SSブログ

原 俊彦 『サピエンス減少――縮減する未来の課題を探る』

2023年04月25日(火)

以前,雑誌の論文を丸写ししたけれど,
その論文を踏まえて,一冊の新書が生まれた.

いつごろまでだったろうか,産児制限の運動があったことを思い出す.
ひょっとするといまでも続いていたりして.

いっとき仕事の参考に,人口のデータを見ていたとき,
いや,たいしたことをしていたわけじゃなくて,統計書の大きな数字だけを追いかけていたときに,第2次大戦の終戦後,ベビーブームの後,合計特殊出生率はずっと減少し続けていたのではなかったか.
ついでに死亡原因の大きな傾向は,1950年代後半には,現在と大きな違いはなかったように見えた.感染症などによる死者の相対的な減少,がんや心疾患による死者の相対的な増加.
そう,1970年頃に読んだ長期の経済推計などにも値いられていた人口予測の,ほぼその予測が実現していた.

ただ,なぜ?――人口の趨勢は,なぜそのようになるのか,いつもかすかに疑問が残っていたように思う.
経済の分野で,いっとき長期の経済統計に基づきながら,時系列データによる長期予測が行われていて,そこで「理論」,なぜそのようになるのか?などすっ飛ばして議論されていたことがあったな,と思う.

それにしても楽観論?悲観論?……,その議論の前に,もうすこしきちんとした現状と見とおしを踏まえた検討が必要なことは,たしかなんだと思うけれど,
とても不毛な,あるいは上っ面だけの議論がみられるように思う.
もちろんそれでいいわけがない.


―――――――――――――――――――――――――

サピエンス減少
 ――縮減する未来の課題を探る   

原 俊彦

岩波新書(新赤版)1965
2023年3月17日 第1刷発行

―――――――――――――――――――――――――


 序 世界人口の増加と日本の人口減少をどう考えるべきか?


「有史以来、われわれ人類は、増加しつづけてきた。パンデミックや世界戦争による一時的な減少や停滞はあったにせよ、人類史の基調は、つねに人口増であった。政治と経済、文化、社会システムのほぼすべて――つまり私たちの世界観は、人口が増え続けることを前提に構築されてきたといえる。だが、まもなく世界人口はピ-クを迎え、減少局面に転ずる。それはあらゆるものが縮減していく世界であり、われわれの世界認識そのものに根本的な変容をもたらすだろう。人口減少は、もはや不可避の未来である。ここで問われるべきは、その縮減する世界をどうデザインするのか、にほかならない。人類史的な転換をどう迎えるのか。減少へと向かう“最突端”に位置する日本そしてアジアから、考察を深めていきたい。」(『世界』2021年8月号(第947号))。


 2022年7月、新型コロナ・パンデミックの影響もあり、通常より1年遅れて、国連の新推計(UNWPP22:World Population Prospects 2022)が公表された(United Nations 2022a/b,https://population.un.org/wpp/)。推計方式が5年5歳から各年各歳に変わる一方、確率モデルが採用されて、各国ごとの詳細なデータが得られる画期的なものであり、今後、様々な分野で分析・活用されていくと思われる。しかし折からのコロナ・パンデミックの感染拡大、異常気象の連鎖、ロシアのウクライナ侵攻などを背景に、難民急増、資源・エネルギー・食料不足、世界的な物価高騰の波など、様々な政治・経済・社会危機が次々と生起する中、新しい推計結果がメディアや一般の人々の注目を集めることはなかった。
 世界人口については、これまで人口増加が続いていて、資源・エネルギー・食料問題や地球温暖化防止・CO2削減など環境問題への対応という観点からは、この人口増加をいかに止めるかに主要な関心が寄せられてきた。このため、なお人口増加が続くという推計結果は想定の範囲であり耳目を集めるものではない。もっとも、この新推計では、世界人口が2022年中(11月15日)に80億人を突破すると予想されており、世界人口時計の数値が80億を超える日が来ればTVや新聞のトップを飾るかも知れない。
 一方、私たちが住む日本に目を向ければ、この国の総人口は2008年の1億2808万4千人をピークにすでに人口減少期に入り2020年の国勢調査では1億2614万6千人となり、前回国勢調査から5年で94万9千人滅少した。人口減少はその後も続き記録を更新している。また毎年生まれる子どもの数の減少も年々大きくなり、直近(2021年)の出生数は過去最少の81万1622人を記録、前年より2万9213人減少している。合計(特殊)出生率(平均して一人の女性が一生の間に産む子どもの数)も前年の1・33人から1・30人に低下している。これに対し死亡者の数は143万9856人で、前年から6万7101人増加、毎年、戦後最多を更新している。地域社会ではこのような自然減に人口移動による社会減が加わり、人口減少はさらに急速に進んでいる。すでにJRのローカル線の廃止、小中学校・高校の統廃合、シャッター商店街の増加、廃屋問題など、人口減少にともない様々な問題が深刻化している。つまり日本では人口増加ではなく、人口減少をいかに止めるかが課題となっている。
 本書は、このような世界人口の増加と国内人口の減少という二律背反的状況をどう理解すればよいのかという素朴な疑問や、現在の世界が直面する危機的状況は、人類社会の発展が「成長の限界」に達し、いよいよ世界の終わりが近づいているのでは、という重苦しい不安に対し、人口学から何がいえるのかを答えようとするものである。また本書はしばしば類書にみられるように不安や絶望を煽ったり、根拠のない楽観論を展開するものではない。今起きていることの人類史的な意味を正しく理解することにより、今世紀末を超えて、なおしばらくは続くと思われる人口減少を前向きに捉え、若い世代はもとより子育て世代から高齢世代まで、誰もが未来に希望を持ち生き続けることを願うものである。
 先回りして結論めいたことを述べておくと、まず、世界人口全体は、なおしぼらく増加を続けるが遅くとも今世紀後半の中頃には減少に入り、世界全体が、現在の日本と同じような少子高齢・人口減少社会に移行していく。そして、もし、そのまま人口減少が続けば世界人口は300年ほどの間にピーク時の100分の1程度にまで縮減する。しかし、人類は先史時代以来、現在まで、そのような危機を何度も克服してきた。あるいは別の言い方をすれば、人類は常にいつ絶滅するかわからない状況の中で、これまでも生きてきたし、我々もまた同じようにこの危機を乗り越え生きていくしかない。
 一方、現在の日本が経験している人口減少は歴史的な人口転換の帰結であり、先進国を中心に世界の多くの国々も遅かれ早かれ同じ道を歩むと考えてよい。したがって、この人口減少は日本だけの特殊な事情によるものではなく、前代未聞の「国難」といった国粋主義的で排他的な捉え方をすべきではない。また政府の失政や誰かの陰謀によるものでもない。出生力の低下についても、晩婚晩産化/非婚無子化などの責任を若い世代に求めるべきではなく、直系家族制の伝統の衰退や、フェミニズムやジェンダーブリー的な社会的傾向など、様々な犯人探しを行ったとしても有効な対策には結びつかない。
 基本的には、長年にわたり人類が進歩し豊かになり、平均寿命が延び長寿化する一方、結婚・出産あるいは移動に関わる個人の選択の自由が拡大してきた結果であり、そのこと自体は喜ぶべきことであり、今後も、この流れを止めるべきではないだろう。したがって、最終的には人類社会が個人の自由を最大限に尊重しつつ、社会全体の出生・死亡・移動などをコントロールして人口全体を定常状態に保つようにするしかない。しかし、そこに至るにはまだまだ多くの試行錯誤と時間が必要とされる。このため当面は、人口や出生数の減少を止めることをめざすのではなく、人口減少とともに出現する、「縮減する社会」(カウフマン2011/Hara2014)の様々な課題の解決に向け、前向きに取り組むべきだと思う。それは十分可能であり、世界の他の国々や地域を結ぶグローバルな連帯と協力を通じより良い未来につながると確信している。
 本書の流れを説明しておく。まず第1章の「縮減に向かう世界人口」では、国連の将来人口推計(2022年)の結果を踏まえ、世界人口が人口増加から人口減少へと向かうこと、その結果、現在の日本と同様、世界全体がポスト人口転換期の「縮減する社会」となっていくこと、また、国連推計の楽観的な前提が崩れれば世界人口は急激に減少し消滅に向かう可能性もあることを示す。次に第2章「持続可能な人口の原理」では、コーエンの絶滅曲線を取り上げ、人類社会の持続可能性について検討する。また人口波動モデルを使い、この絶滅曲線が過去の人類史のどの時点でも描けることを示す。さらにマルサスの『人口の原理』に遡り、ダブリングタイムやロジスティック曲線などの特性について説明し、人口が持続するための条件としての「持続可能な人口の原理」を提示する。
 第3章の「多産多死から少産少死へ」では、第一と第二の人口転換理論について紹介する。



また日本の歴史的データを使い、日本の人口転換とその帰結としての人口減少について解説し、なぜ多産多死から少産少死に向かったのか、またなぜ1975年以降、すでに半世紀近くも置換水準以下の低出生力が続いているのか、その理由を説明し、この人口減少が容易には止まらないことを明らかにする。
 第4章の「人口が減ると何が問題なのか?」では、しばしば議論となる「人が減って何が悪い?」という素朴な疑問に答える。ここでは、まず人口増加が加速する「人口爆発」と同様に、人口減少が急激に進む「人口爆縮」においても、「縮減する社会」が直面する多くの課題が現れること、具体的には需要の縮減や再分配あるいは格差の拡大、自然環境・生活環境の悪化、国内・国際人口移動の制御、グローバルな意思決定の必要性などについて論じる。
 最後の第5章「サピエンス減少の未来」では、再び、国連の新推計(UNWPP22)が示す、今世紀末の世界人口の地域的な分布を俯瞰するとともに、人口転換の推進装置について考察し、出生・死亡・移動の未来について検討する。最後に時間軸をホモ・サピエンスのアウト・オブ・アフリカまで巻き戻し、我々人類がどこから来て、どこにゆくのかという永遠の謎について考える。





   目次


 序 世界人口の増加と日本の人口減少をどう考えるべきか?

第1章 縮減に向かう世界人口     1
  1 国連の将来人口推計2022   1
  2 人口増加から人口減少へ   7
  3 ポスト人口転換期の危機   17

第2章 持続可能な人口の原理     29
  1 コーエンの絶滅曲線   29
  2 人口波動モデル   38
  3 持続可能な人口の原理   44



第3章 多産多死から少産少死へ    57
  1 第一と第二の人口転換   57
  2 日本の人口転換   64
  3 世界の人口転換   84

第4章 人口が減ると何が問題なのか?   101
  1 人口減少をどう捉えるべきか   101
  2 生産と再分配の問題   107
  3 自然環境・資源エネルギー問題   117
  4 国内・国際人口移動の問題   127
  5 グローバルな意思決定の必要性   131

第5章 サピエンス減少の未来     137
  1 国連の将来人口推計2022が示す未来   137
  2 人口転換の推進装置   144
  3 出生・死亡・移動の未来   149
  4 我々はどこから来て、どこへゆくのか?   155

 参考文献一覧           159
 あとがき             163





   あとがき


 本書の「序」の冒頭に示したのは『世界』2021年8月号「特集 サピエンス減少――人類史の転換点」の前文である。本書のタイトルは、この特集に由来し内容もそこに掲載された拙稿「縮減に向かう世界人口――持続可能性への展望を探る」に準じている。特集のタイトルを初めて新聞広告や書店で目にした人は(私自身も含め)、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの世界的ベストセラー『サピエンス全史』を連想したと思う。特集の企画段階から参加し巻頭論文を執筆した身としては少々気恥ずかしく、2100年までの世界人口とその持続可能性については論じたものの、「人類史の転換点」と呼ぶべきものかと問われれば、そこまでは論じておらず、機会があれば自分なりの答えを用意したいという思いがあり、それが国連の新推計(UNWPP22)データでバージョンアップし本書となった。
 特に現在の世界が向かっている長期の人口減少が、人類史上、かってないものなのかという点については様々な補足や考察が必要となった。幸い、2020年に「持続可能な人口の原理」(An Essay on the Principle of Sustainable Population)という英書を出版していたので、そこで論じた内容を追加した。コーエンの絶滅曲線の解釈、とりわけ指数関数的増加にはフラクタル性があり、実際の人口変動は無数の人口波動が重なり合い、その結果が長期の成長曲線や指数関数的増加となる。ただし、そのような形にみえるのは、ある時点から後ろを振り向けばの話であり、すべては事後的にしか確定しない。このことは言葉や数式では難しいが、シミュレーションすれば直感的に理解できることを示したつもりだ。なお人口波動説自体は著者のオリジナルではなく日本の研究者も含め諸説を紹介すべきところだが、本書に登場するシミュレーションモデルや人口転換理論と同様、紙幅の都合もあり詳述できなかった。詳細については著者のHP(原俊彦研究室http://toshi-hara.jp)にアクセスするか参考文献にある英書を参照して頂きたい。
 近年の少子高齢・人口減少をめぐる議論は、海外/国内とも基本的な捉え方が自分の考えとは大きくズレていて、人口減少への主観的な賛否、ジェンダー平等やLGBTQなど性的マイノリティの権利に対する主張と反論、地球温暖化やCO2削減などの犯人探しや政府施策の擁護または批判に終始していて、もう少し人類史的・人口学的視点に立ち、謙虚に前向きな方向で考えることができるはずだとの強い思いがある。そこで、せっかくの機会なので、この際、まだ研究途上にあることも含め考えていることを書きたいだけ書いてみることにした。そのため第4章の「人口が減ると何が問題なのか?」は、特集の原稿よりかなり踏み込んだ内容となり、拙書『「日本株式会社」の崩壊――変貌する巨大企業と経済社会』の30年後を、企業コンサルタントではなく人口学者として改めて論じることになった。様々な分野からの異論反論が寄せられることを期待している。
 また第5章の「サピエンス減少の未来」では「サピエンス減少」というタイトルに触発にされて2000年の『狩猟採集から農耕社会へ――先史時代ワールドモデルの構築』以来、長らく中断していた人類史的な視点からの超長期の人口変動について考察した。先史時代ワールドモデルを現在、そして未来に拡張する、また日本の縄文・弥生から現代、そして未来までをシミュレートするモデルを作るという、果てしない夢はもはや時間的に実現しそうもないが、もしやりたい人がいれば喜んで協力するのでご連絡をお待ちしている。
 本書の結論としては人口は消滅したり絶滅したりするのではなく、無数の波動が重なり混じり合い、次の新しい波に引き継がれるということだ。この結論は数年前にベルリンのカフェでお会いしたフンボルト大学教授ハンス・ベルトランとの会話から得たものだ。彼は2007年頃から始まったドイツの新しい家族政策を主導した人だ。結局、低出生力からの回復が難しいとすれば、ドイツはもはや移民国家になってゆくしかないのではという私の質問に「我々ドイツ人は大移動してきたゲルマン民族の末裔であり、ドイツは最初から移民国家だ。イタリアだって同じで、今日のイタリアで古代ローマ人を見つけることはできない」との明快な回答を得た。そういえば日本だって同じだ!と目からウロコが落ちた。ベルトラン先生に感謝している。
 人口の研究を始めたのはドイツのフライブルク大学に留学していた頃(1977年から1982年まで)のことで、元の専門の政治学(行政学)に、ドイツの学位制度の関係で社会学と経済政策が加わったものの『ローマクラブ報告』で使われたワールドモデルのような社会科学系のシミュレーション・モデルに関心があり各専攻でネタを探していたところ、数値データの入手が容易でモデル化しやすい、核戦略、人口、国際通貨というテーマが浮かび、そのうち、もっとも早く完成した人口モデルで博士論文を書いた。この博士論文(ドイツ語)は「ドイツ連邦共和国における人口変動と出生減退――統計データ及びコンピュータ・シミュレーションによる分析」というもので、当時のドイツは東西に分断されていて対象は旧西ドイツ地域のみである。合計出生率がピークの2・45人(1961年)から1・45人(1975年)まで、ほぼ半減する出生力低下があり、以降、1・40人前後で推移していた(2020年現在1・53)。博士論文を書いた頃、ドイツの作家ギュンター・グラス(後にノーベル文学賞を受賞)が「頭部出産あるいはドイツ人は死滅する」(Kopfgeburten oder Die Deutschen sterben aus)(1980)という小説を発表するなど、置換水準以下の低出生率を巡る議論が盛んであった。
 その後、日本に戻り、シンクタンクの主任研究員やビジネスコンサルタントとして、バブル景気崩壊直前まで企業社会にいた。日本も少子高齢化が急速に進んでいて、人口変動が企業社会に与える影響について『「日本株式会社」の崩壊』(1987)を出版した後、北海道に移住し大学教員となり再び研究に復帰した。その頃、日本でも1・57ショックを契機に低出生率の問題が注目されるようになり、国立社会保障・人口問題研究所や日本人口学会を通じ、ドイツの低出生力の研究者として知られるようになった。古い話を書けば切りがないが、要するに1982年から2022年まで気がつけば40年も人口研究を続けている。還暦を過ぎた頃から、これまでの研究(出生、死亡、人口移動、先史時代から今日までの超長期の人口変動など)がまとまり始め自分なりの回答が得られたと思っているが、本書が出る頃にはもはや古希を迎える。私が2100年の世界を見ることはないが、現在4人となった孫たちも含め、今後生まれてくる新たなホモ・サピエンスたちにとって未来がより良いものとなることを願っている。
 『世界』の特集は、『人口学研究』に書いた過去と今後10年の学会展望を編集担当の渕上皓一朗氏が見つけ連絡を頂きオンラインの企画会議を経て実現した。そして特集が出て岩波新書編集担当の島村典行氏から連絡を頂き、本書の企画・出版の機会を得た。末尾ながらお二人に心より謝意を表する。

2022年10月30日 札幌にて
原俊彦



原 俊彦
1953年東京都生まれ。人口学者.早稲田大学政治経済学部卒,フライブルク大学博士(Ph.D).(財)エネルギー総合工学研究所,北海道東海大学,札幌市立大学を経て札幌市立大学名誉教授.日本人口学会理事,国立社会保障・人口問題研究所研究評価委員などを歴任.著書に『狩猟採集から農耕社会へ』(勉誠出版),『A Shrinking Society』,『An Essay on the Principle of Sustainable Population』(Springer)など.





nice!(0)  コメント(0) 

『朝のあかり――石垣りんエッセイ集』(中公文庫) 

2023年04月25日(火)

伊藤比呂美さんの編で,
石垣りん詩集
岩波文庫 2015年第1刷
が出て,本屋で手にとった.

名前は知っていたけれど,たぶん読んだことはなかったように思う.

1920年2月生まれ,
2004年12月死去.

解説で,梯久美子さんが書いているように,とても辛辣で,厳しい文章がある.
東京・赤坂で生まれたという.薪炭商の家だったとある.
いまではとても想像もできない……かなと思う.
そういえば,一ツ木通りには,むかし銭湯があったことを思い出す.


―――――――――――――――――――――――――

朝のあかり
――石垣りんエッセイ集

石垣りん

2023年2月25日
中央公論新社

―――――――――――――――――――――――――


目次


Ⅰ はたらく   9

 宿借り             10
 けちん坊            12
 朝のあかり           14
 雨と言葉            16
 目下工事中           18
 よい顔と幸福          21
 日記              31
 晴着              38
 事務服             41
 事務員として働きつづけて    45
 おそば             49
 領分のない人たち        53
 食扶持のこと          58
 着る人・つくる人        64
 巣立った日の装い        68
 試験管に入れて         71
 夜の海             76
 こしかた・ゆくすえ       80


Ⅱ ひとりで暮らす   83

 呑川のほとり          84
 シジミ             86
 春の日に            88
 電車の音            90
 器量              92
 花嫁              94
 通じない            96
 女の手仕事           99
 つき合いの芽          103
 彼岸              108
 コイン・ラントリー       110
 ぜいたくの重み         112
 水はもどらないから       114
 愛車              117
 庭               119
 籠の鳥             121
 貼紙              124
 山姥              127
 梅が咲きました         130
 雪谷              132
 私のテレビ利用法        135
 かたち             139


Ⅲ 詩を書く   151

 立場のある詩          152
 花よ、空を突け         171
 持続と詩            181
 生活の中の詩          186
 仕事              194
 お酒かかえて          200
 福田正夫            204
 銀行員の詩集          212
 詩を書くことと、生きること   214


Ⅳ 齢を重ねる   233
 終着駅             234
 四月の合計           237
 二月のおみくじ         239
 椅子              242
 私はなぜ結婚しないか      244
 せつなさ            248
 インスタントラーメン      250
 火を止めるまで         252
 しつけ糸            255
 鳥   259
 おばあさん           262
 空港で             265
 八月              268
 港区で             271
 花の店             274
 隣人              277
 風景              280
 思い出が着ている        283
 悲しみと同量の喜び       289
 ウリコの目 ムツの目      295
 乙女たち            302
 夜の太鼓            305


  解説  梯久美子   309





   解説   梯 久美子


 石垣りんの名を、教科書で知ったという人は多いのではないだろうか。「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」「表札」「空をかついで」などの作品が、これまで中学校や高校の国語教科書に採用されてきた。
 戦後を代表する詩人のひとりに数えられる石垣りんは、一方で、すぐれた散文を多く書き残している。生前に刊行されたエッセイ集が三冊あり、そこから七十一篇を選んで収録したのが本書である。
 石垣りんに対して、優等生的な「教科書の詩人」というイメージしかもっていなかった人は、本書を読んで、世の中を見る彼女の目の仮借のなさに驚くかもしれない。たとえば「I はたらく」にある、「よい顔と幸福」と題された文章の辛辣さはどうだろう。
 石垣りんは銀行員として長く働いた人である。その銀行の職場新聞に載ったある投稿の話からこのエッセイは始まる。自分たち銀行員を〈大へん良い顔をしている〉と自賛し、〈ことにわが子息たちはまことに良い顔をしている〉とする文章に、彼女は強烈な違和感をもつ。
 貧しさゆえに教育を受けられない人たちのことに思いが至らず、特権を当然のものとして享受する人たち。エリートの無神経さと、持つ者/持たざる者の分断、階層の固定化といった現在まで続く問題を、石垣りんは半世紀以上前に、借りものではない自分の言葉で、こんなにも具体的に語っていたのだ。
 このエッセイの中で石垣りんは、大組織のいちばん低い場所で長年働いてきた自分を〈アウトサイダー〉と明確に位置づけている。アウトサイダーの目を持たねば見えないものがあるという自覚は、彼女の詩にも通底するものだ。
 書かれた内容にも増して私が驚いたのは、このエッセイが、石垣りんが勤めていた銀行の行友会誌に発表されたものだという事実である。高等小学校を卒業して事務見習いとして入行したのが十四歳、文中に勤続二十五年とあるから、三十九歳のときである。私は銀行の後輩にあたるという女性からその掲載誌を見せてもらったが、黄ばんだ誌面に印刷された文章を改めて読みながら、「書く女」としての石垣りんに圧倒される思いがした。
 晩年の石垣りんと交流のあった元新聞記者の栗田亘氏は、なぜ詩を書くのかと彼女に尋ねたことがあるという。するとこんな答えが返ってきたそうだ。
〈長いこと働いてきて、人の下で、言われたことしかしてこなくてね。でも、ある時点から自分のことばが欲しかったんじゃないかな。何にも言えないけれど、これを言うときはどんな目に遭ってもいいって〉(「お別れのことば」より)
 どんな目に遭ってもいい、という覚悟で石垣りんは詩を書いていた。それはおそらく散文においても同じだったのだと思う。
 栗田氏は、この〈凛とした、明晰なことば〉を、彼女がく少女のように差じらいを含んで〉語ったと書いている。
 石垣りんを知る人は一様に、彼女がはにかみやで遠慮がちな人だったと回想している。詩人の谷川俊太郎氏は、石垣りんが八十四歳で亡くなったとき、別れの会で朗読した詩で、こう呼びかけた。
〈何度も会ったのに/親しい言葉もかけて貰ったのに 石垣さん/私は本当のあなたに会ったことがなかった/きれいな声の優しい丸顔のあなたが/何かを隠していたとは思わない/あなたは詩では怖いほど正直だったから〉(「石垣さん」より)
 おだやかで控えめで、いつも優しい笑みを浮かべていた石垣りんは、ひとたびペンを持てば、誰にもおもねらず、遠慮せず、本当のことを書いた。その覚悟と衿持は、本書に収められたエッセイにもたしかに息づいている。
 石垣りんの詩にもエッセイにも、身を挺してつかみ取った批評性がある。だがそれだけではない。同時に、隣人に注がれる、あたたかい目が存在する。
 「Ⅱ ひとりで暮らす」にある「花嫁」は、公衆浴場で見知らぬ女性から、衿足を剃ってほしいと頼まれる話である。明日嫁に行くと言われて、石垣りんは祈るように差し出されたカミソリを受け取る。
〈明日嫁入るという日、美容院へも行かずに済ます、ゆたかでない人間の喜びのゆたかさが湯気の中で、むこう向きにうなじをたれている、と思った〉
 何と美しい描写であることか。人間というものの、切なさといじらしさがここにはある。
 見知らぬ人の衿足にカミソリを当てるのは、親切心や優しさだけではできないことで、ひとつの決心がいる。その決心をうながしたのは、りんと同じく都会でひとり生きてきたこの女性の孤独だったに違いない。
 石垣りんは、独身のまま生涯を全うした。さまざまな事情はあったにせよ、ひとりで生きて死ぬことを選んだ人である。自立、という言葉が軽く感じられるほど、孤独をその身に深く引き受け、個として生きるよろこびと哀しみを味わい尽くした。その軌跡は、彼女が残した詩と散文に刻まれている。
 詩人の三木卓氏は、彼女を〈単独者〉と呼び、〈その目は、生活の表層にとどまるという幸福を得ることができず、深く人間の生の本質的な条件を見てしまわないではすまない〉と書いている(「生活の本質見抜いた目――石垣りんさんを悼む」より)。
 本書に収められたエッセイの一篇一篇には、石垣りんの人生の断片がちりばめられており、その背後に、彼女が生きた時代が見え隠れする。より深く彼女の文章を味わってもらうため、石垣りんがどのような人生を歩んだのかを、簡単ではあるが最後に記しておく。
 石垣りんは一九二〇(大正九)年、東京に生まれた。父の仁は赤坂で薪炭商を営んでいた。生母のすみは、りんが四歳のとき三十歳の若さで病死。父はすみの妹を後妻に迎えるが、りんの叔母にあたるこの人も早世する。父は三人目の妻を迎えるも離婚、その後、りんが十七歳のときに四度目の結婚をした。
 高等小学校卒業後、十四歳で丸の内の日本興業銀行に事務見習いとして就職。自分の稼いだお金で自由に本を買い、ものを書きたかったから進学しなかったという。少女雑誌に詩や小説を投稿し、やがて仲間たちと女性だけの詩誌を創刊する。
 太平洋戦争が始まったとき二十一歳、疎開はせずに銀行で働き続け、二十五歳で終戦を迎えた。赤坂の家は空襲で全焼し、戦後は品川の路地裏にある十坪ほどの借家に、祖父、父、義母、二人の弟と暮らした。父は身体を壊して働けず、上の弟は病気のため無職、下の弟は障害があり、家族六人の生活がりん一人の肩にかかってきた。以後、銀行で働いて家族を養いながら詩を書き続けた。
 老いてなお四人目の妻に甘えて暮らす父をりんは嫌悪し、義母とも折り合いが悪かった。このころのりんは〈この家/私をいらだたせ/私の顔をそむけさせる/この、愛というもののいやらしさ〉(「家」)、〈父と義母があんまり仲が良いので/鼻をつまみたくなるのだ/きたなさが身に沁みるのだ〉(「家――きんかくし」)といった痛烈な詩を書いている。
 三十三歳のときに祖父が、三十七歳のときに父が死去。残された家族の面倒は引き続きりんが見た。
 満五十五歳になる前日、銀行を定年退職。その五年前に、退職金でローンを完済できる見込みの1DKのマンションを購入していた。本書のエッセイにも登場する私鉄沿線のこのマンションは、十四歳から働き、戦後は家族を養ってきたりんが、ようやく持つことのできた自分ひとりの城である。
 二〇〇四年、八十四歳で死去。詩集は生前に刊行した『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』『表札など』『略歴』『やさしい言葉』および、没後に遺稿から編まれた『レモンとねずみ』がある。

(かけはし・くみこ ノンフィクション作家)

nice!(0)  コメント(0)