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ユリイカ 総特集 ジャン=リュック・ゴダール 1930-2022 (もくじ)

2023年01月06日(金)


新書にとても分厚い本がでてきて,
文庫にもとても分厚い本がでてきて,
雑誌も.
ジャン=リュック・ゴダールさんが自死して,
特集を組んで出された……と.本文573ページか,と思いながら,
執筆者のほとんどを知らない.


1971年か,ゴダール全集が出ている.
たぶん書店に並んで、すぐに手にした.
家が燃えたとき,ちょっと焼け跡は残ったけれど,生きながらえた.
書棚のどこかに眠ったまま.

でも,ゴダールの映画を見ることは,なくなっていった.
1960年代とともに.

……問題はあるけれど,問題とならないなら,
せめてアンヌ・ヴィアゼムスキーさんの話はテキストに起こしておきたいな.


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【ユリイカ】2023年1月臨時増刊号
総特集 
ジャン=リュック・ゴダール
1930-2022



批評による追想
フレドリック・ジェイムソン 訳=山本直樹 ゴダールについて
中条省平 ゴダール 回顧的断章
佐々木敦 ゴダールについて,私はまだ何も知らない――引用と回想によるモノローグ
丹生谷貴志 ゴダールを巡る余白の余白の余白……
赤坂太輔 追悼という名のスタートライン

「考古学者」たち――インタビュー
ニコラ・ブルネーズ 訳=槻舘南菜子・堀潤之 ジャン=リュック・ゴダールを巡って

来るべき書物
堀潤之 空間,イメージ,書物――ゴダールの展覧会(感情,表徴,情念)の余白に
持田睦 ゴダールによる引用は本当にどのようにあるのか――『イメージの本』の最後の引用を中心に
竹崎義和 ゴダールにおけるいくつかのベンヤミン的モティーフについて
森元庸介 こだまをめぐる覚書――ゴダール『言葉の力』の傍らに
高山花子 イマージュの海,第二の死
柴田秀樹 作家になりそこねた男

詩において
松本圭二 偉大なるアーキヴィストの死

触る,切る,繋ぐ
伊津野知多 手で見る世界――ゴダールのモンタージュ「リアリズム」
高村峰生 ゴダールにおける手の表象と「死後の生」――出来事とマシンの結び目をめぐって
常石史子 明暗の継起,あるいは映画の輪郭について
小河原あや 光と「ウィ」――ゴダールの「エリック・ロメールへのオマージュ」に導かれて
難波阿丹 空隙を撃つ――ゴダールのNo Thingと手のないアーキビスト
石橋今日美 Instant Godard――ゴダールのインスタライブをめぐって

見出された時
黒田硫黄 JLG ET MOI

シネマをめぐって
七里圭 ゴダール以後,映画以後について
中村佑子 ゴダールと切断――生の似姿として
清原惟 ゴダールは決して笑わない

存在のためのレッスン
角井誠 人間の探求と発見――ゴダールと俳優演出をめぐる覚書
敷藤友亮 中庸の人間,ゴダール――ジャン=リュック・ゴダールの「ドラマ上の理由」による編集について
大野裕之 チャップリンとゴダール――シネマ・ヴェリテの創出
田村千穂 悲しみのミリアム・ルーセル――ゴダールの女優史
柳澤田実 像を産む処女――『こんにちは,マリア(Je veux salue,Marie)』に寄せて
原田麻衣 ゴダールによるシナリオのためのささやかな覚書

それぞれのこと
斉藤綾子 長いお別れ――ゴダールをめぐる私的な回想
魚住桜子 ゴダールの死を受けてのフランス
尾崎まゆみ 『イメージの本』が手渡してくれたもの

理論という反語
武田潔 二重性の徴のもとに――ゴダールと映画理論
伊藤洋司 ゴダールの才能とは何か
畠山宗明 ゴダールとエイゼンシュテイン――「つなぎ間違い」から「重なり合い」へ
久保宏樹 映画,批評,世界――三位一体の伝統

記憶とともに
アンヌ・ヴィアゼムスキー 聞き手・訳・構成=大野裕之 ドキュメンタリーの詩人,ゴダール――アンヌ・ヴィアゼムスキー,京都学生と語る

SON-IMAGEふたたび
小沼純一 ここで,よそで,いたるところで――Joindre Longtemps ses Grimaces
細馬宏通 ゴダールの音を遡る
長門洋平 ゴダール映画のサウンドトラック――ジョン・ゾーンの初期作品をネガとして
荒川徹 カメラ+レンズの音楽
新田孝行 ないがしろにされた演奏――ジャン=リュック・ゴダールの「メタフィルム・ミュージック」をめぐって
行田洋斗 男性・女性,音楽・声――『アルミード』における音と映像

闘争=逃走線に向かって
佐藤雄一 黒
山崎春美 「死んでもいい」
渥美喜子 開いている店は開いている



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