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臼杵陽 ハマースはなぜイスラエル攻撃に至ったのか 【世界】2023年12月

2024年04月13日(土)

きょうもまた戦闘が続けられているのだろう.
もちろんユーラシア大陸においても.

新聞や雑誌など,あるいはテレビを通じて流れてくる情報は,やはりちょっと問題なのだと思うことが多い.とりわけパレスチナ,そしてウクライナについても.

アルジェリアも,あるいはベトナムも、ある意味ではもうすこしわかりやすい構図をもっていたように思うけれど,
映像を見る側に,知識,情報と,思考を強く求めているんだろうな,と思う.

そういえば,ビルマもま同様か。いや,じぶん自身の無知が問題なんだけれど.

そして,ビルマも,パレスチナも,イギリスが強く関与していた地域だったな,と思い出す.


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【世界】2023年12月


ハマースはなぜイスラエル攻撃に至ったのか
臼杵 陽

うすき・あきら 一九五六九年生まれ。日本女子大学文学部史学科教授。在ヨルダン日本大使館専門調査員、佐賀大学助教授、エルサレム・ヘブライ大学トルーマン平和研究所客員研究員、国立民族学博物館教授を経て、現職。専門はパレスチナ・イスラエルを中心とする中東地域研究。著書に『イスラエル』(岩波新書、二〇〇九年)、『世界史の中のパレスチナ問題』(講談社現代新書、二〇一三)、『「ユダヤ」の世界史』(作品社、二〇一九年)ほか多数。


 ガザに拠点を置くイスラーム主義組織ハマース(新聞等では「ハマス」と表記するが、本稿ではアラビア語の原音に近い「ハマース としたい)が、一〇月七日土曜日にイスラエル市民に対して人規模な軍事行動を起こした。当然、イスラエル側から見れば、一般市民を対象とした許しがたい無差別テロ社為である。
 その日は、ユダヤ教のシャバト(安息日)でかつ祝日だったため、大規模な音楽フェスティバルが開催されていた。その祝日は「律法感謝祭」と呼ばれ、ユダヤ教徒が一年かけてモーセ五書(ヘブライ語ではトーラー(律法)と呼ばれ、キリスト教の旧約聖書では創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記までを指す)を読み終える日であり、また新たに一年かけて律法を読み始める日でもある。
 同時に、今年二〇二三年はイスラエル建国の一九四八年から七五周年にあたる年でもある。しかし、この出来事はパレスチナ人の側からは「ナクバ(大災害)」と呼ばれており、故郷パレスチナを追放されて難民となった時点から七五年目にもあたる。この攻撃によるイスラエル側の犠牲者は少なくとも一四〇〇人にのぼると報じられている。イスラエルでは近年に例をみない最悪の死者数である。イスラエル国民の怒りは、リクード党のベンヤミン・ネタニヤフ首相が率いる緊急挙国一致内閣の組閣へと導いた。「イスラエル・ハマース戦争」と西側メディアが喧伝する戦争を遂行するためである。

■ガザの風景

 私自身はハマースが二〇〇七年にガザを実効支配する前の時期を含めて、何度かガザを訪れたことがある。現在は封鎖されているが、ガザの北側にあるイスラエル側のエレズ検問所からガザ入りをしたのである。検問所で「国境」を越える際にはイスラエル側の検問を通り、無人地帯があって、ガザ入りすることになる。検問所はガザ在住のパレスチナ人とそれ以外の外国人などのために別々に設置されている。パレスチナ人用の検問所は外国人用の場所からも見える。ガザからイスラエルに出稼ぎに行くパレスチナ人たちの長蛇の列であり、徹底的なチェックもあるので検問所の通過には相当な時間がかかる。これはヨルダン川西岸からエルサレムに入るときも同様である。
 ガザに入って検問所を抜けてからはパレスチナ人の「セルビス・タクシー」と呼ばれる乗合タクシーに乗ってガザ市内まで走る。「セルビス」というのはサービスという単語がアラビア語風になまったものである。セルビス・タクシーはアラブ世界共通の五人の乗客を乗せることのできる古いベンツである(イスラエル側では最近では大型のワゴン車に変わっている)。ガザにしろ、ヨルダン川西岸にしろ、自動車のナンバープレートの色が白色であり、東エルサレムを含むイスラエルのプレートは黄色である。だから、東エルサレムに住むパレスチナ人の自動車であれば、ユダヤ人入植地が多い西岸に行く際に、検問所の兵隊にチェックされずに行くことができる場合も多い。
 境界を越えると灌漑(かんがい)施設の整った緑豊かなイスラエルの風景から、灌木が生えているだけの殺伐とした別世界のような風景に変わる。この変化を体感するだけで、ガザがいかに悲惨な状況にあるかがわかる。アリエル・シャロン政権時代(二○○一~〇六年)の二〇〇五年、イスラエル軍はガザから撤退し、ガザにあったユダヤ人入植地も撤去され、パレスチナ人だけの世界となったのである。
 ガザ地帯は南北の全長が約四一キロメートル、東西の幅が約一〇キロメートルの長方形で、その面積は三六五平方キロメートルしかない。種子島よりも小さな場所に約二三〇万人ともいわれるパレスチナ人が住んでいる。日本でいえば名古屋市ほどの人口規模である。過密な人口に加え、許可がないとガザからの出入りは自由にできないために、ガザは「天井のない牢獄」と呼ばれてきた。当然、ガザにも多くの自動車が走っているが、そのような中で同時に目立つのが荷車をひくラバの姿である。馬とロバをかけ合わ

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せたラバは、ロバの粗食に耐える丈夫さや忍耐力、馬の力強さといった両者のもつ長所を受け継いでいるという。だからこそ、ラバはガザでも多く見かけるのである。ガザの街の市場などの雑然とした活気とは裏腹に、ガザでは低い見積もりでも失業率が人口の四五%以上もあり、二人に一人の割合で職がない。そのため、若者の多くがやることもなくアラブ式のゲームで遊んだり、お茶を飲んだりして、ガザの街々に数多くある喫茶店でたむろしている。イスラエルへ出稼ぎに行くパレスチナ人は約一五万人といわれるが、イスラエル側のセキュリティ強化の問題もあって、正式には若年層のパレスチナ人労働者はイスラエル労働市場で働くことは認められていない。しかし、「非合法労働者」として、イスラエル労働市場で建設業を中心にいわゆる「3K」の業種で働くパレスチナ人も多いのもたしかである。ところが、近年ではフィリピンを中心とする東南アジアからの労働者がパレスチナ人に代わってイスラエル労働市場で働いているのが現状といってよく、ガザの窮状はいよいよ限界値に達しようとしていたといってもいいだろう。
 かつて北欧のとあるNGOの職員と一緒にガザ北部にあるシャーティー・パレスチナ難民キャンプを訪れたことがある。難民キャンプのアラビア語の名称「シャーティー(海岸)」の通り、地中海沿いの「海岸線」にあり、貧しい難民が多かった。現在では死語となりつつある「掘っ立て小屋」といってもいいようなセメントのブロックを積んだ家に住んでいるパレスチナ人も多くいた。強風で砂が家に入り込むし、下水道は家の前の道の真ん中にある溝である。したがって、衛生状態も決していいとはいえない。そんな劣悪な環境で暮らしているパレスチナ難民も多いので、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)だけではなく、国際NGOからの援助も不可欠なのである。

■病院爆破の衝撃

 一〇月一七日、この難民キャンプからさほど遠くない場所にあるアル・アハリー・アラブ病院が爆破された。パレスチナ自治政府の保健省は声明で「イスラエル軍が大虐殺を行った」と非難した。患者や医療従事者、避難民ら、少なくとも五〇〇人が死亡したとパレスチナ側は報じている。他方、イスラエル軍のハガリ報道官は直後に、複数のインテリジェンス情報の分析結果として、ガザの武装組織「イスラーム聖戦」のロケット弾の誤射によるものだと主張し、「イスラーム聖戦の責任だ」としたと報じられている。真偽のほどは定かでないが、イスラエル軍がガザを無差別的に爆撃しているのも事実である。
 このアル・アハリー・アラブ病院の歴史を振り返ると、パレスチナとヨーロッパとの関係が見えてくる。この病院は一八八二年、イギリス国教会(聖公会)によって設立された古いキリスト教ミッショナリー系の医療機関である。少なくともパレスチナ人はこの病院とは一世紀以上にわたって付き合ってきている。パレスチナ人自身がこの病院に対して攻撃を加える理由はないと言ってもいい。だからこそ、イスラエル側はパレスチナ側の「イスラーム聖戦」などが「誤爆」したと主張している。真偽のほどは本論の執筆時点では謎に包まれているが、この爆破が、ガザを含むアラブ世界、ひいてはイスラーム世界全体に怒りの渦を広げていくことは間違いない。加えて、バイデン米大統領は一〇月一八日、イスラエルを訪問したが、この爆破事件によって、ヨルダン行きは延期された。エジプトのシーシー(シシ)大統領らとは電話で協議するという。

■ハマースはなぜ生まれ、支持されるのか

 ところで、ハマースというイスラーム主義政治組織とは何だろうか。ハマースは「イスラーム抵抗運動(Haraka al-Muqawama al-Islamiya)」というアラビア語の頭文字(H-M-S)から作られた略称であり、アラビア語では「熱狂」という意味をもっている。今回のハマースによるイスラエルへの攻撃に至る背景を考えるためには、ハマースの歴史を振り返ってみる必要があろう。多くの若者が命を賭してまでハマースに加わっている事実を踏まえて、ハマースがなぜガザで支持されているかの理由を考えるためである。
 そもそも、ハマースの起源はムスリム同胞団である。その同胞団は、エジプトのスエズ運河沿いの都市イスマイリヤで一九二八年に設立され、一九四八年のイスラエル建国後、エジプト支配下(一九四八~六七年)のガザではパレスチナ支部として活動を続けた。現在のハマース自体は一九八七年の第一次インティファーダ(民衆蜂起)の勃発直後、当時のガザのイスラーム運動の精神的指導者であったアフマド・ヤースィーン(ヤシン)師によって設立された。車いすに乗った指導者として知られる同師は二〇〇四年にイスラエルのミサイル攻撃によって殺害された。
 現在の指導者は一九六二年に前述のシャーティー難民キャンプで生まれ育ったイスマーイール・ハニーヤである。ハニーヤは現在、家族とともにアラブ湾岸諸国の一つカタールのドーハに滞在している。したがって、ハマースとアラブ諸国との関係を考えるうえで重要な役割を果たしているのがカタールである。カタール政府は、イスラエルが二〇〇八年末から二〇〇九年初めにかけてガザを攻撃して以来、イスラエルとの外交関係は途絶しているものの、イスラエルとのつながりを完全に断ち切ったわけではなく、今回もハマースに捕らえられた人質の釈放などを通じて両者のあいだを仲介する重要な役割を果たしていると報じられている。
 ところで、改めて強調しておきたいことは、ハマースは

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一九九三年九月にイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)とのあいだに結ばれたパレスチナ暫定自治に関する原則宣言(オスロ合意)締結の正当性を認めなかったことである。したがって、オスロ合意で五年間と設定された暫定自治の期間であってもイスラエル側への武力攻撃をやめず、結果的にイスラエル側は治安が確保できない以上、将来の「パレスチナ国家」となるべきヨルダン川西岸・ガザの土地のほんの一部しかパレスチナ側に返還しなかった。そんな停滞する和平交渉が大きく動いたのは、対パレスチナ強硬派と思われていたアリエル・シャロンが与党リクード党を離脱して、二〇〇五年にカディーマ(ヘブライ語で「前進」)党を新たに結成して政権を獲得してからであった。シャロンのリクード党での先輩政治家にあたり、一九七九年にエジプトと平和条約を締結した故メナヘム・ベギン元首相(右派でタカ派のリクード党首)が思い起こされる。シャロンはそれまでは軍人出身の政治家として「超タカ派」とみなされていたにもかかわらず、世論の反対を押し切って二〇〇五年にはガザからイスラエル国防軍を撤退させたからである。しかし、同年末、シャロンは脳卒中で倒れ、八五歳でその生涯を終えたことは歴史の皮肉として思い起こされる。
 他方、パレスチナ側でもヤーセル・アラファート議長が二〇〇四年一一月に七五歳で亡くなった。同議長はガザとヨルダン川西岸の一部を領域とするパレスチナ自治政府を、独裁的手法ではあったものの、その圧倒的なカリスマ性を持つ人気で率いていた。ファタハ(パレスチナ解放運動)を率いるアラファートの盟友であったアブー・イヤード(一九三三~九一年)やアブー・ジハード(一九三五~八八年)など、アラファートの側近中の側近をイスラエルによる暗殺などで失った後に、アラファートの後継者として名乗りを上げたのが一九三五年生まれのアブー・マーゼンことマフムード・アッバースであった。
 アッバースは二〇〇五年一月にパレスチナ自治区を率いる大統領(アラビア語で「トップ」を意味するライース)に就任した。アッバース大統領はパレスチナ自治政府を率いたものの、二〇〇六年パレスチナ総選挙でハマースに敗れるという苦杯をなめた。しかし、アッバースは、伝家の宝刀といってもいい禁じ手である大統領令という強権を発動して選挙結果を無効にしたのである。そのため、ハマースとの関係は急激に悪化して、両者は武力衝突を繰り返し、六〇〇人以上の犠牲者を出した末に二〇〇七年六月にハマースが事実上、ガザの支配権を単独で掌握することになった。このファタハとハマースとのパレスチナ側の内紛の結果、パレスチナ自治政府はヨルダン川西岸とガザに分裂したのである。
 以後、ガザはハマース支配下に置かれることになった。ただ、われわれのイメージするハマースは、アメリカなどの西側諸国が「テロ組織」と指定しているため、武装した危険な政治組織としてみなされがちである。しかし、ハマースがガザのパレスチナ人の若者の多くを動員している理由は、ハマースという政治部門の一部を見ているだけでは理解できない。というのも、ハマースは社会福祉の部門ももっているからである。イスラエルによる封鎖によって経済的な困窮を余儀なくされたガザ地区の人びとにおいて、ハマースはその母体であったムスリム同胞団と同じように、イスラーム教の相互扶助の精神に基づく「慈善団体」としての性格をもっていることを見落としてしまいがちである。ハマースは、医療・教育・食料供給の面で社会福祉の活動も長い間、行ってきた実績があるのである。そのため、ハマースはとりわけ貧しいパレスチナ難民に信頼・支持されているという事実をやはり改めて考える必要がある。
 ハマースの軍事部門が、今回の事件のようにイスラエルの一般市民を殺害する「テロリスト」として国際的に非難されてしかるべき軍事作戦を実行していることは事実であるが、ハマースの慈善団体としての精力的な救貧活動も念頭に置かなければ、ハマースがなぜガザのパレスチナ住民の多くに支持され、パレスチナ人の若者たちが死を賭してまで自爆攻撃のような軍事的行動を行うのか理解できないのである。

■国際社会に求められる対応とは

 今回のイスラエル市民殺害という陰惨を極める事件を引き起こしたハマースの軍事グループは「カッサーム旅団」と呼ばれている。カッサームは日本ではほとんど知られていない人物であるが、パレスチナ人にとっては誰もが知っている歴史的なヒーローの一人である。イッズディーン・アル・カッサーム(一八八二~一九三五年)はイスラエル建国前の一九三五年一一月に対英・対シオニストの軍事行動を行って殉教した、北部シリア出身のイスラーム教指導者である。カッサームはエジプトのカイロにあるイスラームを学ぶための最高学府であるアズハル大学出身のシャイフ(アズハル卒業生に与えられる称号)である。イスラーム的な深い学識に基づいて、カッサームは現在のイスラエル北部の港町ハイファにあるイスティクラール・モスク(アラビア語で「独立礼拝所」という意味)でイマーム(導師)を務めていた。
 イマームとは礼拝の際に先頭に立って礼拝を主導する宗教者である。カッサームはハイファに拠点を置いてパレスチナで初めてイスラームの名の下に武装闘争を開始したことでパレスチナ人のあいだで広く知られて尊敬を集めている人物である。ハマースがイスラエルに対して数多く打ち込んでいるミサイルが「カッサーム・ロケット」と呼ばれることにも、カッサームがハマースのメンバーによって、

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ある意味では「神格化」されており、従うべきロールモデルとして崇敬されているからである。そんな状況下で、ハマースの軍事部門であるカッサーム旅団の指導者アイマン・ノファル(通称、アブー・アフマド)が一〇月一七日、イスラエル軍の空爆によって爆殺されたことはパレスチナ人にとっては衝撃的な事件だった。ハマースとしては捕らえたイスラエル人の人質をイスラエル側に小出しに引き渡すことで事態が自らに有利になるように画策している。しかし、イスラエル側の反応は頑なで強硬であり、ハマースによる人質の釈放によって事態がよい方向に動くともこれまでのところ思えない。
 今回の事態のきっかけとなった事件では、イスラエル側ではこれまでになかったほど多くの犠牲を出したため、ガザへの激しい空爆を含めて、報復もこれまでにない規模である。ガザへのイスラエル軍の空爆は予想以上の大きな被害をパレスチナ人社会にもたらしており、死者数ではパレスチナ人がイスラエル人を凌駕するものとなっている。ハマースの活動家がパレスチナ民衆の中に潜んでいる以上、否、パレスチナの一般の人びとの中から次から次へと無尽蔵に生まれてくる以上、イスラエルによるパレスチナの一般市民への無差別の爆撃は続くことであろう。
 同時に、北部国境のレバノンからもシーア派武装組織ヒズブッラー(アラビア語で「神の党」の意味)がハマースの行動に呼応するかのように、北部のレバノン国境からイスラエルに対して攻撃を加えている。このように周辺諸国を巻き込みつつ事態が悪化するなかで「イスラエル・ハマース戦争」においてこれ以上の犠牲者が生まれることは避けなければならないのはいうまでもない。国際社会による早急な仲介が求められているのであるが、実際のところ、アメリカがイスラエルを一方的に支援しているために、出口なしの状況に陥りつつある。バイデン米大統領もアメリカ国内のユダヤ人ロビーの政治的な影響力を考えると、イスラエルに対して軍事行動の抑制を要請するとは当面は考えられない。とりわけ、イスラエル軍によるガザへの軍事侵攻が始まれば、パレスチナ人を含めてなお多くの犠牲者が出ることになろう。
 だからこそ、国際社会は声を上げて、イスラエル側による報復という名目でのパレスチナ人への軍事行動に対して自制を求めるべきだと私自身は考えている。なお、今回の事態に対して、私自身も呼びかけ人の一人として「ガザの事態を憂慮し、即時停戦と人道支援を訴える中東研究者のアピール」に加わっており、読者諸氏もぜひともこのアピールを参照していただければ幸いである。

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ガザの事態を憂慮し、即時停戦と人道支援を訴える中東研究者のアピール

 中東のパレスチナ・ガザ地区をめぐる情勢が緊迫、深刻化しています。私たちは、中東の政治や社会、歴史、中東をめぐる国際関係等の理解、解明に携わってきた研究者として、また中東の人々やその文化に関心を持ち、中東の平和を願ってさまざまな交流を続けてきた市民の立場から、暴力の激化と人道的危機の深刻化を深く憂慮し、以下のように訴えます。

一、即時停戦、および人質の解放。
二、深刻な人道上の危機に瀕しているガザを一刻も早く救済すること。ガザに対する攻撃を停止し、封鎖を解除して、電気・水の供給、食糧・医薬品等の搬入を保証すること。軍事作戦を前提とした市民への移動強制の撤回。
三、国際法、国際人道法の遵守。現在進行中の事態の全局面において人道・人権に関わる国際的規範が遵守されることが重要であると共に、占領地の住民の保護、占領地への入植の禁止等を定めた国際法の、中東・パレスチナにおける遵守状況に関する客観的・歴史的検証。
四、日本政府をはじめとする国際社会は、対話と交渉を通じて諸問題を平和的・政治的に解決することを可能とする環境を整えるため、全力を尽くすこと。

 ガザをめぐる深刻な事態は、戦闘・包囲下に置かれた無数の市民の命を奪い、多大な犠牲を強いているだけでなく、もしこれを放置すれば中東の抱える諸課題の平和的解決が半永久的に不可能になり、中東、さらには世界全体を、長期にわたる緊張と対立、破局に引きずりこみかねない危険なものです。日本は戦後、パレスチナ問題に関しては中東の人々の声に耳を傾けて欧米とは一線を画した独自外交を展開してきた実績があり、中東との相互理解・友好を深める交流は、市民レベルでも豊かに展開されてきました。このような蓄積・経験を今こそ生かし、人道的悲劇の回避と平和の実現のために力を尽くすことを呼びかけます。

2023年10月17日

呼びかけ人
飯塚正人、鵜飼哲、臼杵陽*、大稔哲也*、岡真理*、岡野内正、栗田禎子*、黒木英充*、後藤絵美*、酒井啓子、長沢栄治*、長沢美抄子、奈良本英佑、保坂修司、三浦徹、山岸智子、山本薫(*呼びかけ人代表)

※研究者・市民の賛同は次のサイトで呼びかけられている。
https://sites.google.com/view/meresearchersgaza/




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