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新刊 地下にひそむ搾取の構造――イ・ヘミ『搾取都市,ソウル』(筑摩書房 2022年3月) 【世界】2022年09月

2023年04月18日(火)

もうずいぶん前のことになってしまうけれど,
若いスタッフが半島の国に旅行に行くという,
で,どんなふうに行くの?
週末,深夜の飛行機便でいって,深夜の飛行機便で帰ってくる,
という.
いや,元気だな,と思い,
半島の国が,ほんとうはとっても近い国なんだな,と思い返していた.

以前,半島の国々の歴史を記した本は,とても少なかったように思う.
いまはどうなんだろう.

朝鮮史
旗田 巍
岩波全書 1951年

だったか.本棚のどこかに眠っているはずだけれど,
いつかちゃんと読まなくては,と思いながら,
しかし時代はどんどん過ぎていった.
過ぎていったけれど,近くて遠い国は,どれだけ近くなってきたのだろうと思う.

植民地の半島の国から,列島の帝国大学に進学し,高文試験に合格して官僚となった人の自伝を読んでいた.とても興味深かった.
そう,列島の国は,半島を植民地として支配していたのだった.
まぁ,西欧列強が,南アメリカやアフリカ,アジアにどのように対していたか,
を思えば,列島の国はなにをしていたか,とは思う.

日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想
任 文桓
ちくま文庫 2015年

その半島の国のことを,一体どれほど知っているというのか,と自問するばかり.



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【世界】2022年09月

新刊 地下にひそむ搾取の構造――イ・ヘミ『搾取都市,ソウル』

井上睦
いのうえ・まこと 北海学園大学法学部政治学科准教授。比較政治経済学,新自由主義下における福祉政治。共著に『新 世界の社会福祉 第7巻 東アジア』(旬報社)『パワーから読み解くグローバル・ガバナンス論』(有斐閣)など。

『搾取都市,ソウル 韓国最底辺住宅街の人びと』
イ・ヘミ著,伊東順子訳
筑摩書房 2022年3月,1870円


 格差や貧困は、今日の韓国社会においてメディアが最も好む題材の一つとなっている。しかし、格差や貧困に苦しむ人々が映し出される一方で、その根底にある搾取の構造については見過ごされることが少なくない。本書は二〇一九年に韓国日報に掲載された、住宅と貧困をめぐる特集記事のサイドストーリーである。最底辺の住宅街といわれるチョッパン街の取材を通して、貧困を生み出し固定化する重層的な搾取の構造を描き出す。
 韓国の貧困層が生活する住宅以外の場所「地屋考(地下室・屋上部屋・考試院)」。こう聞いて、二〇一九年にカンヌ国際映画祭でパルムドールを、二〇二〇年にはアカデミー作品賞を受賞した映画『パラサイト半地下の家族』を思い出す読者も少なくないだろう。地屋考に生活する人は、二〇〇五年の五万世帯から二〇一五年には三九万世帯へと増加した。この地屋考の下とされ、全国で七万余りの世帯が生活しているとされるのがチョッパンである。
 韓国の「最低住居基準」一四平方メートルに対し、平均三平方メートル。法的・政策的な定義がなく、宿泊業にも賃貸業にも当てはまらないために、行政サービスからも取り残される存在だ。チョッパン街の住民は、真冬でも風よけにビニールを張り、暖房がない部屋で震えながら過ごす。追い出されることを恐れ、雨漏りしても修理を頼むことも難しい。その劣悪な住環境から、チョッパンは人びとの暮らしがどれだけ悲惨かを露わにする「貧困ポルノ」の素材としても使われてきた。
 他方、その根底にあるにもかかわらず、貧困の語りから抜け落ちていくものがある。チョッパン街の住民は、どんないきさつでチョッパンに暮らすことになり、なぜ、働いてもそこから抜け出せないのか。この問いを出発点に、著者のイ・ヘミ氏は、土地・建物の登記簿謄本から実際の所有者に関する情報を調べ上げ、不動産仲介業者や住民、中間管理人の証言と突き合わせながら、何層にも重なる搾取の構造を裏づけていく。
 一坪当たり普通のマンションの五倍にもなる家賃を支払いながら、住民の多くは自分の住む家の実際の所有者を知らない。他方、無許可のチョッパンは税金を納める必要がない。建物ごとの中間管理人は、所有者への送金や公共料金の支払いを差し引いた「闇の現金」をポケットに入れる。さらに所有者の大多数は高級住宅街に住む資産家であり、経営は何代にもわたって引き継がれている。所有者にとってチョッパンへの投資は、たとえ「売り抜け」ができなくても家賃収入が確実な安全パイである。再開発が得か、チョッパンとして維持する方が得か。ホームレスと住居の境界線上にある最底辺住宅街で、住民の生は搾取の連鎖に呑み込まれていく。
 印象深いのは、チョッパン街の住民との出会いを通して、記者である著者の視点が変わっていき、自身の体験が語られるに至る過程だ。幼いころから貧困と闘ってきた彼女は、記者という職業に就いたことが「貧困からの脱出」という成功神話に回収されることを避けつつも、自らの貧困体験を必死に隠してきた。こうした語りは、貧しさを「恥」として包み隠さなければいけない社会そのものに疑問を投げかける。本書のまなざしの起点は貧困の側にある。貧困を「見物」し消費するのではなく、貧困の側から社会の歪みが照射される。
 本書の記事がきっかけとなり、韓国では二〇一九年一〇月、「児童住居権保障等住居支援強化対策」が発表され、チョッパン街住民を含む低所得層への住宅支援事業が展開されるようになった。他方、世論の理解を得るためとして「児童支援」が前面化されたために、貧困の根底にある問題は覆い隠された。「子どもの貧困」は「自己責任」で解決されるべき大人の貧困とは異なるものとして、また若い世代の不安定な状況は「世代間格差」によるものとしてフレーミングされる。ここでは、貧困の連鎖も、それを生み出す社会経済構造も不可視化される。貧困や格差をめぐる言説は、そのまなざしの在りかによって、ときとして社会の歪みを覆い隠し、人びとを分断しさえするのだ。
 本書は、高齢者が多く住むチョッパン、学生街の新チョッパンという二部構成を通じて、こうした言説に再考を迫る。本書が問うのは、貧困を再生産する搾取の構造だけでなく、「貧困対策」の名の下にそれを容認する我々の社会全体でもある。


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