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Q.ベル『ブルームズベリー・グループ』(みすず書房) 目次・訳者あとがき

2019年9月17日(火)

学校のゼミで,J.M.ケインズを読んでいた.
それで,ブルームズベリー・サークルという名前には,
多少のなじみがあった.

でも,これは,MISUZU REVIVAL として復刻された第2刷,1991年.
第1刷は,1972年.
最初の出版のとき,どうしただろう?

まぁ,真面目に読み通したわけではないけれど,
気になるところ.
下ネタふうには、ケインズは同性愛者だったか?なんてのもあったな,
など思い出すけれど,
ブルームズベリー・サークルに,同性愛的な傾向はあったとされる.
それは,まだ当時,「犯罪」だった.

まぁ,そんなことは脇に置いて,ちょっと目をとおしてみよう……….

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ブルームズべー・グループ

Q.ベル
出淵敬子訳

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目次


I 序論                    1
Ⅱ 一九一四年以前のブルームズベリー      16
Ⅲ 第一次大戦                 
Ⅳ 一九一八年以後のブルームズベリー      75
Ⅴ ブルームズベリーの性格           98

   注                    115
   参考文献                 125
   訳者あとがき               127
   索引                   ⅰ


〈128〉

訳者あとがき


 本書は、ジョン・グロス編集の「歴史の絵巻物」Pagent of History いう叢書の一巻として出版された、Quentin Bell,Bloomsbury,Weidenfeld and Nicolson,London,1968.の全訳である。
 この叢書は、編者の言葉によれば「過去の重要なグループや運動についての、いきいきと書かれた権威ある個別研究」を集めたもので、今度みすず書房から〈グループの社会史〉シリーズとして翻訳出版された他の三冊(エリック・ボブズボームの『匪賊の社会史』、ロナルド・ヒングリーの『ニヒリスト』、フィリップ・フレンチの『映画のタイクーン』)のほかに、例えばアイヴァン・モリスの『サムライ』、クリストファー・ヒバートの『追いはぎ』、ジェイムズ・レイヴァーの『ダンディーたち』、エディス・サイモンの『聖人たち』などを含み、歴史の中の特定の群像または運動に焦点を合わせるというユニークな構想で、読者が興味と親しみを同時に感じるよう工夫されている。
 こういう群像または運動と、「ブルームズペリー・グループ」とを同列に並べて論じることには、奇異な感じを抱く読者もあるかも知れない。なぜなら、「ブルームズベリー・グループ」という言葉は、イギリスの上流または上層中流階級出身の高踏的な知識人で、芸術趣味ゆたかな人々という意味合い、さらに言えば、そういう人々の「芸術家ぶった」ボヘミアン的態度を椰楡する調子がこめられているのだから。
 事実、ブルームズベリー・グループの一員として本書にもあげられているレナード・ウルフ自身、ブルーム
〈129〉
ズベリーが匪賊や追いはぎの仲間に入れられていることに、いささか驚いたらしい。しかし内容を読むとそれも納得がいくと言って、彼は一九六八年五月三十一日付の『ニュー・ステイツマン』紙の本書の書評で、次のように述べている。
 「しかし、この本のかなりの部分は、二〇年代に広がっていたブルームズベリーに対する敵意、不信、嫌悪、憎しみの分析と説明にあてられている。例えば、ジョン・ローゼンスタインは、ブルームズベリーを〈芸術的結社というよりはむしろ犯罪結社〉とみなしている。……」
 たしかにレナード・ウルフも言うとおり、サー・ローゼンスタインをはじめ、A・D・ムーディ、ジョン・ジュークス教授、それにブルームズベリーと同様、ケンブリッジに縁の深い(しかしまったく異なったケンブリッジを代表する)イギリス批評界の重鎮、F・R・リーヴィス博士は、それぞれ方向は異にしても、著者が詳しく説明しているように、ブルームズベリーを攻撃している。こういう事実は、ブルームズベリー・グループという、著者に言わせれば「無定形な友人たちの集まり」(七ページ)が、一つのグループとしていかに正確に捕えにくく、どのような批評角度からでも料理できそうに思われるものであったか、また一方では、何とかして批評してみたいという意欲をそそられる、いかに大きな存在であったかを物語っている。
 レナード・ウルフも言っていることだが、このグループは、決していわゆる「セクト」として、集団的な活動をせず、「ニヒリスト」や「ラファエロ前派」のように、一グループとしてある主張を唱える運動をしたのでもなかった。つまり政治、経済、社会、芸術のどの分野においても、共通の主義主張や思想を抱いて共同活動をしたことは、一度もなかったのである。ただそれにもかかわらず、このグループが存在していると自他ともに思われてきたのは、彼らがたいがいケンブリッジ大学で共に学び、イギリス社会の知的エリートの家系出身の者が多かったために、彼らの間には緊密な個人的友情と、似たような趣昧、知的な共感が存在していたか
〈130〉
らであろう。知的共感の第一のものとしてあげられるのは、彼らが共通してもっていた理性尊重の態度である。
 この態度は、彼らが大学時代に影響を受けたジョージ・E・ムアの哲学に淵源を発し、グループのあらゆる者が多少とも受け継いでいる傾向であろう。それは、E.M.フォースターの小説にみられる透徹した理性の目で人間と人間社会を見ようとする姿勢や、ヴァージニア・ウルフの実験的小説にみられる分析的知性、リトン・ストレイチーのヴェールをはがした「英雄」たちの伝記、またロジャー・フライやクライヴ・ベルの、芸術から主情的感情をひきはなし、形式(フォーム)を尊重しようという態度、ケインズのヴェルサイユ講和条約批判やラッセルの戦争反対などに、具体的にあらわれている。彼らの同時代人の中には、D・H・ロレンスやウィンダム・ルイス、ルパート・ブルックのように、「理性でなく感情が、われわれの道案内とならねばならず、英雄的な暴力は英雄的でない平穏さよりもずっと望ましいと信じる」人々もいた。しかし、プルームズベリー・グループの人々は、一貫して「英雄につきまとう悪を避けるためなら英雄につきまとう美徳をも犠牲にしよう」という態度をとった。このつねに理性を尊重する醒めた態度こそ、ブルームズベリーの精神の根底に、しっかりと根をはっているものと言えよう。
 これと関連して忘れてならないのは、ブルームズベリー・グループが、二十世紀に入ってからの十八世紀文化と文学の再評価に貢献したということである。リトン・ストレイチーやヴァージニア・ウルフ、E・M・フォースター、クライヴ・ベルは、みなそれぞれのやり方で、十八世紀という「文明」の時代に愛着と郷愁を感じていた。これは裏返せば、ヴィクトリア朝に対する彼らの批判に外ならないのだろうが、ウルフやフォースターの作品や評論を読むと、十八世紀文学の一つの大きな流れである理性愛好の精神と、彼らの精神がいかに互いに同質性を感じ惹き合っていたかがわかる。十八世紀が、理性と感受性の両面ですぐれた、多方面での天才たちを輩出させた時代であり、そうした天才たちの集まるサロンの隆盛した時代であることを老えると、や
〈131〉
はり、さまざまな分野において「歴史の壁に高々と名を大書した」人々の集まりであり、彼らの交流の場であったブルームズベリー・グループが、十八世紀文化を愛し、その価値を意識的に評価したことは、ごく自然の成り行きであると思われる。
 さらに、ブルームズベリーの人々が、神秘的なものへの理解をもちながらも、キリスト教に対しては懐疑的で、興味の対象はあくまで人間であったという点を考えても、十八世紀理神論との一脈のつながりが感じられる。
 ブルームズベリーの人々は、決して、人間の暴力への意志や、内部の暗い衝動や本能のうごめき、直観による感情の真実を見ていなかったわけではない。例えばE・M・フォースターの作品には、この世の暴力や悪に対する洞察、それへの恐怖が描かれているが、最近彼の死後出版された『モーリス』という小説には、あからさまに同性愛が描かれている。また本書の一年前から出版されたマイクル・ホルロイドの二冊本の伝記『リトン・ストレイチー』によれば、ストレイチーとその周囲には同性愛的傾向がかなりあったことがわかる。しかしそれだからと言って、このグループの人々の理性尊重の思想や、洗練された平和愛好的な生活信条が、嘘いつわりであったと言うことはできないであろう。彼らは、その定義は多様であるにしても、「文明」を尊重し、文明により育くまれた日常生活を愛する人々であった。この点で、彼らと同時期の一方の前衛的芸術活動を代表するT・S・エリオットやジェイムズ・ジョイス、エズラ・パウンドの挑戦的姿勢とは、はっきり一線を画している。ブルームズベリー・グループもフランスの芸術家たちの活動に大きな関心を抱いてはいたが、根本的にはこの三者よりはるかにイギリスの文化的伝統を引き継いでいたと言えるだろう。


 著者クウェンティン・ベルは、一九一〇年、クライヴ・ペルとヴァネッサ・ベルの次男として生れた。した
〈132〉
がってレズリー・スティーヴンの孫で、ヴァージニア・ウルフの甥にあたり、いわばブルームズベリーの内側で育った人物と言えよう。この著書も、そういう環境に育った著者ならではの豊富な資料(写真も含めて)と、親密な知識を駆使して、一見平易だが裏に深い意味を凝縮した微妙な文体で書かれている。だから著者のくつろいだ親しみ易い筆致にひかれて表面だけを読んでいると、背後の意味をうっかり見落としかねない。これは、とりもなおさず、ブルームズペリー調の文体というべきで、同じ傾向は、フォースターやウルフの評論の文体にも見られる。
 その点で本書は、アメリカ人の学者、J・K・ジョンストンによる大冊の『ブルームズベリー・グループ』(一九五四)とはいちじるしく性質を異にしている。ジョンストンの著書は、学位論文にもとついた手堅い学究的な研究書で、扱う範囲も文学の分野に限り、本書以前の唯一のこのグループについてのまとまった著作として貴重である。しかし、当然ながら、ジ臼ンストンがブル…ムズペリーをあくまでも外部の目で見た研究対象として扱っているのに反し、クウェンティン・ベルは、内部からの同情にみちた証言を提出しており、時にはグループに対する不正な弾該に対し憤りをまじえた弁護をしているけれども、そういう態度が、読者にブルームズベリー・グループに対する親近感を抱かせ、読みものとしても味わいを深くしている。
 著者クウェンティン・ベルは、リートン・パークで教育を受け、パリとローマに留学して美術を専攻した。そしてリーズ大学美学主任教授を経て、現在サセックス大学の美学教授である。彼は美術批評家としても活躍し、著書には『人間の装飾について』On Human Finery 『ラスキン』Ruskin 『デザインの諸流派』The Schools of Design 『ヴィクトリア朝の美術家たち』The Victorian Artists などがある。その他に、スペイン戦争に参加し、戦死した詩人の兄、ジュリアン・ベルの遺作の詩集や書簡集の編纂もあり、目下、叔母ヴァージニア・ウルフの伝記を執筆中と伝えられる。
〈133〉
 プルームズベリーの次の世代がほとんどいない現在、クゥェンティン・ベルは、その数少ない文化人の一人である。したがって、彼の筆が、しばしば過去への愛措のひびきをたたえているのは、当然のことと言えよう。
 この訳書の出版にあたっては、みすず書房編集部の橋本聡子さんに懇切にお世話いただいた。心からお礼を申し上げたい。

一九七二年三月十一日


再版にあたって
 この訳書の初版出版(一九七二)の頃、日本では「ブルームズペリー・グループ」の名前は知られていても、その実体をつぶさに知る者は少なかった。したがって、当時本書は日本にこのグループを紹介する役割を果たしたと思う。
 その後約二〇年の問に、欧米ではおびただしい数のブルームズペリー関係の第一次資料、第二次資料が刊行された。「参考文献」の補遺として記したのはその一部にすぎないが、Q・ベル氏のこの著書をきっかけに、欧米のブルームズベリー研究はめざましい進展を遂げたのである。その一因はブルームズベリーの生存者がほとんど亡くなり、資料が公開され、人間的事実も明るみに出されて、研究し易くなったことによろう。しかしそれ以上に、このグループの人々の達成したものの大きさと魅力が、多くの研究者を引きつけたからだろう。それだけ多くの研究書等が出されても、今日なおベル氏の著書は他に見られぬ特徴をもっている。このグループに共有された思想と交友の歴史を書くベル氏の筆からは、血縁の者のみがもつ親しみのこもったぬくもりが伝わって来て、読者にグループの人々の隣人のように感じさせる。ベル氏は現在サセックスのファールに住み、八一歳で執筆活動を続けている。『ヴァージニア・ウルフ伝』(一九七二、黒沢茂訳、みすず書房、一九七七)、小説
〈134〉
『ブランドン文書』(一九八五)も刊行された。氏の『ラスキン』(一九七八)も邦訳(拙訳、晶文社、一九八九)され、日本の読者にも親しい名前となりつつある。
 なお再版にあたり、生没年や表記法・書誌など加筆訂正を行なった。再版については、みすず書房編集部の辻井忠男氏にお世話になり、厚く感謝申し上げる。

一九九一年七月五日
出淵敬子





著者略歴
(Quentin Bell)
イギリスの文芸・美術批評家.1910年クライヴ・ベルとヴァネッサ・ベルの次男として生れる.ヴァージニア・ウルフの甥にあたる.リ一トン・バークで教育を受け,パリ,ローマに留学して美術を学ぶ.リーズ大学の美学主任教授を経て,サセックス大学の美学教授.主著として,本書のほかに,“On Human Finery”“Ruskin”“The Schools of Desigun”“The Victorian Artists”などがある.


訳者略歴
出淵敬子〈いずぶち・けいこ〉1937年東京に生れる.1961年日本女子大学英文科卒業.1970年東京大学大学院博士課程修了.1978年コロンビア大学大学院修了.イギリス小説専攻.現在日本女子大学文学部教授.訳書 V.ウルフ『ジェイコブの部屋』(みすず書房,1977),V.ウルフ『ある犬の伝記』(晶文社,1979),V・ウルフ『存在の瞬間』(共訳,みすず書房,1983),Q.ベル『ラスキン』(晶文社,1989)など.


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クウェンティン・ベル
ブルームズベリー・グループ

出淵敬子訳

1972年4月30日第1刷発行
1991年8月20日第2刷発行

みすず書房


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