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片山善博 日本を診る(159)辺野古埋め立て承認の撤回をめぐる最高裁判決の時代錯誤

2023年07月08日(土)

そういえば,
神々の深き欲望
もうすっかり忘れてしまった.沖縄は遠かった……か.

先島に自衛隊の基地が整備されていく.
それで,彼らは,島を守るのだろうか?


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【世界】2023年02月

片山善博の「日本を診る」(159)
辺野古埋め立て承認の撤回をめぐる最高裁判決の時代錯誤


 沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場を同県名護市辺野古地区に移設する計画について、埋め立て承認を知事が撤回し、それを国交大臣が取り消したことをめぐる訴訟で、最高裁判所は沖縄県の上告を棄却する判決を下した。
 いささかややこしい行政事件訴訟なので、念のためごく基礎的な事実関係だけを整理しておく。まず、埋め立てを行う主体は防衛省沖縄防衛局である。防衛局のような国の機関が公有水面を埋め立てる場合、公有水面埋立法に基づき知事の承認(国以外が主体の場合には承認ではなく免許という)を受けなければならない。沖縄防衛局は二〇一三年に当時の仲井眞弘多(なかいまひろかず)知事からこの承認を受けている。
 その後さまざまな経緯があったが、このたびの裁判に関することでいえば、埋め立て予定海域で軟弱地盤が見つかったことを理由に、仲井眞知事時代になされた承認を玉城デニー現知事が撤回した。沖縄防衛局はこれを不服とし行政不服審査法に基づき国土交通大臣に審査請求し、大臣が県の撤回処分を取り消す裁決を行った。沖縄県は、国交大臣のこの裁決が違法だとして訴訟を提起したものである。
 知事が行った撤回処分をなぜ国交大臣が取り消すことができるのかといえば、公有水面埋立法による承認ないし免許を与える事務はもともと国の事務だとされ、それを県に委任する仕組みだからである。地方自治法ではこれを法定受託事務と呼んでいる。
 法定受託事務とされている埋め立て承認ないし免許の事務については国(国土交通大臣)が知事のいわば上級官庁という位置づけになる。一般に、下級官庁が行った処分(許可、認可、同意などをいい、今回の撤回もこれに該当する)に不服のある者は、行政不服審査法に基づき上級官庁などに審査請求をすることができる。
 県知事の撤回処分に不服のある沖縄防衛局も、この事務に関して知事の上級官庁に当たる国交大臣に審査請求を行い、それを受けた大臣が県知事の撤回処分を取り消す裁決を行った。
 そこで県は国交大臣の裁決の取り消しを求めて訴訟を提起していたが、最高裁は、県にはこの種の裁決の取り消しを求めて「訴訟を提起する適格を有しないものと解するのが相当」だとして県の主張を退けたものである。

■身内の肩を持つ不公正な裁決

 最高裁の判決は一見もっともらしい。国から委任を受けた県の代表である知事が処分(承認の撤回)をした。これに不服のある者が法に基づいて国交大臣に審査請求をした。大臣はその請求を受け入れ、知事の処分を取り消す裁決を行った。県は大臣の裁決内容に不満があっても、その事務のもともとの処理権限を持つ国が最終判断をしたのだから、それに従わなければならないという理屈である。
 これを税務行政になぞらえると、税務署長が行った処分(課税処分、差し押さえなどの滞納処分など)に不服のある納税者は国税不服審判所長に審査請求することができる。不服審判所長は第三者的機関だとされているが、不服申し立て制度の中では税務署長のいわば上級官庁的存在でもある。
 仮に不服審判所長が納税者の言い分を認めて税務署長の処分を取り消す裁決を行ったとする。税務署長はたとえその裁決に不満があったとしても、それを取り消すよう裁判所に訴訟を提起することは認められない。行政不服審査に関する最高裁の判断が、こんな一般的な事件に関して示されたのであれば、まったく異論はない。
 ただ、このたびの埋め立てをめぐる事件は、いささか様相を異にしている。というのは、不服を申し立てて審査請求をしてきたのは、防衛局という国に属する機関である。いうなれば県知事の処分(撤回)に対して国が文句を言い、それに対して国(国交大臣)が身内の肩を持ったという構図にほかならないからである。
 そもそも行政不服審査法は国や自治体の公権力の行使に対して、国民が不服を申し立てることができる道を開いたものだから、防衛局のような国の機関にはこの法律を援用する資格がないとの立論もある。ただ、法律の条文には、不服を申し立てられる主体から国ないし国の機関を除外する規定がないことから、これまで国ないし国の機関にも不服申し立ての資格があると解釈されてきた。ただ、このたびのように国の見解と県の見解とが真っ向から対立するような場合に、その見解の相違を、一方の当事者である国が裁定するのは明らかに不公正である。これを先の税務行政になぞらえると、不服審判所長の親族が行った不服申し立てについて、審判所長がそれを容認する裁決を行ったようなものである。こうした場合、当事者の身内や利害関係者はそれを裁定する立場から除斥されたり、忌避されたりするのが通例であり、制度の公正さを担保する上からはそれが理に適っている。

■地方分権改革以前の時代錯誤的判決

 国は、行政不服審査法にはそうした除斥や忌避の規定がないというのだろう。ただ、こんな重大な不公正を抱えていること自体が、そもそもこの法律が国や国の機関による援用をまったく想定していなかったことを推定させ、それは先の立論に強い説得力を与えることになる。
 最高裁が、行政不服審査法がこうした不公正や矛盾を内包していることに触れることなく、行政不服審査法には「都道府県が審査庁(この裁判の場合には国交大臣)の裁決の適法性を争うことができる旨の規定が置かれていない」ことなどを理由に、「(県には)訴訟を提起する適格を有しない」としたのは、いかにも皮相だというほかない。
 しかも、それを補強する論拠として、もしこの種の訴訟を認めた場合には、「処分(この場合には埋め立て承認の撤回)の相手方を不安定な状態に置き、当該紛争の迅速な解決が困難となる」ので、これを認めるべきでないとの趣旨のことを述べている。
 なるほど、一般に争訟を迅速に処理することは大切なことである。ただ、だからといって、直ちにこれに同意し、納得するわけにはいかない。というのは、最高裁を含む裁判所が、訴訟当事者を不安定な状態に置くことを防ぐベく、これまで迅速に訴訟を終結させてきたかといえば、決してそうではないからである。俗に長期裁判といわれる裁判は枚挙に暇(いとま)がない。
 にもかかわらず、この裁判の判決の中でとってつけたように、当事者を不安定な状態に置いてはならないと強調するのは、どう見ても辺野古移設を急ぐ国の立場を踏まえているからだろうと、つい苦笑してしまう。このたびの判決は、身内に肩入れした国交大臣の裁決を裁判所が裏書きするような不公正さを孕んでいる。
 二〇〇〇年の地方分権改革によって、国と自治体とは対等の立場にあることが確認された。その改革以前にはいわゆる機関委任事務制度を通じて国と自治体は名実ともに上下の関係にあった。この判決が機関委任事務廃止以前の時代のものであれば、違和感はなかっただろう。最高裁が地方分権改革の意義を理解せず、いまだに機関委任事務制度が存続しているかのような時代錯誤に陥っていることに深く失望させられている。

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