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(荒井裕樹の生きていく言葉)聴く耳なければ

2023年06月28日(水)

リタイアして,時間がたって,むかしのことがときどき思い出される.
というか,ふっと忘れていたこと.人の顔が浮かんでくることがある.

なんのために,
あるいは,だれのために,
だれと,
あるいは,だれを,
そのために,なにを…….
物語の入り口で,眠りに落ちてしまうのだけれど.


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(荒井裕樹の生きていく言葉)聴く耳なければ
2022年11月16日 5時00分

 挑戦したい気持ちと自分には無理だという思いが、相半ばする研究テーマがある。「運動家の妻」だ。

 戦後の障害者運動について研究を始めた頃のこと。かつての運動を牽引(けんいん)した人物数名と伝手(つて)ができた。特に親しくなった人もいて、時には自宅にまで押しかけ、そのまま何時間も話し込むようなこともあった。

 振り返れば、あの時の私が忘れていたのは時間だけではなかった。訪問する度、お茶とお菓子を用意してくれて、私が帰るまで隣室で控え続けている人の存在も忘れていた。

 一昔前の障害者運動は、文字通り「男社会」だった。夫が外で運動にはげみ、妻が黙って家を守る。一般社会と変わらぬ構図が厳然と存在していた。きっと妻たちは大変な我慢や苦労を経験したに違いない。

 そうした女性たち一人一人の心情を聴き取るような研究をしてみたい。とは思うものの、自分にその資格があるか疑わしい。なんだかんだ言っても、私も「男の学者」なのだ。男性運動家が語る武勇伝には恭しくレコーダーを回すのに、それを支えた妻たちの話は聴き取り調査の対象とさえ認識していなかった。

 「聴く耳のないところに声は生まれてこない」。研究を続ける中で、折にふれて自分に言い聞かせる大原則だ。時々学生にも伝えるようにしている。その「耳」を持っていなかった悔いと反省も込めて。

 (障害者文化論研究者)
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