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(私の視点)ユーゴ空爆から24年 NATO軍に加担、自覚は 木村元彦

2023年10月02日(月)

もっと歴史や地理を知るべきだった,と思うこと多い.
最近特にそう思う.
ロシア-ウクライナもそうだし ウクライナ-ポーランドも,
また急に降ってわいたようなアゼルバイジャンとアルメニアとナゴルノカラバフ,
以前アフガンが問題となったとき,そういえばマルクスにアフガン戦争に関するジャーナリスティックな文章があったな,と図書館に探しに行ったこともあった.
アフリカについても,ほとんど何も知らない.
歴史の外側,地理の枠外…….
それでいいわけはなくて,やはり無知は,知識と情報で埋めていかないといけないな.

それにしてもつい最近のことですら,振り返ってみると,どこまで理解をしていたんだろうとは思う.

まぁ,すこしでも知る努力はしよう……と思うが,
さて,それにしても,アメリカって国は,戦争が好きなんだろうな,ともうことがあった.
建国以来,ずっと戦争をしているんじゃなかったか.

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(私の視点)ユーゴ空爆から24年 NATO軍に加担、自覚は 木村元彦
2023年4月21日 5時00分

 1999年、北大西洋条約機構(NATO)軍が当時のユーゴスラビアを空爆したことをどれだけの人が覚えているだろうか。

 この軍事行動は米国主導の下、国連安保理決議を経ないまま行われ、難民移送列車や病院、中国大使館が「誤爆」され、多数の民間人死傷者が出た。空爆はコソボ自治州の紛争解決のためとされ、ミロシェビッチ・ユーゴ大統領(当時)に自治権を剥奪(はくだつ)されたアルバニア系住民の人権保護を名目に行われたが、実際は和平交渉でユーゴ=セルビア側がのめない条件(領土内でのNATO軍の軍事活動の容認など)を米国から提示され、決裂したことで起こった。

 その後、コソボからセルビア治安部隊を撤退させた米国は友軍関係のアルバニア系武装組織KLA(コソボ解放軍)を政府中枢に置いてコソボの独立を承認し、領内に米軍基地を建設した。コソボを宗教的聖地とみなすセルビア人からすれば主権を踏みにじられ、暴力で魂の源を奪われたことになる。冷戦終結後、NATO軍がロシアを出し抜いた東方拡大である。

 あれから24年。ロシアのウクライナ侵攻を巡り、英国が劣化ウラン弾のウクライナへの提供を決め、岸田文雄首相はNATO基金を通じて殺傷性のない装備品(3千万ドル)を供与することを明言。今、日本はNATO陣営の戦略にのみ込まれ、世論もロシアの侵略行為に対する反作用から看過しているように見える。

 しかしNATO軍がかつて行った「戦争犯罪」を忘れてはならない。空爆の矛盾を指摘していたのが当時のユーゴ日本大使館で、西側の大使館がセルビアから逃げ出す中、最後まで留(とど)まった。セルビア人は感謝とともに語り継いできたが、今、日本への信頼は覆されている。

 またKLAは拉致したセルビア人から臓器を摘出する密売ビジネスに手を染めた事実を欧州評議会から指摘され、筆者も証言を聞いている。旧ユーゴ国際刑事法廷の検察はこの戦争犯罪の起訴へと動くが、米国に拒まれた。同法廷のデル・ポンテ検事は「米国はNATOの力を通してKLAに軍事支援をしていたから、犯罪が表に出ることを避ける。しかし民族紛争を裁く上での司法の不正は未来の戦争の種となる」と語る。

 NATO軍をロシアの侵略に対する有効な対立軸として考えがちだが、軍事同盟に歩調を合わすということは、そこが犯した戦争犯罪や歴史の修正に加担していると受け止められる恐れがある。侵略にあらがうつもりが、加害の側となって幾多の国を失望させることを知っておかねばならない。

 (きむらゆきひこ ノンフィクションライター)
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