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(歴史のダイヤグラム)新幹線で長崎が失ったもの 原武史

2023年08月15日(火)

この時期,ヒロシマがメディアにたくさん露出する.
そして,終戦記念日とか,
あれ? ナガサキは……なんていわないけれど.

なんだかよくわからない新しい鉄道路線が登場したけれど,
なんなのだろう.

そうしたら,甲子園に鳥栖工高が登場とか.
鹿児島本線から長崎本線が分岐する.


西九州新幹線……,
長崎本線はどうなるんだろう,と思ったのだった.
長崎本線の新線ができたとき,ちょっと心配だった.優等列車は,新線経由だった.
ちょっと残念だった.まぁ,勾配のきつい路線だったしな,とは思ったけれど,
旧線しか知らなかったのだから,
トンネルに溜まった蒸気機関車の煙の中を過ぎて,大村湾を見ながら,諫早に…….
まぁ.古けりゃいいというわけではないけれど,
諫早を過ぎて,右手に,有明海を見ながら,海と山に挟まれた狭い平地を列車が走る.
そのうち,佐賀平野の湿地帯を列車が走る……,
そんな風景はどうなるんだろう,と思った.

若い従姉妹は,ひいきのバンドのコンサートを聴きに,博多までときおり特急で行くのだと言っていた.
ずいぶん速くなっているじゃないか,と思ったが,もっと速く,ということなんだろう.

写真を見ると,長崎駅はおおきく変わるらしい……と知る.
0番線は,長崎駅で行き止まり.
駅の先は,近海航路の港.その向こうに,造船所や,遠洋漁業の拠点などが見える.
長崎港内の連絡船は,道路整備でなくなってしまったようだ.

変化の先に、何を見るのだろうと思う.

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(歴史のダイヤグラム)新幹線で長崎が失ったもの 原武史
2023年4月22日 3時30分

[写真]嬉野温泉―武雄温泉間を走る西九州新幹線「かもめ」

 3月25日、私は佐賀にいた。昨年9月に開業した西九州新幹線を切り口として鉄道を考える講演を、佐賀新聞社から依頼されたのだ。

 西九州新幹線は、佐賀県の武雄温泉と長崎の間を結んでいる。本来ならば山陽新幹線に接続する形で博多―長崎間を結ぶはずだったが、武雄温泉以東のルートがまだ決まっていないため、博多から武雄温泉までは在来線の特急を走らせ、武雄温泉で長崎ゆきの新幹線に接続させるという苦肉の策がとられた。

 講演に先立ち、西九州新幹線に乗ってみようと思った。まずは佐賀を8時59分に出る特急「リレーかもめ9号」の自由席車両に乗る。武雄温泉止まりのはずだが、行き先表示は長崎となっていた。

 土曜日のせいか、座席はほぼ埋まっていた。列車は広々とした佐賀平野を西に向かってひた走る。所々に菜の花が咲き、桜も咲き始めている。しかし見慣れた在来線の特急の車内とはなんとなく違う。乗客の雰囲気がそわそわしているのだ。次の停車駅、武雄温泉が近づくと、もう席を立って扉付近に移動する客がいる。新幹線の自由席を確保したいからだろう。

 9時20分、武雄温泉に着く。ホームは高架で、向かい側に長崎ゆきの「かもめ9号」が止まっていた。ほとんどの客がこの列車に乗り換える。乗り換え時間は3分しかないので、あわただしく発車する。もっと混んでいたら、時間通りに発車できたかどうかわからない。

 動き出すやトンネルに入り、出たと思ったらまたすぐ入る。その繰り返しで、季節感というものはない。5~8分走っては嬉野(うれしの)温泉、新大村、諫早(いさはや)と止まる。新大村付近ではかろうじて霞(かす)んだ大村湾が眺められたが、あとはほぼ何も見えなかった。

 9時54分、終点の長崎に着いた。長崎駅といえば、長崎出身のさだまさしの名曲「驛舎(えき)」が思い浮かぶ。頭端式のホームに漂う終着駅ならではの光景が目に浮かんでくるのだ。だが久しぶりに降りた長崎駅は、かつての記憶をとどめていなかった。

 新幹線ばかりか在来線も高架になり、頭端式のホームはなくなっていた。ホームは無人で売店もなく、自動販売機があるだけだった。駅弁はないのかと探したら、改札を出たところにあるコンビニの奥にやっと見つけた。そもそも車内で食べることが想定されていないのだろう。

 旅の楽しみは、車内でゆったりと座り、移りゆく景色を眺めながら駅弁を食べたり、缶ビールを飲んだりすることにある。そう思っている客は西九州新幹線の乗客に似つかわしくないのだ。それでも、速さと引き換えに失われたものの大きさを思わずにいられなかった。(政治学者)


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