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片山善博の「日本を診る」(162) 高市大臣が「捏造」だとした総務省文書から見えてくること 【世界】2023-05


「お役人」がどんなことをやっているのか,
多少の見聞から,偏ったことしか言えそうにないけれど,
改革でいつも公務員をやり玉にあげるのは,正しいことなんだろうかと思ってきた.
国で,公務員は,雇われ人だ,雇っているのは,フィクションとしては国民,
現在の仕組みでは,大臣が社長さんみたいなものだろうか.

大臣が頻繁に交代し,あるいは行政の経験がない(そういう場合が圧倒的に多い)のをいいことに,お役人が好き放題をしている……のだろうか.

ただ,お役人が,仕事についてやや保守的な方向に流れる――いや,そんなことはない,という話も聞くけれど――のは,お役人の立場に立てば,法令や,諸制度の由来を踏まえてのことだとも考えられなくはない,と思う.
その典型が,多くの公共施設.将来の運営管理のことを棚上げして,目新しく,かっこいい施設を建てたり,我田引鉄とかいわれていたじゃないか,と.
そんなとき,政治におもねる人もいただろうし,先行きをもっと慎重の検討すべきという人もいただろう.影響の大きさ,広がりを考えれば,どちらかというと保守に見えそうな「慎重な検討」となりそうだとも思う.
もともとお役人といっても,一色に染まっているわけではない.
元次官の方だって,面従腹背だなんていっていたじゃないか,と思う.それでいいじゃないか.
ただ,こじんの自己実現のためにお役人をやってもらっては,ちょっと困ることも多そうだなとは思う.全体奉仕者なんだから.

いや,いろいろ.
慎重に,前向きに,ちゃんと前後左右をよく見,よく聞いて……,か.

それで,雇い主の大臣は,政治家だった.
お役人の問題は,雇い主の問題でもありそうだと思うが.
よく知る人が,語っていた.


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【世界】2023年05月

片山善博の「日本を診る」(162)

高市大臣が「捏造」だとした総務省文書から見えてくること


 高市早苗国務大臣が捏造だと決めつけた総務省の文書に関する報道に接し、かつて自分自身が役所で体験したことに照らし合わせ、おそらくこんなことが進行していたのだろうと推察できるし、該当の文書は捏造されたものではなく、実際に官僚が作成したものに違いないと睨んでいる。

■問題の文書はどんな時に作成されるか

 筆者は、総務省の前身である自治省で官僚として勤務していた時、これに類する文書を自ら作成したことがあるし、後年総務大臣を務めていた時、当時の部下が作成した同じような文書をもとに報告を受けたこともある。
 では、どういう場合にこの種の文書は作成されるのか。それを理解してもらうために筆者自身の経験をここで取り上げておく。まず、官僚時代の経験からである。筆者は自治省税務局(現在の総務省自治税務局)で課長を務めていた。その頃、所管する事務に関して、ある国会議員から無理難題をふっかけられたことがある。それまでのルールを変えて、自分の関心事を特例扱いせよというのである。そんなことはできないので丁重に断ったところ、「お前のような融通の利かない役人は霞が関から追放してやる」とか、「自治省の法案は俺がつぶす。次官にそう言っておけ」などと凄んだのである。
 このたびの総務省文書では、放送法に関するやり取りの中で、首相補佐官から「俺の顔を潰すようなことになれば、ただじゃあ済まないぞ」、「首が飛ぶぞ」などと脅されたとのことだが、それと似た経験を筆者もしていたのである。
 筆者に凄んだ議員は、自分の要求が通らないと、実際に党の政策調整部門などの法案審議の場で、腹いせに嫌がらせをすることも実際にあったので、ほっておくわけにもい


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かない。
 そこで議員とのやり取りの顚末を一枚の報告書にまとめ、次官や局長に報告しておいた。その際、次官か局長が「たちの悪い人から因縁をつけられたね」と感想を漏らしたことを記憶している。このたびの文書でも、総務省の高官が「変なヤクザに絡まれたって話ではないか」と述べたくだりがある。似たような事件には、似たような会話が交わされるものだと苦笑させられた。
 筆者が総務大臣を務めていた時、部下の課長がその当時の与党の実力者の息のかかった議員に呼び付けられ、軽油引取税に関して自治体に通達を出して、あることを指示せよと迫られたことがある。これは件の実力者の強い意向だということも仄めかされたという。
 二〇〇〇年の地方分権改革以来、国が自治体に指示や命令を発することができるのは法律に根拠がある場合に限られる。この件は法的根拠がないので、自治体に通達を出して指示することなどできない。しかも、当時の政権が金看板にしていた地域主権の理念にも甚だしく悖る。
 課長がそうした趣旨を述べて「それはできません」と断ったところ、「総務大臣の首をとってやる」と、息まいていたとのことだ。大臣の首がかかっていることを案じた課長は直ちに報告にきたが、その時に携えていたのが一枚紙であり、そこには議員とのやり取りが詳細に記されていた。
 ここで取り上げた例でおおよそのことは明らかだと思う。いずれも、役所が法令などのルールに基づいて行政を執行しているところに、それを変更したり捻じ曲げたりするように、ある程度の影響力を持つ政治家から横槍が入った時に、この種の文書は作成されているのである。
 なぜ文書化するかといえば、それを断った時に役所や役人に嫌がらせなどのしっぺ返しをされることが予想されるので、上層部も含めて役所内で情報を共有し、善後策を相談しておく必要があるからだ。その情報共有の際の資料がこの種の文書にほかならない。

■政治主導と卑怯な似非政治主導

 相談の結果、突っぱねようという方針を決めることもあれば、横槍を入れた政治家に対して影響力を持つ人に相談しようという場合もある。あるいは、やむなく政治家の主張を受け入れざるを得ないこともあるかもしれない。
 その場合には、先の文書化された報告書は、後々とても重要な意味を持つ。後年、なぜ役所はこんなルール変更をやったのかと批判されたとき、変更は決して役所側の意思によるものではなく、不当な政治的圧力に屈せざるを得なかったという事情が、その報告書によって説明できるからだ。このたびの放送法に関する案件は、首相補佐官が主張していたこととほぼ同じ内容の答弁を高市総務大臣(当時)が国会でしたことなど、その後の道行を見る限り、総務省は補佐官の主張を受け入れざるを得なかったのだろう。
 ちなみに、筆者が役人時代に無理難題を持ちかけられた案件は、次官と相談した結果、その議員を抑えることができる与党の実力派議員に相談することにした。かつて自治大臣も経験したことがあり、気心が知れていて信頼できる政治家だった。
 「実は○○議員のことで……」と筆者が話し始めたところ、即座に「○○が君たちに迷惑をかけているのか。よく言い聞かせておくから、心配しないように」という答えが返ってきて、一件落着となった。その当時は、脅したり凄んだりする議員がいる一方で、理非曲直を弁えている実力派政治家も少なくなかったのである。
 総務大臣の時の軽油引取税の案件では、報告を受けた折、課長に次のようなことを指示しておいた。自分は総理の要請で民聞人として大臣職を引き受けている。もしその議員や与党の実力者の策謀によって、総理が私の首を切るというのであれば、それに異を唱えるつもりはない。ただ、なぜ辞めるのかとマスコミから尋ねられたら、その時にはこの間の顚末をすべて話すので、その旨を先方の議員に伝えておくように、と。その後この件について、その議員から役所に対する働きかけは一切なかった。
 この件の後日談を披露すると、この議員や党の実力者は通達方式を諦めたものの、同じ趣旨のことを議員提案で立法し、法律に根拠をおくことによって目的を達成した。その内容には到底賛同できなかったが、実は彼らのこの取り組みを内心では評価していた。
 というのは、役所に対して凄んだり脅したりするのは、自分たちの思惑を役所の責任において実現させるところに狙いがある。本来、ルールを変更したいのなら自分たちが矢面に立って説明責任を果たすべきなのに、それをすると世論の批判を浴びたり、評判を落としたりする。そこで、都合の悪いことは役人に押しつけ、自分たちは後ろに隠れようとする。日頃、政治主導を標榜している政治家にしては、口ほどにもなく実に卑怯な態度である。放送法の解釈変更の強要などはその典型例だと思う。
 一方、軽油引取税に関する案件では、当初こそ卑怯な手法をとろうとしたが、役所側の言い分を聞き入れ、議員立法という形で自分たちが前面に出て目的を遂げる方式に切り替えた。法律の内容の是非はともかく、政治主導に関して言行が一致していることは評価していい。とかく問題となる政治と官僚との関係を考える上でとても参考になる事例だと考え、敢えて取り上げた次第である。

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