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宗教が政治を支えるとき(下)―― ウクライナと戦後日本  島薗 進×寺島実郎 【世界】2022年10月

2023年04月19日(水)

この戦争は,なんなのだろう,と思った.
あるいは,クリミアをめぐる紛争の継続なのか,とか,
でも,なにが争いの焦点なんだろう……と.

無惨な印象だけが残る.

NHKのドキュメンタリーの画面に,大戦終結後のドイツが映し出されていた.
自業自得というには,ちょっと無惨な印象だった.
それに,戦場になったのは,ドイツだけではなかった…….それらの地域は,どうだったろうか.
列島の国も,同様だったろう.
物心ついたころの被爆地は,ほとんど名残を留めていなかったか.
むしろ母親が,白血球の異常とか,そんな記憶がかすかに残る.

ロシアにおけるアフガン帰還兵の問題がとりあげられたことがあった.
ベトナム帰還米兵も,ときおり取りあげられた.
列島の国の,千葉の旧軍の病院のカルテが,取りあげられたテレビの番組があった.
悲しい物語が無数にあったのだろう.戦場で終わらない物語.

昔,シベールの日曜日という映画があったな,と思い出す.

それにしても,はじめるより,終わらせるのがむずかしいのだと,評論してみたところで,
さて,どうなるのだろうと思う.

この列島の国の,さいきんの議論,あるいはつぶやき,さえずり,投げ文を見ていると,
とても不安に思うことがある.

それにしても,知らない,知らなさすぎるかもしれない,と思う.
遠い国,遠い人びと…….
メディアの報告も,なにか足りないように見える.とても足りないように.


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【世界】2022年10月

宗教が政治を支えるとき(下)
ウクライナと戦後日本

島薗 進×寺島実郎

しまぞの・すすむ
一九四八年生。宗教学者。東京大学名誉教授。上智大学グリーフケア研究所客員所員、大正大学客員教授。著書に『教養としての神道』(東洋経済新報社)、『新宗教を問う』(ちくま新書)などがある。

てらしま・じつろう
一九四七年生。(一財)日本総合研究所会長。多摩大学学長。(一社)寺島文庫代表理事。著書に『人間と宗教』、『ひとはなぜ戦争をするのか』(いずれも岩波書店)などがある。


■多元主義に基づく平和への働きかけ
(前号(上)より続く)

島薗 宗教界は戦争と平和についてどのように対応してきたでしょうか。カトリック教会は一九六二~六五年に第二バチカン公会議を開き、全世界から二千四百余名の司教が集まって、「教会の窓を現代世界に開く」という大きな刷新を図りました。そこで自分たちが真理を独占している、自分たちが信仰しているものこそが唯一の真理だという姿勢を括弧に入れることを是認したのです。二〇世紀の戦争の体験を経て、独善主義の危うさを十分に経験した中から出てきたことでした。
 日本の宗教はある意味で早くから自己を相対化する傾向がありました。戦前には国家に従属するような宗教協力を経験していますが、ただ世界的に見ると、宗教協力に熱心という意味で、日本の宗教は特殊な地位を持っていました。
 そして、一九七〇年に世界宗教者平和会議が設立されます。これはカトリックが進めていた第二バチカン公会議をさらに先へ進めるような対話路線で、日本の宗教にとっては、自分たちが求めているものに対応していました。戦前の協力とは違って、国家主義に縛られない、自己相対化を踏まえた新たな多元主義的な考え方だったからです。
 世界宗教者平和会議は、現在の世界の宗教が関わる平和運動の中でもかなり有力なものですが、これは日本の新宗教などがリードして進めてきた経緯があります。国家神道を経験し、そこから生じた戦後の靖国問題も非常に大きかったことから、日本の宗教は世界観の相対化と共存のための方法を学んできました。そうしたプロセスがあって積極的に関わったわけです。現在は、核兵器禁止条約をめぐって力の均衡とは異なる多元的共存の理念が新たな段階に進んでおり、フランシスコ教皇は第二バチカン公会議の路線をさらに大きく進めていく意志を持っています。二〇一九年二月に教皇が来日しましたが、日本のカトリック教会も対話路線に非常に積極的です。
 そこで、核兵器禁止条約の推進に積極的だった有力な宗教団体、一方に世界宗教者平和会議の有力な担い手である立正佼成会とカトリック教会、他方で、日本のなかでは他宗教他宗派との協力関係を否定、ないし避けてきた創価学会との対話・協力への機運も生まれる中で、二〇一九年五月に、上智大学でシンポジウムが開かれました。これまであまり取り組まれてこなかった新展開です。
寺島 前回、プーチンの名が出ましたが、確かにロシアは核大国で、世界の戦略核の半分を持っています。しかし経済的には小国で、GDPの規模では世界一一位、東京、神奈川、千葉、埼玉の首都圏と同程度の規模でしかありません。さらにいえば産業小国です。プーチンは二二年間も統治していますが、資源大国ではあるけれども、付加価値を付けて産業化し、国民を豊かにするところに至っていない。それでもなお、なぜこのような合理性を欠いた攻撃に出たのだろうかという根源的な点で、いま一つ腑に落ちないでいたのです。
島薗さんが言われたように、宗教には自己相対化によって謙虚な思いで自らを位置付け、より大きな意思が自分たちを見つめているという心の下に、協同・協調を目指していくきっかけとなる力があると同時に、一歩間違えると、宗教そのものが戦争を支えるエネルギー源にもなります。それが、われわれが現在見ている情景ではないでしょうか。
 私は二〇〇三年から経団連の日本ロシア経済委員会ウクライナ研究会委員長を務め、現地を波状的に動いていた時期があり、プーチンが、統合概念として「正教大国」を掲げ、ロシア正教によって国を主導してきた様を注視してきました。
 日本とキリスト教の出会いは、一五四九年にイエズス会のフランシスコ・ザビヱル、つまりカトリックが上陸したことが端緒で、明治期には、内村鑑三や新渡戸稲造といった当時の先鋭的な知性の持ち主がプロテスタントの世界に
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飛び込んでいきました。日本人のキリスト教受容はカトリックとプロテスタントという西方教会が中心で、ギリシャ正教を軸にした東ローマ帝国を支えた正教系キリスト教が視界に入っていないことが、日本人の世界観の弱点ではないか。
 プロテスタンティズムの倫理が資本主義の精神を支えたというマックス・ウェーバーの理論も含めて、人権や民主主義など、近代社会を支えた思想、哲学はカトリックからプロテスタントという西欧社会で生成されてきたと言えます。
 一方ロシア正教は、キエフ公国ウラジーミル公の改宗から基本的に国家権力と連動しており、その後もツァーリの権力を正当化するための装置として機能しました。そのため民族宗教としての性格を強めていきますが、一九一七年の二月革命で帝政が倒されて、無神論者レーニンらソビエト指導部は教会を弾圧します。ところが、一九四一年にヒトラーが攻め込んだことでスターリンとロシア正教会は和解します。共に大祖国戦争を戦うという旗印のもと、首の皮一枚で正教は生き残り、その後ゾビエト連邦の崩壊まで、正教は社会主義体制下においてもロシア人の心のよりどころとなっていました。
 そこからエリツィンやプーチンが登場します。二〇〇〇年に大統領となって以来、プーチンはロシア正教の長老の許に何度も足を運び、〇九年からモスクワ総主教を務めるキリル一世とは緊蜜な関係にあります。プーチンの意図する正教大国は、ユーラシア主義とも深く関わっており、アジアと欧州にまたがって欧州と対峙するユーラシアの大国家というアイデンティティの下にロシアの復権を図ろうとしているのです。
 重要なのは、我々日本人は他人事のようにロシアを見ていてはいけないということです。世界の論調の中に、「現在のロシアは八〇年前の日本のようだ」という指摘が出ています。展望のない戦争に突き進む熱狂は一体何なのかと、首をかしげているわけです。まさに島薗さんの国家神道についての総括が非常に示唆的であることに気付かざるを得ません。
 私自身がたどり着いた日本人の心の基軸の一つは、長い時間をかけてつくり上げてきた神仏習合です。江戸期までは仏教優位の神仏習合だったものが、明治になって、天皇の権威を正当化する伊勢神宮を頂点とした国家神道に変質します。
 私にとっては両親の思い出とふるさとの自然とが重なり合って、札幌神社といわれていた北海道神宮が心にあるように誰もが心のふるさととして自分の地域に根差した、ある種の氏神[うじがみ]信仰を持っていることは何も不思議ではありません。
 しかしそうした民族宗教が、極端な形で国家権力と一体になった時に持つ危険性を日本は歴史的に体験しました。日本だけが優れた神の国で、その下に八紘一宇でアジアを束ねていくという熱気をはらんだ空気感が現れた。当時の歌や教科書などを冷静に見たら、現代の日本人は仰天するでしょう。
 そこでもう一回、戦後なる時代の欠落した部分を踏み固めながら、同時に戦後が培ってきたことをも大事にしなければいけないというところに私の問題意識があります。

■日本の近代観の死角にあるもの

島薗 私の『国家神道と日本人』(岩波新書、二〇一○年)と『戦後日本と国家神道』(岩波書店、二〇二一年)では、まさに八〇年間の死角に入ってしまったものを、若い人にこそ考えてもらいたいという思いがありました。しかも日本社会は近代の歩みを適切に総括できないまま戦後の時代を生きてきました。
寺島 その死角にあるものを埋めていたのが、司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』の世界観ではないでしょうか。明治という時代はまともで立派だったが、昭和軍閥が日本をダメにしたというあたりで納得してしまいます。
島薗 ロシアのウクライナ侵攻は満州事変に似ているということに多くの人が気付きました。なぜあのような無謀なことをしたのか、関東軍参謀の石原莞爾はすぐに膨張主義ではダメなのだと気づいたと思いますが、その後日本軍、特に陸軍は、ますます無謀な、国力や兵姑[へいたん]軽視の路線を突っ走りました。それについてはむしろ保守派といってもよい立場からも『失敗の本質』という本が出るなど、精神主義による無謀さについての反省がないわけではありません。
 コロナ禍の最中の五輪開催について、結果的に死者の増加もさほどではなかったものの、当時の状況認識ではイン
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パール作戦を思わせると批判されたように、アジア太平洋戦争では無謀な愚かなことを重ねたという反省が日本社会にはあり、それが憲法九条についての国民の意識を支えているといえるでしょう。少なくともある世代までは、戦前の誤りに対する反省を生かさなくてはならず、戦後の体制の基本になっている平和主義の基盤もそこにあると考えていたと思います。
 それでもやはり事実認識も分析や考察も足りていないのです。いま言われた司馬史観のように、明治はよかった、それが治安維持法以後、あるいは満州事変、また天皇機関説などの辺りから悪くなったのだと、ある一時期に狭く取るような考え方が広められました。そして誰が悪い方向へ持っていったのか、それは軍閥や極端な国粋主義者、右翼だという捉え方で、どこに責任があったかが見えないようになっています。
 しかし幕末維新期に形成された尊王と、攘夷[じょうい]あるいは対外攻撃の姿勢、また、世界に例のないすぐれた国体という理念を掲げた体制には、そもそも精神主義的なものの根があった。そのことが十分に認識されていません。その意味では、自分たちの世代だけでなく数世代をかけて体験してきた“近代日本”をうまく捉えられていないということでしょう。
 ロシアと比べて、日本は少なくとも第二次大戦の敗戦によって精神主義的なものの弱点をある程度は自覚しました。しかし一方で、GHQ、占領軍によって精神的基盤を奪われてしまったという怨念もあり、戦前のほうが精神的な基盤はあったのではないかという考え方がかなり根強く、日本会議など今の精神主義的右派に流れ、自民党にも影響が大きいですね。これも日本の近代の精神史をしっかり捉えることができていないがゆえに起こることだと思います。
 ロシアは戦争に負けていないこともあり、社会主義にかわる何かを求める機運もあって、反西欧の攻撃的精神主義が新たな形で活性化しているのではないでしょうか。私は二〇代に、近代西洋批判や宗教の意義を説くソルジェニーツィンを大いに感銘して読んでいましたが、ある時期からついていけないと感じるようになりました。ロシアの伝統や正教を美化し、近代文明の欠点を正教の伝統こそが克服できると強く打ち出し、それがロシアのプライドとつながったようです。このような考え方がプーチンに受け継がれていると思います。
 ロシア帝政において、近代化に向かってヨーロッパを見習うという方向へ強力に導くピョートル大帝やエカチェリーナ二世などが出てきます。ピョートル大帝は教会の特権を廃止するなど国家統制を強化し、歴史上の評価は低いようです。しかし、正教会総主教と蜜月的関係にあるプーチンが、ピョートル大帝をしばしば引き合いに出すのです。西洋を取り込みつつ西洋に対抗するアイデンティティの象徴的な存在です。日本では明治天皇がただ一人「大帝」とよばれたことが思い起こされます。西洋風の近代国家形成を求める反面にある、強烈な対抗意識がロシアの中には根強くあり、トルストイやドストエフスキーにも、民衆が継承するスラブ文化対富裕なエリートが持ち込む西洋の精神的空虚さという批判意識があサます。これが日本と似ているかもしれません。
 日本人は正教会にはあまり関心を持っていませんでしたが、ロシア文学は好きですね。そこには、強く影響を受けた西洋への両極感情という共通点もあったかと思います。西洋の真似をしようとしながら、どこかでそれは違うと思っている。前回、柳田國男や折口信夫について触れましたが、トルストイやソルジェニーツィンにも民衆の宗教心への強い関心があります。ロシアにはそうした伝統があり、スラブ主義へとエリートが引っ張る方向に対して国民は支持してくれるので、精神主義につながります。それがプーチンに影響しているのかと想像したりしています。寺島さんがおっしゃるように、その背景にはビザンツ帝国以来の国家と教会が一体化する傾向が強いという伝統があると同時に、さらに近代化に対する複雑な感情が存在していると思います。

■無責任の体系に向き合う

寺島 明治維新直後の日本には、尊王擁夷で幕府を倒し天皇親政の神道国家をつくりたいという思い入れがありましたが、現実的には開国せざるを得ない状況がありました。明治天皇について、我々日本人には日露戦争の軍装の大元帥というイメージが強くありますが、明治元年に相次いで明治天皇と直接面談した英仏の外交官の報告には、天皇が眉を描き頬や唇に紅を差して、お歯黒をつけた神道の巫女のような格好をしていたという記述があります。このように王政復古で神武時代に回帰するつもりでいたわけです。ところが岩倉使節団が欧米社会を動いてみたら、それではとても列強に伍していけないと気付かされ、近代国家形成へと方針転換せざるを得なかった。国会の開設や憲法、内閣制度の制定など、ドイツを模倣した近代国家体制を実現したものの、根っこには天皇親政による祭政一致の神道国家が存在していたのです。
 神道国家の上に近代国家が載せられた二重構造の矛盾のマグマがあふれ出てきたのが天皇機関説批判で、それが軍部による統帥権干犯問題につながります。軍部は天皇に直
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結しているのであって、議会や内閣に責任を持っているのではないという主張は、先ほど島薗さんが言われた無責任の体系に直結します。誰がこの国の進路について徹底的に責任を持つのか、三〇〇万人の日本人、二〇〇〇万人以上のアジアの人々の命を失わしめる戦争をしたのに、結局は一億総ざんげで、近代史を総括しないまま今日まで来ました。
島薗 丸山眞男のいう「無責任の体系」(『増補版 現代政治の思想と行動』)は、朝廷が日本の精神文化の中心であるとしながら、朝廷は権力を持たないという、「天皇不親政の伝統」(石井良助)と深い関わりがあります。現在の象徴天皇制もその系譜上にあるとの理解も根強いです。
 しかし明治維新では、国民統合のために天皇を神聖化しその威光を頼り利用することになりました。困難が生じると天皇の威光を借りて抑圧的な、あるいは強引な施策を通す。政治家や官僚もそうですが、昭和期には軍部が先導します。しかし、学校やメディアがそれを後押ししています。メディアがなぜ精神主義や対外的な日本の優位を煽るかというと、民衆がそれを支持するように仕向けてきたという歴史があります。民衆は教育勅語をはじめとする教育を受けており、既に社会の心性にそのような基盤ができてしまっていた。教育、治安、福祉、そして対外政策、戦争などを通して。社会構造の下部から、攻撃的で尊大な方向へと国を向けてしまった。そのことについて、まだ我々は十分に捉えきれていません。
 それは日本の宗教の伝統とも関わっていて、先ほども日本は宗教協力が盛んだと言いましたが、天皇崇敬という点で一致してきたわけです。つまり社会的な事柄については、国家に従う、天皇のために戦うというような形があって、それが戦後に引き継がれて、比叡山宗教サミットも行われています。今は対外攻撃的政策ではなく平和を掲げていますが、どこまで平和を求める宗教思想が共有されているかというと、あまり確かではありません。宗教の思想的リーダーシップも見えにくく、それぞれの派が分裂しているのですが、これは神儒仏の併存ということもあって、日本の仏教史の特徴にもなっています。
 記紀神話には天皇こそが天壌無窮[てんじょうむきゅう]の神勅[しんちょく]で、永遠の支配権を持つとあり、後代の「万世一系の国体」論のもとになりましたが、その割には、出雲神話が長々と出てきますね。地方の神々、あるいは国譲りをした支配される側の神々がやはり重要であって、庶民、あるいは地方レベルの精神的な文化をそれなりに認めているわけです。中央集権的な中国の帝国を真似しようとしながら、どうしてもなり切れない、泥臭いというよりは土臭いものがあります。それでも天皇を掲げてまとまるということになって、政治家や官僚の責任が見えにくい体制になりました。そうした日本の「体質」の良い面、悪い面に向き合い、壊滅的な敗戦という歴史的経験からの知恵として明確にしていく努力が必要です。

■いま、ここで深呼吸を

寺島 いま、力こそ正義だと、抑止力や防衛力の強化という議論に吸い寄せられ、世界を権威主義陣営対民主主義陣営の二極に分断し、あたかも日本が民主主義陣営にいるかのような幻想の中で将来を展開しようという方向へ向き始めています。たとえば、この一〇年の日本を振り返って、民主主義を大切にする努力をしてきたかどうかを自問すべきです。「日本を取り戻す」というフレーズの下に、国家主義・国権主義を願望する動きを加速させてきたのではないでしょうか。
 ここで深呼吸しないといけません。私はアジアの国々の目線がとても気になっています。アジアは一九五五年のバンドン会議以来、二極構造で世界を分断することへ、の鋭い異議申し立てを続けています。そこで日本がうかつに、五兆数千億円の防衛予算を六兆円台後半に持っていくのが取るべき進路なのか。しかも日本の国家の借金は一二五五兆円まで積み上がり、金利が一%上がっただけでも、一二兆五〇〇〇億円分の利息負担増になる構造に陥っているのです。つまり、
 自らの歴史を総括し、現在問われていることの本質が何であるかを理解する力がなければ、時代の空気に流されてしまうのです。戦後なる時代がこれほどにも自堕落なところに行きついたことについての問題意識を再確認し、この対談で議論してきた戦前のプロセスをもう一回、深く省察しなくてはならないと思います。
(完)

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