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還暦 石垣りん

2023年08月14日(月)

「石垣りん詩集」から

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還暦

あれは大正が昭和に変ろうとする
そのころでした。
私はバスケット提げて
小学校の附属幼稚園に通っていました。
幼稚園の建物は細長く
細長い廊下に沿って
細長い庭がありました。
庭のうしろは歩兵連隊の高い土手
場所は東京赤坂
乃木神社の坂下でした。
木造の教室で一日の授業が終ると
女先生のオルガンに合わせ
円形に並べられた机のまわりを
歌いながら足踏みながら
一列になって回りました。
“先生ごきげんさようなら
 皆さんごきげんさようなら”
その子たち
昭和も半世紀を過ぎた今年の春
集って還暦を祝いました。
人生の教室では
戦争も終了
繁栄も頭打ち
会社も定年
私たちのバスケットもからっぽ。
酒杯かわして飲みましょう。
足踏みながら日の丸の旗の
赤い円形を回って歌いましょう。
“先生ごきげんさようなら
 皆さんごきげんさようなら”

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還暦
「石垣りん詩集」
伊藤比呂美編
岩波文庫
pp.173-175



台風接近のニュースを聞きながら
ふっと机のうえに積んであった文庫本を手にとったら しおりが挟んであった
この文庫が出版さえたときには 還暦を過ぎていたな
と思いながら 読んでいた
むかしの赤坂 どんな町だったんだろう
一口に赤坂といっても かなり広い範囲にわたるから

ちょっと前 まだ働いていたころ 誘われて赤坂に飲みに行った
若い人たちの集まりだったけれど この辺も赤坂なんだな と思いながら
それから 懐かしいお店の名前
むかしきれいになる前 渋谷の飲み屋街にあった店と同じ名前
女将に聞いたら うちはその後継です という
友人らと渋谷で飲んで 最後にその店で じゃじゃ麺をお腹に入れて……なんてことが多かった


大江志乃夫さんの「凩の時」を読んだことがあった
出版されてすぐ読んだのだったか
赤坂が舞台だったか いや部隊?なんて語呂合わせだけれど


石垣さんがお辞めになってすぐ 
大学のゼミの仲間のひとりが お辞めになった銀行に入行した
仲間が集まったときに すこしばかり当時の職場のことが話題になった
まだ大学進学率20%台 もちろん性別からみると 男がたぶん30%くらいだったろうか
それでもクラスの女性とのほとんどが進学していただろうか
しかし じゅうぶんに能力があると思っていた女学生が就職した
なぜ とは聞かなかったか 覚えていない

いろいろ思い出すことが多くなったように思う
ふっとささいなことが思い出される
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