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〔プロムナード〕 米澤穂信 都立中央図書館

2023年03月09日(木)

おおむかし,図書館は,勉強部屋だったか.本を借りるところと言うより,勉強をするところ.
それで,図書館は,これいいのか,と議論があって,
ちょっと意地悪く言うと、それでどうなったか,
文芸と児童書,小説や絵本を,
それにふさわしい利用者,お客さんを呼び込もう,とか.

それで,図書館とは、どんな施設だったのか…….

振り返れば,そもそも図書館という施設がどのくらい整備されていたか,
いまどうなっているか.

出版側が,図書館が新刊を購入して公開するから,新刊書が売れない、と主張する.
いまどうか知らないけれど,一つのさして大きくない図書館で,10冊とか,20冊とかの同じ本を購入する例が、少なくなかった.リクエストに応えることが,図書館の使命と考える人がいただろうか.
いや,たんじゅんにたくさんの複本をいれればいい,とまでは考えなかっただろう……か.

さいしょ,複本を聞いたとき,正本があって,複本として,
図書館で,貸し出ししない正本,貸し出しする複本……といったことかと思った.
いや,いまでもそれに近いかな.

それから,世に出る本のかなりが文芸書ではなく,自然科学関係だったりする.
しかし,司書資格を取る多くの人が,だいたいはいわゆる文系なんだな……と見ていた.
1冊が先負に満たない例もある,と聞いたことがあった.もうちょっと刷っているのでは、なんて思ったが,まぁ,いわゆる「良書」とか,そんな程度なのだろう.
だから,図書館は,もうすこし計画的に――もともときわめて貧弱な予算しかないのだから――蔵書を作っていかなくてはいけないのでは……とは思う.
しかし,利用者数,貸出冊数が,図書館という施設の高揚を量る指標だとすると,
図書館スタッフは,どんなふうに考えるのだろう、とも思った.

おまけに急速なIT技術の進展で,紙の本はどうこうという議論あるのかもしれない.
紙が、すべてネットに代替されるのか,
それでよいのか,ちょっとわからない,いや,疑問はある.
本を読む,と,画面を見る,はかなり違うように感じる.
文字を書く,と,キーボードを使うこととは,かなり違うように感じる.
それで,図書館はどうするんだろうか.

都立中央図書館は,いつだったろうか,日比谷図書館を引き継いだのだから,
それほど古い歴史があるわけじゃないだろう.
その日比谷図書館は,千代田区の施設となっている.
はじめて日比谷図書館に行ったころ,たしかに蔵書をめぐって……ではなく,
学習参考書などを、あるいは赤本を拡げて……という図が目立ったようには思う.
日比谷の地を考えれば,勤め人などは,どうしていただろうか.
……そんなことも思い出しながら,さいきんのリスキリングなんて、ヘンに上滑りな言葉を思い,
図書館ももうすこしスポットライトが当たってもいいんじゃないか,とも思う.
まぁ.図書館の側も、それなりの体制/態勢をとらないとダメかもしれないけれど.
しかし,もともと貧者なく公共の教育関係予算を考えると,なかなかむずかしいのかな,とも思う.
ミサイルの2,3発でもくすねて,こちらに回したらどうだろうとか.


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〔プロムナード〕 米澤穂信 都立中央図書館
2022/9/22付日本経済新聞 夕刊

ずいぶん前のことですが、仕事中に突然、印旛沼(いんばぬま)干拓の工事中止を指示した命令書には何と書かれていたか、知る必要が生じました。

当時私は、新宿のさるホテルで仕事をしていました。自宅の隣の建物が解体されることになり、その工事の騒音で仕事が進まず、一時避難していたのだったと思います。窓の外は夜の気配が濃厚で、私は焦りました。探している文書を参照できれば夜のうちに仕事を仕上げられる一方、見つからなければ、さっさと寝るよりほかに出来ることがない状況だったからです。私はとっさに、開いている図書館を探しました。東京都立中央図書館が21時まで開いていると知り(当時の開館時間です。以下、図書館のシステムも当時のものです)、必要なものだけを鞄(かばん)につっこんで部屋を飛び出すと、タクシーに乗って行き先を告げました。

車内で、私はしかし不安でした。江戸時代の命令書を参照するにはどうしたらいいのか、その頃の私には見当がつかなかったのです。となるとレファレンスに頼るしかありませんが……。

レファレンスは図書館の重要な機能の一つですが、私はそれまで、満足なレファレンスを受けたことがなかったのです。さる図書館のレファレンスカウンターで、中国清代の物語に厨娘と呼ばれる存在を書いたものがないか調べたいと相談したことがあります。結果は、「清」と一言打ち込んだ検索画面を見せてもらえただけでした。そして、その図書館のレファレンス環境が特に劣悪というわけでもないのです。

さらに言うなら、当時の私は都立中央図書館の位置さえ知りませんでした。何となく、都庁が新宿にあるのだから中央図書館も近いのではと思っていたぐらいです。実際には、それは南麻布にあります。タクシーよりも地下鉄を使った方が早かったのでしょうが、これは後知恵。当時の私は、携帯電話の時刻表示を睨(にら)んで、間に合うことを祈るばかりでした。

そうして辿(たど)り着いた都立中央図書館は、広大にして深閑(しんかん)とした池泉庭園、有栖川宮記念公園の一画にありました。本の持出しを防ぐためでしょうか、館内では透明のビニールバッグしか持てず、持参の鞄はコインロッカーに預けることになっていました。私は所定の手続きを終えると、はやる気持ちを抑え、希望と不安を胸にレファレンスカウンターへと向かいました。

カウンターにいた係員はどのような方だったか、私は憶(おぼ)えていません。記憶しているのは、私のたどたどしい説明を聴き取ったその方が、たちどころに「それならば」と調査の方針を示して下さったことです。江戸時代の行政文書を活字化した本があること、都立中央図書館がその本を所蔵していることがわかるまで、5分もかかったでしょうか。15分経(た)った頃には、私は狐(きつね)につままれたような気持ちで、目当ての命令書を眼にしていました。その晩のうちに仕事を完了したことは言うまでもありません。

公共図書館とはどうあるべきか、その理想の姿は今日も模索が続けられています。私にとって図書館は、広範で豊富な資料を揃(そろ)え、その資料の活(い)かし方を知っている人が在籍していることこそが第一です。あの一晩以来、私は「都立に行く」という言葉を、最も信頼する図書館で調べ物をするという意味で使っているのです。

(作家)

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