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労働生産性? 副業?――大塚英志さんがXに投稿していた

2024年05月16日(木)

わからないのだけれど,労働生産性って,こんな使い方をするのだったか?
まるで個々の労働者の働きが悪いかのような,そんな使い方に見えるけれど,
えっ?!労働生産性って,そんなことだったっけ,と.

もちろん商品の価格などが所与だとすれば,
その生産のために投入される資本財なども所与だとすれば,
当然その商品が競争的なマーケットに供給されるのだとして,
労働者の成果物が多ければ多いほど,まぁ,生産性は高いんだろう.

しかし,その商品に対する需要が低下しているような商品の場合には,
さて,労働者が頑張るとどんなことが生じるだろうか?
工場設備,マーケティングなどへの投資が十分でなければ,どうなるだろうか?
……などと考えてみれば,わかりそうに思うのだけれど.

それにしても副業のススメとか,ばからしくて話にならないように思うのだけれど,
どうなんだろう.
就職はうまくいかなかったけれど,まぁとにかく定年まで勤めた者としては,
あまりいえることはないのだけれど,
まして,勤務先では,副業は厳に慎むことが求められるようなことだったから,
なんなのだろうと思うし.

いつごろからか,日本は終身雇用制だから,労働者が働かない……かのような,管理乱暴な議論はあった.
ほんとうなのだろうか?
ほんとうに終身雇用か? ちがう! 定年年齢なんて,どこの国にあるんだろうか?
年齢による就職時の「差別」が厳然と存在してきたのではなかっただろうか?

もちろん年金支給開始年齢の問題は,いつまで働くのか,働かせるのか,ということと微妙な関係があっただろう.
ではあるけれど,さいきんの議論をみていると,いったいなにがどう問題なのか,
なにを,どう問題にしようとしているのか,さっぱりわからない.

別の人が,企業の内部留保の積み増しの異常さを指摘する投稿をしていたけれど,
その内部留保だって,結局は,従業員の労働の成果じゃないのかな……,
この間の企業の生産性向上のための投資がどうだったのだったか?
(税制か…….
 税金って,とくに所得税や,法人税というのは,所得分配のあり方との関係が深かった.というか,再分配の効果を持っていた.さいきん,もうそんな議論を耳にすることが希になってしまっているようだけれど.経済学者って,なにをやってるんだろう? なにを議論しているんだろう?)

さいきんジョブ型とかいうことばをよく目にするけれど,
ジョブって,どんな意味を持っていたのだったか.
たまたま就いた仕事の関係で,職務分析のようなことをテーマとする本を読んでいて,
そこにjob descriptionということばが出てくる.職務記述書とか,そんなことばか.
それって,どちらかというと定型的な,ルーティンワークなどを対象としていたのではなかったか.
まったく理解を超えるような話だな,と感じたのだった.
将来の会社の経営スタッフまで,ジョブで括るのか……のか,とか.

後知恵だと言われればそうかもしれないけれど,
1970年代には,将来の人口動向,とりわけ労働力人口の推移など,あきらかにされていたと思う.
もちろん人口推計のあり方について,ちょっと理解が足りていないかな,とは自覚するけれど.
日本が高齢社会と言われたのは,すでに1990年代のことだ.

あるいは,高等教育への公共投資がどの程度だったか?
いや,そもそも教育への公共投資がどの程度だったのか?

じぶん自身の経験に引きずられているとは思うけれど,
アメリカの大学で,ガザ戦争に反対する動きが活潑だと報じられる.
ヨーロッパでも,同様の動きが見られるようだ.
それで,この国はどうか? 高等教育に対する国の関与は,つまりそういうことだけだったのではない家とすら思えてくる.
学術会議など……と思っているけれど,しかしそれはそれとして,国の,時の政府の対応は,つまりはその程度の問題意識なんだろう,と思う.

いつごろだったか,アメリカの高等教育で,とくに理工系における留学生の比重の大きさが話題になっていたか.
アメリカ人で,理工系に進むよりは,ビジネススクールでも出て,ウォール街なんかで一攫千金を狙う……という動きが大きいんだと,なかば冗談だろうけれど,漏れ聞くことがあったか.
それが,経済の進化だというのであれば,まぁそんなモノか,とは思う.
それでいいのか,といわれれば,いやだ!

しかし,それにしても一国の政権の中枢を担っているであろう人が,
「副業」を口にするんだろうか.


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大塚英志『マイナンバーから改憲へ』発売中です@MiraiMangaLabo
首相になったら「日本の労働生産性向上のため」「副業をしてもいいという社会をつくる」

もはや社会保障の不足分を副業でどうにかしろではなく国家の生産性向上のために副業もして奉仕せよということか。正気を失っているのか。

https://sankei.com/article/20240513-3OFHMGWYWZI35DYF3Q737ADL6M/ @Sankei_newsより
sankei.comから
午後9:18 · 2024年5月14日·9.2万 件の表示

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NAKASHIMA, Masao@mazzan1961·5月14日
「副業しなさい」てことは「もっと働け」「労働時間を増やせ」てことだな
労働時間が増えるということは、剰余価値は増えているはず
ところが、食えないから副業するわけでということは剰余価値は我々には入らない

どこに行っている?

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優路@hsmt19·5月15日
本業だけでは食えない社会をつくる
という宣言ですか

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「副業してもいい社会作る」 自民の茂木敏充幹事長が首相に就任した場合の政策に言及
2024/5/13 15:47 産経新聞
政治

自民党の茂木敏充幹事長は13日までに配信されたインターネット番組で、自身が首相に就任した場合に取り組みたい政策に言及した。日本の労働生産性向上のため「原則、副業をしてもいいという社会をつくる」と説明。司会者から「首相になったら副業を推進するのか」と問われ「そう思っていただいて結構だ。私はそうしたい」と答えた。

茂木氏は「ポスト岸田」候補の一人と目されている。番組内で、副業を禁じている企業が多いと問題提起されると「政権が大きな方針を示して基本的に認めるようにする」と強調。3年の準備期間を設ければ、現状では導入に慎重な企業も対応は可能との見解を示した。9月の党総裁選に出馬するかどうかの質問は出なかった。


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パレスチナの地,血……,新聞記事をみながら

2024年05月10日(金)

先日,テレビのニュースの中で流された,アメリカの大学で撮影されて映像に,
字幕によれば,なのだけれど,
男性の学生が警察に連行されながら,カメラに向かって語る…….

わたしは,ユダヤ人だが……

シオニストではないといっていたか,ガザでの戦闘に反対だといっていたのだったか,
ちょっと記憶があいまいだけれど.

昨日の新聞コラムで,たとえばこんなフレーズを読むと,ちょっと不安を覚える.

「……ユダヤ人が祖国を追われた2000年前からの歴史……」

そして,ユダヤ教は,国家にひざまずくのだろうか,と思う.
同じように,あるいはぼくの無知があるのかもしれないけれど,イスラムについても,同じように思うことがある.

そもそもガザでの戦闘は,「戦争」なのだろうかとも思う.
ハマスがひいた引き金は,イスラエルが行使する武力と比較して,どう見ればいいだろうか.
貧者の,あるいは弱者の「戦術」と,国家の武力を.おなじ平面でみるべきなのだろうか,
と思った.
もちろん,ハマスの選択の是非を問うべきかもしれない.
メディアが報じる,ガザの置かれた状況,ヨルダン川西岸地域の状況をどう見ればよいだろうか.

あるいは,イスラエルのなかに存在した,イスラムを許容し,共存を目指す勢力を,
ガザのイスラム教徒はどう見ていただろうか,あるいはハマスはどう見ていただろうか.
ガザに近い地域に,ふるいキブツが残っていた,そこがハマスの攻撃で大きな打撃を受けた,
そんな記事もあったか.
もともと振り返れば,イスラム,ユダヤは,彼の地にに共存していたのではなかったか……とも思う.

2000年前に故地を追われた民の国土回復を是とするならば,
たとえばアイルランドなど,どうみれば良いのか?などと思い返す.
いや,列島だって,同じじゃないのか.東北地方に残るふるい地名には,かつての先住民の名残が多くあると聞く.

ユダヤ教徒に対するナチがおこなったジェノサイドが問題であるということは,
ユダヤ教徒だけを特別の存在にするということではなかったと思うのだが,どうなのだろう.

ある時期,列島の国の「左派」の若い人が,イスラエルのキブツに夢を重ねて彼の地に旅していたか.その夢は,どうなっただろうか…….そして,イスラエルの「左派」あるいは「リベラル」はどうなったのだろうか.
ある時期まで,リベラルな勢力が,政権を握ることもあった……,
で,気がつくと,その影を見ることは,メディアの報道ではほとんどない.
それでも共存と共栄を思った人たちもいたとか.
イスラムの側,パレスチナの側で,どうだろうか.

そういえば,イスラエルがアルジャジーラを追放したのだそうだ.
しかし,この国のメディアに,そのことに対する正面からの論評をみていないように思うが,どうか.
ガザをめぐる報道に,そんな姿勢が,反映していないのか,と疑う.
そうではないことを祈りながら.


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〔Deep Insight〕米大学デモの危うい正義
2024/5/9付日本経済新聞 朝刊

「パレスチナを解放せよ」
「反イスラエル闘争を世界へ」
学生らが連呼し、パレスチナの旗を振る。首には「ケフィエ」と呼ばれる網目模様のスカーフ。団結の象徴だ。おびただしい数の警官。上空を舞うヘリ。4月下旬、米ニューヨーク市のコロンビア大前は緊張した空気に包まれた。

[図=略]

全米の大学に、反イスラエルのデモが広がっている。…… 攻撃を受けた同国が、かくも激しく学生らに糾弾される理由は何か。

レイラさんは……「幼い命が失われるのは耐えがたい」とコロンビア大のデモに通う。イスラエルの反撃を受けたパレスチナの犠牲者は3万人超。日々流れる痛ましい映像に心を痛める。……「米国がイスラエルに兵器を送るのを止めたい。学費を殺害に使うのは間違いだ」。大学の基金がイスラエル関連の企業に投じた資金の引き揚げは、学生らの主な要求のひとつだ。

……………

やがてイスラエル支持派の「対抗デモ」も膨らみ、道を挟んで親パレスチナ派とにらみ合った。
赤く染めたイスラエル国旗を引きずり挑発する中東系の男も、「ばかげたスカーフを外せ」と叫ぶ白人も、明らかに学生ではない。……

今回の戦争の発端はイスラエルで1200人を殺害し250人を拉致したハマスのテロだ。これをどう考えるのか。パレスチナ旗をあしらったTシャツ姿でデモをする社会学専攻のアンマさんに問うと「目を向けるべきは1948年だ」と言う。イスラエルが一方的に建国しパレスチナ人を苦しめてきた歴史こそが問題との主張だ。

アンマさんはパキスタン系のイスラム教徒だが、同様の考えをもつ米国の若者は多い。ガザ危機の主因は誰にあるか聞いたハーバード大などの調査では18~24歳の若者の49%がイスラエルと答えた。55歳以上の人々の約85%がハマスを責めたのと対照的だ。

理由の一つに挙がるのが教育だ。スタンフォード大生のジュリア・スタインバーグさんは議会証言で「社会正義」を前面に出した高校時代の授業を振り返った。様々な集団を抑圧者と被抑圧者に二分し、男性は抑圧者、女性は被抑圧者、黒人や同性愛者も被抑圧者とする対照表を作ったという。

この論ではイスラエルは糾弾すべき抑圧者となるが、ユダヤ人が祖国を追われた2000年前からの歴史はそう単純ではない。

危険なのは米社会に根強く残る反ユダヤ感情への波及だ。格差の拡大もあり成功したユダヤ系の人々には不満の矛先が向く。これが反イスラエルのデモと共鳴・増幅する兆しがある。ユダヤ系人権団体、名誉毀損防止同盟(ADL)の最近の調査では、ユダヤ系の大学生の73%が反ユダヤ主義的な差別を経験したか目撃した。

先のアンマさんは「抗議の対象はユダヤ人ではない。(ユダヤ人国家の必要性を唱える)シオニズムだ」と言うが、両者の線引きは難しい。ユダヤ国家の否定はユダヤ人の生存を脅かすから反ユダヤ的だとみるユダヤ系の人は多い。

「シオニストは生きる資格がない」。そう主張したコロンビア大のデモ指導者の発言は、暴力をあおる明らかな差別主義であり、表現の自由の乱用だろう。

「川から海まで、パレスチナの解放を」とのデモのスローガンも物議をかもす。ヨルダン川から地中海までの一帯からユダヤ人を一掃せよとの含意があるからだ。イスラエルへの攻撃を呼びかける「インティファーダ」も同様だ。

従来、反ユダヤ主義は保守的な右派で目立った。それが左派で広がれば、ユダヤ系の7割が支持する民主党の足並みは乱れかねない。バイデン政権のイスラエル支援に不満を強める若者やアラブ系の人々との溝は深まり、秋の大統領選に影を投げかける。

共和党のジョンソン下院議長がコロンビア大を訪れユダヤ系の学生に寄り添って見せた背景には、民主党内の不協和音を見越した政治的な打算もあったはずだ。だがデモの大義を外れた差別主義や、その政治利用がはびこっては、米社会の分断に拍車がかかる。

出口が見えないベトナム戦争の終結や人種差別の是正に一定の役割を果たした1960年代のデモと同じく、若者のエネルギーは凝り固まった社会を変える触媒にもなる一方、理性を失って思わぬ混乱を招く危うさもはらむ。

コロンビア大のデモ隊のそばでイスラエルから来た若者に声をかけられた。ハマスが襲撃した「レイム音楽祭」を再現した展示をしているというので足を運んだ。

暗い構内では血染めの服や靴が、10月7日朝の状態で散乱。逃げ惑う若者らを容赦なく銃撃・拉致する武装集団の姿や、字にしにくい暴行・虐殺・遺体陵辱の証言が繰り返し映像で流れる。

この蛮行が今回の戦闘を招いたとの事実から目を背けてはテロ集団を利する。大量の民間人を巻き込み世界を憤らせるイスラエルの報復もしかりだ。糾弾すべきは蛮行とその底流に巣くう憎悪だ。デモが、新たな憎悪と対立の連鎖に火をつけては本末転倒だ。
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憲法をめぐる報道など

2024年05月03日(金)

憲法記念日,だから,護憲,というのではなく,憲法のあり方を考えよう,
というところだと考えたいけれど,
ちょっと引っかかる.
日本経済新聞の記事なのだけれど,
先月の岸田首相のアメリカの国会での演説にかんする記事で,
この記事はなにを言いたいんだろう……と感じたのだったけれど,
まぁ,社としてのもともとの考え方があるだろうな,とは思う.

それで,この記事のいいたいことは,
勝手にまとめれば,第2次大戦後の社会,経済などの状況はおおきく変化しているのに,
憲法の規定は,なんら変わっていない,
世界を見渡せば,新たな課題などに託すべく憲法に手を加えてきているではないか,
ということなんだろう.

それでも,なぜいつもこれほどもめるのか……,というと,
結局,政権与党の憲法改正の焦点が,そうしたところにないからじゃないのか?
合計制がむずかしいと判断すれば,それは後回しにして,たとえば女性の社会進出を前提とした社会的,経済的あるいは政治的問題への対応,
記事でいえばクオーター制の導入問題とか,そんなところをきちんと議論していけばいいじゃないか,と思うのだけれど,
さて,政権与党はどう対応してきたか.
あるいは,これは野党の力不足というかもしれないけれど,
たとえば憲法は変えないけれど,憲法解釈をかってにいじっていこう,というような政権与党や,法曹の,たんてきには最高裁判所の,ということかもしれないけれど,そのようなやり方の問題が,ずっと改憲論議に影を投げかけてきたのではないか,と思う.
まぁ,野党の側が,ひたすら護憲しかいわない,ということの問題もあるんだろうな,とも思う.
よりリベラルな側からの改憲論議だったあるんじゃないか,とか.
ふつうに考えれば,変えたがらない「右」あるいは保守,変えたい「左」あるいはリベラル?というのがふつうに見られる図式なんだろうが,
さて,この問題については,と思いはする.

それで,【日経】の編集方針なんだろうけれど,
この記事,なにを主張しているんだろうな.

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世界の憲法、項目多様に
子どもの権利・クオータ制・環境権 日本は施行77年、改正なく
2024/5/3付日本経済新聞 朝刊

日本国憲法は3日、1947年の施行から77年を迎えた。これまで一度も改正に至っていない。国際社会でどんなテーマが改正されてきたか。日本で議論の対象にあがる(1)子どもの権利(2)議会のクオータ制(3)環境権――の3つに着目した。

東大のケネス・盛・マッケルウェイン教授(比較政治学)が、米国の法学者や政治学者らの研究グループ「比較憲法プロジェクト」のデータベースを基に分析した。

2014年に憲法改正で子どもの権利を打ち出したのがノルウェーだ。これまでも国内法で権利を保障してきたが、子どもの主張が聞き入れられる権利や子どもの最善の利益など具体的に憲法に位置づけた。

20年時点で「子どもの権利」を憲法に明記した国は48.3%で、政府による子どもや孤児への財政的支援を書き込んだ国の割合も5割を超える。日本は子ども政策の司令塔となる「こども家庭庁」が23年4月に発足し「こどもまんなか社会」の実現をめざす。

日本は女性議員を増やす取り組みが十分といえない。23年9月の岸田文雄政権の内閣改造では副大臣と政務官に女性がゼロだったことが批判された。世界では憲法への女性クオータ制の規定率が00年時点の3.8%から20年は10%に上がった。

台湾は立法院選挙で比例代表の50%を女性に割り当てると05年の憲法改正で明記した。改憲前の04年に2割ほどだった女性比率は24年に4割超にまで伸びた。

「環境権」は日本で合意形成がしやすいテーマとしてたびたび候補にあがる。公明党は「加権」の立場から環境権の明記を唱え、自民党も野党時代の12年にまとめた改憲草案で「国による環境保全の責務」を書き込んだ。世界のおよそ8割の憲法で20年時点、環境権への言及があった。

マッケルウェイン氏によると、国際的に改憲の頻度は高まる傾向だという。「憲法に細かく義務や権利を規定する国ほど、国が負うべき義務や国民の権利の幅の広がり、社会変化にあわせて、さらなる対応を迫られるからではないか」とみる。


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書評紙は時代映す鏡  編集に携わり半世紀、三島由紀夫らと交流 井出彰

2024年05月01日(水)

きょうはメーデー.
でも,メディアによれば,メーデーの集会は、とっくに終わっているようだ.
いつごろからだろうか,メーデーの集会が,5月1日ではなく,休みの日におこなわれるようになったのは.
といって,メーデーの集会に行ったことがあったか、あまり憶えがない.
労働者が,それだけで「左派」であるわけがなく,まして「革命戦士」などであるわけがないのだし,
ただ,じっさいの経済社会のさまざまな「勢力」のなかで,相応にまとまっていかなければ,相応の交渉力を持ち得ない、ということなのだろう.
……などと,思いながら,
古い雑誌や新聞紙などを捨てなくては,とちょっとだけ動かしていたら,
10年ばかり前のコピーが出てきた.
【日経】に掲載された、当時の図書新聞代表・井出彰さんが書いた記事.

近所の本屋さんには,読書人は置いてあるけれど,
図書新聞は置いてないな、出ているんだったか…….
いや,たまに地域で老舗の大きな書店を見に行こともあるけれど,
(いや,飲み屋の前に立ち寄るだけか)
もうずいぶんどちらもみたことがなかったな…….

さいきん,たぶん新聞の記事のどこかだったか,
評論というジャンルは若い人などに受けないのだと書いてあったか.
受けがよいのは,深掘りとか、推しとか……とかそんなことが書かれてあったか.

記事を読みながら,ちょっと思い出す.
たぶん11月25日,アルバイトを終えて,帰りを急いで私鉄の駅に向かっていた.
道ばたに新聞の号外が落ちていた.
三島の市ヶ谷駐屯地での自決の記事,
拾い上げて眺めていたか.
そういえば,11月25日、吉本隆明さんの誕生日だったな……と.

そのころ,前だか,後だか忘れたけれど,早稲田の古本屋をのぞいていたら,
ちょっと変わった人がいた.
むかしの軍人がもっていたような双眼鏡でも収めるのか,小さな皮製のケースを肩から斜めがけしていていた……,
あぁ,村上一郎さんだな、と思いながら,本を探していた,

大学時代の恩師のところで(あるいはまだ学生の時だったか),どんな話でそうなったか忘れたけれど,
村上一郎の名前を出したときに,彼が自分の書架から「振りさけみれば」を取り出してきた.
村上から謹呈されたとのことだった.
ほぼ同年代,同じころに学び,たぶんおなじように海軍にいたのだろう.

ちょっと遡って,高校に入って、すこし背伸びしながら神田の本屋をのぞいていて,
たぶんウニタで「無名鬼」を手にした.
はじめて村上一郎という名前をみたのだったか.
同じころ,「試行」を手にした.
書評紙を知ったのも同じようなころだったろうか.


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書評紙は時代映す鏡
編集に携わり半世紀、三島由紀夫らと交流 井出彰
2013/2/20付|日本経済新聞 朝刊

 文学や人文書などの本を紹介し、批評を加える書評紙。書物を通して時代を映し出し、紙面ではオピニオンリーダーがジャーナリズムの一翼を担うってきた存在だ。私は1960年代から、半世紀近くにわたって書評紙の編集に携わってきた。

 70年11月25日、作家の三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決し、日本中に大きな衝撃を与えた。あの日、私も市ヶ谷にいた。私は当時,書評紙『日本読書新聞』の編集者だった。会社の宿直室に泊まっていた私は午前10時ごろ、1本の電話で起こされる。

〆〆〆

自決の日の出来事

 文芸評論家、作家の村上一郎の奥さんからの電話だった。三島が陸上自衛隊に乗り込んだことを知った村上は「自分も行動を共にする」と言い残し,日本刀を持って出掛けていったという。奥さんは私に「止めてください」と懇願する。

私はタクシーを飛ばし、陸上自衛隊の門の前で待った。そこへ自宅のある吉祥寺から車に乗って村上がやってきた。興奮していた彼をなだめ、落ち着かせようと近くの喫茶店に連れて行った。そこで先に連絡を入れていた文芸評論家の桶谷秀昭と合流し、3人で色々と話し合った。

 村上を何とかなだめて自宅まで送り届け、私たちは深夜まで、三島について話し合った。その話を明け方までかかって原稿に起こし、その週の日本読書新聞に掲載。1日で売り切れるほどの大きな反響があり、2度にわたって増刷した。

〆〆〆

揺れる往会の指標に

 68年、日本読書新聞に入った。200人ほどの志望者の中から試験や面接で絞られ、2人の新入社員が入った。驚いたのは編集長が大学を出たばかりの私と同い年で、編集部も皆若かったことだった。新人も即戦力を求められ、著名な作家や評論家に原稿を依頼し、日参する日々が始まった。

 日本読書新聞は37年に創刊された。書評だけでなく.50年代から論争の場としても機能し、埴谷雄高ら、そうそうたる人々が紙面に登場した。私が入社した60年代末から70年代初めにかけて、ベトナム反戦運動やよど号ハイジャック事件、連合赤軍事件などが起こり、社会は大きく揺れていた。読書家や文学青年たちは書評紙を食い入るように読み、社会にコミットしていった。

 編集者として、多くの作家や評論家らと交流を結んだのは貴重な経験だ。三島由紀夫とは執筆用で使っていた御茶ノ水の山の上ホテルからよく呼び出しの電話がかかってきた。2人でホテルから聖橋まで歩いた後、タクシーで自宅にうかがうことが多かった。振り返れば自決の1週間くらい前、死を覚悟したような手紙を受け取っていたのだが、紛失してしまったのが悔やまれる。

 編集部周辺には若い作家や評論家が集まり、一種のコミュニティーを形成していた。有望な若手に匿名で原稿を書いてもらうことがよくあった。芥川賞作家の中上健次とは学生時代に羽田空港で重い鉄板を飛行機に積む仕事で知り合った。体が大きく体力のあった中上は夜勤明けで喫茶店に行っても、元気いっぱいで文学の話をしてくる。私が日本読書新聞に入った後、彼に何度か寄稿してもらった。

〆〆〆

日本の書評文化は危機

 原稿料が高いわけではなかったが、売れっ子の作家も喜んで書評を書いてくれることが多かった。五木寛之さんにもよく書いてもらったが、こちらが支払った原稿料を「これで背広でも買いなさい」と返されたことが記憶に残っている。

 日本読書新聞は73年に辞め、84年には休屑となった。その後、出版社の経営などに携わったが、88年に書評紙「図書新聞」の編集長に就任した。特集記事やインタビューなどにもカを入れてきた。これまでの半生を対談形式でまとめ、「書評紙と共に歩んだ五〇年」(論創社)として出版した。

 現在残る書評紙は図書新聞と週刊読書人の2紙のみ。90年代に書評雑誌がいくつか創刊されたが、今は無い。雑誌などに掲載される書評は内容紹介程度にとどまる場合も多く、日本の書評文化は危機にひんしているといえる。

 37年に創刊された日本読書新聞は国家が戦争へと傾く中で、本の紹介を看板にしながら反戦思想をちりばめていった。書評紙は変わりゆく社会を書物を通して映し出す鏡のような存在だ。この文化を決して絶やしてはいけない。(いで・あきら=図書新聞代表〉






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