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JR福知山線事故のことを思い出しながら

2023年04月26日(水)

メディアの報道を見ながら,あのことを思い出す,
なかなか考えはまとまらないが,それでも.

森岡正博さんに,
『33個目の石』
がある.

この本の前に,
山口栄一さんの,
『JR福知山線事故の本質―企業の社会的責任を科学から捉える』
が出ていた.
たぶんほとんど同じころに,両方の本を読んだのではなかったか.

両者には,ほとんどなんの関係もなかった,
けれど,ちょっと気になることがあった.
33個目の石
というのは,
アメリカの大学構内における銃の乱射事件における死者たちを追悼のための32個の石に,
もうひとつの石が置かれたということについて書かれる.

現在は角川文庫で手に入るようだが,Amazonには,こんな文章が――


  「やられたらやりかえせ」という報復の連鎖を、私たちは越えて行けるのか

  報復の連鎖の時代における、かすかな希望は確かにある。
  人は傷つけ合う、その先を見つめた、柔らかな哲学エッセイ。

  米国・バージニア工科大学で起こった銃乱射事件。
  32人の学生、教員が殺され、犯人の学生は自殺した。
  キャンパスには犠牲者を悼む32個の石が置かれたが、人知れず石を加えた学生がいた。
  33個めの石。それは自殺した犯人の追悼である。
  石は誰かによって持ち去られた。学生はふたたび石を置いた。それもまた、持ち去られた。
  すると、別の誰かが新しい石を置いた。
  「犯人の家族も、他の家族とまったく同じくらい苦しんでいるのです」。
  犯人も現代社会の被害者であるという追悼を、われわれは出来るだろうか。
  敵と味方の対立を無効化し、「やられたらやり返してやる」という報復の連鎖を
  超越していく物語を紡げるだろうか。

単行本刊行後、東日本大震災を経て発表された5編と書き下ろしを加えた文庫特別版。

社会は変わりようがない、人々が傷ついたとしても仕方がないというのっぺりとした社会意識を、食い破ることのできる希望。
それはまだ小さな流れではあるけれども、世界のあちこちで少しずつ開こうとしている柔らかなつぼみなのだ。


それで,福知山線事故.
メディアには,宝塚線とある.でも,福知山線じゃないのか……と混ぜ返したくなる.
それは.置いて,
なぜ,事故は起きたか?
山口さんの本は,多くのメディアの報告とは違う視点を提供しているように思われた.

まったく門外漢なのだけれど,ネットなどで探していた.

2000年3月8日に,
営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故
が起きていた.
事故を起こした車両の台車の形式など,両方の事故に共通の背景がありそうだな……と思ったことがあったか.

福知山線事故では,乗客106人が亡くなられた.
事故による多くの負傷者が,その後も長い闘病生活,さらにその後のリハビリテーションのためにたいへんな苦労を余儀なくされた.
山口栄一さんの本のなかばは,そうした事情をあきらかにしていたと思う.

それで,メディアは,いま,死者107人を淡々と伝えている.
ひとりは,事故車両の運転士だった.

事故後,一方は,運転士の運転ミスを主張していた.
他方は,運転士らに対する会社の労務管理,業務管理が,運転士に強いストレスを与えていた……,などと主張していた.
なんだかどちらも,なにか足りないように思えた.
運転士はふだんから,速度超過や,停止位置で停止できないなどの問題があった……などという,
考えようによっては後知恵のような指摘もあったか.ほんとうにそうなら,運転には不適格,再訓練を試みるとか,他業務に配置転換するとか,そういう措置を講じるべきじゃなかったか,と.

そんなメディアの報道を見ていたのだけれど,
そんななかで山口栄一さんの本を読んだのだった.

それと,106人の犠牲者,というときに,107人目の死者がいたんだな,と思っていた.
それで,森岡正博さんの本が気になったのだったか.

山口さんの本は,いま手もとにないので,不確かな記憶をたどると,
たとえば,先の地下鉄の事故と同様の車両の構造の問題,
台車の形式とか,車両の軽量化の影響とか,
それから線路の形状,現場はかなりきついカーブになっていたけれど,運転士はほんとうにスピードを出しすぎていたのか……,いや,じっさいにかなり制限速度をオーバーしていたらしいのだけれど,
それは,脱線転覆するようなものだったのか…….
そういえば,脱線事故と言うけれど,あれは脱線じゃなくて転覆事故だ,という指摘もあったか.
土木や建築などで,安全を図るために,理論上の限界ではなく,安全率を見込むようだけれど,
いや,こんな表現でよかったか,
たとえば100キロが限界だったときに,じっさいの制限速度はどのくらいに設定されるか,
ということなんだろう思うけれど,
鉄道などでは,かなりきつい安全度を見込むのだろう.
逆に言うと,制限速度をオーバーしたら即座に事故になる,というわけではないということだろう.
運転士らは,事故を起こした人だけでなく,そういう安全度を見込んで制限速度が設定されていることを知っていて,たとえば列車が遅延しているときなど,制限速度をオーバーして列車を走らせることがあると語っていたらしい.

しかし,運転士の過失が指摘されて,そんなことで107人目の犠牲者の扱いはどうなるんだろうと思ったのだった.先頭車両は,横転したようなかたちでマンションに突っ込んだのではなかったか.そのとき,運転士はなにを思っただろうか,と.

この事故がきっかけだったか,JR西の新人研修で,
新幹線の点検用だったか,たぶんトンネルのなかで,線路脇の狭い溝のようなところで新幹線が通過するのを体験するとかいうのがあった.もっともらしい研修ではあったけれど,さて,ほんとうに必要なものだったのか.
そんな報道もあったと記憶する.

107人目の犠牲者のことを知らず,はたしてほんとうに事故は教訓化されるんだろうか,と思ったのだった.

そういえば,この列島の国ではなかったけれど,列車の正面衝突という,ちょっと信じられないような事故があった.
でも,いつも事故は,信じられないようなことなのだ.
ひとは誤る,だからいろいろなバックアップの仕組みを考えてきたのだろう.
そうか,To err is human とか,
で,to forgive divine だと.


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