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寺島実郎 脳力のレッスン(245) 近代民主主義の成立要件と二一世紀の模索――資本主義と民主主義の関係性(その3)

2023年04月23日(日)

世界の人口についての国連の予測が公表されていた.
だいたい予測に沿って変化するんだろうなと思う.すくなくとも2,30年程度の範囲では,ほぼ予測どおり,さらに長期についても,流れは変わらないんだろうな,と感じる.

人口が独立変数なのか,なにかの従属変数なのか,不勉強でなんとも言えないけれど,
この列島の国に関する人口学の見通しは,ほぼ予測どおりだったように思う.
いや,当時,総人口の中位推計は,すこし願望を、あるいは政治的な妥協?を含んでいるんじゃないかと思った。むしろ低位推計の方が当たっていそうだな,とか.

民主主義……か.
よくわからない.
もし多数が正義であるなら、遠からずインドや中国,さらにアフリカ諸国が,正義を旗を振ることになるのかもしれない.
アメリカは,いずれに「白人の国」ではなくなるんだろう。そのとき,彼らの正義はどうなっているだろうか.
その一方で,人がつくる政治的な制度は,人口規模とどのような関係がありそうか,と思うが,
あるいは無関係ということもあるのだろうか.

おおむかし,コンピュータが進化して,計画経済の需給にかかわる基礎的計算を俊次に実行するようになる……みたいな話もあったのではなかったろうか.
政治的な意志決定は,さてどうなるんだろうか.

……などと,すこし考える.
選挙という仕組みは,そんなに優れたものなんだろうか,とか,
宮本常一さんが,対馬の小さな漁村における「寄合」……でよかったか,村の中の問題解決のための合意形成,なんてかたいいいかたになりそうだけど……について書いていた.
長老がなにか言う,四方山話があって,なんとなく解散.
また何度か寄合があって,気がつくと,村人の合意ができあがっている……というような.
もちろんそんな寄合を,永田町,霞ヶ関でやるというのは,まったくの非現実だろうけれど.
いや,永田町や霞ヶ関に住人たち同士は,似たようなことをしているんだろうか.


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【世界】2022年11月

寺島実郎 脳力のレッスン(245)

近代民主主義の成立要件と二一世紀の模索――資本主義と民主主義の関係性(その3)


 「民主主義の危機」が叫ばれ、「民主主義の機能不全」が語られる中、重心を下げた民主主義の再考を試みている。とくに、民主主義とそれを成立させる要件としての経済的基盤の関係にこだわり、現代中国の「国家資本主義」と「人民民主主義」の構造的解明(本連載240)、アテネの古代民主制を成立させた経済基盤の確認(本連載241)と論稿を重ねてきた。これまでの考察で確認できたことがある。一つは、民主主義の成立には社会的意思決定に参画する「民」を支える経済基盤の確立が必要で、古代アテネにおいても、アテネ市民層を成立させる地中海経済圏における経済基盤が存在していたことである。さらにもう一つは、「民主主義=民衆(デーモス)による支配」は民衆の意思決定力への信頼によって成立するわけで、それは人類史における人間の「意識」の深化(自らの運命を自らが決める志向)と相関していると思われることで、世界宗教(仏教、中東一神教)の誕生とアテネ民主制の黄金期が約二五〇〇年前に同時進行したことは偶然ではないと思われることである。どちらも、人間の心の深奥において自らの存在の意味を主体的に問いかける意識の高まりが基点となっているのである。

■近代資本主義と民主主義の相関性
 次に確認しておきたいのは、近代民主主義とその経済基盤である。日本においては、一九四五年の敗戦後、「戦後民主主義」が唐突に持ち込まれ、日本人は改めて「資本主義と民主主義は相関していること」を認識させられた。戦前の明治期日本にも、資本主義と民主主義は一定の意味において存在した。「殖産興業」の旗印の下に、国家主導の産業開発が進み、「日本資本主義の父・渋沢栄一」に象徴される日本型資本主義が芽吹いたことも確かである。だが、資本主義と民主主義の相関という観点からすれば、明治期日本のそれはあまりに歪んでいた。明治憲法の下に一定の民主主義(国会開設、代議制、内閣制度、法治主義)は存在したが、国体の基軸は「天皇親政」を希求する国家主義、国権主義によって貫かれていたのである。
 欧米社会が積み上げてきた「資本主義と民主主義の相関性」を日本人が理解する上で大きな役割を果たしたのが大塚久雄であった。大塚が「資本主義と市民社会――その社会的系譜と精神史的性格」(『世界史講座』第七巻、弘文堂)を書いたのは一九四四年であり、戦時中であった。その後、「近代化の歴史的起点――いわゆる民意の形成について」(『季刊大学』創刊号、一九四七年)において議論を深め、「民主主義と経済構造」(『思想』一九六〇年一一月号)で西欧における近代民主主義の成立とその基盤としての経済構造の相関性を検証した。戦後日本の「政治の季節」が最も熱気を孕(はら)んだ六〇年安保を背景にこの論稿は書かれたのである(これらの論稿は『資本主義と市民社会』所収、岩波文庫、二〇二一年)。
 大塚は「民主主義と経済構造」において、『ロビンソン・クルーソー』の著者ダニエル・デフォーの『イギリス経済の構図』(一七二八年)を紹介し、英国の産業ブルジョワジーの代弁者でもあったデフォーは、一八世紀初頭のオランダと英国を対比し、オランダ共和国は国際中継貿易で繁栄を築いてきたとして、「経済の基幹をなす循環が対外依存的である」ことがオランダの弱点だと指摘する。これに対し、英国経済は「広範な勤労民衆を底辺に国民経済のほぼ全面が一つの共同の利益に結び合わされる構造を形成している」とし、議会制民主主義の定着が生まれる経済基盤がそこにあったことを強調した。
 確かに、一七世紀から一八世紀にかけての欧州史を俯瞰するならば、とくに北ヨーロッパに資本主義と民主主義を両輪とする「近代」が動き始めたことが分かる。宗教改革が吹き荒れた欧州において、最後の宗教戦争といわれた「三十年戦争」(一六一八~四八年)を経て成立したウェストファリア条約は、カルヴァン派の公認、スイス・オランダの独立、主権国家体制の確立をもたらした。それは中世的な宗教的権威を基軸とする体制からの解放を意味し、株式会社制による資本主義の起動、新たな社会的主体による近代デモクラシーの胎動という潮流を誘発したといえよう。
 英国においても、一七世紀は立憲政治(デモクラシー)の発展のための疾風怒濤の歴史であった。国王と議会の対立を背景とし、国王ジェームズ一世の処刑にまで至った「ピューリタン革命」(一六四〇~六〇年)による共和制への移行と王政復古(一六六〇年)、そして名誉革命(一六八八年)を経て、英国独特の経験知に立つ立憲君主制という形のデモクラシーを確立していく(参照:本連載162、163)のである。こうしたデモクラシー確立への背景には、英国の経済社会構造の変化があることは確かである。つまり、荘園制の解体の中から台頭した「ジェントリ」(騎士・商人から転身した中小貴族)や「ヨーマン」(独立自営農民)の存在、毛織物工業の隆盛によるマニュファクチュア(産業資本家)の登場などが、主体的な「民意」の形成の基盤になったといえる。
 市民デモクラシーの基礎原理とされ、近代を理論として成立させた文献とされるジョン・ロックの『政治二論』は、名誉革命直後の一六九〇年に書かれたものである。市民が主権者となる普遍的市民政治原理を示したものとして、米国の独立宣言、フランス革命における人権宣言、そして戦後日本の日本国憲法にまで強い影響を与えた。戦後日本で社会科学を学んだ者は、松下圭一などの著作を通じて「市民政府論」としてロックの理論に触れたものであるが、日本において「市民政治」の意義が浸透し、民主政治が成熟したかについては、今日的状況を考えても疑問が残る。
 英国の歴史学者A・トインビーは『歴史の教訓』(一九五七年)において、英国人にとっての歴史の教訓を「君主制と共和制の闘いを通じた節度を重んじる穏健な態度」と「米国の独立戦争を通じた植民地主義の限界という認識」という二点に集約している。国王を公開処刑する革命を経て「王政復古」を実現、「君臨すれども統治せず」という立憲君主制に辿り着いた英国が、トインビーのいう穏健な保守主義に至った過程を深く理解する必要がある。そして本年九月、在位七〇年を経て亡くなったエリザベス二世こそ立憲君主制の意味を国民に浸透させた存在であり、我々はウェストミンスターでの国葬への英国民の想いを通じ、それを目撃したことになる。

■資本主義の新局面――二一世紀への視界
 一七世紀初頭に世界最初の株式会社(英東インド会社:一六〇〇年、蘭東インド会社:一六〇二年)が登場して以来、世界は近代資本主義というシステムとそれと相関する形で並走した近代民主主義という主潮の中で動いてきた。その近代産業資本主義の大枠が、二〇世紀末の冷戦の終焉後の新局面として「核分裂」を起こし、「金融資本主義」と「デジタル資本主義」という新たなパラダイムを生じさせているという考察については既に論じた(本連載236、237「新しい資本主義」の視界を拓く)。資本と労働と土地という基本要素によって成立してきた産業資本主義は、金融技術の高度化による金融の肥大化とデジタル技術の進化によりまったく新たな局面を迎えているのである。
 資本主義はいかなる方向に向かうのか。資本主義の現局面と進路を再考するうえで、参考になるのはI・ウォーラーステインの『史的システムとしての資本主義』(原著一九八三年、新版一九九七年、岩波文庫・二〇二二年)であり、とくに冷戦後という時代を踏まえて一九九七年に付け加えられた「資本主義の文明」を含む増補改訂版が興味深い。ウォーラーステインは一貫して資本主義というシステムが内在させる問題、とくに「万物の商品化」と「資本の自己増殖」を批判的に論じてきた。その視界の中で、「二一世紀の資本主義」についての「将来見通し」として、「高度に分権化、平等化された秩序」を志向する世界潮流に資本主義システムが耐えられるのかという問題意識を語っている。
 すでに二一世紀に入って二〇年以上が経過し、ウォーラーステインの予感は彼の視界の臨界を超す主潮となっていると思われる。冷戦後の資本主義の変質(核分裂)として私が論じた「金融資本主義の肥大化」と「デジタル資本主義の台頭」という状況は、視点を変えればウォーラーステインのいう「万物の商品化」と「資本の自己増殖」の究極の実現形態ともいえる。仮想通貨は貨幣の商品化であり、巨大IT企業が主導するデータリズムのビジネス化は新次元の「資本の自己増殖」ともいえるのである。
 そして、こうした資本主義の変質がもたらした「格差と貧困」は「高度に分権化、平等化された秩序」を求める潮流を胎動させている。アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『アセンブリ――新たな民主主義の編成』(原著二〇一七年、邦訳二〇二二年・岩波書店)は新自由主義と金融の呪縛からの解放を目指すものであり、「所有を『共』(コモン)へと開く」ために、「多数多様性の政治参画」を実現する形態としての「アセンブリ」(集会、集合の形態)を模索するもので、世界における民主主義のための運動や闘争の組織化に向けた新たな形態を示唆している。
 資本主義の在り方への本質的批判、利潤の極大化(万物の商品化と資本の自己増殖)を目指す資本主義のパトスがもたらすものへの懐疑は、例えば人類が地球環境に責任を共有して能動的に関与するという視界を拓く「人新世」の議論にせよ、成長よりも公正な分配や共有を重視する「脱成長」の議論にせよ、おおむね欧州の学者、研究者が主導する議論である。さらに、世界を震撼させたコロナ・パンデミック後の世界に関し、フランスの知性とされるジャック・アタリは『命の経済』(原著・邦訳二〇二〇年、プレジデント社)という概念を提起し、先進国だけでなくグローバル・サウス(取り残されがちな南の途上国)の将来世代を見つめた公平で民主的な「命を守る経済」の確立を主張し始めている。
 つまり、資本主義に構造的批判を試み、本質的な資本主義の改革を語る「新しい時代のマルクス」は、何故か欧州に現れるのである。欧州と米国の資本主義の在り方に関する見方の断層、ここに問題の複雑さと解答の方向性が示唆されているといえる。「米国のビジネスはビジネスだ」という名言があるが、米国で一〇年以上も生活してきた私の実感でもある。骨の髄まで資本主義の国で、資本主義の総本山である。冷戦後の現代資本主義の一つの柱たる「金融資本主義」のプラットフォームが東海岸のウォールストリートであり、もう一つの柱たる「デジタル資本主義」のそれが西海岸のシリコンバレーといえる。
 米国流資本主義は極めて分かりやすく、「株主価値最大化」を目指す資本主義であり、投資効率を限りなく探求する資本主義である。すなわち、それこそがウォールストリートの論理であり、そのためには「借金してでも景気を拡大させること(成長)」を誘導するものである。
 デジタル資本主義の萌芽でもあったが、一九九〇年代に「IT革命」を主導した今日の「ビッグ・テック」(GAFAMといわれた巨大IT企業)がベンチャー企業だった頃、資金調達できたのは、「ジャンク・ボンド」(ハイリスク・ハイリターンの債券)のような仕組みが金融工学の成果として生み出されたためであったことを思い起こせば、金融とデジタルの相関が米国の資本主義に活力を与えたことが分かる。このことが「分配の格差」と「取り残された貧困層」という影の部分を内包していることも確かだが、「ウォールストリートの懲りない人々」は躊躇(ためら)うことなく新たなる金融派生型商品を生みだし続けるであろう。
 二一世紀の資本主義の進路は、この米国と欧州の資本主義の断層をいかに埋めるかにかかっているといえよう。さらにいえば、米国は資本主義の総本山であると同時に、自由と民主主義という理念の共和国であった。それぞれの出身地に何らかの事情(抑圧、差別、弾圧)を背負った人達が最後の希望を託して移住した「移民の国」であった。その米国が「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ現象に象徴されるごとく、他者を受け入れる余裕を失い、民主主義を正面から否定する分断の国へと変質しつつある。このアメリカの民主主義の揺らぎは世界秩序の動揺にもつながり、暗い影を投げかけている。この動揺にどのような復元力を見せるのか、米国の動向を注視せざるをえない。
 だが、何よりも日本人自身が責任をもって向き合わなければならない課題は、日本の資本主義と民主主義をどうするのかである。そのことは、敗戦を機に占領政策を受容する形で動き始めた「戦後民主主義」と「戦後日本型経済産業構造」の在り方について、根底から再考し、主体的に再構築することを意味する。二一世紀の日本が、「日本モデル」と胸を張れるような経済社会システムを創造できるのか。次は、そのことに論を進めたい。

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