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本田和子さんの本のことなど

2023年04月24日(月)

さいきん本田和子さんの訃報を見た.
いつごろだったか,本田さんの書かれたものを読んでいた.
なぜ手にとって,読もうとしたのだろうか,
あまり覚えていないが,
あるいは仕事の関係があったか.

行政の乳幼児,あるいは初等教育のあり方に,すこし疑問があったかもしれない.
それで子どもの問題を考えてみたいと思ったのだろうか.

あるいは,ぜんぜん違っていたかもしれない・
もうずいぶん前のことになってしまう.
けっこう本棚に,著作がならんだ.
弘文堂が,
叢書・死の文化
を出していて,そのなかに,
本田和子『オフィーリアの系譜』
昭和の終わりから平成の初めのころだった.

そう,この叢書を眺めていたのだった.第Ⅰ期15巻とあって,とりあえず――

1 阿部謹也『西洋中世の罪と罰』
2 森崎和江『大人の童話・死の話』
3 大井玄『終末期医療』
4 米本昌平『遺伝管理社会』
5 本田和子『オフィーリアの系譜』
6 高木仁三郎『巨大事故の時代』
7 長尾龍一『政治的殺人』
8 日高敏隆『利己としての死』
……
あと,大岡信,香原至勢,加賀乙彦,野村雅一,養老孟司,小松和彦,粉川哲夫
の名前が挙がっていた.
おもしろかった,という記憶はある.すべて読んだか,どうだったか.

本田さんの本を読みながら,子どものころを思い出したり,
現実の小さな人たちに係る公共の対応を考えていたようには思う.
一方で,大井玄さんの本などで,高齢者の問題を考えたりしていたか.
もうすぐ「高齢社会」になろうとするころだった.
一方で幼保連携などが唱えられながら,まったく進展を見せていなかった.

そんなことをも出しながら、なんだ,課題はずっと同じだったんじゃないか,
と思うことがある.

Wikipediaをみると,本田和子さんの単著としてあげられていた……

『子どもたちのいる宇宙』三省堂 1980年
『異文化としての子ども』紀伊国屋書店、1982 のちちくま学芸文庫 1992年
『子どもの領野から』人文書院 1983年
『少女浮遊』青土社 1986年
『子どもという主題』大和書房 1987年
『子別れのフォークロア』勁草書房 1988年
『オフィーリアの系譜 あるいは、死と乙女の戯れ』弘文堂 1989
『フィクションとしての子ども』(ノマド叢書) 新曜社 1989年
『女学生の系譜――彩色される明治』青土社 1990年
『江戸の娘がたり』朝日新聞社 1992年
『少女へのまなざし』日本放送出版協会 1993年
『映像の子どもたち――ビデオという覗き窓』人文書院 1995年
『交換日記 少女たちの秘密のプレイランド』(今ここに生きる子ども) 岩波書店 1996年
『変貌する子ども世界 子どもパワーの光と影』中公新書 1999年
『子ども100年のエポック』フレーベル館 2000年
『子どもが忌避される時代 なぜ子どもは生まれにくくなったのか』新曜社 2007年
『それでも子どもは減っていく』ちくま新書 2009年
『ところで軍国少女はどこへ行った』ななみ書房 2019年

このうち,
異文化としての子ども
少女浮遊
子別れのフォークロア
オフィーリアの系譜
交換日記
は,じっさいに手にとった記憶があるが,ほんとうかな,
さいきんのメディアの報道などを信ずれば,
子どもの問題のなんであるか,
なにもわからないできたのかもしれない.
そういえば,子どもに対する虐待の話を活字で読んだのは,
たぶんもう半世紀近く前だったか,ある総合雑誌の記事だったように思う.
性的な虐待を特集していたか,ちょっと記憶はあいまいだけれど.

本田さんの本を手にとるようになってしばらくあと,
国立小児医療センター,今なんという名称なんだろう,
そこの小児科医らが名前をつらえる子どもの虐待を考える全国的な研究会が組織される.
子どもを殺す子ども……そんな話を読んだりしていただろうか.

なんだかとても無惨な思いが、残る.
なにが問題とされ、なにが人びとの視野から落ちこぼれていっただろうか.

本田さんの逝去は,メディアではあまり大きくは取りあげられなかった.
子どもを取り巻く環境,子どもの成長をめぐる問題が、いろいろ取りあげられるときに,
なんだかなぁ,とおもいながら.

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