SSブログ

片山善博の「日本を診る」(169) 機関委任事務の亡霊が幅をきかす自治の現場 【世界】2023年12月

2024年04月07日(日)

ちょっと気になる投稿が「X」似合ったな,なんだったか,
たぶん能登.
ボランティアを前にまるで訓示を垂れるかのような石川県知事の写真だったか.
とっても滑稽な絵に見えた.
この知事は,地震が発生したときに東京にいたのだということだった.

そういえば,「地方の時代」とか言っていたな,と思い出す.
革新自治体か,古いことば,もうお蔵入りしているか.
それでもいくばくかこの国の「統治」システムに影響を与えていたようには思う.
それがいま,どうなっているだろうか.

3.11のとき,県と市町村,
そして,国(各省庁)との関係はどうだったか.
メディアはあまり報じなかったけれど.


―――――――――――――――――――――――――

【世界】2023年12月

片山善博の「日本を診る」 169

機関委任事務の亡霊が幅をきかす自治の現場


 先月号で沖縄県辺野古の埋立問題を取り上げた。その中で、二〇一三年に当時の仲井眞弘多(なかいまひろかず)沖縄県知事が防衛省に対して埋立ての承認を出すにあたり、県議会の同意を求める手続きを踏んでいれば、今日のような泥沼の混乱は避けられたのではないかと指摘した。
 公有水面埋立法の規定では、知事は議会の同意がなくても承認を出せる。しかし、県議会において、知事が公有水面埋立法による承認を出すには県議会の同意を得なければならないとする条例を制定していれば、知事は独断では決められない。
 埋立承認の同意を求める議案を知事が県議会に提出したとして、必ずしもそれが可決されるとは限らない。審議の結果、同意が得られないかもしれない。それはそれで県民の代表である県議会の意思ということになる。
 一方、県議会が埋立承認に同意を与えていたとすれば、その決定は重要な意味を持つ。知事が他の人に替わり、新しい知事が前任者の決定を覆そうと試みたとしても、通常は議員の多くが替わっていないから、以前の結論を容易に変えることはない。県の意思決定に安定性が伴うことで、今日の泥沼化は避けられたはずである。こんな考えのもとに、公有水面埋立法の承認に限らず、地域の重要な事柄については首長が一人で決めるのではなく、多数の議員で構成される議会に最終決定権を移すのが賢明であると述べた。具体的には地方自治法九六条二項に基づき、必要な範囲内で法定受託事務に関する首長の権限を議会の議決事項とする条例を制定すればよい。

■自治体の現場では法律より「通知」優先

 先日、自治体関係者に話をした折のこと、この小論を読
〈158〉
んだ自治体職員から次のような反論が寄せられた。「先生は公有水面埋立法に関する知事の承認事務を議会の議決事項にすればいいと言われるが、総務省通知で議会の議決事項にできないとされているのでないか」という。
 ここでいう総務省通知とは、「地方自治法第九六条第二項に基づき法定受託事務を議決事件とする場合の考え方について(通知)」(平成二四年五月一日)のことである。この通知は、いわゆる法定受託事務を議会の議決事項にすることができるとする地方自治法とその施行令の関係条項について、総務省がその解釈を示したものである。なお、ここでいう法定受託事務とは、自治体が処理する事務のうち、国の事務とされるものを国から委託されて自治体が処理することとされている事務のことである。
 総務省の解釈によると、地方自治法九六条二項は、一部の事務を除く法定受託事務について議会の議決事項にできるとしているが、だからと言って何でもかんでもその対象となるわけではなく、自ずと制限があるという。通知には違和感のない内容も含まれている。例えば、法定受託事務に関する法令の中に「長は情報を公表しなければならない」など、その処理にあたって長が機械的に処理を義務づけられている事務について、あらためて議会の議決対象とすることは想定されていないとする総務省の見解に異存はない。また、首長に事務の執行を委ね、議会に対しては事後に報告することを法令が定めている事務は対象から除かれるとしているのも頷ける。
 このように通知には素直に受け入れることができる記述がある一方、決して受け入れられない内容も含まれている。例えば、法定受託事務遂行上の許認可等の処分についての解釈である。通知が、法定受託事務の根拠となる法令中に「議会の議決に付す」との特段の定めのない事務は、九六条二項の対象から除外されるとしている(そこに公有水面埋立法の承認も列挙されている)のはその代表である。
 そもそも法定受託事務の根拠法に「議会の議決に付す」とあれば、自治法九六条二項の出る幕はない。自治法九六条二項の意義は、法定受託事務に関する根拠法に「議会の議決に付すとの特段の定めのない事務」をも幅広く議決対象に加えられるところにあるのだから、通知のこの部分は九六条二項をほぼ全面的に骨抜きにするものといえる。

■機関委任事務の亡霊を退治するには

 通知のこの考えは、二〇〇〇年に本格実施された地方分権改革の根幹をも否定するものである。この改革以前には国と自治体との関係で機関委任事務という概念があった。国の事務を知事や市町村長(場合によっては教育委員会などの行政委員会)に委任して処理させる仕組みで、知事や市町村長をいわば国の出先機関と位置づけていた。
 知事や市町村長は住民から直接選ばれているにもかかわらず、機関委任事務の処理にあたっては各省大臣の部下の如く扱われる。部下は上司の指示に従うものだから、そこには議会の関与する余地はないとして斥(しりぞ)けられていた。
 地方分権改革の中で、前時代的な機関委任事務制度を廃止し、それに替わって設けられたのが法定受託事務の制度である。ここでは国の安全に関わるような一部の事務(例えば「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」に基づいて自治体が処理する事務など)を除いて、国の事務であっても自治体が処理する事務については議会の関与が及ぶ仕組みに変えられた。にもかかわらず、この通知を見る限り、総務省の頭の中はいまだに地方分権改革以前の状態にとどまっているようである。
 もっとも、この通知を含めて、国が法令の解釈などを自治体に示す文書は単なる助言にすぎない。このことも地方分権改革において条文化されたものであり、現にこの通知でも、これは「技術的な助言である」と添えられている。助言なのだから、通知を受け取った側が「なるほど」と思えばその解釈を受け入れればいいし、それが間違っていると思えば無視するだけのことである。
 以上のことをかいつまんで先の自治体職員に説明したところ、「それはそうかもしれないが、日々職場で仕事を進める上ではこうした通知が絶対ですから」という。国の通知の内容に疑問を抱くことはあっても、それを押し返すだけの自信がない。仮にあったとしても上司はそれを容認しないともいう。
 このやり取りの数日後、ある市長と面談した際、国の通知の内容がおかしいと思った時、それとは異なる取り扱いをすることがあるかどうか尋ねてみた。すると、「それはしていない。それにはとてつもない勇気と覚悟を要する」とのことだった。それ以前の問題として、日々大量の通知が各省から来るので、その内容の是非を一つ一つ確かめる余裕などない、とも訴えていた。
 うすうすと感じていたことではあるが、自治体の現場の職員と首長から、地方分権改革の成果が蔑(ないがし)ろにされている実態をかくもきっぱり聞かされ、しばし言葉を失った。しかし、この現状を追認することは到底できない。
 そこで市長には法曹の力を借りるよう、それこそ助言しておいた。弁護士を職員として採用し、国からの主だった通知を点検することから始める。もしそこに自治権をおかす内容があれば、市長会などを通じて国に異論や反論を伝えるべきである、と。筆者の体験にかんがみ、それが自治体の長の責務の一つだと考えるとも付け加えておいた。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。