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宗教が政治を支えるとき(上)――ウクライナと戦後日本 島薗進×寺島実郎 【世界】2022年09月

2023年04月04日(火)

小さな島,島といってもずいぶん前に瀬が埋め立てられて本土と地続きになっていたけれど,その小さな教会に祖父母に連れられて行った.
祖父母は毎朝お祈りを献げていたし,
その間,小さな子もじっと聞いていなければならず,区切りの所で,アーメンとかいっしょに唱えていたかな.
まぁ,夏休みとか冬休み,束の間のおつとめだったろうか.

それが仏さんを祀る寺だったらどうだったろうか,なんて思ったこともあったか.
しかし,ずっと身近に宗教の匂いはなかったようにおもう.
お葬式の時ぐらいか.
それも圧倒的に仏様ばかり,神様を見ることは稀だったか.

なんだか他愛もないことばかり,
ではあるけれど,気にはなる,ちょっと.

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【世界】2022年09月


宗教が政治を支えるとき(上)
ウクライナと戦後日本

対談 島薗進 × 寺島実郎

てらしま・じつろう 一九四七年生。(一財)日本総合研究所会長、多摩大学学長、(一社)寺島文庫代表理事。著書に『人間と宗教』、『ひとはなぜ戦争をするのか』(いずれも岩波書店)などがある。

しまぞの・すすむ 一九四八年生。宗教学者。東京大学名誉教授、上智大学グリーフケア研究所所員、大正大学客員教授。著書に『教養としての神道』(東洋経済新報社)、『新宗教を問う』(ちくま新書)などがある。



■「日本人の心の基軸」を見つめて

寺島 島薗さんは最もお会いして話を聞きたかった方です。われわれは同世代で、団塊の世代と呼ばれる戦後日本人の先頭世代として、きわめて対照的な世界を生きてきました。私自身は日本資本主義の縮図とも言える総合商社で働き、その会社が抱える課題を背負って、一〇〇力国以上の国を動いてきました。私は全共闘運動が吹き荒れる中、早稲田大学に通っていましたが、島薗さんも東大全共闘を同時代として体験されています。その後政治の季節が後退して、日本は極端な経済の季節に入り、八〇年代末のバブルの時代まで、戦後復興期から高度成長期を走ります。この時代を企業人として生きた人たちの心の基軸は、あえて言えば、松下幸之助さんが掲げたPHP、Peace and Happiness through Prosperityだったと思います。とにかくProsperityさえつくれば、Peace and Happinessはついて来るという、言い換えれば、宗教なき時代を生きたともいえます。
 ところが世界を動いてみて、強く感じた違和感や衝撃は、宗教の熱量にぶつかったことでした。いわゆる先進国であっても、日曜日に必ず教会に行くという人たちと相対し、特に深く関わることになった中東では、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教とつながる中東一神教の本質とは一体何なのかという考察なくしては、本当の意味でのビジネスにならないのです。相手が根源的に抱いている価値観や宗教観を、ある程度は理解できないと、課題は解決できないことを実感し始めました。
 振り返って日本を思うと、まさに経済市場主義の時代を走っていることをつくづく思い知らされました。次第に私は、鈴木大拙のように、世界に向けて東洋的価値や日本の思想の軸とは何かを発信した人に関心を持つようになり、そこから日本人の精神的基軸とは何かを問い返す問題意識が芽生えてきました。フィールドワークと文献研究の中で少しずつ、薄紙をはぐように関心を深めてきたのです。
 そこで、私は島薗さんという人を意識するようになりました。戦後日本が目隠しをしてきた、日本近代における宗教史、精神史に、本気で真面目に立ち向かっている同世代の人間がいるということに衝撃を受けたのです。
 私がアメリカから戻ってきたのは、五〇歳を目の前にした時期で、そこから徐々にアカデミズムに踏み込み、政治社会学から国際政治経済学、経営学を深めてきたつもりです。そこから戦後なる日本を凝視して、来し方行く末を考えてみると、産業化を成功させるために、大都市圏に人口と産業を集積させて、東京首都圏を取り巻くベルトである国道16号線沿いに、ベッドタウンとして、団地、ニュータウン、マンション群を集めてきた、その同世代の人間たちが高齢者の中核になってきている状況に思い至ります。
 私が尊敬し、影響も受けた、白血病の骨髄移植の技術を確立した浅野茂隆先生という方がいます。一昨年に亡くなられましたが、東京大学医科学研究所先端医療研究センター長を務めた後、まさに国道16号線沿いの病院の面倒を見ていた彼に聞いたことですが、宗教心のない人間には死生観がない、そして死生観のない人間が末期がんになると、自分を制御できなくなり、医療の現場で看護師や医師に絡んだり、暴力的になったりして、「臨床宗教師」という人が必要になってきたというのです。
 島薗さんが現在力を注がれていることの一つにグリーフケアがあります。悲嘆にくれる出来事が起こったときのケアの在り方が、時代の大きなテーマになりつつあります。私は「レジリエンス」という言葉を使っていますが、心の耐久力や回復力が求められています。コロナ禍が九〇〇日に差し掛かり、新型コロナウイルス感染症で死んだ人が三万人超、一方その間の自殺者は五万人を超したというのが日本の置かれている現実です。

島薗 いま伺った寺島さんの問題意識が凝縮された著書『人間と宗教あるいは日本人の心の基軸』の書評を書かせていただきました。共鳴するところが非常に多かったです。
 特に「日本人の心の基軸」は、私自身の問題意識として、若いときに出会ったものなのです。寺島さんが五〇歳を目前にして日本に帰ってきたことに触れられましたが、私の父が亡くなったのが私が四八歳の頃で、自分にもそのような人生の時期の一回りがあると思います。
 そもそも私が宗教に向かったのはそのずっと前、二〇歳の頃です。父が医師だったので、もともとは医学部志望で、理科三類の医学部進学課程に入りました。「東大闘争」あるいは「東大紛争」と言うべきか、これは医学部から始まりました。教授たちに暴力的な行為をしたとして医学部の学生を処分したところ、実は処分された学生は九州にいたというアリバイがあったということがきっかけです。その時私は、おじである前の医学部長の家に下宿をしていました。
 私の名前は「進」といいますが、お話に出た東京大学医科学研究所の前身は大日本私立衛生会付属伝染病研究所で、そこの所長を務めた母方の祖父が付けてくれた名前です。「進む」「進歩」、これは戦後の日本にとっては無条件の前提です。日本は覚悟が足りなかった、欧米諸国に負けないように科学を尊び、進歩しなくてはいけない、昭和天皇もそのようなことを言ったと思います。
 寺島さんも体験された政治の季節、これは一方にベトナム戦争への反対があり、他方には大学の中の処分問題のような、権威主義に対する反発がもとになって起こりました。しかしあえなくついえて、学生同士の内部ゲバルトやテロリズムに向かううちに政治の季節が終わります。
 世界的にも米国の公民権運動やベトナム戦争反対運動、フランスの五月革命やチェコのプラハの春など、若者が積極的に関わって変革を目指す動きがありました。しかし運動の挫折の中で自らを顧みると、自分の中には何もありません。えらそうに変革などと口にしていますが、自分の中の心の基軸は何なのかという問題に行き当たりました。医学部進学課程に入ったけれど、親が医師だから自分も医師になるというだけのことではないかと、自分で選んだ気がしませんでした。
 そして、自分を問い直そうとすると、迷える羊のような青年は法学部や経済学部には行かず、文学部に惹かれがちなのですね。文学部は、そのような道に迷った人を受け入れてくれる場でした。
 政治の季節の後は、おっしゃるように経済の季節であると同時に、宗教の季節でもあります。当時、多くの人々が宗教に引き寄せられました。そこにあったのは、進歩や近代化とは違う“何か”への思いです。文化人類学や柳田國男、折口信夫はとても人気がありました。
 私自身も、文学部宗教学科に移って受けたのが「柳田國男と折口信夫」と題するゼミナールで、修士論文は折口について書きました。折口が求めたのは、まさに日本人の心の基軸でした。近代化していく日本が忘れてきたと思われる大事な何ものかを、自分なりに求めようとしました。
 また、そうしたなかで同時にロシア文学の影響を受けていました。トルストイをはじめ、当時とても広く読まれたのはドストエフスキーやソルジェニーツィンです。ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』は、強制収容所の生活を淡々と描きながら、収容所体制を批判し、ソビエト連邦の雪解けを導いたような面がありますが、そこで描かれているのは、「普通の人」の生き方です。民俗学者の折口信夫や柳田國男のいう「常民」、コモンピープルです。そこへ還っていかなければならない、西洋から学んだ知識、借り物の学問や哲学や文芸などでは心の基軸にならないのだという思いがあり、新宗教研究に向かったのです。
 実は新宗教が本当に躍進したのは、創価学会でも立正佼成会でも一九五〇~六〇年代なんですね。七〇年代以降は現状維持か下降気味で、勢いのいいものが出てきたと思うと、霊感商法で多くの被害者を生んだ危うい統一教会や、攻撃的なオウム真理教や幸福の科学でした。
 そのような宗教が一方にあり、他方、世界では寺島さんが向き合ったイラン革命が起こり、アメリカには後のトランプ大統領の支持基盤につながる宗教右派が目立つようになり、パレスチナをめぐる中東での宗教対立にもつながってきます。とりわけ八〇年代以降は、国内でも霊感商法など宗教のマイナス面が目立つようになってきました。こうした戦後の流れの中で、我々は心の基軸をどのように考えたらいいのか。一つの参照項として日本の戦前を考えてみると、多くの人が国家神道と天皇崇敬に一致して束ねられていたわけです。

■文化力としての宗教

寺島 島薗さんが中心になって、二〇二〇年に『核廃絶――諸宗教と文明の対話』(上智学院カトリック・イエズス会センター、島薗進編、岩波書店)という本を出されていますね。二〇一九年五月、上智大学で行われたシンポジウムをまとめたものですが、宗教を超えて多様な問題意識の研究者や宗教者が一堂に会して、真の平和を実現するために宗教がどのような役割を果たすべきなのかを語り合っています。祈りや自己省察や協同の意思が響き合いながら、世界の核廃絶に向けた問題意識を確認した、非常に興味深い内容です。
 実は、シンポジウムの二年前という、ほぼ同じタイミングで、私は岩波書店から『ひとはなぜ戦争をするのか 脳力のレッスンⅤ』(岩波書店、二〇一七年)という本を出版しました。これは二〇年にわたり『世界』に連載し続けている『脳力のレッスン』の五番目の本になりますが、ここで語ろうとしたことは、まさにタイトルに集約されています。一九三三年一月、ヒトラー内閣が発足しますが、その直前の三二年、国際連盟がアインシュタインに、今の文明においてもっとも重要だと思われる事柄について、いちばん意見を聞きたい相手に問いかける往復書簡をしてほしいと依頼しました。アインシュタインが選んだ相手は心理学者のフロイト、テーマは戦争でした。この二人の往復書簡が書籍としてまとめられていて、タイトルは『ひとはなぜ戦争をするのか』(講談社文庫、二○一六年)です。私の本はそれを現代人として受け止めて、自分なりの考えを展開したものです。
 「人間を戦争から解放することはできるか」というアインシュタインの問いかけに、フロイトはまずこう答えています。エロス、つまり愛と攻撃・破壊という二つの欲動を人間は持っている、それはどちらも人間にとって不可欠であり、攻撃性を取り除くことはできない、と。
 そしてフロイトは、とても気になる言葉を発します。「文化」の力です。戦争への拒否感は、単に知性や感情レベルでのものではなく、「体と心の奥底」からわき上がる人間の文化的存在そのものから発せられるのであり、文化の発展が知性を刺激して、知性が暴力(攻撃)や熱狂(エロス)の欲動をコントロールするだろうというのです。
 そうした意味合いから考えると、人間の意識が生み出した究極の文化力は宗教ではないでしょうか。近代合理主義においても、人間の心の中にある意識が行動を制御するという点で重要であり、その意識を生成する上で大きな意味を持っているのが宗教ではないか。アインシュタインとフロイトの、一見古びた往復書簡が、いまだに究極的なテーマを背負っていると感じて紹介したのが私の本でした。
 それから五年、二月にロシアがウクライナに侵攻しました。なぜ二一世紀の現代社会においてまだこのような事態が起こるのか、根源的な疑問を持ち続けています。

島薗 実は医学部に行くのをやめて、迷える羊として入った文学部宗教学科での卒業論文のテーマが「フロイトと宗教」でした。父も精神科医だったので、もともと精神科へ行きたかったということもあります。当時はフロイト派精神医学の土居健郎先生が医学部の保健学科にいらっしゃって、少し指導していただきました。精神分析の創始者フロイトは非常にペシミストで、人間の中には隠れた暴力性があり、愛の裏には必ず憎しみがある、それを抑え、父親殺しや兄弟闘争を避けるところから宗教が出てきたという説を唱えてもいます。しかし宗教が暴力を抑えることができるかというとそうではなく、それに代わるものとして精神分析があり、自分たちの理論こそが新たな暴力抑制装置だというのがフロイトの考えでした。
 これは宗教の時代の後の科学主義に近いように見えますが、通常の科学では足りない「無意識」を真剣に受け止める精神分析という科学は、これまでの科学を超えた、新しい宗教性をはらむという側面もあるのではないかというのが土居先生の考えで、私はとても共鳴しました。
 実証主義というか、反証可能性を軸とする科学的な方法だけでは人間の中の暗い部分、あるいは文化や心の基軸に当たるものを正面から受け止めることができない。それでは伝統に返るという道があるだろうか。フロイトはノーという考えですが、異なる考え方もあります。ロシアには一九世紀以来、西欧派とスラブ派という対立軸があり、ソルジェニーツィンはロシア正教による覚醒と団結をロシア人に提起したし、日本にも繰り返し同様の運動が起こってきました。プーチンにもそのような考えがあると思います。
 しかし、伝統に回帰するだけでは人類がともにする未来は開けてこないのではないか。多様な文化が共存し交錯する近代とただ一つの真理を掲げる宗教をどのように両立させるか、近代の中の平和や共存に向かうポテンシャル、戦争から学んでよりよきものを求めていく動き、つまり進歩の理想の中に含まれているものを見つめ、さらに進歩絶対の神話、科学万能主義とは違う形でどのように乗り越えていくか。フロイトは、そのことを早くに提起した一人だと言えるでしょう。

(次号につづく)

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