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三輪修三『工学の歴史』 14 終章──工学史への招待

2020年02月03日(月)

大学の教養科目で,科学史をとった……と思う.
多少の興味があった.
経済学史は,いちおう経済学部だったから,選択したと思う.

書棚に,中岡哲郎さんの「私の毛沢東主義「万歳」」という本がある.
筑摩書房,1983年刊.
帯に,
現代技術と社会の動向に本質的な疑問を投げかける著者の,
文革かと現代化路線との二度の中国訪問を基に,
真正面から論じた現代中国論・技術論.
とある.

毛沢東のひきいる文化大革命については,いつも疑問があった.
語録は,悪くないとは思ったけれど,
だからその運動が悪くないかどうかは,わからない.
まぁ,それは置いて,「土法」の評価など,ちょっと興味を引いた.
技術の有り様や,技術者のあり方など.
毛が死んで,4人組が失脚し……,
スローガンはともかく,「土法」の世界は一気に「現代」に突入していった……かのように見えた.
よくわからないけれど.


三輪修三さんの「工学の歴史」(ちくま学芸文庫)は,2012年刊,
「機械工学史」として丸善から2000年に刊行された.
しばらく棚ざらしになっていた.

前年,大震災があり,フクシマの被災があった.
科学と技術,
科学と社会,
技術と社会…….

もうずいぶん前のことになるけれど,福知山線の脱線転覆事故があった.
運転士の問題,彼も含めたJR西の労務管理の問題……,そんなことが取り上げられ,
あるいは,ATSだったか,その未設置の問題,車両,線路の線形……などが取り上げられたけれど,
なにか未消化な印象があった.

フクシマについては,考えるべきことが多く残されたままのように思う.
専門家とされる人たちが,もうすこしオープンに議論を表に出すことが必要じゃないか,とも思う.

そう思うけれど,たとえば原発推進派と反対派がおなじテーブルで議論を交わすことは可能なのだろうかとも思う.

あるいは,自分の不勉強こそが問題なのかもしれないけれど.
それで,三輪修三さんの最後の部分,おもしろかった.

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『工学の歴史 機械工学を中心に』三輪修三 (ちくま学芸文庫 2012)

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14 終章──工学史への招待


 前章まで,機械工学が機械技術の発展と表裏一体となって成立し展開してきたさまを見てきた.最後に,この章ではこれをまとめて歴史の流れの大局をつかむ.その上で,機械工学という限られた窓を通してうかがい知った「工学」というものの一般的な姿と,その担い手について考察を加える.そして科学史とも技術史とも異なる「工学史」を新たに提唱し,その意義と役割を確かめたい.


14.1 まとめ──歴史に見る機械と機械工学の変遷

 本書でこれまで解説してきた各時代における機械と機械技術,そしてこれと連動して生まれ,展開してきた機械工学の発展をメガトレンド(歴史の大きなうねり)として整理し,眺めてみよう.メガトレンドを知ることは,時代の流れを大局的につかむ上でとても重要である.
(1)機械とは,昔は何よりも「重いものを動かすもの」であった.そこでは材料と構造の強さが技術者の最大関心事だった.
(2)近代になると,機械には大きな動力(力と運動の相
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乗積)が求められるようになり,速度が重要な役割を果たすものとなった.特に鉄道と近代造船は学問としての機械工学の形成と発展を促した.ここでは機械の運動構造の強さ,それに流体や熱などエネルギーに関する知識や学問が深められた.これとともに,技術の流れは従来の職人的技術から工学技術へと移っていった.近代的な技術者団体が生まれ,技術が体系的な学校教育の中に入ったのもこの時期で,これは工学の成立と発展の必須条件といえるものであった.
(3)20世紀に入ると機械の種類はますます増え,機械は巨大で精密なものとなった.このような機械の働きを安定かつ確実なものとするために知能化の必要が生まれ,20世紀後半にはコンピュータの利用が広まった.メカトロニクス,計測と制御,コンピュータ利用などの工学技術はここで生まれた.この時期には,技術の主流は完全に工学技術へと変貌する.
(4)20世紀の末期には人間の健康・福祉と地球環境の保全に人びとの関心が集まり,機械の分野でもこれらに貢献する新しい工学技術が求められるようになった.生体・福祉工学や安全工学,環境工学とその関連技術が生まれ,いまなお発展しつつある.他方では宇宙や深海のほか,生物模倣(バイオミメティックス)などのニュー・フロンティア,あるいは超高速,超高圧,極微など,「超」とか「極」の字がつく領域への挑戦が続いている.
(5)機械の材料と工作に関する技術は,ものつくりにと
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ってどの時代にも重要なものであり,それぞれの時代にふさわしい発展があった.最近の新素材の開発(複合材料など)や新しい加工法(電子ビーム加工など)の出現は機械性能にブレークスルーを与える強力な援けとなった.

 機械と機械技術,そしてこれに関連する機械工学の発展の姿を正しく掴むには,各時代の機械の移り変わりを見るだけでは不十分である.歴史上いつの時代でも先端技術が求められた.時代の性格は,特定の技術の発展を促す要因にも,あるいは阻害する要因にもなり得る.したがって,技術の生成・変化の姿をみるには技術の内側だけを見るのではなく,何がその時代の技術の駆動力となったか,言い換えれば,技術は何に奉仕するものだったかをあわせて眺めなければならない.こうすることで,過去だけではなく,現代という時代の特徴を知り,技術の将来をも展望できるようになるだろう.
 この意味で,マクロに見た各時代における技術の駆動源,先端技術の領域それに時代を代表する機械,その時代に生まれあるいは時代の花形となった機械工学分野を表14.1に掲げておく.


14.2 技術と科学と工学と

技術というもの
 技術とは所与の目的を実現させるための手段および手
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表14.1 歴史に見る各時代の先端技術領域
代表的な機械と機械工学
[省略]



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段の体系をいう.与えられた自然環境と社会環境の中で人間が生きていくとき,技術は生活に欠くことができない.社会を統括する技術が政治であり,社会の中で生ずる個人や組織の利害関係の理性的調整をめざす技術が法律である.こうしてみると人間の営みにはすべて技術が関係する.医療演劇,音楽,料理,ゲーム,スポーツなど.これらのすべてに技術が関わっている.ただし,本書では「ものつくり」の技術に話題を限定した.
 技術には目的があり,目的の実現にはそれにかなった手法がある.技術では目的が同じでもいろんなやり方があって,“唯一の正解”というものがない.視点の置き方によって“正解”はいくつでもあり,結果はむしろ個性的である.これが技術の本質的な特徴で,この点で技術は芸術と同じ(英語ではどちらもart)である.両者の違いは,技術は有用をめざし,芸術は美の追求にあるにすぎない.

技術と科学
 アメリカ航空宇宙局(NASA)の初代所長で20世紀最大の流体工学者の一人,テオドール・フォン・カルマンはいう.
 “The scientist explores what is,the engineer creates what had not been.”
「科学者は既存のものを探求し,技術者はまだ存在していなかったものを創造する.」
これは科学と技術の違いを適切に言い表わしている.科学
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はものごとの本質を究めようとする知的な営みである.自然を合理的に説明して統一的に理解する営みといってもよい.だから,西洋の知的な伝統の中では,科学は哲学や宗教の同類と考えられていた,合理的な説明を求める科学の働きは原因の追求を第一義として,つねに唯一の正解をめざす.これに対して,技術は定めた目的の実現をめざす実践的な「手の」わざである.知的な営みの科学と手のわざである技術,原因志向の科学と目的志向の技術,唯一の正解を求める科学と正解などは本質的にありえない技術.こうしてみると技術と科学の相違は歴然であろう.技術は科学の応用だ,という見方は人びとの間に根強い.この見方はたかだか19世紀中期以来のものである.物理学と化学の発展により,科学の成果に立って新しい技術が開発され,新しい産業が華々しく興ったところからこの見方が生まれた.20世紀はじめの電気産業や化学工業に始まって,現在では超伝導や生命科学の成果の上に高度な先端技術が次々に開発されている.いまや科学は自然の探求という「高貴な」目標から離れて技術で優位を得るための素材となり,科学は技術の一部となってしまった観がある.日本語の「科学技術」ということばはいかにもこの状況にふさわしい.
とはいえ,やはり技術は科学とはちがう.原理がわかればただちにものができる,というものではない.技術にはそれ自身,科学とは異なる独自の論理と方法がある.科学は対象を要素に分解して分析(analysis)を試みる.分析
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して要素がわかれば全体がわかるだろうというわけだ.科学的思考の基盤にあるのはこの「要素還元主義」(reductionism)である1).これに対して技術では要素の分析と理解も必要だが,何よりも全体的な観点に立つことが求められる.技術的行為の典型である設計(design)という作業においては,その過程で必ずつきまとう相反する条件の妥協と調整を繰り返しつつ,目的に沿ってバランスよく全体を一つにまとめ上げていくのである.つまり技術とは,全体となってはじめて発現する特有の性質と働きを考える「全体論」(holism)の立場に立つ総合(synthesis)の営みなのである.技術が科学と一体になったようにみえる現代こそ,科学と技術の違いとそれぞれの特質をよく理解しておかねばならない.

技術と工学
 歴史的にみると,ほとんどの技術は経験から生まれた.技術が蓄積され,技術のレベルがある段階に達すると個々の技術的経験の一般化が試みられる.ここで技術はものの原理を教える科学,とくに論理的な数学との結びつきが始まる.こうして理論化され,一般化された技術の知識の体系が「工学」(engineering/engineering science)である2).すこし荒っぽいけれども一言でいえば,工学とは

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1)最近の「カオス」の発見は科学の世界でも要素還元主義的なものの見方に変更を迫っている.
2)工学とは明治政府がつくった新造語で,これに正しく対応する


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「ものつくりの科学」,あるいは「技術の科学」といってよい.
 ところで,工学には理論工学,経験工学,実用工学の三つがある3).理論工学とは科学的な理論に導かれる工学,経験工学とは経験的知識の集積としての工学をいう.たとえば,鉄道工学は歴史的には理論主導ではなく,経験工学として成立した.実用工学とは「約束ごと」に関わる工学である.製図法,ねじの形状や寸法を定める規格,機械部品の工作精度とその等級,機械振動の許容値などは実用工学の例である.実用工学は技術的な要求と経済的な配慮の接点に生まれる工学ともいえる.技術という営みは唯一絶対の真理を追求する科学とは異なり,理論が与えられていなくても「もの」をつくらなければならず,製品は実用性に加えて経済性や安全性をも兼ね備えていなければならない.これらの要請に応えることが工学の宿命であり,特徴である.

現代工学の広がり
 人類の出現以来,長い歴史と伝統を持つ「ものつくり」

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英語はない.英語のengineeringは「エンジニアの(職業活動に関わるもろもろの)営み」をいい,工学の意味を含みつつさらに広い内容をもつ.英語ではengineeringとtechnologyは厳密に区別され,これらを単に工学,技術と訳したのでは十分に意を尽くさない.ともに日本語には訳しにくいことばである.
3)元国鉄・鉄道技術研究所技師,日本機械学会元会長の国枝正春氏の指摘による.


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の技術がはじめて現代的な工学として現われたのは,6章,とくに6.4と6.6で述べたように,イギリスにおける近代的技術者団体の発足と,王制フランスでの国家による技術学校の創設の時期といってよい.技術の工学化はまず土木,次いで鉄道を契機に機械の領域で始まった.古代からの歴史と伝統をもつ建築学は美術系(この系列の重要な柱の一つに建築史[内実は様式史]がある)と工学系とで構成され,工学としての展開は土木や機械とは様相を異にする.電気工学と化学工学は,20世紀はじめに科学を母胎として生まれた産業化の当初から工学として成立したといってもよいほどである.このように,ひとくちに工学といっても,領域によって成立や展開のようすはかなり異なっている.
 現代では,工業を中心とする産業技術の広がりや深まりとともに,工学の範囲は格段に広がっている.20世紀の後半になると,対象が“もの”ではなく「技術を対象とする技術」ともいうべき分野で管理工学,システム工学,情報工学などが現われた.数値解析やシミュレーション技術に関わる数理工学,計算工学などもこの時期のものである.現代では他領域とクロスオーバーする分野で新しい工学が続々と生まれており,生命工学,生体工学,医用工学,福祉工学,スポーツ工学など,果ては金融工学に至るまで,ことばだけでいうと工学の範囲の広がりは驚くばかりである.「工学」と名の付くこれらすべてに共通する構造や性格などについてはここで論ずる余裕はなく,識者の
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考察を俟つこととしたい.
 工学の範囲はいまこのように途方もなく広がっている一方で,土木や機械など古くからの伝統的な工学においても,当該領域内部での専門化・細分化が著しい.機械工学を例にとれば,日本を代表する機械の専門家団体,日本機械学会の活動分野(2006年現在)は次の21部門に及んでいる.
 A.工学基礎分野:計算力学,材料力学,流体工学,熱工学,機械力学の5部門
 B,設計製造分野:設計工学,機械材料,機械要素・潤滑,生産加工,生産システムの5部門
 C.応用システム分野:動力エネルギーシステム,交通・物流,宇宙工学,情報・知能・精密機器,バイオエンジニアリング,環境工学など9部門
 D.その他の分野:技術と社会(技術史・工学史,技術教育,技術者倫理など),分野横断的・新領域対応(法工学を含む)の2部門


14.3 工学史への招待

工学の成り立つ場──技術者教育の過去と現在

 話を再び“ものつくり”の技術と工学に戻すこととしよう.工学は何らかの技術的要請から生まれるが,工学を産み出し推進する場は,第一には技術の研究と教育の場,工科系の大学である.現代では国家による科学や技術系の研
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究所,企業内の技術研究所が大学と並んで,時にはそれ以上に重要な位置を占める.工場等,技術の現場は「工学」の種の宝庫であり,またそこにおいてこそ工学は具体的な実を結ぶ.
 ところで,技術はつねに新しいものを求める.その技術を開発し担うのは人間,直接的には技術者(工学者を含む)である.彼らが抱く考え方や価値観は,産み出される技術の性格を左右する.そこで,現代技術者のもつ考え方や価値観はどのように作り上げられてきたか,技術者教育の歴史を簡潔に眺めてみよう.

 近代技術者教育の誕生と展開
 すでに6.5で述べたように,17世紀から18世紀になると西ヨーロッパでは国民国家が成立し,国家ごとに産業技術の発展がみられた.とくに強国フランスでは国家的要請から土木,鉱山,軍事などに関する多くの国立技術学校が創られ,国家の手で有用な技術者の養成が行なわれた.大革命後もこの方針は変わらず,革命政府により1794年,世界初の高等理工科学校,エコル・ポリテクニクが創られた(7章参照).この学校は国防省に属し,最強の教授陣による極端なエリート教育と軍隊的な詰め込み教育によって大きな成果を収めた.ヨーロッパ各国はただちにこれに倣い,アメリカがこれに続いた.日本の工部大学校(東大工学部の前身)の創立は1873年(明治6年)のことで,工学の高等教育では先進各国と比べて遅すぎるものではない(12.4参照).
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 こうして19世紀の末には官界・産業界をリードする高級技術者は学校出であることが当たりまえとなった.官界・産業界のほか,大学や研究所等も彼らの活躍場所であり,そこでは工学の研究と教育が強力に推進された.20世紀の偉大な工学技術の発展は,彼ら学校出の高級技術者・工学者たちの活躍に負うところがきわめて大きい.

 現代の技術者に求められるもの
 21世紀の現代は,政治・経済をはじめ,すべてにわたって激動の時代である.大量生産と大量消費による資源・エネルギー問題の顕在化,そしてこれにともなう価値観の変化など,人文・社会環境の激変がある.このため,従来の技術発展の方向と内容に対して,深刻な反省の声が世界中に広がっている.
 ところで,現代技術者の性格は学校教育によって強く方向づけられる.現代の工科系大学における教育は,エコル・ポリテクニク以来の伝統を引き継ぎ,工学技術の専門知識だけに特化して「わき目もふらず目標に向かって突進する」軍隊的なものである.そこでは技術者にプロフェッショナル(社会に責任をもつ高度の専門職のこと;単なる専門家ではない)としての常識を与え,見識を養う教育は(公共的性格の強い土木と建築系は別として)皆無に近い.技術者が社会の中で尊敬されるプロフェッショナルとして職業活動を行なうには,その地位にふさわしい識見と行動規範を与える学問・知識が必要である.たとえば,技術史・工学史,技術論(技術哲学),技術社会学,技術倫
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理,関連法規などが挙げられよう.この中には実社会での訓練と経験の中で体得できるものもあるが,学校でこれらの基礎を系統的に教えておくことが肝要である.工科系大学では,従来のカテゴリーによる専門科目に加えて,これらを含めたカリキュラムのソフト化が求められる.

工学史のすすめ

 工学史について自分の歴史を勉強せず,研究も教育もしない工学のことを‘粗野で野蛮な学問”と評した人がいる.考えれば,工学は文化,工学の成果としての技術製品は文化財でもあるのだ.成熟した学問なら必ず,自己理解と自己反省のためにみずからの歴史を研究し教育するのが本来の姿だろう.人間の営みである過去の遺産を無視しては現状の正しい認識も将来の見通しも立たず,研究も教育も的外れとなる恐れが多分にある.ところが工学の世界では前進のみが価値であって,過去を問う歴史なぞは趣味か道楽に過ぎない,という見方が専門家の間ではいまも根強い,だが,これは間違っている.「専門家は誰でも,自分が携わっている分野の歴史に明るくなければならない」とは,欧米では伝統的プロフェッショナルの要件といわれている.
 江戸中期の儒学者荻生徂徠は,彼の漢学入門書の中で「経学ハ本ナリ,然レドモ史学ヲセザレバ体ノミニシテ用ナシ」と教えている.「経」とは出来上がった不動の知識,与えられた原理原則のこと,「史」とは変化を生み出
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す過程のことだ.幕末期,洋学の大先輩,箕作阮甫(12.3参照)はこの「経と史」という考えを重視した.科学でも技術でも,その本質は,出来上がったものよりもこれが創られ変化していく過程にある.「技術の科学」である工学でも同じこと.ものごとの変化のさまを眺め,変化を生み出す力を探る「史」の観点は「知識を産み出す知識」を与え,創造力の源となる.こうしてみると,科学や技術,そして工学における歴史の大切さは明らかであろう.
 工学史は.科学史や技術史にくらべてほとんど未開拓の分野である.工学というものはもともと技術界外部の人びとにはなじみが薄く,その中味や発展のさまを知る機会はないに等しい.一方,技術界内部の人間はひたすら前進をめざす「手の人」であって,過去を問う歴史への関心がないか,あっても当面の仕事に追われて歴史を見つめる暇もない.さらには歴史を研究しても学会や大学等で評価されない.こういった事情が,工学史が未開拓のまま放置されている主な理由であろう.工学史への幅広い理解と研究・教育を強く望みたい.

工学史を学ぶ意義

 現代では,科学・技術の成果が世界を覆い,満ち溢れた人工物が地球環境にも社会環境にも深刻な影響を与えている.技術,それも工学に基づく現代の高度技術が世界の命運を左右するほどになったいま,「技術の科学」である工学の重要さは改めていうまでもない.このような状況の下
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にあっては,工学技術に関わる学生・教師・研究者・社会人技術者は当然として,技術畑ではない一般の人びとにとっても,現代社会の大きな知的財産の一つである「工学」に深い関心を寄せ,工学がどのように生まれ発展してきたかの歴史,つまり「工学史」をぜひ学んでほしい.最後に,工学史を学ぶことの意義をまとめて述べておく.
(1) 現代の技術(産業技術)とこれに関わる工学の範囲と内容は果てしなく広がって,当事者ですら全体が見えなくなってしまった.これは危険なことである,しかし,歴史によってこれを過去からの「変化のすがた」として捉えれば,全体を総合的・立体的に把握することができる.
(2)重要な工学概念・原理・法則などを「与えられたもの」としてではなく,着想から論争を経て定着に至る「創造のダイナミズム」の中で捉えることができる.この立場の歴史は内部史(internal history),あるいは学説史といわれる.
(3)技術は社会を変えるが,社会もまた技術のすがたを強く規定する.各時代,各場所で社会は技術に何を求めてきたか,あるいは何を忌避したか.このような「技術と社会との関わり」を歴史の中に見れば,技術ならびに工学の生成・変遷のありさまがわかり,未来への手がかりが得られる.また,人類の文化と文明における技術の功罪について幅広い視野をもつことができる,この立場の歴史を外部史(external history),または社会史という.
(4)時代を切り開いた技術者・工学者の姿と生きざまを
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歴史の中で見ることで,ある状況に置かれた個人の決断と行動の正しさと限界,あるいは歴史における個人の役割を知ることができる.これは技術と工学の世界で専門職業人(professional)として生きようとする者にとっては,自分への励みと反省を与える,他方,技術に直接関わりのない一般の人びとにとっても,事を成した人間の生きざまについての感慨はひとしおのものがあるであろう.

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