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労働組合,あるいは石垣りんさんら

2023年06月30日(金)

このまえ学生時代の仲間との小さな宴,
石垣りんさんの新著の話をしたら,
石垣りんという名前を知っている仲間が多かった.
そうか,業界では知られていたのかな……,
どうだったのだろう.

働いていたころ,職掌上,労働組合の活動家と話をする機会が少なくなかった.
立場で見れば,反労働組合みたいに見られていたか,
いや,そんなことはなかったか,
まぁ,そんなことは置いて,振り返れば,労働組合は,自ら組織率低下への道を切り開いてきたのではないか,と思うことがある.
組合と政党の関係がどうだったか,いまさらではあるか.

そういえば石垣さんは,定年の前に退職されたようだけれど,1970年代,
振り返ると大きな転換のころだったのかもしれない.
ベトナム戦争は,あるいはアメリカの「覇権」の衰退への道の始まりだったのかもしれない.
かわるべき「覇権」がどのようになるんだろう,そんな話が,学生の時の恩師との会話に出てきていたか.
その恩師は,定年のずっと前に,他の大学に移っていった.若いころから,そんな話を同僚としていたのだと語っていた.同僚の方は,政治家に転じていったのだったか.
教員もまた,勤め人ではある,として,若い人がどのように職を得るだろうか,
そんな議論だったかもしれない.

そういえば銀行は,むかし,それなりに活動的な労働組合が存在していたらしい.
そして,石垣さんの発表の場のひとつが,組合の機関誌だったしていたそうだから.


石垣りん
朝のあかり 石垣りんエッセイ集
中公文庫 2023.2.25

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春秋
2023/1/7付日本経済新聞 朝刊

石垣りんは銀行に勤めながら、たくさんの詩を書いた。当初の発表の舞台は労働組合の機関誌である。壁新聞の原爆忌の写真に添える詩を1時間ほどで書きあげたこともあったという。全国から集まったそんな作品を、組合は毎年「銀行員の詩集」として出版していた。

▼「ほうぼうの職場で、多かれ少なかれこうした詩の出来事があったのでしょう」とりんは回想している(「ユーモアの鎖国」)。1950年代、労働運動が盛り上がり、社会に影響力を発揮していた時代の話だ。賃上げや処遇改善を求め、反戦平和を訴え、文芸活動にも力を入れる。組合というものの存在感は抜群だった。

▼時は流れ、厚生労働省によれば昨年6月時点の労働組合員数は1千万人を割り、推定組織率は過去最低の16.5%に落ち込んでいる。かたや11月の毎月勤労統計調査では実質賃金が前年同月比で3.8%減。物価上昇に賃金の伸びが追いついていない。けちん坊な経営者だけでなく、すっかり弱った労組にも責任はあろう。

▼デモだストだとは言わないが、働き方が変わっても組合の役割は大きいはずだ。やはり労働運動を体験した吉野弘の詩に、こんな一節がある。「誰も苦しみをかくしている。/誰も互いの苦しみに手を触れようとせず/誰も互いの苦しみに手を貸そうとしない。/そうして 時に/苦しみが寄り合おうとする。」(「挨拶」)
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