SSブログ

(フロントランナー)地図研究家・今尾恵介さん そこから読み取る人々の営み

2021年5月29日(土)

鉄道で旅行に行っていたのは,いつごろのころだろう.

長崎は,市電の街.その終点──その頃は「住吉」だった──の近くに住んでいた.市電で繁華街に出かけていくときは,ちょっとおめかしをしていた.
ちょっとだけ市電が延伸し,終点が住吉から赤迫に変更された.
いつだったか……Wikipediaに記事があった.1960年だという.
その頃,引っ越しをした.最寄り駅は赤迫……てことだったか.あるいは,バスに乗り換えていたか.
長崎本線に,道ノ尾という駅がある.
そこから諫早(たぶん,東諌早だったか)まで,小さな旅行.
いまでは旧線ということらしいが,蒸気機関車ではかなり厄介なトンネルがあったりしたな,と思い出す.

そんなことを思いだしながら,今尾恵介さんの記事を読んでいた.

1970年代まで,車の免許なんか取らないぞ,なんて思っていたし.
旅行は,鉄道旅行,だった.
高校を辞めて,でも,結局,大学に行くことにして,
だらしなく親のすねをかじっていた.人並みにアルバイトもしていたけれど.
そのころは,周遊券なんてものもあったし,鉄道ダイヤも貧乏旅行が可能なものだったと思う.それが,だんだん変わっていった.
長距離列車は,しだいに減っていった.新幹線の影響もあったろうか.
長距離の鈍行なんて,どんどん廃止されていったように思う.

旅行先の5万分の1の地図を買うことがあった.はっきり目的地が決まっていれば,だいたい買い込んで眺めていたように思う.
そのうち免許を取って車を運転するようになって,国土地理院ではなく,昭文社?の道路地図に変わっていった.
周りの風景が,浮かんでこない.じっさいに車を走らせて,道路のようすや,周囲の地形が,想像と違っているということが,よくあった.いまでも.

地図には,地名が書いてある.
記憶が間違っているかもしれないけれど,金達寿さんのなにかの本だったか,地名のはなしがでていたな……,その後,谷川健一さんらと地名について,書いていたか.
住居表示が,古くからの地名を駆逐していった.
今尾さんが住んでいた横浜も例外ではない.いや,田園都市線の沿線など,古い風景の思い出ももろともに古くからの地名が片隅に追いやられ,消し去られたものもあっただろうか.

記憶を失っていって,それでどうなっていくか,すこし考える.
我が身を振り返りながら.

─────────────────────────

(フロントランナー)地図研究家・今尾恵介さん そこから読み取る人々の営み
2021年5月29日 3時30分

[写真]地形図は茶封筒に入れて収納。無造作に見えるが、独自のナンバリングで管理している=東京都日野市

 偏愛するのは、地図は地図でも、国土地理院発行の地形図だ。等高線や植生記号により、その土地の景色が手に取るように見えると言い切る。

 「等高線の描かれた地図を見ると、何も考えなくても土地の形状が目に浮かぶんです。音楽家が楽譜を見ると、頭に音楽が流れるという感覚と似ているかも知れません」

 そうした能力の持ち主からすると、今や世界中の人々が使うようになったネット上のマップは、語りかけるものが少ないらしい。一瞬で航空写真に切り替える機能もあるが、重要なものを強調して記号化した地形図の方が、よっぽど雄弁だと感じるという。

 地形図に一目ぼれしたのは、中学1年生の社会科の授業だった。マリンバを習っていた音楽教室の帰り、当時住んでいた「横浜西部」と父の職場があった「川崎」の地形図を大型書店で手に入れた。1枚100円。子どもの小遣いで手が届く範囲で、少しずつ地域を広げて全国の地形図を買い集めた。

 中学2年のとき、母が買ってきてくれた一冊の本が、地図への興味をよりかき立てた。物理学者で地図エッセイストとして有名だった堀淳一『地図のたのしみ』だ。

 「鉄道好きの仲間はいましたが、地図の話ができる友人はいなかった。堀さんの本を読んで、こんなにそっくりな趣味の人がいたんだって驚きました。新旧の地図を比較する面白さや、外国の地形図の美しさを教えてくれたのもこの本です」

 31歳でフリーランスのライター、手描きマップ作製者として独立。3年後、初めての著書『地図の遊び方』を世に問うた。以来、執筆依頼は途切れることなく、地名や鉄道にもテーマを広げ、出版した本は単著だけで計73冊に達する。1年に2、3冊は新刊を出している計算だ。

 だからといって、決して粗製乱造ではない。『地図で読む戦争の時代』などを担当した白水社の岩堀雅己さん(52)は、「今尾さんの本があまたの雑学本と違うのは、地図から人々の営みを読み取り、地図作製者の思いまでくみ取って書くところ。私自身は文学と言ってもいいのではないかと思っています」と評する。

 コロナ禍で旅に出る自由を奪われてみると、この人が地図から読み取って文章にした景色には救いさえ感じる。国境を越え、時代を超え、行ったことのない場所まで連れて行ってくれる。

 「そう思ってもらえるとうれしいですね。紙の地図の衰退ぶりをみていると、そろそろ干上がってもおかしくないとは思っているんですけれど」

 (文・坂本哲史 写真・恵原弘太郎)

     *

 いまおけいすけ(61歳)

 (3面に続く)




(フロントランナー)今尾恵介さん 「この業界狭いので、2番目の席なんてない」
2021年5月29日 3時30分

 (1面から続く)

[写真]自宅近くの浅川河川敷で愛犬「ひなこ」と。地元で町名地番整理の対象となった地名の保存運動をしたことも。「蟷螂(とうろう)の斧(おの)でした」=東京都日野市

 ――平面の地図から立体の景色が浮かぶって、不思議な気がします。

 慣れの問題もあると思いますよ。等高線の見方が分からないという人がいますが、僕は逆にそういう感覚が分かりません。中学1年の時、まずは自分に縁のある所から地形図を買い始めた。それで知っている風景が地図ではこんなふうに描かれるんだというのを体得した。地図の語法みたいなのが分かってくると、行ったことがない所の地図を見ても、当たらずとも遠からずな風景が頭の中に浮かんでくるようになるんです。

 ――地形図のどんなところに引かれましたか。

 少年って鉄道模型とか昆虫とか細かいものが割と好きですよね。それと似た感覚だったのかなと思います。運動音痴だったので、同級生と野球をすることもなく、地図を日がな一日ながめて全く飽きなかった。地図で見つけた珍しい読み方の地名をノートに書き出したり、弟の名前を付けた架空の都市の2万5千分の1の地形図を描いたり。当時から今につながることをやっていましたね。

 ■古くからの地名

 古くからの地名を大事にすべきだという考えも昔から変わりません。高校時代、地元の相模鉄道いずみ野線で緑園都市と弥生台などの新駅が開業しましたが、その駅名は歴史的地名を全く無視したもの。これを批判する文章を文芸同好会で書いています。JR山手線の高輪ゲートウェイ駅を批判したのと一緒です。

 ――中1から集め始めた地形図。今や何枚くらい?

 数えたことがないんですよね。国土地理院の地形図は2万5千分の1が4400面以上、更新を停止した5万分の1が1200面以上あります。古い地形図も集めているので、1面につき1枚ではない。さらに外国の地形図もあります。実は4年前に堀淳一さんが亡くなった後、外国の地図を何十箱も譲ってもらいました。こういう紙地図の資産をどう継承していくかは、大きな課題です。

 ――地図にまつわる文章を書くことを仕事にしようと思ったのはいつから?

 最初からそう考えていたわけではありません。大学時代は打楽器を担当した交響楽団の活動に明け暮れた。その後もバイトの延長で管楽器の専門雑誌の会社に就職。ただ趣味で地図の収集は続けていた。CDや楽譜を輸入販売する業務を担当してからは、そのノウハウで海外から地形図を個人輸入することも覚えた。

 フリーランスになったのは31歳の時です。地図に関する文章を書かせて欲しいと見本をつけて出版社に直接送って売り込み、返事をくれたうちの1社から『地図の遊び方』を出してもらえたんです。

 おかげさまで、その後は自分から原稿を売り込んだことはありません。地図エッセーの第一人者なんて言われ方もしますが、この業界は狭いので、2番目の席なんてないんですよ。

 ■出発地と目的地

 ――10年近く前の本のあとがきでカーナビやスマホの普及に触れて、「私の仕事もそろそろ終焉(しゅうえん)が近いかも」と書いています。

 世界的に見ても、紙地図の需要は激減しています。国土地理院でさえ、地図作製の中心を電子国土基本図に転換した。デジタル地図は確かに利便性は高い。心配なのは、人々の頭の中が出発地と目的地だけになってしまうことです。

 たとえば、少し前までJR常磐線に佐貫(茨城県)という駅がありました(現在は龍ケ崎市駅に改称)。そこの改札に、「当駅は、マザー牧場の最寄り駅ではありません」と貼り出されていたんです。千葉県にあるマザー牧場の最寄り駅は内房線の佐貫町駅。想像すると、マザー牧場に行こうとしてスマホに佐貫と入力したとたんに二つの駅名が出てきて、うっかり佐貫駅をタップしてしまう人が少なくなかったのでしょう。

 アナログの時代なら、まず地図を調べたはずなんですよ。それで内房線が東京湾沿いに房総半島を南下していると分かれば、電車に乗りながら、そろそろ海が見えるはずだとか、木更津だとか考えるはず。今は途中が抜け落ちているから、窓から筑波山が見えても間違いに気づかない。こうなると、そもそも日本列島がどんな形をしていても構わないってことになる。

 ――地図を見なくなることが、思考力の衰えを招いている?

 北方領土と聞くと、プーチン大統領の顔とか不法占拠とかといった言葉だけが浮かんできて、けしからんという話になってしまいがちですよね。でも国後島や択捉島のロシア製の地図を見ると、そこには地名の付いた村がたくさんあって、人々の暮らしがあることを想像できる。「戦争で島を取り返す」みたいな短絡的な発想にはなりません。

 地図というのは世界中の色んなところに色んな生活があるということを、実感させてくれる点でも大事なものだと思っています。


 ■プロフィル

 ★1959年、横浜市生まれ。3きょうだいの長男で、父は百貨店勤務、母方の祖父は日本画家の木村崋邦(かほう)。幼い頃は絵ばかり描いて2歳でペンだこがあったとか。写真(左)は4、5歳ごろ、日本画家の祖父、弟と。

 ★明治大学文学部在学中は同大交響楽団に所属。専攻はドイツ文学。サークル活動は4年まで続けたが大学は中退。現在もアマチュアオーケストラの新交響楽団で打楽器を担当している。

 ★管楽器専門誌パイパーズ編集部に約9年間勤めてフリーに。結婚していたが、教師をしている妻の反応は「あ、そう」。家計費は当時も、2人の子が独立した今も「割り勘」という。

 ★当初は手描きのマップ=写真=作製の仕事も多かった。現在も中央公論の連載「地図記号のひみつ」で自らイラストを描きおろす。昨年の新刊は『ゆかいな珍名踏切』(朝日新書)、『ふしぎ地名巡り』(ちくま文庫)など5点。



nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。