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片山善博 日本を診る(153)広島県安芸高田市長と市議会との対立――そこに地方自治改革のヒントが見える 【世界】2022年08月

2023年01月31日(火)

「地方の時代」がいわれはじめて,すでに半世紀近くたつのだろうか.
そのころだったか,幕藩制復活?を言う論者がいた.

ずいぶん後になって,北欧の「地方分権改革」のレポート……でよいと思うけれど,
「北欧の地方分権改革―福祉国家におけるフリーコミューン実験」(日本評論社 1995)
が出た.おもしろかった.
……というか,たぶん1970~80年代に,相当の議論がなされたのだろうと思う,その成りゆきについてのレポートということだったか.
ただ,ひと言で地方自治体というけれど,国,地域によって,具体的なあり方はいろいろありそうだな,と.
この列島の国の,どの「地方」に行っても同じ制度的枠組みのなかにあるようだけれど,
あちらの国,地域ではちょっと違っているみたいだな.
もちろん枠組みは同じでも,中身まで同じとはいえないのかもしれないけれど.


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【世界】2022年08月

片山善博の「日本を診る」(153)

広島県安芸高田市長と市議会との対立――そこに地方自治改革のヒントが見える


 広島県安芸高田(あきたかた)市における市長と議会の対立の話をしばしば聞く。マスコミの取材を通じてあらましを知らされるだけだが、そこにはわが国の地方自治が現在抱えている課題とその改善のための貴重なヒントが含まれている。
 安芸高田市では、二〇一九年の参議院議員選挙をめぐる大規模買収事件に関連して前市長が辞任し、その後の選挙で当選したのが、石丸伸二市長である。石丸市長は地方議会改革などの政治改革を標榜する。
 市長と市議会との対立に関する主な出来事を拾い出すと、まず就任後初の市議会期間中、議場で居眠りをする議員がいることをツイッターに投稿した。これを踏まえてのことだろうが、市長は市議会全員協議会に呼び出され、そこでは一部の議員から「議会を敵に回すと政策に反対するぞ」との発言があり、それを市長は恫喝(どうかつ)と受け取ったという。
 二〇二一年三月、市長は空席だった二人目の副市長の選任について同意を求める議案を議会に提出したが、議会はこれを否決した。この時を含め、この副市長選任同意議案は都合三回提出され、いずれも否決されている。
 二〇二二年三月に議会は副市長の定数を一人に減らす条例改正を議員立法で成立させた。二人目の副市長の提案を阻止する狙いがあったのだろう。これに市長は反発し、対抗手段として本年六月議会に市議会議員定数を半減させる条例案を議会に提出したが、議会側はあっさり否決した。

■たかが居眠り、されど居眠り
 はじめに議員の居眠りについてである。市長は、議員は市民の代表として議会に臨んでいるのだから、居眠りなどもってのほかだとの考えなのだろう。居眠りをしている議員は市民の負託に応えていない。そのことを市民に知らせる意味もあってツイッターに投稿したのだと思う。
 議場で居眠りをする議員がいるのは、安芸高田市議会に限ったことではない。これをどう捉えるべきか。たしかに居眠り議員がいることは望ましくない。ただ、日本の地方議会の運営方式には居眠り議員を生み出す素地がある。そこでは、議員一人ひとりが市長との間で質疑を交わすことに多くの時間を費やす。質問の多くは、提出されている議案とは直接関係がない。質問者以外の議員は手持ち無沙汰で、あたかも議場の装備品あるいは質問者の引き立て役のような印象を受ける。こんな状態が日がな一日続くなら、居眠り議員が出てもおかしくない。
 ここから地方議会改革のヒントが得られる。アメリカの自治体議会では、議員ごとに質疑を行うのではなく、提出された議案ごとに審議を行うのを通例とする。議案は議員全員が関心を持つべき事項だから、議員が手持ち無沙汰ということにはならない。
 市長が居眠り議員のことをツイッターに投稿したことをどう考えるべきか。筆者は否定的に捉えている。理由の一つは、これをやりだすと泥仕合に陥りかねないからだ。市長が投稿するなら、議員だってする。「今、市長があくびをした」などと十数人の議員が実況中継するようになったら、市民はあきれるほかない。
 二つ目は、居眠りを含めて議場でのことは議場で解決すべきと考えるからだ。市長が答弁している折に「○○議員、居眠りをやめて下さい」と諭せばいい。市長の発言は議事録に残る。これが常道である。
 筆者の鳥取県知事時代の経験を持ち出すと、答弁中にいびきをかいている議員がいて、耳障りだったので答弁をしばし中断した。議場にはいびきの音だけが響き渡り、議員たちの視線は居眠り議員に集まり、苦笑と嘲笑の的となった。この後、居眠りをする議員はめっきり少なくなった。
 三つ目は、ツイッターなどでは、検証を受けない情報が一方的に発信されることによる弊害があるからである。単なる居眠りではなく何らかの疾患が原因の昏睡(こんすい)もあり得る。これは、ツイッターに投稿してあげつらうことではなかろう。でも、一旦発信してしまうと取り返しがつかなくなる。
 これに関連して、今から四〇年以上前のことが思い出される。ある有名女優が新幹線の中で、男が酔いつぶれたように意識をなくし、失禁している姿を目撃した。男の襟に代議士バッジがあったことから、女優はとんでもない「オシッコ議員」だとメディアで暴き、議員は政治生命を失った。
 ところが後日判明したのは、その議員は糖尿病を患っていて、その日は適切な措置を怠っていたことから泥酔のような様相を呈したのであり、酒を飲んで酔いつぶれていたわけではなかった。決して非難されるようなことではなかったのだが、政治家として二度と復権することはなかった。
 ちなみに、この代議士の後を継いだのが当時中小企業庁長官だった岸田文武氏で、岸田文雄総理のお父さんである。もし、女優の「誤報」がなければ、その後の道行きは違っていたはずだから、岸田総理も政治家になっていなかったか、なるにしてももっと遅かったか。感慨深くこのことを思い出す。

■最後は議会の決定に従う
 念のためにもう一つ、市長と市議会との基本的関係について取り上げておく。石丸市長は副市長の選任議案を議会が否決したことが許せなかったようだ。全国公募を経て太鼓判を押せる人物を提示したのに、議会が否定したのはけしからん、ということだろう。
 しかし、副市長人事について議会が最終決定権を持つのは地方自治のルールである。市長の提案を議会が否決したからといって議員を非難するのはお門違いである。市長は、何ごとも根回しなどしないで真剣勝負するとの考えの持ち主のようで、その志やよし。筆者もそれに同感だし、似たやり方を鳥取県知事時代にやっていた。
 ただ、筆者は最終的には議会の判断に従うことを信条としていたから、県議会で否決されたからといって(実際に否決されたことはあった)、県議会議員を批判したりしなかった。良かれと思って議案を出したが、別の見方や考え方もあったのだなと納得していた。
 マスコミ関係者から、もし片山さんが安芸高田市長だったら、副市長の選任問題をどう取り扱われたかと尋ねられた。まず、自分なら副市長候補を公募で選ぶことなどしないだろうと答えたことは脇においておく。その上で、どうしても公募で選びたいのなら、あらかじめその方式自体を議会で議論しておく。地方都市で市役所のナンバー2を全国公募することには議員だけでなく市民の間にも抵抗感があるはずだからだ。
 公募方式について議会の了解が得られたなら、候補者の選定作業に入る際に、「議会の同意がなければ任命には至らない」ということを応募する人たちに明確に伝えておかなければならない。議案が否決されても内定者の立場が著しく悪くならないようにするためである。
 最終的には議会の判断に従う。この原理を前提に、公の場で議員たちをいかに説得するか。世の中には、自分の考えをうまく言語化できない人もいる。議員の中にもいる。その人たちの言いたいことに謙虚に耳を傾ける。こんなことを実践していると、市長と市議会との相互理解も対話も進むのではないか。以上、参考までに記しておいた。

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