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(声)62歳の職探し、年齢不問のはずが

2022年08月02日(火)

朝刊の投書欄に、
62歳の職探し、年齢不問のはずが
があった。

この国は、いっとき「終身雇用」だとか自称していたけれど、
あるひとは、
それは嘘だ、終身にはなっていない
と厳しく指摘していた。

仕事も関連して、ちょっと興味を持って資料などを読んでいたのは、もうずいぶんむかしのこと、
四半世以上も前のことだった。

採用に当たって、年齢、性別による「差別」についての議論が、
この国ではとても低調だった。男女共同参画とか、言われていたけれど、
さて、じっさいはどうだったか。
そして、比較的制度的に保障されていた公務員、教員に対して、優遇されているかのような非難が多かったように思う。
とても残念なことだった。

一方、高齢化の進行が先進国で共通のトレンドだったが、
北欧などで年金支給開始年齢の引き上げがなどが議論されていたのではなかったか。
ちょっと記憶はあいまいだけれど、この国が60歳支給開始だったとき、あちらで60代半ばぐらいになっていたような。早くもらえば、減額されたかもしれない。それでも、それは本人の選択。裏づけとして、定年年齢なんかはなくて、いつ辞めて、年金生活に移行するか、本人の選択とされていたのではなかっただろうか。
ひるがえって、この国はどうなんだろう。

世界でも有数の長寿国となったにもかかわらず、
超高齢社会の到来が必至だというのに、
人の一生をどういうふうに考えているんだろう、
それにあわせた、医療や年金、教育などの仕組みをどうデザインしようとしているんだろう?

そういえば、いまごろヘンな横文字でリスキリングとか言うらしいが、
OECDと神奈川県だったか、1970年代にリカレント教育に関するシンポジウムをやっていた。
そのリカレントを、社会教育の延長上で議論していたのが、この国ではなかったか。

労働能力をどう評価するのか、
労働力不足を嘆く筋は、どう考えているんだろうな、と思う。
で、いまごろ、ジョブ型がどうとか、
これも仕事の関係で、職務分析の本を読んだり師弟のは、もう40年近くも前のこと。
いくつかの発見があった。というか、学生時代にそんな話を聞いたことがなかったな……、と恥ずかしい思いだったが、
労働市場のありようが、ヨーロッパなどとずいぶん違うんだと。

……いや、いまさらながら、の議論ばかりを目にしているように思う。

それで、投書の主は、タテマエの裏のホンネに触れて、思案に暮れていらっしゃるのだろうか。
ひどい話だとは思う。

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(声)62歳の職探し、年齢不問のはずが
2022年8月2日 5時00分

 3月末、36年6カ月勤務した会社を定年まで2年半余り残して、早期退職することを選んだ。割り増し退職金が支払われること、残っても新人事制度に変わって月額10万円程度の減収となるのが主な理由だ。

 4月からハローワーク通いを始めた。求人票に年齢不問、未経験者可と書いている会社に応募したいと考え、窓口で相談した。しかし、その会社は実際には50代までの男性を求めているらしく、私は難しそうだということがわかった。求人票との違いにあぜんとした。

 雇用対策法では、募集・採用で年齢制限することは禁止されている。厚生労働省ホームページにも「形式的に求人票を年齢不問とすれば良いということではなく、応募者を年齢で判断しないことが必要」とある。にもかかわらず、実際には応募が許されない現実があることを知った。ハローワークの相談員は申し訳なさそうだったが、3カ月経ってもなお再就職できない自分が情けない。

 住宅ローンの支払いもあり、失業給付だけでの生活は厳しい。一日も早く再就職先を見つけるため、日々履歴書を送り続ける生活。働くことの難しさを実感する毎日である。

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北條勝貴 亡所考 最終回  木々の声は聞こえているか

2022年11月10日(木)

ずいぶん前,四手井綱英さんの何冊かの本をまとめて読んだことがあった.
おもしろかった,とても.

さいきん神宮外苑の街路樹の伐採が話題になっていた.
もったいないな,と思った.
その前に千代田区でも街路樹の伐採が問題になっていた.

NHKの番組で,巨樹が取りあげられていた.
そのなかで,長野県の大鹿村だったかと思うけれど,トンネル工事にともなう森林伐採がとりあげられていた.
リニア新幹線用のトンネル建設のための伐採だという.
期せずしてリニア新幹線計画についての大きな疑問符になっていたように思うが.

里山がよく取りあげられる.
自然のままの……とよくいわれる.そうだろうか、と思う.
そういえばマツタケがとれなくなったと言われる.人為と自然……とか.



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【世界】2022年07月

亡所考 最終回
木々の声は聞こえているか

北條勝貴


樹木にみる〈素材〉化

 神宮外苑地区の「公園まちづくり計画」が問題化している。本年一月、石川幹子氏(中央大学)の綿密な踏査を経て、この再開発により千本以上の樹木が伐採、移植されることが明らかになったのである[1]。もともと同地区は、その歴史・景観を維持するため、第一種文教地区・第二種風致地区に指定されており、緑地開発や高層建築に厳しい規制がかけられていた。それが、二〇二〇東京五輪のメイン会場へ設定されることで恣意的に緩和され、明治公園の野宿生活者排除・都営霞ヶ丘アパートの破壊などが強行される一方、JOC・JSC関連施設、事業者三井不動産の経営するホテル、伊藤忠商事の本社ビルなどの、新築高層化が図られた[2]。冒頭の「計画」が、メガ・イベントにともなう典型的ジェントリフィケーションの一環であることは、もはやいうまでもなかろう。四月末、日本ICOMOS国内委員会は、伐採を二本に止める代替案を提示したが[3]、未だ東京都の正式な回答はない。本連載第一二回で取り上げた築地市場解体と、同様の情況になっている。
 しかし、なぜそう簡単に、「千本の樹木を伐ろう」などといえるのだろうか。石川氏は、「一本一本に歴史や物語があり、代えが利かない」こと、「移植の場合も枝や根の強剪定となり、樹木の美しさや健康が損なわれる」旨を警告している。当然のことだが、そもそも樹木も生きものである。「伐採」は生命を素材化する語彙で、本質は大量虐殺だろう。市民による反対運動も起きているが、これが同規模の動物に対するものなら、社会はより敏感に反応したのではなかろうか。動物については、ペットの殺処分から牧畜の是非に至るまで、ヒト至上主義の暴走をいかに抑制するかが議論されている。植物についても類似の取り組みはあるが、やはり人類文明の〈素材〉とみる認識は、動物以上に強い。ところが列島社会には(あるいは東アジアには)、元来、動物/植物に境界を設けない文化が息づいていたのである。

伐採抵抗にみる樹木観

 列島各地には、いまも〈伐ると崇(たた)る樹木〉が広汎に存在する。なかには、枝を落としただけで障(さわ)るというものもあり、道路や建物がそれを避けるように敷設された光景も散見される。例えば、電線や電柱の設置が拡大した大正から昭和にかけては、各地で次のような物語り樹木が伐採に抵抗する伝承が噴出したらしい。


   市の電気局が生麦車庫引込線工事の関係で、彼の生麦事件碑を繞る古松二本及び一本の榎を切り取つた時の話である。……不思議なことには依頼を受けた二人の者が木を伐り倒すと間もなくまことにえたいの知れぬ熱病に罹つて、四五日の間に前後して死んでしまつた。……この仕事を監督した技手が、同じ病の床に臥した。すると間もなく県から並木貰ひ下げの交渉をした主事が病気となる、伐採後の道路を整理した運転手が足に大きな怪我をしたのである[4]。
 列島全域が低植生で古木の少なかった当時(連載第一三回参照)、伐採や強剪定の実施に大きな後ろめたさがともなったことは、容易に想像できる。かかる形式の伝承は、前近代的な自然への畏怖/近代的な開発意識の葛藤を反映しているが、それを具現化する樹木の抵抗は、①伐り口の再生、②伐り口から流血、③坤き声がする、④異類の出現、⑤伐採関係者が病気になる・死ぬ、⑥災害を呼ぶ、⑦伐られるが動かない、といったパターンを採る。中世後期から近世、近代にかけては、これを核に、〈大木の秘密〉〈樹霊婚姻〉といった話型の昔話・伝承が広く語られ、巨樹・古木へ人間と同じ霊魂を認める、アニミズム的な心性を醸成してきた[5]。

開発を正当化する〈大木の秘密〉

 前者では、いくら斧を当てても翌日には再生してしまう巨樹を、神霊どうしの会話を盗み聞きし、秘密の作法を知って伐り倒す。平安末期の『今昔物語集』巻一一-二二が典型で、飛鳥寺造営予定地にあった槻(つき)(欅(けやき)の古名)の巨樹を、「麻苧(あさお)の注連を巡らして中臣祭文(なかとみのさいもん)を読み、縄墨を懸けて伐る」方法を知り伐採、飛び去った神霊を祀る内容となっている。『日本書紀』孝徳(こうとく)天皇即位前紀等によれば、この大槻は七世紀に実在し、飛鳥寺西で天神地祇(てんじんちぎ)を祀る形代(かたしろ)となっており、伐採された事実はない。中世に至る開発拡大期、漢籍の話型を借りて、環境改変を正当化する物語りとして生み出されたのだろう。
 起源と思しき漢籍のうち、最も古いのは、『三国志』で有名な魏の曹丕(そうひ)がまとめたという『列異伝』の逸文である[6]。春秋時代に当たる前七三九年、秦の文公が南山の梓を伐るよう命じるが再生して叶わず、疲弊して樹下に留まった兵が夜半に樹霊/鬼霊の会話を聞き、「赤灰で攻める」方法を知って伐採に成功する。断ち切られた幹からは牛が出現して扞水(かんすい)に消え、秦ではこれのために怒特祠(どとくし)(「特」は牛の意)を建てて祀ったという。前掲『今昔』の物語りと、形式的に共通する。自然を象徴する神格を倒して開発を達成する〈神殺し〉譚に属するが、住処を追われた神霊を蔑(ないがし)ろにしない点に特徴がある。しかしその奉祀は、単に崇りを怖れての封じ込めなのかもしれない。

〈樹齢婚姻〉に浮かぶ植物トーテム

 一方の後者は、夫婦となり子まで儲けた相手が巨樹に宿る樹霊で、領主らによる伐採の決定で別れを強いられるものの、伐られても動かずに伴侶と子を呼ばせ、彼らが触れると初めて動いてみせて、褒美が与えられるよう心を配る。ヒト至上の観点から語られる前者に比べ、人外(ノン・ヒューマン)との交感が主眼に置かれている。樹霊が男性の場合は東北の「阿古屋(あこや)の松」、女性の場合は浄瑠璃の演目にもなった、「三十三間堂棟木の由来」がよく知られる。いうまでもなく、三輪山の苧環(おだまき)伝説や「鶴女房」などと同じ異類婚姻譚に属するが、起源は動植物を始祖と崇(あが)める、古代のトーテム信仰に置くべきだろうか。
 やはり大陸へ目を転じると、北方狩猟民や西南少数民族の間には、熊や狼、虎との異類婚姻を始祖伝承として持つもののほか、自分たちを巨樹から生まれたと伝える人びともある。『竹取物語』を彷彿とさせる竹中出生譚の系統は、中国からインドにまで及ぶ。宇宙樹・世界樹の神話も各地に散見するが、頂上に鳥を冠した立柱を崇める祖先祭祀なども、元来は天に向けてではなく柱、巨樹を祀るものであったのかもしれない。列島では、縄文期に北陸を中心に環状列柱(ウッド・サークル)が出現、弥生期にも水田の畦などへ鳥形木製品を冠した立柱(鳥竿(ちょうかん))が並び、それは一部で古墳表面へも踏襲されてゆく。伊勢神宮や出雲大社など、古い形式を持つ神社では柱が重視され、それを山中から伐り出して立てるまでの一連の祭儀が整備されている。ちょうど本年斎行の諏訪大社・御柱祭は、その代表的事例といえるだろう。本義は釈迦の墓である寺院の多重塔も、列島の木造建築では心柱が独立・貫通する特異な構造で、立柱祭祀の一表現とみることもできる。
 『古事記』天地初発、『書紀』天地開闢(かいびゃく)を紐解くと、原初の神々を「葦牙(あしかび)」と表現しているのに気づく。低湿地に生い茂る葦の芽に神々の誕生を重ねたものだろうが、神を一柱、二柱と数えることからすると、元来は列島でも、植物トーテムが盛んだったのだろう。国家が租税の根本を稲米(とうまい)に据え、水田が土壌を覆い尽くしていったために、多様な植物トーテムも、稲一色に塗り替えられてしまったのだろうか[7]。

心に空いた〈亡所〉

 連載第一三回でも言及したとおり、日本列島の森林が最も消耗したのは中近世移行期で、以降近代に至るまで、田畑に用いる刈敷(草肥)の需要に基づく、柴草山=低植生の情況が続いた。現在、面積だけは一定の回復をみたものの、ヒトが無計画な植林などで攪乱した生態系は、未だ調和状態には至っていない。木々をみつめる私たちからも、彼らを〈人間以上(モア・ザン・ヒューマン)〉と捉える感覚は失われつつあるようだ。いま眼前にある〈亡所〉は、視覚で確認できる以上に広く深く、私たちの心の暗闇へ続いているのかもしれない。
(完)



1 安田聡子「神宮外苑一〇〇〇本の樹木伐採は『歴史・文化の破壊』。再開発に五万人の反対署名」(『HUFFPOST』二〇二二年二月二六日付、https://www.huffingtonpost.jp/entry/jingu-gaien-trees-petition_jp_620f3e51e4bOf701fd70a9b2
2 渥美昌純「新国立競技場問題の何が問題なのか?」(天野恵一他編『で、オリンピックやめませんか?』亜紀書房、二〇一九年)、小川てつオ「オリンピックと生活の闘い」(小笠原博毅他編『反東京オリンピック宣言』航思社、二〇一六年)参照。
3 ICOMOS Japan「樹木の伐採を回避し『近代日本の名作・神宮外苑』を再生する提案」(https://icomosjapan.org/media/opinion20220426.pdf
4 栗原清一『横浜の伝説と口碑』下(横浜郷土史研究会、一九三〇年)、九三頁
5 以上の過程については、拙稿「樹霊に揺れる心の行方」(『古代文学』四六、二〇〇六年)参照。
6 麟道元撰『水経注』巻一七滑水所引
7 拙稿「巨樹から生まれしものの神話」(『アジア遊学』二二八、二〇一八年)。このほか、列島古代の立柱祭祀については、植田文雄『古代の立柱祭祀』(学生社、二〇〇八年)に詳しい。

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片山善博の「日本を診る」(151) 街路樹伐採をめぐる混乱から地方議会の役割を再確認する 【世界】2022年06月

2023年01月25日(水)


そういえば千代田区の街路樹伐採問題はどうなったんだろう……,
そういえば神宮外苑の再開発にともなう街路樹などの伐採問題はどうなるんだろう……,
東京に引っ越してきて,もうオリンピックが目前のころ,
おそらく風景は大きく変貌しつつあったんだろう.
それでも,ときどき外苑まで歩いてあそびに行ったりしたことがあったな,と思い出す.
中学校の卒業式,東京タワーに登った.
東京はもっと見晴らしがよかった.
銀座も,もっと空が大きかった.

都市の,とくに大きな都市のありようがおおきく変わろうとしていたのかもしれない.
変化のあり方について,揺れていたのかもしれない.
東京に,美濃部都政が誕生する.いわゆる革新都政,それでどうだっただろうか.

それにしても,大きな都市だな,と思う.
人口1千万,スウェーデン一国分の人がひしめき合っているわけだ.
……
いや,千代田区は7万人弱か,いっときもっと少なかったんじゃないか.
で,せっかくより普通の自治体に近づいて入ったんだから,
と思いながら,片山善博さんの議論を読んでいた.


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【世界】2022年06月

片山善博の「日本を診る」(151)

街路樹伐採をめぐる混乱から地方議会の役割を再確認する


 先日、新聞の小さな記事に目が止まった。東京都の特別区で、区道の整備に伴う街路樹伐採をめぐって賛成派住民と反対派住民が話し合う場が持たれたことを報じる記事である。その音頭を取ったのは区議会だという。珍しいことである。政策について地方議会が住民の話し合いの場を設けるなどという例はあまり聞いたことがない。なかなかしっかりしている議会だと感心させられた。
 ところが、詳細な情報に当たると、区議会に対する評価は百八十度変わることになった。全国あちこちに見られる、議会本来の役割を果たさない議会の一つに過ぎないことがわかったからである。
 ここで「議会本来の役割を果たさない議会」とは、「決める」ことに真剣に取り組まない議会のことをいう。そもそも地方議会の最も重要な役割は、地域のルールなり税の使途なりを「決める」ことにある。それゆえ議会は決定機関と言われる。
 「決める」ことは、いくつかの選択肢の中から一つを選び、他を捨てることにほかならない。捨てられた選択肢を支持する側からは異論や反論が出るし、決められた結果によっては不測のダメージを被る人もいる。そのため決定機関は議案の行方を決める前によく調査し、関係者の意見を聴いておかなければならない。大方の関係者の納得が得られる決定が望ましいからである。
 議会と同じように裁判所も決定機関である。もし裁判所が不公正でいい加減な判決を下すようなことがあれば、当事者に不当で耐え難い不利益を強いることになる。場合によっては取り返しのつかない事態をも生じさせかねない。であればこそ、裁判所は判決を下す前に時間をかけて厳正な手続きを踏む。原告と被告双方の言い分に耳を傾け、証拠調べや証人の出頭を求める。「決める」に当たっては、慎重の上にも慎重を期しているのである。

■鱒自分が決めたことに貴任を持とうとしない議会
 これに対してわが国の地方議会の多くは、それがれっきとした決定機関であるにもかかわらず、決めることの重大性をよく理解していない。決めたことによって生じる責任についても総じて無自覚である。先に、この区議会が「しっかりしている」と誤解したのは、街路樹の伐採を伴う区道整備事業の予算を審議するに当たり、結論を出す前に賛成派と反対派の意見を聴く場を設けたものと勘違いしていたからである。実際は、区議会は昨年この予算をすでに可決済みである。該当の区道の整備とそれに伴って数十本のイチョウの木を伐採することを、すでに決定していたのである。
 事業を実施することが決まっていれば、後はその事業をどういう手順で進めるかが問題になる。そのため実施の細目について住民の意見を聴くことはよくある。道路整備であれば工事期間中は住民の通行に不便が生じるし、沿道の商店では客足が落ちる。こうした不便や犠牲を最小限にとどめるには、当事者である住民や商店主などに工事の実施期間や工法などの事業概要をよく周知し、かつ、彼らの意見を聴くことが求められる。
 ところが、冒頭の話し合いの場は、こうした工事概要の周知やそれに対する意見を聴く場でもなかった。むしろもっと根源的に、区道整備事業とそれに付随する街路樹伐採の是非について、賛成派と反対派が一から主張を繰り広げる場になっていたらしい。
 区議会が該当の予算を可決した後も、この事業に反対する立場からの陳情が数多く寄せられていたという。これらのことから何がわかるかといえば、一つはこの事業の実施に関して議会の議決という形式的な手続きは経ているものの、住民の間で実質的な合意を形成するために必要な手順を欠いていたことである。区議会が予算審議の過程で、単に役所の説明だけでなく、反対する住民からも意見を聴き、その上で結論を出すという手順である。
 もう一つわかることは、区議会は自分たちで街路樹を伐採することを決めたくせに、その決めたことの正当性や妥当性を住民に対して自ら説明したり、説得したりすることができないらしいということである。これでは決めた当事者として無責任だし、いい加減な決め方をしたと批判されてもやむを得まい。

■議論と対話から結論を導く地方自治に
 いや、そんなことはない、審議を尽くして伐採を選択したというのであれば、反対派の住民に対し、伐採の必要性や妥当性を正々堂々と自信を持って説明すればいいだけのことである。その自信がないから、自分たちは脇に身をかわすように、賛成派と反対派に直接話し合うよう持ちかけたということではなかったのか。
 これを再び裁判所にたとえると、判決を批判された裁判所が、原告と被告が直接話し合う場を設けて、互いの一致点が見いだせるように努力してほしいと言っているに等しい。こんな裁判所だったら誰からも信用されることはない。
 もとより裁判所は判決に対する批判があったからといって、記者会見を開いて弁明するようなことはしない。しかし、判決を言い渡す際に、結論だけでなくそこに至った理由と理屈を実に詳しく示している。それが裁判所の説明責任である。
 一方の議会はそれぞれの議案を処理する際、その理由を示すことまでは要求されていない。ただ、その決定内容に対して異論、反論、批判が出てきたら、決定に至った経緯や理由を述べる必要はあるはずだ。それが決定機関である議会が当然果たすべき説明責任というものである。
 区議会は予算審議の過程で、伐採について住民によく周知しておくよう執行部に申し入れていたという。周知がなされていないから、伐採反対意見があとを絶たないのだと、執行部に対する不満も出ていたという。
 その不満をまったく理解できないわけではないが、これも裁判所にたとえると、被告にとって承服し難い判決が出そうだという情報を、原告から被告に周知しておくようにと裁判官が原告に指示しているようなもので、著しく公正さを欠く。
 どうして、区議会は予算審議の過程で伐採に反対する住民の意見を聴かなかったのだろうか。簡単なことだと思うのだが。それをしておけば、伐採の必要性について反対派住民の理解を多少なりとも得られていた可能性はある。
 逆に、国をあげて地球温暖化対策に取り組もうとしているときにイチョウの木を伐り倒すことにいかなる合理性があるのかとの住民の意見に、議員の多くが納得させられたかもしれない。それなら、伐採を伴わない道路整備事業にしようとか、もう少し時間をかけて検討しようとなっていたかもしれない。いずれにしても、今日のいささかみっともない混乱は避けられたはずだ。
 ともあれ、住民に身近な自治体行政では、日常的に議論や対話を通じた合意形成と決定手続きが必要であり、その過程で主役を務めるのが議会だということを、この区議会はもとより全国の他の地方議会にもこの際あらためて認識してもらうよう願っている。

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寺島実郎 脳力のレッスン ウクライナ危機とロシアの本質(その1)――プーチンの誤算としてのハードパワーへの過信 【世界】2022年06月

2023年01月25日(水)

寺島実郎さんの、ウクライナ戦争論.
すべて正確に事態を言い当てているのか、知らない.
知らないことを、学ばせもらっていて,
それでも,よく分からない.
事態はまだ現在進行中,目をこらし、耳を澄まそう、とは思うが.


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【世界】2022年06月

脳力のレッスン 特別編
寺島実郎

ウクライナ危機とロシアの本質(その1)――プーチンの誤算としてのハードパワーへの過信


 プーチンがロシアの大統領として国際舞台に登場したのは二〇〇〇年の沖縄サミットであった。ソ連崩壊から九年、エリツィンを継ぎ、この元KGB諜報員が登場した時、世界のメディア論調は、混迷するロシアの象徴としてこの新指導者を報じていた。その八年後、洞爺湖サミットには、プーチンは当初の任期を終え、メドベージェフが大統領として参加したが、プーチンは首相に留まり、「皇帝」といわれるほど実権を握っていた。
 そうさせたのは、エネルギー価格の高騰であった。二〇〇〇年初のWTI(NY原油先物価格)はバレル二五・六ドルであったが、二〇〇一年の9・11(NY、ワシントン同時多発テロ)を転機として、イラク戦争など中東の地政学的不安を背景に、油価は上昇を続け、二〇〇八年七月には一四五・三ドルに跳ね上がっていた。その間、プーチンはエネルギー産業の国有化を進め、政権と自身の浮上材料としたのである。皮肉にも、9・11の恩恵を受けたのはプーチンであった。

■軍事大国・経済小国ロシアの悲哀
 冷戦の終焉とソ連崩壊後、すでに三〇年が経過したが、依然としてロシアは軍事大国、核大国である。世界の戦略核弾頭は一・三一万発とされるが、そのうちロシアが保有する弾頭(実戦配備可能な予備分を含む)は六二五七発で、約半分を占める。米国は五五〇〇発、中国は三五〇発である(出所:米科学者連盟、二〇二一)。また、世界の武器輸出の約二割がロシアからであり、米国からの約三割と双壁をなす。つまり、極端な核・軍事大国なのだが、それを支える経済基盤は極めて小さい。
 冷戦終焉の直前の一九八八年、世界GDPに占めるソ連の比重は八%となっていたが、七〇年代には一二%程度の比重を維持していた。ところが、冷戦後の通貨ルーブルの崩落によりプーチン登場の二○○○年にはわずか一%に落ち込んでいた。プーチンが君臨するに至ったロシアだが、エネルギー産業に過剰に依存する構造は改善されず、産業力は高まらず、二〇二一年の世界GDPに占めるロシアの比重は一・六%にすぎない。世界GDPの国別ランクで、ロシアは一一位で、一〇位の韓国の後塵を拝している。
 この軍事大国・経済小国という断絶が「ウクライナ・ジレンマ」を生んでいるといえる。つまり、核戦争を誘発しかねないNATOとの直接軍事対決を回避し、経済制裁によってウクライナへのロシアの侵攻を抑止するという「ジレンマ」に苦闘し続けているのである。二月二四日の侵攻開始から五〇日という経過を総括するならば、ウクライナの戦争被害も悲惨だが、ロシアの予想外の苦戦が際立つ。「首都キーウ陥落、ゼレンスキー政権崩壊」という想定を断念し、ウクライナの東部二州に集中し、「勝ったことにして収束」に持ち込もうとしているように思われる。面目を保つ形での収束に追い込まれているともいえる。
 プーチンの暴走を触発した要因として、米バイデン政権の責任を問う声もある。二〇二一年八月のタリバンによるアフガン制圧に対し、バイデン政権は何もできず、世界の地域紛争に介入する意思がないことを示した。それがロシアのウクライナ侵攻の誘因になったという見方も否定できない。ただし、皮肉にもプーチンの強引な軍事侵攻が、NATOの結束を促し、「経済制裁」というソフトパワーを結集させることになった。
 「経済制裁など効かない」とする見解もあるが、グローバル経済の相互依存構造に参入してしまったロシア経済にとって、このシステムから排除されることの影響は深刻である。前年比二割以上のマイナスが予想される実質GDP成長率、通貨ルーブルへの信認の喪失、ロシア国債の債務不履行リスクの高まりなどを視界にいれるならば、今年のロシアGDPが世界経済に占める比重が一・○%以下に落ち込むことは間違いない。世界経済からロシアが消滅すると言っても誇張ではない。
 ロシアの国民生活も深刻な事態を迎えるであろう。ロシアの二〇二一年の一人当たりGDPは一・一万ドルと、ほぼ中国並みであるが、今年は七〇〇〇ドル以下に下落すると推定され、途上国のレベルになるということである。「市場経済」に参入した冷戦後の三〇年で、多くのロシア国民が大衆消費社会に引き込まれ、都市部では、マクドナルド、スターバックスから日本のユニクロや丸亀製麺までが進出し、洒落た西側のブランドが並ぶショッピング・モールでの消費行動を享受する状況を迎えていた。それが今、潮がひいたごとく消えつつある。配給券を求めて長い行列ができていた憂響な時代への逆流が迫っている。
 三月のロシアの消費者物価は前月比七・六%上昇とされているが、ルーブルの交換価値の下落に伴う輸入インフレのインパクトが襲うのはこれからである。自国の通貨が信頼を失うことの悲劇を味わうことになるであろう。外貨を稼ぐロシアの輸出の八五%は一次産品、とくに化石燃料(石油、石炭、LNG)であり、軍事・原子力以外、産業力を持たない。医薬品から日用雑貨、生活を支える基礎物資まで輸入頼りであり、この虚弱な産業構造をプーチンの二二年間は変えることはできなかった。
 それにしても、何故プーチンはかくも無謀な「特別軍事作戦」という名の戦争に踏み込んだのであろうか。指導者プーチンの決断を突き動かしたものは何か、大きな疑問が残る。ロシア専門家はプーチンを取り巻く側近グループを「シロヴィキ」と呼ぶ。例えば、バトルシェフ安保会議書記、ナルイシキン対外情報庁(SVR)長官など特異なインナーサークルで、プーチンと同じくソ連時代のKGBの諜報将校の出身者によって占められており、「プーチン・ドクトリン」と言われるプーチン王朝の政策思想を支える存在とされる。
 プーチン・ドクトリンとは何か。基軸は「世界は弱肉強食、力こそ正義」という価値観で、頼れるのは「核と軍事力」というハードパワーへの信奉である。冷戦後のレジームの変更、すなわちソ連邦時代の版図・勢力圏の回復を志向し、大国として敬意が払われるロシアへの回帰を熱望する「レスペクト・シンドローム」に陥っているといえる。
 かかるドクトリンに立って政策を展開したプーチン政権にとって、経済は政治権力に動かされるべきものであり、利権と権益を求めて擦り寄る経済人を手玉にとって「オリガルヒ」といわれる財閥企業群を束ねてロシア経済を支配してきた。また「ロシア版ダボス会議」(経済・投資フォーラムなど)を開催し、欧米や日本の経済人を呼び込み、ロシアへの投資を促してきた。恫喝すれば経済はついてくるという思惑が、ロシア制裁の包囲網の中で崩れ、水が引いたようにロシア離れを起こしている。誰もロシアを信用しなくなった。経済は信頼に基づいて動く。信頼という見えざる価値を支えるのがソフトパワーなのである。

■国境なき民族としてのウクライナ
 ウクライナは、ユーラシアの歴史の中で国境線に翻弄され続けてきた。現在のロシアの原型ともいえるキエフ・ルーシ(キエフ朝ロシア)のウラジーミル大公がビザンツ帝国の皇帝バシレイオス二世の妹アンナと結婚してキリスト教
(ギリシア正教)に改宗したのが九八八年で、そこがスラブ民族へのキリスト教の東方展開の起点であった。その後、一三世紀のモンゴルの興隆により、ウクライナはキプチャク・ハン国の版図となり、一二九九年には正教の「主教座」がキエフからモスクワに移った。「タタールの軛(くびき)」といわれた時代であり、モスクワが「第三のローマ」という自意識を抱く展開となった。キプチャク・ハンは一四世紀半ばには、ロシアの諸公国を支配下に置き最盛期を迎えた。
 タタールの軛を断ったのが初代のツアーリとなった雷帝イワン四世であり、一五五二年(カザン・ハン国の陥落)であった。その後、一九一七年のロシア革命に至るまで、ウクライナはロマノブ王朝ロシアの版図に組み入れられながら、ポーランド、ドイツ帝国(プロイセン)、オーストリア・ハンガリー二重帝国(ハプスブルク)、オスマン帝国の綱引きに翻弄され続けた。その力学の中で、ウクライナ史の深層に埋め込まれたのがユダヤという要素であった。
 一七世紀、ポーランドの貴族が国内に増えたユダヤ人と契約(アレンダ制という信託開拓制度)を結び、ウクライナの農業開発に利用したことにより、ウクライナにユダヤ人が増加した。一七二一年、ピョートル大帝によって「ロシア帝国」と呼称するに至ったロシアは、リトアニア、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナにかけて帯状の「ユダヤ人強制移住地域」を設定した。それにより、ウクライナには「ハレーディーム」と呼ばれる超正統派ユダヤ教徒(旧約聖書、タルムードを信奉する黒装束の原理主義ユダヤ教信者)が集積することになった。日本では森繁久彌の当たり役となったミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」はウクライナを舞台にしたユダヤ人の物語であり、ショーレム・アレイヘムの小説を原作とし、逆境の中でのユダヤ人の逞しさ、ユーモアが心を打つ作品であった。
 二〇〇三年からの四年間、私は経団連のウクライナ研究会の委員長として、「オレンジ革命」後のウクライナを何度となく訪れた。強く印象づけられたことは、この国の科学技術研究基盤の確かさであり、たとえばキエフ工科大学がソ連時代の宇宙開発や原子力工学技術を支えたという事実であった。米国に先駆けてソ連が人工衛星を打ち上げた(一九五七年)のも、チェルノブイリがウクライナに存在した理由も腑に落ちた。そして、その背景に「知をもって離散史を生き延びたユダヤ人」の集積があることを知った。冷戦後、一〇〇万人以上のユダヤ人が旧ソ連からイスラエルに帰ったとされるが、多くはウクライナからであった。
 今回のロシアの侵攻という危機を迎え、ウクライナが予想外の耐久力を示している要因の一つとして、ウクライナ史に埋め込まれたユダヤという要素を注視すべきであろう。ユダヤ系の大統領ゼレンスキーを支援する国際世論の形成力は驚くべきもので、西側諸国やイスラエルの国会向けにゼレンスキーのリモート配信を実現する背後には、G・ソロス、H・キッシンジャー、V・ピンチュクなど米国での大物ユダヤ系人物を中心とするネットワークが動いていることを実感する。また、始まった停戦交渉の仲介者として、プーチンに近いオリガルヒ(財閥)の一翼を占めるユダヤ系実業家R・アブラモヴィッチが登場し、ウクライナ側の停戦条件としての「ウクライナへの多国間安全保障」の構成者案として、国連五大国に加えトルコとイスラエルが提示されていることなど、いかにウクライナがユダヤ系ネットワークを駆使しているかを暗示している。また、ゼレンスキーを支えるM・フョードロフ副首相兼デジタル変革相が展開するアップル、グーグルなどDX企業をウクライナ側に引き寄せる情報戦略は見事で、SNS、衛星からの情報、ドローンなどを駆使して「新しい情報戦争」を有利に展開しているといえる。総じて、欧米においてユダヤ系人材が強い影響力を持つのはデジタルと金融の世界であり、これらの分野を突き動かすソフトパワーでロシアへの圧力を強めていることは間違いない。
 さて、究極のソフトパワーともいえる国際世論の形成力に関し、プーチンの悪夢ともいえる動きがある。ロシア軍による民間人虐殺などの事態(ブチャ虐殺など)が報道され始め、「戦争犯罪」の断罪というシナリオが動き始めた。二〇〇二年にオランダのハーグに「大量虐殺、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略犯罪」を処罰するための国際刑事裁判所(ICC)が設立された。日本を含む一二三力国が加盟しているが、米国、ロシア、中国は加盟していない。国連から独立した機関で、国連の安保理がICC検察官に付託した場合には非加盟国にも管轄権が行使できることになっているが、安保理には「五大国拒否権」という壁もあり、ロシア断罪でICCが現実的に機能するとは思えない。
 だが、プーチンが恐れるべきは米国主導の「国際特別法廷」であろう。つまり、ユダヤ人大量虐殺や人道に対する罪を裁いたニュルンベルク裁判であり、東京裁判再びということである。ICCの枠組みを超えて、ロシアの非道を糾弾する国際世論は高まっており、仮にこうした特別法廷が動き、プーチンをはじめとする戦争責任者が訴追されて「有罪」と判決が出された場合、どうなるだろうか。逮捕、収監される可能性はないとしても、国の指導者が犯罪者とされて国外にも出られない事態が続く意味は重い。また、歴史の中で「戦争犯罪者」と評価されることは国家の指導者として恥辱以外のなにものでもない。すでにICCなどによる現地調査が始まっている。

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神保太郎 メディア批評(174) (2)手放されゆく「取材の自由」――日本の現場 【世界】2022年06月

2022年12月19日(月)

メディアに対する批判というか、むしろレッテル貼りかな、
昔からあった。
メディアの肩を持たないけれど、でも、批判は、なかば期待の裏返しに近かったようには思う。

いつごろからなんだろう、批判というより、
罵りだったり、揚げ足とりだったり、
なんだか子どもの喧嘩よりもたちが悪そうだな、と思わせるような
そんなやりとりが増えてきたのは。

政治家のことばがずいぶん軽くなったと言われるようになったのは、
いつごろからだろうか。

メディアもまた同じかな……と思うこともあったけれど、
でも、結局、世の中の多くのことを、メディアをつうじて学んでいるんだろうな、とは思う。
むろんそれだけではなく、この見て、聞いて、触って知ったことの少なくはないだろう。
友人、知人から得るところも小さくはないとは思うが。
それでも、メディアが大きな「情報生産機関」であることは、まぁそうなんだろうなと思う。

Twitterがもめているみたいだけれど、つまり「媒体」が果たしている役割、機能が、無視できな、というだけでなく、場合によっては死活的な重みを持っている……かもしれない、ということなんだろうなとは思う。


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【世界】2022年06月

メディア批評
神保太郎

平和のためには戦争やむなし――。何という矛盾だろう。ウクライナには武器と資金が流れ、悪のロシアをねじ伏せよという論調が報道の中にも広がる。日本では元首相による「核共有論」が飛び出し、同氏の「顧問」を自任する記者が他雑誌の関連記事の検閲を迫る。戦争と報道の距離はいまどうなっているのか。まず自覚的であることが出発点だ。

連載 第174回
(1)戦争に群がるハイエナにならないために
(2)手放されゆく「取材の自由」――日本の現場



(2)手放されゆく「取材の自由」 日本の現場

 ロシアがウクライナに軍事侵攻したすぐ後に、安倍晋三元首相が出演したフジテレビ「日曜報道 THE PRIME」(二月二七日放送)での「核共有」発言が思わぬ波紋を広げた。ダイヤモンド社が発行する経済誌『週刊ダイヤモンド』の副編集長が三月九日に安倍氏に発言の真意についてインタビューしたところ、安倍氏とは定期的にレクチャーしている間柄という、米国・中国問題が専門の峯村健司・朝日新聞編集委員(当時)が副編集長に対して、「安倍(元)総理がインタビューの中身を心配されている。私が全ての顧問を引き受けている」と述べ、公表前の誌面(ゲラ刷り)を見せるよう求めたというのである。公権力のチェックが仕事のはずの新聞記者が、安倍氏の顧問と名乗って同業他社にゲラを要求するなど、本欄では過去に取り上げたことのない異常な出来事だ。ダイヤモンド編集部が「編集権の侵害に相当する。威圧的な言動で社員に強い精神的ストレスをもたらした」と抗議したのは当然で、朝日新聞社は、峯村氏を四月一三日付で停職一カ月の懲戒処分とし、同一一日付で編集委員を解職した。朝日新聞が四月七日朝刊で?末を報じたことで分かった。峯村氏は同二〇日に退社。退社はこの問題が起きる前に決まっていたという。
 朝日は宮田喜好・東京本社編集局長の「本社は記者行動基準で『独立性や中立性に疑問を持たれるような行動はとらない』と定めています。編集委員の行為は、政治家と一体化してメディアに圧力をかけたと受け止められても仕方がなく、極めて不適切です」とするコメントを掲載した。なぜ、ゲラを見せるよう迫ったのか。峯村氏がこの処分に関連して書いたネット記事「朝日新聞社による不公正な処分についての見解」によると、同氏は件(くだん)のレクチャーを行なっていた三月九日、安倍氏から「先ほど週刊ダイヤモンドから取材を受けた。ニュークリアシェアリング(核兵器の共有)についてのインタビューを受けたのだが、酷い事実誤認に基づく質問があり、誤報になることを心配している」と相談を受けた。安倍氏は翌一〇日から岸田文雄首相の特使としてマレーシア訪問のため忙しく、「『ニュークリアシェアリングの部分のファクトチェックをしてもらえるとありがたい』と言われました」と明かしている。
 「とんでもない記事が出てしまっては、国民に対する重大な誤報となりますし、国際的にも日本の信用が失墜しかねないことを非常に危惧しました」「重大な誤報を回避する使命感をもって、粘り強く説得しました」。峯村氏はそう説明しているが、インタビュー記事の確からしさの裏付けは本来、編集部の責任で行なわれるべきものだ。仮に間違えていたとすれば、その責めは編集部が受けるべきである。峯村氏もそう思って仕事をしてきたのではなかったのか。
 峯村氏は二〇一〇年度のボーン・上田記念国際記者賞(中国の安全保障政策などの報道)、一二年には日本新聞協会賞(LINEの個人情報管理問題のスクープと関連報道)を受賞したり、識者として番組出演するなど知られた記者だった。「記者」という職業である以上、権力者との距離は公私に関係なく問われる。峯村氏は「今回の処分の不当性については法的にも明らかにしてまいりたい」と「見解」の中で表明しているが、反論内容に共感する同業記者は少ないだろう。

■表現の不自由展2022  「慰安婦」をモチーフにした「平和の少女像」など公的施設での展示を拒否された芸術作品を集めた「表現の不自由展 東京2022」が四月二日から五日までの四日間の日程を大きな混乱に見舞われることなく終えた。会場となった東京都国立市の「くにたち市民芸術小ホール」には、約一六〇〇人が足を運んだ。期間中は会場周辺には大勢の警察官が配置され、来場者は市側が実施する手荷物検査に応じたり、市や警察が新たに設置した二〇台を超える監視カメラの下での入館など物々しい状況での鑑賞を強いられた。こうした「過剰警備」下での運営の在り方をめぐっては課題を残した。
 東京都内での「表現の不自由展」は、昨年六月二五日~七月四日に神楽坂の民間ギャラリーで開かれるはずだった。六月一〇日に日程が公表されると、会場周辺には中止を求める街宣車などによる抗議活動が起き、ギャラリー側が「近隣への迷惑」を理由に貸し出しを取り消し、延期せざるをえなかった経緯がある。当時、開催にたどり着けた名古屋(市民ギャラリー栄、七月六~一一日)、大阪(エル・おおさか、七月一六~一八日)で開かれた「表現の不自由展」でも、名古屋では三日目の八日朝に届いた郵便物を開封すると爆竹のような音で破裂する騒ぎがあり、休館したまま河村たかし市長の最終判断で中止に追い込まれた。大阪では指定管理者が東京、名古屋での騒ぎなどから「安全確保は極めて困難」として利用承認を取り消し、吉村洋文府知事も支持した。このため、実行委員会側が裁判所に訴える事態にまで発展。大阪地裁が取り消しを認めず、大阪高裁も同様の判断を示した。エル・おおさか側の特別抗告を最高裁が棄却したことで開催への扉が開いた。
 東京での開催を民間ギャラリーから公立である国立市の施設にしたのは、大阪での開催に絡む裁判所の判断にあるという。国立市も不自由展を前にした三月三〇日に「施設利用については、内容によりその適否を判断したり、不当な差別的取り扱いがあってはなりません。これは、アームズ・レングス・ルール(誰に対しても同じ腕の長さの距離を置く)と、同じ考え方です。市としましては、多様な考え方を持ったそれぞれの市民・団体が、法令に従い実施する様々なイベント・活動の場として、公の施設の利用は原則として保障されるべきものと考えています」との見解を示した。
 国立市での開催が脅迫めいた悪質な妨害なく終えられた背景には、昨年六月、実行委員に脅迫メールを出した会社員の男が逮捕されたことのほか、河村市長や吉村知事のような、「少女像」に批判的な行政トップによる抗議を誘発する発言が影を潜めていたこともあるように思う。関係者によると、少女像に批判的な人も静かに鑑賞していたという。国立市での運営は一つのモデルケースになるであろう。
 「東京展」の完全開催によって、一連の作品がなぜ展示を拒まれてきたのかを考えるスタート地点に社会はようやく立てたことになる。三年前に愛知県で開かれた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(八~一〇月)の「表現の不自由展・その後」は開幕からわずか三日間で展示中止に追い込まれた。本欄は当時、報道各社の社説にこう注文した(不自由展は一〇月に再開)。《いずれの社説も暴力や脅迫行為を許すなという姿勢を打ち出しつつ、不自由展への攻撃の背景にある政治家や“ネトウヨ”の誤った歴史認識には触れていないうえ、再開を求めることもなかった。この点を正さない限り、表現の自由の重要性を訴えたところで同じことは今後も繰り返されるだろう》(本誌二〇一九年一〇月号)
 この論点をしっかり議論する機会の提供をメディアが今日までサボタージュしてきたことが、昨年の各地での「表現の不自由展」の混乱を招いた原因の一つだ。今年は東京のほかに、名古屋など数カ所での開催が予定されているという。メディアにはこうした役割をしっかり果たすよう改めて求めておきたい。

■示されぬ不起訴理由  国立大学法人・旭川医科大学の吉田晃敏学長(二〇二二年三月辞任)によるパワハラや、新型コロナウイルスの患者受け入れをめぐる不適切発言に関する取材で、同大学の校舎に立ち入ったとして昨年六月二二日に建造物侵入の現行犯で職員に常人逮捕された北海道新聞記者の女性記者(二三)と、この記者に取材するよう指示する立場だった現場責任者(キャップ)の女性記者(四三)の二人を旭川東署が三月一六日、旭川区検に建造物侵入容疑で書類送検。区検は同三一日、二人を不起訴処分とした。不起訴のなかでも嫌疑が不十分だったのか、有罪とする証拠は集めたものの検察官の裁量で起訴を猶予したのかなど理由を明らかにしていないという。
 新聞労連、道新労組など報道関係の六団体はこの点について四月一三日に出した「取材の自由と『知る権利』を守るための共同アピール」で「検察の不起訴処分は当然の判断。建造物侵入罪を規定した刑法一三〇条が違法性阻却事由として掲げる『正当な理由』に当たると検察がみなした可能性が考えられる」と指摘した。
 逮捕された記者は当時、吉田学長解任の決議が予想された会議を取材していた。最終的には不起訴処分となったとはいえ、学長の不祥事を報道機関に追及されていた旭川医大が、記者の身柄を拘束し警察力を頼って学内から排除する行為は、取材の自由に対する威嚇だけでなく、同大学の「大学の自治」力の低さも露呈することになった。記者を四八時間も拘束し逮捕手続きを進め、二人を書類送検した道警の判断もおかしい。警察が事件や災害現場から記者を遠ざけようとする昨今の流れのなかにある事件だった。
 一方、道新の態度は記者の取材の自由を守ろうとする姿勢が終始、欠けていた。当初から一貫して、「建物の中に深く入って盗聴することは、建造物侵入罪が成立するなかでも悪質との法的な解釈もある」(小林亨編集局長)と記者の行為を有罪視し続けた。同紙が紙面で旭川医大の常人逮捕を「過剰な対応で、遺憾と言わざるを得ません」とする小林編集局長のコメントを掲載したのは、不起訴が決まった翌四月一日朝刊だった。さらに道新は「組織取材のしかたに反省すべき点があった」として小林編集局長を役員報酬減額一〇分の三(1カ月)としただけでなく、当時の編集局次長・地方担当、旭川支社報道部長、報道部次長とキャップの四人を厳重注意とし、逮捕された記者も編集局長からの口頭指導とした(「処分」を報じた四月一二日記事では口頭指導にはなぜか触れていない)。小林編集局長は「記者研修の内容を見直すなど再発防止に取り組んでいます」と書いていたが、まずは幹部のジャーナリスト教育が先だろう。




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神保太郎 メディア批評(174) (1)戦争に群がるハイエナにならないために 【世界】2022年06月

2022年12月19日(月)

友人らとお酒を飲みながらの雑談、
大方が、いや、ロシアが悪い、プーチンが問題だ……となる。
じゃ、ウクライナは善いのかな……とちょっと首を傾げても、
ほとんど同意を得られない。
ただ、ひとりが、むかしポーランドにいたことのある友人が、
西ヨーロッパの連中は、
おなじスラブ形動氏の争いだくらいにしか見てないんじゃないか、
と話した。
ありうるな、と、思った。
EUの拡大路線で、どんどん東に広がっていったけれど、
もともとそういう路線だったかな、と思い返す。
といって、不勉強。

そういえば東方諸国のおおくは、大陸の国だったな、と思う。
対して、西欧の多くは、海洋との関係が深かったな、と思う。
国の成り立ちなど、ちょっと不勉強で、西も東も、意外と鮮明に覚えていない、
そもそもそれほど明解だったのか、と思い返す。

それから、この戦争でも、やたらと武器の話が出てくる。
そうか、だれかが商売しているんだな、と思い返す。
それは、ロシア側でも、アメリカやその他の西側諸国でも、似たようなものかと思う。
弾薬も、ミサイルも、ドローンも、
戦車も、装甲車も、
兵隊の装備も、
兵隊や武器を運ぶためのトラックや鉄道や船舶も、
みな「商品」なんだな、と思い返していた。

ロシアで、極右の不穏な動きがあるという。
ドイツでは、政府添付を企てた連中が摘発されたとか、まぁ、これがこの戦争と関連があるのかどうか知らないが、
アメリカにだって、極右を称される人多はいたな、と思い出す。
それで、ロシアで名前が挙がっていたのは、人材派遣会社だった。
人材、そう、兵隊、傭兵、カネで雇われた戦闘員……。
それで、商売にとって、敵・味方とはどんなふうに定義されるんだろう、などと思った。

おまえさん、どうするの、
と聞かれて、なんだかあやふやな、曖昧な、
でも、本人としては、戦争に反対だ、というしかないかな、と思っているのだけれど。


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【世界】2022年06月

メディア批評
神保太郎

平和のためには戦争やむなし――。何という矛盾だろう。ウクライナには武器と資金が流れ、悪のロシアをねじ伏せよという論調が報道の中にも広がる。日本では元首相による「核共有論」が飛び出し、同氏の「顧問」を自任する記者が他雑誌の関連記事の検閲を迫る。戦争と報道の距離はいまどうなっているのか。まず自覚的であることが出発点だ。

連載 第174回
(1)戦争に群がるハイエナにならないために
(2)手放されゆく「取材の自由」――日本の現場


(1)戦争に群がるハイエナにならないために

■現場取材からの退避  二月二四日のロシアによるウクライナ侵攻から五〇日目に(四月一四日)この文章を東京で記している。暗澹(あんたん)たるメディア状況が目の前で展開されている。この国の戦後ジャーナリズムの原点、根幹に関わる議論が吹っ飛んでしまっていないか。戦争中、私たちの国のメディアは国民に嘘をつき、戦意高揚の宣伝装置と化した。その反省から出発したはずの戦後日本の報道機関が、ロシアによる非道なウクライナ侵攻という「わかりやすい物語」を再生産することによって、「平和を達成するためには戦争も辞さない」という立ち位置に、いとも容易に転位する事態を私たちは目の当たりにしている。この間、日本のメディアに現れた事象を冷徹に提示してみることで、メディア批評の役割を再考する。
 日本の報道機関は、ウクライナ現地での取材に一貫して腰が引けていた。戦地、危険地域への現地取材の及び腰は今に始まったことではない。最近では、去年八月にアフガニスタンでタリバンが政権再掌握した際、日本のメディアは現地取材へと向かわなかった。日本から最初に現地取材をしたのは、フリーランスの遠藤正雄氏と新田義貴氏の二名だった。あれだけ長い年月、日本も復興支援に力を注いできたアフガニスタンが激変した時、私たちの国の多くのメディアは彼ら、彼女らをあの時点で「見捨てた」。起点の一つは、イラク戦争の際の邦人人質事件に際し、政府、メディアが一体となって唱和した「自己責任論」にある。その後の邦人ジャーナリスト人質殺害事件(ISによる後藤健二氏殺害等)において、「テロリストとは一切交渉しない」という政府による邦人救出「切り捨て」に、メディア自身が大きなトラウマを抱えてきた経緯がある。長期間、シリアの武装勢力に拘禁された末に解放されたジャーナリストの安田純平氏に対して、日本政府はパスポートの発給停止という明白な憲法違反行為を犯し続け平然としている。
 外務省が二月一一日に出した邦人退避勧告に忠実に従って、それまでキーウ等で取材を展開していた日本の報道機関は、拠点をウクライナ西部のリビウや隣国へとあたふたと移した。三月一日に日本メディアの中で最後にキーウを去ったのは朝日新聞とTBSだった。両社はキーウから列車で退避したという。だが、西側主要メディアはキーウを退去せず残って取材を続けた。これは紛れもない事実である。英BBCや米CNN、独ZDF、仏フランス2、TVE(スペイン)、アルジャジーラ(カタール)などは現地から生中継を含めて連日報道を続けていた。なかでもBBCは相当数の人員を現地に投入していた。そしてウクライナ軍の同行取材など、最前線にまで取材を展開していた。
 ウクライナ当局は、キーウでは定期的に記者向けブリーフィングを開催、さらにプレスツアーを実施し報道陣を現場へと導いた。ロシア軍がキーウ州全域から撤収した後は、さらに多くの報道陣がキーウなどに入った。TBS、共同通信などは日本メディアの中では比較的早期に、欧州支局等から現地に記者、カメラマンらを投入したが、筆者の知る限り、朝日新聞が四月七日に、NHKが四月一〇日にようやくキーウに入った。全体的にみれば、日本のメディアの腰の引け方は明白だ。民間人への虐殺行為が明らかになりつつある中で、新聞各紙はこの惨劇を一面トップ記事で報じた。「民間人殺害『二〇〇〇人関与』露兵士の名簿公表」(四月五日、読売夕刊)、「キーウ州市民ら一二二二人犠牲」(四月二日、読売タ刊)。これらの記事を記したのは米ワシントン支局の記者たちだ。なぜキーウのことをワシントンから書かねばならないのか。これが日本の大新聞の国際報道の一つの現実だ。

■ロシア側情報の遮断、地名の変更  NHKのBSでは、「ワールドニュース」という枠で世界各国の定時ニュースを毎朝、同時通訳ベースで放送していた。ウクライナ侵攻で、この「ワールドニュース」に異変が起きた。ロシア国営テレビの定時ニュース「ベスチ」の放送が突然削除され、代わりに「ウクライナ公共放送」が加わった。NHK広報局は本誌の問い合わせに対し「戦争報道にあたっては、正確で信頼できる情報を多角的にお伝えすることを基本としており、戦争を正当化するようなプロパガンダに協力することがないよう、引き続き対応していきます。なお、ウクライナの公共放送のニュース番組については、使用する許可が得られたことから、…放送しています」と回答した。次回はプロパガンダの定義について聞くことにしよう。
 日本政府は三月三一日、ウクライナ領土の地名の日本語呼称について、ウクライナ語に基づく呼び方に変更すると発表した。首都キエフは「キーウ」に、それ以外の地名もウクライナ語読みに統一するとした。このため、チェルノブイリは「チョルノービリ」、オデッサは「オデーサ」とすると。その理由について「日本政府としてウクライナとの一層の連帯を示すため」と臆面もなく説明した。問題は、新聞・テレビが政府の変更に何のためらいもなく一斉に追従したことだ。今までの呼称は一体何だったのか。グルジアをいきなりジョージアに変更した先例もあるが。呼称変更の痛みや政治性を少しは考えて弁明してはどうか。
 侵攻以降、ウクライナのゼレンスキー大統領は世界各国の議会とオンラインでつないで、ウクライナ支援を訴える演説を次々に行った。米、英、独、カナダ、オーストラリア、イスラエル、韓国、そして日本。ついには米グラミー賞授賞式にまでメッセージを寄せた。各国の歴史上の痛点を突くような演説内容の巧みさについての分析もすでになされている。米議会では9・11同時多発テロ事件や真珠湾、キング牧師の言葉にまで言及していた。三月二三日の日本向け演説は穏健な内容だと言われているが、メディア批評的には、このようなオンライン演説が世界を席巻する形で実行されたこと自体が、国際政治上、前代未聞の相乗効果を生んだことに注目しなければならない。

■「避難民」と「難民」  戦乱を逃れて国外に脱出してきた人々を、これまで「難民」と私たちは呼んできたが、今次のウクライナ侵攻では、政府、マスメディアも含めて「避難民」なる言葉が頻用されている。実際、誰が難民で、誰が避難民なのかは明確な規定はないのだ。誤解を恐れず、強引だがおそらく間違ってはいない「区別」に従えば、文明国からやむを得ず逃げてきた白人系の人々は避難民であって、非文明国の第三世界から流れ出てきた非白人系の人々は難民なのかもしれない。林芳正外相は、ウクライナ支援のため訪れたポーランドからの帰途、政府専用機にウクライナ「避難民」二〇人を搭乗させ日本に退避させる異例の手続きをとった。四月五日、「避難民」が日本に到着し、日本のメディアはそれを大々的に報じた。政府はこの避難民の支援を今後全力で行なうという。
 長年、アフガニスタン女性を日本から連帯支援してきた「RAWAと連帯する会」は次のような悲痛な訴えを表明した。「私は日本政府にはアフガニスタンからの難民希望者に対して、またほかの国からの難民希望者に対してもこの度のウクライナと同じ扱いをしてくれることを望みます」。同じくミャンマー国軍から過酷な弾圧に遭って戦っている反政府組織の若い女性戦士がオンラインで日本の視聴者に語っていた。「私たちと同じように平和で自由に暮らしたい人々にとってウクライナでの戦争はとても悲しい。ただそれとは別に、私たちに支援はないのにウクライナにはたくさんある。武器の提供まで堂々と。悲しくなるので『自分の国のことは自分たちで解決するしかない』と思うようにしています」(四月二日放送、TBS系「報道特集」)。

■戦争のハイエナたち  ウクライナ侵攻に乗じて、ここが出番とばかりメディアに登場してきている人々がいる。彼らは、憲法改正、国防費増強を主張し、次は中国による台湾侵攻だとばかり語気を強め、メディア上で大変元気になっておられる。ナオミ・クラインの言うショック・ドクトリン=惨事便乗型資本主義の低劣なヴァリアントを日々テレビのワイドショー等で私たちはみている。なかでも日本の元首相の「核兵器シェアリング論」の荒唐無稽ぶりは突出しているが、その暴論に絡み醜態を演じた朝日新聞編集委員のおぞましい行状については本欄後段で触れる。ウクライナが窮状に陥る中、NHK「ニュースウオッチ9」(四月四日放送)は、田中正良キャスターが、沖縄県の与那国島までわざわざ飛んで「現場取材」をしてきましたと胸を張った。ロシアと中国を単純に同一視するその粗雑なリボート内容に恥じ入る様子は微塵もなかった。

■希望が見出された仕事  暗澹たるメディア状況のなかで希望を見出したいくつかのシーンがある。例えばNHKのETV特集「ウクライナ侵攻が変える世界 海外の知性に聞く」(四月二日放送)だ。ノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエーヴィチ、フランスのジャック・アタリらに道傳(どうでん)愛子キャスターがオンラインで直接インタビューを試みたもので、同様の企画はコロナ・パンデミックの際にもあった。小さき人々=ごく普通に生きる庶民の視点から歴史を記すアレクシエーヴィチの言葉は圧倒的だったし、さらにアタリの言葉に目を覚まされた。彼は言う。「いま私たちが見ているのは冷戦の最後の出来事だと思います。…冷戦は終わることがなかったのです。これは冷戦のクライマックスのひとつです」。民主主義国家vs専制主義国家などというポスト冷戦の浅薄な枠組みの深奥をみる思いがした。私たちは冷戦終結を既定の事実としてみていた。では、NATOは何のために存続していたのか。
 前記に加えて、日本のフリーランスのジャーナリストたちが、時期はまちまちだが、現地取材を果敢に行なった姿は希望のひとつである。そのうちのひとり伊藤めぐみさんと電話で短く会話した。ウクライナ内務省がプレスツアーを募集しそれに参加した。児童保護施設の建物地下にある遺体五体を内外の報道陣に順番を決めて公開したのだが、殺気立った一部の報道陣が先を争って遺体の撮影に殺到するのをみて、内務省担当者が「人間として遺体に接してほしい」とたしなめたのだと言う。伊藤さんは複雑な思いでその光景をみていたという。そのツアーによって報じられた中身は誰のために何のために行われ、それは報じた者に何をもたらしたのだろうか。取材、そしてメディア批評という自省作業を続けねばならぬ。

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