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片山善博の「日本を診る」(157) 地方創生をどうするか――これまでを振り返り、これからを考える

2023年05月02日(火)


ふるさと納税という制度ができたとき,
ほんとうにばかげた仕組みを考えるものだと思った.

そのもっと前,ふるさと創生で自治体に1億円だったか,国が交付するのだという.
この国はどうしてしまったのかと思った.

ふるさと納税が可能ならば,
むしろ住民税の減税を考えてほしい……と思ったのだった.
財政学者,租税制度の専門家がメディアに登場することがあったか,
覚えていない.
あるいは,専門的な雑誌などでは,きちんと吟味されていたのかもしれないが,
メディアは,ほとんど無批判的に制度の宣伝に努めているように見えた.

そこに,COVID-19の感染拡大で,
現金バラマキが始まった.
現金バラマキに対する客観的な報道など,ほとんど見ることがなかった.
いや,事実上,国家による商売などの活動を抑制しようというのだから,
それによって損失を被る人,起業などに対する支援が検討され,実施されることに異存はなかったけれど,
さて,なにがなされてきたのか,
それによって,どのような効果が期待され,
じっさいに、どのような効果があったのか…….
わからない.

そういえば,ふるさと納税のおかげでいちばんも受けているのは,どこの誰なんだろう……なんてケチなことも考えた.

おおむかし……かな,ふるさとに錦を飾る,なんて言葉があった.
いま,どうだろう.
帰るべきふるさとがどこにあるんだろう,と思うことがある.

いま,東京圏に住んでいて,さて自分のふるさとって,どこだったか…….

たまたま仕事に関連して,ちょっと無理を言って,研修目的?で北欧に行ったとき,
スウェーデンで,バルト海に面した人口10万人ほどのまちで,行政部門の責任者の議員が,
このまちはスウェーデンの100分の一です,
と語っていた.
人口1000万人の国の,人口10万人のまちの話.
通訳がはいるから,ほんとうのところを知っているわけではないけれど,
議員の話に,「地方」は出てこなかった.

そういえば,彼の地は,1970~80年代,地方制度のあり方をかなり徹底して議論していたという.
列島の国ではどうだったか,とちょっと振り返ってみる.


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【世界】2022年12月

片山善博の「日本を診る」(157)

地方創生をどうするか――これまでを振り返り、これからを考える


 政府はこれまでの八年間、地方創生に力を入れてきた。自治体もこれに呼応し、熱心に取り組んできた。では、それによって所期の目的を達成したといえるか。筆者の見立てでは、残念ながら全国いずれの地域でも地方創生はうまくいっていない。
 「うまくいっていない」とは曖昧な言い方だが、地方創生とはそれぞれの自治体が地域の課題とそれを解決するための目標を定め、実績を評価するための指標も自ら設定する枠組みだから、総体として成果を論ずるには「うまくいっている」とか「うまくいっていない」というほかない。

■自治体同士の奪い合いは不毛の争い

 地方創生だけでなく、このところ国が主導する地域活性化策はうまくいっていない。その要因として思い当たることはいくつかあるが、ここでは特に気にかかることを二つだけあげておく。
 その一つは、総じて自治体が互いに奪い合う施策に力を入れてきたことである。例えば地方創生を遂行するに当たり各自治体は総合戦略という一種の計画を策定し、それに基づいて各種の施策を実施してきた。
 その総合戦略にほとんどの自治体が書き込んだのが人口減少に歯止めをかけるための施策であり、具体的にはUターンや移住の受け入れである。移住者には住宅の世話や就業面での支援策が用意されるが、どこの自治体でも注力しているので、平凡な支援では他の自治体に比べて見劣りがする。そこで支援策はいきおい手厚くならざるを得ない。自治体による人口の奪い合い競争が現出する。
 移住促進に力を入れ、それでいてはかばかしい成果を上げられない自治体の担当者からこんな話を聞いたことがある。移住を希望する人の中には、自治体の足元を見て、さらに手厚い支援を求める強欲の人もいるという。
 あげくの果てに、「せっかく移住してきてやったのに、期待はずれだった」などと嘯(うそぶ)いて逆Uターンした人もいたそうだ。どうしてこんなに卑屈にならなければならないのかと、担当者は嘆いていた。
 自治体が移住者受け入れに力を入れたからといって、それでわが国の人口が増えるわけではない。今わが国は人口減少下にあるのだから、地域間の移住をめぐる競争は、いわばパイが小さくなる中での熾烈な奪い合いである。全体としてみれば、「労多くして益なし」の不毛の争いでしかない。
 いわゆるふるさと納税の制度は奪い合いの典型例である。A市の住民がB町にふるさと納税(寄付)をすれば、本来ならA市に入るはずの住民税がほぼB町に移転する仕組みだからである。全国の自治体が「わが市に」、「わが町に」と熱心に寄付を募っているのは、所詮は他の自治体に入るべき税金を自分の所に奪いとろうとしている作業にほかならない。自治体が税の奪い合い競争をしても、それによって国全体の税収が増えるわけではない。むしろ寄付者への返礼品に要する経費やPR代などのために貴重な税が費やされるのだから、結果として税は大きく目減りする。
 自治体がこぞってよその税を奪うために知恵を絞っている姿は健全ではない。それは他人の金を奪うためにあれこれ知恵を絞っているオレオレ詐欺集団を彷彿とさせる。自治体はもっとまともなことに知恵を絞るべきではないか。

■安売り作戦ではなく、生産性向上の戦略を

 二つ目としてあげられるのは、値引きやダンピングによって地域経済を活性化させようとしたことである。例えば地方創生の代表施策として全国すべての自治体が実施したのがプレミアム付き商品券である。一万円で一万二千円分の商品券が得られる。これは概ね二割値引きされた商品を購入できるに等しい。
 地方創生では初期の段階で、多くの県が観光キャンペーンの一環として「ふるさと旅行券」などの割引券を発売した。ホテルや旅館に実質的に半分の価格で宿泊できたので、発売と同時に売り切れるなどという例が多かった。
 これによって域内への観光客が増えたという評価がなされていたが、結局は一過性のブームに過ぎず、キャンペーンが終われば需要は元に戻る。また、一度半額旅行の味を覚えると、通常価格が割高に感じられることもあり、旅行市場を混乱させることにもつながった。
 現在進行中の全国旅行支援も同じだが、値引きやダンピングで一時的な需要を掘り起こすことはあっても、地域経済をまっとうに成長させることにはつながらないことを肝に銘じておくべきである。
 先にふれたふるさと納税も、見方を変えれば超ダンピング政策である。ふるさと納税の仕組みを寄付者の視点でとらえると、例えばどこかの自治体に一〇万円寄付した人なら、住民税ないどの税が九万八千円減税される。加えて寄付先の自治体からは寄付額の概ね三割に相当する返礼品(和牛や果物など寄付者が指定した商品)が届けられるのが通例である。
 以上を総計すると、この寄付者の場合、三万円分のお気に入り商品をわずか二千円で手に入れられたことになる。これは堪えられない。ふるさと納税を超ダンピング政策だという所以である。
 寄付金をたくさん集めた自治体関係者がこんなことを言う。これまで日の目を見ていなかった地域の特産品に都会の人たちの注文が殺到している。ふるさと納税のおかげで地域経済が大いに活性化した、と。
 ただ、その都会の人たちは、決してその特産品の真の価値を認めて注文しているわけではない。三万円分の商品がたった二千円で手に入れられることに魅力を感じているに過ぎない。これは戦争特需のようなもので、今後ふるさと納税制度が廃止されれば(早晩必ず廃止される)、その人気商品に対する需要はほぼ消えると覚悟しておくのがよい。
 自治体間の人口や税の奪い合いと安売り・ダンピングでは地域振興につながらないことは明らかだが、では今後どのようにすればよいか。それは人口問題でいえば、減少するパイを自治体同士で奪い合うのではなく、それぞれの地域で出生率が上がるように、子どもを生み育てやすい環境を整えることの方に力を入れるべきである。それは小手先の施策では無理だし、一朝一夕に成果が上がるものではない。腰を据えて地道にじっくり取り組まなければならない課題であるはずだ。
 また、当面は人口減少に抗うのではなく、人口減少を前提にした上で、地域の企業や働く人たちの生産性を上げる施策に力を入れるべきである。労働力人口が減っても生産性が上がれば、地域経済の活力は維持できるからである。そのための具体的取り組みとしては、最近とかく話題になることの多いデジタル化の促進であったり、地場企業の技術力向上であったり、下請けからの脱却であったりする。
 いずれにしても、これからの地域づくりでは、国から提示されたことを鵜呑みにするのではなく、自分たちの地域の現在及び将来にとって何が重要かということを真剣に考え、実践することが大切だと思う。

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いま、この惑星で起きていること  第35回(最終回) 体当たりの科学者たち  森さやか

2023年05月11日(木)

そういえば,藤田哲也さんという名前は,たぶんテレビのドキュメンタリー番組だったか.

まったく違う話だけれど,最近,牧野富太郎の名前を聞く.
小学校中退,
学校制度が,確立するにしたがい,牧野富太郎の居場所は,なかなかむずかしかったとも聞いたことがあったな.
じっさいはどうだったのだろう.

むかし,大学卒業程度を認定する試験があったと聞く.
おもしろいな,と思った.
大学入学資格検定試験があった.
いま,高等学校卒業程度認定試験.

いや,森さやかさんの記事とはあまり関係がないかな.
でも,学ぶこと,考えること,研究すること……って,どんなことだったか,
と思った.




【世界】2022年11月

いま、この惑星で起きていること
第35回(最終回) 体当たりの科学者たち

森さやか
もり・さやか  フリーの気象予報士。アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。二〇一一年からNHKの英語放送「NHK WORLD-JAPAN」で気象アンカーを務める。著書に『竜巻のふしぎ』『天気のしくみ』(共に森田正光氏との共著、共立出版)、『いま、この惑星で起きていること――気象予報士の眼に映る世界』(岩波ジュニア新書)。


 一九九八年一一月一九日、ある高名な気象学者がアメリカで息を引き取った。嵐に魅せられ、風の正体を探り続けた人生だった。
 その人は藤田哲也という。福岡県北九州に生まれ育ち、若くして地元の専門学校の助教授となった。陽気で、お茶目で、博学異才な藤田を、生徒たちは「てっちゃん先生」と親しみを込めて呼んだ。
 そのてっちゃん先生が、気象の研究に没頭したいと海を渡ったのが三二歳の時。わずかなお金を握りしめて、戦後まもない日本の焼け野原を飛び出した。シカゴ大学では、明晰な頭脳と独創性を生かして名声を高めていく。ノースダコタ州に大竜巻が襲った時には、まず地元のテレビに出演し目撃情報を募った。日本語なまりの英語を話す度胸たっぷりな研究者に人々は興味津々で、次から次に情報が集まったという。藤田の研究手法は、地べたを這っての泥まみれの調査から、自身専用の“フジタジェット”に乗っての空中観測まで、オリジナリティにあふれていた。型にはまらぬスタイルで竜巻を追いかけ、お手製の装置で綿密に分析し、ついたあだ名は「ミスタートルネード」。気象学の世界的権威にまで上り詰めた。
 藤田のような熱意ある研究者が、科学の発展、そして今日のわれわれの安全をもたらしてくれていることは言うまでもない。今月号では、地球の異変を見つめつつ、任務にあたる科学者たちを取り上げ、最近起きた天気のニュースと絡めて話を進めていきたい。

■空から“古”を探す宇宙考古学者

 その昔、イギリス人考古学者のジェフリー・ビブリーは言った。「すべての考古学者は、自分がなぜ掘るのか知っている。死者が蘇るように、過去が永遠に失われないように、時代の難破から何かが救われるように、哀れみと謙虚さを持って掘るのである」。しかし今年、考古学者は掘らずに胡坐をかいていればよかった。記録的な熱波と干ばつで湖や川の水位が下がり、遺跡や遺物が自ら顔を出したからである。まず米国アイオワ州では、先史時代の人のあごの骨が見つかり、テキサス州では一億年も前の恐竜の足跡が、それぞれ干上がった川底からお目見えした。またイギリスでは芝生が枯れて中世の庭園の跡が姿を現し、イラクでは川底から三四〇〇年前の都市国家が発見されるなど、考古学者は大忙しで嬉しい悲鳴を上げた。
 こんなふうに水が涸れた時にひょっこり遺物が顔を出すだけならまだいいが、異常気象が続いて、この世から金輪際消えてなくなってしまう場合は大問題である。たとえば今年の七月、ペルーでは、焼き畑の火が瞬く間に広がって、マチュ・ピチュまであと一〇キロの距離まで迫ったし、昨年はギリシャのミケーネにある青銅器時代の遺跡が炎に囲まれ、ぎりぎりで消火された。また海面上昇によって、スコットランドの海岸線に建つ五〇〇〇年前の集落跡なども水没の危機にある。後世に気がつかれぬまま、そっと地上から消えていく古の記憶がないように、いま考古学者はハチマキをしめて急ピッチで仕事を始めている。とはいえ、手探りの発掘スタイルでは間に合いそうもない。そこで、衛星に取り付けた超高解像度のカメラで地球を見下ろす、「宇宙考古学者」が登場している。この方法ならば、どんな辺境の遺跡ですらも、空調の行き届いた快適な研究室で四六時中探索が行なえる。もし遺跡が地中に埋まっていても、その上に生えている植生に変化が現れるから、衛星でそれを見つけ出し、探り当てることが可能だという。では、その場所が熱帯雨林に覆われていたらどうだろう。今やそれすら透けさせて、地
上を見わたせる技術が存在する。遺跡が消えるのが先か、見つけるのが先か、宇宙考古学者は時間に追われている。

■嵐に突っ込むハリケーンハンター

 最先端の技術で地球を空からくまなく見わたせる時代になったが、やはり最終的には人が直に見て感じて、調査をするに限る。
 ハリケーンも雲写真から強さを推定することが可能だが、アメリカでは航空機で雲の中を突っ切って、直接観測する“慣習”が引き継がれている。そんな勇猛果敢な人たちを「ハリケーンハンター」と呼ぶ。今年八月、かつてない試みが行なわれた。普段は調査エリア外の、米国東岸から五〇〇〇キロも離れたアフリカ沖まで観測機がひとっ飛びして、ハリケーンの卵の雲に突っ込むというものである。この海域は「ハリケーンの保育所」とも呼ばれ、アメリカにやってくる嵐の約半数が誕生する。しかし、ハリケーンハンターが遠路はるばる大西洋の反対側まで出かけて行って、いったいどんなメリットがあるのだろうか。それは嵐の発生段階から正確な情報を手に入れて、予報精度の向上を図るためである。アメリカのハリケーンによる被害額は一つあたり平均二〇〇億ドルにも上るそうだから、救世主の一手となり得るわけである。
 ハリケーンハンターには、どうやったらなれるのだろうか。九月、アメリカ海洋大気局が求人広告を出したので、その内容を紹介しよう。募集職種は、観測機に乗ってデータを取る気象学者である。フルタイムの正社員雇用で、年収は約六万ドルから一〇万ドル(約九〇〇万円から一四〇〇万円)。これを高いとみるか安いとみるかは、あなた次第である。飛行中は当然のこと乱気流のオンパレードであるから、言うまでもなく、それに耐えられる体力や忍耐力が必須になる。熱帯の暑さから超高高度の寒さまでの極端な気温差や、何Gもの負荷に耐えられるたくましさ、それに超ド級の轟音にも動じないタフさも必要である。過去八〇年の歴史の中で、墜落は六機、死者は五〇人超。死と隣り合わせの危険な任務である。

■動物の叫びを聞く、生物学者

 以前、闇夜に光るシカゴの摩天楼にぶつかって命を落とした悲しき小鳥たちを、四〇年間拾い続けた動物学者を紹介した。計七万羽に及ぶなきがらの身体測定で分かったことは、鳥が小さくなっていたことだった。また、トンボの翅の黒色が薄くなっていたり、クマの冬眠開始時期が遅くなったりしていることなどを発見した学者もいた。環境変化に抗えない哀れな動物たちは、こうして外見や住処を変えて暑さに順応しようと、もがいているのである。学者たちはそんな彼らの叫びを代弁している。
 地球は今、「第六絶滅期」に向かっていると言う人がいるように、何千万年来の速いペースで動物が地上から消え去ろうとしている。ではいったい、どんな動物が温暖化した地球上でも上手くやっていけるのだろうか。八月、科学誌『eLife』に発表された論文には、その答えがある。
 サウスデンマーク大学の生物学者が、一五七種の哺乳類の個体数の増減と天候の変化について調べたら、長生きで少産型の動物は、短命で子だくさんの動物に比べて、異常気象の影響を受けにくいという結果が導かれた。たとえば、ゾウやトラといった動物が前者で、ネズミなどの仲間が後者にあたる。これはどういう意味か。たとえば干ばつなどの異常気象が起きた場合、短命な小動物は、すぐに食糧不足に陥って個体数が激減する。しかし状況が改善すれば、急激に個体数が増える。つまり気候の変化に振り回されやすいというわけである。
 幸運にも人間は、変化を受けにくい「勝ち組」に属している。万物の霊長をうたい、地球の環境を壊し続ける張本人は、これからは心を入れ替えて、地球を去ろうとしている動物を救い上げ、船に乗せる番である。

■心ここにあらざれば視れども見えず

 ややもすると、見過ごされそうなことばかりである。しかし研究者たちの目が、いまこの惑星で起きている変化をとらえている。藤田はよく、こう口にしていた。「心ここにあらざれば、視れども見えず」。目をそらさず、じっくり見据えれば、おのずと今の地球が見えてくる。現状を真剣に見つめ行動にうつすことが、未来に地球を託すわれわれ世代の責務であろう。
 こんなふうに、世界の天気話を日誌ないし月誌として書かせていただいた連載も、いよいよ今月号が最終回である。父親からは「さやかの文章は薬にならないが、毒にはならないよ」と辛口に励まされて始まり、気がつけば三年経って、三日坊主の私がよく続けられたと、いまや感動してくれている。こうして書き続けられたのも、最後までお付き合いくださった読者の皆様のおかげに他ならない。この場を借りて、厚くお礼を申し上げます。
(おわり)

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寺島実郎 脳力のレッスン(245) 近代民主主義の成立要件と二一世紀の模索――資本主義と民主主義の関係性(その3)

2023年04月23日(日)

世界の人口についての国連の予測が公表されていた.
だいたい予測に沿って変化するんだろうなと思う.すくなくとも2,30年程度の範囲では,ほぼ予測どおり,さらに長期についても,流れは変わらないんだろうな,と感じる.

人口が独立変数なのか,なにかの従属変数なのか,不勉強でなんとも言えないけれど,
この列島の国に関する人口学の見通しは,ほぼ予測どおりだったように思う.
いや,当時,総人口の中位推計は,すこし願望を、あるいは政治的な妥協?を含んでいるんじゃないかと思った。むしろ低位推計の方が当たっていそうだな,とか.

民主主義……か.
よくわからない.
もし多数が正義であるなら、遠からずインドや中国,さらにアフリカ諸国が,正義を旗を振ることになるのかもしれない.
アメリカは,いずれに「白人の国」ではなくなるんだろう。そのとき,彼らの正義はどうなっているだろうか.
その一方で,人がつくる政治的な制度は,人口規模とどのような関係がありそうか,と思うが,
あるいは無関係ということもあるのだろうか.

おおむかし,コンピュータが進化して,計画経済の需給にかかわる基礎的計算を俊次に実行するようになる……みたいな話もあったのではなかったろうか.
政治的な意志決定は,さてどうなるんだろうか.

……などと,すこし考える.
選挙という仕組みは,そんなに優れたものなんだろうか,とか,
宮本常一さんが,対馬の小さな漁村における「寄合」……でよかったか,村の中の問題解決のための合意形成,なんてかたいいいかたになりそうだけど……について書いていた.
長老がなにか言う,四方山話があって,なんとなく解散.
また何度か寄合があって,気がつくと,村人の合意ができあがっている……というような.
もちろんそんな寄合を,永田町,霞ヶ関でやるというのは,まったくの非現実だろうけれど.
いや,永田町や霞ヶ関に住人たち同士は,似たようなことをしているんだろうか.


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【世界】2022年11月

寺島実郎 脳力のレッスン(245)

近代民主主義の成立要件と二一世紀の模索――資本主義と民主主義の関係性(その3)


 「民主主義の危機」が叫ばれ、「民主主義の機能不全」が語られる中、重心を下げた民主主義の再考を試みている。とくに、民主主義とそれを成立させる要件としての経済的基盤の関係にこだわり、現代中国の「国家資本主義」と「人民民主主義」の構造的解明(本連載240)、アテネの古代民主制を成立させた経済基盤の確認(本連載241)と論稿を重ねてきた。これまでの考察で確認できたことがある。一つは、民主主義の成立には社会的意思決定に参画する「民」を支える経済基盤の確立が必要で、古代アテネにおいても、アテネ市民層を成立させる地中海経済圏における経済基盤が存在していたことである。さらにもう一つは、「民主主義=民衆(デーモス)による支配」は民衆の意思決定力への信頼によって成立するわけで、それは人類史における人間の「意識」の深化(自らの運命を自らが決める志向)と相関していると思われることで、世界宗教(仏教、中東一神教)の誕生とアテネ民主制の黄金期が約二五〇〇年前に同時進行したことは偶然ではないと思われることである。どちらも、人間の心の深奥において自らの存在の意味を主体的に問いかける意識の高まりが基点となっているのである。

■近代資本主義と民主主義の相関性
 次に確認しておきたいのは、近代民主主義とその経済基盤である。日本においては、一九四五年の敗戦後、「戦後民主主義」が唐突に持ち込まれ、日本人は改めて「資本主義と民主主義は相関していること」を認識させられた。戦前の明治期日本にも、資本主義と民主主義は一定の意味において存在した。「殖産興業」の旗印の下に、国家主導の産業開発が進み、「日本資本主義の父・渋沢栄一」に象徴される日本型資本主義が芽吹いたことも確かである。だが、資本主義と民主主義の相関という観点からすれば、明治期日本のそれはあまりに歪んでいた。明治憲法の下に一定の民主主義(国会開設、代議制、内閣制度、法治主義)は存在したが、国体の基軸は「天皇親政」を希求する国家主義、国権主義によって貫かれていたのである。
 欧米社会が積み上げてきた「資本主義と民主主義の相関性」を日本人が理解する上で大きな役割を果たしたのが大塚久雄であった。大塚が「資本主義と市民社会――その社会的系譜と精神史的性格」(『世界史講座』第七巻、弘文堂)を書いたのは一九四四年であり、戦時中であった。その後、「近代化の歴史的起点――いわゆる民意の形成について」(『季刊大学』創刊号、一九四七年)において議論を深め、「民主主義と経済構造」(『思想』一九六〇年一一月号)で西欧における近代民主主義の成立とその基盤としての経済構造の相関性を検証した。戦後日本の「政治の季節」が最も熱気を孕(はら)んだ六〇年安保を背景にこの論稿は書かれたのである(これらの論稿は『資本主義と市民社会』所収、岩波文庫、二〇二一年)。
 大塚は「民主主義と経済構造」において、『ロビンソン・クルーソー』の著者ダニエル・デフォーの『イギリス経済の構図』(一七二八年)を紹介し、英国の産業ブルジョワジーの代弁者でもあったデフォーは、一八世紀初頭のオランダと英国を対比し、オランダ共和国は国際中継貿易で繁栄を築いてきたとして、「経済の基幹をなす循環が対外依存的である」ことがオランダの弱点だと指摘する。これに対し、英国経済は「広範な勤労民衆を底辺に国民経済のほぼ全面が一つの共同の利益に結び合わされる構造を形成している」とし、議会制民主主義の定着が生まれる経済基盤がそこにあったことを強調した。
 確かに、一七世紀から一八世紀にかけての欧州史を俯瞰するならば、とくに北ヨーロッパに資本主義と民主主義を両輪とする「近代」が動き始めたことが分かる。宗教改革が吹き荒れた欧州において、最後の宗教戦争といわれた「三十年戦争」(一六一八~四八年)を経て成立したウェストファリア条約は、カルヴァン派の公認、スイス・オランダの独立、主権国家体制の確立をもたらした。それは中世的な宗教的権威を基軸とする体制からの解放を意味し、株式会社制による資本主義の起動、新たな社会的主体による近代デモクラシーの胎動という潮流を誘発したといえよう。
 英国においても、一七世紀は立憲政治(デモクラシー)の発展のための疾風怒濤の歴史であった。国王と議会の対立を背景とし、国王ジェームズ一世の処刑にまで至った「ピューリタン革命」(一六四〇~六〇年)による共和制への移行と王政復古(一六六〇年)、そして名誉革命(一六八八年)を経て、英国独特の経験知に立つ立憲君主制という形のデモクラシーを確立していく(参照:本連載162、163)のである。こうしたデモクラシー確立への背景には、英国の経済社会構造の変化があることは確かである。つまり、荘園制の解体の中から台頭した「ジェントリ」(騎士・商人から転身した中小貴族)や「ヨーマン」(独立自営農民)の存在、毛織物工業の隆盛によるマニュファクチュア(産業資本家)の登場などが、主体的な「民意」の形成の基盤になったといえる。
 市民デモクラシーの基礎原理とされ、近代を理論として成立させた文献とされるジョン・ロックの『政治二論』は、名誉革命直後の一六九〇年に書かれたものである。市民が主権者となる普遍的市民政治原理を示したものとして、米国の独立宣言、フランス革命における人権宣言、そして戦後日本の日本国憲法にまで強い影響を与えた。戦後日本で社会科学を学んだ者は、松下圭一などの著作を通じて「市民政府論」としてロックの理論に触れたものであるが、日本において「市民政治」の意義が浸透し、民主政治が成熟したかについては、今日的状況を考えても疑問が残る。
 英国の歴史学者A・トインビーは『歴史の教訓』(一九五七年)において、英国人にとっての歴史の教訓を「君主制と共和制の闘いを通じた節度を重んじる穏健な態度」と「米国の独立戦争を通じた植民地主義の限界という認識」という二点に集約している。国王を公開処刑する革命を経て「王政復古」を実現、「君臨すれども統治せず」という立憲君主制に辿り着いた英国が、トインビーのいう穏健な保守主義に至った過程を深く理解する必要がある。そして本年九月、在位七〇年を経て亡くなったエリザベス二世こそ立憲君主制の意味を国民に浸透させた存在であり、我々はウェストミンスターでの国葬への英国民の想いを通じ、それを目撃したことになる。

■資本主義の新局面――二一世紀への視界
 一七世紀初頭に世界最初の株式会社(英東インド会社:一六〇〇年、蘭東インド会社:一六〇二年)が登場して以来、世界は近代資本主義というシステムとそれと相関する形で並走した近代民主主義という主潮の中で動いてきた。その近代産業資本主義の大枠が、二〇世紀末の冷戦の終焉後の新局面として「核分裂」を起こし、「金融資本主義」と「デジタル資本主義」という新たなパラダイムを生じさせているという考察については既に論じた(本連載236、237「新しい資本主義」の視界を拓く)。資本と労働と土地という基本要素によって成立してきた産業資本主義は、金融技術の高度化による金融の肥大化とデジタル技術の進化によりまったく新たな局面を迎えているのである。
 資本主義はいかなる方向に向かうのか。資本主義の現局面と進路を再考するうえで、参考になるのはI・ウォーラーステインの『史的システムとしての資本主義』(原著一九八三年、新版一九九七年、岩波文庫・二〇二二年)であり、とくに冷戦後という時代を踏まえて一九九七年に付け加えられた「資本主義の文明」を含む増補改訂版が興味深い。ウォーラーステインは一貫して資本主義というシステムが内在させる問題、とくに「万物の商品化」と「資本の自己増殖」を批判的に論じてきた。その視界の中で、「二一世紀の資本主義」についての「将来見通し」として、「高度に分権化、平等化された秩序」を志向する世界潮流に資本主義システムが耐えられるのかという問題意識を語っている。
 すでに二一世紀に入って二〇年以上が経過し、ウォーラーステインの予感は彼の視界の臨界を超す主潮となっていると思われる。冷戦後の資本主義の変質(核分裂)として私が論じた「金融資本主義の肥大化」と「デジタル資本主義の台頭」という状況は、視点を変えればウォーラーステインのいう「万物の商品化」と「資本の自己増殖」の究極の実現形態ともいえる。仮想通貨は貨幣の商品化であり、巨大IT企業が主導するデータリズムのビジネス化は新次元の「資本の自己増殖」ともいえるのである。
 そして、こうした資本主義の変質がもたらした「格差と貧困」は「高度に分権化、平等化された秩序」を求める潮流を胎動させている。アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『アセンブリ――新たな民主主義の編成』(原著二〇一七年、邦訳二〇二二年・岩波書店)は新自由主義と金融の呪縛からの解放を目指すものであり、「所有を『共』(コモン)へと開く」ために、「多数多様性の政治参画」を実現する形態としての「アセンブリ」(集会、集合の形態)を模索するもので、世界における民主主義のための運動や闘争の組織化に向けた新たな形態を示唆している。
 資本主義の在り方への本質的批判、利潤の極大化(万物の商品化と資本の自己増殖)を目指す資本主義のパトスがもたらすものへの懐疑は、例えば人類が地球環境に責任を共有して能動的に関与するという視界を拓く「人新世」の議論にせよ、成長よりも公正な分配や共有を重視する「脱成長」の議論にせよ、おおむね欧州の学者、研究者が主導する議論である。さらに、世界を震撼させたコロナ・パンデミック後の世界に関し、フランスの知性とされるジャック・アタリは『命の経済』(原著・邦訳二〇二〇年、プレジデント社)という概念を提起し、先進国だけでなくグローバル・サウス(取り残されがちな南の途上国)の将来世代を見つめた公平で民主的な「命を守る経済」の確立を主張し始めている。
 つまり、資本主義に構造的批判を試み、本質的な資本主義の改革を語る「新しい時代のマルクス」は、何故か欧州に現れるのである。欧州と米国の資本主義の在り方に関する見方の断層、ここに問題の複雑さと解答の方向性が示唆されているといえる。「米国のビジネスはビジネスだ」という名言があるが、米国で一〇年以上も生活してきた私の実感でもある。骨の髄まで資本主義の国で、資本主義の総本山である。冷戦後の現代資本主義の一つの柱たる「金融資本主義」のプラットフォームが東海岸のウォールストリートであり、もう一つの柱たる「デジタル資本主義」のそれが西海岸のシリコンバレーといえる。
 米国流資本主義は極めて分かりやすく、「株主価値最大化」を目指す資本主義であり、投資効率を限りなく探求する資本主義である。すなわち、それこそがウォールストリートの論理であり、そのためには「借金してでも景気を拡大させること(成長)」を誘導するものである。
 デジタル資本主義の萌芽でもあったが、一九九〇年代に「IT革命」を主導した今日の「ビッグ・テック」(GAFAMといわれた巨大IT企業)がベンチャー企業だった頃、資金調達できたのは、「ジャンク・ボンド」(ハイリスク・ハイリターンの債券)のような仕組みが金融工学の成果として生み出されたためであったことを思い起こせば、金融とデジタルの相関が米国の資本主義に活力を与えたことが分かる。このことが「分配の格差」と「取り残された貧困層」という影の部分を内包していることも確かだが、「ウォールストリートの懲りない人々」は躊躇(ためら)うことなく新たなる金融派生型商品を生みだし続けるであろう。
 二一世紀の資本主義の進路は、この米国と欧州の資本主義の断層をいかに埋めるかにかかっているといえよう。さらにいえば、米国は資本主義の総本山であると同時に、自由と民主主義という理念の共和国であった。それぞれの出身地に何らかの事情(抑圧、差別、弾圧)を背負った人達が最後の希望を託して移住した「移民の国」であった。その米国が「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ現象に象徴されるごとく、他者を受け入れる余裕を失い、民主主義を正面から否定する分断の国へと変質しつつある。このアメリカの民主主義の揺らぎは世界秩序の動揺にもつながり、暗い影を投げかけている。この動揺にどのような復元力を見せるのか、米国の動向を注視せざるをえない。
 だが、何よりも日本人自身が責任をもって向き合わなければならない課題は、日本の資本主義と民主主義をどうするのかである。そのことは、敗戦を機に占領政策を受容する形で動き始めた「戦後民主主義」と「戦後日本型経済産業構造」の在り方について、根底から再考し、主体的に再構築することを意味する。二一世紀の日本が、「日本モデル」と胸を張れるような経済社会システムを創造できるのか。次は、そのことに論を進めたい。

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