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(評・映画)「暴力をめぐる対話」 デモ弾圧問う、本物の言葉


映画評に、フランスの映画、「黄色ベスト運動」のドキュメントがあった。
写真は、外国の街角、記事を読んで、フランスなのだと分かる。
白いもやがかかっているような背景、たぶん、催涙ガスだろうか。
カメラがこちらを向いている……。

この国では、さいきんあまり見かけないようだけれど、
そう、もう半世紀も前か。
なぜだろう……,ちょっと自問することもある.
それで,なにか答えが得られるわけではなく,頭のなかは混乱するばかり.

さいきん,年金改革でフランス社会がかなり紛糾しているとの報道.
かの国では,年寄りだけではなく,若い人も加わって,マクロン政権の年金改革に反対を訴えているとある.
この列島では,若い人と年寄りの利害対立をあおるような発言の方が目立つ,
ちょっと見方に偏りがあるかもしれないけれど,そう見えるときがある.
ほんとうにそうだろうか?

……なぜだろう,と思い返す.
列島の国,半島の国,あるいはあの巨大な大陸の国……,
ときどきよく似ているんじゃないか,と思えることがある.なにが似ているんだろう.
ひとつ,大学受験.

若い人たちは,どうしているんだろう.
年寄りたちは,どうしているんだろう.
ちょっと考えが浅いのかもしれないけれど,
老若に,そんなに利害の対立があるとは思えない,
そして,最近はやりの労働のあり方の議論をみていると,
むかしの年功序列と言われていた仕組みのどこが悪いんだ,とすら思えてくる.

若さの暴走だったろうか,
すでに半世紀を過ぎてしまった.
そのころ,老若が対立していたわけでもないように思う.
若い暴徒を,支持していたというわけではないだろうが,
お巡りさんに追いかけられれば,若い暴徒をかばうおとなたちが少なくなかった.
どういうふうに見ればよかっただろうか.
……なんてことを,振り返る.


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(評・映画)「暴力をめぐる対話」 デモ弾圧問う、本物の言葉
2022年9月30日 16時30分

[写真 「暴力をめぐる対話」の一場面]

 かつてジャン=リュック・ゴダールは、映画がiPhoneを存在しないとすることはもうできないと語った。本作は市民が撮影したスマホ動画が主役のドキュメンタリー。晒(さら)されるのは警察がふるう暴力だ。政治もまた、スマホが存在しないふりはもうできない。

 2018年、富裕層に優しく貧困層に厳しいマクロン仏大統領に抗議する「黄色いベスト運動」が勃発。警察はデモ参加者を弾圧した。警棒で叩(たた)かれ、暴徒鎮圧用の武器で目や手を失い、恐怖や苦しみで叫ぶ人々。そんな異常事態をスマホはたしかに目撃していた。

 ジャーナリストのダヴィッド・デュフレーヌ監督は、それらの映像を集め民主的な対話の場を設置。椅子に座るのは当事者や有識者24人。社会的属性を超え忌憚(きたん)なく発せられる言葉の応酬は、時に本質を突く。とりわけ名もなき市民の勇気と知性に心打たれる。

 映画は警察による暴力の「正当性」を問う。そして結果的に、民主主義が形骸化した時代の多様な形の暴力まであぶり出す。誰かが言う。「今は体系的な暴力が強い。その根源は現場から遠く離れており、責任の所在がわからない」

 政治が一部の層のためのものに見えるのは、もはや世界的な傾向か。日本政府は反対の民意が強いなかで、国葬の開催に踏み切ったばかり。暴力の発露の仕方こそ違えど、民主主義の崩壊は国境を越え地続きの問題なのだろう。

 コロナ下の本国で異例のヒット。公開後に警官の顔の撮影を禁ずる法案が出されたのは、本作の影響もありそう。偏向報道が横行するなか、本物の言葉が詰まった気骨溢(あふ)れる重要作だ。(林瑞絵・映画ジャーナリスト)

 ◇東京で公開中。順次各地で
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