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「いのち」とは、問い続ける やまゆり園事件 知的障害の娘と暮らす最首悟さん




津久井やまゆり園の事件が起きて,
じつは中井やまゆり園,こちらは神奈川県の直営施設らしいが,ここで障害者への虐待事件があったと言うニュースが流れていた.

じつはずっと昔から,障害者への虐待は繰り返されてきていたのだろう.
やまゆり園の事件は,植松聖という人が異例の人だったということでもないように感じた.

それで,お前自身はどうだったのか,どうなのか,と自問する.

やまゆり園事件をめぐって最首悟さんがインタビューに答えていた.


ここでの議論とは関係ないかもしれないけれど,
大学って組織は,ずいぶん残酷なところじゃないか,と思うことがあった.
インタビューでも最首さんが語っているけれど,退職するまでずっと助手のままだった,
いや,助手って名称は変わったかもしれないが,
大学時代の恩師が,助手って名称を変えたいんだよ、国は……、そんなことを語っていた.
分野は違うけれど,髙橋晄正さんは、ずっと講師のままだったはずだし,
衛生工学の宇井純さんも、助手のまま退職,他の大学に転じた.
すごいろこだな,と.

そういえばいつごろからか,「人財」なんてことばが使われることがある.
イヤなことば.
「人的資本」なんてことばもある.
そんなことばを,ふつうに使っていなかったか,と振り返ることもあった.


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「いのち」とは、問い続ける やまゆり園事件 知的障害の娘と暮らす最首悟さん
2022年8月2日 5時00分

[写真]星子さん(中央)に寄り添う最首悟さん(右)と妻の五十鈴さん=横浜市

 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月26日、入所者19人の命が奪われた事件から6年がたちました。重い知的障害のある娘の星子(せいこ)さん(45)と暮らす和光大学名誉教授の最首悟さん(85)は、事件を通して「いのち」の思索を続けています。

 ■無能力者排除の思想、強まっているのでは 頼り頼られて生きる関係、共生につながる

 星子はダウン症で重い知的障害があり、目も見えません。言葉はなく、「あ」と「が」の間のような声を出します。自分で食事や排泄(はいせつ)はできず、歩くこともできません。

 事件を起こした植松聖(さとし)死刑囚からすれば、生産能力はゼロでしょう。事件が起きたとき、星子が殺されたように思えました。死刑制度には反対ですが、彼を八つ裂きにしたい思いは今も変わりません。

 一方で、事件は起こるべくして起きたといえます。「生産しない者には価値がない」という彼の考え方は、経済主導の社会で、私も含めて多くの人の心に巣くっていると思うからです。事件から6年がたち、コロナ禍で「いのちの選別」への不安が高まるなど「社会のお荷物になる人はいらない」といった考えは、むしろ強まっているように思います。

 「無能力者は消えていい」という思想は、彼の後継者を生みかねません。こうした社会の空気を変えるには、頼り、頼られ、互いにいのちを生きていることを心に描くことが出発点だと思います。

 人は他者と関係を持たなければ生きていけません。「あなた」がいるから「わたし」がいる。相手を立てて互いがいる二者性という考え方に、80歳になってたどり着きました。この関係は、共生につながります。

 星子は数日に1回ほど大きい便をします。家中、臭いにおいとともに、よかったよかった、とウキウキする気分の中で始末します。

 星子という「あなた」から頼られていると思うと、「わたし」は勝手なことはできない。同時に泰然自若としている星子に頼っていることに気づく。私はあくまで私ですが、人間の単位としては1人以上2人未満。植松死刑囚にこうした関係があったでしょうか。彼が、社会との絆を失った「孤人」のように見えるのです。

 私は57歳で東京大学を辞めるまでの27年間、生物学教室の助手でした。求められる成果に応えられずコンプレックスもあった。生意気でとげとげした嫌な人間でした。

 東大闘争が終わり、自分の存在理由がはっきりしなくなっていた76年夏、星子は、ひらめきのようにやって来ました。翌年、水俣病の患者調査に関わり始め、こうした経験をもとに「問学」宣言をしたのが東大を辞めるときです。原因と結果を求める「学問」に対し、問い続け、解決に重きを置きません。

 いのちを基盤にした関係性を考え続けて思うのは、星子はわからないことだらけ。「いのち」もわからないということです。学問は、わかれわかれと言いますが、わからない世界のほうが豊饒(ほうじょう)です。わかることが無理だとわかると、なりゆくいのちに身を任せるしかありません。星子は約50年かけて私を平穏にさせてくれたのです。

 事件から2年後、植松死刑囚から私に手紙が届いたのを機に面会し、手紙を送りました。「人にはどんなことをしても、決してわからないことがある。そのことが腑(ふ)に落ちると、人は穏やかなやさしさに包まれるのではないか」と。

 20年以降、返事は来ません。それでも自分の考えをネットなどに書き続けています。彼だけでなく、彼の存在から透けて見える、ゆとりのない社会にいる多くの人たちに向けて。

 いのち論を手がけるようになり、わからなさがホロホロとこぼれます。生きるとは「次々になりゆく勢い」です。そこに希望が宿るのではないか。だから筆がとれなくなるまで問い続けます。(聞き手・森本美紀)

     *

 さいしゅ・さとる 1936年、福島県生まれ。東京大学教養学部生物学教室助手、予備校講師、和光大学教授などを経て現職。専門は人間関係論。横浜市内で精神障害者が通う施設運営に関わる。著書に「星子が居る」「新・明日もまた今日のごとく」など。
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