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からっ風 群馬県/あるいは、鉄道の話

2022年11月08日(火)

たまたま関越道経由で十日町まで行った。

鉄道利用もあるかなと、時刻表を見た。
ほくほく線は、とても痩せ細っている。長野~金沢が結ばれて、ほくほく線は一挙に痩せ細ったのだったか。

只見線に乗ってみようか、と思う。思うだけかもしれないな。
只見線に最後に乗ったのは、大学生のころ、40数年前か。

クルマの免許を取ったのは、30歳に近かった。振り返ると、国鉄解体前夜、ダイヤ改正のたびに利用しにくくなっていったように記憶する。
なんでクルマの免許を取ってのだろう,と振り返る。
気分を変えたかった……のかな、とか。
まだ元気だったから、車で結構遠くまで行った。鉄道は、どんどん遠くなった。じっさいダイヤは、スカスカになっていった。新幹線ばかりが肥え太っていった。
新幹線の行っていない地域、山間,田園地域へ、クルマを走らせていた。

そう、それで新聞の記事に、水上から越後湯沢に向かう列車は日に5便だという。

ヤマト運輸の小倉昌男さんは、運輸行政の閉鎖性と戦い、貨物輸送の免許制度だったか、不合理と闘った……だったか、その志に異を唱えるつもりはないけれど、
小倉さんではなく、役所の側に将来への見通しがあったのだろうか、と振り返る。
免許制度は、ただ既得権を守っただけだったかもしれないな、などと思う。と同時に、1960年から70年代、自動車交通による「公害」が問題化したときに、なお道路の整備しか選択肢はなかったのか、と思い返す。

3.11,寸断された道路網に変わって、鉄道が物資輸送に活躍した。もちろん被災地域の鉄道網は大きな被害を被ったけれど、鉄道も、自動車道と同じようにネットワークを作っている。全体として、どう機能するか、が問題だっただろう。ただ、鉄道は専用線を走る。震災後、そのメリットはとても大きかったのではなかったか。

ずいぶん前のことになってしまった、
広島で会議があるというのだけれど、ちょっと無理をいって、前日の夜行急行を使わせてもらった。
もう長距離の優等列車は、だいぶん廃止されていたけれど、急行銀河が残っていた。夜遅く銀河に乗り、朝、新大阪着、そこから、本意じゃなかったけれど、新幹線。
自分よりちょっと若い人と一緒だった。彼は初めての寝台列車だったようだ。

学生だったら、大垣行き普通列車、そして名前がついてムーンライトながらでも使うだろうか。
ずっとまえ、上野発、奥羽本線経由青森行きの夜行普通列車に乗ったことがあった。
そのさらに前、急行高千穂・桜島を使った。大阪で満員になったのだったか。

お金があって、時間のない人は、新幹線でいいだろう。
お金はなくて,時間はあるよ、と夜行列車などを使う。
そんな選択が可能だった頃もあったのだな、と思い出す。
それで、ほんとうに便利になったのだろうか……。いや、便利さとはなんだったろうか、とも。

それで、「雪国」は、どう読まれるのだろう。これから冬に向かい、トンネルの向こうに雪国が待っているのだけれど。


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2022年10月18日

からっ風 /群馬県

 今年は鉄道開業150年。14日にはJR東日本高崎支社が、特別なSL「夜汽車鉄道百五十年号」を、上越線高崎―水上間で運行した。

 水上駅では、SLが折り返して高崎駅に戻るため、転車台で車体を転回させる。いわばターンテーブルが回転してSLの向きを180度変える装置だ。取材するためSLを追って、在来線で上越線を北上した。

 水上駅で降り、時刻表が目に入った。新潟方向は一日5本で、上りの3分の1以下だ。JR東は7月、利用者の少ないローカル赤字路線(35路線66区間)を公表したが、水上―越後湯沢(新潟県)間もその一つ。赤字額は15億7200万円(2019年度)だ。

 この公表に先立ち、国土交通省の検討会が、利用者の少ないJR線区について、「JRの企業努力のみで乗り越えられない。国が主体的に関与し、沿線自治体とあり方を検討すべきだ」と提言した。

 コロナ禍でテレワークが普及し、収束後も人の移動の流れが以前通りに戻らない可能性もある。車の運転ができない高齢者や学生にとって電車は重要な公共交通機関。バス・タクシーも含めて事業者の枠を超えて、沿線自治体が地域交通体系を一体的に考える時期に来ている。(角津栄一)
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