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アムネスティ通信 メリリャノ悲劇――責任を拒み続ける両国政府

2023年07月08日(土)

まったく知らない問題,
全国紙2紙の記事を検索したけれど,出てこなかった.

つまり,そういうことなんだろうな,と思い知る.
Googleで検索すると,観光情報の他に,1件,arab.newsに記事があった.APの記事だろうか.

……そこまで網羅的に情報を拾いきれない,ということなんだろうとは思うけれど,
知らないのは仕方ないとして,しかし,それは想像力を制約しないだろうかと,自分のことを振り返る.

戦争に関する報道を見ていて,
お前はどう考えているんだと,ちょっと振り返る.
先日,テレビでウクライナ戦争に関連した番組だったか,大学教師などの「専門家」のインタビューがとりあげられていたか.
ただひとり,第一次世界大戦後のベルサイユ講和会議での,ドイツへの賠償に触れていた.
ドイツに過大な賠償責任を負わせることに,
というかそういう表現自体が,ある種の価値観を示してはいるのだけれど,
政治,経済などの面で問題があったのではないか,と.
それは,じつは,ソ連邦崩壊時の問題と重なるところがあったのではないか,という指摘につながるのだけれど,
あまりに理不尽な,と見えるロシアの仕掛けた戦争のゆえに,
歴史的な背景,この30年余の政治,経済などの変遷についてのきちんとした情報提供が,
ちょっとおろそかになっていないか,と感じる.

そして,この北アフリカの小さな領域での事件が,
小さなメディアに掲載されていた.

まぁ.不勉強な自分が問題ではあるのだけれど.


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【世界】2023年02月

アムネスティ通信

メリリャノ悲劇
――責任を拒み続ける両国政府


 北アフリカには、モロッコと国境を接する二つのスペイン飛び地領がある。その一つがメリリャだ。二〇二二年六月二四日、この国境を越えてモロッコからメリリャに渡ろうとした移民・難民が命を落とした。その数は少なくとも三七人に上る。そして今も、七七人が行方不明だ。
 この日、約二〇〇〇人が国境に押し寄せたが、何も突然、事が起きたわけではない。何週間も何カ月も前から、メリリャ周辺では移民・難民(ほとんどがスーダン出身者)が、モロッコ治安当局に手酷い扱いを受けていた。それから逃れようとスペイン領との国境に向かったのだ。しかし国境では、モロッコ当局もスペイン当局も、これを力で阻止しようとした。
 モロッコの国境警備隊員は彼らに石を投げつけ、警棒で殴りつけた。けがを負い地面に倒れている人たちに、殴る蹴るの暴行を加えた。国境フェンスに囲まれた狭い場所に追い込み、けがをしていようが死んでいようがお構いなしに、倒れた人たちの上に人を放り投げた。スペイン側も入国させまいと、警棒、ゴム玉、発煙筒、催涙ガス、唐辛子スプレーを使って押し返した。暴力は制圧後も続いたという。難民・移民は、国境の囲いの中に閉じ込められ、双方から二時間にもわたって四方八方から攻撃を受けたのだ。アムネスティが調査で得た映像は、目を覆いたくなるほどショッキングなものだった。
 モロッコもスペインも、今に至るまで惨劇の責任を否定し続けている。スペインの内務大臣は、わが領土では死者は出ていないと主張する。しかし証拠や証言は、別の事実を指し示す。内部大臣は負傷者に手当を受けさせなかったという批判も否定したが、傷口が開き血を流している人たちをモロッコ側に引き渡したという証言がある。調査を行うオンブズマンによれば、スペインは約四七〇人をモロッコ側に押し返した。押し返された移民・難民は刑務所でさらに暴力を振るわれ、多くが実刑を受けた。バスで遠方に連れて行かれ、所持品を取り上げられて、その場で置き去りにされた一団もいるという。人種差別に関する国連特別報告者はこの悲劇を、「アフリカや中東系その他の非白人の人びとに対する人種的排除と暴力という、欧州連合の国境管理体制を浮き彫りにするものだ」と述べる。両国政府は隠蔽をやめ、真相解明と責任追及に取り組まなければならない。そして欧州は移民・難民政策を、人命・人権尊重へと転換すべきだ。

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片山善博 日本を診る(159)辺野古埋め立て承認の撤回をめぐる最高裁判決の時代錯誤

2023年07月08日(土)

そういえば,
神々の深き欲望
もうすっかり忘れてしまった.沖縄は遠かった……か.

先島に自衛隊の基地が整備されていく.
それで,彼らは,島を守るのだろうか?


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【世界】2023年02月

片山善博の「日本を診る」(159)
辺野古埋め立て承認の撤回をめぐる最高裁判決の時代錯誤


 沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場を同県名護市辺野古地区に移設する計画について、埋め立て承認を知事が撤回し、それを国交大臣が取り消したことをめぐる訴訟で、最高裁判所は沖縄県の上告を棄却する判決を下した。
 いささかややこしい行政事件訴訟なので、念のためごく基礎的な事実関係だけを整理しておく。まず、埋め立てを行う主体は防衛省沖縄防衛局である。防衛局のような国の機関が公有水面を埋め立てる場合、公有水面埋立法に基づき知事の承認(国以外が主体の場合には承認ではなく免許という)を受けなければならない。沖縄防衛局は二〇一三年に当時の仲井眞弘多(なかいまひろかず)知事からこの承認を受けている。
 その後さまざまな経緯があったが、このたびの裁判に関することでいえば、埋め立て予定海域で軟弱地盤が見つかったことを理由に、仲井眞知事時代になされた承認を玉城デニー現知事が撤回した。沖縄防衛局はこれを不服とし行政不服審査法に基づき国土交通大臣に審査請求し、大臣が県の撤回処分を取り消す裁決を行った。沖縄県は、国交大臣のこの裁決が違法だとして訴訟を提起したものである。
 知事が行った撤回処分をなぜ国交大臣が取り消すことができるのかといえば、公有水面埋立法による承認ないし免許を与える事務はもともと国の事務だとされ、それを県に委任する仕組みだからである。地方自治法ではこれを法定受託事務と呼んでいる。
 法定受託事務とされている埋め立て承認ないし免許の事務については国(国土交通大臣)が知事のいわば上級官庁という位置づけになる。一般に、下級官庁が行った処分(許可、認可、同意などをいい、今回の撤回もこれに該当する)に不服のある者は、行政不服審査法に基づき上級官庁などに審査請求をすることができる。
 県知事の撤回処分に不服のある沖縄防衛局も、この事務に関して知事の上級官庁に当たる国交大臣に審査請求を行い、それを受けた大臣が県知事の撤回処分を取り消す裁決を行った。
 そこで県は国交大臣の裁決の取り消しを求めて訴訟を提起していたが、最高裁は、県にはこの種の裁決の取り消しを求めて「訴訟を提起する適格を有しないものと解するのが相当」だとして県の主張を退けたものである。

■身内の肩を持つ不公正な裁決

 最高裁の判決は一見もっともらしい。国から委任を受けた県の代表である知事が処分(承認の撤回)をした。これに不服のある者が法に基づいて国交大臣に審査請求をした。大臣はその請求を受け入れ、知事の処分を取り消す裁決を行った。県は大臣の裁決内容に不満があっても、その事務のもともとの処理権限を持つ国が最終判断をしたのだから、それに従わなければならないという理屈である。
 これを税務行政になぞらえると、税務署長が行った処分(課税処分、差し押さえなどの滞納処分など)に不服のある納税者は国税不服審判所長に審査請求することができる。不服審判所長は第三者的機関だとされているが、不服申し立て制度の中では税務署長のいわば上級官庁的存在でもある。
 仮に不服審判所長が納税者の言い分を認めて税務署長の処分を取り消す裁決を行ったとする。税務署長はたとえその裁決に不満があったとしても、それを取り消すよう裁判所に訴訟を提起することは認められない。行政不服審査に関する最高裁の判断が、こんな一般的な事件に関して示されたのであれば、まったく異論はない。
 ただ、このたびの埋め立てをめぐる事件は、いささか様相を異にしている。というのは、不服を申し立てて審査請求をしてきたのは、防衛局という国に属する機関である。いうなれば県知事の処分(撤回)に対して国が文句を言い、それに対して国(国交大臣)が身内の肩を持ったという構図にほかならないからである。
 そもそも行政不服審査法は国や自治体の公権力の行使に対して、国民が不服を申し立てることができる道を開いたものだから、防衛局のような国の機関にはこの法律を援用する資格がないとの立論もある。ただ、法律の条文には、不服を申し立てられる主体から国ないし国の機関を除外する規定がないことから、これまで国ないし国の機関にも不服申し立ての資格があると解釈されてきた。ただ、このたびのように国の見解と県の見解とが真っ向から対立するような場合に、その見解の相違を、一方の当事者である国が裁定するのは明らかに不公正である。これを先の税務行政になぞらえると、不服審判所長の親族が行った不服申し立てについて、審判所長がそれを容認する裁決を行ったようなものである。こうした場合、当事者の身内や利害関係者はそれを裁定する立場から除斥されたり、忌避されたりするのが通例であり、制度の公正さを担保する上からはそれが理に適っている。

■地方分権改革以前の時代錯誤的判決

 国は、行政不服審査法にはそうした除斥や忌避の規定がないというのだろう。ただ、こんな重大な不公正を抱えていること自体が、そもそもこの法律が国や国の機関による援用をまったく想定していなかったことを推定させ、それは先の立論に強い説得力を与えることになる。
 最高裁が、行政不服審査法がこうした不公正や矛盾を内包していることに触れることなく、行政不服審査法には「都道府県が審査庁(この裁判の場合には国交大臣)の裁決の適法性を争うことができる旨の規定が置かれていない」ことなどを理由に、「(県には)訴訟を提起する適格を有しない」としたのは、いかにも皮相だというほかない。
 しかも、それを補強する論拠として、もしこの種の訴訟を認めた場合には、「処分(この場合には埋め立て承認の撤回)の相手方を不安定な状態に置き、当該紛争の迅速な解決が困難となる」ので、これを認めるべきでないとの趣旨のことを述べている。
 なるほど、一般に争訟を迅速に処理することは大切なことである。ただ、だからといって、直ちにこれに同意し、納得するわけにはいかない。というのは、最高裁を含む裁判所が、訴訟当事者を不安定な状態に置くことを防ぐベく、これまで迅速に訴訟を終結させてきたかといえば、決してそうではないからである。俗に長期裁判といわれる裁判は枚挙に暇(いとま)がない。
 にもかかわらず、この裁判の判決の中でとってつけたように、当事者を不安定な状態に置いてはならないと強調するのは、どう見ても辺野古移設を急ぐ国の立場を踏まえているからだろうと、つい苦笑してしまう。このたびの判決は、身内に肩入れした国交大臣の裁決を裁判所が裏書きするような不公正さを孕んでいる。
 二〇〇〇年の地方分権改革によって、国と自治体とは対等の立場にあることが確認された。その改革以前にはいわゆる機関委任事務制度を通じて国と自治体は名実ともに上下の関係にあった。この判決が機関委任事務廃止以前の時代のものであれば、違和感はなかっただろう。最高裁が地方分権改革の意義を理解せず、いまだに機関委任事務制度が存続しているかのような時代錯誤に陥っていることに深く失望させられている。

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寺島実郎 脳力のレッスン(248)議会制民主主義の再生のために――資本主義と民主主義の関係性(その6)

2023年06月30日(金)

民主主義……ってなに?
と思うことがある,いや,ずっとよく分からない.
というか,いま,そこにある制度を,民主主義というとして,
なんだかつかみ所がないな,と思う.

よくとりあげられるコトバ,ウィンストン・チャーチルが語ったとか,
「民主主義は最悪の政治形態だ。これまでに試みられてきた他の政治形態を除けば」
まぁ,これは,民主主義礼賛のコトバだと思うけれど,
熟議,意志決定,合意形成……のための人の集まりのサイズに,
なにか問題はないんだろうか,とも思ったこともあるけれど,
さて,どう考えていけばいいんだろう.


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【世界】2023年02月

連載 248 本質を見抜く眼鏡で新たな時代を切り拓く
脳力のレッスン
寺島実郎

議会制民主主義の再生のために――資本主義と民主主義の関係性(その6)


 民主主義は、基本的に「人間賛歌」によって成立する。人間が自分の進路を主体的に意思決定する潜在能力を評価し、人間の自己決定力に対する信頼によって成立する統治形態である。約二五〇〇年前の古代アテネの民主制も「神々の声」に基づく行動からの「人間の意識」の自立によって突き動かされ、一七世紀欧州での近代民主主義の胎動もローマ・カトリックという中世宗教的権威からの「人間の解放」という面があり、王権の専制からの人間としての主体性の覚醒でもあった。
 それ故に、現代に至る民主主義の抱えるあらゆる危うさ、例えば衆愚制への堕落もポピュリズムへの傾斜も、詰まるところ「人間中心主義」の陥穽(かんせい)に由来するものである。今日、直面している問題を正視するならば、戦争にせよ、地球環境問題にせよ、格差と貧困にせよ、「人間中心主義」に依る世界観の限界が露呈していることを自覚せざるをえない。
 思えば、冷戦の終焉後の時代、我々は「資本主義が勝利した」という認識のもとに、資本主義と民主主義の親和性を確信した。民主主義は開放性、多様性に満ちた平等な世界を可能にする制度であり、自由な市場競争に支えられた資本主義こそが民主主義を担保するのだという楽観が世界を席巻していた。

■冷戦後のデジタル資本主義と直接民主主義への予感

 冷戦後の社会主義陣営の崩壊を目撃し、資本主義の優位性を確信した視界から「新自由主義」への傾斜が生まれた。シカゴ学派のゲーリー・ベッカーは、「自由な市場を伴う資本主義は、経済的福利と政治的自由の両者を高めるために、これまで考案されたなかで最も有効なシステム」とまで発言していたが、これこそが冷戦後の資本主義の過信ともいえる空気を象徴するものであった。
 世界が新自由主義的なパラダイム転換に向かう中、日本もそうした潮流へど飲み込まれていった。一九九〇年代、戦後日本における特筆すべき「政治改革」が繰り広げられた。一九九四年、細川護煕内閣の下で衆院への小選挙区比例代表並立制導入の政治改革関連四法が成立、施行された。次いで、一九九八年には中央省庁等改革基本法が成立、二〇〇一年から一府二二省庁を一府一二省庁に再編、内閣機能強化を目指す「行政改革」がなされた。また、一九九九年には地方分権一括法が成立、「地方分権改革」が実行された。
 注目すべきは、一連の政治改革は日本経済がピークだったタイミングと同時化していることである。世界GDPに占める日本の比重がピークだったのは一九九四年で、一八%を占めていた(二〇二二年、日本の比重は約四%にまで下落)。また、勤労者世帯の所得や家計消費支出がピークだったのも一九九〇年代央であり、政治は経済と相関していることが分かる。政治改革を主導する力として、経済界が存在感を持っていたわけで、「土光臨調」などといわれたごとく、政治に睨みを利かせていたのである。今日、全く隔世の感があり、「政治主導、官邸主導」の下に、経済界が受け身で政治依存に浸っていることに気付く。
 二一世紀に入っての「郵政民営化」を本丸とする小泉構造改革、そして政権交代期を経て、日本は「改革疲れ」「改革忌避」というべき局面に入る。さらに、東日本大震災の衝撃を受け、国民意識は内向、変革意思を喪失したままアベノミクスの時代に入る。当初、アベノミクスは「異次元金融緩和」を第一の矢、「財政出動」を第二の矢、そして第三の矢として「構造改革」を掲げていたが、次第に政府主導の「調整インフレ政策」に堕し、株高、円安、補助金を期待する心理を誘発していった。改革は停滞・頓挫し、硬直したまま放置された。コロナ禍の不幸も重なり、全国民に一〇万円を配布する究極のポピュリズム政策に象徴される迷路に入り込み、公的債務一二五五兆円(二〇二二年六月末)を抱える国になってしまった。
 この間、日本の代議制民主主義は急速に萎(な)えていった。官邸主導の名の下に「閣議決定」が常態化した。集団的自衛権容認や教育勅語の副読本化、安倍国葬に至るまで閣議決定でことが運ぶ国になった。国会の空洞化と国会議員の次元の低いスキャンダルが続き、戦後民主主義の基軸であったはずの議会制民主主義は色褪せ、国民の信頼を失っていった。
あの政治改革ブームから四半世紀、民主主義を突き動かす要素として明らかに重要性を高めたのはデジタル情報技術革命である。IT革命からDX、そしてWEB3.0時代といわれる情報環境の変化の中で、誰もが情報にアクセスできるだけでなく、発信者となりうる情報環境が整い、民主主義の基盤が根底から変わり始めた。一言でいえば、限りなく直接



民主主義への予感とでもいおうか、民主主義が正確な民意の反映を希求するならば、直接、国民の意思を確認する情報技術基盤(例えば、本人確認技術を活用したネット国民投票)が確立されつつあるということである。
 ベルリン芸術大学教授だったビョンチョル・ハンが『情報支配社会――デジタル化の罠と民主主義の危機』(花伝社、二〇二二年)で論ずるごとく、デジタル情報体制の主体は、自分が自由であり、クリエイティブであると思い込んでいるが、現実は「人間が情報に囚われ」ており、「支配は、自由と監視が一体となった瞬間に完成する」という指摘は正しい。我々はそうした問題意識を共有しながら、デジタル時代の民主主義を構想すべき局面にある。

■それでも、代議制を大切にすべき理由

 民主主義のあるべき姿を「民意の反映」とするなら、直接民主主義、つまり人民投票が正しいことになる。だが、「意思決定に最大多数の国民を参加させることは難しく、代議者を通じた政治参画はやむを得ない」という了解のもとに代議制民主主義が成立してきた。だが、歴史の教訓は、直接民主制が陥りがちな「民主主義の倒錯」を示している。ナポレオンやナポレオン三世、そしてヒトラーの人民投票的支配(専制の正当化)を想い起こすならば、人民投票こそ「敵愾心(てきがいしん)」を駆り立て、国民の一致結束を誘導するナショナリストの常套手段であることに気付く。民主的手続きを経た専制を避けるためにも、代議者というリーダーを通じた国民の啓蒙が大切であり、議会は民意の投影だけでなく国民の叡智を磨く装置でなければならないのだ。
 結局、民主主義という統治形態は指導者によって動かされる。古代アテネの民主制から近代民主主義まで、指導者のレベルを超す政治システムにはならないのである。民主主義の手続きを踏んだ専制も、ポピュリズムに突き動かされる民主制も、それを制御するリーダーの質と器が問われるのである。つまり、民主主義を機能させる基本要件はリーダーの叡智であり、民衆の望むものに合わせるだけではなく、実現すべきものを提示してリードする力である。そして、民主主義の指導者は議会での議論と向き合って錬磨され、指導者としての真価を試されるのである。
 民主主義と格闘した指導者でもあったウィンストン・チャーチルは「民主主義は、これまでに試みられてきた他の統治形態を除けば、最悪の統治形態である」という発言(一九四七年、英国議会議事録四四四)をしているが、この屈折した表現に、民主主義と格闘した指導者の真骨頂がみてとれる。
 また、民主主義は民衆の側にも、時代認識と歩むべき針路への問題意識を深める不断の努力を求める政治システムでもある。戦後民主主義の担い手となるべき都市新中間層、すなわち、戦後日本の産業化の中で生まれたサラリーマン層(階級意識なき労働者)が、高齢化とともに次第に「生活保守主義」に転じ、異次元金融緩和で株高を誘導するアベノミクスに拍手を送る存在に堕してきたことは既に論じた(本連載247)。
 戦後日本は敗戦によって「与えられた民主主義」を受け入れ、しかもいきなりの大衆民主主義に突入した。だからこそ、主体的に民主主義を鍛え上げる意思を試されているのである。とくに、中国やロシアが「専制」的政治体制を際立たせている中で、民主主義の側に立つというのであれば、自らの政治において民主主義を成熟させる不断の努力が求められるのである。

■代議制民主主義の錬磨――代議者の削減

 代議制民主主義の機能不全は臨界点に達しつつある。それが政治不信の震源となり、国民の閉塞感を生み出している。原点に還り、代議制民主主義の再建の起爆剤として代議者の削減を提案したい。本当にこの国に七一三人の国会議員が必要なのだろうか。硬直した代議制を柔らかく再設計すべき時代である。
 市区町村議会の議員については、市町村合併等の進捗もあり、一九九八年末の五万九三一四人から二〇二一年末の二万九四二三人と五割以上削減された。また、都道府県議会の議員数は、九八年末の二八三七人から二一年末の二五九八人と八・五%削減された。地方議員は三万人以上減ったことになる。問題は国会議員である。二〇一二年一一月、民主党野田政権下で衆議院解散となった時、与野党間の政策課題は議員定数と歳費の削減であった。二〇一三年に、政権に復帰した自民党は「衆議院の議席を比例区で三〇削減」という案を提示していたが、衆院選挙制度調査会は一六年一月「定数一〇削減(小選挙区七増一三減、比例一増五減)」と答申、これを受けた自民党は同年二月「定数削減先送り」を決定、さすがにまずいと判断した安倍首相の「削減実施」の指示で再検討となったが、紆余曲折を経て、二〇二二年、一票の格差是正を論点として「一〇増一〇減」を決定したのである。政治家という人たちが、自らがメシを食う基盤たる議員定数については、岩盤権益を死守することを目撃してきたことになる。
 戦後日本の国会議員定数の推移を振り返るならば、一九四六年の戦後初の衆院選は、中選挙区制で定数四六六人として実施された。その後、一九六四年の公職選挙法改正で定数四八六人となり、沖縄返還後は定数が四九一人となった。そして先述の九四年の政治改革関連四法の成立により、衆院は「小選挙区比例代表並立制」となり定数は五〇〇人(小選挙区三〇〇、比例区二〇〇)となった。さらに、二〇〇〇年の改正で、衆議院は四八〇人、二〇一二年の改正で四七五人、二〇一六年の改正で四六五人となった。少しは削減したようにみえるが、一九四六年のままともいえるのである。
 大統領制の米国と議員内閣制の日本では政治の基本システムが異なるとはいえ、日本の国会議員数(衆院四六五、参院二四八)は、人口比で米国(下院四三五、上院一〇〇)の三・五倍で



ある。二〇五〇年までにピークだった二〇〇八年比、人口が二割減ると予想される日本において、議員定数の半減は非現実的としても、少なくとも三割の削減を実現すべきである。試案としては、衆議院の一一五議席、参議院の一〇〇議席削減を提案したい。衆議院については、中選挙区制(もしくは大選挙区制)にし、比例復活を止めるべきである。また、参議院については、都道府県ごとに二人(人口の多い都道府県は人口比で若干増枠)とし、うち一人は都道府県知事が兼務し、採決にはDXを駆使したリモート参加できる制度を導入すべきである。全国区は、職能、団体、組合の代表の意思決定参画という意義を認識した枠組みとすべきであろう。

(注)議会制の母国たる英国も二院制であるが、上院(貴族院)は定数なし、宗教議員を除き終身任期で、二〇二二年現在七七八人、原則無給である。下院は六五〇人、任期五年であるが、歴史的経緯の中で、政治制度が硬直化・肥大化しているといえる。

 防衛費の大幅増額と国民負担増という動きがあるが、前提は政治の「身を切る改革」であるべきである。「政治で飯を食う人の極小化」が民主主義の目標であり、そのためには代議者と代議制のコストを厳しく吟味することが不可欠なのである。議員定数の削減とともに国会議員の歳費についても問題提起しておきたい。日本の国会議員の報酬(直接歳費)は、国際比較でみても高く、為替レートを一ドル=一一○円として、米国の一・七万ドル、ドイツの一・三万ドルに対し、日本は一・九万ドルである。その他、議員秘書手当、調査研究広報滞在費などのほか政党助成金や衆参全体の予算(令和四年度ベース)で試算すると議員一人当たり約二億円の国費を投入しており、代議制のコストの適正化という筋道で見直しをすべきである。厳しいハードルが代議制の質を高める。政治を「おいしい家業」にしてはならない。
 オーストラリアの政治学者で欧米の大学で教壇に立って「民主主義」を論じてきたジョン・キーンは、「民主主義の倫理」として「民主主義は傲慢な愚者を甘やかさない。人々が屈辱や侮蔑を受けることを許さない。過度な権力をけっして容認しない」(『民主主義全史』ダイヤモンド社、二〇二二年)と語る。心動かされる言葉ではあるが、歴史の必然として民主主義が機能するわけではない。それを支える人間が主体的な行動によって民主主義を守るのである。その意味でこそ、民主主義は「人間賛歌」なのである。二〇二〇年、九六歳で逝去した外山滋比古は最後の著書『90歳の人間力』(幻冬舎新書、二〇二二年)の最後のページに「デモクラシーで政治が良くならないのは名前だけで政治家を選ぶからだ」と書き残している。先達の絶筆である。

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