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(欧州季評)フィンランドの「ロシア人」 「ホーム」は決められる? 朴沙羅

2023年11月19日(日)

海外に行ったことは,ほとんどなかったけれど,たぶんこれからもほとんどないと思うけれど,
いちどデンマーク,スウェーデンに行った.小さなツアーにくっついていったのだけれど,
ついでにフィンランドもみてみたいと思った,叶わなかったが.

スウェーデンの人口10万人ほどの街で,
ここはスウェーデンの100分の1とか,その町の議員で,行政の福祉部門の責任者が語っていた.
その町を,ぶらぶら歩いていて,教会の建物だったか,壁に鍵十字の落書きがあった.
ちょっと驚き,でも,やっぱりとも思ったのだった.

フィンランドとスウェーデンが,NATOに加盟するという.
どういう議論があったか知らない.



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(欧州季評)フィンランドの「ロシア人」 「ホーム」は決められる? 朴沙羅
2023年7月13日 5時00分

 2022年3月3日、ヘルシンキ市教育部部長は市内の児童・生徒の保護者に対して「子どもたちと若者の日々の生活におけるロシア・ウクライナ戦争」という題名でメッセージを送った。そこには、「ヘルシンキの学校には、ロシアとウクライナ両方のバックグラウンドを持つ児童・生徒・教職員がいます」「もしいじめを発見した場合は、直ちに対処します」と書かれていた。程なく、地域の小学校に通っている上の子から、この「いじめ」の例を聞いた。ある日の昼休み、彼女の同級生の1人が、隣のクラスのパーヴェルを「お前、ロシア人なんだってな」とからかった。パーヴェルは「俺がロシア人で何が悪い」と言い返し、けんかになった。

 同年2月にロシアがウクライナを侵略した直後、フィンランドでは、ロシア料理店やロシア語の本を扱う書店が攻撃された。しかし、ロシア人差別の標的になったヘルシンキ市内のロシア料理店の店長は、自分をロシア生まれのウクライナ人だと述べた。ロシア料理を出していることで脅迫の電話を受けた別の料理店の店長は、自分たちのレストランはエストニア人とフィンランド人の夫婦によって設立されたと語った。

    *

 ロシア語話者は、フィンランドに住む移民の中で最も人口が多い。フィンランド統計局によれば、22年末現在、人口の8・9%は、「国語」(フィンランド語、スウェーデン語、サーミ語)以外の言語の話者だ。人口の1・7%にあたる9万3535人がロシア語話者だ。このロシア語話者の出身地には、ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・エストニア・ラトビアが含まれる。

 フィンランドは1917年までロシア帝国領であり、独立した時点で国内にロシア語話者がいた。さらにロシア革命後の数年間に、革命を逃れてソビエト連邦からフィンランドに移住した人々がいる。ソ連崩壊後に労働者や学生として、あるいは新興富裕層として移住してきた人々もいる。フィンランドの新聞カウッパレフティによれば、昨年の1年間で、ロシアからフィンランドへ、6千人以上が移住した。この人数は、ソ連崩壊直後に移住した人数より多い。他方、昨年5月には、ロシア系住民も含んだ団体が、ロシアのウクライナ侵略を支持する首都圏縦断デモを行った。

 移住した時期も出身階層も国籍も多様な人々は、フィンランドで長年にわたって民族差別の対象になってきた。店舗を襲撃されたロシア料理店の店長は、フィンランド国営放送局に「フィンランド人の多くは私たちを嫌っている」と語った。93年から2007年にかけて行われた調査で、フィンランドではロシア人とソマリア人が移民の「ヒエラルキー」の最下層におかれていた、と指摘する研究もある。ロシア政府によるウクライナ侵略は、ロシア人への差別という、フィンランドに以前からあった問題を再燃させたと言える。

 フィンランドに住み、ロシア語を話す人々は、移住の経緯も、地位や在留資格も、ウクライナ侵略に対する考えも異なっている。しかし、その多様性は、彼らを「ロシア人」として差別したり、彼らが「ロシア人」として行動したりする時には無視される。だから、「フィンランドには多様なロシア人がいる」と言うのは適切でない。そうではなく、誰かを「ロシア人」にする状況と、その状況で成し遂げられる事柄があるのだ。自分自身を含む多様な人々を「ロシア人」にすることで、人々は同級生を差別したり、匿名で脅迫の電話をかけたり、侵略戦争を支持するデモをしたり、ロシア文化への愛着を語ったりできる。

    *

 去年の夏休み前、私は家にパーヴェルの家族を招いた。パーヴェルの母であるオルガは、いわゆる日本のカレーを食べて「少しだけスパイシーなボルシチ」と言い、父であるゲオルギーは、「おいしいお茶っていいよね、フィンランドはコーヒーばっかりだから」と緑茶を喜んでくれた。

 それから、ゲオルギーは私に「サラの名字はコリアンだけど、日本から来たんだよね?」と質問した。私は「私は日本生まれ、日本育ちだけど、私の父親はコリアンだから」と答えた。するとゲオルギーは「日本人から『日本語がお上手ですね』とか『いつ韓国に帰るんですか?』って質問されない?」と尋ねた。私が「割と『日本語がお上手ですね』とは言われる」と答えた。ゲオルギーは「フィンランド人は、僕らの名前を聞いたら『いつロシアに帰るんですか?』って言うよ」と笑った。そして「うちの子たちには、フィンランドをホームだと感じてほしい」と重ねた。こうやって、私たちはお互いを「フィンランドにいるロシア人」と「日本にいるコリアン」にする。

 そして次の瞬間、物流会社で働くゲオルギーが「ところで、サラは京都から来たんだよね? メイシン・ハイウェイのキオト・ヒガシとキオト・ミナミの、どっちの出口が家に近いの?」と質問した。まさか名神高速道路の出口の名前をここで聞くとは思わなかったので、私は笑ってしまった。そう、どこが「ホーム」なのかを、私たちは互いにこうやって決めることもできる。

    ◇

 ぱく・さら 1984年生まれ。社会学者。神戸大講師などを経てヘルシンキ大講師。著書に「ヘルシンキ 生活の練習」など。

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