SSブログ

寺島実郎 脳力のレッスン 253 二一世紀システムの輪郭――ロシア・中国の衰退とその意味  【世界】2023年07月

2023年10月22日(日)

「10・21」
といっても いまさらなんだろう.

たぶん 戦う者たちを支持しただろうけれど
かれらが勝利を収めた後に どんな社会が創り出されるか
それほど自明だったかどうか わからない.
いや たぶん彼らを支援した国々に似たような と思っていたかもしれない.
そうなったとして そうした国々を 誰が支持しようと思っただろうか.

けれど 善し悪しを超えて そのような枠組みが現にあるということを 
どう考えれば良かっただろうか……とも思う.

左とか右とか あまり簡単に括ってしまわないで
よく見 聞いておこう.
考えよう.


―――――――――――――――――――――――――

【世界】2023年07月

脳力のレッスン 253
寺島実郎

二一世紀システムの輪郭――ロシア・中国の衰退とその意味

――直面する危機への視座の探求(その4)


 二〇〇九年の晩秋、西ドイツの首相を一九七四年から八年間務めたH・シュミット(一九一八~二〇一五年)とベルリンでの三日間のシンポジウムに同席した。ドイツの政治指導者として、二○世紀システムに関わり、敗戦後のドイツを冷戦の終焉、東西ドイツの統合に導いた老政治家の言葉を思い出すことがある。私が、アジア情勢に触れて、「北朝鮮の脅威」について語ったのに対し、「北朝鮮の脅威など取るに足りない」と彼は言い放った。一瞬、アジアの情勢に疎いのかと思ったが、次の一言が心に沁みた。金日成(一九一二~九四年)を継いだ金正日の率いる北朝鮮に関し、「世界の青年の心を惹き付けるメッセージはない。恐れるに値しない」と発言したのである。耳を傾けていると、第二次大戦後の「東西冷戦」という枠組みで動く世界で、毛沢東、ホー・チ・ミンやチェ・ゲバラ、カストロの思想と行動、そして金日成のチュチェ(主体)思想も、共鳴する多くの若者の心を惹きつけるものがあった。だが、金正日の北朝鮮には「金王朝の存続」以外の「正当性」(LEGITIMACY)がないという見方であった。そして、日本人である私に、「日本も大変だね。アジアに真の友人がいないから」と付け加えた。
 彼は『シュミット外交回想録』(邦訳、岩波書店、一九八九年)においても「日本人は、外交的、歴史的経験が不足しているために、一般的に世界の政治的構造をごく限られた程度にしか理解していない。日本人は、また、彼らが孤立しており、それに伴って世界において僅かな政治的役割しか果たしていないことを十分に理解できないでいる」と述べており、この認識は今日にも当てはまるであろう。今、二一世紀システムを模索する時、「正当性」という言葉を想起すべきだ。二一世紀の世界秩序の不透明感は、秩序形成に責任を担うべき大国の衰退、とりわけ世界を束ねるリーダーの「正当性」の喪失に起因することに気付く。二〇世紀システムをリードしてきたロシア、中国、米国という三つの帝国の静かなる衰退とその意味を確認しておきたい。

■ロシアの衰退とその意味

 まず、ロシアであるが、プーチンがウクライナ侵攻に踏み切った価値基準が一九世紀の帝国主義時代への回帰という時代錯誤的なものであることは既に論じた(参照、本連載250)。すなわち、「戦争は外交交渉で解決できない国際紛争の正当な解決手段」とする価値への回帰であり、それは第二次大戦期にロシア自身(ソ連邦)がコミットした「大西洋憲章」(一九四一年)、そして国連憲章が基点とする「戦争による領土不拡大」という規範への重大な侵犯である。
 プーチンが夢見る「大ロシア主義に立つロシア帝国の復権」も、「特別な軍事作戦」と称する主権国家ウクライナの領土侵犯によって一切の正当性を失い、今後、資源産出国として生き延びるにせよ、ロシアは国際社会からの孤立の中で長期にわたり衰退を続けるであろう。既に国際社会の主たる論点は「ロシアの弱体化をどう制御するか」に移り始めている。経済的衰退の一方で、皮肉にも超核大国ロシアとして「世界の戦略核弾頭一・二七万発のなかで半分近くの五九七七発を保有する」(二〇一三年、米科学者連盟)という現実が、戦況が追い詰められると核のボタンを押しかねない「核ジレンマ」をもたらしており、この国が「大きな北朝鮮」となる危うさを顕在化させ、その制御が難題なのである。
 ロシアの国内からプーチン政治を否定し、ロシアを国際社会の建設的参画者に引き戻す流れが台頭することを期待したいが、ロシア正教という極端な民族宗教(ロシア化したギリシャ正教)と政治権力が一体化して駆り立てる「愛国と犠牲」を美化し、反対者を粛清する恐怖政治の転換は容易ではない。
 昨年のロシアの実質GDP成長率は前年比▲二・一%と意外に持ち堪えているように見えるが、通貨ルーブルの評価が今後の鍵を握る。現状では通商決済におけるルーブルの「紐付け」や外貨準備における金比重の高さなどでルーブルを持ち堪えているが、ソ連崩壊時のごとく、通貨の価値が霧消して経済が機能不全に陥る可能性は否定できない。当時は、西側諸国が新生ロシアの支援に動いたが、資源産出力だけに依存するロシア経済は低迷していくであろう。
 二〇世紀システムにおけるロシアは、「ソ連邦」という形での社会主義の実験に挑戦し、失敗に終わった。それでも、社会主義が掲げた「階級矛盾の克服」や民族を超えた「労働者の団結」は、東欧から中央アジア、そして今日「グローバル・サウス」と言われる地域の若者に訴え、西側諸国が「革命の輸出」に脅えるほどの存在感をもたらしていた。だが、プーチンは社会主義・共産主義に一切の共鳴も示さない。ソ連邦の時代について、プーチンは「歴史的無駄」と切り捨て、「ソビエトはロシアを豊かな国にしなかった」と発言している(二〇一二年、下院での演説)。プーチンのロシアは偏狭なロシア民族主義に沈潜し、至近距離にいるはずのCIS(独立国家共同体)諸国の離反を招くほど、世界を牽引する「正当性」を失っている。
 本年五月九日の「戦勝記念日」におけるプーチンの演説は、ウクライナ侵攻に関し、「ロシアの崩壊を画策する欧米との本当の戦争が始まった」と被害者意識を露わにした。ロシアの国内の政治体制の動揺がもたらすものは、ロシアを取り巻く周辺秩序の融解であり、ロシアの求心力の喪失がもたらすユーラシアの政治力学の動揺であろう。中央アジアの液状化とトルコ、イラン、イスラエルなど中東秩序を突き動かす地域パワーの台頭が予想される。また、ユーラシアの地政学の宿命の構図である中ロの微妙な綱引きも変わろうとしている。プーチンが政権を維持するためには中国への依存を高めざるをえないというパラドックスの中で、すでに中露関係は中国優位の構図に変わり始めている。一三世紀初頭から一五世紀末までの二世紀半にわたる「タタールの軛」(モンゴル支配)がロシア史にこびり付いていたことを思い起こさせるほどロシアの悲しみは深い。
 ピョートル大帝以来、欧州はロシアの憧憬であった。その「欧州」が再び遠ざかりつつある。プーチンがロシア・ナショナリズムを叫ぶほど、「ロシアとは何か」についての欧州側の記憶も蘇るのである。それは「欧州の辺境としてのロシア」ではなく、「アジア的退嬰の象徴としてのロシア」への回帰である。思えば、K・マルクスさえ『一八世紀の秘密外交史――ロシア専制の起源』(原書一八五三年、邦訳白水社)において、ロシア王朝を「タタールの軛」による「東洋の原始的蛮族」とみる西洋の固定観念に言及している。現在の中国政府はモンゴル族も中華民族としており、「中華民族の偉大な復興」が習近平によって強調されるほど、タタールに取り込まれたロシアの記憶が蘇り、ロシアを決して欧州の一員とは見ない視界に説得力を与えるのである(参照、本連載191「ロシア史における「タタールの軛」とプーチンに至る影」)。
 実は、近代史におけるロシアと日本には宿命の共通課題が潜在している。クリミア戦争(一八五三~五六年)での敗北以後、ロシアはアレクサンドル二世の欧州を見習った「大改革」時代を迎える。日本も一八五三年のペリー来航後、明治維新、そして欧州模倣の「明治近代化」路線を進む。だが、ロシアは社会主義革命(ソ連邦)を迎え、日本は「富国強兵」の臨界点で欧米列強と衝突して敗戦に至る。
 どうしても欧米の一員とはなれない焦燥と悲哀、これがロシアと日本の通奏低音なのである。「日本はG7の一翼を占める先進国」という意識を日本人は持ちがちだが、利害対立が高まると排除され、逆上する。「名誉白人」的な位置づけに自己満足することの壁がここにある。

■中国の隘路――「紅い中国の悪い皇帝」という悪夢

 中国は本年三月の全人代で、習近平の第三期政権に入った。毛沢東への個人崇拝が昂じて文化大革命という粛清が世界からの孤立を招くに至ったことを省察し、中国は鄧小平以来の改革開放路線の支柱として「集団的指導体制」と「国家主席の任期制限(二期一〇年)」を遵守してきた。もちろん、「集団的指導」といっても民主的合議制が機能していたわけではないが、習近平専制の長期化は、中国が「党と政府の一体化」による一強支配、習個人崇拝、つまり毛沢東期の「レッド・チャイナ」に回帰したのだ。習近平第三期は「改革開放」路線の最後の砦ともいえた首相の李克強を更迭した。毛沢東の時代は、毛沢東一強支配のようにみえて、実は周恩来という現実主義に立つ国際社会とのバランサーが不倒翁として存在しており、その意味で、習近平の第三期は「周恩来なき毛沢東政権」になるといえる。
 習近平が第三期に向けて掲げた統治概念は「社会主義現代化強国」と「中華民族の偉大な復興」であるが、この二つの目標と実現過程が、二一世紀の世界秩序においてどこまで「正当性」を得ることができるのか、中国も試練の時に入っているといえよう。まず、「社会主義現代化強国」だが、東西冷戦期の社会主義陣営の本山だったロシアを率いるプーチンが社会主義への一切の共鳴も示さないのに、習近平は「共同富裕」というキーワードの下、経済格差の解消を意図して社会主義へのこだわりをみせている。中国経済の現状については、本連載(240「資本主義と民主主義の関係性(1)――中国国家資本主義という擬制」)において、現在の中国経済が資本主義というにはあまりにも「市場性」とはかけ離れた国家統制型になっており、しかも一方で、土地の私有が認められないはずの中国で、地方政府の財源として「定期借地権」のような形で土地を分譲・取引して収入を確保させて経済を拡大させるなど、歪んだマネーゲーム経済に埋没している危うさを指摘した。
 改めて「社会主義現代化強国」の内実を考えるならば、共産党一党支配下の金融市場経済の肥大化の矛盾の深化を視界に入れざるをえず、これを推し進めるならば、「剛性泡沫」、つまり国家が主導する金融経済化の帰結として、富裕層と貧困層の格差は拡大する一方であり、共産中国の建国理念であった「人民に奉仕する国家の建設」からは本質的に遠ざかっていくことになる。
 何故、中国は「紅い中国の悪い皇帝」の支配ともいうべき「専制化」「強権化」の道を辿るのか、再考を余儀なくされる。四〇〇〇年を超す中国の政治文化の歴史にこびりついたDNAとしての権威主義的体質を想わざるをえない。天児慧が『中国のロジックと欧米思考』(青灯社、二〇二一年)において論ずるごとく、儒教的価値観の埋め込みというか、君臣関係、家父長制を秩序の前提として受け入れる心理が潜在し、治者(権力)と被治者(国民)の二元論に立ち、多くの庶民は「衣食住と日常の保証で満足」し、政治には沈黙を守る「小国寡民」的傾向に沈潜しがちである。
 確かに、中国における治者に対する反抗は、下からの変革のエネルギー高揚ではなく、別の王朝、異民族からの攻撃であり、動乱は「扶清滅洋」を掲げた「義和団事件」のごとく宗教運動を契機とすることが多い。二〇世紀の孫文による辛亥革命も、民主主義の確立という要素よりも、満州族による清朝を倒し、漢民族の復権を目指す運動として勢いを得ているのである。
 次に「中華民族の偉大な復興」だが、習近平はこの言葉を一〇年前、第一期政権のスタート時にも使った。大方の理解は、中国は多民族国家であり、多様な中華民族が力を合わせて中華人民共和国の隆盛を図ろうと呼びかけているというものだが、実はこの言葉は中国本土の国民だけでなく、広く世界の中華民族を対象にしたメッセージでもある。
 世界には約八〇〇〇万人ともいわれる在外華人・華僑といわれる人たちが生活している。その多くは中華民族の中核ともいえる漢民族である。それは中国の歴史の特色ともいえる異民族支配を背景にしている。中国では、元(一二七一~一三六八年)というモンゴル族が支配した時代、清(一六一六~一九一二年)という満州族が支配した時代を経て、多くの漢民族が異民族支配を嫌って海外に新天地を求めるという事態が生じた。それが多くの在外華人・華僑の起源である。漢民族の人たちは、自分達こそが中華民族の中心だという自負心を有し、「中華民族の偉大な復興」という言葉は心に響くのである。世に「中華思想」という表現があるが、「人類の四大発明(紙、活版印刷、火薬、羅針盤)はすべて中華民族によってなされたが、中国は一度も特許権を主張したことはなかった」というジョークを笑顔で受け止める華人が世界中に存在している。
 実は、改革開放路線下の中国の持続的成長を支えた大きな要因は、この華人・華僑圏の中国、その中核としての香港、台湾、シンガポールという「海の中国」の資本と技術を取り込んだことであった。台湾から一〇万社を超す台湾企業が本土の中国に進出していた時代があった。その約三割が中国に失望し撤退したという。中国の強権化への警戒を投影し、中国の発展の触媒でもあった「海の中国」にも地殻変動が生じ、昨年の香港の実質GDP成長率は▲三・五%、シンガポール三・六%、台湾二・五%のプラス成長と成長エンジンが変わりつつある。欧米および日本の投資も中国を忌避する傾向を強め、「除く中国のアジア」、つまりインドやASEANに成長の主役が移るトレンドにある。
 在外華人・華僑の存在は、本土の中国にとって両刃の剣であり、中国を支える力にもなるとともに中国を睨む壁にもなりうるのである。強権化し、香港を締めあげ、台湾を恫喝する習近平の中国に対し、グローバルな開放経済の狭間を生き抜いてきた在外華人・華僑は疑念と失望を感じ始め、距離を置き始めている。これが中国の発展の障害になる可能性が高まりつつある。
 カリフォルニア大学(サンディエゴ校)教授スーザンL・シャークの『逸脱――中国はいかにして平和的台頭という道を間違えたのか』(オックスフォード大学出版、二〇二二年、未邦訳)は、一九七六年の毛沢東の死から半世紀に至る中国が、アジア経済危機(一九九七年)、リーマンショック(二〇〇八年)後の世界経済を支える形での急成長を経て、自己過信と内部不安を同居させながら、習近平専制に行き着く過程を解析し、習近平の中国が抱える「行き過ぎがもたらす危うさ」を指摘している。
 私も、中国が「平和的台頭」という賢い道を歩み続けていれば、二一世紀の世界は中国主導の潮流に向かった可能性もあったと思う。強勢外交、戦狼外交は、中国に好意的だった欧州諸国からの警戒心と嫌悪感を高め、南シナ海・インド洋での強引な海洋進出や「債務の罠」はアジア諸国の拒否反応を誘発し、決して賢い展開にはなっていない。五月の広島でのG7サミットと時を同じくして、中国は旧ソ連圏の中央アジア五か国とのサミットを西安で開催した。ロシアがウクライナ戦争の長期化で、経済・通商・金融決済などで中国への依存を高めており、中国優位のユーラシア地政学となる構図が見え始めているが、政治的影響力を高めているかにみえて、中国への信頼と敬意は必ずしも高まってはいないというのが現実である。
 「ウクライナの次は台湾危機」という短絡的な見方もあるが、第三期に入った習近平政権は、意外なほど慎重な長考局面に入ったといえる。長期的には「台湾統合」を諦めないだろうが、二〇二四年一月の台湾総統選挙に向けて、「一つの中国」認識を共有する国民党の勝利の可能性が見えてきたために、台湾独立派を刺激しないように「抑制された圧力」へと路線を変えつつある。また、ウクライナ戦争の長期化を注視しており、武力行使がもたらすリスクについての学習能力を示している面もある。この数年が二一世紀中国の歴史的役割にとっての試金石となるであろう。
 ロシアにせよ中国にせよ、ナショナリズムと自国利害だけではグローバル化する世界をリードする正当性を確立することはできない。人類史の新しい地平を拓く理念を創造する力が二一世紀システムの構築には必要なのである。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。