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(ぶらりふらり)港区 タモリさんの「推し坂」、映す今昔 /東京都

2023年07月07日(金)

坂の街……だったかな.地方都市から,親に連れられて上京し,最初に住んだのが港区だった.古川沿い,しかし川の上に首都高速が突貫工事で整備され,川沿いに住んでいた人たちは,皆,よそに引っ越しを迫られたらしい.いま,一の橋に都営住宅があったか.
中学校は,芋洗坂にあった.いま,名称が変わった……というより,廃校になり,隣の学区と一緒になって,別の中学校になったというところなのだろうか.
隣の大きなビルの上の階から,下を眺めると,芋洗坂と,都道319号(?)に挟まれた中学校が見える.このあたりにむかしのニッカウヰスキーでよかったか,古い建物があった.都道はまだ開通していなかった.

ひっこして十番をとおって芋洗坂を上っていった.
しばらくして,引っ越した.もう転校するのはイヤだな,と.こんどは,地下鉄六本木駅から,アマンドの角を曲がって,芋洗坂を下って通ったのだった.
お上りさんには,坂の名前の由来とか,知らないことばかりだった.
そういえば,力道山の最後の場所とか,聞かされたことがあった.
都市計画道路の整備でかなり街並みが変わり,そして大きな高いビルが整備されるにおよんで,街はまったく変わってしまったようだった.
お寺やお墓もあったし,都営住宅があったり,庶民的な街,とくに坂の下の方はそうだった.
鯛焼きだとか豆菓子とか,庶民の食べ物だったのだと思う.

でも,懐かしく思い出すことがある.

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2022年12月06日 東京 朝刊 東京B・地域総合
(ぶらりふらり)港区 タモリさんの「推し坂」、映す今昔 /東京都

 タレントのタモリさんには「坂道写真家」という別の顔がある。愛用のカメラを携え、出没したのは、23区屈指の坂スポットの港区。区によると、名前がついた坂道は86。タモリさんの「推し坂」を歩いてみた。

     *

 六本木駅を出て、六本木交差点にある喫茶店「アマンド」の脇に「芋洗(いもあらい)坂」がある。かつて芋問屋があったことが由来という。この坂に合流するのは「饂飩(うどん)坂」。こちらは1788(天明8)年ごろまであった「松屋伊兵衛(いへえ)」という、うどん屋にちなむとされる。

 二つの坂が交わる三差路の西にあるのは、940(天慶3)年にできたと伝わる朝日神社。禰宜(ねぎ)の綿引崇さんによると、昔は山だった六本木の水源地に千年以上前、水の神様を祀る祠を建てたのが始まりという。その水源地から川ができ、その川筋が現在の麻布十番商店街の原形という。

 今では明け方まで人が行き交う繁華街だが「川の水脈がぶつかった地点とされる芋洗坂と饂飩坂の周辺には田畑が広がり、水が豊かな土地だったんです」。

 往時の雰囲気を伝える名前が、近くの坂に付いていた。芋洗坂を下った先の鳥居坂下交差点の近くにある「暗闇坂」。かつては木が茂り、昼でも暗かったことに由来するとされる。暗闇坂という名前の坂は都内に複数あるが、タモリさんが司会の番組「タモリ倶楽部」が以前調べたところ、麻布の暗闇坂がその時点で最も暗いとの結果が出たこともあったという。ただ実際に行ってみると、マンションや大使館などが立ち並び、特に暗さは感じなかった。

 暗闇坂のある周辺は坂に加え、歴史的なスポットや寺社が集まる地区でもある。暗闇坂を上った先にある一本松は、939(天慶2)年に、清和源氏の祖とされる源経基(つねもと)が立ち寄ったとの伝承がある。

 「現在の松で5代目。以前の松は1772年に失われたとの記録がある」。坂道に関するタモリさんの本の監修も務め、坂道研究家としても活動する山野勝さんが教えてくれた。長谷川雪旦の『江戸名所図会 麻布一本松』にも描かれ、山野さんは「当時の絵から坂道を輿(こし)や町人が行き交う姿、寺院や茶屋が並ぶ街のざわめきが伝わる」という。

 また面白いのは、ここは坂道が集まる場所でもあるということ。暗闇坂に加え、「一本松坂」「大黒坂」「狸(たぬき)坂」と四つの坂がぶつかり、タモリさんと山野さんはここを「名坂スクランブル」と呼ぶ。近くには徳川将軍の信仰もあつかった麻布氷川神社があり、そのそばには、要塞(ようさい)のような外観の安藤記念教会がある。

 同教会の長山信夫牧師によると、建設は1917(大正6)年。6年後の関東大震災や、太平洋戦争中の東京大空襲もくぐり抜けた。礼拝堂のステンドグラスは日本に米国様式のステンドグラス技法を持ち込んだとされる小川三知(1867〜1928)の作。長山さんは「今も多くの人が見学に来るんです」。

     *

 付近では現在、高層ビルの建設など再開発が進む。

 そんな様子を写し取ったのが、建設中の高層ビルを背景に「狸穴(まみあな)坂」にレンズを向けたタモリさん撮影の1枚だ。坂と最先端の建物が対になり、「再開発で激変する港区の今と、江戸の坂がガチでせめぎあう瞬間を残せた」とタモリさん。

 芋洗坂、饂飩坂、暗闇坂、狸穴坂……。どれも趣深い名前ばかりだ。山野さんは「坂の名前はもともと、商人が目印でつけた土地の記憶。ビルを建てるのはいいが、歴史は壊さないでほしい」と願う。

 かつての江戸の姿と東京の今。対比させながら坂道を歩くと楽しく、奥深い。(森下香枝)

 ◆朝日新聞デジタルでは、タモリさんが撮影した坂の写真などを紹介しています。こちらのQRコードからご覧いただけます。

 【写真説明】

(上)建設中の高層ビルを背景に狸穴坂を写したタモリさん撮影の1枚

(下)談笑するタモリさん(左)と山野勝さん=いずれも「お江戸・東京 坂タモリ」(ART NEXT刊)より

タモリさんと同じ構図で記者も芋洗坂を撮影。多くの人や車が絶え間なく行き交っていた=港区六本木
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