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[表紙]カストロ 杉本博司  【図書】2023年11月



たしかにゲバラに較べると,カストロはちょっと人気がなかったかもしれないな、と思い出す.
おまえさんはどうだったんだ、と自問すると,とくにどちらが……とは思わなかったか.

アメリカのキューバに対する外交上の措置については,
なんの問題もなかっただろうか? たぶんそんなことはない.
キューバ危機は,アメリカの外交が必然的に呼び込んだところがあったんじゃないか.

黒木和雄さんの「キューバの恋人」を見た記憶があるけれど,
中身はほとんど覚えていない.
それでもアメリカの圧力下のキューバへの、多少の関心があったんだと思う.
仮に,列島の国が、アメリカの属国の道を歩まなかったら……とか.
当時,そう見ていたかどうか.

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【図書】2923年11月

[表紙]カストロ
杉本博司

 カストロは革命家だ。革命家とは理想を掲げ、人々を抑圧する悪しき政権を倒し、理想実現する人を指す。しかし殆どの場合、革命が実現してみると、その革命家は権力者となり独裁者となりおおせてしまう。そして再び人々を抑圧し始めることになるのは歴史の皮肉だ。
 カストロは裕福なスペイン移民の子としてキューバに生まれ、次第に革命を目指すようになる。アメリカの傀儡政権であるバティスタ独裁政権はさとうきび栽培を経済の根幹とし、過酷な労働を人々に強いていた。一九五三年に初めて蜂起、モンカダ襲撃に失敗した後の獄中書簡が残されている。
 「われわれが依拠するのは、毎日のパンを誠実に稼ぎたいと思っている七〇万人の失業者、みすぼらしい小屋に住み、一年のうち四ヶ月働き、子供たちと貧しさをともにしながら、残りの日を飢え、一インチの耕す土地も持たない農業労働者である」(宮本信生『カストロ』、中公新書より)
 さとうきび栽培では一年に四ヶ月しか季節労働者としての働き口がなかったのだ。一九五六年、亡命先のメキシコから、八二名の同志とともにグランマ号にのってキューバ上陸を果たすが、激しい戦闘で一八人が生き残り、マエストラ山脈にこもりゲリラ戦を展開することになる。この時の生き残りにチェ・ゲバラがいた。カストロの運動に民衆は集まり、ついに一九五八年、数においては圧倒的なバティスタ軍に勝利する。独裁政治を倒して、社会正義を実現しようとしたカストロの初期の動機は、社会主義国家建設を目指し今に至る。カストロの人気が死後もある程度維持されているのは、独裁者でありながら清貧に生きたからだ。宮殿も建てず普通の生活をし、銅像も建てず自身の英雄化を拒んだ。徹底した医療や教育の平等も実現している。しかし盟友ゲバラはソ連追随を潔しとせず去り、一革命家としてボリビアのアンデス山中で最期を遂げた。革命家は革命の渦中で死ぬのが本望なのだ。ゲバラの人気は今も高い。
(すぎもとひろし・現代美術作家)


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