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[表紙]カストロ 杉本博司  【図書】2023年11月



たしかにゲバラに較べると,カストロはちょっと人気がなかったかもしれないな、と思い出す.
おまえさんはどうだったんだ、と自問すると,とくにどちらが……とは思わなかったか.

アメリカのキューバに対する外交上の措置については,
なんの問題もなかっただろうか? たぶんそんなことはない.
キューバ危機は,アメリカの外交が必然的に呼び込んだところがあったんじゃないか.

黒木和雄さんの「キューバの恋人」を見た記憶があるけれど,
中身はほとんど覚えていない.
それでもアメリカの圧力下のキューバへの、多少の関心があったんだと思う.
仮に,列島の国が、アメリカの属国の道を歩まなかったら……とか.
当時,そう見ていたかどうか.

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【図書】2923年11月

[表紙]カストロ
杉本博司

 カストロは革命家だ。革命家とは理想を掲げ、人々を抑圧する悪しき政権を倒し、理想実現する人を指す。しかし殆どの場合、革命が実現してみると、その革命家は権力者となり独裁者となりおおせてしまう。そして再び人々を抑圧し始めることになるのは歴史の皮肉だ。
 カストロは裕福なスペイン移民の子としてキューバに生まれ、次第に革命を目指すようになる。アメリカの傀儡政権であるバティスタ独裁政権はさとうきび栽培を経済の根幹とし、過酷な労働を人々に強いていた。一九五三年に初めて蜂起、モンカダ襲撃に失敗した後の獄中書簡が残されている。
 「われわれが依拠するのは、毎日のパンを誠実に稼ぎたいと思っている七〇万人の失業者、みすぼらしい小屋に住み、一年のうち四ヶ月働き、子供たちと貧しさをともにしながら、残りの日を飢え、一インチの耕す土地も持たない農業労働者である」(宮本信生『カストロ』、中公新書より)
 さとうきび栽培では一年に四ヶ月しか季節労働者としての働き口がなかったのだ。一九五六年、亡命先のメキシコから、八二名の同志とともにグランマ号にのってキューバ上陸を果たすが、激しい戦闘で一八人が生き残り、マエストラ山脈にこもりゲリラ戦を展開することになる。この時の生き残りにチェ・ゲバラがいた。カストロの運動に民衆は集まり、ついに一九五八年、数においては圧倒的なバティスタ軍に勝利する。独裁政治を倒して、社会正義を実現しようとしたカストロの初期の動機は、社会主義国家建設を目指し今に至る。カストロの人気が死後もある程度維持されているのは、独裁者でありながら清貧に生きたからだ。宮殿も建てず普通の生活をし、銅像も建てず自身の英雄化を拒んだ。徹底した医療や教育の平等も実現している。しかし盟友ゲバラはソ連追随を潔しとせず去り、一革命家としてボリビアのアンデス山中で最期を遂げた。革命家は革命の渦中で死ぬのが本望なのだ。ゲバラの人気は今も高い。
(すぎもとひろし・現代美術作家)


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片山善博の「日本を診る」(169) 機関委任事務の亡霊が幅をきかす自治の現場 【世界】2023年12月

2024年04月07日(日)

ちょっと気になる投稿が「X」似合ったな,なんだったか,
たぶん能登.
ボランティアを前にまるで訓示を垂れるかのような石川県知事の写真だったか.
とっても滑稽な絵に見えた.
この知事は,地震が発生したときに東京にいたのだということだった.

そういえば,「地方の時代」とか言っていたな,と思い出す.
革新自治体か,古いことば,もうお蔵入りしているか.
それでもいくばくかこの国の「統治」システムに影響を与えていたようには思う.
それがいま,どうなっているだろうか.

3.11のとき,県と市町村,
そして,国(各省庁)との関係はどうだったか.
メディアはあまり報じなかったけれど.


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【世界】2023年12月

片山善博の「日本を診る」 169

機関委任事務の亡霊が幅をきかす自治の現場


 先月号で沖縄県辺野古の埋立問題を取り上げた。その中で、二〇一三年に当時の仲井眞弘多(なかいまひろかず)沖縄県知事が防衛省に対して埋立ての承認を出すにあたり、県議会の同意を求める手続きを踏んでいれば、今日のような泥沼の混乱は避けられたのではないかと指摘した。
 公有水面埋立法の規定では、知事は議会の同意がなくても承認を出せる。しかし、県議会において、知事が公有水面埋立法による承認を出すには県議会の同意を得なければならないとする条例を制定していれば、知事は独断では決められない。
 埋立承認の同意を求める議案を知事が県議会に提出したとして、必ずしもそれが可決されるとは限らない。審議の結果、同意が得られないかもしれない。それはそれで県民の代表である県議会の意思ということになる。
 一方、県議会が埋立承認に同意を与えていたとすれば、その決定は重要な意味を持つ。知事が他の人に替わり、新しい知事が前任者の決定を覆そうと試みたとしても、通常は議員の多くが替わっていないから、以前の結論を容易に変えることはない。県の意思決定に安定性が伴うことで、今日の泥沼化は避けられたはずである。こんな考えのもとに、公有水面埋立法の承認に限らず、地域の重要な事柄については首長が一人で決めるのではなく、多数の議員で構成される議会に最終決定権を移すのが賢明であると述べた。具体的には地方自治法九六条二項に基づき、必要な範囲内で法定受託事務に関する首長の権限を議会の議決事項とする条例を制定すればよい。

■自治体の現場では法律より「通知」優先

 先日、自治体関係者に話をした折のこと、この小論を読
〈158〉
んだ自治体職員から次のような反論が寄せられた。「先生は公有水面埋立法に関する知事の承認事務を議会の議決事項にすればいいと言われるが、総務省通知で議会の議決事項にできないとされているのでないか」という。
 ここでいう総務省通知とは、「地方自治法第九六条第二項に基づき法定受託事務を議決事件とする場合の考え方について(通知)」(平成二四年五月一日)のことである。この通知は、いわゆる法定受託事務を議会の議決事項にすることができるとする地方自治法とその施行令の関係条項について、総務省がその解釈を示したものである。なお、ここでいう法定受託事務とは、自治体が処理する事務のうち、国の事務とされるものを国から委託されて自治体が処理することとされている事務のことである。
 総務省の解釈によると、地方自治法九六条二項は、一部の事務を除く法定受託事務について議会の議決事項にできるとしているが、だからと言って何でもかんでもその対象となるわけではなく、自ずと制限があるという。通知には違和感のない内容も含まれている。例えば、法定受託事務に関する法令の中に「長は情報を公表しなければならない」など、その処理にあたって長が機械的に処理を義務づけられている事務について、あらためて議会の議決対象とすることは想定されていないとする総務省の見解に異存はない。また、首長に事務の執行を委ね、議会に対しては事後に報告することを法令が定めている事務は対象から除かれるとしているのも頷ける。
 このように通知には素直に受け入れることができる記述がある一方、決して受け入れられない内容も含まれている。例えば、法定受託事務遂行上の許認可等の処分についての解釈である。通知が、法定受託事務の根拠となる法令中に「議会の議決に付す」との特段の定めのない事務は、九六条二項の対象から除外されるとしている(そこに公有水面埋立法の承認も列挙されている)のはその代表である。
 そもそも法定受託事務の根拠法に「議会の議決に付す」とあれば、自治法九六条二項の出る幕はない。自治法九六条二項の意義は、法定受託事務に関する根拠法に「議会の議決に付すとの特段の定めのない事務」をも幅広く議決対象に加えられるところにあるのだから、通知のこの部分は九六条二項をほぼ全面的に骨抜きにするものといえる。

■機関委任事務の亡霊を退治するには

 通知のこの考えは、二〇〇〇年に本格実施された地方分権改革の根幹をも否定するものである。この改革以前には国と自治体との関係で機関委任事務という概念があった。国の事務を知事や市町村長(場合によっては教育委員会などの行政委員会)に委任して処理させる仕組みで、知事や市町村長をいわば国の出先機関と位置づけていた。
 知事や市町村長は住民から直接選ばれているにもかかわらず、機関委任事務の処理にあたっては各省大臣の部下の如く扱われる。部下は上司の指示に従うものだから、そこには議会の関与する余地はないとして斥(しりぞ)けられていた。
 地方分権改革の中で、前時代的な機関委任事務制度を廃止し、それに替わって設けられたのが法定受託事務の制度である。ここでは国の安全に関わるような一部の事務(例えば「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」に基づいて自治体が処理する事務など)を除いて、国の事務であっても自治体が処理する事務については議会の関与が及ぶ仕組みに変えられた。にもかかわらず、この通知を見る限り、総務省の頭の中はいまだに地方分権改革以前の状態にとどまっているようである。
 もっとも、この通知を含めて、国が法令の解釈などを自治体に示す文書は単なる助言にすぎない。このことも地方分権改革において条文化されたものであり、現にこの通知でも、これは「技術的な助言である」と添えられている。助言なのだから、通知を受け取った側が「なるほど」と思えばその解釈を受け入れればいいし、それが間違っていると思えば無視するだけのことである。
 以上のことをかいつまんで先の自治体職員に説明したところ、「それはそうかもしれないが、日々職場で仕事を進める上ではこうした通知が絶対ですから」という。国の通知の内容に疑問を抱くことはあっても、それを押し返すだけの自信がない。仮にあったとしても上司はそれを容認しないともいう。
 このやり取りの数日後、ある市長と面談した際、国の通知の内容がおかしいと思った時、それとは異なる取り扱いをすることがあるかどうか尋ねてみた。すると、「それはしていない。それにはとてつもない勇気と覚悟を要する」とのことだった。それ以前の問題として、日々大量の通知が各省から来るので、その内容の是非を一つ一つ確かめる余裕などない、とも訴えていた。
 うすうすと感じていたことではあるが、自治体の現場の職員と首長から、地方分権改革の成果が蔑(ないがし)ろにされている実態をかくもきっぱり聞かされ、しばし言葉を失った。しかし、この現状を追認することは到底できない。
 そこで市長には法曹の力を借りるよう、それこそ助言しておいた。弁護士を職員として採用し、国からの主だった通知を点検することから始める。もしそこに自治権をおかす内容があれば、市長会などを通じて国に異論や反論を伝えるべきである、と。筆者の体験にかんがみ、それが自治体の長の責務の一つだと考えるとも付け加えておいた。

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寺島実郎 脳力のレッスン(258) 二一世紀末・未来圏の日本再生への構想(その1) 【世界】2023年12月

2024年04月07日(日)

コロナ騒ぎでちょっと間のあいた同期会とか,
三分の一ほどが集まったのだという.盛会というべきか.
そんなこともあって,ちょっとむかしのことが思い出される.

中学を出て,高専に進んだ友人がいた.その彼が,反戦活動にかかわっていると知ったのはいつだっただろうか.
高校に進んでしばらくして,中学校の担任を訪ねたことがあった.彼と一緒だった.
その後,大学,どうしよう……なんて中途半端なことを考えていたころ,彼と手紙のやりとりがあったように思う.彼は,なお引きつづき活動を続ける意志を表明していた,そんな手紙だったと思う.

もう半世紀がたつ.
どうしているだろうか.

学生運動は,プチブル急進主義だとか,
本筋は労働運動だとか,
そうかな,と思った.

1960年代をつうじて大学進学率は,上昇していった.
それでも20%をようやく越えただろうか.

そのころ,日本は高齢化社会になっていた.65歳以上の人口が全人口の7%を超えた.
遠からず高齢社会になるだろうと予測されていた.

オイルショックがあった.
のちに当時のサウジアラビアの石油相だったヤマニさんはは,
遠からず石油は他のエネルギー源に取って代わられるだろう,
と語る.
石油が枯渇するからではない,とも.石炭がそうであったように.

うちの本棚にあるはずの文庫本のシリーズが見あたらないのだけれど,
現代の博物誌 7巻 教養文庫・社会思想社
を,就職してからか,ぶらぶらしていたころか,まとめて読んでいた.
そこでの分析は妥当だったろうか,あるいは見通しはどうなったろうか.

そういえば,よく「世代」ということばを,さいきん耳にする.
むかしなら「全共闘世代」か? 
そして,世代論に与する必要はない,というか,ナンセンスだと思っていたか.
それでも,さいきんまたぞろ世代ということばを聞く.
そして,年寄りと餓鬼どもとのあいだに争いがあるかのような.
なかには年寄りの集団自殺をすすめるかのような「天才」が話題になる.
年寄りとは誰のことだろうか?
若者とは誰のことだろうか?
フットむかしのことを思い出す.
繰り返す歴史物語でないことを祈ろう.

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【世界】2023年12月

脳力のレッスン(258)
二一世紀末・未来圏の日本再生への構想(その1)
――前提となる内外の潮流への基本認識

寺島実郎


 積み上げてきた議論を集約し、二一世紀日本の構想を提起したい。それは、二〇世紀の世界システムと日本の在り方を再考察し、それとの対照において二一世紀システムの本質を見抜き、二一世紀のこれからの未来圏たる七七年を構想することである。
 明治維新を迎えた頃、日本のGDPの世界に占める比重は三%程度だったと推定される。その七七年後、一九四五年の敗戦という形で明治期の挫折を迎えた直後(一九五〇年)の日本のGDPの世界比重はやはり三%であった。敗戦を「物量の敗北」と受け止めた日本人は、専ら経済における復興と成長を目指し、産業力で外貨を稼ぐ工業生産力モデルの優等生となり、一九九四年には世界GDPの一八%を占める経済国家を実現し、相対的経済力のピークを迎えた。そして「戦後期」の七七年を経た今、皮肉にも今年の日本のGDPの世界比重は三%台に落ち込もうとしている。不思議なことに、再び世界比重三%程度で歴史の節目を迎えたのである。GDPはマクロの経済指標にすぎないが、創出付加価値の総和であり、通貨円の国際的信認の下落とともに日本経済が埋没していることは否定できない。何故、こうした事態を迎えたのか、深い洞察と健全な危機感こそ再生の起点である。まず、日本の未来構想の前提・基盤とすべき「外なる世界潮流と内なる日本の社会構造」に関する認識をしっかりと再確認しておきたい。

■外なる世界秩序の流動化
――「全員参加型秩序」における日本の役割

 二一世紀の未来圏を生きる我々にとって基盤となる世界認識を確認しておきたい。「二一世紀システムの輪郭」を探る議論を重ねてきたが、二〇世紀の世界秩序において重きをなしてきた「三つの帝国」たる米国、中国、ロシアが、二一世紀において、それぞれが自国利害中心主義に傾斜し、世界を
〈126〉
束ねる大国としての正当性(LEGITIMACY)を失いつつあることを注視したい。
 メディアは「権威主義陣営対民主主義陣営」という二極対立の時代として描きがちだが、現実の世界を見渡せば、極を形成する求心力は消失しつつあり、「世界を極構造に分断してはならない」という意識が世界の底流となりつつある。世界秩序は急速に流動化している。権威主義陣営とされるプーチンや習近平の専制体制も、実は急速に揺らぎつつある。孤立と制裁の中で、ロシア経済が長期衰退に向かい、大ロシア主義も周辺国を束ねる力を失っている。習近平の中国も「戦狼外交」によってむしろ敵対者を増やし、「一帯一路」を重苦しいものにしてしまい、改革開放路線を放棄した経済の低迷が政治不安を誘発する局面に入っている。「中露蜜月」を演じているが、閉塞感の中での寄り添いであり、中国優位の中露関係への傾斜は、仮そめの連携に過ぎない。
 欧州もロシアの衰退とブレグジット後の英国の「グローバル・ブリテン」(TPP加盟、アジア回帰)の成否を見つめ、「欧州のかたち」(EU加盟国の結束)も流動化していくであろう。米国は「分断」を深め、議会の混乱が示すごとく、世界秩序をリードする力を失っていくであろう。それは、建国以来の米国史の主役だった白人プロテスタントの焦燥を増幅し、分断の影を一段と色濃くさせると思われる。
 注目すべきは、グローバル・サウスの動向である。象徴的なのが、BRICSの拡大だ。本年八月二四日、BRICSに新たに六か国が参加することが発表された。サウジアラビア、UAE、イラン、エジプト、エチオピア、アルゼンチンである。そもそもBRICSは、投資銀行ゴールドマン・サックスの「語呂合わせ」から始まった。冷戦後の有望な新興国という意味で、ブラジル、ロシア、インド、中国の四か国の頭文字を並べ、その後、最後のSが複数のSではなく、サウス・アフリヵのSとなり、さらに六か国が加わるというのである。これにより、拡大BRICSはGDPの規模で世界の二九・二%、人口で四五・六%を占める(二〇二二年現在)規模となる。ただBRICSはあくまで多国間協議機関であり、参加各国にそれぞれの思惑があり、中核となるリーダーも不在で、その役割を過大視することはできないが、拡大BRICSの共通意思は「脱米」であり、世界の一極支配や分断の拒否と認識すべきである。とくに基軸通貨としての米ドル体制に対して、BRICS共通通貨を模索する動きもあるが、実現のハードルは高い。ただ、BRICS間の決済システムが実現され、ドル基軸の相対化が進む可能性はある。
 グローバル・サウスの主役とはいえないが、インドの不思議な存在感の高まりが世界の「流動化」の象徴であろう。インドは、中国主導の上海協力機構にも入り、米国主導の中国封じ込めのクアッド(米、豪、日、印四か国の連携)にも参加、BRICSでも牽引役を演じる。インドのモディ政権の外務大臣S・ジャイシャンヵルの『インド外交の流儀――先行き不透明な世界に向けた戦略』(原題THE INDIA WAY:Strategies for an Uncertain World、邦訳・白水社、二〇二二年)は、「マンダラ外交」とよばれる「非同盟を基軸に、敵対国、中間国、中立国との関係を多次元に組み合わせ、インドの国際社会における影響力を最大化する外交戦略」の真髄を語る。傍観者ではなく、形成者、決定者として世界秩序に関与する意思を受け止めるべきであろう。
 グローバル・サウスの存在感が高まるということだけではない。本年一〇月のIMF・世銀総会で、途上国の債務が九兆ドルを超し(二一年末)、既に一〇か国が債務超過に陥り、二六か国が債務超過のリスクに直面しているという報告がなされたが、こうした課題を解決するルール形成や制度設計に関して根底から新たな「構想」が求められている。
 世界全体の実体経済の規模(実質GDPの総和)は、二〇〇〇年の三四兆ドルから二〇二二年には一〇〇兆ドルへ、二一世紀の二二年間で約三倍に増大した。世界総体としては、生産量で見る限り豊かになっているのである。但し、格差と貧困は一段と深刻になっており、不条理を正視して「公正な分配」「地球全体の共生」を図る制度設計への構想力が問われるのである。
 こうした世界の状況変化が日本に突きつける課題は、日本人の世界認識が二〇世紀システムの残影たる「極構造」に固定化していることである。基本的に、米国主導の二〇世紀システムの受容者として生きてきたためである。日本の二〇世紀を改めて約言するならば、初頭は日英同盟(一九〇二~二三年)を軸に日露戦争から第一次大戦期を「戦勝国」として生き、第一次大戦後は米国が主導する世界秩序の再編(ウィルソンの国際連盟からベルサイユ・ワシントン体制へ)に新手の植民地帝国として反発して戦争に突入、敗戦後は米国主導の世界秩序(ルーズベルトの国際連合、IMF・世界銀行体制)に参画し、米国との「同盟外交」を基軸とする軽武装経済国家として「戦後復興と高度成長」を実現してきた。
 さらに、冷戦終焉後の一九九〇年代以降は、国境を越えたヒト、モノ、カネ、情報の自由な移動を促す「グローバル化」が主潮となり、日本はこれを与件として生きてきた。この時代のグローバル化の本質は「新自由主義」に立つ米国流の金融資本主義の世界化の流れともいえるが、その潮流の中で日本が主体的国家構想を見失い、「埋没」を加速させたことは前稿で論じてきた。
 経済の埋没と政治の埋没は相関している。例えば、国連における日本の立場である。国連に加盟後六七年が経過、日本は「常任理事国」入りを目指して「国連改革」を主張し続けているが、日本の国連分担金の比重は二〇〇〇年の二一%から二〇二二年の八%へと落ち込んでいる。基本的に経済規模が投影されるからであり、この間、中国の分担金比重は一%
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から一五%に増えた。国連は株式会社ではなく、分担金が発言力に直接リンクしているわけではないが、暗黙の了解として、国連活動を取り巻く「空気」に微妙に影響していることを感じる。カネを拠出すること以外に、国連をリードする創造的政策力でもない限り、存在感は後退するのである。
 極構造に収斂(しゅうれん)しきれなくなった世界とどう向き合うのか。冷静に再考するならば、こうした状況こそ本当の意味での「グローバル化」の始まりというべきであろう。参加者全員が多次元での自己主張をする中で、新たな秩序形成が求められる局面である。より公正な分配と多様な参画が求められる時代であり、日米同盟の強化だけで日本の未来が拓かれる時代ではない。多様な参画者を納得させる筋道の通った理念と構想が求められるのである。とりわけ、日本の埋没が「アジア・ダイナミズム」の突き上げで進行していることを直視するならば、アジアを正視し、次なる世界秩序を巡る創造的議論をすることが日本の未来を決めると思われる。

■日本の内なる社会構造の変化
――「異次元の高齢化」の先行モデルとして

 埋没と閉塞感漂う日本であるが、日本の変革と再生をもたらす潜在要素があるとすれば、それは人口構造の成熟化、とりわけ異次元の高齢化であろう。日本政府は「異次元の少子化」を重要課題としているが、異次元の少子化は、異次元の高齢化との相関において論じられるべきで、この議論が日本の未来構想において不可欠である。日本の人口が一億人を超えたのは一九六六年であり、二〇〇八年に一・二八億人でピークを迎え、二〇二三年現在一・二四億人と既に四〇〇万人近く人口が減少した。二○五〇年前後には一億人を割ると予想される。「一億人に戻る」と考えがちだが、内部構造が違う。一九六六年の一億人のうち、六五歳以上は六六〇万人(六・六%)にすぎなかったが、二〇五〇年では三九〇〇万人(約三七%)が六五歳以上になると予想されるのである。
 既に、日本の六五歳以上人口比重は二九・一%(二〇二二年)と、米国一七・六%、英国一九・五%、ドイツ二二・七%、フランス二二・○%と比べても異次元の高齢化社会となっており、英国のジャーナリストであるヘイミシュ・マクレイも、日本について「地球上で最も高齢化した社会」であり「高齢化社会のフロンティア」と論じている(『二○五○年の世界――見えない未来の考え方』、原著二〇二二年、邦訳・日本経済新聞出版、二〇二三年)また、中国、インド、韓国なども今後急速に高齢化が進むと予想されており、日本が異次元の高齢化にいかに立ち向かうかは、世界の先行モデルとなるのである。
 日本の人口の四割が高齢者となる時代が迫っているということは、選挙での有権者人口の五割が高齢者になることを意味する。さらに、高齢者の投票率は高く、若者の投票率は低い(二○歳代は六〇歳代の約半分)という傾向が続けば、有効投票の六割は高齢者が占めることになる。この構造を「老人の老人による老人のための政治」にしないための構想が求められるのである。
 まず認識すべきは、日本の高齢化は単なる人口構造の高齢化ではなく、戦後日本の産業構造変化を背景に台頭した「都市新中間層」の高齢化という特質を有することである。工業生産力モデルを突き進んだ戦後日本は、産業と人口を大都市圏に集中させ、大量の都市新中間層(企業に帰属したサラリーマン層)を生み出した。日本が直面しているのはこの層の高齢化であり、農耕社会の高齢化ではない。
 日本の高齢者の多くが都市新中間層ということは、定年退職後に帰属組織を失うと個々人がバラバラであり、結節点を持たない存在になることを意味する。多くはかつて帰属していた組織にアイデンティティーを持ち続ける組織人間である。もし仮に、四○○○万人に迫る高齢者の四分の一でも組織化できればその政治的・社会的影響ははかり知れない。高齢者エゴに傾斜して、「年金、保険、医療、雇用」などで自分に都合の良い方向に社会的意思決定を引き寄せるのか、あるいは年長者としての知見と責任を自覚して次世代のためにあるべき社会を残す基盤となるのかが問われるのである。バラバラとなった個は、体系的情報の入手が難しく、目先の利害に左右される行動選択をしがちとなる。
 米国には「ワシントン最大の圧力団体」といわれるAARP(全米退職者協会)が存在する。一九五八年に設立され、ホワイトハウスから数ブロックの所に本部ビルを有し、五〇歳以上の会員三六〇〇万人を有する。これだけの組織力が社会政策に大きな影響を与えている。何故、これだけの数を組織化できているのか、足を運んで議論したことがあるが、二つ日本と事情が違うことに気付かされた。一つは宗教であり、特定の宗教・宗派というわけではないが、日曜日に教会に行く人達の日常を結節点としていることを感じる。もう一つは社会保障制度の違いであり、六〇〇〇万人ともいわれる健康保険にさえ入れない米国の現実を背景に、AARPの会員証があれば、薬局で薬が割引されるなどの特典が付与されるために、年会費(平均五〇ドル前後)を払っても会員になる人が多いということだと思われる。
 日本にも「退職者連合」などの高齢者組織があり、労働組合運動のOBを中心に約七〇万人(公称)組織化しているといわれるが、日本において高齢者を大きく組織化することは容易ではない。結節点を見つけ出しにくいからである。だからこそ、ジェロントロジー(高齢化社会工学)という視界が必要なのである。私は、『シルバー・デモクラシー』(岩波新書、二〇一七年)、『ジェロントロジー宣言』(NHK出版、二○一八年)と高齢者の社会参画を模索し、高齢化社会についての社会的通念の転換の必要を主張してきた。
 一般に、高齢化は医療費、年金などの負担増という意味で、
〈130〉
社会的コストの増大と捉えられ、「衰退の兆候」とされがちであるが、それは正しくない。むしろ、高齢者を社会的課題の解決を支えるポテンシャルと考え、参画と活用を考えるべきなのである。そのために必要な視座が、ジェロントロジー(GERONTOLOGY)、すなわち「高齢化社会工学」であり、高齢者を社会参画させ、生かし切る社会システムの制度設計が求められるのである。二〇二二年現在、六五歳以上の就業者数は九一二万人とされるが、就業だけでなく、子育て、教育、文化活動、NPOなど、社会を支える活動への高齢者の参画が、社会の安定、民主主義の成熟にとって重要な意味を持つのである。「人手不足」も、意欲のある高齢者の活用によって補われる面もある。
 だが、現実に高齢者の責任ある社会参画を実現することは容易ではない。新中間層高齢者の社会心理は複雑で、労働者だったという「階級意識」は希薄で、約八割以上が「自分は中間層」という階層意識を共有している。帰属してきた組織から恩恵(給与、保険、年金)を受けたと思う一方で、「貢献の割には満たされなかった」という不満を潜在させている。定年退職後、一定の蓄財もあり、「生活保守主義」というべき安定志向の心理を有しながら、一方で、戦後民主主義の洗礼を受け、学生運動や労働組合運動を通じて「市民主義」と「社会主義」に共鳴した想いを潜在させてもいる。
 戦後日本において、先頭を切って都市新中間層となった世代たる「団塊の世代」(一九四五~五〇年生まれ)も既に七五歳を超え後期高齢者となった。一九五八年生まれの世代が高齢者になったわけで、戦後の右肩上がり時代に青年期を送った世代が高齢化しているということである。これらの層は、「民主教育」を通じて「滅私奉公」を嫌い、個人の価値を重視することを身に着けてきた。「他人に干渉したくもされたくもない」という私生活主義を生きてきた人達であり、社会人としては自己主張の強い人達である。「イマ、ココ、ワタシ」を優先する傾向が強く、主体的に社会的課題などに目を向けることは期待できない。
 それでも、日本の進路にとって高齢者層の役割、責任ある政治参画と社会参画がどうなるかが重要である。社会変革の構想にはそれを担う主体をどう想定するかが不可欠で、かつて一九六〇年代末の学生の反乱期には、マルクスが想定した「労働者階級」ではなく、社会的拘束から比較的自由な学生が変革の主体となると主張する議論もあった。私はこれからの日本の変革主体になりうるポテンシャルは、結節点なく個に生きる高齢者にあると思う。戦後日本の行き詰まりが明らかになっていることへの危機感をバネに「一〇〇歳人生」を安易に生きてはいられないという表情に変わりつつある。それが戦後期を生きてきた者が次世代に残すための役割だということに気付く臨界点が近づきつつある。

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