政策研究大学院大学教授(公共政策) 吉牟田剛

2023年11月19日(日)

自治体の仕事は間口が広い.
まぁ,国も同様か.

それぞれの部門に,仕事にふさわしい専門的な人材が求められる.
いや,どこかの町長の言い草じゃないけれど,嘱託のおばちゃんでもできる……だろうか.
戸籍や住民登録など,だれでもできる?……というわけでもないだろう.

じゃ,そんな人材は,どこにいるだろうか?

それから,神奈川県の海老名市が,職員の定員を増やすとか,
ほかの自治体との比較でも,少ないのに,人口は増えているから……ということらしいが,
一部の政党からは疑問視する声が上がっているとか.

思い返すと,土光臨調で,公務員の頭数を見直す動きが加速したのは,もうずいぶんむかしの話だ.
多くの自治体で,人が増えなくなったのだろう.
自治体での,過員による首切りなど耳にしないけれど,
それで人が増えないとなると,では,拡大する仕事のメニューへの対応はどうなるだろうか……,
もちろん仕事の量は増えるところも減るところもあるのだろうけれど,
仕事のメニューの変化への対応は,意外とむずかしいかもしれない.
民間はどうだろうか?

人の能力や適性というのは,そんなに強固なものとは思わないが,
それでも新しい仕事への適応には,相応の努力,いや投資が必用だと思うけれど,
誰が,どのように負担するだろうか.
いや,そもそもその変化の必要性を,だれが,どのように説明するだろうか.

とっくにリタイアした身としては,たいしたことは言えなし,言うべきでもないかもしれないけれど,
すこしばかり心配にはなる.
振り返ってみて,メディアや,ときの経営者や,政治家が声高に議論していたことが,どれほど現実のこととなったのだろうか.

メディアでは何も伝えられなかったけれど,
列島の国のマイナンバーカードに類するような取り組みが,カナダであって,
しかしうまくいかないということで,撤回されたとか,そんな話があった.
情報化が必要だ,とは思う.しかし,それが,マイナンバーカードなのか,本当によくわからない.
記事で取りあげられるような,わけのわからない「ポイント」ゲームもまた,同じか.

住民基本台帳というのがある.
紙のデータベースになるはずだったんだろう.
住民票ではないのだけれど,労使を含めて,どう考えているのだろうとは思う.
情報機器,システムの高度化にあわせる……ことも考えなくてはいけないだろうけれど,
その前にいくらでもやれること,やるべきことがあったように思う.
健康保険制度は,イギリス型になるのか,北欧のようになるのか,きちんとした議論なく,
中途半端なままになっている……ようにも見える.それでもほぼ皆保険なのだから,
そこでも臼こそ制度的な工夫がありえたのではないか,と思う.
保険者は違っても,みな同じ席に着いているのだから.
……などと,たらない知識をほりかえしながら,思ってはいる.

で,記事に関連して,デジタル化を民間にお願いして……ということでいいかどうか.
公務員の,公務組織の側の,もうすこし主体的というか,自らを省みて,自らを律する取り組み,
組織のあり方,人事のあり方,人材育成……,なんだかもうちょっと考えてよさそうだと思うし,
民間と言っても,いろいろだからな,と思うのだが.

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〔私見卓見〕 行政サービスの信頼確保せよ 政策研究大学院大学教授(公共政策) 吉牟田剛
2023/7/27付日本経済新聞 朝刊

国や自治体では民間のIT(情報技術)事業者に委託して、住民や事業者に迅速に行政サービスを提供する取り組みが増えているが、取り組みの内容や規模が拡大するにつれて問題も生じるようになった。

横浜市が物価高対策として80億円以上を投じた「レシ活VALUE事業」では、市民が市内で購入した際のレシートをアプリで投稿すると、その最大2割がポイントとして還元された。昨年秋と今年冬に計約80万人がアプリに参加した。しかし、アプリによって獲得したポイントが気づかないうちに失効しているとして、市民からの苦情が相次ぐことになった。

この種の問題解決には委託契約の内容と事業者の規約が重要となる。規約によると、最後にポイント付与を受けてから120日を経過すると、ポイント残高を失効させることができる。しかし、事業開始時の市の配布資料などでは、このことは特に触れていない。また、失効ポイントは事業者に入る仕組みとなっている。

事業開始時に、利用の呼びかけやアプリの登録方法だけでなく、ポイントの扱いなどは十分に周知されるべきだったろう。コンビニエンスストアなど民間事業者は、さまざまなポイント付与活動を行っているが、失効などの場合には事前に予告メールで周知されることが多いはずだ。

今後、ITを活用して行政サービスを円滑に提供するため、委託契約の在り方、事業者の規約内容に関し、ベストプラクティスの共有だけでなく、問題事例の分析、行政や民間事業者団体によるガイドライン策定などが必要だ。

特に行政と受託事業者の役割分担の明確化、ポイントなどの失効期間と通知、失効ポイントの扱い、消費者保護などの目安を示し、徹底することが消費者の信頼確保に欠かせないだろう。

岸田文雄首相はデジタル社会の実現には、国民の信頼が不可欠と述べている。マイナンバーの活用だけでなく、ITによる行政サービスを国民の誰もが安心して使えるよう、国、地方、民間が一体となって環境を着実に整備する必要があるのではないか。デジタル社会の司令塔としてのデジタル庁の役割に期待したい。
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(欧州季評)フィンランドの「ロシア人」 「ホーム」は決められる? 朴沙羅

2023年11月19日(日)

海外に行ったことは,ほとんどなかったけれど,たぶんこれからもほとんどないと思うけれど,
いちどデンマーク,スウェーデンに行った.小さなツアーにくっついていったのだけれど,
ついでにフィンランドもみてみたいと思った,叶わなかったが.

スウェーデンの人口10万人ほどの街で,
ここはスウェーデンの100分の1とか,その町の議員で,行政の福祉部門の責任者が語っていた.
その町を,ぶらぶら歩いていて,教会の建物だったか,壁に鍵十字の落書きがあった.
ちょっと驚き,でも,やっぱりとも思ったのだった.

フィンランドとスウェーデンが,NATOに加盟するという.
どういう議論があったか知らない.



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(欧州季評)フィンランドの「ロシア人」 「ホーム」は決められる? 朴沙羅
2023年7月13日 5時00分

 2022年3月3日、ヘルシンキ市教育部部長は市内の児童・生徒の保護者に対して「子どもたちと若者の日々の生活におけるロシア・ウクライナ戦争」という題名でメッセージを送った。そこには、「ヘルシンキの学校には、ロシアとウクライナ両方のバックグラウンドを持つ児童・生徒・教職員がいます」「もしいじめを発見した場合は、直ちに対処します」と書かれていた。程なく、地域の小学校に通っている上の子から、この「いじめ」の例を聞いた。ある日の昼休み、彼女の同級生の1人が、隣のクラスのパーヴェルを「お前、ロシア人なんだってな」とからかった。パーヴェルは「俺がロシア人で何が悪い」と言い返し、けんかになった。

 同年2月にロシアがウクライナを侵略した直後、フィンランドでは、ロシア料理店やロシア語の本を扱う書店が攻撃された。しかし、ロシア人差別の標的になったヘルシンキ市内のロシア料理店の店長は、自分をロシア生まれのウクライナ人だと述べた。ロシア料理を出していることで脅迫の電話を受けた別の料理店の店長は、自分たちのレストランはエストニア人とフィンランド人の夫婦によって設立されたと語った。

    *

 ロシア語話者は、フィンランドに住む移民の中で最も人口が多い。フィンランド統計局によれば、22年末現在、人口の8・9%は、「国語」(フィンランド語、スウェーデン語、サーミ語)以外の言語の話者だ。人口の1・7%にあたる9万3535人がロシア語話者だ。このロシア語話者の出身地には、ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・エストニア・ラトビアが含まれる。

 フィンランドは1917年までロシア帝国領であり、独立した時点で国内にロシア語話者がいた。さらにロシア革命後の数年間に、革命を逃れてソビエト連邦からフィンランドに移住した人々がいる。ソ連崩壊後に労働者や学生として、あるいは新興富裕層として移住してきた人々もいる。フィンランドの新聞カウッパレフティによれば、昨年の1年間で、ロシアからフィンランドへ、6千人以上が移住した。この人数は、ソ連崩壊直後に移住した人数より多い。他方、昨年5月には、ロシア系住民も含んだ団体が、ロシアのウクライナ侵略を支持する首都圏縦断デモを行った。

 移住した時期も出身階層も国籍も多様な人々は、フィンランドで長年にわたって民族差別の対象になってきた。店舗を襲撃されたロシア料理店の店長は、フィンランド国営放送局に「フィンランド人の多くは私たちを嫌っている」と語った。93年から2007年にかけて行われた調査で、フィンランドではロシア人とソマリア人が移民の「ヒエラルキー」の最下層におかれていた、と指摘する研究もある。ロシア政府によるウクライナ侵略は、ロシア人への差別という、フィンランドに以前からあった問題を再燃させたと言える。

 フィンランドに住み、ロシア語を話す人々は、移住の経緯も、地位や在留資格も、ウクライナ侵略に対する考えも異なっている。しかし、その多様性は、彼らを「ロシア人」として差別したり、彼らが「ロシア人」として行動したりする時には無視される。だから、「フィンランドには多様なロシア人がいる」と言うのは適切でない。そうではなく、誰かを「ロシア人」にする状況と、その状況で成し遂げられる事柄があるのだ。自分自身を含む多様な人々を「ロシア人」にすることで、人々は同級生を差別したり、匿名で脅迫の電話をかけたり、侵略戦争を支持するデモをしたり、ロシア文化への愛着を語ったりできる。

    *

 去年の夏休み前、私は家にパーヴェルの家族を招いた。パーヴェルの母であるオルガは、いわゆる日本のカレーを食べて「少しだけスパイシーなボルシチ」と言い、父であるゲオルギーは、「おいしいお茶っていいよね、フィンランドはコーヒーばっかりだから」と緑茶を喜んでくれた。

 それから、ゲオルギーは私に「サラの名字はコリアンだけど、日本から来たんだよね?」と質問した。私は「私は日本生まれ、日本育ちだけど、私の父親はコリアンだから」と答えた。するとゲオルギーは「日本人から『日本語がお上手ですね』とか『いつ韓国に帰るんですか?』って質問されない?」と尋ねた。私が「割と『日本語がお上手ですね』とは言われる」と答えた。ゲオルギーは「フィンランド人は、僕らの名前を聞いたら『いつロシアに帰るんですか?』って言うよ」と笑った。そして「うちの子たちには、フィンランドをホームだと感じてほしい」と重ねた。こうやって、私たちはお互いを「フィンランドにいるロシア人」と「日本にいるコリアン」にする。

 そして次の瞬間、物流会社で働くゲオルギーが「ところで、サラは京都から来たんだよね? メイシン・ハイウェイのキオト・ヒガシとキオト・ミナミの、どっちの出口が家に近いの?」と質問した。まさか名神高速道路の出口の名前をここで聞くとは思わなかったので、私は笑ってしまった。そう、どこが「ホーム」なのかを、私たちは互いにこうやって決めることもできる。

    ◇

 ぱく・さら 1984年生まれ。社会学者。神戸大講師などを経てヘルシンキ大講師。著書に「ヘルシンキ 生活の練習」など。

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<卓上四季>五つの輪の向こうに

2023年11月19日(日)


いつごろからだろうか テレビはよく見る というか 
つけっぱなしにしていることが多いのだけれど
スポーツ番組というのをあまり見なくなって さいきんはほとんど見ない……かな
なぜだろう 
東京オリンピックなど まったく見なかった いやニュースなどに流れる映像は見ていたけれど

仕事を辞めて……からではなく もうすこし前から
興味がすこしずつなくなってきたんだろう 
興味や関心はどこに向かったんだろう

……………いや 高校までは体育系のクラブ活動に参加していた
高校のころ 別段時代の流れに流されたなんて思ってはいないけれど 
「高校紛争」に巻き込まれた……じゃなくて 巻き込んだか
そのときも なぜか体育系のクラブの連中が仲間に多かった

オリンピックでいうと ロサンジェルス大会のころからとか言われるけれど 
プロスポーツのショービジネス化が言われていたな と思い出す


どこかの知事が オリンピック招致に関連して 「失言」が取り沙汰されていた
天皇の親戚とか お土産を持っていったと騒がれていたのは そんな遠いむかしのことじゃない

アメリカの大リーグの ヘンなルールは 一定の時間内に試合を終わらせるためとか言われる
ダラダラ試合をやられたら テレビの放映枠に収まらない ということらしいとか
いや オリンピックだって ずっと前から変な時間に試合が始まったりしていたじゃないか といわれそう


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<卓上四季>五つの輪の向こうに
2023年7月22日 05:00 北海道新聞

札幌の夏の風物詩、大通公園のビアガーデンがきのう始まった。黄金色の麦酒を楽しむ人々は幸せそう。木陰を伝って西11丁目に来ると目に入るのが、五つの輪のオリンピックのシンボルだ。世界で最も知られたデザインの一つである▼近代オリンピックの父、クーベルタンが考案し、1914年に発表された。ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアの五大陸の統合と連帯を表す。青、黄、黒、緑、赤の色は特定の国や地域を示すわけではないが、のびやかな広がりを感じる▼クーベルタンは「オリンピズム」を提唱した。スポーツの力で心身ともに調和のとれた人格を育てる。そしてオリンピックの場で互いを理解し、平和で幸福な世界をつくる―。五輪のマークにも通じる▼この気高い理念を汚したとしか思えない。あすで開幕から2年となる東京五輪のことだ。利権がはびこった「祭典」の裏側は、汚職や談合の裁判が明らかにしつつある。けれど全容解明にはほど遠い。責任の所在もはっきりしないままだ▼世界から集まり、力の限りを尽くした選手たち。その姿には感動を覚えたが、大会全体のイメージはどこかぼんやりしている。コロナが猛威を振るっていたせいなのか▼大通公園の五つの輪は東京大会を機に設置され、72年の札幌冬季五輪も記念する。輪を通して見る夏空は澄み切っていた。なのに心は晴れない。2023・7・22
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海のアルメニア商人 アジア離散交易の歴史 (重松伸司 集英社新書)

2023年07月20日(木)

新書一冊,
重松伸司
海のアルメニア商人 アジア離散交易の歴史
集英社新書
を読む.

興味深く読む.
読みやすい……けれど,ちょっと物足りないところもあったかな.
というか,たぶん本書で紹介されるアルメニア通史を承知していないと,追いついていけないんだろうな,こちらの知識不足か.

ついでにむかしのことを思いだしていた.
いや,たいしたことではないのだけれど,高校の歴史,世界史と日本史.
というか,世界史の教師と日本史の教師.
いまでも印象に残っているのは,日本史の教師.発表授業とかいって,生徒が自分でテーマ,参考書を選んで,発表をする、そんな授業.
呼び方はいろいろあるんだろう.
そういう趣旨の歴史教育のあり方を考える教員集団があったのだそうだ.
ずっと後になって,ネットで調べていて、教師の名前を発見したのだった.
で,アルメニア? 
いや,教科書のレベルでは,もともと無理があったのだろうが,
それにしてもいったいなにを学習していたのだろう,と思い返す.
あるいは,たんに教師が嫌いだったんだろうか.
いまメディアをにぎわせているロシアーウクライナなど,はたしてどれほどの「」を学んだだろうか.

戦後,若手の歴史研究者の座談会で,
世界史(事実上西洋史),東洋史,日本史を統合する歴記教育に言及されていたと聞く.若手は、やがてそれぞれのジャンルの「大家」にでもなったか,戦後間もないころの志はどうだったんだろうか、とも思うが,
そんなことをちょっと思い返しながら.

ユーラシアの西の端の辺境地帯が、なぜ世界史をつくったのだろうと、ちょっと考える.しかし,その世界史に,アフリカや,中央アジアや,中南米はどのくらい織りこまれただろうか.
極東の島国は,新しい歴史教育をめざすらしいが,新しい皇国史観にならないことを祈ろう.

でも,たぶんもっと時間と空間を拡げた,そう通史のようなバックグラウンドがないとちょっと物足りないというか,食い足りないというか.
でも,一般読者が簡単に読める,こうしたジャンルの本がもっと増えるといいんだろうな.


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海のアルメニア商人
アジア離散交易の歴史

重松伸司

集英社新書 1160D

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目次

はじめに      8

第1章 アルメニアン・シルクロード      18
    カスピ海と黒海のはざま/離散の民からコスモポリタンへ/
    農業の民から商業の民へ/カントの「アルメニア商人説」/
    ユーラシア内陸の広域巡回商人/国際商都ジュルファの陥落/
    新ジュルファの建設/新都を拠点とする交易回廊/西のアルメニアン交易回廊/
    交易都市を結ぶ情報回廊/「交換」の場、フンドゥク/
    北のアルメニアン交易回廊/東のアルメニアン交易回廊/
    なぜアルメニア商人の広域交易は可能だったのか/ウサギの目と耳と脚/
    帝国間の覇権争い/ユーラシア内陸交易の衰退



第2章 陸と海のインド交易回廊      47
    ホヴァンネスのインド交易路/コスタンドの交易録/
    ラホールのアルメニア商人たち/アーグラのアルメニア人高官/
    スーラトのアルメニア人司祭/アルメニア商人の海洋進出は早かった/
    インド~東南アジアの航海ルート/ザファル青年が語る旅の記録/
    陸と海を結ぶ鞘どり交易

第3章 アルメニア商人とイギリス東インド会社      64
    イギリスと手を結ぶ/一六八八年協約/
    内陸ルートから海上ルートへ/
    主協約書の内容/EICの意図は/
    EIC、アルメニア商船を利用/内陸都市から海港都市へ/
    アルメニア商人のゴールデン・トライアングル

第4章 アルメニアン・コミュニティの家族史
       ――ホヴァキム家の事例      79
    シンガポールのアルメニアン・コミュニティ/シンガポールのホヴァキム家/
    起業家パルシク・ホヴァキム/東南アジア、インド、イギリスを結ぶ一族/
    園芸愛好家の母娘ウレリア、アグネス、サラ/新種のラン発見/
    国花となったヴァンダ・ミス・ジョアキムと交配論争/
    論争はどう決着したか/家族史から現れる姿

第5章 アジア海域のアルメニア海運      102
    アジアの海運同盟/カルカッタ航路の争奪/大阪商船の調査報告/
    日本郵船の調査報告/アプカー商船の創業/BIリストの中のアプカー船舶

第6章 アルメニア商船の日本就航      123
    居留地記録のアプカー商船/アルメニア商船の神戸入出港/



    アプカー商船と有力商会/C・イリス商会とアルメニア号/
    コーンズ商会とP&O/ブラウン商会とアプカー商船/バーナード商会/
    ホーム・リンガー商会とアプカー商船/アルメニア商船の長崎入出港/
    特別輸出港とアプカー商船

第7章 アルメニア商人の居留地交易      142
    アルメニア人、A・M・アプカー/
    『ジャパン・ディレクトリー』に見るアプカー商会/横浜アプカー商会の変遷/
    横浜七〇番館アプカー商会/関東大震災と神戸への避難/神戸のアプカー家/
    神戸アプカー商会一八九八~一九二八年/アプカー商会の交易品/ニッチ交易

第8章 アルメニア通り・教会・ホテル      169
    アジアのアルメニア通り/カルカッタのアルメニア人街/
    アルメニア人街の住人たち/カルカッタのアルメニア人家族/
    南アジア・東南アジアのアルメニア教会/アルメニア人のホテル経営/
    アルメニア人のクラシックホテル創業/
    東南アジアのホテル王、サーキーズ四兄弟/アルメニア人経営のクラブホテル/
    名前・国家・宗教

おわりに      196

謝辞        202

図版作成/MOTHER






   はじめに


 アルメニアについて語ろうとすれば、避けて通れない言説がある。それは、「緩衝地帯」「ジェノサイド」「交易の民」だ。
 アルメニアという民族と社会は、大国の干渉・侵略、離散という絶え間ない政治変動に翻弄されてきた。アルメニア人の歴史家ブルヌティアンのアルメニア民族の通史はそうした史実を余すところなく描いている。同書は邦訳にして本文四五〇頁、巻末年表三〇頁の大著である*1。
 有史以来の二〇〇〇年以上の間、アルメニアの置かれていた立ち位置は、次々と勃興する帝国のはざまにあった。ローマとパルティア、ササン朝とビザンツ、ビザンツとアッバース朝、神聖ローマとイル・ハン国、サファヴィー朝とオスマン帝国、オスマン帝国とロシア、ロシアと西欧列強諸国……。アルメニアはこれらの大国が引き起こす緊張と対立と紛争の緩衝地帯となり、その均衡が破れるや侵略を受け、侵略の挙句に離散や虐殺という運命に追い込まれた。そのことが同書の「年表」には淡々と記されている。紀元前四〇〇~三○○年の間には、「自治」「独立」を果たし、紀元前八〇年頃には最大版図を得るが、数世紀も持続することはなく短命に終わった。アルメニアが実質的な独立を果たしたのは一九九一年、わずか三〇年前のことである。

 アルメニアについての重要な言説は「ジェノサイド」だ。この用語自体は二〇世紀半ばから使われ始めたのだが*2、ジェノサイドの実態は紀元前後から発生している。一九世紀以降に限っても、少なくとも三度、一八九五~一八九六年、一九〇九年、一九一五~一九二二年に民族の虐殺が発生しているが、今もなお実態の解明は不十分である*3。
 ジェノサイドとは集団虐殺に限らない。ライフ・ベース、つまり食料・水・住居のインフラをはじめ、移動、定住、家族、職業、信仰……人びとが生存の基盤とするあらゆる自由を絶たれることである。そうした歴史的な悲劇はアルメニアだけではなく二一世紀の今日もなお、世界のあちこちで繰り返されている。その惨状たるや、地域や民族を問わず、新たなジェノサイドの時代ではないかと思わされる。

 ジェノサイドから逃れる手段の一つは民族の分散逃避であるが、それは難民となり離散(ディアスポラ)という結果をもたらす。正確に言えば、離散は結果ではなくして、その前後に「いかに生き抜こうとしているか」という意思と、「どう生き抜いてきたか」という現実がある。本書の主たる関心は、干渉や侵略や虐殺という政治・社会状況の直接的な実態の解明ではない。アルメニアの人びとが「いかに生き抜こうとし、生き抜いてきたか」という営為を、「アジアへの離散と交易」という史実の視点から描くことにある。
 当然のことだが、離散アルメニア人の実態を網羅的に紹介することは難しい。
 本書は、筆者がアジア各地で出会った人びとへのインタヴューと、さまざまな歴史遺跡、関係史料にもとづく現場確認、「フィールドワーク」から得られた成果の一端である。二〇○○年頃から、筆者はベンガル湾沿岸域のインドのコルカタ(旧カルカッタ)を中心に、チェンナイ(旧マドラス)、バングラデシュのダカ(旧ダッカ)、ミャンマー(旧ビルマ)のヤンゴン(旧ラングーン)、シンガポール、マレーシアのマラッカ、ペナンなどの港町でアルメニア商人についての史料収集と墓碑調査を行ってきた*4。インド・東南アジアのアルメニア人のコミュニティについては史料も情報も少なく、あっても断片的で、在留アルメニア人の関係者もなかなか現れず、調査は困難を極めた。
 しかし、調査を進めてゆく中で新たな事実が明らかになってきた。数少ないアルメニア人コミュニティの中で、香港(ホンコン)で事業を興し、アジアのアルメニア人救済者として敬われ、後にはアルメニア人として初めて「サー」の称号を授与された実業家ポール・チャターや、一八六〇年代から海運、海上保険、炭鉱業など手広く事業を営んでいたアプカー一族などが、旧カルカッタに拠点を置いていたことなど、さまざまな事実が断片的ながら浮かび上がってきた。

 かつてイギリスの植民地領であった旧カルカッタは、アジアにおけるアルメニアン・コミユニティの「拠り所(よりどころ)」であった。現地のインド人はほとんど気付かないのだが、今もなお同市の下町、安宿が軒を連ねているサダル通り近くには、入り口に「アルメニアン・カレッジ」と大書されたゲートがある。周囲は高い塀で囲まれ、ゲートでは複数の警備員による厳しいチェックが行われていて、外部からの訪問者をよせ付けない。筆者は幾度となくこの施設に通い、電話をかけ、訪問の趣旨を伝え、一週間後にようやく扉が開いた。中は二万平方メートルもあろうか、幾棟かの建屋と運動場があり、一〇〇人ほどの若いアルメニア人の男女が生き生きと生活していた。
 数回の訪問の後、やっとのことでその責任者であるアルメニア人、ソーニア女史の信頼を得て、彼女の紹介でコルカタ市内のアルメニア人施設や教会や墓地、さらには同市北部のチンスラー、バングラデシュの首都ダカのアルメニア教会と管理人を次々と訪ねることができた。しばらく通ううちに、コルカタの南・北の郊外にも高い塀に囲まれたアルメニア人の関係施設があることを知った。それらの区画内には管理事務所のほかに、生活施設や学校、養護院、教会、墓地なども併設されていて、老人や壮年のアルメニア人がともに生活している施設もあった。ここには、周囲のインド世界とは全く隔絶した「アルメニアン・アジール」ともいえる空気が充満しており、南アジア在住のアルメニア人の安息の場であることが伝わってきた。

 帰国後、筆者はアルメニア友好団体の関係者や居留地研究者の案内で、横浜山手外国人墓地や神戸市立外国人墓地にはアプカーやほかのアルメニア人の墓碑が残っていることを知った。
 幕末・維新期の当初に、旧居留地にアルメニア商人が到来したことも明らかになった。改めて函館、横浜、神戸、長崎の旧居留地や外国人墓地、彼らが商会を置いた大阪や門司の市内、居留地外国人の保養施設があった神戸、その西郊の舞子、塩屋、北郊の有馬など旧跡を訪ね回り、史料をしらみつぶしに当たった。
 その結果、函館の居留地関係史料にはアルメニア人らしい人名も墓碑も見当たらないことが判明した。だが、ほかの居留地では商会や海運会社、ホテルなどアルメニア商人関係の史料が次々と現れた。

 ところで、アルメニアという国名やアルメニア人という民族名は、我々日本人の認識からは遠く、深く理解されることはほとんどなかった。インドで活躍していたアルメニア人が、南シナ海、東シナ海を経て、やがて中国や日本にまでやってきたという事実も知られることはなかった。

 近世のユーラシア大陸では、アルメニア商入は「陸の巡回商人」として活躍していた。そうした史実は第1章で紹介するように、これまで海外の研究でかなり明らかになっている。しかし、近代になると彼らが「海の商人」に変貌し、インド・東南アジアを経て東アジアにまで到来したという史実はほとんど明らかにされてこなかった。では「陸の巡回商人」が「海の商人」に転身した背景には何があったのだろうか。

 筆者の関心は近代の国際交易史にはない。小民族であるアルメニア人の移動に関わる動機や背景、海域での交易活動や彼らの交易圏の広がり、そして、彼らを結びつける「ネットワーク」、彼らの拠り所(アイデンティティ)、そしてアルメニア海商とイギリスやフランスなど強大な海洋帝国との関わりがテーマなのである。

 本書におけるアルメニア商人の交易の主な舞台は、近代におけるベンガル湾からマラッカ海峡、日本に至る海域世界である。彼らの活動は実は香港や上海(シャンハイ)、厦門(アモイ)などの中国各地、ウラジオストックなどにも及んでいた。そのことは「チャイナ・ディレクトリー」や「チャイニーズ・レポジトリー」などの記事から断片的にうかがえる。しかしながら、これらの地域での史料収集や現地調査の機会がなかなか得られず、しかも政情の変動などでここ十数年の間、調査のめどは立たず、ついに断念せざるを得なかった。中国におけるアルメニア商人の活動については、極めて重要なテーマなのだが、史実検証を今後の研究に俟(ま)たざるを得ない。

 近代アジア、特に南アジアから東アジア一帯のアルメニア商人の実態については、一般書はもちろん国内外の専門研究でさえも多くはない。本書はいわばその端緒、出発点である。アルメニア人による最新の研究を取り上げつつ、本書の内容に関連する一般向けの邦語文献や翻訳書もできるだけ紹介しておきたい。
 それでも史料の欠如や論証の不十分な点があるだろう。それはひとえに筆者の責任である。今後の研究の深まりの中で補足修訂していただきたい。
 なお、本書では次の点に留意した。

1 歴史的用語や人名・事件名は、基本的に邦語表記とした。
2 本文での人名・地名は、基本的に近代の表記とした。
3 本書では、「離散アルメニア人」と「在外アルメニア人」という用語・概念を使い分ける。
4 文献を参照した箇所には註番号を付して、各章末に一括してまとめた。



*1 ジョージ・ブルヌティアン著、小牧昌平監訳、渡辺大作訳『アルメニア人の歴史――古代から現代まで』藤原書店、二〇一六年。原書:George A.Bournoutian,A Concise History of the Armenian People:from Ancient Times to the Present,Mazda Publishers,2012
*2 一九四八年一二月九日の国際連合総会において採択された条約によって初めて承認された「国際的な犯罪」。一九四四年にユダヤ系ポーランド人ラファエル・レムキンによって提唱された用語・概念である。主としてホロコーストがユダヤ人に対する、ジェノサイドがアルメニア人に対する民族抹殺を含意したが、今日ではより広くさまざまな民族集団に対する非人道的な犯罪を意味する概念として用いられている。
*3 松村高夫・矢野久編著『大量虐殺の社会史――戦標の20世紀』ミネルヴァ書房、二〇〇七年、第一章「トルコにおけるアルメニア人虐殺(一九一五~一六年)」。
*4 重松伸司『ベンガル湾海域文明圏の研究――アルメニアン・コミュニティの社会組織とその活動』〈調査研究基礎資料〉、「海域学」プロジェクト関連事業成果報告書、立教大学アジア地域研究所、二○一四年六月(未公刊)。





   おわりに


 近代における離散アルメニア人はいったいどのような特徴を持っていたのだろうか。これまで語ってきたことをまとめてみたい。
 第一に、アルメニアン・コミュニティの離散の「体験と記憶」である。
 近世から近代への過渡期に差し掛かったアルメニアは、ユーラシア内陸の激動の渦中にあった。そうした状況が離散を誘発した一つの要因であったことは事実だ。しかし、イスファハンの新ジュルファに定着した近代以降のアルメニア人の離散は、それ以前にロシアや西アジア、地中海やヨーロッパへと展開したアルメニア人の状況とは大きく異なる。南アジア、東南アジア、東アジアに離散したコミュニティには共通の経験が見られる。それは、アルメニアという民族に付随する「歴史的な負の記憶」が必ずしも顕著ではなかったことだ。具体的に言えば、これら移動先の地域ではアルメニア人をめぐる深刻な民族紛争が起こることは稀で、また彼らが「緩衝の地の民」として絶えず分断され、抹殺されてきたという歴史上の記憶もなく、抹殺すべきだという移動先の民族による意識も、ほとんどなかったのではないだろうか。
 そうした離散民側と受け入れ社会側との問の「民族的な負の遺産」が強く意識され、民族意識の自覚に結びついたのは、一九一五~一九二二年のオスマン帝国によるジェノサイド以降のことである。それまでこれらの地では離散アルメニア人は比較的に「安住の状況」にあったといえよう。
 こうした近代における「安住の状況」は、一面ではイギリスとの関係によっても補強されていった。
 「一六八八年協約」によって、アルメニア人は「イギリス人に準じた人々」としての地位・身分を担保された。結果的には彼らは近代のインド、東南アジア、中国、日本の居留地や植民地コロニストでは、支配者とは言えないまでも準植民者として遇され、自由な活動が可能な立場にあった。それに対して、植民地支配下にあった華僑・インド移民は圧倒的に被支配者の立場であり、収奪の対象であった。近代の「離散」状況について、民族によってこのような相違があったことは記憶されるべきではないか。
 第二に、離散アルメニア人の「社会的・経済的地位」である。本書で取り上げた離散アルメニア人の多くは専門的職業人であった。いくつかの事例で挙げたように、彼らは貿易商・仲介商人・保険事業者・投資家・企業家であり、また専門職の弁護士や技術者であったし、社会的には現地の慈善家でもあった。彼らの多くは政治から一定の距離を置いてはいたが、現地の社会・経済・文化面では相応の影響力を持つ名士であった。それは東南アジアの華人有力層にも共通するのだが、「移民エリート」の典型でもあったといえる。
 もちろん、「モノ言える人びと」だけが離散アルメニア人ではない。記録には残らない数万・数十万・数百万のアルメニア人がいた。そのことは本書では記せなかったが、少なくとも本書で述べたアルメニア人が彼らの代弁をしてきたのではないかと考えることもできる。
 第三に、離散アルメニア人、特にアルメニア商人は「ニッチの民」だという特性である。ニッチとは、辞書上は「くぼみ」あるいは「隙間」という意味だ。しかし、それは単に小規模な、あるいはマイナーな商品の交易のみを行うという意味ではない。アルメニア商人としての独自の商品や商法やルートあるいは領域において力を発揮する、いわばアルメニア人独自の「領分」という意味である。例えば「鞘どり交易」や、海洋帝国が扱わないが有用な資源の交易である。そうした生き方は、ほかの大勢力にも侵されず、対抗せず、そして併存する関係、共生関係の生き方ではなかったかと筆者には思える。
 近代のアルメニア商人の場合、各国・各地域の商会の存在と商会間の関係は独特である。「のれん分け」のようにして各商会が各地で独自に存在しており、本社-支社といった支配・従属型の強いネットワークがあったわけではない。資本・商品・人事・輸送路・契約先などについて、本社からの強い規制があったわけでもない。そうした傾向は、カルカッタの本社とシンガポールやペナン、香港や神戸などに支社を持つアプカー商会の場合にも見られる。それはアルメニア人の「分散し生存する」というサヴァイバル戦略ではなかっただろうか。つまり、一つの商会(組織)が消滅してもほかの商会(組織)が生き延びるという、いわば細胞の分裂と生存に似た知恵であっただろう。この点において、第1章で見たような近世の広域巡回交易における新ジュルファ(ピヴォタル・センター)と各商都(ノーダル・タウン)との関係とは異なると考えられる。
 第四に、コミュニティの「紐帯(ちゅうたい)」である。離散アルメニア人の大多数は「家族(ファミリー)」を単位とする移動・定着を行った。この点で、華僑・インド移民の多くが単身男性の出稼ぎ移民であることと大きく異なる。とはいえ、アルメニア人の「家族」とは、おおむね一親等か二親等までで、あえて言えば「直接にコンタクトできる範囲の血統を絆(きずな)」とする結びつきであろうか。この点で、宗族や同族・同姓・同郷・同胞意識の共有による、広範で複合的な規範を持つ華僑社会のネットワークとも、ヒンドゥー系インド移民に見られるカースト・同郷・同宗といった「伝統的集団主義」とも大きく異なり、またユダヤ教を共有規範とする根強いユダヤ人の同胞意識とも異なる。離散アルメニア人としての共通の同胞意識や相互扶助の関係は顕著には見られないように思える。見方を変えれば、一面で合理的な利害共助の関係性であり、他面で非合理的でそれゆえに強靭(きょうじん)な結びつきという関係を排除して「目に見える範囲での関係」にとどまっていたのだとも考えられる。こうした関係性が離散の状況に起因するものなのか、アルメニア人の民族性なのかは明らかではない。
 第五に、「宗教とアイデンティティー」の関連である。
 アジア各地における離散アルメニア人のアイデンティティーについて、アルメニア教会やアルメニア人の信仰や氏名といった属性から掘り下げた。
 これまでの通念として、個々のエスニックやエスニック・コミュニティの結束には、強い宗教意識があると考えられてきた。離散・定住を問わず、アルメニア人のアイデンティティーの核にはアルメニア教会の信仰があると見られてきた。しかし、アジア各地の墓碑銘、名士録、商工名鑑、改宗審問書などのさまざまな記録から浮かび上がってくるのは、離散アルメニア人の信仰がアルメニア教会やカトリック、イスラーム教あるいはユダヤ教など、個人によっては無宗教と、実に多様であることだ。またアスラニアンが指摘するように、「カトリックへの改宗も便宜的、実践的であり、融通無碍(むげ)」なのである。単一の強固な宗教的信仰がエスニックのエトスだという考えは必ずしも自明なものではない。出自の多義的表明と宗教信仰の多様性とは、彼らの「戦略的アイデンティティー」の一つと考えられるだろう。
 最後に、アルメニア商人の活動から見えてくることがある。二一世紀における世界では「逃走という生き方」もあるのではないのかということである。それは離散アルメニア商人の現地調査を続ける中で次第に醸成されてきた筆者の個人的意識である。「逃走」とは「逃亡」ではなく、「敗北」でもない。離散しつつも新たな「アイデンティティー」が兆し、それを世界のどこかで醸成する一つの方策であり、二一世紀においては積極的な生き方ではないのかということだ。
 国家がアプリオリに存在すると当然のように信じ、自分たちはその国家に自明の如く属し、「国民としての意識」を保持するという生き方は、やがては行き詰まってゆくのではないだろうか。
 では、それに代わり、それを超克する我々の生き方とは何なのか。一言で「コスモポリタン」というには安易にすぎるが、それに代わる「積極的な意味での逃走」という概念と具体的な方策を我々が模索しなければ、二一世紀は衰亡の世紀になるのではないかとも感じている。





謝辞


 本書の刊行にあたって、次の研究・資料館や研究者、友人の方々に大変お世話になりました。
 関西大学図書館、神戸市文書館、神戸市立中央図書館、兵庫県立図書館、横浜開港資料館、ゼンリンミュージアム(北九州市)、長崎歴史文化博物館、京都大学東南アジア地域研究研究所、神戸大学海事博物館、コルカタ・アルメニアン・カレッジ、チェンナイ・アルメニア教会、シンガポール国立図書館・公文書館、シンガポール・アルメニア教会、有馬郷土史資料館からは、関達資料の閲覧の便宜や資料の提供をいただきました。
 また、アストギク・ホワニシヤン、メリネ・メスロピヤン、ゲヴォルグ・オルベイアン、クレメント・リャン、谷口良平、木下孝、頼定敬子、森本治樹、長島弘、中島偉晴、大村次郷、弘末雅士、山口元樹、旦匡子、谷口義子、吉田佳展の各氏からは、史料や現地情報の提供をいただき、また、神戸、長崎、コルカタ、ペナン、ジャワ島での現地調査をご案内いただきました。調査の中で出会い、さまざまな貴重な話をお聴きした現地の人びとにもお礼申し上げます。
 執筆の途次では、堀本武功、上田周平、大麻豊の各氏からコメントや激励をいただき、執筆断念の危機を越えることができました。
 本書の海外調査には大同生命国際文化基金の「大同生命地域研究賞」、日本学術振興会の科学研究費助成事業による「海域学・渡海者」研究プロジェクト(代表:上田信・立教大学文学部名誉教授)の研究分担金が大きな支援となりました。
 刊行にあたっては、集英社新書編集部の金井田亜希編集長と校閲担当の方々からは、多くのご教示・ご批正をいただき、心からお礼申し上げます。長期にわたって気ままな研究を支えてくれた妻の紀子と子供たちには、感謝のほかありません。
重松伸司
s.shigemat⑨gmail.com

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1975年の記者会見の映像を見る あわせて被爆の模様を掲載したアサヒグラフの目次

2023年7月16日(日)

Twitterに投げ文 いや映像だから なんというか
記者会見自体はもっと長かったんだろう.
質問は お役所経由で あらかじめ本人にも伝えられ
お役所なかでいろいろ考えて 
この辺で という原稿でもつくられただろうか
あるいは 天皇自身の考えや思い 感想などが織りこまれることもあっただろうか

でも 率直にいって 気の毒だがやむを得ない だろうか?
戦争だからやむを得ない ということであれば 
おそらく戦争当事者たちはそう思っていただろうとは考えるけれど
さて どう考えるか

朝鮮戦争時に マッカーサーは原爆投下を求めていたとも聞くが
やむを得なかったか

映像の中で えー というような言葉が何回も繰り返されるけれど
なんというか 個人の思いの中でいろいろ考え 思案し 逡巡したりしていたのか
ともみたけれど

質問が 広島についてだったのだろう
原爆は 長崎にも落とされているのだけれど まったく触れられていない
なんでだろう といつも思う

まぁ 広島も 長崎も 軍事との関係が濃かったとは思う
だから目標に選定されたとか 
まぁ 長崎は 第一の候補が天候不順で と聞いたこともあるけれど

ついでに 原爆にかかわる写真が 戦後はじめて?掲載されたアサヒグラフ
復刊されないかな
 

…………………………………………………………………

天皇・皇后の記者会見の映像
1975年10月31日

えー この えー 
この原子爆弾が えー 投下されたことに対しては
えー えー 遺憾に思っていますが
えー こういう戦争中であることですから
どうも えー 広島市民に対しては気の毒であるが
やむを得ないことと わたしは思っています


…………………………………………………………………

アサヒグラフ 1952年8月6日号のもくじなどは……


識別コード Z0051.4A0020055
書名 アサヒグラフ 1982.8.10 増刊 原爆の記録総集編
巻数 1982.8.10 第3100号
著者
出版者 朝日新聞社
出版地 東京
出版国 日本(JP)
出版年 1982/08/10
言語区分 日本語 jpn
頁数 122
大きさ (cm) 34
ISSN


目次
原爆に消された都市(広島・長崎) 3
広島 11
広島無残(被爆当日の記録) 12
混乱の中の救護活動 16
悲惨な被爆者たち 20
閃光熱線爆風の爪あと 24
ヒロシマ、この炎の下に(米軍撮影) 29
「原爆の図」(丸木位里・俊作)/丸木夫妻の「原爆の図」
河北倫明 35
廃嘘の図(広島・長崎パノラマ) 39
長崎 43
長崎無残(投下翌日の記録) 44
魔の火球に焼かれた 52
ゴーストタウン・ナガサキ(米軍撮影) 58
われわれはヒロシマに原爆を投下した「エノラ・ゲイ」
の乗組員たち 64
ものいわぬ証言者(広島・長崎資料館) 37
第三の被ばくビキニに降った"死の灰"第五福龍丸事件の記録 75
再録・アサヒグラフ昭和27年8月6日号 75
特集「原爆被害の初公開」全ページ 82
あれから37年、新たな核の恐怖が…
果てしない米ソの核軍拡(イラスト・写真) 107
変わる米ソの核戦略 阪中友久 113
米ソ宇宙兵器開発大作戦 井戸剛 118
●証言と記録
相原秀次 9
松重美人 14
宮武甫 19
服部達太郎 22
林重男 27
未発表・陸軍調査報告書 32
山端庸介 47
松本栄一 54
岩倉務 59
〔表紙写真〕
南太平洋ムルロア環礁で行われたフランスの水爆実験(WWP)
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学校図書購入費、計画の6割弱 21年度

2023年11月11日(土)


もうずいぶん前のことになるけれど,
公立図書館と学校図書館の連携ができないか,としばらく模索していた.
といって,たいしたことをやっていたのではない.
学校図書館のコレクションが,とても貧困である,
ということが,たぶん学校側にとってもはっきりしていたのだろう.
そのうえで,そうした貧しさを,公立図書館の本をまとめて学校に貸し出すことで,すこしでも補ったらどうか,となった.
もちろん漫然と公立図書館の本を,学校の図書室に飾ればいいというのではなく,
なにかテーマを決めて,学校側にとって喫緊の課題であるような,あるいはカリキュラム上重要な,欠かせないような本を見繕って,読み手にあわせながら選書して,貸しだそうということだったかと記憶する.

ぼちぼちパソコンなどの情報機器が,学校にも,図書館にも入り込みつつある時期だったろうか.
それはそれで大きな課題になる……とは思ったが,そのことも含めて,図書館の可能性を探っていこうということだったか.

ただ,対象となったのは小学校,教員がどの程度考えていたか,知らない.
しかし校長は,とても積極的だった.
その後,どうなっただろうか.

それにしても,本の紹介というと,すぐ小説の類がでてくることが多い.
世の中に流通する書籍のタイトルで,では小説はどのくらいなのか,と考える.
あるいは,こどもの本なるものが,よくとりあげられる.絵本とか,童話とか,あるいは子ども向けの翻案された文学作品とか.
それがいけないこととか言うわけじゃないけれど,
本の世界は,ずっと,ずっと広く,大きいのだと思う.

で,媒体として,本や雑誌などと情報機器,PC,スマホなどと,さてどう違い,どう同じなんだろうとは,むかしから興味がなくはなかったけれど,
最近はやりのAIなど,どう考えればよいのか,すこしはぼんくらの脳みそをかき回してみようとは思う.

それにしても、小学校,中学校,高校,さてどんな図書室があるのだろうか.
さいきんも図書購入葉酸のかなりの部分が図書購入以外に、たとえば冷房のための電気代などに使われていたとか,そんな自治体の例が報告されていた.
もともと学校の図書室を強化しようなんて自治体を、あまり聞いたことがない.どうなんだろうか.
下手すれば大学だって同じか.
アメリカの大学図書館の話を聞いたことがあったが,大量の副本がある……というのがあったけれど,それは,教員が指定した本を学生たちが借りることができるように,ということだったか.
この国の大学図書館はどうなんだろう.
建物の新築などはよくニュースに出てきたりするけれど,蔵書がどうなのか,あまり聞かない.
まぁ,その程度なんだろうか.





―――――――――――――――――――――――――

学校図書購入費、計画の6割弱 21年度
用途は自治体の裁量
2023/7/14付日本経済新聞 夕刊

公立の小中学校と特別支援学校小中学部に対する学校図書館(図書室)の図書購入の決算額が、2021年度に国が措置した地方交付税交付金の6割弱にとどまることが文部科学省の調査で分かった。交付金の使途は自治体の裁量によるため、別の用途に回されたとみられる。

対話型人工知能(AI)「チャットGPT」の躍進が続く中、探究学習などで情報活用能力を育む図書室の重要性は増しており、図書の充実が課題になっている。

文科省が今年3月に全国の自治体を対象に決算額をまとめた。21年度は220億円を不交付団体以外の自治体に地方交付税で配分。市区町村立の小中学校は約126億円、県立特別支援学校小中学部は約1億円を図書購入費に充てており、国の計画に対する決算額は6割弱にとどまった。

文科省によると、地方交付税で措置された額に対する決算額の割合は年々減少傾向にある。担当者は「決算額が増加するよう目指しているが、自治体によっては図書の整備状況に差が出ている」と指摘した。

専修大の野口武悟教授(図書館情報学)は「子どもが紙もデジタルも両方使いこなせる環境をつくることが大切。図書室は学びを支える基盤で、自治体は格差が生まれないよう適切に予算化すべきだ」と話した。
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安楽死……?

2023年11月22日(水)

そういえば,フランスのひと,ジャン=リュック・ゴダールは,スイスで安楽死を選んだのだったか.

しかし,それにしても「死」は誰のものだろう…….
「生」はわたし自身のモノだとしても,では,「死」はわたしのモノだろうか?
……などと考える.

このTwitterのやりとりのなか,
ひとが安楽死を考えるような事態になったときに,
じつはひとは,そんなことを考えることができない事態に陥っているのではないか……,
そんな指摘があったか.

もうずいぶん前のことだったか,哲学する人が,自分の意志で,自らの死を死んだ.
本人の信念だったらしい.
もちろん誰かを道連れにするわけでもなく,ただひとりで.
ご子息が,ことの次第を書いていたような記憶があるが,さてどうだったか.
これが,ただちに「安楽死」ということでもないのだろうけれど.

でも,ちょっと気になるな……,
とても頭脳優秀とか言われる列島の国の平均年齢をかなり下回る人が,
高齢者の大量死に言及していなかったか?
ぼくもまた高齢者に括られるので,ふーん,と思った.
でも,ほぼ確実に,人はみな年齢を重ね,ほぼ確実に高齢者に括られるようになる.
もちろんもっと若いときに,病気や事故に生を断念しなければならないひともいるのだけれど.

いつだったか,ALSの患者さんが,スイスにゆき,その地で安楽死を死んだ……というテレビのドキュメンタリーだったか,
いつか治療法が見つかるかもしれないけれど,その患者さんから見れば,それは遠い,はるか彼方の自らは到達できないところのことだと思われたのだろう.

若かろうと,年をとっていようと,でも死んでしまえば,それまでだ,と思う.
ならば,可能な限り生を全うし,全うさせることが,まず第一じゃないかな,とも思う…….

身近なところで,いま90を超えたところか,おばは,パートナーの死を,そして娘の死を.しかと認識できていないようだ.
でも,それでもいいじゃないか,と思う.
もっと若くて,いろいろ判断できそうなときに,そうなったら安楽死を選択します,とか書き残せば,安楽死させてもらえる……なんてことになったら,ほんとうにこわい,無惨な時代を迎えることになるのでは.
そんなことも考えなら,いま,このご時世で,あまり簡単に安楽死を……と言えるのかな,と思う.
ヨーロッパの国にしても,それなりの時間をかけた議論の積み重ねがあったはずだ.
列島の国に,そこまでの力がいまあるだろうか,とすこし考え込む.

……………

そういえば,年間死者数100数十万人の時代.
火葬場は,混雑してたいへんだとも聞く.
そして,それはすでにずいぶん前からほぼ確実に予測されていたこと,
しかし,しばらくすれば,死者数は減少に転じるとして,火葬炉の増設の動きはない,とか.

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松浦晋也
@ShinyaMatsuura
自分はいつまでも若くて、老いず病まず死なないと思っていると、こういう
ことを言い出すことになる。

引用ツイート

藤巻健太 衆議院議員@Kenta_Fujimaki·7月11日
安楽死を認めるべきだ。
不治の病に侵され、耐え難い苦しみにいる人が症状の落ち着いている時に、
   族や親しい友人に囲まれ、ありがとうと言いながら眠るように旅立つ。
そういう最期を望んでいる人から、それを奪う権利がどこの誰にあるのか?
選択肢が欲しい。
自分の最期は、自分で決めたい。 twitter.com/toru_azuma/sta…
午後4:03 · 2023年7月12日·3.7万 件の表示
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(私の視点)監視カメラ巡り逆転無罪 証言の「うそ」見破った判決 遠藤比呂通

2023年11月22日(水)

遠藤比呂通さんは,自らの明確な意思があってあいりん地区に関わられていらっしゃるとか.
いつだったかご本を呼んだような,あるいは積ん読のままだったか,
横浜・寿,東京・山谷…….
かつての労働者の街は,
しだいに高齢化がすすみ,行き場のない人たちが,おたがいに支え合いながら住まう街.

そこに「監視カメラ」とは,と思いながら,読んでみた.
府のお役人が,どんな考え,思いから,裁判で証言したか,知らない.
大阪市は,かかわりがなかっただろうか,知らない.

それにしても,知事室あたりにでも,監視カメラをつけたら?なんて,悪い冗談か.
…………………………………………………………………

遠藤比呂通
人権という幻:対話と尊厳の憲法学
勁草書房 2011


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(私の視点)監視カメラ巡り逆転無罪 証言の「うそ」見破った判決 遠藤比呂通
2023年7月12日 5時00分

 大阪高裁刑事第4部(斎藤正人裁判長)は先月14日、威力業務妨害罪に問われた男性3人に対し、逆転無罪を言い渡した。検察側は上告を断念し、無罪判決が確定した。

 事件の背景に、大阪市西成区の釜ケ崎(「あいりん地区」)の拠点であったあいりん総合センターが、2019年4月24日、強行閉鎖されたことがある。労働者の居場所を奪い、排除するものだと反対運動が広がり、閉鎖後、路上に労働者や支援者によりテントが張り巡らされた。その中核的存在が団結小屋だった。

 同年5月30日、大阪府と国は監視カメラの角度を団結小屋に向けた。団結小屋に出入りする人々の顔を特定でき、24時間録画されていた。監視を受ける状況にあった労働組合執行委員長らがカメラに炊き出し用ゴム手袋とポリ袋をかぶせた。この行為が威力業務妨害罪に問われ、一審・大阪地裁は罰金を命じた。

 裁判で問われたのは、監視カメラの角度を変えた目的、そして、カメラをゴム手袋などで覆ったことがプライバシーを守るための適法な行為として認められるのか、だった。

 監視カメラの角度変更の目的について一審判決は、同年4月26日に近隣で起きた放火事件を受けた防犯目的だったとする大阪府職員の証言を信用し、その業務を妨害したとして、市民らを有罪とした。

 しかし、大阪高裁判決は、「防犯目的」とする府職員の証言を全証拠に基づいて緻密(ちみつ)に吟味し、信用できないと判断した。この「うそ」を見破ったことに判決の根幹がある。例えば、府職員は、旧センターの中にあった医療センターの入院患者らの生命、身体に対する危険を防犯対策の理由に挙げたが、高裁判決は「医療センターや大阪市を交えて協議した形跡は一切うかがえない」とし、証言は信用できない、と判断した。

 判決のもう一つの意義は、カメラ撮影のプライバシー侵害を認め、ゴム手袋をかぶせるという非暴力、非破壊的行為を正当だと認定したことだ。角度変更の目的を「団結小屋に出入りする者らに萎縮効果を与え、団結小屋などを拠点とする活動を諦めさせるなどの状況に追い込むことであった疑いが強い」と指摘。撮影について、「正当な理由なく、団結小屋に出入りする者らのプライバシーを侵害し、深刻な萎縮効果をもたらす違法な行為」と結論づけた。

 19世紀末にプライバシーの法理を初めて主張した米国のルイス・ブランダイス弁護士(後の連邦最高裁判事)は「闘う人々に法は武器を提供している」という言葉を残した。その言葉通り、無罪判決確定の翌日、監視カメラの角度は元に戻された。

 (えんどうひろみち 弁護士)

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