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JR福知山線事故のことを思い出しながら

2023年04月26日(水)

メディアの報道を見ながら,あのことを思い出す,
なかなか考えはまとまらないが,それでも.

森岡正博さんに,
『33個目の石』
がある.

この本の前に,
山口栄一さんの,
『JR福知山線事故の本質―企業の社会的責任を科学から捉える』
が出ていた.
たぶんほとんど同じころに,両方の本を読んだのではなかったか.

両者には,ほとんどなんの関係もなかった,
けれど,ちょっと気になることがあった.
33個目の石
というのは,
アメリカの大学構内における銃の乱射事件における死者たちを追悼のための32個の石に,
もうひとつの石が置かれたということについて書かれる.

現在は角川文庫で手に入るようだが,Amazonには,こんな文章が――


  「やられたらやりかえせ」という報復の連鎖を、私たちは越えて行けるのか

  報復の連鎖の時代における、かすかな希望は確かにある。
  人は傷つけ合う、その先を見つめた、柔らかな哲学エッセイ。

  米国・バージニア工科大学で起こった銃乱射事件。
  32人の学生、教員が殺され、犯人の学生は自殺した。
  キャンパスには犠牲者を悼む32個の石が置かれたが、人知れず石を加えた学生がいた。
  33個めの石。それは自殺した犯人の追悼である。
  石は誰かによって持ち去られた。学生はふたたび石を置いた。それもまた、持ち去られた。
  すると、別の誰かが新しい石を置いた。
  「犯人の家族も、他の家族とまったく同じくらい苦しんでいるのです」。
  犯人も現代社会の被害者であるという追悼を、われわれは出来るだろうか。
  敵と味方の対立を無効化し、「やられたらやり返してやる」という報復の連鎖を
  超越していく物語を紡げるだろうか。

単行本刊行後、東日本大震災を経て発表された5編と書き下ろしを加えた文庫特別版。

社会は変わりようがない、人々が傷ついたとしても仕方がないというのっぺりとした社会意識を、食い破ることのできる希望。
それはまだ小さな流れではあるけれども、世界のあちこちで少しずつ開こうとしている柔らかなつぼみなのだ。


それで,福知山線事故.
メディアには,宝塚線とある.でも,福知山線じゃないのか……と混ぜ返したくなる.
それは.置いて,
なぜ,事故は起きたか?
山口さんの本は,多くのメディアの報告とは違う視点を提供しているように思われた.

まったく門外漢なのだけれど,ネットなどで探していた.

2000年3月8日に,
営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故
が起きていた.
事故を起こした車両の台車の形式など,両方の事故に共通の背景がありそうだな……と思ったことがあったか.

福知山線事故では,乗客106人が亡くなられた.
事故による多くの負傷者が,その後も長い闘病生活,さらにその後のリハビリテーションのためにたいへんな苦労を余儀なくされた.
山口栄一さんの本のなかばは,そうした事情をあきらかにしていたと思う.

それで,メディアは,いま,死者107人を淡々と伝えている.
ひとりは,事故車両の運転士だった.

事故後,一方は,運転士の運転ミスを主張していた.
他方は,運転士らに対する会社の労務管理,業務管理が,運転士に強いストレスを与えていた……,などと主張していた.
なんだかどちらも,なにか足りないように思えた.
運転士はふだんから,速度超過や,停止位置で停止できないなどの問題があった……などという,
考えようによっては後知恵のような指摘もあったか.ほんとうにそうなら,運転には不適格,再訓練を試みるとか,他業務に配置転換するとか,そういう措置を講じるべきじゃなかったか,と.

そんなメディアの報道を見ていたのだけれど,
そんななかで山口栄一さんの本を読んだのだった.

それと,106人の犠牲者,というときに,107人目の死者がいたんだな,と思っていた.
それで,森岡正博さんの本が気になったのだったか.

山口さんの本は,いま手もとにないので,不確かな記憶をたどると,
たとえば,先の地下鉄の事故と同様の車両の構造の問題,
台車の形式とか,車両の軽量化の影響とか,
それから線路の形状,現場はかなりきついカーブになっていたけれど,運転士はほんとうにスピードを出しすぎていたのか……,いや,じっさいにかなり制限速度をオーバーしていたらしいのだけれど,
それは,脱線転覆するようなものだったのか…….
そういえば,脱線事故と言うけれど,あれは脱線じゃなくて転覆事故だ,という指摘もあったか.
土木や建築などで,安全を図るために,理論上の限界ではなく,安全率を見込むようだけれど,
いや,こんな表現でよかったか,
たとえば100キロが限界だったときに,じっさいの制限速度はどのくらいに設定されるか,
ということなんだろう思うけれど,
鉄道などでは,かなりきつい安全度を見込むのだろう.
逆に言うと,制限速度をオーバーしたら即座に事故になる,というわけではないということだろう.
運転士らは,事故を起こした人だけでなく,そういう安全度を見込んで制限速度が設定されていることを知っていて,たとえば列車が遅延しているときなど,制限速度をオーバーして列車を走らせることがあると語っていたらしい.

しかし,運転士の過失が指摘されて,そんなことで107人目の犠牲者の扱いはどうなるんだろうと思ったのだった.先頭車両は,横転したようなかたちでマンションに突っ込んだのではなかったか.そのとき,運転士はなにを思っただろうか,と.

この事故がきっかけだったか,JR西の新人研修で,
新幹線の点検用だったか,たぶんトンネルのなかで,線路脇の狭い溝のようなところで新幹線が通過するのを体験するとかいうのがあった.もっともらしい研修ではあったけれど,さて,ほんとうに必要なものだったのか.
そんな報道もあったと記憶する.

107人目の犠牲者のことを知らず,はたしてほんとうに事故は教訓化されるんだろうか,と思ったのだった.

そういえば,この列島の国ではなかったけれど,列車の正面衝突という,ちょっと信じられないような事故があった.
でも,いつも事故は,信じられないようなことなのだ.
ひとは誤る,だからいろいろなバックアップの仕組みを考えてきたのだろう.
そうか,To err is human とか,
で,to forgive divine だと.


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米各州、10代雇いやすく/人手不足で法改正相次ぐ 貧困層の学業に支障も 【日経】2023-04-26

2023年09月10日(日)


さいきん「大学」の費用対効果が悪くなっていている……とか,
そんな記事が出ていた.アメリカでの話なのだけれど.
列島の国ではどうなるのか,わからないけれど.

そして,この「児童労働」の話題,アメリカで.

そのうちこの列島の国でも,同じような議論が出現しなければよいけれど.

教育の外部効果の大きさは,それこそアメリカの経済学者が指摘してきたことじゃなかったのだったか.

いや,新たな資本主義の創世記?というのは冗談として,
なんともヘンな国だけれど,その国にへつらっているかに見える国もまた,ちょっと心配だな.


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米各州、10代雇いやすく
人手不足で法改正相次ぐ 貧困層の学業に支障も
2023/4/26付日本経済新聞 朝刊

[写真]南部アーカンソー州のサンダース知事は3月、児童就職の手続きを簡略化する法案に署名した=ロイター

【ワシントン=赤木俊介】米国の各州で企業が18歳未満の労働力を確保しやすくする法改正が相次いでいる。移民受け入れ制限などによる人手不足を和らげる苦肉の策だが、貧困層を中心に児童の学業に支障をきたす恐れもある。

南部アーカンソー州の議会は3月、14歳以上16歳未満の未成年が州の労働省から了承を得ずに働けるようにする法案を可決した。共和党のサンダース知事が法案に署名し、成立した。

東部ニュージャージー州では2022年7月、16歳以上が夏休みに入っている場合に限り、最大で週50時間の勤務を認める法律が超党派の支持を得て成立した。14~15歳も最大で週40時間働くことができる。

中西部オハイオ州の議会上院も3月、保護者からの了承があれば14~15歳の労働者が学年度中も夜9時まで働ける法案を可決した。

米国では産業革命後、児童労働が多くみられたことから、連邦政府は1938年に成立した公正労働基準法(FLSA)で児童の労働基準を定めた。18歳未満の労働は法律上は可能だが、例えば14~15歳の児童は重機の運転や製造業、鉱業など危険を伴う労働ができない。学業に支障が出ないよう平日の勤務時間も制限している。これに各州が独自の基準などを設けてきた。

各州の相次ぐ法改正は、連邦政府より緩い労働基準を取り入れて、企業が児童を雇いやすくする狙いがある。

背景には米国で長引く人手不足がある。トランプ政権以降、移民受け入れ制限が続いているほか、ベビーブーマー世代の早期退職などもあり米国では2月、失業者1人に対し求人が約1.67件あった。求人がおよそ2.01件あった22年3月のピークから減ったが、新型コロナウイルス禍直前の20年2月(約1.22件)をなお大きく上回る。

企業から議会に対し、未成年の労働基準を緩めるよう求める動きが出ていた。各州の商工会議所や、宿泊・飲食サービスの業界団体が規制緩和の法案を支持している。特に「小さな政府」を掲げる共和党が強い州で、規制緩和の動きが活発だ。

懸念する声も多い。貧困層を中心に子どもの労働時間が増えれば学業に支障をきたす可能性があるためだ。米ダートマス大学のエリック・エドモンズ教授は「児童が授業のある日でも働いていいというメッセージが(親の間に)広まることを懸念している」と警鐘を鳴らす。


子どもの意思を尊重せず、搾取につながる恐れもある。2022会計年度(21年7月~22年6月)の米国内の児童をめぐる労働基準違反の検挙件数は835件と高水準だった。22会計年度中に被害にあった児童は3876人と、前年度から1000人以上増えた。児童のうち688人は危険な労働環境で働いていた。

労働基準の緩和をめぐっては、米国へ出稼ぎのために訪れる未成年の移民が増える可能性も指摘されている。

未成年の労働が広がれば、学業面での制約などで経済格差の拡大を助長しかねない。

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原 俊彦 『サピエンス減少――縮減する未来の課題を探る』

2023年04月25日(火)

以前,雑誌の論文を丸写ししたけれど,
その論文を踏まえて,一冊の新書が生まれた.

いつごろまでだったろうか,産児制限の運動があったことを思い出す.
ひょっとするといまでも続いていたりして.

いっとき仕事の参考に,人口のデータを見ていたとき,
いや,たいしたことをしていたわけじゃなくて,統計書の大きな数字だけを追いかけていたときに,第2次大戦の終戦後,ベビーブームの後,合計特殊出生率はずっと減少し続けていたのではなかったか.
ついでに死亡原因の大きな傾向は,1950年代後半には,現在と大きな違いはなかったように見えた.感染症などによる死者の相対的な減少,がんや心疾患による死者の相対的な増加.
そう,1970年頃に読んだ長期の経済推計などにも値いられていた人口予測の,ほぼその予測が実現していた.

ただ,なぜ?――人口の趨勢は,なぜそのようになるのか,いつもかすかに疑問が残っていたように思う.
経済の分野で,いっとき長期の経済統計に基づきながら,時系列データによる長期予測が行われていて,そこで「理論」,なぜそのようになるのか?などすっ飛ばして議論されていたことがあったな,と思う.

それにしても楽観論?悲観論?……,その議論の前に,もうすこしきちんとした現状と見とおしを踏まえた検討が必要なことは,たしかなんだと思うけれど,
とても不毛な,あるいは上っ面だけの議論がみられるように思う.
もちろんそれでいいわけがない.


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サピエンス減少
 ――縮減する未来の課題を探る   

原 俊彦

岩波新書(新赤版)1965
2023年3月17日 第1刷発行

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 序 世界人口の増加と日本の人口減少をどう考えるべきか?


「有史以来、われわれ人類は、増加しつづけてきた。パンデミックや世界戦争による一時的な減少や停滞はあったにせよ、人類史の基調は、つねに人口増であった。政治と経済、文化、社会システムのほぼすべて――つまり私たちの世界観は、人口が増え続けることを前提に構築されてきたといえる。だが、まもなく世界人口はピ-クを迎え、減少局面に転ずる。それはあらゆるものが縮減していく世界であり、われわれの世界認識そのものに根本的な変容をもたらすだろう。人口減少は、もはや不可避の未来である。ここで問われるべきは、その縮減する世界をどうデザインするのか、にほかならない。人類史的な転換をどう迎えるのか。減少へと向かう“最突端”に位置する日本そしてアジアから、考察を深めていきたい。」(『世界』2021年8月号(第947号))。


 2022年7月、新型コロナ・パンデミックの影響もあり、通常より1年遅れて、国連の新推計(UNWPP22:World Population Prospects 2022)が公表された(United Nations 2022a/b,https://population.un.org/wpp/)。推計方式が5年5歳から各年各歳に変わる一方、確率モデルが採用されて、各国ごとの詳細なデータが得られる画期的なものであり、今後、様々な分野で分析・活用されていくと思われる。しかし折からのコロナ・パンデミックの感染拡大、異常気象の連鎖、ロシアのウクライナ侵攻などを背景に、難民急増、資源・エネルギー・食料不足、世界的な物価高騰の波など、様々な政治・経済・社会危機が次々と生起する中、新しい推計結果がメディアや一般の人々の注目を集めることはなかった。
 世界人口については、これまで人口増加が続いていて、資源・エネルギー・食料問題や地球温暖化防止・CO2削減など環境問題への対応という観点からは、この人口増加をいかに止めるかに主要な関心が寄せられてきた。このため、なお人口増加が続くという推計結果は想定の範囲であり耳目を集めるものではない。もっとも、この新推計では、世界人口が2022年中(11月15日)に80億人を突破すると予想されており、世界人口時計の数値が80億を超える日が来ればTVや新聞のトップを飾るかも知れない。
 一方、私たちが住む日本に目を向ければ、この国の総人口は2008年の1億2808万4千人をピークにすでに人口減少期に入り2020年の国勢調査では1億2614万6千人となり、前回国勢調査から5年で94万9千人滅少した。人口減少はその後も続き記録を更新している。また毎年生まれる子どもの数の減少も年々大きくなり、直近(2021年)の出生数は過去最少の81万1622人を記録、前年より2万9213人減少している。合計(特殊)出生率(平均して一人の女性が一生の間に産む子どもの数)も前年の1・33人から1・30人に低下している。これに対し死亡者の数は143万9856人で、前年から6万7101人増加、毎年、戦後最多を更新している。地域社会ではこのような自然減に人口移動による社会減が加わり、人口減少はさらに急速に進んでいる。すでにJRのローカル線の廃止、小中学校・高校の統廃合、シャッター商店街の増加、廃屋問題など、人口減少にともない様々な問題が深刻化している。つまり日本では人口増加ではなく、人口減少をいかに止めるかが課題となっている。
 本書は、このような世界人口の増加と国内人口の減少という二律背反的状況をどう理解すればよいのかという素朴な疑問や、現在の世界が直面する危機的状況は、人類社会の発展が「成長の限界」に達し、いよいよ世界の終わりが近づいているのでは、という重苦しい不安に対し、人口学から何がいえるのかを答えようとするものである。また本書はしばしば類書にみられるように不安や絶望を煽ったり、根拠のない楽観論を展開するものではない。今起きていることの人類史的な意味を正しく理解することにより、今世紀末を超えて、なおしばらくは続くと思われる人口減少を前向きに捉え、若い世代はもとより子育て世代から高齢世代まで、誰もが未来に希望を持ち生き続けることを願うものである。
 先回りして結論めいたことを述べておくと、まず、世界人口全体は、なおしぼらく増加を続けるが遅くとも今世紀後半の中頃には減少に入り、世界全体が、現在の日本と同じような少子高齢・人口減少社会に移行していく。そして、もし、そのまま人口減少が続けば世界人口は300年ほどの間にピーク時の100分の1程度にまで縮減する。しかし、人類は先史時代以来、現在まで、そのような危機を何度も克服してきた。あるいは別の言い方をすれば、人類は常にいつ絶滅するかわからない状況の中で、これまでも生きてきたし、我々もまた同じようにこの危機を乗り越え生きていくしかない。
 一方、現在の日本が経験している人口減少は歴史的な人口転換の帰結であり、先進国を中心に世界の多くの国々も遅かれ早かれ同じ道を歩むと考えてよい。したがって、この人口減少は日本だけの特殊な事情によるものではなく、前代未聞の「国難」といった国粋主義的で排他的な捉え方をすべきではない。また政府の失政や誰かの陰謀によるものでもない。出生力の低下についても、晩婚晩産化/非婚無子化などの責任を若い世代に求めるべきではなく、直系家族制の伝統の衰退や、フェミニズムやジェンダーブリー的な社会的傾向など、様々な犯人探しを行ったとしても有効な対策には結びつかない。
 基本的には、長年にわたり人類が進歩し豊かになり、平均寿命が延び長寿化する一方、結婚・出産あるいは移動に関わる個人の選択の自由が拡大してきた結果であり、そのこと自体は喜ぶべきことであり、今後も、この流れを止めるべきではないだろう。したがって、最終的には人類社会が個人の自由を最大限に尊重しつつ、社会全体の出生・死亡・移動などをコントロールして人口全体を定常状態に保つようにするしかない。しかし、そこに至るにはまだまだ多くの試行錯誤と時間が必要とされる。このため当面は、人口や出生数の減少を止めることをめざすのではなく、人口減少とともに出現する、「縮減する社会」(カウフマン2011/Hara2014)の様々な課題の解決に向け、前向きに取り組むべきだと思う。それは十分可能であり、世界の他の国々や地域を結ぶグローバルな連帯と協力を通じより良い未来につながると確信している。
 本書の流れを説明しておく。まず第1章の「縮減に向かう世界人口」では、国連の将来人口推計(2022年)の結果を踏まえ、世界人口が人口増加から人口減少へと向かうこと、その結果、現在の日本と同様、世界全体がポスト人口転換期の「縮減する社会」となっていくこと、また、国連推計の楽観的な前提が崩れれば世界人口は急激に減少し消滅に向かう可能性もあることを示す。次に第2章「持続可能な人口の原理」では、コーエンの絶滅曲線を取り上げ、人類社会の持続可能性について検討する。また人口波動モデルを使い、この絶滅曲線が過去の人類史のどの時点でも描けることを示す。さらにマルサスの『人口の原理』に遡り、ダブリングタイムやロジスティック曲線などの特性について説明し、人口が持続するための条件としての「持続可能な人口の原理」を提示する。
 第3章の「多産多死から少産少死へ」では、第一と第二の人口転換理論について紹介する。



また日本の歴史的データを使い、日本の人口転換とその帰結としての人口減少について解説し、なぜ多産多死から少産少死に向かったのか、またなぜ1975年以降、すでに半世紀近くも置換水準以下の低出生力が続いているのか、その理由を説明し、この人口減少が容易には止まらないことを明らかにする。
 第4章の「人口が減ると何が問題なのか?」では、しばしば議論となる「人が減って何が悪い?」という素朴な疑問に答える。ここでは、まず人口増加が加速する「人口爆発」と同様に、人口減少が急激に進む「人口爆縮」においても、「縮減する社会」が直面する多くの課題が現れること、具体的には需要の縮減や再分配あるいは格差の拡大、自然環境・生活環境の悪化、国内・国際人口移動の制御、グローバルな意思決定の必要性などについて論じる。
 最後の第5章「サピエンス減少の未来」では、再び、国連の新推計(UNWPP22)が示す、今世紀末の世界人口の地域的な分布を俯瞰するとともに、人口転換の推進装置について考察し、出生・死亡・移動の未来について検討する。最後に時間軸をホモ・サピエンスのアウト・オブ・アフリカまで巻き戻し、我々人類がどこから来て、どこにゆくのかという永遠の謎について考える。





   目次


 序 世界人口の増加と日本の人口減少をどう考えるべきか?

第1章 縮減に向かう世界人口     1
  1 国連の将来人口推計2022   1
  2 人口増加から人口減少へ   7
  3 ポスト人口転換期の危機   17

第2章 持続可能な人口の原理     29
  1 コーエンの絶滅曲線   29
  2 人口波動モデル   38
  3 持続可能な人口の原理   44



第3章 多産多死から少産少死へ    57
  1 第一と第二の人口転換   57
  2 日本の人口転換   64
  3 世界の人口転換   84

第4章 人口が減ると何が問題なのか?   101
  1 人口減少をどう捉えるべきか   101
  2 生産と再分配の問題   107
  3 自然環境・資源エネルギー問題   117
  4 国内・国際人口移動の問題   127
  5 グローバルな意思決定の必要性   131

第5章 サピエンス減少の未来     137
  1 国連の将来人口推計2022が示す未来   137
  2 人口転換の推進装置   144
  3 出生・死亡・移動の未来   149
  4 我々はどこから来て、どこへゆくのか?   155

 参考文献一覧           159
 あとがき             163





   あとがき


 本書の「序」の冒頭に示したのは『世界』2021年8月号「特集 サピエンス減少――人類史の転換点」の前文である。本書のタイトルは、この特集に由来し内容もそこに掲載された拙稿「縮減に向かう世界人口――持続可能性への展望を探る」に準じている。特集のタイトルを初めて新聞広告や書店で目にした人は(私自身も含め)、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの世界的ベストセラー『サピエンス全史』を連想したと思う。特集の企画段階から参加し巻頭論文を執筆した身としては少々気恥ずかしく、2100年までの世界人口とその持続可能性については論じたものの、「人類史の転換点」と呼ぶべきものかと問われれば、そこまでは論じておらず、機会があれば自分なりの答えを用意したいという思いがあり、それが国連の新推計(UNWPP22)データでバージョンアップし本書となった。
 特に現在の世界が向かっている長期の人口減少が、人類史上、かってないものなのかという点については様々な補足や考察が必要となった。幸い、2020年に「持続可能な人口の原理」(An Essay on the Principle of Sustainable Population)という英書を出版していたので、そこで論じた内容を追加した。コーエンの絶滅曲線の解釈、とりわけ指数関数的増加にはフラクタル性があり、実際の人口変動は無数の人口波動が重なり合い、その結果が長期の成長曲線や指数関数的増加となる。ただし、そのような形にみえるのは、ある時点から後ろを振り向けばの話であり、すべては事後的にしか確定しない。このことは言葉や数式では難しいが、シミュレーションすれば直感的に理解できることを示したつもりだ。なお人口波動説自体は著者のオリジナルではなく日本の研究者も含め諸説を紹介すべきところだが、本書に登場するシミュレーションモデルや人口転換理論と同様、紙幅の都合もあり詳述できなかった。詳細については著者のHP(原俊彦研究室http://toshi-hara.jp)にアクセスするか参考文献にある英書を参照して頂きたい。
 近年の少子高齢・人口減少をめぐる議論は、海外/国内とも基本的な捉え方が自分の考えとは大きくズレていて、人口減少への主観的な賛否、ジェンダー平等やLGBTQなど性的マイノリティの権利に対する主張と反論、地球温暖化やCO2削減などの犯人探しや政府施策の擁護または批判に終始していて、もう少し人類史的・人口学的視点に立ち、謙虚に前向きな方向で考えることができるはずだとの強い思いがある。そこで、せっかくの機会なので、この際、まだ研究途上にあることも含め考えていることを書きたいだけ書いてみることにした。そのため第4章の「人口が減ると何が問題なのか?」は、特集の原稿よりかなり踏み込んだ内容となり、拙書『「日本株式会社」の崩壊――変貌する巨大企業と経済社会』の30年後を、企業コンサルタントではなく人口学者として改めて論じることになった。様々な分野からの異論反論が寄せられることを期待している。
 また第5章の「サピエンス減少の未来」では「サピエンス減少」というタイトルに触発にされて2000年の『狩猟採集から農耕社会へ――先史時代ワールドモデルの構築』以来、長らく中断していた人類史的な視点からの超長期の人口変動について考察した。先史時代ワールドモデルを現在、そして未来に拡張する、また日本の縄文・弥生から現代、そして未来までをシミュレートするモデルを作るという、果てしない夢はもはや時間的に実現しそうもないが、もしやりたい人がいれば喜んで協力するのでご連絡をお待ちしている。
 本書の結論としては人口は消滅したり絶滅したりするのではなく、無数の波動が重なり混じり合い、次の新しい波に引き継がれるということだ。この結論は数年前にベルリンのカフェでお会いしたフンボルト大学教授ハンス・ベルトランとの会話から得たものだ。彼は2007年頃から始まったドイツの新しい家族政策を主導した人だ。結局、低出生力からの回復が難しいとすれば、ドイツはもはや移民国家になってゆくしかないのではという私の質問に「我々ドイツ人は大移動してきたゲルマン民族の末裔であり、ドイツは最初から移民国家だ。イタリアだって同じで、今日のイタリアで古代ローマ人を見つけることはできない」との明快な回答を得た。そういえば日本だって同じだ!と目からウロコが落ちた。ベルトラン先生に感謝している。
 人口の研究を始めたのはドイツのフライブルク大学に留学していた頃(1977年から1982年まで)のことで、元の専門の政治学(行政学)に、ドイツの学位制度の関係で社会学と経済政策が加わったものの『ローマクラブ報告』で使われたワールドモデルのような社会科学系のシミュレーション・モデルに関心があり各専攻でネタを探していたところ、数値データの入手が容易でモデル化しやすい、核戦略、人口、国際通貨というテーマが浮かび、そのうち、もっとも早く完成した人口モデルで博士論文を書いた。この博士論文(ドイツ語)は「ドイツ連邦共和国における人口変動と出生減退――統計データ及びコンピュータ・シミュレーションによる分析」というもので、当時のドイツは東西に分断されていて対象は旧西ドイツ地域のみである。合計出生率がピークの2・45人(1961年)から1・45人(1975年)まで、ほぼ半減する出生力低下があり、以降、1・40人前後で推移していた(2020年現在1・53)。博士論文を書いた頃、ドイツの作家ギュンター・グラス(後にノーベル文学賞を受賞)が「頭部出産あるいはドイツ人は死滅する」(Kopfgeburten oder Die Deutschen sterben aus)(1980)という小説を発表するなど、置換水準以下の低出生率を巡る議論が盛んであった。
 その後、日本に戻り、シンクタンクの主任研究員やビジネスコンサルタントとして、バブル景気崩壊直前まで企業社会にいた。日本も少子高齢化が急速に進んでいて、人口変動が企業社会に与える影響について『「日本株式会社」の崩壊』(1987)を出版した後、北海道に移住し大学教員となり再び研究に復帰した。その頃、日本でも1・57ショックを契機に低出生率の問題が注目されるようになり、国立社会保障・人口問題研究所や日本人口学会を通じ、ドイツの低出生力の研究者として知られるようになった。古い話を書けば切りがないが、要するに1982年から2022年まで気がつけば40年も人口研究を続けている。還暦を過ぎた頃から、これまでの研究(出生、死亡、人口移動、先史時代から今日までの超長期の人口変動など)がまとまり始め自分なりの回答が得られたと思っているが、本書が出る頃にはもはや古希を迎える。私が2100年の世界を見ることはないが、現在4人となった孫たちも含め、今後生まれてくる新たなホモ・サピエンスたちにとって未来がより良いものとなることを願っている。
 『世界』の特集は、『人口学研究』に書いた過去と今後10年の学会展望を編集担当の渕上皓一朗氏が見つけ連絡を頂きオンラインの企画会議を経て実現した。そして特集が出て岩波新書編集担当の島村典行氏から連絡を頂き、本書の企画・出版の機会を得た。末尾ながらお二人に心より謝意を表する。

2022年10月30日 札幌にて
原俊彦



原 俊彦
1953年東京都生まれ。人口学者.早稲田大学政治経済学部卒,フライブルク大学博士(Ph.D).(財)エネルギー総合工学研究所,北海道東海大学,札幌市立大学を経て札幌市立大学名誉教授.日本人口学会理事,国立社会保障・人口問題研究所研究評価委員などを歴任.著書に『狩猟採集から農耕社会へ』(勉誠出版),『A Shrinking Society』,『An Essay on the Principle of Sustainable Population』(Springer)など.





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『朝のあかり――石垣りんエッセイ集』(中公文庫) 

2023年04月25日(火)

伊藤比呂美さんの編で,
石垣りん詩集
岩波文庫 2015年第1刷
が出て,本屋で手にとった.

名前は知っていたけれど,たぶん読んだことはなかったように思う.

1920年2月生まれ,
2004年12月死去.

解説で,梯久美子さんが書いているように,とても辛辣で,厳しい文章がある.
東京・赤坂で生まれたという.薪炭商の家だったとある.
いまではとても想像もできない……かなと思う.
そういえば,一ツ木通りには,むかし銭湯があったことを思い出す.


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朝のあかり
――石垣りんエッセイ集

石垣りん

2023年2月25日
中央公論新社

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目次


Ⅰ はたらく   9

 宿借り             10
 けちん坊            12
 朝のあかり           14
 雨と言葉            16
 目下工事中           18
 よい顔と幸福          21
 日記              31
 晴着              38
 事務服             41
 事務員として働きつづけて    45
 おそば             49
 領分のない人たち        53
 食扶持のこと          58
 着る人・つくる人        64
 巣立った日の装い        68
 試験管に入れて         71
 夜の海             76
 こしかた・ゆくすえ       80


Ⅱ ひとりで暮らす   83

 呑川のほとり          84
 シジミ             86
 春の日に            88
 電車の音            90
 器量              92
 花嫁              94
 通じない            96
 女の手仕事           99
 つき合いの芽          103
 彼岸              108
 コイン・ラントリー       110
 ぜいたくの重み         112
 水はもどらないから       114
 愛車              117
 庭               119
 籠の鳥             121
 貼紙              124
 山姥              127
 梅が咲きました         130
 雪谷              132
 私のテレビ利用法        135
 かたち             139


Ⅲ 詩を書く   151

 立場のある詩          152
 花よ、空を突け         171
 持続と詩            181
 生活の中の詩          186
 仕事              194
 お酒かかえて          200
 福田正夫            204
 銀行員の詩集          212
 詩を書くことと、生きること   214


Ⅳ 齢を重ねる   233
 終着駅             234
 四月の合計           237
 二月のおみくじ         239
 椅子              242
 私はなぜ結婚しないか      244
 せつなさ            248
 インスタントラーメン      250
 火を止めるまで         252
 しつけ糸            255
 鳥   259
 おばあさん           262
 空港で             265
 八月              268
 港区で             271
 花の店             274
 隣人              277
 風景              280
 思い出が着ている        283
 悲しみと同量の喜び       289
 ウリコの目 ムツの目      295
 乙女たち            302
 夜の太鼓            305


  解説  梯久美子   309





   解説   梯 久美子


 石垣りんの名を、教科書で知ったという人は多いのではないだろうか。「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」「表札」「空をかついで」などの作品が、これまで中学校や高校の国語教科書に採用されてきた。
 戦後を代表する詩人のひとりに数えられる石垣りんは、一方で、すぐれた散文を多く書き残している。生前に刊行されたエッセイ集が三冊あり、そこから七十一篇を選んで収録したのが本書である。
 石垣りんに対して、優等生的な「教科書の詩人」というイメージしかもっていなかった人は、本書を読んで、世の中を見る彼女の目の仮借のなさに驚くかもしれない。たとえば「I はたらく」にある、「よい顔と幸福」と題された文章の辛辣さはどうだろう。
 石垣りんは銀行員として長く働いた人である。その銀行の職場新聞に載ったある投稿の話からこのエッセイは始まる。自分たち銀行員を〈大へん良い顔をしている〉と自賛し、〈ことにわが子息たちはまことに良い顔をしている〉とする文章に、彼女は強烈な違和感をもつ。
 貧しさゆえに教育を受けられない人たちのことに思いが至らず、特権を当然のものとして享受する人たち。エリートの無神経さと、持つ者/持たざる者の分断、階層の固定化といった現在まで続く問題を、石垣りんは半世紀以上前に、借りものではない自分の言葉で、こんなにも具体的に語っていたのだ。
 このエッセイの中で石垣りんは、大組織のいちばん低い場所で長年働いてきた自分を〈アウトサイダー〉と明確に位置づけている。アウトサイダーの目を持たねば見えないものがあるという自覚は、彼女の詩にも通底するものだ。
 書かれた内容にも増して私が驚いたのは、このエッセイが、石垣りんが勤めていた銀行の行友会誌に発表されたものだという事実である。高等小学校を卒業して事務見習いとして入行したのが十四歳、文中に勤続二十五年とあるから、三十九歳のときである。私は銀行の後輩にあたるという女性からその掲載誌を見せてもらったが、黄ばんだ誌面に印刷された文章を改めて読みながら、「書く女」としての石垣りんに圧倒される思いがした。
 晩年の石垣りんと交流のあった元新聞記者の栗田亘氏は、なぜ詩を書くのかと彼女に尋ねたことがあるという。するとこんな答えが返ってきたそうだ。
〈長いこと働いてきて、人の下で、言われたことしかしてこなくてね。でも、ある時点から自分のことばが欲しかったんじゃないかな。何にも言えないけれど、これを言うときはどんな目に遭ってもいいって〉(「お別れのことば」より)
 どんな目に遭ってもいい、という覚悟で石垣りんは詩を書いていた。それはおそらく散文においても同じだったのだと思う。
 栗田氏は、この〈凛とした、明晰なことば〉を、彼女がく少女のように差じらいを含んで〉語ったと書いている。
 石垣りんを知る人は一様に、彼女がはにかみやで遠慮がちな人だったと回想している。詩人の谷川俊太郎氏は、石垣りんが八十四歳で亡くなったとき、別れの会で朗読した詩で、こう呼びかけた。
〈何度も会ったのに/親しい言葉もかけて貰ったのに 石垣さん/私は本当のあなたに会ったことがなかった/きれいな声の優しい丸顔のあなたが/何かを隠していたとは思わない/あなたは詩では怖いほど正直だったから〉(「石垣さん」より)
 おだやかで控えめで、いつも優しい笑みを浮かべていた石垣りんは、ひとたびペンを持てば、誰にもおもねらず、遠慮せず、本当のことを書いた。その覚悟と衿持は、本書に収められたエッセイにもたしかに息づいている。
 石垣りんの詩にもエッセイにも、身を挺してつかみ取った批評性がある。だがそれだけではない。同時に、隣人に注がれる、あたたかい目が存在する。
 「Ⅱ ひとりで暮らす」にある「花嫁」は、公衆浴場で見知らぬ女性から、衿足を剃ってほしいと頼まれる話である。明日嫁に行くと言われて、石垣りんは祈るように差し出されたカミソリを受け取る。
〈明日嫁入るという日、美容院へも行かずに済ます、ゆたかでない人間の喜びのゆたかさが湯気の中で、むこう向きにうなじをたれている、と思った〉
 何と美しい描写であることか。人間というものの、切なさといじらしさがここにはある。
 見知らぬ人の衿足にカミソリを当てるのは、親切心や優しさだけではできないことで、ひとつの決心がいる。その決心をうながしたのは、りんと同じく都会でひとり生きてきたこの女性の孤独だったに違いない。
 石垣りんは、独身のまま生涯を全うした。さまざまな事情はあったにせよ、ひとりで生きて死ぬことを選んだ人である。自立、という言葉が軽く感じられるほど、孤独をその身に深く引き受け、個として生きるよろこびと哀しみを味わい尽くした。その軌跡は、彼女が残した詩と散文に刻まれている。
 詩人の三木卓氏は、彼女を〈単独者〉と呼び、〈その目は、生活の表層にとどまるという幸福を得ることができず、深く人間の生の本質的な条件を見てしまわないではすまない〉と書いている(「生活の本質見抜いた目――石垣りんさんを悼む」より)。
 本書に収められたエッセイの一篇一篇には、石垣りんの人生の断片がちりばめられており、その背後に、彼女が生きた時代が見え隠れする。より深く彼女の文章を味わってもらうため、石垣りんがどのような人生を歩んだのかを、簡単ではあるが最後に記しておく。
 石垣りんは一九二〇(大正九)年、東京に生まれた。父の仁は赤坂で薪炭商を営んでいた。生母のすみは、りんが四歳のとき三十歳の若さで病死。父はすみの妹を後妻に迎えるが、りんの叔母にあたるこの人も早世する。父は三人目の妻を迎えるも離婚、その後、りんが十七歳のときに四度目の結婚をした。
 高等小学校卒業後、十四歳で丸の内の日本興業銀行に事務見習いとして就職。自分の稼いだお金で自由に本を買い、ものを書きたかったから進学しなかったという。少女雑誌に詩や小説を投稿し、やがて仲間たちと女性だけの詩誌を創刊する。
 太平洋戦争が始まったとき二十一歳、疎開はせずに銀行で働き続け、二十五歳で終戦を迎えた。赤坂の家は空襲で全焼し、戦後は品川の路地裏にある十坪ほどの借家に、祖父、父、義母、二人の弟と暮らした。父は身体を壊して働けず、上の弟は病気のため無職、下の弟は障害があり、家族六人の生活がりん一人の肩にかかってきた。以後、銀行で働いて家族を養いながら詩を書き続けた。
 老いてなお四人目の妻に甘えて暮らす父をりんは嫌悪し、義母とも折り合いが悪かった。このころのりんは〈この家/私をいらだたせ/私の顔をそむけさせる/この、愛というもののいやらしさ〉(「家」)、〈父と義母があんまり仲が良いので/鼻をつまみたくなるのだ/きたなさが身に沁みるのだ〉(「家――きんかくし」)といった痛烈な詩を書いている。
 三十三歳のときに祖父が、三十七歳のときに父が死去。残された家族の面倒は引き続きりんが見た。
 満五十五歳になる前日、銀行を定年退職。その五年前に、退職金でローンを完済できる見込みの1DKのマンションを購入していた。本書のエッセイにも登場する私鉄沿線のこのマンションは、十四歳から働き、戦後は家族を養ってきたりんが、ようやく持つことのできた自分ひとりの城である。
 二〇〇四年、八十四歳で死去。詩集は生前に刊行した『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』『表札など』『略歴』『やさしい言葉』および、没後に遺稿から編まれた『レモンとねずみ』がある。

(かけはし・くみこ ノンフィクション作家)

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本田和子さんの本のことなど

2023年04月24日(月)

さいきん本田和子さんの訃報を見た.
いつごろだったか,本田さんの書かれたものを読んでいた.
なぜ手にとって,読もうとしたのだろうか,
あまり覚えていないが,
あるいは仕事の関係があったか.

行政の乳幼児,あるいは初等教育のあり方に,すこし疑問があったかもしれない.
それで子どもの問題を考えてみたいと思ったのだろうか.

あるいは,ぜんぜん違っていたかもしれない・
もうずいぶん前のことになってしまう.
けっこう本棚に,著作がならんだ.
弘文堂が,
叢書・死の文化
を出していて,そのなかに,
本田和子『オフィーリアの系譜』
昭和の終わりから平成の初めのころだった.

そう,この叢書を眺めていたのだった.第Ⅰ期15巻とあって,とりあえず――

1 阿部謹也『西洋中世の罪と罰』
2 森崎和江『大人の童話・死の話』
3 大井玄『終末期医療』
4 米本昌平『遺伝管理社会』
5 本田和子『オフィーリアの系譜』
6 高木仁三郎『巨大事故の時代』
7 長尾龍一『政治的殺人』
8 日高敏隆『利己としての死』
……
あと,大岡信,香原至勢,加賀乙彦,野村雅一,養老孟司,小松和彦,粉川哲夫
の名前が挙がっていた.
おもしろかった,という記憶はある.すべて読んだか,どうだったか.

本田さんの本を読みながら,子どものころを思い出したり,
現実の小さな人たちに係る公共の対応を考えていたようには思う.
一方で,大井玄さんの本などで,高齢者の問題を考えたりしていたか.
もうすぐ「高齢社会」になろうとするころだった.
一方で幼保連携などが唱えられながら,まったく進展を見せていなかった.

そんなことをも出しながら、なんだ,課題はずっと同じだったんじゃないか,
と思うことがある.

Wikipediaをみると,本田和子さんの単著としてあげられていた……

『子どもたちのいる宇宙』三省堂 1980年
『異文化としての子ども』紀伊国屋書店、1982 のちちくま学芸文庫 1992年
『子どもの領野から』人文書院 1983年
『少女浮遊』青土社 1986年
『子どもという主題』大和書房 1987年
『子別れのフォークロア』勁草書房 1988年
『オフィーリアの系譜 あるいは、死と乙女の戯れ』弘文堂 1989
『フィクションとしての子ども』(ノマド叢書) 新曜社 1989年
『女学生の系譜――彩色される明治』青土社 1990年
『江戸の娘がたり』朝日新聞社 1992年
『少女へのまなざし』日本放送出版協会 1993年
『映像の子どもたち――ビデオという覗き窓』人文書院 1995年
『交換日記 少女たちの秘密のプレイランド』(今ここに生きる子ども) 岩波書店 1996年
『変貌する子ども世界 子どもパワーの光と影』中公新書 1999年
『子ども100年のエポック』フレーベル館 2000年
『子どもが忌避される時代 なぜ子どもは生まれにくくなったのか』新曜社 2007年
『それでも子どもは減っていく』ちくま新書 2009年
『ところで軍国少女はどこへ行った』ななみ書房 2019年

このうち,
異文化としての子ども
少女浮遊
子別れのフォークロア
オフィーリアの系譜
交換日記
は,じっさいに手にとった記憶があるが,ほんとうかな,
さいきんのメディアの報道などを信ずれば,
子どもの問題のなんであるか,
なにもわからないできたのかもしれない.
そういえば,子どもに対する虐待の話を活字で読んだのは,
たぶんもう半世紀近く前だったか,ある総合雑誌の記事だったように思う.
性的な虐待を特集していたか,ちょっと記憶はあいまいだけれど.

本田さんの本を手にとるようになってしばらくあと,
国立小児医療センター,今なんという名称なんだろう,
そこの小児科医らが名前をつらえる子どもの虐待を考える全国的な研究会が組織される.
子どもを殺す子ども……そんな話を読んだりしていただろうか.

なんだかとても無惨な思いが、残る.
なにが問題とされ、なにが人びとの視野から落ちこぼれていっただろうか.

本田さんの逝去は,メディアではあまり大きくは取りあげられなかった.
子どもを取り巻く環境,子どもの成長をめぐる問題が、いろいろ取りあげられるときに,
なんだかなぁ,とおもいながら.

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「大卒、コスパ悪い」5割超 米世論調査 /学費高騰で収入増に見合わず

2023年09月10日(日)

中国で,若い人たちの就職が厳しい状況だとか,しばらくそういう情報がメディアに目立つ.
中国だけではないけれど,
あるいは,この列島の国もまたそうだったように思うけれど,
「後進国」が「先進国」にキャッチアップしていく様には,だいたい似たような傾向があるのだろう.
そして,あとからキャッチアップしていく国,地域が,その傾向をより強めているように思う.

それで,その目当てのひとつであっただろうアメリカの現状には,そういう意味でちょっと興味があるけれど,
自分の生活の様から,なかなか実感としてわからないところが少なくなくて,
そのひとつに家計の中での「教育費」があるんだろうな,と思う.

それは置いて,
では,なんで上の学校に進むのか?
義務教育は中学校まで,で,もう昔話になってしまうんだろうが,中学卒業で就職する人たちが少なくなかったのだろう,都市部への集団就職が話題だった.
いや,たぶんそれ自体が,ある種の経済現象だったかもしれないし,
それがもたらした「都市化」というもののひとつの結果だったのかもしれない.
それでも高校の入学定員が拡大していったのだろう,就職口が求める「能力」〔適性」などが導いたことだったのかもしれない.
祖父母は,たぶんそれこそ義務教育だけだったのだろう,
その子らは,みな一応高校程度以上に進んだ.一番下の男子が大学へ進んだ.

それで,なぜより上の学校に進もうとしたんだろう…….
自分のことも振り返る.
学問とか,科学とか,そんなコトバに魅力があっただろうか.
もうほとんど覚えていないのだけれど,中学の同級生は,ほとんどが高校に進んだと思う.
ひとりだけ記憶に残る人がいて,とてもあいまいな記憶ではあるけれど,ちょっと「ワル」っぽい雰囲気の,でも正直な人だったと思う.いつだったか,せめて定時制でも行こうかと思っている,そんな話をした.どうしているんだろう,とずっと気にかかる.
そのころ,高専,高等専門学校が設立されていた.親しかったクラスメートが進学していった.
公立高校,国公立大学で,学費が千円前後だったろうか.

卒業後に,どんな人生を思い描いていたんだろう…….

……………

アメリカの大学のことはよく取りあげられるけれど,
ヨーロッパの大学,そちらの方が歴史と伝統があるんだろうが,あまり情報が伝わってこないようだけれど,ちょっと偏っているようにも思うが.

そういえば,今年,潮木守一さんがお亡くなりになった.


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「大卒、コスパ悪い」5割超 米世論調査
学費高騰で収入増に見合わず
2023/4/22付日本経済新聞 夕刊

【ニューヨーク=山内菜穂子】米国で「大卒」について懐疑的な見方が広がっている。米世論調査によると、米市民の5割超が大学の学位の価値は取得コストに見合わないと回答した。学費の高騰のほか、深刻な人手不足を背景に、学歴不問の採用活動が広がりつつあることも大卒資格への評価が低下する要因となっている。

米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)とシカゴ大世論調査センターが3月、約1000人を対象に世論調査を実施した。学生ローンの重い負担などを理由に、56%が四年制大学の学位には「価値がない」と思うと答えた。

良い就職や収入増につなげるために「価値がある」と考える人は42%にとどまった。「価値がない」と答えた割合は男性が女性よりも高く、年齢別にみると18歳から34歳が最も高かったという。

WSJによると、同様の質問をした2013年の調査では「価値がある」(53%)が「価値がない」(40%)を大幅に上回っていた。この10年間で大卒への懐疑論が高まった要因には、大学の学費の高騰や深刻な人手不足などがあるとみられる。

全米教育統計センター(NCES)によると20年度の大学の学費(授業料と寮など諸費用の合計)は平均約2万9000ドル(約390万円)。10年前に比べ約1割増えた。州から公立大への財政支援が減ったことや、各大学が魅力を高めるために設備や指導体制を充実させていることなどが学費高騰の原因といわれる。米国の学生ローンの残高は1.7兆ドルに達している。

労働市場の逼迫も大卒の魅力低下につながっている。米労働省によると、3月の失業率は3.5%と歴史的な低水準にある。働き手を確保するために求人の際に学歴を不問にする動きも広がる。東部ペンシルベニア州は1月、州政府の大半の職種で採用条件から学士資格をなくした。東部メリーランド州、西部ユタ州に続く動きだ。

それでも生涯年収をみると、大卒者と高卒者には開きがある。米ジョージタウン大によると、大卒者の生涯年収は平均280万ドルで、高卒者よりも8割多いという。


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鳥取県知事がチャットGPT禁止を表明「地べたで集めた情報に価値がある」

2023年09月26日(火)

けさの朝日新聞1面はAIだったか.
まぁ,なかなか賑やかだし,興味がない……ということはないのだけれど,
なぜこんなに騒々しく取りあげなければならないのか、とは思う.

と思っていたら,
ちょっと前の新聞記事に、おもしろいのがあった.

機械は,自分で見聞きし、調べているわけではない.
遠い将来,すべての情報,知識がデジタル化されたとき,あるいは機械が自ら学習し,考えるときがあるのかもしれないけれど,
いまは,違うのでしょう?
だれかが,機械に情報を与えている.情報を処理する手順については,これもまた機械に与えられているのだろう.誰が? ヒトが.

僕が本や雑誌などを読むとき,ネットから情報を得ようとするとき,
一定のバイアスがかかっているだろうな,とは思う.ぼくは,まったく公平無私なわけじゃないから.
機械は、ひょっとすると公平無私かもしれないけれど,しかし,現状では,外部から情報が与えられなければならないのだとすれば,さて,誰が,どんな情報を与えているんだろう……ということだな,
というのは,大きな間違いだろうか?

あるいは,ネット上の罵詈雑言を,機械はどんなふうに読み解いていくのだろう,とおもうことがある.
これは罵詈雑言である……とか,
いや,愛ある戯れ言である……とか,
はて,さて.


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鳥取県知事がチャットGPT禁止を表明「地べたで集めた情報に価値がある」
地域 政治・行政 鳥取 行政
【中國新聞】2023/4/20
(最終更新: 2023/4/20)

 鳥取県の平井伸治知事は20日、インターネット上の膨大なデータを学習し、違和感のない文章を生成する対話型人工知能(AI)「チャットGPT」について、職員が議会の答弁資料作成や予算編成、政策策定に使用することを禁止すると表明した。「自治体は地域に出向いて情報を集め、地域の話し合いで意思決定するべきだ」と説明。職員の公用パソコンはアクセスできないよう設定したという。

 記者会見で平井知事は、広島県など活用を目指す自治体が相次ぐ「チャットGPT」について「スムーズに文章が出てくるが、情報は過去か現在で、未来の答えは出てこない」と指摘。「現場に出向き、地域の特性に合わせて有効な政策を考えなければならない。端末をたたいて出てくる答えではなく、地べたで集めた情報に価値がある」と強調した。

 また、地方自治や議会がAIに依存すると「民主主義の根幹に関わる」と述べた。一方で「検索エンジンとして情報収集に使うことはありうる」として、私的な活用は否定しないとした。(小畑浩)


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(歴史のダイヤグラム)新幹線で長崎が失ったもの 原武史

2023年08月15日(火)

この時期,ヒロシマがメディアにたくさん露出する.
そして,終戦記念日とか,
あれ? ナガサキは……なんていわないけれど.

なんだかよくわからない新しい鉄道路線が登場したけれど,
なんなのだろう.

そうしたら,甲子園に鳥栖工高が登場とか.
鹿児島本線から長崎本線が分岐する.


西九州新幹線……,
長崎本線はどうなるんだろう,と思ったのだった.
長崎本線の新線ができたとき,ちょっと心配だった.優等列車は,新線経由だった.
ちょっと残念だった.まぁ,勾配のきつい路線だったしな,とは思ったけれど,
旧線しか知らなかったのだから,
トンネルに溜まった蒸気機関車の煙の中を過ぎて,大村湾を見ながら,諫早に…….
まぁ.古けりゃいいというわけではないけれど,
諫早を過ぎて,右手に,有明海を見ながら,海と山に挟まれた狭い平地を列車が走る.
そのうち,佐賀平野の湿地帯を列車が走る……,
そんな風景はどうなるんだろう,と思った.

若い従姉妹は,ひいきのバンドのコンサートを聴きに,博多までときおり特急で行くのだと言っていた.
ずいぶん速くなっているじゃないか,と思ったが,もっと速く,ということなんだろう.

写真を見ると,長崎駅はおおきく変わるらしい……と知る.
0番線は,長崎駅で行き止まり.
駅の先は,近海航路の港.その向こうに,造船所や,遠洋漁業の拠点などが見える.
長崎港内の連絡船は,道路整備でなくなってしまったようだ.

変化の先に、何を見るのだろうと思う.

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(歴史のダイヤグラム)新幹線で長崎が失ったもの 原武史
2023年4月22日 3時30分

[写真]嬉野温泉―武雄温泉間を走る西九州新幹線「かもめ」

 3月25日、私は佐賀にいた。昨年9月に開業した西九州新幹線を切り口として鉄道を考える講演を、佐賀新聞社から依頼されたのだ。

 西九州新幹線は、佐賀県の武雄温泉と長崎の間を結んでいる。本来ならば山陽新幹線に接続する形で博多―長崎間を結ぶはずだったが、武雄温泉以東のルートがまだ決まっていないため、博多から武雄温泉までは在来線の特急を走らせ、武雄温泉で長崎ゆきの新幹線に接続させるという苦肉の策がとられた。

 講演に先立ち、西九州新幹線に乗ってみようと思った。まずは佐賀を8時59分に出る特急「リレーかもめ9号」の自由席車両に乗る。武雄温泉止まりのはずだが、行き先表示は長崎となっていた。

 土曜日のせいか、座席はほぼ埋まっていた。列車は広々とした佐賀平野を西に向かってひた走る。所々に菜の花が咲き、桜も咲き始めている。しかし見慣れた在来線の特急の車内とはなんとなく違う。乗客の雰囲気がそわそわしているのだ。次の停車駅、武雄温泉が近づくと、もう席を立って扉付近に移動する客がいる。新幹線の自由席を確保したいからだろう。

 9時20分、武雄温泉に着く。ホームは高架で、向かい側に長崎ゆきの「かもめ9号」が止まっていた。ほとんどの客がこの列車に乗り換える。乗り換え時間は3分しかないので、あわただしく発車する。もっと混んでいたら、時間通りに発車できたかどうかわからない。

 動き出すやトンネルに入り、出たと思ったらまたすぐ入る。その繰り返しで、季節感というものはない。5~8分走っては嬉野(うれしの)温泉、新大村、諫早(いさはや)と止まる。新大村付近ではかろうじて霞(かす)んだ大村湾が眺められたが、あとはほぼ何も見えなかった。

 9時54分、終点の長崎に着いた。長崎駅といえば、長崎出身のさだまさしの名曲「驛舎(えき)」が思い浮かぶ。頭端式のホームに漂う終着駅ならではの光景が目に浮かんでくるのだ。だが久しぶりに降りた長崎駅は、かつての記憶をとどめていなかった。

 新幹線ばかりか在来線も高架になり、頭端式のホームはなくなっていた。ホームは無人で売店もなく、自動販売機があるだけだった。駅弁はないのかと探したら、改札を出たところにあるコンビニの奥にやっと見つけた。そもそも車内で食べることが想定されていないのだろう。

 旅の楽しみは、車内でゆったりと座り、移りゆく景色を眺めながら駅弁を食べたり、缶ビールを飲んだりすることにある。そう思っている客は西九州新幹線の乗客に似つかわしくないのだ。それでも、速さと引き換えに失われたものの大きさを思わずにいられなかった。(政治学者)


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『代表制民主主義はなぜ失敗したのか』 藤井達夫(集英社新書)

2023年04月23日(日)

しばらくテーブルの上に積まれていた.
ふとんに入って,すこしずつ読んでみた.

ぜんぶ納得できたとか,理解したとか,そんなことはなかったけれど,
でもおもしろかった.おもしろいテーマだと思った.

そういえば,GDPの大きな国というのは,みな人口大国なんだな、と思う.
デンマークと言うには、けっして裕福な国ではないのだろう,
でも,幸福度の高い国とか,
それで,人口500万人くらいだったか.
人口10万くらいのコミューン,基礎自治体ということだったか,
全国からコミューンの担当者を集めて会議を開く,としても,50人,
そんな話を聞いたことがあった.

インドが中国の人口を上回ったのではないか,とか,そんなニュースが流れる.
いずれGDPでも,世界のトップに立つのかもしれないとか.
で,かの国は幸せになるのだろうか,と思う.
人口10億の国,人口500万の国……,
一律に論じられるのか,と思うことがあったな,と思い出す.

そういえば,列島の国も,1億を超える人口を抱える.
江戸時代3000万人くらいか,ひとつの藩で10万人くらいだったとか,
それで「一国」だったわけだから.



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代表制民主主義はなぜ失敗したのか

藤井達夫

集英社新書

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はじめに

 この国はいま、どんな状態にあるのだろうか。まず思い浮かぶのは、労働の不安定化による生活の安全の破壊、格差問題という名で偽装された貧困化、ポスト工業化社会に不適合となった社会保障制度の持続不可能性など、「社会問題」が噴出していることだ。
 この現状をさらに深刻にしているのは、近年、そうした「社会問題」が隠しがたいものとなっているにもかかわらず、政治が長期的な視野に立った抜本的な解決策を実施することはおろか、構想さえできていないことだ。コロナ禍は改めてこのことを確信させてくれた。思い起こせば、第二次安倍政権はこうした日本の象徴であった。この政権は、近年の他の政権と比較して「社会問題」に効果的に対処し、長く停滞した時代を終わらせる上でいくつもの好条件を備えていた。憲政史上最長の政権だったという点、衆参のねじれもなく安定した政権運営が可能であったという点、そして首相のトップダウン型政策決定ができるよう内閣機能の強化がなされていたという点だ。これほどの好条件を揃(そろ)えた政権はまず記憶にない。
 しかし、実情は「社会問題」を解決するには程遠く、コロナ禍の最中に自ら退陣する道を選
〈4〉
択した。そればかりか、好条件が裏目となって、第二次安倍政権の下で政治権力の私物化という事態が進行した。こうして、この国の政治は私たちの生活を脅かすリスクになりつつあるように見える。


 そんな政治をこのまま見て見ぬふりして放置し続けるのか、少しずつでも地道な改革をしてやいくのか、それとも、こんな政治のやり方はきっぱり止めにして、全く違うものに取り換えてしまうのか。私たちの未来は、私たちがそれらのどれを選択するかにかかってくる。しかし、いずれを選択するにしても、この国の政治がどのような原理や制度に基づいて行われてきたのかを、まず確認しておく必要があるだろう。
 日本の政治は、民主主義、より正確には、選挙と政党を基盤にした代表制度の下での民主主義によって運営されている。一般にこれを代表制民主主義と呼ぶ。代表制民主主義について、統治の基本原則を記した現行の日本国憲法ではこう規定されている。
 「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に出来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と。
 厳かでありながらも、一見、平易な一文だ。しかし、日本国憲法に結実した代表制民主主義の定義の真意は、字面をなぞるだけでは、把握することはできない。民主主義と代表制度は、元来どのような関係にあったのか、いかなる経緯でそれらは結合し、代表制民主主義が誕生したのか、代表制民主主義がよく機能する条件とは何か、そうした条件が喪失され、代表制度が機能不全となった場合、民主主義はどうなるのか。これらの問いに正面から向き合ったとき、代表制民主主義に対する確かな理解を得ることができる。その上で、この国の政治に対して私たちがどのような選択をすべきなのかについて、より良い判断ができるようになるだろう。


 本書では、代表制民主主義とは何かを説明すると同時に、現在、それが小手先の手当てではどうにもならないほどの機能不全に陥っていることを明らかにする。さらに、現代に適した形で代表制民主主義を復活させる抜本的な改革の方向性も提示する。そのために、代表制民主主義の仕組みを解体し、さらに再構築していく。
 具体的にはまず、日本を含めた民主主義諸国の苦境の原因を究明する。そこから、民主主義の本来の理念や目的は何であったのか、近代に復活する代表制度の下での民主主義とはいかなるものであったのかについて検討する。このために、民主主義の理念を明確にした上で、民主主義とはそもそも無縁であった代表制度が近代以降、その理念を実現する手段として導入された経緯を明らかにする。さらに、代表制度が民主主義の制度として機能するための条件を検討し、その条件が消失してしまったがゆえに、代表制度が民主主義の制度として機能しなくなっ
〈6〉
ていること、そしてここに現代の民主主義諸国の行き詰まりの根本的な原因があることを指摘する。最後に、現代において民主主義の理念に奉仕するような代表制度の改革案を考察する。こうした大筋は、以下の章立てで詳述される。
第一章では、民主主義諸国の現状から出発する。日本に限らず、現代の民主主義諸国はもはや破綻寸前だ。《私物化》をキーワードとすることでこの苦境を解明する。現代の私物化は、二つの領域で進行している。それが、社会の私物化と政治の私物化だ。
 この章では、社会の私物化にフォーカスする。他人の意思の下に置かれることなく自由な状態で生きていくために共有せざるをえないもの――例えば、空気や水などの自然、道路や公園などの社会インフラ、医療や教育をはじめとする公的制度――が新自由主義によって私物化されている。新自由主義による、社会という共有のものの私物化。これが民主主義諸国の苦境の一因に他ならない。
 第二章では、政治の私物化が主題となる。政治の私物化とは何か。それは、本来なら社会の私物化を防ぎ、支配と服従の関係を排除するために存在している、共有のものとしての政治(権力)の私物化を意味する。この事態が現代の民主主義諸国で起きている。政治の私物化の行き着く先は、専制政治である。とするなら、現代の民主主義諸国は専制の脅威に晒(さら)されていることになる。
 この章の議論はそれだけではない。専制の脅威の中で民主主義はいま、全体主義との壮絶な戦いを演じた一九四五年以来の最大の危機を迎えつつある。その危機とは、台頭する超大国中国の統治モデルと民主主義との競争から生ずる。このモデルは、政治的メリトクラシー――本書では、選挙ではなく、能力と経験本位の選抜を勝ち抜いた政治エリートによる支配を意味する――によって、自由を制約しながらも治安と豊かさを人びとに提供しようとする。民主主義が統治をめぐる中国とのこの競争に勝利できる保証はどこにもない。むしろ、今後多くの民主主義国に暮らす人びとが中国モデルに誘惑され、公然と支持を表明する可能性さえある。第二章では、その理由についても分析する。
 第三章では、民主主義は元来、何を目指していたのか、いかなる目的で生まれたのかを問う。つまり、民主主義の理念とはどのようなものかをはっきりさせる。民主主義を多数決や選挙と同一視する人はいまだに多い。それでは、民主主義について十分に理解しているとはいえない。確かに、現在、代表制民主主義を運用していく際、代表者を選ぶために選挙が行われ、何らかの意思決定を策定すべく多数決が行われる。しかし、だからといって、選挙や多数決が民主主義それ自体であるということにはならない。それらは民主主義が目指す理念を実現するための手段でしかない。その手段は選挙や多数決以外にも存在する。だから、手段と目的の区別を明確にするためにも、民主主義とは何かについてまず問わねばならない。そこで、古代の民主主
〈8〉
義および近代の民主主義の双方を、歴史的あるいは理論的な視座から考察する。そこから得られる民主主義の理念こそ、反専制としての民主主義なのである。
 第四章では、代表制民主主義とは元来、どのようなものであったのかについて議論する。そのために、代表制度の起源と歴史について理論的視座から検討する。出発点は、代表制度が、民主主義とそもそも無関係な制度であったという事実だ。現在の一般的な民主主義に対する理解からすれば、これは驚愕(きょうがく)すべきものに違いない。実のところ、一八世紀に復活する民主主義は、反専制という古(いにしえ)からの理念を大規模化した国民国家において実現するために代表制度と接合させられた。ここに代表制民主主義が誕生するわけであるが、本書では一級の政治思想のテキストを参照することでその始まりを確認する。その後の発展において、代表制民主主義は、工業化社会の完成とともに黄金期を迎えることになる。二〇世紀中頃における黄金期の社会的・経済的・文化的条件が何であったのか、その条件の下で、代表制度がどのように機能したのかを論じる。
 第五章では、代表制度の機能不全がどのようなものであるのか、その原因がどこにあるのかを明らかにする。一九七〇年代以降、多くの民主主義国はポスト工業化の時代に突人していくが、その過程で代表制民主主義の黄金期を可能にした諸条件が徐々に消失していく。それに伴い、代表制度が民主主義の制度として想定された機能を果たすことができなくなっていく。代表制度の機能不全の結果が民主主義のポピュリズム化である。そこで、グローバルに進行している現代民主主義のポピュリズム化に焦点を当て、その原因を代表制度の機能不全から考察する。トランプ前大統領に代表されるポピュリストの下で、元来は専制政治に対抗するための砦(とりで)であった民主主義は私物化され、支配のための道具となり果てつつあることを論じる。
 第六章では、最後に残された課題、「それではどうしたらよいのか」について検討する。まず確認すべき前提は、現行の代表制度を批判的に検討したからといって、「毎日国民投票」をすればよいというような直接民主主義を称揚することにはならないということだ。途方もない努力の末に作り上げられた代表制度という遺産を放棄することは賢明でも、また可能でもない。それに、熟議の機会を欠いた現行の国民投票のやり方には、多くのエリートたちが危惧するリスク――衆愚政治のリスク――がないともいえない。これが本書の基本的な立場だ。そこから、代表制度を現代の条件に合わせてどう改革していくのかを検討する。具体的には、熟議と参加をベースにした民主主義のイノベーションの実例に焦点を当てる。
 何とありきたりなことをと思われるかもしれない。しかし、そうするのは、「話し合いをしましょう」とか、「選挙だけでなくデモにも行きましょう」などとお説教を垂れるためではない。その実例には、政治権力を民主的にコントロールするための、新たなアイデアと工夫が存在するからだ。さらに、新しい時代の代表制民主主義を支える市民を創出する可能性があるか
〈10〉
らであり、新自由主義によって荒廃させられた共有のものを新たに想像=創造する可能性があるからに他ならない。
 現代の多くの民主主義国で見られる政治の破綻と、それに乗じて民主主義のオルタナティブとしての存在感を強めつつある中国の統治モデル。現代の民主主義が直面するこの危機を少しでも危惧するのなら、代表制度の過去を振り返り、現在を診断し、未来を構想することはもはや義務といっていい。とはいえ、それは決して暗くて空(むな)しい義務ではないだろう。これまで、私たちの生活を支えるさまざまな制度の多くが、試行錯誤を経ながらも時代の変化に適応し、より望ましい形に進化してきた。代表制度もその例に漏れることはないはずだからだ。そして、何より、代表制度の新たな進化を構想することは、閉塞感よりも開放感が、絶望よりも希望が伴うはずだからだ。




〈12〉

目次

はじめに   3

第一章 民主主義諸国における社会の私物化   17
  一 私物化から支配へ
    ――自由はどのように失われるのか
    ルソーの『人問不平等起原論』/自由・共有のもの・私物化/二つの共有のもの
二 新自由主義と社会の私物化
  共有のものとしての《社会》/新自由主義による社会の解体/
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私物化による自由の喪失と社会の分断

第二章 民主主義諸国における政治の私物化とその先   45
  一 政治権力をどうコントロールするのか
    ――共和主義と自由主義、そして民主主義
    代表者による政治の私物化――アメリカの場合/
    代表者による政治の私物化――日本の場合
  二 新自由主義が政治の私物化を加速させる
    新自由主義と政治の決断主義化
  三 私物化の時代の民主主義はどこへ向かうのか
    中国の誘惑/政治的メリトクラシーとしての中国モデル/
    中国モデルのインパクト

第三章 民主主義とは何か――古代と近代   77
  一 始原にさかのぼる
    ――権力の私物化を禁じ、専制に対抗する民主主義(1)
    古代アテナイにおける民主主義の誕生と発展/
    古代の民主主義を実現するための制度/古代の民主主義における共有のものと自由
  二 近代に復活した民主主義
    ――権力の私物化を禁じ、専制に対抗する民主主義(2)
    『社会契約論』と共有のもの/全面的訳渡と一般意志/
    自由・共有のもの・私物化

第四章 代表制度とは何か   105
  一 民主主義と代表制度との理論上の接合
    多元主義と代表制度/人民主権と代表制度
〈16〉
  二 代表制度を民主化する
    正統性と選挙/代表制民主主義と選挙/代表制民主主義と政党
  三 民主的な代表制度の変容
    名望家政党とエリート主義/大衆政党と代表制度の黄金期/
    政党の黄昏と代表制度の行き詰まり/代表制度の変容の帰結

第五章 行き詰まる代表制度とポピュリズム   151
  一 民主的な代表制度の黄金期の諸条件とその消失
    戦後和解体制と福祉国家という条件/工業化社会という背景/
    日本の事例/ポスト工業化社会への移行と代表制度の黄金期の終焉
  二 代表制度の行き詰まりと現代のポピュリズム
    代表制度とポピュリズム/ポピュリズム化する民主主義のリスク/
    ポピュリズムか中国モデルか、それとも……

第六章 代表制度の改革   191
  一 代表制度改革の方向性
    どのようにして権力の私物化を禁じ、専制政治に対抗するのか/
    どのようにして共有のものを取り戻すのか/
    なぜ、エンパワーメントが必要になるのか
  二 具体的なイノベーションを評価する
    (1)熟議世論調査/(2)市民集会/(3)参加型予算/まとめ

おわりに   233

主な参考文献   239





おわりに

 本書では、共有のものと民主主義との関係を検討することで、民主主義が共有のものの私物化を防ぎ、専制政治に対抗する政治のあり方であることを論じてきた。また、民主主義と代表制度とを峻別した上で、代表制度が民主主義の理念を実現する手段としてうまく機能する諸条件を特定した。次いで、現代の民主主義のポピュリズム化の原因が代表制度の機能不全にあること、さらに、その機能不全はそれらの好条件が消失してしまったためであることを指摘した。その上で、もはや旧来の代表制度が民主主義の制度として適切に機能することがない以上、現代に適合した形で代表制度をどう改革するかを検討した。
 本書の構想が固まりつつあったのは、二〇二〇年の春先だった。それは、新型コロナウイルスのパンデミックによって、東京に最初の緊急事態宣言が出される直前であった。それ以来、新たな感染症の脅威に晒された私たちの世界は、大きく変わってしまった。そして、感染拡大の第五波に飲み込まれた東京では、非常事態宣言下でオリンピックが開催された。「コロナと闘う五輪」などという厚生労働大臣の言葉の意味の分からなさは、日本の当時の状況が、もは
〈234〉
や悲劇でも喜劇でもなく、悪夢ないしはカオスであったことを端的に示しているといえよう。
 世界史的な出来事の進行する中での執筆であったが、本書では、このパンデミヅクが民主主義に及ぼす影響について論じなかった。しかしながら、どうやら新型コロナウイルスのパンデミックは、現在の惨禍が過ぎ去った後の民主主義諸国において、本書でフォーカスした民主主義の退潮をさらに推し進めそうだ。
 長期にわたる感染症対策の中で、自由が大幅に制約された例外状態が常態化することになった。例外状態の常態化は、二一世紀の世界において「テロとの戦争」をとおして試みられてきた。ジョルジョ・アガンベンが指摘したように、「テロとの戦争」が枯渇した現在、例外状態の常態化のために新たに発明されたのが「ウイルスとの戦争」というわけだ。この闘いにおいて統治する側では、人びとの行動を監視し管理するテクニックやテクノロジーを活用していった。そして、それらは今後も、決して手放されることなく、さまざまな場面でことあるごとに、再び利用されるだろう。また、危機の只中(ただなか)ですでに収集された膨大なデータを解析し、精緻化することで、監視し管理する権力が人びとの日常生活により深く、より不可視な形で浸透する手立てを編み出す努力が続けられるだろう。
 統治する側がそうだとすれば、統治される側では何が起こりえるのか。この例外状態に慣れてしまった人びとが、安全と引き換えに、自由を手放すことを厭(いと)わなくなることは十分考えられる。また、そのような人びとは自由を可能にしてきた共有のものの私物化に対してこれまで以上に無頓着になり、ひいては、権力の私物化に対抗する必要性をそれほど感じなくなっても何ら不思議ではない。つまり、ポストコロナの世界に生きる人たちは、民主主義にこだわらなくなる可能性は大いにありうるということだ。それは、まさに、本書で論じた中国化が民主主義諸国で加速していく事態に他ならない。民主主義諸国の中国化は、新自由主義によってその種が撒(ま)かれたとするなら、新型コロナウイルスのパンデミックによって、ゆっくりと芽吹き始める。そんな暗いシナリオを誰が否定できるだろうか。
 この世界史的な危機における最優先の課題は、あらゆる資源を動員して、新型コロナウイルスによるパンデミックを封じ込め、この惨禍以前の生活を取り戻すことである。しかし、その一方で、そろそろ私たちは、「その後」について真剣に考える時期に来ているのではないか。そして、「その後」の最大の懸念こそ、民主主義諸国に暮らす人びとが自由の制約された生活に慣れることで、民主主義への支持や関心をこれまで以上に喪失してしまうということなのだ。
 過度な懸念だという人もいるだろう。しかし、新型コロナウイルスとの闘いの中で、常に問われていたことは、命を守ることと、私たちの自由や民主主義的な価値を維持することとの均衡をどう保つか、ということであった。ポストコロナの世界においても、それは変わらない。いやむしろ、新型コロナウイルスとの闘いという例外状態の中で、自由や民主主義的価値がど
〈236〉
の程度毀損されたのか、それらを守るための手続きや制度がどう歪められたのか、真剣な反省が急務となるはずだ。その中で、民主主義とはそもそも何であったのか、そしてそれを実現するための制度はどのようなものであったか振り返る機会も出てくるかもしれない。そんな際に、本書を手に取っていただけるようなことがあれば、望外の僥倖(ぎょうこう)だ。

 さて、本書は、拙著『〈平成〉の正体』(二〇一八年)の続編ともいうべきものだ。そこでは、平成の時代の「格差問題」や「ポスト冷戦の日本外交」「政治制度改革」、デモや請願活動などの「日常の政治」を民主主義の深化という観点から批判的に検討した。しかし、紙幅の関係上、そこでは民主主義そのものについては十分に論じることができなかった。このため、次に書くものは、民主主義をテーマにする必要があると常々考えていた。そんな中、本書の企画について相談を持ちかけたのが、『〈平成〉の正体』の担当編集者、藁谷浩一さんであった。前回と同様に、草稿段階からの藁谷さんの冷静で的確なコメントは、執筆の際の励みになったし、何より、彼への信頼感のおかげで、寄る辺なさに苛まれることなく、思う存分書き上げることができた。感謝の念に堪えない。
 また、本書のアイデアや構想について意見を求めるたびに、親身に応答してくれた、弟の友之にもお礼をいわねばなるまい。たわいもない会話から真剣な議論まで、彼とのやり取りから本書の多くのヒントをもらうことができた。そして、毎度のことではあるが、安藤丈将さん、小須田翔さん、森達也さんには、勉強会で本書の草稿を発表する機会を与えていただいた。それだけでなく、一〇年以上に及ぶこの勉強会での議論が、本書の知的土台を形成することになった。お礼の雷葉もない。最後に、妻の優子。変わらぬ支えをありがとうございます。



藤井達夫(ふじいたつお)
一九七三年岐阜県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科政治学専攻博士後期課程退学(単位取得)。現在、早稲田大学大学院政治学研究科ほかで非常勤講師。近年の研究の関心は、現代民主主義理論。単著に『〈平成〉の正体――なぜこの社会は機能不全に陥ったのか』(イースト新書)、共著に『公共性の政治理論』(ナカニシヤ出版)、『日本が壊れる前に――「貧困」の現場から見えるネオリベの構造』(亜紀書房)など。


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宗教が政治を支えるとき(下)―― ウクライナと戦後日本  島薗 進×寺島実郎 【世界】2022年10月

2023年04月19日(水)

この戦争は,なんなのだろう,と思った.
あるいは,クリミアをめぐる紛争の継続なのか,とか,
でも,なにが争いの焦点なんだろう……と.

無惨な印象だけが残る.

NHKのドキュメンタリーの画面に,大戦終結後のドイツが映し出されていた.
自業自得というには,ちょっと無惨な印象だった.
それに,戦場になったのは,ドイツだけではなかった…….それらの地域は,どうだったろうか.
列島の国も,同様だったろう.
物心ついたころの被爆地は,ほとんど名残を留めていなかったか.
むしろ母親が,白血球の異常とか,そんな記憶がかすかに残る.

ロシアにおけるアフガン帰還兵の問題がとりあげられたことがあった.
ベトナム帰還米兵も,ときおり取りあげられた.
列島の国の,千葉の旧軍の病院のカルテが,取りあげられたテレビの番組があった.
悲しい物語が無数にあったのだろう.戦場で終わらない物語.

昔,シベールの日曜日という映画があったな,と思い出す.

それにしても,はじめるより,終わらせるのがむずかしいのだと,評論してみたところで,
さて,どうなるのだろうと思う.

この列島の国の,さいきんの議論,あるいはつぶやき,さえずり,投げ文を見ていると,
とても不安に思うことがある.

それにしても,知らない,知らなさすぎるかもしれない,と思う.
遠い国,遠い人びと…….
メディアの報告も,なにか足りないように見える.とても足りないように.


―――――――――――――――――――――――――

【世界】2022年10月

宗教が政治を支えるとき(下)
ウクライナと戦後日本

島薗 進×寺島実郎

しまぞの・すすむ
一九四八年生。宗教学者。東京大学名誉教授。上智大学グリーフケア研究所客員所員、大正大学客員教授。著書に『教養としての神道』(東洋経済新報社)、『新宗教を問う』(ちくま新書)などがある。

てらしま・じつろう
一九四七年生。(一財)日本総合研究所会長。多摩大学学長。(一社)寺島文庫代表理事。著書に『人間と宗教』、『ひとはなぜ戦争をするのか』(いずれも岩波書店)などがある。


■多元主義に基づく平和への働きかけ
(前号(上)より続く)

島薗 宗教界は戦争と平和についてどのように対応してきたでしょうか。カトリック教会は一九六二~六五年に第二バチカン公会議を開き、全世界から二千四百余名の司教が集まって、「教会の窓を現代世界に開く」という大きな刷新を図りました。そこで自分たちが真理を独占している、自分たちが信仰しているものこそが唯一の真理だという姿勢を括弧に入れることを是認したのです。二〇世紀の戦争の体験を経て、独善主義の危うさを十分に経験した中から出てきたことでした。
 日本の宗教はある意味で早くから自己を相対化する傾向がありました。戦前には国家に従属するような宗教協力を経験していますが、ただ世界的に見ると、宗教協力に熱心という意味で、日本の宗教は特殊な地位を持っていました。
 そして、一九七〇年に世界宗教者平和会議が設立されます。これはカトリックが進めていた第二バチカン公会議をさらに先へ進めるような対話路線で、日本の宗教にとっては、自分たちが求めているものに対応していました。戦前の協力とは違って、国家主義に縛られない、自己相対化を踏まえた新たな多元主義的な考え方だったからです。
 世界宗教者平和会議は、現在の世界の宗教が関わる平和運動の中でもかなり有力なものですが、これは日本の新宗教などがリードして進めてきた経緯があります。国家神道を経験し、そこから生じた戦後の靖国問題も非常に大きかったことから、日本の宗教は世界観の相対化と共存のための方法を学んできました。そうしたプロセスがあって積極的に関わったわけです。現在は、核兵器禁止条約をめぐって力の均衡とは異なる多元的共存の理念が新たな段階に進んでおり、フランシスコ教皇は第二バチカン公会議の路線をさらに大きく進めていく意志を持っています。二〇一九年二月に教皇が来日しましたが、日本のカトリック教会も対話路線に非常に積極的です。
 そこで、核兵器禁止条約の推進に積極的だった有力な宗教団体、一方に世界宗教者平和会議の有力な担い手である立正佼成会とカトリック教会、他方で、日本のなかでは他宗教他宗派との協力関係を否定、ないし避けてきた創価学会との対話・協力への機運も生まれる中で、二〇一九年五月に、上智大学でシンポジウムが開かれました。これまであまり取り組まれてこなかった新展開です。
寺島 前回、プーチンの名が出ましたが、確かにロシアは核大国で、世界の戦略核の半分を持っています。しかし経済的には小国で、GDPの規模では世界一一位、東京、神奈川、千葉、埼玉の首都圏と同程度の規模でしかありません。さらにいえば産業小国です。プーチンは二二年間も統治していますが、資源大国ではあるけれども、付加価値を付けて産業化し、国民を豊かにするところに至っていない。それでもなお、なぜこのような合理性を欠いた攻撃に出たのだろうかという根源的な点で、いま一つ腑に落ちないでいたのです。
島薗さんが言われたように、宗教には自己相対化によって謙虚な思いで自らを位置付け、より大きな意思が自分たちを見つめているという心の下に、協同・協調を目指していくきっかけとなる力があると同時に、一歩間違えると、宗教そのものが戦争を支えるエネルギー源にもなります。それが、われわれが現在見ている情景ではないでしょうか。
 私は二〇〇三年から経団連の日本ロシア経済委員会ウクライナ研究会委員長を務め、現地を波状的に動いていた時期があり、プーチンが、統合概念として「正教大国」を掲げ、ロシア正教によって国を主導してきた様を注視してきました。
 日本とキリスト教の出会いは、一五四九年にイエズス会のフランシスコ・ザビヱル、つまりカトリックが上陸したことが端緒で、明治期には、内村鑑三や新渡戸稲造といった当時の先鋭的な知性の持ち主がプロテスタントの世界に
〈194〉
飛び込んでいきました。日本人のキリスト教受容はカトリックとプロテスタントという西方教会が中心で、ギリシャ正教を軸にした東ローマ帝国を支えた正教系キリスト教が視界に入っていないことが、日本人の世界観の弱点ではないか。
 プロテスタンティズムの倫理が資本主義の精神を支えたというマックス・ウェーバーの理論も含めて、人権や民主主義など、近代社会を支えた思想、哲学はカトリックからプロテスタントという西欧社会で生成されてきたと言えます。
 一方ロシア正教は、キエフ公国ウラジーミル公の改宗から基本的に国家権力と連動しており、その後もツァーリの権力を正当化するための装置として機能しました。そのため民族宗教としての性格を強めていきますが、一九一七年の二月革命で帝政が倒されて、無神論者レーニンらソビエト指導部は教会を弾圧します。ところが、一九四一年にヒトラーが攻め込んだことでスターリンとロシア正教会は和解します。共に大祖国戦争を戦うという旗印のもと、首の皮一枚で正教は生き残り、その後ゾビエト連邦の崩壊まで、正教は社会主義体制下においてもロシア人の心のよりどころとなっていました。
 そこからエリツィンやプーチンが登場します。二〇〇〇年に大統領となって以来、プーチンはロシア正教の長老の許に何度も足を運び、〇九年からモスクワ総主教を務めるキリル一世とは緊蜜な関係にあります。プーチンの意図する正教大国は、ユーラシア主義とも深く関わっており、アジアと欧州にまたがって欧州と対峙するユーラシアの大国家というアイデンティティの下にロシアの復権を図ろうとしているのです。
 重要なのは、我々日本人は他人事のようにロシアを見ていてはいけないということです。世界の論調の中に、「現在のロシアは八〇年前の日本のようだ」という指摘が出ています。展望のない戦争に突き進む熱狂は一体何なのかと、首をかしげているわけです。まさに島薗さんの国家神道についての総括が非常に示唆的であることに気付かざるを得ません。
 私自身がたどり着いた日本人の心の基軸の一つは、長い時間をかけてつくり上げてきた神仏習合です。江戸期までは仏教優位の神仏習合だったものが、明治になって、天皇の権威を正当化する伊勢神宮を頂点とした国家神道に変質します。
 私にとっては両親の思い出とふるさとの自然とが重なり合って、札幌神社といわれていた北海道神宮が心にあるように誰もが心のふるさととして自分の地域に根差した、ある種の氏神[うじがみ]信仰を持っていることは何も不思議ではありません。
 しかしそうした民族宗教が、極端な形で国家権力と一体になった時に持つ危険性を日本は歴史的に体験しました。日本だけが優れた神の国で、その下に八紘一宇でアジアを束ねていくという熱気をはらんだ空気感が現れた。当時の歌や教科書などを冷静に見たら、現代の日本人は仰天するでしょう。
 そこでもう一回、戦後なる時代の欠落した部分を踏み固めながら、同時に戦後が培ってきたことをも大事にしなければいけないというところに私の問題意識があります。

■日本の近代観の死角にあるもの

島薗 私の『国家神道と日本人』(岩波新書、二〇一○年)と『戦後日本と国家神道』(岩波書店、二〇二一年)では、まさに八〇年間の死角に入ってしまったものを、若い人にこそ考えてもらいたいという思いがありました。しかも日本社会は近代の歩みを適切に総括できないまま戦後の時代を生きてきました。
寺島 その死角にあるものを埋めていたのが、司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』の世界観ではないでしょうか。明治という時代はまともで立派だったが、昭和軍閥が日本をダメにしたというあたりで納得してしまいます。
島薗 ロシアのウクライナ侵攻は満州事変に似ているということに多くの人が気付きました。なぜあのような無謀なことをしたのか、関東軍参謀の石原莞爾はすぐに膨張主義ではダメなのだと気づいたと思いますが、その後日本軍、特に陸軍は、ますます無謀な、国力や兵姑[へいたん]軽視の路線を突っ走りました。それについてはむしろ保守派といってもよい立場からも『失敗の本質』という本が出るなど、精神主義による無謀さについての反省がないわけではありません。
 コロナ禍の最中の五輪開催について、結果的に死者の増加もさほどではなかったものの、当時の状況認識ではイン
〈196〉
パール作戦を思わせると批判されたように、アジア太平洋戦争では無謀な愚かなことを重ねたという反省が日本社会にはあり、それが憲法九条についての国民の意識を支えているといえるでしょう。少なくともある世代までは、戦前の誤りに対する反省を生かさなくてはならず、戦後の体制の基本になっている平和主義の基盤もそこにあると考えていたと思います。
 それでもやはり事実認識も分析や考察も足りていないのです。いま言われた司馬史観のように、明治はよかった、それが治安維持法以後、あるいは満州事変、また天皇機関説などの辺りから悪くなったのだと、ある一時期に狭く取るような考え方が広められました。そして誰が悪い方向へ持っていったのか、それは軍閥や極端な国粋主義者、右翼だという捉え方で、どこに責任があったかが見えないようになっています。
 しかし幕末維新期に形成された尊王と、攘夷[じょうい]あるいは対外攻撃の姿勢、また、世界に例のないすぐれた国体という理念を掲げた体制には、そもそも精神主義的なものの根があった。そのことが十分に認識されていません。その意味では、自分たちの世代だけでなく数世代をかけて体験してきた“近代日本”をうまく捉えられていないということでしょう。
 ロシアと比べて、日本は少なくとも第二次大戦の敗戦によって精神主義的なものの弱点をある程度は自覚しました。しかし一方で、GHQ、占領軍によって精神的基盤を奪われてしまったという怨念もあり、戦前のほうが精神的な基盤はあったのではないかという考え方がかなり根強く、日本会議など今の精神主義的右派に流れ、自民党にも影響が大きいですね。これも日本の近代の精神史をしっかり捉えることができていないがゆえに起こることだと思います。
 ロシアは戦争に負けていないこともあり、社会主義にかわる何かを求める機運もあって、反西欧の攻撃的精神主義が新たな形で活性化しているのではないでしょうか。私は二〇代に、近代西洋批判や宗教の意義を説くソルジェニーツィンを大いに感銘して読んでいましたが、ある時期からついていけないと感じるようになりました。ロシアの伝統や正教を美化し、近代文明の欠点を正教の伝統こそが克服できると強く打ち出し、それがロシアのプライドとつながったようです。このような考え方がプーチンに受け継がれていると思います。
 ロシア帝政において、近代化に向かってヨーロッパを見習うという方向へ強力に導くピョートル大帝やエカチェリーナ二世などが出てきます。ピョートル大帝は教会の特権を廃止するなど国家統制を強化し、歴史上の評価は低いようです。しかし、正教会総主教と蜜月的関係にあるプーチンが、ピョートル大帝をしばしば引き合いに出すのです。西洋を取り込みつつ西洋に対抗するアイデンティティの象徴的な存在です。日本では明治天皇がただ一人「大帝」とよばれたことが思い起こされます。西洋風の近代国家形成を求める反面にある、強烈な対抗意識がロシアの中には根強くあり、トルストイやドストエフスキーにも、民衆が継承するスラブ文化対富裕なエリートが持ち込む西洋の精神的空虚さという批判意識があサます。これが日本と似ているかもしれません。
 日本人は正教会にはあまり関心を持っていませんでしたが、ロシア文学は好きですね。そこには、強く影響を受けた西洋への両極感情という共通点もあったかと思います。西洋の真似をしようとしながら、どこかでそれは違うと思っている。前回、柳田國男や折口信夫について触れましたが、トルストイやソルジェニーツィンにも民衆の宗教心への強い関心があります。ロシアにはそうした伝統があり、スラブ主義へとエリートが引っ張る方向に対して国民は支持してくれるので、精神主義につながります。それがプーチンに影響しているのかと想像したりしています。寺島さんがおっしゃるように、その背景にはビザンツ帝国以来の国家と教会が一体化する傾向が強いという伝統があると同時に、さらに近代化に対する複雑な感情が存在していると思います。

■無責任の体系に向き合う

寺島 明治維新直後の日本には、尊王擁夷で幕府を倒し天皇親政の神道国家をつくりたいという思い入れがありましたが、現実的には開国せざるを得ない状況がありました。明治天皇について、我々日本人には日露戦争の軍装の大元帥というイメージが強くありますが、明治元年に相次いで明治天皇と直接面談した英仏の外交官の報告には、天皇が眉を描き頬や唇に紅を差して、お歯黒をつけた神道の巫女のような格好をしていたという記述があります。このように王政復古で神武時代に回帰するつもりでいたわけです。ところが岩倉使節団が欧米社会を動いてみたら、それではとても列強に伍していけないと気付かされ、近代国家形成へと方針転換せざるを得なかった。国会の開設や憲法、内閣制度の制定など、ドイツを模倣した近代国家体制を実現したものの、根っこには天皇親政による祭政一致の神道国家が存在していたのです。
 神道国家の上に近代国家が載せられた二重構造の矛盾のマグマがあふれ出てきたのが天皇機関説批判で、それが軍部による統帥権干犯問題につながります。軍部は天皇に直
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結しているのであって、議会や内閣に責任を持っているのではないという主張は、先ほど島薗さんが言われた無責任の体系に直結します。誰がこの国の進路について徹底的に責任を持つのか、三〇〇万人の日本人、二〇〇〇万人以上のアジアの人々の命を失わしめる戦争をしたのに、結局は一億総ざんげで、近代史を総括しないまま今日まで来ました。
島薗 丸山眞男のいう「無責任の体系」(『増補版 現代政治の思想と行動』)は、朝廷が日本の精神文化の中心であるとしながら、朝廷は権力を持たないという、「天皇不親政の伝統」(石井良助)と深い関わりがあります。現在の象徴天皇制もその系譜上にあるとの理解も根強いです。
 しかし明治維新では、国民統合のために天皇を神聖化しその威光を頼り利用することになりました。困難が生じると天皇の威光を借りて抑圧的な、あるいは強引な施策を通す。政治家や官僚もそうですが、昭和期には軍部が先導します。しかし、学校やメディアがそれを後押ししています。メディアがなぜ精神主義や対外的な日本の優位を煽るかというと、民衆がそれを支持するように仕向けてきたという歴史があります。民衆は教育勅語をはじめとする教育を受けており、既に社会の心性にそのような基盤ができてしまっていた。教育、治安、福祉、そして対外政策、戦争などを通して。社会構造の下部から、攻撃的で尊大な方向へと国を向けてしまった。そのことについて、まだ我々は十分に捉えきれていません。
 それは日本の宗教の伝統とも関わっていて、先ほども日本は宗教協力が盛んだと言いましたが、天皇崇敬という点で一致してきたわけです。つまり社会的な事柄については、国家に従う、天皇のために戦うというような形があって、それが戦後に引き継がれて、比叡山宗教サミットも行われています。今は対外攻撃的政策ではなく平和を掲げていますが、どこまで平和を求める宗教思想が共有されているかというと、あまり確かではありません。宗教の思想的リーダーシップも見えにくく、それぞれの派が分裂しているのですが、これは神儒仏の併存ということもあって、日本の仏教史の特徴にもなっています。
 記紀神話には天皇こそが天壌無窮[てんじょうむきゅう]の神勅[しんちょく]で、永遠の支配権を持つとあり、後代の「万世一系の国体」論のもとになりましたが、その割には、出雲神話が長々と出てきますね。地方の神々、あるいは国譲りをした支配される側の神々がやはり重要であって、庶民、あるいは地方レベルの精神的な文化をそれなりに認めているわけです。中央集権的な中国の帝国を真似しようとしながら、どうしてもなり切れない、泥臭いというよりは土臭いものがあります。それでも天皇を掲げてまとまるということになって、政治家や官僚の責任が見えにくい体制になりました。そうした日本の「体質」の良い面、悪い面に向き合い、壊滅的な敗戦という歴史的経験からの知恵として明確にしていく努力が必要です。

■いま、ここで深呼吸を

寺島 いま、力こそ正義だと、抑止力や防衛力の強化という議論に吸い寄せられ、世界を権威主義陣営対民主主義陣営の二極に分断し、あたかも日本が民主主義陣営にいるかのような幻想の中で将来を展開しようという方向へ向き始めています。たとえば、この一〇年の日本を振り返って、民主主義を大切にする努力をしてきたかどうかを自問すべきです。「日本を取り戻す」というフレーズの下に、国家主義・国権主義を願望する動きを加速させてきたのではないでしょうか。
 ここで深呼吸しないといけません。私はアジアの国々の目線がとても気になっています。アジアは一九五五年のバンドン会議以来、二極構造で世界を分断することへ、の鋭い異議申し立てを続けています。そこで日本がうかつに、五兆数千億円の防衛予算を六兆円台後半に持っていくのが取るべき進路なのか。しかも日本の国家の借金は一二五五兆円まで積み上がり、金利が一%上がっただけでも、一二兆五〇〇〇億円分の利息負担増になる構造に陥っているのです。つまり、
 自らの歴史を総括し、現在問われていることの本質が何であるかを理解する力がなければ、時代の空気に流されてしまうのです。戦後なる時代がこれほどにも自堕落なところに行きついたことについての問題意識を再確認し、この対談で議論してきた戦前のプロセスをもう一回、深く省察しなくてはならないと思います。
(完)

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