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寺島実郎 脳力のレッスン(254)二一世紀システムの輪郭――米国の衰退とその本質 【世界】2023-08月

2023年11月05日(日)

覇権国家について,ちょっとだけ議論したことがあったな,遠見だす.
議論にもならないような,ちょっとむかしのことを振り返ろうとか,
そんなところだったが,
もうずいぶん前のことだった.
アメリカの主流派経済学者が,時代の変化に見合った政策を提言できないでいたころ,
ちょっとケインズをかじったりしていて,
そう,第2次大戦終結後,ケインズの提案は,アメリカに拒まれ,失意の内に帰国した……というような話を聞いて,
すでに覇権を失っていたイギリスの立ち位置はどこか,などと.

それで,アメリカは?

すでにソ連邦の崩壊,ロシアの弱体化,
で,中国が覇権を握ることは.ほとんどないだろうと思うけれど.
では,ポスト・アメリカ? そのころは,まだソ連邦が健在だったのだけれど,アメリカに代わりうる存在ではなかっただろう,みんなそう思っていたのでは.

そういえば,アメリカは,ソ連邦に対抗して大国にのし上がったわけじゃなかっただろう.
しかし,ソ連邦は,アメリカという大国を意識して,自分たちの姿をつくっていったのかもしれない.いまの中国も,ちょっとそんな印象か.

かつてのイギリスはどうだったろうか.
スペイン・ポルトガルとの関係とか,あるいは,フランスとの関係とか?
どうだったのだろう.



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【世界】2023年08月

脳力のレッスン(254)
寺島実郎

二一世紀システムの輪郭――米国の衰退とその本質
――直面する危機への視座の探求(その5)


 二一世紀におけるロシアと中国が、民族を超えて世界を束ねるリーダーとしての「正当性」を喪失し、自国利害とナショナリズムに埋没している現実を論じてきた。次に、二〇世紀システムの中核として、第一次世界大戦期以降の世界をリードしてきた米国の衰退を再考し、そのシステムに依存・同調してきた戦後日本のこれからに視界を拓いていきたい。

■米国の衰退とは何か――むしろ同盟国の衰退という視界

 「二〇世紀はアメリカの世紀」という時、米国が主導した「国際主義」と「産業主義」がその支柱だったことは既に論じた。国際連盟から国際連合(UN)の創設とIMF・世銀体制を主導した国際主義、そして大量生産・大量消費社会を推進したフォーディズムに象徴される産業主義が二〇世紀の主潮となり、資本主義世界を主導してきた。第一次大戦後、かつての覇権国たる英国を「アングロサクソン同盟」のパートナーとし、第二次大戦後は敗戦国日本と西独の「ネーション・ビルディング」を通じて同盟国に引き入れ、冷戦後は「グローバル化」の名の下に東側といわれた地域をも米国流資本主義の渦に巻き込んでいった。
 二一世紀において、前世紀システムの中核であった米国が衰退していることは間違いない。ただ、「米国そのものの衰退」というより「同盟国の衰退」、正確にいえば、欧州の同盟国たる英国とアジアの同盟国・日本の衰退との相関において進行している事態であることを確認しておきたい。ワシントンが簡単に「同盟重視」と言い切れない心理がここにある。
 二一世紀を迎える頃、つまり東西冷戦の終焉から一〇年が経過した頃、米国とその同盟国たる英国と日本の三か国が世界GDPの五〇%を占めていた。それが二〇二二年には三二%にまで低下した。米国の比重も、この間に三〇%から二五%に低下したが、英国が五%から三%へ、日本は一五%から四%へと低下しており、米国にとっては自らの衰退というよりも「同盟国の衰退」という認識が強まるのである。
 第一次世界大戦を機に、ドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー二重帝国(ハプスブルク)、ロシア帝国、オスマン帝国という四つの帝国が消滅し、一九一九年のベルサイユ講和会議に登場し、国際連盟構想を提起したW・ウィルソン大統領に象徴される米国主導の二〇世紀が動き始めた。現実には、大英帝国と新興の米国との「特別の関係」(アングロサクソン同盟)を基軸とした世界秩序であった。
 第一次大戦後の一九二〇年には米英で世界経済の三割弱を占めていた。この米英の二国間同盟(ルーズベルト=チャーチルの特別な関係に基づく)を基軸に「連合国」を形成して日独伊の「枢軸国」と第二次大戦を戦い、勝利を収めた。第二次大戦後の一九五〇年の段階で、米英日で世界GDPの三七%であったが、一九五一年の日米安保条約で日本を同盟国として引き人れ、一九八〇年代にはレーガン=サッチャーの「特別の関係」を基盤に「冷戦の終焉」へと世界を牽引し、二〇〇〇年には、先述のごとく米日英で世界経済の約半分を占めるに至っていたのである。こう考えると、サンフランシスコ講和会議以降の日米同盟は「米国の世紀のサブシステム」として機能したことが分かる。
 二一世紀に入って二二年、地政学的な米国のプレゼンスが後退していることも間違いない。冷戦の終焉を受けた一九九〇年代、「唯一の超大国」「米国の一極支配」といわれた米国だが、二〇〇一年のニューヨーク、ワシントンを襲った同時多発テロ(九・一一)を受けて、ブッシュ大統領は「これは犯罪ではなく戦争だ」と叫び、アルカイダの拠点アフガニスタンを攻撃、さらに「九・一一への関与、大量破壊兵器保有」を理由にイラクに侵攻した。その結末は「米国の衰退」を決定づけるものとなった。消耗と混迷の挙句、イラク、そしてアフガニスタンからの撤退を余儀なくされ、ISによるシリアの混迷やタリバンによるアフガン掌握にも動けず、現在進行中のウクライナ戦争にも後ろから軍事支援はしても直接介入はできず、「世界の警察官」といわれた米国の姿はない。
 アフガニスタン撤退後の中東における米国の軍事的配備は、クウェートに一万五〇〇〇人、カタールに八〇〇〇人、バーレーンに五〇〇〇人と湾岸産油国に集中、イラク二五〇〇人、シリア九〇〇人となっており、一九六〇年代に英国に代わってペルシャ湾に覇権を確立していた時代のプレゼンスはない。これが地域パワーたるイラン、トルコの台頭を誘発し、イスラエルの自国利害による専横を招き、中東秩序の流動化をもたらしている。
 米国のお膝元である中南米の「ピンクタイド」(左傾化の潮流)といわれる状況も米国の衰退を象徴している。昨年一〇月のブラジル大統領選挙で左派のルーラが勝利したことで、中南米は左派政権一色となった。とくに、中南米において国内総生産で上位を占めるブラジル、メキシコ、アルゼンチン、チリ、コロンビア、ペルーが左派政権となったことは重い。一九五一年に発足した米州機構(OAS)は中南米三三か国が加盟し、米国の中南米への影響力を示す存在であったが、年次総会への首脳の参加さえ拒む加盟国も増え、台湾との国交を断絶し、中国との関係を重視する国が増えつつある。

■八〇年代末「米国の衰亡論」の誤りと二一世紀の構造変化

 産業論的に米国が衰亡していると考えるのは間違いである。西海岸、シリコンバレーを中核とするデジタル資本主義を牽引するビッグテック五社に代表されるデータリズムのプラットフォーマーズと言われる業態の企業群、新型コロナ・ワクチンなどの開発で実力を見せつけたボストンを中心とするバイオ・生命科学関連の企業群、ヒューストンを中心とするシェール・ガス、シェール・オイルなどのエネルギー関連事業、そして、行き過ぎたマネーゲームをも増殖するウォールストリートの金融事業群など、新産業を創生する力において米国が優位にあることに変わりはない。確かに、中西部に集積していた製造業に象徴される産業群は競争力を失い埋没してきたが、自動車産業もテスラに代表されるEV(電気自動車)を牽引する企業の登場により、主導権を回復しつつある。
 現実に米国の新しい産業創生の主役となっている人物を思い浮かべるならば、本質が見えてくるであろう。例えば、テスラ社CEOイーロン・マスク(南ア出身、三重国籍者)、アップル創業者スティーブ・ジョブス(故人、シリア系)、グーグル社CEOサンダー・ピチャイ(インド人)、メタ社CEOマーク・ザッカーバーグ(ポーランド系ユダヤ)、アマゾン社CEOアンディー・ジャシー(ハンガリー系ユダヤ)など米国の多様性の土壌に咲いた花というべき人材が米国のバイタル産業を支えているのである。皮肉なことに、国家としての米国は世界での統治能力を喪失しつつあるが、米国の産業基盤は、自国利害中心主義に立つトランプ支持の米国人からは「歓迎されざる移住者」をイノベーターとして、新しいダイナミズムを生み出し続けているのである。
 一九八〇年代末にも「米国の衰亡論」が語られていた。鉄鋼、エレクトロニクス、自動車産業を柱に、日本が「工業生産力モデル」の優等生として進撃していた時代であり、三菱地所のロックフェラーセンター買収、ソニーのコロンビア映画買収、日本鋼管のナショナルスチール買収など、米国を買い占める日本が話題になった時代でもあった。日米財界入会議において、「我々はもはやアメリカに学ぶものはない」と豪語していた日本の経済人の姿を思い出す。トランプがカジノホテル建設資金を日本の銀行に値りに来ていた不愉快そうな表情が印象に残っている。
 冷戦後の一九九〇年代の米国は、冷戦期にペンタゴンが開発したARPANETという開放糸・分散系情盟情報通信システムの技術基盤を民生開放してインターネットを登場させ、「IT革命で蘇るアメリカ」をリードした。だが、「唯一の超大国」となった米国は冷戦後の世界秩序の形成に新たな構想力を示すことはできなかった。二〇世紀末から二一世紀の初頭の米国を率いたブッシュ政権は、米国の圧倒的優位性を背景にユニラテラリズム(自国利害中心主義)に傾斜していった。新たな時代の世界秩序のルール形成に向き合うのではなく、「米国を国際ルールで縛るな。俺は例外なのだ」という傲慢な「例外主義」へと傾いていった。ブッシュ政権下で展開された「京都議定書からの離脱、CTBT(包括的核実験禁止条約)や国際刑事裁判所への不参加」など、冷戦後の米国が陥っていた危うさが思い出される。そこに、九・一一が襲ったのである。九・一一という衝撃を受けて、ブッシュ政権は国連決議さえ無視して「単独行動主義」に走り、アフガン・イラクへと軍事侵攻し、先述のごとく消耗を重ねた。二〇〇九年にオバマが「イラクからの撤退」と「強欲なウォールストリートを縛る」(脱リーマンショック)を掲げて政権をスタートさせた時、世界はアメリカの復元力と「人種を超えて大統領を選ぶ」米国社会の柔軟性に驚嘆したものである。だが、オバマのアメリカも冷戦後の世界を制御するルール形成を主導することはできなかった。オバマ政権は、等身大の謙虚さで世界と向き合ったともいえるのだが、「米中蜜月」「イランとの核合意」などに動くオバマに、米国民は鏡に映る自分の衰えを見る思いで、「弱腰」「無策」を感じ、その失望感がトランプの登場と米国の分断を生む伏線になっていたといえる。

■米国の分断がもたらした衰退――「正当性」喪失の構造

 二一世紀における米国の衰退とは、二〇世紀システムをリードした世界を束ねる理念形成力、つまり「正当性」の喪失である。その根底にあるのが「トランプ現象」に象徴される米国の内向であり、分断である。少なくとも半分のアメリカ人が、アメリカは世界のことなどに関わるべきではないと感じるほど余裕を失っている。「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプの自国利害中心主義は、冷戦終焉後のブッシュのユニラテラリズムとは違う。自国の圧倒的優位性を背景に胸を反らすブッシュ時代の米国とは異なり、米国が世界を制御する力を失い、思うに任せぬ状況にあることへの苛立ちがもたらした「アメリカ・ファースト」なのである。
 二〇二〇年の大統領選挙については、本連載226(本誌二〇二一年二月号)において解析し、「青いアメリカ(民主党バイデンが勝利した州)」と「赤いアメリカ(共和党トランプが勝利した州)」がこの国の分断を際立たせており、東海岸・西海岸の「海岸線のアメリカ」が青いアメリカ一色であるのに対し、内陸部のアメリカに赤いアメリカが集中していることを論じた。そして、トランプ現象を支えているのが白人、とくに白人プロテスタントであることを確認した。
 CNNの出口調査によれば、白人の五八%がトランプに投票したという。トランプの得票七四二二万票の約八二%は白人票と推定され、驚かされるのは「白人プロテスタントの七二%、白人カトリックの五六%がトランプに投票」という現実である。建国以来の歴史を背景に、この国の主導層はWASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)とされてきたが、これまでの主導層の苛立ちがトランプ現象といえる。
 だが、それにしてもキリスト教徒、とくに福音派プロテスタントが何故トランプの岩盤支持層になったのか、疑問を感じていた。私は米東海岸に一〇年以上生活し、ワシントンの政治力学については理解しているつもりでいた。それ故に、何故トランプが異様なほどイスラエル支持を続けたのか、そのトランプを、歴史的にユダヤ系とは一線を画してきたキリスト教徒が何故支持するのか、不可解な面があった。
 二〇二二年八月、比叡山延暦寺が主導して京都国際会館で行われた「比叡山宗教サミット」での基調講演の機会に、米国のキリスト教関係者と対話し、疑問をぶつけてみて、重要な気付きを得た。そのキーワードが「クリスチャン・シオニズム」であり、調べ直した結果を拙著『ダビデの星を見つめて――体験的ユダヤ・ネットワーク論』(NHK出版、二○二二年)の「アメリカとユダヤ人」の章で論究した。約言するならば、二〇〇一年の九・一一同時テロ以降、米国の政治パラダイムが変わったということであり、テロの衝撃で「イスラムの脅威」に凍り付いた米国人、とりわけ福音派プロテスタントの心理に静かに浸透したのが「キリスト教のユダヤ化」ともいうべきクリスチャン・シオニズムだというのである。
 「キリスト再臨に向けて、エルサレムがイスラムに支配されていてはならない」という問題意識に立つCUFI(イスラエルを支持するキリスト教連合)が設立(二〇〇六年)され、「ワシントン最強のロビー集団」とされるユダヤ人によるAIPAC(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)と連動し影響力を拡大、それに応える形でトランプ政権は「エルサレムへの米大使館移転」(二〇一八年五月)、「ゴラン高原のイスラエル領組み入れ支持」(二〇一九年三月)、「UAE、バーレーンとイスラエルの国交樹立」(二○二○年九月)とイスラエルへの肩入れを加速させた。バイデン政権も現状ではこの姿勢を継続させているが、このことがイスラエルの保守派政権を増長させて火薬庫・中東の地殻変動をもたらすことが懸念される。米国のユダヤ人口はわずか二・三%にすぎないが、多数派に浸透して政治を動かす力学が存在するのである。
 分断の加速により、米国は「理念の共和国」でいられなくなった。国際秩序を制御する責任に背を向け自国利害を優先、異教徒・異民族を排除する情念を駆り立てる方向に向かいつつある。米国の衰退とは経済・産業力の地盤沈下というよりも、世界のリーダーとしての求心力、つまり「正当性」の喪失にある。「二一世紀システム」を創造し、主導する者は誰かそれは米国でも、中国でも、ロシアでもないということであり、世界は無極化し、全員参加型秩序に向かっている。それは極構造を前提とする「同盟外交」の融解を示唆している。


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川本三郎 東京つれづれ日誌(158) 複雑な日台関係を読む。 【東京人】2023年08月

2023年11月05日(日)

川本さん,いつごろから台湾にかかわるようになったのだったか.
著書の翻訳かなにかだったろうか.
なんとなくにあっているように思う.

台湾は,比較的親日的とか,あまり反日的な動きは見られないらしい,と聞き,
たとえば李登輝さんなどが,よく登場するのだろうけれど,
日本植民地時代が結構長かったんだな,と思い返す.
でも,学校でもたいして学習した記憶がない.
朝鮮半島も似たようなものだったな,と思い返す.
勉強しないじぶん自身が,よくないのだと思いながら.
それで,台湾の歴史などを,翻訳が出たのでちょっとかじってみようとしたこともあった.

そういえば,台湾は,中国?中国人の国?
遡れば,むしろもっと南の地域との縁が深かったのだと聞く.

親日的な……といわれるけれど,あるいは中国本土,中国共産党との関係から,
中国,台湾,日本の関係が強く影響されているのかもしれないな,と思うこともある.
あるいは,長い植民地時代の,教育や文化などの関係もあっただろうか.
では,朝鮮半島はどうだったろうか.


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【東京人】2023年08月


東京つれづれ日誌(158)
複雑な日台関係を読む。


台湾漫遊鉄道のふたり
楊双子著、三浦裕子訳
中央公論新社/2200円/2023年4月
1938年、日本統治下の台湾。食欲旺盛な日本人作家・千鶴子は、優秀な
  台湾人通訳・千鶴とともに鉄道で旅する。
次第にふたりの関係は親密になっていくが、いつもどこかよそよそしい千鶴。
美食×鉄道×百合が融合した台湾歴史小説

川本三郎・文

台湾本の出版が続く。
楊双子(ようふたご)「台湾漫遊鉄道のふたり』(三浦裕子訳、中央公論新社)は、戦前、日本統治下を旅した日本人の女性作家の旅を描いた小説で、読みごたえがある。
 台湾の作家が、日本の作家の旅を描く。そこには複雑な日台の関係があらわれている。
 「私」は青山千鶴子という二十六歳の若い作家。昭和十二年の五月から約「年間、台湾を旅する。「私」は大変な食いしん坊で、行く先々で「私」が体験する台湾の食が物語のひとつの核になっている。
 モデルの一人は林芙美子という。『林芙美子の昭和』(新書館、二〇〇三年)を書いた人間として、台湾の作家が林芙美子に関心を持っているとはうれしい。
 三月に台湾を訪れたときに会うことのできた脚本家の朱天文(チューティエンウェン)さん(侯孝賢(ホウシャオシェン)監督『悲情城市』の脚本を書いた)も林芙美子が好きといっていた。
 「私」は『放浪記』の作者のように、庶民の暮しのなかに入っていくのが好き。お仕着せの観光などには背を向けて、本島人(台湾)の住む町を歩き、市場のにぎわいに目を輝かせる。
 台中(たいちゅう)に日本式の小さな家を借りて、台湾各地を旅してゆく。食いしん坊だからおいしいものには目がない。台湾がすっかり気に入り半年の滞在予定を一年にのばす。
 「私」には、王千鶴(おうちづる)という二十一歳の台湾女性が通訳として付くことになる、女学校出の優秀な女性。「私」は、知識が豊富で料理もうまい千鶴のことがたちまち好きになる。
 二人は親しくなり、台中を基点にして台湾縦貫鉄道に乗って、彰化(しょうか)、鹿港(ろっこう)、基隆(きりゅう)、嘉義(かぎ)、高雄(たかお)、台南(たいなん)と各地を旅してゆく。鉄道の旅の物語となっている。
 旅を続けていくうちに「私」はいよいよ千鶴のことが好きになる。千鶴は一年後、結婚する予定になっているが、「私」はそんな結婚なんてやめて日本で自分と暮そうとまで言う。女性の生き方がまだ家に縛られている台湾の暮しから千鶴を解放したい。保護者の気分になっている。
 この二人の友情が深まり、千鶴は「私」と暮すことになるかと思って読んでいると、後半、思いがけない展開になる。
 千鶴は突然、通訳をやめたいと言い出す。「私」と距離を置こうとする。
 なぜなのか。「私」は、そういえば千鶴はどんなに親密になってもいつも「仮面」をつけたような感情を出さない表情をしていたことを思い出す。決して本音を見せようとしない。
 「私」は徐々に気づいてゆく、台湾に惹かれ、台湾が好きといっても、しょせんそれは日本人のひとりよがりの思い込みであって、相手のことを考えていなかったのではないか。
 台湾の若い役人は、「台湾が好き」とひとり浮かれている「私」に辛辣なことを言う。「私」が台湾の食にいつも驚くのは「まるで珍奇な動物を面白がるような態度」ではないのか。「この世界で、独りよがりな善意ほど、はた迷惑なものはございません」。
 「私」はこれに対し、答えることはできない。自分の「善意」は、上から台湾を見ている「傲慢」ではなかったのか。
 千鶴も「私」に言う。
 「青山さんが大事にしたいのは、青山さんの保護を必要とする、物わかりの良い本島人の通訳です。でもそれは、本当の王千鶴ではない、本当の私ではないのです。こんなことで、青山千鶴子と王千鶴は本当の友達だと言えるのでしょうか……?」
 さらに千鶴は、はじめて本音を明かすように言う。「内地人と本島人の間に、平等な友情は成立しないのです」。



 台湾は親日的と言われる。実際、台湾を旅していて不快な思いをしたことは一度もない、それでつい、戦前、日本が台湾を統治していた重い事実を忘れがちになる。これでは千鶴が言うように「平等な友情」は成立しないだろう。考えさせられる。




【写真】5月28日、『台湾漫遊鉄道のふたり』刊行記念
楊双子さん×古内一絵さんトークイベントが紀伊國屋書店新宿本店で開催された。夜食カフェ物語『マカン・マラン』シリーズの作家・古内一絵さん(左)を聞き手に、なぜ「食」をテーマにしたのかなど、揚双子さん(右)の創作秘話が語られた(提供・台湾文化センター)


 五月末、『台湾漫遊鉄道のふたり』の作者、楊双子さんが来日し、新宿の紀伊國屋書店で作家の古内一絵さんが聞き手になって、作品について話をしたのを聞きにいった。
 ちなみに楊双子さんは名前の通り双子の姉妹のペンネーム。妹さんは二〇一五年に三十歳の若さで癌で亡くなったという。
 楊双子さんの話で納得がいったことがある。「台湾の作家がどうして台湾人の王千鶴ではなく、日本人の青山千鶴子を主人公にして小説を書くのか」という私の質問に、楊双子さんはこんなことを答えた。
 「日本統治下の台湾では、王千鶴のような若い女性は保守的な家族のなかで、自由にものをいったり、青山千鶴子のように自分の思うように生きることはできなかった。だから、小説の主人公としては日本人の青山千鶴子のほうにした」


【写真】楊双子さん(右)と筆者(左)。楊さんが手にするのは、
『台湾漫遊鉄道のふたり』の原書『臺灣漫遊緑』。台湾での刊行時、
  「知られざる日本人作家青山千鶴子の未発表作品が見つかり、楊双子が訳した」
  という設定で発売され、その仕掛けが話題(一部、ネット炎上)になった


六月の雪
乃南アサ/文春文庫
1144円/2021年5月
声優になる夢に破れた未來は、病に倒れた祖母が生まれ育った台湾・台南を訪れ、
  彼女の生家を探すことに。祖母の子ども時代の記憶と台湾と日本の近現代史が絡み合う。
  単行本は2018年に刊行


日台万華鏡
台湾と日本のあいだで考えた
栖来ひかり/書肆侃侃房
1760円/2023年5月
台湾在住のエッセイストが、2016年から2022年にかけて日本のメディアで発表した、
  知られざる台湾文化、日台文化論などの文章を、「社会」「ジェンダー」
  「日台文化比較」「歴史交錯」「映画・ア-ト・本」の章立てでまとめたエッセイ集


 また、こんなことも。「国民党による白色テロの時代、台湾の人間は、本音をいうのを恐れた。密告を怖れたから。家族のなかでも密告があった。千鶴がいつも『仮面』をかぶっていたような表情をしているのは、そういう台湾の困難の歴史の象徴です」。
 確かに、戒厳令の時代を知っている世代の知識人には、口数の少ない人がいるようだ。
 乃南アサの、現代の台湾を、日本の若い女性が旅をする物語『六月の雪』(文藝春秋、二〇一八年)に李怡華(りいか)という案内の女性が登場する。彼女は親切ではあるが、いつも口数が少ない。ときに無愛想である。
 なぜなのか。日本に帰る主人公を空港に見送ったとき、李怡華はこんなことを言う。
 台湾では長く戒厳令の時代が続き、自由にものが言えなかった。他人に本音で話すと、密告され、逮捕されかねない。だから「台湾人は日本人に比べて感情の表現をそんなにしない」。



 台北に十七年も暮しているエッセイスト、栖来(すみき)ひかりさんの『日台万華鏡 台湾と日本のあいだで考えた』(書肆侃侃房(しょしかんかんぼう))も「台湾好き」には、反省させることの多い、示峻に富んでいる書。
 まず「『BRUTUS』台湾特集の表紙に台湾人が不満を感じた理由」が考えさせる。
 二〇一七年七月に発売された『BRUTUS』(マガジンハウス)の台湾特集号の表紙が、台湾のネットで炎上と言っていいほどの話題になったという。
 その表紙には、台南の美食街の写真が載せられていたが、その写真は路上に大量に停められたスクーターを写したものだった。編集部は、雑踏のにぎわいをよかれと思い表紙にしたと思うが、台湾の人は「自分たちの『民度』の低さを見せつけられたようで恥ずかしい」ととらえた。その結果、ネットで炎上する状態になった。
 栖来さんは、この事件を振返って書く。「かつての台湾をよく知る日本人から「昔の台湾はもっとめちゃくちゃでパワーがあって面白かった』とか『今の台湾はきれいになって面白くない』と聞くたびに、なんだか心がザラザラしてくる」
 同様に「昭和っぽい」「懐かしい」「癒やされる」という台湾への感想にも違和感を持つという。
 これは反省させる。私なども台湾の小さな町を旅し、つい「昭和っぽい」「懐かしい」「癒やされる」などと言ってしまう。『台湾漫遊鉄道のふたり』の「私」と同じように、気づかないうちに上に立って台湾を見ていることになる。
 考えてみれば日本国内の旅でもそうだ。ローカル線に乗って、小さな町で降り、そこに「昭和」の町並みが残っていると、つい「懐かしい」と言ってしまう。東京の人問の傲慢ではないか。もちろん、こちらは褒め言葉として言っているのだが、言われたほうは、そうは受け取らないかもしれない。
 栖来さんの次の言葉を心しておこう。
 「台湾人の『日本が好き』という感情は本当に複雑だと思う。日本人の無邪気な『台湾って親日だよね』『懐かしい』『癒やされる』という感じ方は、実は台湾人の人々の心の微妙な部分を刺激するということを一般の旅行者ならともかく、少なくとも日本のメディアは認識した方がいいだろう」



 この五月に百年以上の歴史をもつ「週刊朝日」が休刊になった。大学を卒業し、一九六九年、朝日新聞に入社し、最初に配属になった職場が「週刊朝日」だった人間としては寂しい思いがする。
 当時の編集長、横田整三さんのことは忘れ難い。温厚な方で、入社したての人間にもいつも優しく接してくれた。私が一九七二年に公安事件で逮捕され、朝日新聞社を辞めさせられたあと、裁判に、横田さんは弁護人として出席してくださった。辞めさせられた人間の弁護をする。勇気がいったことだろう。いまは亡き人だが、恩は忘れられない。
 当時の「週刊朝日」は部数が落ちたとはいえ、五十万部はあった。それでも百万部時代があったのだから激減しているとみなされ、横田さんは編集長として苦労されたと思う。
 「週刊朝日」時代の仕事でいまも憶えているのは「東京放浪記」。一ヵ月、東京の町を放浪し、戻ってきてからその体験を書く。
 山谷のドヤ街に泊ったり、建築現場で働いたり、テキヤの若者と一緒に新宿でウサギを売ったり。若かったからできた。
 一九七一年に「週刊朝日」の表紙を飾り続けた、タレントの保倉幸恵のことも忘れられない。一緒に映画『ファイブ・イージー・ピーセス』を見たりした。その後、一九七五年、電車に飛び込んで自殺した。二十二歳だった。●

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大川原化工機事件をめぐる裁判

2023年10月31日(火)

こんなことを考えていた…….

大川原化工機事件に関連した,
国・都に対する損害賠償請求事件の裁判の模様を新聞が伝えていた.
この前日か,実際の捜査に当たった警視庁の担当者らの証言が伝えられていた.
捜査を主導した刑事と,そのもとで捜査に当たった刑事の発言が伝えられていた.
両者の発言は,かなり違っていたのだろう,記事はそう読めた.

そして,今日,検察の担当の検事ら,捜査に当たった検事,起訴を取り消した検事の発言,
また,輸出入を管理する立場の経産省の担当スタッフの証言,
なかなかおもしろいやりとりだったように見える.

しかし,【日経】には,経産省の担当者の証言には触れていない.
また,起訴を取り消した検事の証言も取りあげられていない.

同じ公判を取材したのだろうから,ずいぶんと違いがあるな,と思う.
【日経】の記事だけを読めば,じゃ,なぜ起訴じたいが取り消されたのか,と訝しく思うだろう.
あるいは,【日経】紙の取材スタッフが,あるいはその上司が鉛筆をなめてしまった?
あるいば,スタッフが不足していて取材が十分でなかった?
あるいは,記事執筆の時間の制約,たとえば締め切りと公判の進捗状況とのズレがあって,
夕刊や明日の朝刊にでも補足の記事が出るとか,
さて,どうなんだろう.

……そして,しばらく放っておいたのだけれど,NHKがドキュメンタリー番組で取りあげていた.
本人たちが登場し,
いや,登場できなかった人もいたのだけれど,興味深く思った.

あるいは,これから同趣の事件が起きる可能性は小さくないんだろうな,と思いながら.
大陸の国の「スパイ容疑」とか,案外写し絵のようなものなのかもしれないな,などとも.


―――――――――――――――――――――――――

「規制対象外の可能性、伝達」 経産省職員が証言 起訴取り消し
2023年7月6日 5時00分

 軍事転用可能な機器を無許可で輸出したとして逮捕、起訴され、後に起訴が取り消された「大川原化工機」(横浜市)の社長らが、国と東京都に賠償を求めた訴訟で、輸出規制を所管する経済産業省の職員だった2人と、事件を担当した検察官2人の尋問が5日、東京地裁であった。経産省の元担当者は、同社の機器が規制対象外である可能性を警視庁に「何度も伝えた」などと述べた。

 警視庁公安部は2020年3月、同社が、生物兵器の製造に転用可能な「噴霧乾燥機」を、必要な許可を得ずに輸出したとして、外国為替及び外国貿易法違反の容疑で社長ら3人を逮捕した。

 輸出規制の要件を定めた経産省令は「定置した状態で内部の滅菌または殺菌をすることができるもの」を要件の一つにしている。東京地検が起訴した後、同社の機器がこの要件に該当しない可能性が浮上。地検は21年7月に起訴を取り消した。

 この日は経産省の担当課にいた2人が出廷。公安部の窓口だった職員は、機器が規制対象にあたるかを警視庁側にどう伝えたかを問われ、「非該当の可能性を数多く述べた」と話した。

 理由として「警察が熱心だったのでクールダウンしてもらう趣旨だった」とも証言。「警察が該当と勘違いするのが嫌だったのか」と重ねて問われると「そういう気持ちもあった」と語った。

 一方、社長らを起訴した検察官は「起訴に間違いがあったと思っていない」と述べた。起訴の取り消しについては「真摯(しんし)に受け止めるべきだ」としつつ「立ち返っても同じ判断をする」と証言。「間違いがあったと思っていないので謝罪はありません」と話した。

 起訴を取り消した別の検察官は、起訴後に検察で行った実験で菌が死滅しなかったため「立証困難となった」と語った。

 6月30日にあった警察官4人の尋問では、公安部の警部補が事件は「捏造(ねつぞう)」と述べていた。(鶴信吾)

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起訴の正当性、検事が強調 事件「捏造」発言訴訟
2023/7/6付日本経済新聞 朝刊

起訴取り消しとなった外為法違反(無許可輸出)事件を巡って警視庁公安部の警部補が「事件は捏造(ねつぞう)」と証言した民事訴訟の口頭弁論が5日、東京地裁で開かれた。東京地検で捜査を担った検事が証人尋問に出廷し「当時の判断に間違いがあるとは思わない」と起訴の正当性を強調した。

訴訟の原告は一時起訴された横浜市都筑区の「大川原化工機」の大川原正明社長(74)ら。捜査の違法性などを主張して東京都と国に損害賠償を求めている。

検事は捜査内容に関し、警視庁公安部の捜査員と断続的に協議していた。

訴訟では公安部の男性警部補が6月、証人尋問で事件を「捏造」と発言したが、5日の証人尋問で検事は「(立証の上で)不利な証拠があるかもしれないという疑いは持たなかった」と説明。大川原社長らに対して謝罪はしなかった。

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